建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

差鴨居の家々が並ぶ集落

2009-11-30 16:51:34 | 日本の建築技術
日曜日の天気予報は、はじめは「曇りのち雨」しばらくしたら「晴れのち曇り・雨」に変っていました。そして実際は、夕方まで晴。とりわけ午前中は、雲一つない快晴。そこで、連れ合いともども、犬たちと散歩に出ました。

近くに「まぎのうち」と呼ばれる集落があります。正式の住所名は別にあり、これは通称。
かなり広い小高い台地上を、いくつかの矩折(かねおり)はあるものの、ほぼ東西に幅1間半ほどの道がまっすぐに通り、その南側の、台地の終る斜面までは畑、道の北側に広大な「屋敷」、そのさらに北側背後には杉、檜、欅などの混交林があり、その一部を開いて北側にも畑が広がります。
道の曲がり角には、江戸の頃のものと思われる石の道案内や道祖神が立っています。

「まぎのうち」と呼ぶのは、かなり昔は一帯が「まぎ:牧」であったからだと思われます。近くにある「椎名家」(「日本の建築技術の展開-26・・・・住まいと架構・その3」)は、馬の放牧をやっていたと言いますから、出島一体では牧畜が盛んだったのかもしれません。
南側の畑の斜面の終わりには、遺跡地図上で中世~近世の墓とされる高低差60㎝ほどの小丘があり(下の写真)、そこだけは開墾されずに残されていますから、古い歴史が埋もれている一帯であることはたしかです。

           
            中・近世の墳墓跡 手前は最近までサツマイモ畑だった。

今は集落沿いの道は生活道路専用になり、南側の畑を横切って車も通る広い道路ができています。
下の写真は、あるお宅を、新しい道路から見たものです。
手前の畑は、今は何もつくっていませんが、秋までは、陸稲と落花生がつくられていました。



屋敷と道の境には、生垣で柵がつくられますが、最近は石の塀に変りつつあります。手入れが大変だからではないでしょうか。
写真の石塀の前を通っているのが、昔からの道です。

集落の家々は、一軒の茅葺を除いて瓦葺きで、多くは平屋建て、二階建てが数戸。
二階建てはその外観から、第二次大戦後に建てられたものと思われます。一時期、二階建てが流行った時期があるのです。どれも天守閣のように異様に背が高い。

平屋建てには、茅葺を小屋だけ変えたかな、と思われるお宅もありますが、多くは最初から瓦葺きで計画したのではないか、と思われます。
建てられた時期は、昭和の初めか大正、ことによると明治末もあるかもしれません。いずれ、調べてみたいとは思っています。

石塀のお宅に近付いてみます。



門を入ってすぐの右手には納屋があります。このあたりでは「までや」と言います。「までる」=「かたづける」という意味だと聞いたことがあります。
納屋の屋根の構成が美しい、見事です。何度か増築をしているらしい。

道は、車のとまっているあたりから先は、今は樹木が繁って通りにくくなっています。
門に近付いて、中を撮らせていただきました。



見えているのは東面、その一番奥に、少し引っ込んで「玄関」があります。
その部分は化粧の「数段の出桁」で屋根を受けています。他の部分の軒も「出桁」ですから、軒の出はかなりのものがあります。
軒高はそんなに高くありません。見ていて安心できる、馴染める大きさです(ある時期から、やたらに背丈を高くすることが流行ります)。

東面のガラス戸の内側には「縁側」があり、「縁側」は矩折(かねおり)に南面へ回っています。
「縁側」がLの字型に付いた典型的な農家住宅。
「縁側」の内側には、多分、二部屋続きの座敷:接客空間があるはずです。
建てられた頃には、ガラス戸はなく、雨戸があるだけだったかもしれません。
「縁側」のL字は、全面が開口部です。

この「縁側」のガラス戸の鴨居位置に、全長にわたって入っているのが、「差鴨居」です。これが、全面開口を可能にしているのです。

「差鴨居」は「縁側」に沿って途切れることなく続き、玄関のところでも矩折に曲がり、玄関の引き戸の上の鴨居:「差鴨居」に連なっている筈です。
そして、一般的な例から推察して、「座敷」の部屋境(「縁側」側も含め)「差鴨居」が入っているものと思われます。

「差鴨居」から小屋の「桁」までの間:「小壁(こかべ)」は、写真で分るように、壁にするか欄間にするか、まったく任意です。
つまり、「小壁」を全面壁にしなくても、構造的に大丈夫なのです。

「方丈建築」や「客殿建築」(いわゆる「書院造」)では、内法位置に「内法貫」を設け、その上の全面壁に仕上げた「小壁」部分、それと「拮木(はねぎ)」でつくった四周にまわした軒(庇)部の架構、この両者で全面開口を可能にしていると考えられますが(下記註参照)、「差鴨居」方式では、「差鴨居」を設けるだけで、全面開口が数等容易に可能となり、しかも「小壁」の扱い:壁にするか欄間にするか:は、まったく任意なのです。

   註 「日本の建物づくりを支えてきた技術-29・・・・継手・仕口(13):中世の様態・5」
      「建物づくりと寸法-1・・・・1間は6尺ではなかった」
      「建物づくりと寸法-2・・・・内法寸法の意味」

このお宅は、ある部材だけが際立って目に飛び込んでくる、ということのない、これ見よがしのところのない、大らかで素直なつくりです。
各部材が「全体」に馴染んでいる、と言ってもよいかもしれません。
こういうつくりは、一般に、建設時期の古い建物に見られる傾向です(不必要な大きさの材、不必要な量の材料は使わない)。

    こういうつくりの「形式」が定着してくると、「目立ちたい」という気持ちが前面に出てくる、
    そういう傾向が一般にあるように思います。
    人の性(さが)なのかもしれません。今の世の言葉で言えば「差別化」です。
    そんなことをしなくたって、「個性」は自ずと滲み出てくるもの、と思うのですが・・・。
    こういう性(さが)は、建て主だけではなく、つくる大工さんにもあるようです。
    天守閣のような二階建てをつくるのも、その一例と言えるでしょう。


下は、この建物の南面を、塀の外から見たところです。



この集落には、このお宅と同じ姓の方がたくさんおられます。これも調べなければ分りませんが、屋敷構えや建物のつくりなどから、このお宅は「本家」にあたるのではないか、と勝手に想像しています。


このお宅を離れ、道を西に向います。たいてい建物が奥に建っているので、姿が良く見えません。
神社の隣りに、ほぼ全体が見えて写真の撮れるお宅がありました。



最初のお宅に比べ、規模は小さいですが、玄関のつくり方は同じです。
ここでも同じように「差鴨居」の回ったL字型の「縁側」がつくられています。
ただ軸部に対して、小屋:屋根の大きさ:被りが少し大きすぎる、頭でっかちの感があります。軒高と軒の出の関係だろうと思います。

この集落にはもう一つ多い姓がありますが、このお宅は、その「本家」筋ではないかと思われます。

さらに西へ進み、集落の道が終るあたりにも写真の撮れるお宅がありました。
下は、そのお宅の門から見た正面と、南面の写真です。





このお宅の建設時期は、比較的新しい、もしかしたら戦後かもしれません。
「縁側」をL字型にまわすなど、基本的には、先の二軒のお宅と同じですが、玄関のつくり方が大きく違うからです。
切妻屋根の突き出し部分を設け、それを玄関にあてています。
このやりかたが何時頃から始まったのかはよく分らないのですが、二階建ての建物は、皆この方式です。

突き出し部の納まりに苦労していますが、どういうわけか、この形式は今でも望まれているようで、最近つくるお宅にも多く見かけます。
「方丈建築」の入口がこれに似てます(前掲註参照)。言うなれば、はるか昔の「中門廊」への先祖返り?

若干、必要以上に大きな材かな、とは思いますが、この建物の写真が、一番「差鴨居」全体がよく見えます。つい最近、まわりの道路拡幅工事があり、植えられていた庭木の多くが移設されたため、建屋が丸見えになったからです。


本当は、それぞれのお宅に伺い、謂れをお聴きすればよいのですが、まだこの地に暮して10年足らず、もう少しお付き合いができるようになったら、お尋ねしてみようか、と思っています。

以上、散歩がてら、「差鴨居」を使ったお宅を観てきた、その報告です。

書き忘れましたが、これらの建物は、皆、礎石建(石場建て)、土台を使っていますが、礎石に緊結するようなことはしていません。
この一帯は、「幸いなことに」都市計画区域外、確認申請が要りません(工事届だけ)!
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速報・・・・「伝統工法」論議についての朝日新聞(大阪本社版)の論説

2009-11-29 20:45:57 | 「学」「科学」「研究」のありかた
「伝統工法」についての参議院での国会審議にからんで、「伝統工法検討」の正常化・公正化すべきことを論じた本日:11月29日付け朝日新聞(大阪本社版)の「論説」を、下記ブログで読むことができます。

東京本社版および asahi.com では、現在のところ読むことはできません。

  http://kido-azusa.blog.so-net.ne.jp/2009-11-29

「本来の日本の木造建築」が多数現存する関西の方々の方が、この問題を切実に感じて居られるのかもしれません。
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「本来の日本の木造建築の工法」と「研究者の云う伝統的木造構法」

2009-11-28 02:21:10 | 日本の建築技術
  今回は長くなりますがご容赦ください。ただ、図などは、文の近くに載せるように努めます。

[註記追加 10.07]
◇はじめに

09年11月24日付で「伝統的木造軸組構法 静加力実験 結果速報(11月19日版)」が、「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」から公表されています。

それによりますと、この実験の様態ならびにその目的について以下のように書かれています。

    国土交通省の補助により伝統的木造軸組構法住宅の設計法作成及び性能検証事業として
    伝統的木造軸組構法住宅の設計法を開発し
    改正建築基準法に基づく当該建築物の審査に係る環境を整備することにより、
    これらの建築物の円滑な建築に資することを目的としており、・・・
    昨年度は「(財)日本・住宅木材センター」と「(独)防災科学技術研究所」との共同研究により、
    伝統的木造軸組構法の実物大住宅(2棟)の震動台実験が行われ・・・
    今年度は「同協議会」と「(独)建築研究所」との昨年度行った実物大試験体の静加力試験を実施・・した。

    註 いろいろと共同研究の様態が異なり、多面的な研究が行われているかのように見えますが、
       関係する研究者はまったく同じです。
       国土交通省が、なぜこの研究者集団を重用するのか、それについての「疑念」については、
       今回はあえて書きません。

       また、国土交通省ならびにこの研究者集団の「伝統的木造軸組構法住宅の設計法を開発し
       改正建築基準法に基づく当該建築物の審査に係る環境を整備する」などという試みへの
       「危惧」についても、
       深く追求することは、今回はあえてしません。
       先回の記事(下記)をお読みください。
       「『基準』がないと、良いものはできないか・・・・むしろ『基準』は技術を衰退させる」

◇「伝統的木造軸組構法」とは何を言うか、未だに研究者集団は語っていない

すでに昨年の実験について、何をもって「伝統的木造構法」と言うか、はなはだ疑問であると書きましたが、当然ですがお答えは聞いていません。

   註 「伝統的木造軸組構法住宅の実物大実験について-1」以下の連載参照

また、今年6月に出された当該実験の報告書に於いても、「伝統的木造軸組構法」についての概念・定義はまったくなされておりません。

今回の実験に使われた「試験体」は、昨年の「試験体」と同じ仕様で、下の写真のような姿をしています。写真は「速報」6頁からの転載です。



この写真を見て、この試験体について、どのようにお考えになるか、アンケートをしてみたくなりました。

 1)以下の設問で、どちらだとお考えですか。
  ①この試験体は、「本来の日本の木造建築の工法」を踏襲・継承している
  ②この試験体は、「本来の日本の木造建築の工法」を踏襲・継承していない
 2)1)で選択した「お考え」の「理由」をお書きください。
 
◇「本来の日本の木造建築の工法」を特徴をよく示す代表例

これまで私が学んできたことから見て、私が考える「『本来の日本の木造建築の工法』を特徴的に示している」架構の建物の一つは、奈良・今井町の「高木家」です。
この点は、期せずして建築学生用教科書「構造用教材」の編者と同じ判断です。

何度も載せてきていますが、「高木家」の架構分解図と土間の写真を転載します(架構図は「重要文化財 高木家住宅修理工事報告書」から、写真は「日本の民家」からの転載です)。
なお、「高木家」についての詳細は、「日本の建築技術の展開-29・・・・住まいと架構その6」他をご覧ください。



「高木家」は、重要文化財に指定されてはいますが、決して特殊、特別な建て方をしているわけではありません。
「礎石建て(石場建て)」「土台」「足固め」「貫」「差鴨居」を用いた、きわめて質朴なつくりの建物です。
たとえば、「柱」は「通し柱」も「管柱」も、仕上り4寸2~3分角で統一され(いわゆる「大黒柱」はありません)、「差鴨居」をはじめ他の部材も、異常に大きいということはありません。
すべての点で「合理的」な考えで貫かれていると考えることができます。
なお、「高木家」は、建設後、「安政の大地震」に遭遇していますが、その地震をはじめ、以後何回かの地震の影響は受けていないことを「『耐震診断』は信頼できるのか-補足・・・・今井町・高木家の地震履歴」で触れました。

これまでも何度も書いてきていることではありますが、「住まい」の建物をつくるとき、不必要な大きさの材料や、不必要な量の材料を使うようなことはしないのが普通です。
そういう点で、庶民は本当に「合理的」なのです。
そしてまた、どうしたら不必要な大きさの材料を使わないで済むか、どうしたら材料が少なくて済むか、考えます。

もちろんそれは、「住まい」の目的、すなわち、それぞれの地域の特性(当然のことですが、高温多湿の環境や地震や風への対応を含みます)のなかで暮すための要件を充たした上の話です。
これらの「条件」を見事に充たした合理的な架構、その一つの好例が「高木家」である、と私は考えているのです。

◇今井町「高木家」と「試験体」を比較する

では、「高木家」と「試験体」を比べたとき、何が異なるでしょうか。

一番目に付くのは、「試験体」の開口部上部にある丈の大きい「楣(まぐさ)」のような部材ではないでしょうか。
実験の主催者は、これを「差鴨居」と呼んでいるようですが、「本来の日本の木造建築」で使われてきた「差鴨居」は、開口部の上だけに用いるものではなく、また「試験体」のように、「差鴨居」を設けた柱間の隣りに「差鴨居」を入れない狭い柱間を設けるようなことはしないのが普通です。

「差鴨居」は、一定間隔で並んでいた柱を抜く方策として考え出されたと言われていますが(下記註参照)、そのため、抜いた柱の位置には、元の柱が支えたその上の材を支えるため、一般には「束柱」が立ちます。「差鴨居」が梁・桁の役目を持つのです。
しかし、その方法が定着してくると、上の横材と差鴨居とが一体の横材として働くことが分ってきて、以後は、最初からそのように使われるようになります。
「高木家」は、そのいわば習熟・完成した姿と言ってよいのではないでしょうか。

   註 「日本の建築技術の展開-25・・・・住まいの架構・その2-差鴨居の効能」

それに対して「試験体」は、私の目には、きわめて危なっかしく見えます。
「差鴨居」を設けた柱間の隣りに「差鴨居」を入れない狭い柱間を設けているからです。
遠藤 新の言葉で言えば、頑丈な部分と弱い部分が斑(まだら)に並んでいる「不権衡な」軸組になっているからです(「貫」を入れてあるから、「差鴨居」の入った部分と同じだ、などと考える人は先ずいないでしょう)。
その上、直交する軸組には「差鴨居」がありません。これも「不権衡」です。

ものの分る大工さんなら、こういう「不権衡」なことはしないと思います。
また、この実験を主催された研究者の方々も、見て知っている筈です(知らなかったとしたら、とんでもないことです)。
なぜなら、「建築研究所」や「防災科学技術研究所」のある筑波研究学園都市の一帯には、都市化にともない少なくなってはいますが、「差鴨居」を多用した農家住宅が多数現存していて、それらを見れば、余程のことでないかぎり、「試験体」のような使い方をした「差鴨居」はないことが分る筈だからです。

   註 以下は、すでに何度も書いてたことの繰り返しです。
      世の中では、いわゆる民家と呼ばれる農家や商家の建物は、 
      骨太の材を使っている、だから丈夫で長持ちするのだ、と思われています。
      しかしそれは、事実ではありません。
      技術が発展途上のときには、中心になる柱を太くすることが行われました(大黒柱)。
      しかし、技術が展開すると、あえてそうする必要もなくなります。
      地域にもよりますが、温暖な地域では「高木家」のような形に落ち着くのです。
      「箱木家」「古井家」など15世紀の建物でも、材は決して太くはありません(下記参照)。
       「日本の建物づくりを支えてきた技術-41・・・・まとめ・立体構造化に努めてきた人びとの営為」
      ところが、19世紀末頃:江戸末~明治になると、自らのステータスを
      部材の「大きさ」「質」「使用量」で誇示することが流行ります。
      たとえば高山の「吉島家」や塩尻の本棟造「堀内家」などが一例です。
      本棟造では「堀内家」よりもはるかに古い「島崎家」は、柱はすべて4寸3分程度で、
      「差鴨居」もなく、質朴です(下註参照)。
      「島崎家」では、明治年間、世の流行にのって「差鴨居」を接客の部屋にだけ取り付けました。
      解体中の現場で、あまりの不権衡さに驚いた記憶があります(下註)。
      修理工事報告書にも、見栄で入れたのではないか、とあります。

   註 「日本の建築技術の展開-27・・・・住まいの架構、その4」     
      「日本の建築技術の展開-27の補足」

さらに試験体では、「楣(まぐさ)」(「差鴨居」?)と2階床桁との間:小壁部分に、通しで「貫」を入れています。
「本来の日本の木造建築」では、その部分を全面壁にすることはなく、多くの場合、「欄間」を設けることが普通です。これは「差鴨居」の「効能」の一つなのです。
この事例も、研究者諸氏は、筑波研究学園都市の周辺の農家住宅で、見て知っている筈です(知らなかったとしたら、とんでもないこと)。

◇浮かんできた研究者集団の言う「伝統的木造軸組構法」の姿

このようなことを見てくると、そこに、「研究者諸氏が言う『伝統的木造軸組構法』」が如何なるものなのか、その姿が、おぼろげながら見えてきます。
それはすなわち、「本来の日本の木造建築の工法」ではなく、以下のような架構のことにほかなりません。

  ①部材の接合に、「継手・仕口」を使っている。
  ②「本来の日本の木造建築で使われている名称の部材」を一部組み込んである。
    ex:「足固め」「貫」「差鴨居」・・など
  ③ただし、足元は土台使用の場合も含め、地盤に緊結する。

では、なぜそれをして『伝統的木造軸組構法』の建物と言い、実験するのか。

その理由(わけ)は、今回の実験:「静加力実験」を具体的に見ると分ります。
「速報」に、「静加力実験」の仕様が図解されていますので、以下に転載します。
実験は、四つの場合で行われています。


左:短手方向(梁行)「2階床構面」に力を加える          右:短手方向(梁行)の2階床面全面に力を加える


左:長手方向(桁行)の2階床面全面に力を加える          右:小屋桁に力を加える(2階床は固定)

この実験方法を見れば、なぜ足元を地面に緊結するのか、分る筈です。
緊結してないと、水平の力を加えると「試験体」は横滑りしてしまい、「思い描いた実験」にならないからなのです。

   註 横滑りしてしまい実験にならない、だから緊結しよう、と考えたとき
      本当なら、そこで「本来の日本の木造建築」が、
      何故「礎石建て(石場建て)」で地面に緊結しなかったか、
      研究者ならば、その理由に思いを馳せるのが普通です。
      しかし、そうではない・・・。
  
 
ここで「試験体に加えられた水平の力」を、「地震による水平力」と同じであると考えてしまうと、それは大きな誤解を生みますから注意してください。
なぜなら
地震によって建物にかかる力は、決して研究者が実験で考えているように「都合よく」建物・架構にかかるものではないからです。
つまり、床面位置だけ、小屋梁位置だけ、に力がかかるなどということは、地震の際にはあり得ません。
あたりまえですが、静的に力を加えて「試験体」各部に生じる「変化」は、地震によって建物各部に生じる「変化」そのものではない、ということです。

   註 「実験結果速報」には、力を加えた後の「試験体」の写真も載っていますが、転載しません。
      なぜなら、その姿は、実際の地震の際には起き得ない姿であり、
      見る人に大きな誤解を与えかねないからです。
      「速報」には、その点の「見るにあたっての注意」は書かれていません。
      こういう実験を否定するつもりはありませんが、
      「実際の地震とは異なる」ということの明示を、
      研究者であるならば、怠ってはならない、と私は考えます。
     
   註 追加[10.07]
      実際の地震では、地震により生じる力は、架構全体にかかり(正確には生じ)、
      それが各部に伝わる、と考える方が自然です。
      強い部分にだけ力がかかる、などという都合のよいことは起きません。
      だからこそ、架構全体を考えることが大事なのであり、
      だからこそ、かつての工人たちは、
      部材を一体の立体になるように組むことに知恵を絞ったのです。
      そしてそれが「本来の日本の木造建築の工法」に他なりません。


では、なぜ、このような地震の力に相当しない力を加える実験をするのでしょうか。

それは、研究者集団の「脳裡」に、「伝統的木造軸組構法」は軸組内に「耐力壁」効果を持つ部分がなければならない、という思考:仮定があるからに他ならない、と推定して間違いないでしょう。

現在の建築基準法が規定している木造工法は、軸組内に「耐力壁」を適量設けることで外力(地震により生じる力も含む)に対応する、という考え方に依拠した工法です。
つまり、国土交通省と緊密な関係のある研究者集団が考えているのは、
①部材の接合に「継手・仕口」を使い、②「日本の木造建築」に使われていた名称の部材を一部でも組み込んである(ex:「足固め」「貫」差鴨居」など)つくりかたも、
現在の基準法の考え方の延長上になければならない、と考え、その「条件」を充たしている工法を「伝統的木造軸組構法」と呼ぶようにしよう、という「大変恐れ多い試み」を行っているに他ならないのです(「畏れ多い」ではありません)。

「ケンプラッツ」に寄せられたコメントを見ると、あの「長期優良住宅が想定外に倒壊した実験」を援護する人たちの中には、「伝統的木造軸組構法」の諸実験は、法の連続性を維持するための伝統的な工法を律することを目指す有益な行動、と考えているようです(工法の連続性ではなく、法律の連続性を優位に考えているのです)。

したがって、今回の実験も、以前行われた「構面」の実験も(「とり急ぎ・・・・また「伝統的木造構法住宅の震動台実験」参照)、「日本の木造建築の工法」で多用されている「足固め」「貫」「差鴨居」などを「利用した」、現在の建築基準法の規定にはない新たな「耐力壁を探そう」、という実験である、ということになります。

◇これらの一連の実験、その目指すものは、「本来の日本の木造建築の工法」にいかなる状況をもたらすか

今井町「高木家」をはじめとした「本来の日本の木造建築の工法」で使われている「足固め」「貫」「差鴨居」などは、「耐力壁」を設けるために使われていたのでしょうか。
そんなことはありません。
それについては、先の「日本の建物づくりを支えてきた技術-41・・・・まとめ・立体構造化に努めてきた人びとの営為」でまとめてあります。

そもそも、「本来の日本の木造建築の工法」は、「権衡」を第一に考えています。
これは日本だけではありません。
西欧はもとより、どこの地域の建築も、
木造であれ煉瓦造であれ石造であれ、「権衡に留意して」建物をつくるのが「常識」なのです。
それを私は、その性格・特徴から「架構の一体化・立体化」への努力と呼んでいるのです。

一方、建築基準法の木造建築の規定、それを支えている考え方は、
その性格・特徴から「耐力壁依存の考え方」と呼ぶのが相応しいのです。
そしてそれは、世界中のどこを探しても今までなかった、
「きわめて特異な考え方」なのです。

以上のことを真剣に考えてみれば、
現在、国土交通省が、その重用する研究者集団とともに行っている「伝統的木造軸組構法住宅の設計法を開発し改正建築基準法に基づく当該建築物の審査に係る環境を整備する」試みは、
現在以上に「本来の日本の木造建築の工法」の存在を否定する、あるいはこの世から抹殺する方向に働くことは明々白々です。
つまり、「文化」の抹殺行動に他ならないのです。

いったい、一行政機関(の一部の人たち)や、その人たちに重用される一部の研究者集団が、
このような「行動」をとることは、許されてよいのでしょうか。
関わっている研究者集団の各位は、そのことを、どのように「自覚」されているのでしょうか。
それを各々が世の中に広く開陳する必要があります。
そして、開陳しないのならば、私たちにはそれを要求する当然の権利がある、私はそう思っています。

読まれた皆様は、いかがお考えですか。

 ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。    
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「基準」がないと、良いものができないか・・・・むしろ「基準」は技術を衰退させる

2009-11-25 11:01:58 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[文言追加(末尾追記) 15.22][文言追加改訂 26日 3.43][文言追加 26日4.03]

ここに2枚の「絵」があります。
どちらも19世紀中頃、イギリスでつくられた鋳鉄製鋼管で架けた橋を描いた絵です。
上は1846年、下は1858年の構築。写真がない時代ゆえに絵で描かれています。

ちょうどこの頃は、ウィリアム・フェアバーン( WILLIAM FAIRBAIRN )たちが、鉄の活用のために、事前の計算で部材の形や構築物の強度を確認する方法:「材料力学」「構造力学」の端緒にたどりついた頃です(下註参照)。
   
   註 「鋳鉄の柱と梁で建てた7階建のビル・・・・世界最初の I 型梁」

ですから、この橋梁は、「構造力学」に拠ったのではなく、設計者の「想像力」「創造力」に拠ってつくられたと言ってよいと思われます。
ともに Engineer:I.K.Brunel による計画。どのような方であるか、分りません。


1846年 Ivy Bridge Viaduct (Viaduct:高架橋)


1858年 Gover Viaduct,Cornwall Railway

この絵を見て分ることは、この橋は、いずれも、多分石積みと思われる橋脚の上から、鋳鉄製の鋼管支柱を扇状に立てて床を支える、という考え方でつくられていると推察されます。日本流に言えば角度の異なる「方杖」を多数設けて支えよう、という発想です。
TVの映像で、たしかパリのセーヌ川にかかる似たような架構の橋を見て、どこかで見た覚えがある、といろいろ探ってこの絵を探し出しました。
“GREAT ENGINEER”(ACADEMY EDITIONS, LONDON 刊)という書物が出典です。

下の鉄道橋をよく見ると、扇型は長手方向だけではなく、短手方向にも、つまり直交方向にも扇型の支柱がつくられています(アアルトの町役場の議場の木造天井のそれに似ています:「トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-5」)。
ただ、両側の橋脚からなされ、途中に水平な「繋ぎ」をとっていますから、この部分は、いわゆるトラス、あるいはラチス(格子)状になっています。
これは、床板をいかにして支えるかを考え抜いた末たどりついた方策と考えてよいでしょう。それは、それまで、木造の建物であたりまえに行われてきた方法の応用に他なりません。
先の水平の「繋ぎ」も、2本の柱を梯子型に構成すると、俄然丈夫になることを知っていたからです。技術者の多くの現場での体験が活用されたのです。
その結果、全体は、今のいわゆるトラスよりも美しい。[以上、文言追加改訂 26日 3.43]
これは、世界最初の「鉄の橋」が生まれる過程、それを生んだ発想と同じなのです(下註)。

   註 「鉄の橋-1」

大分前に、「建築学講義録」の西洋小屋組:いわゆるトラス:の解説を紹介しました(下註)。
そこでは、「力の分解」という解説ではなく、「いかなる現象が生じ、それを避けるにはどうしたらよいか」という視点で、つまり「つくる視点」で解説されています。その解説から、トラス組の「発展の経緯」も分ります。

   註 「トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-3」

今なら、力の分解ベクトル図で、引張り、圧縮に分けて解説するでしょう。
しかしそういう解説をするようになるのは、後になってからの話。

トラスを思いついたのは、そういう「理屈」が先なのではなく、現場での目的:たとえば川の上を長い距離飛ばした床をつくる、という目的へ向けての「体験に基づく知恵」の総動員・工夫が先で、「理屈」は後からついてくるのです。
主役は、学者ではなく、現場の工人たちなのです。そして彼らには「直観力」があった。
すなわち「力学」が先ずあってそれに拠って構築物がつくられたのではなく、先ず構築物がつくられ、その理屈の探求:後付けとして「力学」が生まれたのです。

これは、構造力学が体系化する以前に「I 型梁」がつくられたのと、まったく同じです(前記註)。
「 I 型梁」は断面二次モーメントの概念が生まれる前につくられていたのです。

今の学者・研究者の方々は、そういう「知識」なしに「 I 型梁」を発想・考案できるでしょうか。
「直観力」はあるのでしょうか?仮にあったとしても、「数字」「数値」がそれを苛むのではないでしょうか。


なぜこのような話を書くかというと、例の「倒壊しないはずの3階建て長期優良住宅」が倒壊してしまった実験についての「ケンプラッツ」の報道に対してたくさんのコメントが寄せられましたが、その中に、問題含みの見解があったからです。
私の推測では、今回の倒壊実験、その主催者たちの動向を強く支持する方の発言のようです。

  余談ですが、内容は「便所の落書き」的なものではなく、
  この実験の「予想外の展開」への「批判」を踏まえて
  この一連の実験、その考え方をを支持、援護する意見なのですから、
  私だったら、匿名ではなく実名で発言しますね。
  何か実名を出すと差し障りがあるのかも・・とは思いますが、
  無責任だ、と私は考えます。何故か。
  「批判」への「反論」を「言い放し」で終るからです。[文言追加 26日4.03]

その見解は、私のコメントに対するもの。
以下に、そのコメントをそのまま転載します。

>〇〇・・・〇は私のコメントです。なお、話を進める上で分りやすくするために、*1・・・・ を付します。

  >どうしても「基準」が必要なのですね

   基準は必要だと考えます。
   建築基準法は建築のためだけに存在するものではないはずです。
   そこに何らかの客観的基準を設けず、仮に「熟練大工の勘に従えば良い」とすることが可能でしょうか(*1)。

   耐力壁による在来工法の基準に不備があるというのは異論はございません(*2)。
   そして、半世紀の間、大地震を経験するたびに不十分な部分について改訂を重ねてきたのも事実です。
   しかし、それはメンツやシガラミあるいは伝統工法を軽視してきたからではなく、
   耐力壁+金物という剛体として扱う方法でしか客観的基準を設けることができなかったからだと思います(*3)。

  >根底の考え方の異なる伝統工法と基準法の整合性をとることが、どうやって可能なのでしょうか。

   もちろん簡単ではないと思います。
   しかし、これまで「歴史」という実験室でしか検証できなかったものが、
   Eディフェンスという実大実験装置での検証が可能になりました。
   伝統工法の研究にこれほど大きな武器はないと思います。
   だからこそ、大橋教授がされているような一連の研究に大いに期待しているのです(*4)。
   もちろん、最初から完璧なものを求めるのではなく、
   検証を重ねながらより良い基準を目指してほしいと考えます(*5)。

  >日本の(木造)建物づくりのたどってきた道筋を、あらためて学び直すこともしていただきたいと考えます

   おっしゃるとおりです。過去から学ぶことも新しい実験結果から学ぶこともどちらも大切だと思います(*6)。

*1 について

  仮に「基準」が必要だとしましょう。
  では、いったい、その「基準」は誰が設定するのでしょうか?
  神様ですか、それとも「選ばれた人たち」ですか?

  仮に「選ばれた人たち」だとして、それは誰が選ぶのですか?
  その際、「選ぶための基準」は何ですか?

  今行われている「基準・指針づくり」に係わっている方々は、
  どういう経緯で「選ばれた」のですか?
  自分で自分たちは「熟練大工」よりも「能力」がある、と勝手に立ち上がったのですか?

  そういう点について明解・明快な説明もせずに、「基準・指針づくり」を行うのは、
  「おこがましい」かぎり、だと思わないのですか?

  第一、なぜ「基準」がないと、良いものはつくれない、と思うのですか?
  どこにそういう実例がありますか?
  普通の人は、自分たちよりも「頭が悪い」とでもお考えなのですか?
  あまりにも、ものを知らな過ぎる、技術の歴史、学問の歴史を知らな過ぎるのではありませんか?

*2 について

  「耐力壁による在来工法の基準に不備がある」のを承知の上で、不備なものを「基準」にする、
  いったい、そのとき、その「基準」とは、何ものなのですか?

  「不備な基準」で何か問題が生じたら、どのような責任をとるのですか?
  「改訂」すれば済む、と考えるのは無責任きわまりない、と思わないのですか?
  企業だったらリコールものなのに、今行われている「耐震補強」のように、
  国の費用でやればいいや、とでもお考えですか?

*3 について
  
  「伝統工法を軽視してきたからではなく、耐力壁+金物という剛体として扱う方法でしか
  客観的基準を設けることができなかったからだ」という場合、
  いったい「客観的」とは、いかなることと考えているのですか?

  「耐力壁+金物という剛体でしか扱えない」ということは、
  論理的には、そうでないものは存在を認めない、具体的に言えば、
  「伝統工法」はそういう剛体でないから、その存在を「客観的に認められない」ということになりますが、
  その考え方は scientific 科学的であるとお考えですか?

*4 について

  「実大実験装置での検証が可能」になったと言われますが、
  問題は、「何を(いかなるものを)」実験装置にかけるか、です。
  先年以来行われている実験の「試験体」の、いったいどこが「伝統的」なのか、不可解です。
  実験にかけられたのは、すべて「似非伝統工法」の試験体です。
  「伝統的木造構法住宅の実物大実験について-1」以下の記事で、
  試験体がいかに「似非」であるか触れていますから、参照ください。  

  「伝統的工法」について、正確に定義がされているのですか?
  実験主催者から、その定義について説明があったことは、いまだかつてありません。
  明確な定義もないままに行われているからこそ、「大橋教授がされているような一連の研究」に
  「危惧、危険」を私は感じているのです。

*5 について

  「最初から完璧なものを求めるのではなく、検証を重ねながらより良い基準を目指」す、と言うのならば、
  その途中の段階で示される「基準」は、いったい何の基準なのでしょうか?

  なぜそんなにまでして「基準」を押し付けたいのですか?
  この論議は、*1 の問いへ戻ります。

*6 について

  これまでの「研究成果」のいったい何処に、「過去から学んだ」ことが在るのでしょうか?
  いまだかつて見たことがありません。報告書にも在りません。
  在るのは僅かな、しかも「似非試験体」の実験結果だけではありませんか。


以上、「言い放しコメント」についての私のコメントですが、当然「言い放し」の方からはもちろん、関係「当事者」からのお答えは期待していません。

私は、こういう研究者たちの実態・姿・思考形式を、多くの普通の方々に知っていただきたい、と考えているのです。

一言で言えば、学者・研究者は、特に建築がらみの学者・研究者は、全てが「公正・公平な考えを持ち、論理的であり、そして科学的である」とは限らない、ということです。
むしろ、その逆、「利系の研究者」の方が多いことに気をつけなければならないのです。

そして、そういう方々のつくる「基準」が建築の世界を「支配」するとき、世の中にはワンパターンのものが蔓延し、技術は展開することなく、衰退するだけなのです。「基準」「規定」の可笑しさ、馬鹿らしさについては、その一例を「基礎の重さ」で触れました(「基礎の重さ」)。

追記[文言追加 15.22]
最近にも紹介しましたが、大分前に書いた記事に、レオナルド・ダ・ヴィンチの
「最高の不幸は、理論が実作を追い越すときである」
「意見が作品より先にすすむときこそ、最大の禍である」
という言葉を載せています(「閑話・・・・最高の不幸、最大の禍」)。

「理論」や「意見」がリアリティとかけ離れたものであるときは、
不幸、禍などと呑気なことを言ってられない、とんでもないことになります。
建築一般、特に木造建築をとりまく現在の状況はまさにそれです。

逆に言えば、ダ・ヴィンチは、「理論」のあり方を糺したかったのではないか、と思っています。
数字にならないからといって、リアリティから乖離してはならないのです。
コメント (3)

偽装・仮装・・・・フォラム: forum の語義が問われる

2009-11-22 18:11:03 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[註記追加 23日 7.45][追記 追加 24日21.16]
この記事へと思われるコメントが2007年の記事に入っていましたので、末尾にコピーし転載しました。

20日の記事末尾に「最新情報」と名づけて「付録」を載せました。以下に再掲します。
それには理由があります。

   写真は、自然の理に生きる野鳥たち:ツグミ(昨年の写真)

****************************************************************************************

最新情報   

ブログを読まれている方から、11月19日の参議院・国土交通委員会で行われた、建築基準法の「伝統工法」の扱いに関する質疑の内容をお教えいただきました(審議の模様のビデオ)。

副大臣答弁で、現在の国土交通省内の「伝統木造に関する委員会」に中立性を疑われる委員がいる、構成を見直す必要がある、との注目すべき発言がありました。
正式な議事録は10日ほどかかるそうですが、聞いた内容の概要は下記。

  馬淵国土交通副大臣:
   伝統工法の実大実験を進めている委員会のメンバー構成の
   中立性には疑問があります。
   10月10日のシンポジウムで、委員から
   「絶対に、伝統工法は耐震性が劣る」
   「伝統工法を建てる施主には、死ぬかもしれませんよと説明する必要がある」(*1)
   という発言がありました。
   委員会のメンバー変更も含めて検討したいと考えています。

なお、*1は、坂本功氏の発言とのこと。
このニュースをご教示いただいた方は、同シンポジウムに出席し、直かに耳にしています。
氏のメールにその間の事情が書かれていますので、差し支えない範囲で、以下にコピーします。

  10月10日のフォーラム(上記のシンポジウムのこと)には私も参加しました。
  ・・・・・・・
  フォーラムでは、設計法に関し、「実務者」から「方向が違う」との発言が再三なされていました。
  大橋(好光)氏(木を活かす建築推進協議会 代表理事)は「のらりくらり」と言う回答イメージでした。
  最後に、まとめと言うことで、坂本(功)氏が登場し、それまでの議論にはまったく出てこなった内容で、
  「伝統的木造構法は、安全性が低い、死ぬかもしれませんよ、ということを建築主に説明してから、
  やるしかありませんね」
  と言いました。
  私は、「何これ?」でした。「安全性が低い」との議論は皆無であったにも関わらず、
  議論とは関係なしに《まとめ》を持ってくる御用学者の姿を目の当たりにしました。
  ・・・・・・・
****************************************************************************************

シンポジウム、フォーラム、というと、誰もが「公共」「公開」「オープン」というイメージを抱くと思います。
なぜなら、その語の意味を、大方の人は知っているからです。
その語の意味は、手元の辞書では下記のようになります。

  symposium:同じ問題についての意見や研究結果の発表会。討論会。
  forum   :公共的な議論(討論、意見交換)の場、公開討論会。

おそらく、その会に出席した副大臣も、当然ながら、このような意味と理解していただろう、と思います。

ただ、私は腑に落ちなかったので、そのフォラムに参加した情報をいただいた方に、主催者はどこだったのか、問い合わせました。
主催者として、三者の名が出ていますが、主体は「木の建築フォラム」というNPO法人であることは明らかです。
それを教えていただいて、すっかり納得しました。疑問が氷解したのです。

「NPO法人 木の建築フォラム」は数年前につくられ、その代表理事、理事は、ネットで調べればすぐ分りますが、代表が坂本功氏、以下先ずほとんどは例の倒壊実験を主宰した 「実験主催者御一統」様です。名前を挙げれば、大橋好光氏、安藤邦広氏(茅葺に詳しい。先年耐力壁扱いを認められた「落し込み板壁」工法の推進者)、三井所清典氏、河合直人氏・・・・・。

一般の方々は(副大臣を含めて)、語義の通りの「公共的な議論(討論、意見交換)の場」と思って参加されたかもしれませんが、実は「NPO法人 木の建築フォラム」の、いわば単なる「例会」に過ぎなかったのです。
ですから
   「絶対に、伝統工法は耐震性が劣る」
   「伝統工法を建てる施主には、死ぬかもしれませんよと説明する必要がある」
という発言が出ても、少しもおかしくないのです。彼らがその「思想」から脱することは、今後とも不可能でしょう。

   註  [註記追加 「例会」と何故言うか 23日 7.45]
      多くの方は、「フォラム」の名から、第三者的、中立的な機関の主催する
      中立的・公正な会議を想像するでしょう。
      「10月10日の《フォラム》」開催にあたっては、「国交省 木造住宅推進室」
      「(財)日本住宅・木造センター」の「強い支援」があります。     
      「国交省 木造住宅推進室」そして公益法人「(財)日本住宅・木造センター」は、
      かねてより「木の建築フォラム」と深い関係にあります。
      つまり、一身同体・一心同体の「なかよしクラブ」。
      今は「木を活かす建築推進協議会」も「なかよしクラブ」に加わっています。
      ゆえに、この「会議」「会合」は、「なかよしクラブ」の「例会」なのです。

      中立性、透明性は、はじめから存在し得ない、「為にする」会議。
      それをして「フォラム」の名を付ける。偽装です。

      考えると、この「悪知恵」には怖くなります。
      そこまでして「日本の木造建築」を衰退させたいのは、
      「文化」を死滅させたいのは、何故?動機は何?         

   註 「伝統工法を建てる施主には、死ぬかもしれませんよと説明する必要がある」との発言を、
      国交省・木造住宅振興室長は「単なる私的な発言」だから問題視するのはおかしい
      と語っているとのこと。
      この方は、現在50代のはじめ、東京大学出、どのような経歴の方か調べています。

ところが、「公共的な議論(討論、意見交換)の場」と思ってその会に出られた方々:おそらく大部分はあたりまえの感覚をお持ちの方だと思われます:は、この発言に違和感を感じ、「何それ?」、「この人たちは何?」ということになるのです。

フォラムのような普通名詞を会の名称にするのはもとより、自分たちがいわば「勝手に」開く会合にもその普通名詞を付け、あたかも「公共的な議論(討論、意見交換)の場」の如きを装うのは、道理・条理をわきまえない行動だ、と考えざるを得ません。  

会の理事の大半は、皆さん建築関係の「研究者」。このような語の使い方をして平然としていられる、などというのは、私には理解不能です。
以前、ブログを読まれている方が「建築の研究者は、理系ではなく利系である」と喝破されたことを紹介しましたが、まさにそれがここに具現していると言えるでしょう。
科学を装って、人をだましてはいけません。


お断りしますが、私は、こういう同人的NPOの存在や(名称は?ですが)、あるいは「研究者」個々人の存在や人格を非難、否定しているのではありません。
私はただ、筋道・条理は通しましょう、理系なら理系らしく、「利」に走らず「理を究め」ましょう、と言っているに過ぎません。
「理を究めること」、これが science なのです。

なお、「10月10日の《フォラム》」では、「伝統工法の設計指針(案)」が配られているそうです。簡単に言えば、日本の木造建築の「総《在来工法》化」策の指針です。
この資料もいただいていますので、おって逐一、その不条理を解き明かすことにします。

しかし、誰がそんなもの:「伝統工法の設計指針」:の作成を、選りに選って彼らに頼んだのでしょうね。
しかも、歴史という「壮大な実験室」の存在を忘れ、たった10回程度の震動台実験でつくってしまう。拙速を絵に描いたような話です。なぜそんなに急ぐのか?

「国交省」が、日本の木造建築の研究を、なぜ、このような人たちのみに依頼しているのか、この点をも問われなければなりません。
たとえば、日本の木造技術に詳しい建築史の人間が一人も係わっていない、などというのは、片手落ちもいいところです。
「国交省」の「文化観」が問われるでしょう。

そして、「国交省」、「(財)日本住宅・木材センター」、「NPO 木の建築フォラム」「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」の「微妙な関係」は、会計検査院の調査対象、あるいは「事業仕分け」の対象になり得る「資格」が十分にあると言ってよいでしょう。「NPO 木の建築フォラム」「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」のメンバーを見たら呆れるはずです。

あちらこちらから「この半世紀、日本の木造建築は理解されてこなかった」という声を挙げなければなりません。
歴史を正常に戻しましょう。
それは私たち普通の人間の仕事なのです。
是非そういう声を、たくさんお寄せください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[追記 追加24日21.16] 

おそらくこの記事をお読みになって書かれたと思われる丁重なコメントが、大分前2007年の記事に寄せられていましたので、以下にコピーいたします。なお、このコメントへの私のコメントもコピーしてあります。
いずれも、原文のままですが、読みやすいように段落は変えてあります。

「伝統工法を知る旅」=箱木千年家・いの一 (気仙大工) 2009-11-24 06:16:29

   下山眞司先生。岩手の大工菅野と申します。
   このたび11月2日付けブログにコメントを戴きありがとうございました。
   時々先生のブログを読ませていただいております。先生の奥深い説明に常に酔っているものです。
   多くの木造建築を語る研究者先生がおられますが、
   現場人間としてはあくまでも野球の外野スタンドの話が大半です。

   自分は多くの研究者先生のご教示も受けました。
   木造建築研究フォラムにも発足当時から参加しました。現在は発足当時の趣旨からかけ離れ、
   NPO設立時点で安藤邦弘先生に発起人依願されましたが脱会しました。
   現場人間として先生方の姿勢に何時も疑問を感じ、辛い批評で「ブログ」発信しています。
   今回「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験検討委員会」下部「分類TT」にも参加しておりますが、
   余にも詭弁が多く将来の伝統工法を考えると大きな疑路に経っていると常々感じているのですが、

   此処で短気を起こし多くの現場の声が届かないのではと考えるのです。
   下山先生のように現場人間が理解できる分析に感謝しておりますので今後ともよろしくお願いもうし上げます。

権威に臆せず、権威に媚びず (筆者)  2009-11-24 08:24:40

   多くの現場の方々が、日本の木造建築が良い方向に向うのではないか、と期待して、
   「フォラム」に賛同・出席し、また「実験」に協力されていることは、かねてから知っています。

   しかし、私は、それに常々危惧をいだいてきました。
   建築がらみの《学者たち》の「習性」として、
   菅野さんが言われるように、現場の声を詭弁でごまかすのが目に見えているからです。

   あなたがたは「フォラム」に参加し、「実験」に協力したのだから、
   「フォラム」の「結論」や、「実験結果の分析」とそれに基づく「指針」に反論するのはおかしい、として、
   「現場の声」あるいは「異議」は、封じ込められるられるのが明々白々だからです。
   現に今回の「指針」の一件がそれを示しています。

   長い歴史を継承してきた日本の木造建築を、
   たった半世紀足らずの《学者たち》の「研究」で反古にされてはなりません。
   営々と築かれてきた田畑は、一日で壊すことができます。しかし元に戻すには、また長い時間がかかります。
   今からでも遅くはありません。多分、かなりの時間がかかるかと思います が、
   長期戦で何とか食い止めたいと思っています。

   そして、そのためには、現場の方々が、
   権威に臆することなく、そして権威に媚びることなく、
   異議を発し続けなければならない、
   本物をつくり続けなければならない、と考えています。
   皆で、各地域から、大きな声を出しあいましょう。

追伸:権威に臆せず、権威に媚びず (筆者)   2009-11-24 08:59:06

   多くの方々は、学者さんたちは、学者なんだから、
   公正・公平なものの見かたができる人たちだ、と思っています。
   でもそれは大きな誤解です。
   私がこれまで見てきたかぎり、「名を売る」ことに励まれる方が結構多いのです。
   一言で言えば、「狡すからい」。特に建築がらみの人は・・・。つまり「利系」ということ。
   お気をつけください。
コメント (2)

倒壊実験試験体の詳細等についての問合せ-5・・・・その後の経緯 付録・「伝統工法」国会審議

2009-11-20 15:18:02 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[最新情報の追記追加 本文末尾 18.39][文言改訂 23.42][註記追加 23.55][文言追加 21日 0.01][文言追加 21日10.11][最新情報、内容追加 21日 17.17]
タイトルに「付録・『伝統工法』国会審議」を加えました(21日 17.50)。

「・・・問い合せ-4」(11月12日付)で触れましたように、今回の試験体の詳細等について、「結果公表」時ではなく、「事前に」公開すべき旨、11月10日に主催者「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」に問合せをいたしました。
その後の「経過」「経緯」を、今回は詳しく書くことにします。

   写真は、本題とは無関係です。生垣の山茶花。今盛りです。

11月10日の「問い合せ文」の内容は、以下の通りです。読みやすくするため、段落は変えてあります。

  前略
  先般は、ご丁寧なご回答をいただき、ありがとうございました。
  その後、内容を精読させていただきましたが、あらためて質問させていただきます。

  小生は、個人的に詳細な資料を拝見させていただきたい、とお願いしているわけではありません。
  「公開実験」ですから、見学者をはじめこの実験に関心を持たれる方全てに対して、
  各試験体の相違点等の詳細を、実験前に公表・開示していただくことで
  「公開実験」が意味あるものになるのではないか、と考えるからです。

  現に、昨年暮の「伝統的木造構法の実物大実験」では、試験体の詳細について、
  HPで詳細な図面:設計図等が事前に公表されていました。
  今回も「綿密な構造設計のもと設計図等が作成されている」わけですから、
  それらを「貴会」あるいは「住木センター」のHP上で実験前に公表・開示することも可能のはずであり、
  また事前に公開しても、実験には何の支障もないのではないか、と思われます。

  先般のご回答では、貴会は「公開実験の際に配付した以上の資料は、
  試験結果の公表と合わせて一律にお出しする」とのご意向です。
  なぜ、今回の実験では「試験体についての詳細:設計図等」の公開が、
  結果公表時でなければできないのか、理由がわかりません。

  お忙しいところ恐縮ですが、以上の点について、ご説明いただければ幸いです。
  ご説明はFAXで結構です。
                                              後略

  追伸 
  現在、貴会ならびに「住木センター」のHPからは、今回の実験がどのようなものであったか、
  知ることができないようです。
  あらためて知りたい大勢の方々のためにアクセスできるようになりませんか。

    註 [註記追加 23.55]
    「日本住宅木材センター」のHPから、「倒壊実験」のお知らせニュース(下記)が消えました(本日現在)。
    「木を活かす・・・・協議会」の実験案内のPDFは、その箇所だけ見ることができなくなっています。

    

この「問い合せ」に対しては、17日まで応答がありませんでしたので、翌18日、あらためて下記の添え文をつけて、「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」へ送付いたしました。

  今回の「木造3階建て建物の倒壊実験」で使われた「試験体」について、
  その詳細(設計図等)の結果報告前の公開開示をお願いする文書(別紙)を、
  去る11月10日に、貴会へお送りいたしましたが(宛先担当者氏名略)、
  1週間を経過した17日現在、いまだにご回答をいただけず、
  また回答をいただけない理由についてもご説明をいただいておりません。
  ここに再度同じ内容の問合せをさせていただきます。

  今回の「公開実験」は、国土交通省の補助によるものですから、なおさら、
  「事前公開」が必要である、と考えます。
  
  また、先般の実験で起きた「倒壊」という「事実」について、
  いろいろな「疑念」「疑義」あるいは「憶測」がとびかっています。
  そのような事態を回避する意味でも、「結果報告時点での公開」ではなく、
  「事前の公開」が必要なのではないでしょうか。

  よろしくご検討のほど、お願いいたします。

そして同18日の夜:午後9時すぎ、「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」からFAXで下記の回答をいただきました。
回答の原文の段落のまま書き写します。
なお、回答をお寄せいただいた方のお名前は省きます。

  返信が、大変遅くなりました。
  今回の実験については、図面についても実験結果と合わせて公表するものとし
  て進めて参りました。
  しかし、実験結果の公表に先立ち、図面を先行して公表することも念頭に準備
  を進めたいと思います。今しばらくお待ちいただきますようお願いいたします。


つまり、結果公表時前に公表する準備を、これから進める、ということ。
腑に落ちない点もありますが、今しばらく、待つことにいたします。


今回の実験後の「経過」を観察していて、私の正直な「感想」を言わせていただくと、この間の「主催者の対応」は(実験直後の「解説」を含め)、「JR西日本の福知山線事故調査への対応」と同じに見えました。

一言で言えば「自己保身体質」、そしてそのための「隠蔽体質」です。

その一例は、先に追加した「註記」、すなわち、主催者の一である「住木センター」のHPから当該ニュース自体が抹消されたこと、そして主役の「木を活かす・・・協議会」HPでは、当該PDFだけアクセス不能になっていること、に現われています。
肝っ玉が小さいですね!自信と信念に裏打ちされた実験だったのではないのですか?[文言追加 21日 0.01][文言追加 21日10.11]

そして、本当のことを言えば、試験体の仕様等を含め実験結果の分析は、当事者の「主催者」が行うのではなく、まったく関係のない「第三者委員会」によって行われるべきなのではないか、とも思っています。国費の補助で行っている実験なのですからなおさらです。
なぜなら、構造について scientific に言及できる研究者は、「実験主催者一統」の他にも居られるはずだからです。
それは、科学性の確保のためには必要不可欠なのではありませんか。

また、この実験について報じた「ケンプラッツ」の記事に対するコメントを見ていて、あることに気付きました。
ある人たちには、「木造建築」とは基準法の定義する木造工法による建築のこと、という「認識」が強烈にあるらしい、ということです。
それは多分、生まれてから身のまわりで目にする木造建築がその類いばかりだった、そういう環境で育ったからなのかもしれません。
そういう方々は、多分、都会生まれの若い方に多いのではないか、とも思っています。
しかし、若い方でも、まわりの木造建築が基準法とかかわりなく建てられた建物の多い地域で育った方は、そうではありません。その地域の建築の「歴史」を知る機会が多いからです。
この「落差」をどうしたら解消できるか。

   註 50代、60代、70代の方で、木造建築を「基準法の定義する木造工法」でしか
      見ることのできない「専門家」は、それはもう論外です。

そこで、このあたりのことを「事実」をもって明らかにするべく、と言うより、「事実」を広く知っていただくために、現在、「建築技術の年表」をつくってみようと思い立ち、模索中です。[文言改訂 23.42]
A3判の紙の長辺に、「飛鳥・奈良以前~現在」までの時系列をとり、いろいろな技術上の「事実」を並べてみよう、というものです。
長辺の時系列の長さが35cmほど、ここに年数に比例させて年代を刻みます。
縄文・弥生は期間が長すぎますから、飛鳥・奈良の直前あたりから現在までを割り振ります。

そこで今さらのように気付くのは、
筋かい:耐力壁依存工法のきっかけになった明治24年の濃尾地震から現在:2010年までは3cm、
建築基準法成立の1950年から現在2010年までは、1.2cmほどになってしまう、ということです。

現在の木造建築の「耐力壁依存の考え方」は、もっぱら、明治24年以降に起きた地震で壊れた建物の「(応急)対策」として唱えられたものです。
そして今、その考え方をもって、それ以前の32cmをも律しよう、という動きがあるのです。
少し冷たい言い方をすれば、それは「無知の怖さ」です。
この年表を見たら、大方の方が、その「無知」のなせる策が、いかに non-scientific で無謀であるか、納得していただけるのではないか、そう思って製作中です(12月の初めまでには、「試作品」をつくりあげたいと考えています)。乞うご期待?


最新情報   [最新情報の追記追加 18.39][内容追加 21日 17.17]

ブログを読まれている方から、11月19日の参議院・国土交通委員会で行われた、建築基準法の「伝統工法」の扱いに関する質疑の内容をお教えいただきました(審議の模様のビデオ)。

副大臣答弁で、現在の国土交通省内の「伝統木造に関する委員会」に中立性を疑われる委員がいる、構成を見直す必要がある、との注目すべき発言がありました。
正式な議事録は10日ほどかかるそうですが、聞いた内容の概要は下記。

  馬淵国土交通副大臣:
   伝統工法の実大実験を進めている委員会のメンバー構成の
   中立性には疑問があります。
   10月10日のシンポジウムで、委員から
   「絶対に、伝統工法は耐震性が劣る」
   「伝統工法を建てる施主には、死ぬかもしれませんよと説明する必要がある」(*1)
   という発言がありました。
   委員会のメンバー変更も含めて検討したいと考えています。

なお、*1は、坂本功氏の発言とのこと。
このニュースをご教示いただいた方は、同シンポジウムに出席し、直かに耳にしています。
氏のメールにその間の事情が書かれていますので、差し支えない範囲で、以下にコピーします。

  10月10日のフォーラム(上記のシンポジウムのこと)には私も参加しました。
  ・・・・・・・
  フォーラムでは、設計法に関し、「実務者」から「方向が違う」との発言が再三なされていました。
  大橋(好光)氏(木を活かす建築推進協議会 代表理事)は「のらりくらり」と言う回答イメージでした。
  最後に、まとめと言うことで、坂本(功)氏が登場し、それまでの議論にはまったく出てこなった内容で、
  「伝統的木造構法は、安全性が低い、死ぬかもしれませんよ、ということを建築主に説明してから、
  やるしかありませんね」
  と言いました。
  私は、「何これ?」でした。「安全性が低い」との議論は皆無であったにも関わらず、
  議論とは関係なしに《まとめ》を持ってくる御用学者の姿を目の当たりにしました。
  ・・・・・・・

おって、詳細な質疑内容:会議録を調べ、あらためてコメントするつもりです。[内容追加 21日 17.17]
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とり急ぎ・ご案内:喜多方・登り窯 2回目の煉瓦焼成日程の詳細

2009-11-17 15:55:21 | 煉瓦造建築

標記について、現場実行委員会から次回の日程など、下記のような連絡がありました。全文を載せます。
とり急ぎご案内まで。

関心のある方、お手伝いをされたい方、見学をなさりたい方は、訪ねてみてください。
連絡は下記へ。

 三津谷煉瓦窯再生事業プロジェクト実行委員会
     0241‐24‐4541 担当:江花 様
     Eメール ebana@velostyle.net

上の写真は、昨年11月の焼成が、佳境に入ったときの登り窯の内と外(プロジェクト実行委員会提供)。

  追記
  NHKの番組「小さな旅」で、「蔵の生活」と題して、
  喜多方の蔵が紹介されるとの連絡もありましたので、あわせてご案内します。
  放送予定
    11月29日(日) 総合 朝8:00(30分)
               *関東甲信越圏内のみ放送
     12月 3日(木)  HV 朝7:00
               *全国放送
    12月 5日(土) HV 朝6:30         
               *全国放送
             総合 朝4:30
               *全国放送
    12月7日(月)衛星第二 15:30 「BSアンコール館」にて

*******************************************************************************

皆様こんにちは。

14日・15日の作業で、20日からの焼成に向けた段取りがほぼ終了しました。
今回は約4000個の煉瓦と陶芸作品を焼きます。

今回新に入れた煉瓦素地は乾燥も良く、過去3回の中では一番ベストな状態ですので、
後は焼成時の火のコントロールに懸かっています。
対応し得ることはしています。3度目の正直で良い結果に繋がるでしょうか。

今回の焼成工程は次のようになります。

  20日(金) 20:00 焼成開始 薪による炙りの後、頃合を見てバーナーに点火
  21日(土) 11:00 バーナーをそのままに、投入口からの薪くべ開始
  21日(土) 14:00 1の窯への薪くべ開始 予定6時間
  21日(土) 20:00 2の窯への薪くべ開始 予定8時間
  22日(日)  4:00 3の窯への薪くべ開始 以降各窯の平均焼成時間は5時間
  22日(日)  9:00 4の窯への薪くべ開始 予定5時間
  22日(日) 14:00 5の窯への薪くべ開始 予定5時間
  22日(日) 19:00 6の窯への薪くべ開始 予定5時間
  23日(月)  0:00 7の窯への薪くべ開始 予定5時間
  23日(月) 5:00 8の窯への薪くべ開始 予定5時間
  23日(月) 10:00 8の窯の焼成終了
  23日(月) 12:00 粘土による隙間埋め、片付けを終えて全ての工程完了

全工程64時間の長丁場です(もっとかかるかもしれません)。

前回焼成に参加していただいた方を中心に、
私の方でおおよその担当時間を割り振りいたします。
参加時間帯が限られている方、不都合な時間帯のある方は、ご連絡ください。

21日昼までは特段忙しくありませんので、私の方から打診させていただきます。
それ以外の方は、21日午後1時からの参加でお願いいたします。

今回は深夜の時間帯が2回ありますので、
交替のタイミングもうまく割り振りしたいと思います。
特にせっかくの高校生の若いパワーが一時に集中しないようにいたしますので、
ご協力お願いいたします。

食事の準備は21日夕食から終了時までといたしますが、
いつもの事ながらてんやわんやが予想されますので、
そこは皆様の創造力とやさしさでカバーして頂けることを切に願う次第であります。

新しく参加希を望者されている方も、数名おられますので、
またまた新たなドラマが展開されることでしょう。

ここのところ雨天続きで、日増しに寒くなってきておりますので、
どうか体調を整えて元気に参加してくださいますようお願い申し上げます。

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「グスコンブドリの伝記」から

2009-11-16 10:18:40 | 専門家のありよう

宮澤賢治の作品に昭和7年(1932年)に発表された「グスコーブドリの伝記」という「童話」があります。
その一節に次のような箇所があります。特に赤枠内に注目。
 
   
   「宮澤賢治全集 第十一巻」(筑摩書房)より

宮沢賢治は一つの作品を仕上げるまでに、何度も手を入れることで有名で、発表してからさえも推敲しています。
この「グスコーブドリの伝記」も、いわばその原型を示す「グスコンブドリの伝記」がその数年前に書かれています。

「グスコンブドリの伝記」では、先の一節部分は次のようになっています。
この二つを比べて大きく変っているのは、赤枠で囲ったところです。

   
   「宮澤賢治全集 第十巻」(筑摩書房)より

私が知っていたのは「グスコー・・・」の方でしたから、「グスコン・・・」を読んだときは、特に赤枠内には、正直、「すごいこと書いてある」と驚いたものです。特に、おしまいの発言。
おそらく彼の「体験」がこの文言を書かせたに違いありません。

世に公刊するにあたっては、きわめて温和な表現に変えたのは何故なのか知りたくなりますが、そのあたりについては、全集の「校異」だけからは浮き上がってきません。

赤枠内のおしまいのあたりを書き写し、段落を読みやすくすると、次のようになります(仮名は旧のまま)。

   「・・・私はもう火山の仕事は四十年もして居りまして
   まあイーハトーヴ一番の火山学者とか何とか云はれて居りますが
   いつ爆発するかどっちへ爆発するかといふことになると
   そんなはきはきと云へないのです。
   そこでこれからの仕事はあなたは直観で私は学問と経験で、
   あなたは命をかけて、
   わたくしは命を大事にして共にこのイーハトーヴのために
   はたらくものなのです。」

私が「グスコン・・・」の方を初めて読んだのは、10年以上前のことですが、そのとき思わず「イーハトーヴ一番の火山学者とか何とか云はれて」いる学者に、現在の「学識経験者」の姿を重ねてしまっていました。「わたくしは命が大事」なのです。

雨上がる

2009-11-14 17:55:09 | 居住環境

昨夜から昼前までの雨は、並みの降りではありませんでした。最近、こういう降りかたが多いような気がします。

前線に向って南から湿った風が雨とともに吹き込み、それが並でない。
障子も、紙がしわしわになってきました。ほんとは、こういうときに障子紙の張替えをするといいんですが・・・。

気温は一気に20度近くまで上り、住まいの北側のガラス窓は、外側に結露して前面曇りガラス。これも掃除向き・・・。しかし吹き降り激しく無理。
住まいのなかの北側は暖かくなっていませんから、外の方が気温が高くなったのです。
床下の基礎にも結露しているのではと、見に行こうとしましたが、あまりにもひどい降りでやめました。

そして夕方、晴れ間が増えてきて、ほんの短い間の夕映え。それが上の写真と、その時刻頃の気象庁のレーダー写真。
写真は南西方向を撮っていますから、写っている雲は霞ヶ浦にかかっている雲だと思われます。本体ははるか東南に去っています。

今はまだ13度近くありますが、空気も乾き始め、少し寒く感じるようになってきました。
今朝は15度を越えていた気温も、明日朝は10度を割り込むでしょう。それでもまだ暖かい。

基礎の重さ

2009-11-13 21:55:21 | 構造の考え方
[追記追加 11月20日 20.02]

   以下の記事は、10日ほど前に載せるはずだったのですが、
   例の「倒壊事件」で遅れ遅れになってしまいました。
   折角急いで資料を送っていただいたのに、
   送っていただいた方には、大変失礼いたしました。

福島県いわき市の「建築設計事務所 檜山延雄+まちづくり工房」の事務所ブログ「木の暮らしblog」(下記)に、次のような興味深い記事が載っていました。
   http://ameblo.jp/3-mikan/

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

   約16坪の木造住宅の重量を計算しました。
   材木や、下地材、板金、タイル、サッシなど上物の重量は約 5.6t。
   布基礎の鉄筋コンクリートや捨コン、砕石などの重量は約 17.5t。

   建物全体の総重量は約 23.1t。
   基礎の重量は、上物の約3倍です。
 
   地面にかかる、建物全体の平米あたりの重量を、
   基礎の底辺の面積から出したところ、1.5tでした。
   その内、基礎を除いた上物の平米あたりの重量は、約 0.3t。
   基礎部分の平米あたりの重量は、約 1.2t。

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

早速、図面と計算書を参考のため、お送りいただきました。
2間×5間の横長の木造総二階。一階は根太天井、二階は小屋表し。二階は4坪が吹抜け、ゆえに総床面積16坪。

敷地が水田を埋め立てたところで、地盤調査をしたところ、1㎡あたりで1.5tの重さしか置けない土地。
そこで、設計した建物の重さを詳しく調べた結果が上のデータ。

   建物の設計図もいただいていますが、実際にこれから建つ個人の建物ですから
   図面は載せません。
   それではトップが淋しいので、関係ありませんが、
   いま紅葉になりだした神社の杜の写真を載せました。

建物の重さは、通常は、建築基準法施行例(84、85条)の規定する「荷重」の数値を基に計算することになっています。

その基準で計算してみます(〇〇Nは、各面の1㎡あたりの値)。
  屋根:金属板      200N×71㎡=14200
  木造の母屋         50N×71 = 3550
  2階天井(板打上げ)   150N×36 = 5400
  1階天井(珪カル敷き)  150N×18 = 2700
  1階床            150N×33 = 4950  
  2階床            320N×18 = 5760
  外壁(板+漆喰)     590N×90 =53100
  積載荷重         1800N×53 =95400
     合 計              185060N

   1㎏≒9.8N  ∴185060N≒18884㎏=18.9t

この荷重によって、基礎の計算をすることになるわけですが、これを支えるための基礎の重さは、上の計算式に含まれているのでしょうか?
そうでないとすると、この数字に基礎の重さ、おそらく20t近くを足した重さに堪える基礎、という事になります。
そうだとすると、大変なことになりますから、おそらく、あの数字で基礎を設計して大丈夫だという「経験値」なのでしょう。

実は、いままで真剣に計算したことがなかったのですが、あらためて考えて見ると、法令はこと細かく数値を並べてはいますが、実は about なのですね。

それにしても、約6t程度のものを支えるための基礎が、その約3倍、18t必要になる、どう考えても異常です。
軟弱地盤で盛んなベタ基礎にしたら、もっと大変なことになるわけです(ざっと略算すると、ベタ分が約6tほど追加されて、都合約24t。上物の4倍)。
そうだとすると、木造建築の場合、ベタ基礎は、ベタ基礎を支えるためにあるようなもの。軟弱地盤を考慮していることになるのかどうか、わけのわからないことになります。

結局、桧山氏は、独立基礎に設計変更したとのことで、次のようなメールをいただきました。

  底盤1m角に300φの(L=600)束(つか)を18箇所にしました所、
  基礎重量が8.3tとなりました。
  布基礎の場合約17.5tでしたので9.2tも減りました。
  この建物の場合、この独立基礎1ケ所で受け持つ荷重は1.3t/㎡となりました。
  地耐力1.5t/㎡ですので計算上OKとなります。
  独立基礎の方が床下の通風、メンテナンスも容易になります。

  「布基礎」、最近はやりの「ベタ基礎」と、木造の基礎は
  この二通りしかないようになってますが・・・・そんなことはありませんね。
  状況に応じた考えができなくなっています。
  残念です。

もしも、昔ながらに地形(地業)を確実丁寧に行い石場建て:礎石建てにしたならば(これについては、後で触れる「登米尋常高等小学校」の基礎地形が参考になると思います)8tものRCが不要になり、結局のところ、地面に載る総重量もほとんど上物だけになるでしょう。
しかし、それでは確認申請が通らない・・・!

「布基礎」は、悪い地盤での建物の不動沈下を防ぐための発案だったわけですが、逆に、「布基礎」の重さのために、基礎ごと傾くこともあり得るのです。ベタ基礎では、実際にそういう事例があるようです。

こうしてみると、あらためてわが国の木造建築が、石場建て:独立基礎でつくってきたのは、きわめて理に適った方法だったのです。
礎石の下の地形(地業)が確実に行われていれば、不同沈下は、先ず起きないのです。
実際、何度も例に出す奈良・今井町の「高木家」は、きわめて地盤が悪いにもかかわらず不同沈下らしいものは見当たらなかったといいますし、明治につくられた宮城県登米(とよま)の木造二階建ての「登米尋常高等小学校」も、地下水位のきわめて高い河川敷のような土地に建っていますが、この場合も切石の独立基礎:石場建てであるにもかかわらず、不同沈下はきわめて僅少だったといいます(下記記事参照)。建設後、現在、「高木家」は155年、「登米尋常高等小学校」は120年経ってます。

   註 「トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-2:登米尋常高等小学校」
      同建物の平面図と外観写真は、下記
      「スナップ・・・・登米尋常高等小学校」

桧山氏の言われるように、木造建築の基礎は布基礎、あるいはベタ基礎にしなければならない、という現行法令の規定は、そしてその厳守を求めるのは、奇怪至極な話なのです。
別の見方をすれば、建て主は、余計なものに金を払っていることになります。
その分、地域の建設業が潤う?そういうのは少しも地域経済振興にはなりません。

やはり、なぜ布基礎推奨なのか、基礎とは何か、根本から考え直す必要があるのです。

追記 [追記追加 11月20日 20.02]

登米尋常高等小学校の基礎・地形(地業)について、解体修理にあたった方(ishi goro 氏)からコメントがありました。
しかし、コメントで隠れているのはもったいない内容ですので、記事の方にコピーします。

   旧登米小学校校舎の背面には、現在の登米小学校の校庭があって、
   ここに旧校舎の一部が張出していたことが古写真から判明しました。
   それで、校庭の一部を発掘したところ、確かに古写真の通り、
   入念な地業が現れたのです。
   地業を確認しただけで、発掘は終わったのですが、
   おそらくこの下には、小端建ての割クリ石が敷き詰められていたものと想像します。

   当時の根切りは当然手堀りですから、地盤の堅さ、特に根切り底の堅さは
   サウンディングなどしなくても土工の感覚でわかります。

   実はこの感覚が非常に大切だったと思います。

   根切り底をしっかりすることがいかに大切かを教えてくれた現場でした。
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倒壊実験試験体の詳細等についての問合せ-4・・・・見取図を欠いた研究・実験

2009-11-12 18:30:38 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[註記追加 18.57][註記追加 13日 6.48][註記追加 14日 10.24]

木造3階建て「優良住宅震動台実験」の試験体の設計図等の公開・開示を10日にお願いしてありますが、現在のところ、いただけておりません。HPでも公開されていません。

ケンプラッツの記事へのコメント、多彩のやりとりがあります。現在70余件。世の中の建築がらみの法規制に対する「気持ち」の様態がよく示されていると思いました。
一般の方の「不安」の言葉は切実ですが、私が興味を覚えたのは、実験と法規制の正当性を擁護する方々の言葉に、特に「基準は間違いではない」「倒れても間違いはない」と説くのに、「必死」の様子がうかがえることでした。
通常なら、一般の方々には「木で鼻を括る」ような対応を示すのに、どうも今回ばかりは違うようです。おそらく、「優良試験体」の「思いがけない倒壊」がもたらした「思いがけない成果」なのでしょう。

つい、私も実名でコメントしたところ、俄然にぎやかになってしまったようです。

しかし、私のコメントへの「実験と法基準・規制の正当性を擁護する方々」のコメントを見ていると、建築にかかわる行政の姿勢や、それを支える工学系の研究の現状がよく見えてくるように感じています。
一言で言えば、「私たちは世の中人のためにえらいことをやっているのだ、間違いはないぞ」というエリート意識です。
そこには「研究」「実験」のありかたについての真摯な自省・自制が感じられないのです。
先に紹介したハイデッガーの言葉で言えば(下記の記事にあります)、すべてを慎重に見渡した上での「見取り図」を欠いた「実験」が行われています。もっと言えば、「ご都合主義」の実験が行われています。理系の研究ではなく「利系の研究」になっているのです。
  
   註 ご都合主義の最たるものは、架構を「耐力部」「非耐力部」に分ける考え方?です。
      しかもそれをX方向、Y方向に分ける。
      これは、あくまでも計算しやすいから生まれた発想?なのです。
      計算できることが、真実なのでしょうか?[追記追加 18.57]
      こういう考え方?が生まれた経緯は下記「在来工法はなぜ生まれたか-5」参照
                                     [文言追加 13日 6.48]
   「耐震診断・耐震補強の怪-3」
   より詳しくは下記を
   「厳密と精密・・・・学問・研究とは何か」
   また、下記では、「対象を、リアリティを損なわず把握する」にはどうするか
    について書いています。
   「『冬』とは何か・・・・ことば、概念、リアリティ」
   在来工法が「机上」で生まれた経緯については下記
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5・・・・耐力壁に依存する工法の誕生」
   なぜこのような状態になってしまったか、は、簡単に下記で書きました
   「閑話・・・・最高の不幸、最大の禍」
                                    [註記追加 14日 10.24]

しかし、「利系の研究」になるのは、それも止むを得ない、あるいは当然のことなのかもしれません。
先般の「木を活かす建築推進協議会」からのご回答の中に「(財)日本住宅・木材センターへは、今回の実験に際しての事務的な作業一般を依頼しています」とありました。
読んだときに、私は「えっ」と思ったことを覚えています。
片方は国費の補助もある「財団法人」。片や一「一般社団法人」。
一「一般社団法人」が「財団法人」に依頼する、というのは普通はあり得ないのでは、と思ったからです。
けれども、問合せのFAXを送っているうちに、あることに気付きました。この「一般社団法人」と「財団法人」の所在地は、同じビルで階が違うだけだったのです。


濁った世の中から清々しい世界へ
清々しい写真を探していたら、昨年の今頃撮った写真がありました。
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倒壊実験試験体の詳細等についての問合せ-3:さらにその後 

2009-11-11 08:55:30 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[追記追加 11.50]

先日(11月7日)に「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」への問合せの内容と、同会からいただいた「ご回答」の内容を報告させていただきました(下記)。

   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/cc3ad91d123d990130400b426ac87727

その「ご回答」の中の、
「綿密な構造設計のもとで設計図等が作成されて」いるが〔ご回答の2)]、
それらについては「試験結果の公表と合わせて一律にお出しすることを考えて」いる[ご回答の3)]、
という点にしぼり(「  」内は、「ご回答」の文言)
「公開実験」でありながら、なぜ、実験前にこれらの資料を公開・開示できないのか、その理由について、昨10日午前、FAXで問合せを行いました。

   なお、「ご回答」の文面からは、意図的であるかどうかは分りませんが、
   私が個人的に資料を得たいために問合せをしたかの「誤解」があるように窺えました。

なお、昨日、このブログを読まれている下河氏から「コメント」で、「日経BP」社のサイト「ケンプラッツ:建築・住宅」の『長期優良木造3階建てが「想定通り」倒壊』という動画付きの記事を紹介いただきました。
この記事を読むと、多くの方々の、この「実験」および「長期優良・・」の試験体の方が倒壊したことについての実験主催者の「見解」に対してのお考え、感想の状況が分ります。

この記事へは、下記からアクセスできます。
   http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20091030/536517/


追記 [追記追加 11.50]
上記「ケンプラッツ」記事への11月9日付最新コメントをされた方は、今回の実験について書かれた当該の記事について、恣意的な記事だ、とされています。
その方のコメント内容には、その他にも首をかしげたくなる箇所がありましたので、先ほど、下記のような私のコメントを入れさせていただきました。

   最新のコメントの方は、日本の環境のなかで長い時間をかけて培われ、
   近世には完成していた日本固有の木造建築技術を、失礼ながら、
   もう少し学んでいただきたいと思います。
   なぜなら、昨年暮れ、大橋氏が主導して行われた
   「伝統的構法の木構造の震動台実験」の報告が6月に出されていますが、
   そのどこにも「伝統的構法」の特徴を的確に定義した箇所はありません。

   その実験方法、試験体のつくりかたには、
   単に、現在「建築基準法」が規定している木構造へ、「かつての工法」を組み込みたい
   という「意欲」しかうかがえないのです。

   そもそも、かつての日本の建物づくりで、
   耐力壁、非耐力壁という仕分けでつくっていたでしょうか。

   第一、建物の架構を「耐力部+非耐力部」と見なす考え方が妥当であるかどうか、
   一度でも検証されたことがありますか?
   私は、その点について、いまだかつて、耳にし、目にしたことはありません。

   この記事が恣意的である、と言われる前に、
   実験自体がきわめて恣意的であることに、気付かれるべきではないでしょうか。

   (下山眞司 2009/11/11 10:29)

明治の3階建て町家・・・・旧・東松家住宅

2009-11-09 17:55:17 | 日本の建築技術
[註記追加 18.56][註記追加 19.14]

鬱陶しい話題からしばしの安息を!

木造3階建て建物の倒壊実験で、かつて観た明治村の木造3階建て「旧・東松(とうまつ)家住宅」を思い出しました。
これは、どこに出しても恥かしくない建物。ただ3階にすればいい、などと思ってつくった建物ではありません。
昭和49年(1974年)に重要文化財に指定されています(明治村移築後)。

昔撮った写真を探しましたが出てきません。そこで「日本の民家」(学研)、「日本の美術」(至文堂)のお世話になります。
図面は「日本の民家」から転載し、文字等を編集しなおしてあります。

木造の3階建ては、決して珍しいことではありません。
山形県尾花沢の「銀山温泉」には、木造三層四層の旅館が軒を並べています。
たしか、信州上田の「別所温泉」や、群馬の「四方温泉」にもあるように思います。
どこも、100年程度を経ていますが心和む建物です。

温泉街に多いのは、山あいの狭い土地で、建物の容積を大きくとる工夫なのでしょう。そういう技術は、かつての工人たちにとって、難しいことではなかったのです。

「旧・東松家」は、江戸時代の末から名古屋の中心部で油問屋を営んでいます。
名古屋城に通じる「堀川」(運河)に面し、一帯には食料品などを扱う問屋が軒を連ねていたといいます。

「旧・東松家」は、建設当初:江戸の末では平屋建てでしたが、明治28年(1895年)2階建てに、そして明治34年(1901年)3階建てに増改築され、現在の姿になっています。
当然、濃尾地震など幾度かの大地震に遭っています。

戦後に名古屋市の区画整理を機に「明治村」に寄贈され、昭和40年(1965年)「明治村」内に移築されています。
上の外観写真は「明治村」内での写真。両脇に続く街並みがないため、何となくひょうきんです。

しかし、内部の空間構成の妙は、写真にはならない素晴らしさ。実に見事です。
特に2階の茶室のあたりでは、建物の中に居ることを忘れてしまうほどです。

また、町家は一般に薄暗いですが、「東松家」の中が、実に明るかったのが印象に残っています。天窓や高窓からの自然光がふんだんに入ってくるからです。

   註 「通りにわ」の大戸口から見た写真(左側)の「みせ」と「奥」の境には
      欄間が設けられています。
      おそらく往時は「暖簾」が下がっていたのではないでしょうか。

      また、「通りにわ」の奥の2階を斜めに横切る明り障子入りの壁は、
      「茶室」から奥の座敷へ降りる階段への「畳廊下」の壁です。
      外の「露地」を歩いているかの錯覚を覚えます。

      いずれにしても、かつての工人たちは、建物をつくるとはどういうことか、
      よく心得ていたのだと思います。
      [註記追加 18.56]

同じように、中に入って感嘆した建物としては、近江八幡の「旧・西川家」そして、これは商家ではありませんが、京都・清水下の「河井 寛次郎邸」などが思い出されます。
その素晴らしさは、いずれも、実際に訪れないと分らないのではないかと思います。つまり、写真にはならない・・・。

   註 河井 寛次郎は陶芸家で、柳宗悦たちと「民芸運動」を起こす。
      「河井邸」には登り窯もあります。
      「河井邸」は河井 寛次郎自身の設計で、故郷の島根の大工が建てたそうです。

もしも、明治村に行かれる機会がありましたら、「東松家」に、寄ってみてください。

   註 柳宗悦の話を出したので、「日本民藝館」へも、行かれてない方は
      是非一度行ってみてください。
      建物も、織物をはじめとする収集品も素晴らしい。
      東京・駒場にあります。渋谷から井の頭線で直ぐ(駒場東大前下車)。
      宗悦の自邸もあります(いつもは観れません)。
      [註記追加 19.14]

以上、しばしの安息。
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倒壊実験試験体の詳細等についての問合せ-2:現在までのドキュメント 

2009-11-07 09:54:18 | 「学」「科学」「研究」のありかた
  註 カテゴリーを、『「学」「科学」「研究」のありかた』に変更します(先回記事も変更済)。

今回は、論評等は加えず、ドキュメント:事実の報告に徹します。

◇ ドキュメント-1 「試験体の詳細等についての問合せ」:その後の経過

11月1日に、今回の「長期優良住宅等の倒壊実験」に使われた試験体の詳細を知るべく
実験主催者への問い合わせをさせていただいたこと、ならびにその後の経過について、時系列で下記に記しました。

「倒壊実験試験体の詳細についての問合せ:現在までの経過」

しかし、その後5日までには、「住木センター」からは、お答えを頂けませんでした。
そこで、6日朝、同内容の「お尋ね」を、
あらためて「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」あて、
FAXで送信いたしましたところ、
6日夜、「ご回答」をFAXで頂きました。

「質疑」事項と「ご回答」内容を以下に報告します。
読みやすいように段落は変えていますが、いずれも原文のままです。
また、回答をお寄せいただいた方のお名前は省きます。

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質疑1)

何故、「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」ではなく、
「財団法人 日本住宅・木材技術センター」から返信をいただいたのでしょうか。
両団体は関係があるのですか?
「住木センター」は、今回の実験の主催者の一員なのですか。

  「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」のご回答

   (財)日本住宅・木材技術センターへは、
   今回の実験に際しての事務的な作業一般を依頼しています。
   従って、資料の送付は(財)日本住宅・木材技術センターから行われました。
   また、公開実験の際に配付したパンフレットに記載していますように、
   一般的な問い合わせ先についても
   同様に(財)日本住宅・木材技術センターとしているところです。
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質疑2)

「これ以上の資料はない」とすると、接合部等も含め、
今回の「試験体」は設計図なしでつくられたのですか?

  「協議会」のご回答

   公開実験に際しては見学者等の利便に供する最低限の情報を
   パンフレット配布させていただきました。
   そのため、現在の段階で個別に提供できる特別な資料はないという意味です。
   なお、試験体は、綿密な構造設計のもと設計図等が作成されています。
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質疑3)

それとも、そういう資料等は、存在していても、部外秘なのですか?
公開実験をし、また結果をいずれ公表するはずですから、
詳しく試験体の情報を開示するのが、当然ではないでしょうか。
開示がないと、実験自体の信憑性にも係わると思います。

  「協議会」のご回答

   試験体の概要は、公開実験の際に配付しましたとおりです。
   これ以上の資料については、試験結果の公表と合わせて一律にお出しすることを
   考えています。
   従って、公表に先立ち部分的な情報を個別にお出しすることはありません。
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質疑4)

実験費用には、国費(国土交通省の補助金等)は使われていないのですか。

  「協議会」のご回答

   公開実験のパンフレットに記載していますように、国土交通省の補助により
   実施しています。
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◇ ドキュメント-2 「実験公開の案内」の公示時期

今回の公開実験の案内は、「独立法人 防災科学技術研究所」「財団法人 日本住宅木材センター」および「一般社団法人 木を活かす建築推進協議会」三者から出されています。
そのうち「独立法人 防災科学技術研究所」からは「プレス資料」として報道関係者あて案内、他の二者からは、一般向け案内です。

これらの案内公示時期を時系列で整理すると、以下の通りになります。
なお、案内の内容も要点だけ記します。

① 9月24日 「日本住宅・木材センター」HPで「一般公開のお知らせ」掲載

 

       応募締切り 10月 5日  応募定員 450名
       応募方法  往復はがき

  ここから「公開実験案内」を見ることができました。 

② 同日頃  「木を活かす建築推進協議会」HPで「一般公開のお知らせ」掲載
         註 「協議会」の「お知らせ」は、掲載日不記載。
       内容は①に同じ

③ 9月28日 「防災科技研」HPで「プレス資料」掲載



       応募締切り 10月16日  応募定員 特になし
       応募用紙をFAX

一般公開案内を転載したサイト

ア) 9月29日 「建築構造フォーラム」
イ)10月 2日 「JIA]

なお、11月2日現在「日本住宅・木材センター」HPでは、9月24日の項の記載は下記のように変っています。それゆえ、「公開実験案内」を見ることはできません。



また、「木を活かす建築推進協議会」HPでは、「・・・実験」一般公開の「お知らせ」PDFが記載されていますが、このPDFは開きません。

したがって、実験内容は、現在「防災科技研」のHPからのみ、「プレス資料」で見ることができます。

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ドキュメント-1のうち、①の9月24日時点の「住宅・木材センター」HPの「お知らせ」のコピー、および、ア)イ)についての情報は、このブログを読まれている方からご提供いただきました。ありがとうございました。

とり急ぎ・ご案内:柳津・軽井沢銀山の煉瓦造煙突についての講演会

2009-11-05 18:45:48 | 煉瓦造建築
「喜多方三津谷煉瓦窯再生事業プロジェクト実行委員会」から、
「銀山街道を守る会」設立の記念講演会「柳津・軽井沢銀山の煉瓦造煙突」がある、とのメールが入りました。
軽井沢銀山については、大分前ですが、下記で紹介しています。

「会津柳津・軽井沢銀山の煉瓦造煙突-1」
「会津柳津・軽井沢銀山の煉瓦造煙突-2」

メールの内容と「銀山街道を守る会」設立趣意書を下記に転載します。
明日:金曜の夜の開催とのことで、参加はできない方は、下の URL で講演を生で聴ける(見られる)とのことです。

http://hanahotel.jp/04/04-01/

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煉瓦関係各位

会津文化づくり「ものしり検定」の簗田さんからご案内をいただきました。

明日の金曜日ですが新鶴から柳津に抜けるところにある銀山街道の
煉瓦で建設された大きな煙突について講演があります。
よかったら、ご参加下さい。

どこかの機会で交流会を開催したいですね。
全国煉瓦煙突サミット・・・・

           三津谷煉瓦窯再生事業プロジェクト実行委員会・江花

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  銀山街道を次世代に伝えよう!!

                    銀山街道を守る会                    
                       世話人  
                         大竹  登 簗田直幸 
                         塩田恵介 吉田順一
                             
参加呼びかけ

かつて会津の軽井沢銀山は、二度にわたって活況の時代があり、
地場の生業に大きな役割を果たしてきた。
江戸時代の初めと明治時代の初めという新しい時代に、
原動力となってこの鉱山は力量を発揮し、
銀山へ向う四方八方の道々が全て『銀山街道』とよばれた。

人の往来をはじめ、鉱石・資材・食糧を運ぶ荷馬車の行き通う
華々しい時代の誇りと伝統を守り伝え、継承する取組みをするにあたり、
この度、「銀山街道を守る会」を結成し、記念の講演を行ないます。
ぜひご参加の上、入会し、ともに活動されることを願い呼びかけます。

日 時:平成21年11月6日(金)午後18~20時
場 所:柳津町・花ホテル滝のや(0241-42-2010) 
◇ あいさつ :町長
◇ 世話人報告:銀山街道を守る会の結成について
◇ 結成講演 :軽井沢銀山溶鉱炉大煙突の実像について  大竹 登
◇ 意見交換 :
◇ 交流会  :20時~ 会費制2000円


            入会申込書

銀山街道を守る会 様               

   平成   年   月   日 
   
年会費(1000円)を添えて入会を申し込みます。

   氏(ふり) 名(がな)                              
   ゆうびんばんごう  (    -    )

   住 所                            
  
   電話・メール 

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