ご挨拶

2015-04-29 13:55:07 | その他

小生宅南側の柿の若葉です。ケヤキをはじめ諸々の木々の若芽も鮮やかです。好い季節です。

ブログ更新、休ませていただいておりましたが、連休明け頃から再開の予定です。

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おことわり

2015-04-21 16:20:34 | その他
お読みいただいている皆様へ

一昨 4月19日昼、かねて病気療養中であった姉が
永い旅路につきました。

何かとありますので
しばらく、ブログの更新を休ませていただきます。
よろしくご了承ください。

4月21日
下山 眞司

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「沖縄の辞書」

2015-04-18 09:40:00 | 近時雑感
木で鼻を括る(くくる)」という慣用句があります。新明解国語辞典の解説で言えば、「受け答えが無愛想で素っ気ないこと」の形容です。
先ごろの沖縄県知事と現宰相の「会談」での宰相の言はまさにその一用例として挙げられる、と私は思いました。そこからは、会えばいいんでしょ、という気配しか伝わって来なかったからです。

一週間ほど前の毎日新聞夕刊の「特集ワイド」に、落合 恵子氏の「沖縄の辞書」という一文が載っていました。
多くの方に読んでいただきたいな、と思い、少し時間が経ってしまいましたが、web 版から転載させていただきます。

おそらく、同じことが福島にも、言えるはずです。
政界には、「共通語」ましてや「方言」はなく、あるのは「《標準》語」という自分たちだけが《基準》の冷たい言葉だけなのでしょう。






     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  お断り:「中世ケントの家々」の続き、もう少し時間がかかります。

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続々・「手摺」考・・・訂正

2015-04-12 14:29:08 | 形の謂れ


ヤマザクラが咲きだしています。この風情の方が、私は好きです。今朝、近くの林中で。


昨日、例の《斬新な》手摺のある駅に行く機会があり、あらためて、その手摺を横から眺めて、先の「階段の簓状に倣って段状・簓状の形をしている」旨の説明描写は正しくないことに気付きました。
正確に描写し直すと、次のようになるでしょう。
ほぼ水平の部分が、ほぼ踏み面の長さほどあり、そこでパイプは円弧状におよそ100度~120度ぐらいの角度を成して斜め下に曲がり、ほぼ蹴上げ寸法程度の高さ分降りると逆に同様の円弧を描き水平部分に移ります。
これを連続して繰り返しますから、横から見ると、全体は「波線」の形をしていることになります。そしてそのリズムは、階段の簓形とは直接的には無関係のようです。

しかし、いずれにしろ、手摺に頼ろうとする者にとって、これが使い物にならないことには、何の変りもありません。

今回は、用心のため、杖を持参していましたが、降りるときに、この手摺の使用に《挑戦してみよう》と試みました。
この手摺は、左側通行の階段の降りる側、つまり、左側の壁に付いています。ゆえに左手で使います。
ほぼ水平のところは問題はないのですが、斜めに曲がり下るところで、手首をが下向きにしてパイプに接する、あるいは握る、ことになります。[文言改変]
そういった手首が下向きでパイプを握る姿勢は、健常であっても、万一の時、体を手で支えるのは、かなり難しいはずです。ゆえに、そのとき、「不安」を感じます。[文言改変]
したがって、この手摺に頼ると、手摺の波形のリズムで「不安」が繰り返し襲ってくることになります。
これでは手摺に頼る意味がない。
そこで、二段ほど手摺を使って、結局この手摺に頼るのはやめて、右側にある「普通の」手摺を使いました。

そこで、新たな疑問が生じました。この「波形手摺」の「発想」は、いったい何に拠っているのだろうか?
いろいろ想像してみましたが、分らずじまいです。
ただ、「普通」: ordinary ということの「意味」をも考える契機にはなりました。

さて、この《斬新な手摺》のある駅は、JR御茶ノ水駅です。同駅の「お茶の水橋口」のホームへ降りる階段の左側壁に付いています。
御用とお急ぎでない方は、人混みの少ない頃合いを見計らって、「体験」してみていただくと、多くの「知見」が得られるのではないかと思います。
コメント (6)
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「手摺」考:補足・・・・「手摺」 と 「取っ手(把手)」

2015-04-09 10:02:05 | 形の謂れ
先回触れた「手摺」の話について、誤解のないように補足します。

先回話題にしたのは、階段など歩行の場面での「手摺」についてです。普通「手摺」というとき、他の場面での「手摺」もあることに触れないと片手落ち、誤解を生む、と散歩中に気が付きました

他の場面とは、すなわち、便所のブースや浴室などの「手摺」の役割のことです。
   こういう場面に使う場合も、一般的に、「手摺」と呼んでいるのではないかと思います。
こういう場面では、先回書いたような、「手を添える(沿える)」ことができればいい、という話は通用しません。
そういう時は、「手摺」は、「掴める」ことができないと役に立たないからです。
手で「手摺」を掴み、そして「手摺」を引っ張り寄せようとすることで、逆に体を所定の位置まで動かそう、とするからなのです。
引っ張り寄せようとしても「手摺」は動きませんから、逆に「体の方が動く」わけです。

したがって、そのように使われるためには、そういう場面の「手摺」は手で掴めることが必要条件なのです。

その意味では、「手摺」という語は適切ではありません。
日本語で相応しいと思われる語を探すと、「取っ手(把手)」という語があります。「手で持つこと」「手で掴むこと」のための「部分」を指す語です。
英語では handle になります。bar も使うようです。


もちろん、こういう場面でも、単に「手を添える」ことができればいい、という人もいます。
しかし、ここでは、「容易に手で掴めること」が必須条件になるのです。具体的には、「掴みやすいこと」「滑りにくいこと」などが要件になるでしょう。
   手で掴むことの不自由な方は、こういう場所での自力だけでの行動は無理で、介護が必要になるわけです。

   私自身のリハビリ病院での体験で言えば、ステンレスパイプの「手摺」:「掴み棒」は、石鹸の付いた手が滑りやすかった記憶があります。
   また、パイプ径はなるべく細い方がいい、と思いました。そうすれば、パイプを「握る」「しっかりと掴む」ことができるからです。
   もちろん細すぎてもダメ。実際に試してみる必要があります。「握る」とはどういう様態なのか知るためです。

   鋼管の「手摺」に、竹の節のような、突起をつくりだしているアアルトの設計があったように思います。掴んだ手が滑らないようにする工夫でしょう。

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「手摺」考・・・「手摺」とは 何か?

2015-04-08 17:10:03 | 形の謂れ


ご近所のお宅の道路境のブロック塀に添って、立派な枝ぶりのカイドウが咲いていました。
道路との僅か1尺足らずの地面に、塀から微妙に離れて自立しています。
長い間、大事に育てられてきたのでしょう。


ほんとに久しぶりに(5か月ぶりか?)東京へ行ってきました。
今回は、杖は持ってゆきませんでした。普段は何とか歩いているのだから、都会の街中でも何とかなるだろう、と思ったからです。
しかし、それは間違いで、街中を歩くのは、特に駅の構内を歩くのには、結構気を遣いました。
私の左脚は、微調整がうまくゆきません。
靴底を擦ることは、ほとんどなくなりましたが、左脚に重心を移したとき、適切な位置で体を停止させることがうまくゆかないのです。
最初は筋力の問題か?と思っていたのですが、どうやら、動きを適切な位置で停める指令を筋肉に与える「センサー」が適切に働かないかららしく、うまくゆかないと、ちょっとふらつくのです(普通に立っているときにふらつくことはない)。
   センサーに関わる脳細胞に傷があるから、とのことです。
そのため、普段は、その調節を、右脚で着地するときにやっているようです。右脚が左脚の分まで働いてくれているわけです。
そして、歩く際には、常に、無意識のうちに、目の先に目標物や目標地点を設けて(仮定して)、それに向うようにすることで、方向にブレが生じないように右脚が努めてくれているのです。右脚に感謝です!
   多分健常な場合でも同じような行動をとっていたのだと思います(もっとも、両足とも着地が確実・適切なのですが・・・)。

ところが、街中や駅の中では、この目標物、目標地点の設定が難しい。
普段は、道路の路側帯の白線や側溝、あるいは建物の中の床のタイル、目地などが恰好の「導線」になってくれるのですが(それらがない時は、遠方に目標物:地面に立つ樹木、建物内では床面から立ち上る柱や物体の側線など:を定めます)、人混みの中では、それらが目の前から途絶えてしまいがちになるのです(人混みに隠れてしまうからです)。自ずと歩く速さも遅くなり、健常の人の邪魔になります。そういう場合は、できるだけ壁に沿って歩くことになります。
そして気が付いたのですが、床面・地面のものは導線になるが、天井面のそれは、あまり役に立たない、ということ。
多分、足先の地面・床面の方に気持ちが、したがって目も、向いているからなのでしょう。
   病院などで、〇〇に行くには青い線を辿れ・・、などと床に描いた線で案内する事例が増えてきましたが、壁や天井付の案内看板よりも正解かもしれません。

   それにしても、都会の駅の人混みに、あらためて驚嘆しました。電車が着いて人がホームから階段でコンコースにわーと降りてくる。その「量」に圧倒・・!!
   昔は、私もあの中の一人、平気でそうしていたんだ・・・・。
   下から眺めていて、その様子は、何かにそっくりだ、と思ったのですが、後になって、その「何」が何であったか気が付きました。
   現場に土砂を運んできたダンプカーが、荷台を上げて、土砂を「降ろす」。その時の様子・・・・。階段から音を立てて人が辷り落ちてくる・・・。

駅などの長い階段は、右脚にだけ頼るのは極めて難しく、杖が欲しくなります。

「杖を突く」とは、簡単に言えば、自分の体を、両脚の二点だけでなく、三点で支えるということです。その方が安定が保てる。両脚だけのとき、歩行時、片脚立ちになる瞬間がある。健常な人なら片脚立ちでも一定時間は体の安定を保てる。ところが、脚が不自由な場合、片脚立ちになったとき、ふらつくのです。そのとき、杖が在れば、2点支持ができる。一定程度安定を保てる。これが杖の効用なのです
   登山で杖を2本使う場合があります。この時は、最低でも3点支持を常時保て、より安定度が高まるのだと思われます。
しかし、杖がないときは、階段では「手摺」が大事な「頼り」になります。両脚と手の3点支持に頼ることになるのです。

今回、ある駅の階段で、きわめて《斬新な》「手摺」に出くわして驚きました。
それは階段の側壁に取付けてありました。何処が《斬新》か?
階段の簓型・段型に合わせて手摺のパイプも段状に加工されているのです。パイプの径は25ミリくらい(それより太いと、多分、段状に加工できないのでは・・・?)。
階段を降りるときに使おうとしましたが、直ぐに諦めました。何故か?使い物にならないのです!

そこで、あらためて、「手」という日本語の「表現」に驚嘆したのです。
英語では handrail と言います。rail は横棒・棒。端的に言えば、「手で掴む棒」というような意でしょう。
しかし「手摺」という語には、「手で掴む」という意は直接的には含まれていない。「摺る・擦る」は、「こする」という意。つまり、「手でこする」。
これは言い得て妙
実際、私はどのように「手摺」を利用しているか。
基本的には、手を「添えて(沿えて)いるだけ」、手で「こすっているだけ」、そうすれば、万一の時に「掴む」という動作に移れるからです。常に手を「手摺」に添わせて(沿わせて)いれば、咄嗟に「掴む」動作に移れるのです。留意しなければならないのは、「手摺」を常に「掴んでいるのではない」、ということです。
これは、「掴む」という動作ができる私の場合。「掴む」ことが不自由な人もいます。その方は、咄嗟のときどうするだろうか。多分、添えていた手を、強く「手摺」に「押し付ける」でしょう。「押し付ける」とは、体重をそこにかけること。それによって、体勢を維持できるからです。
   註 たしかアアルトの設計に、手を添えやすい形・断面に加工した木製の手摺があった、と記憶してます。手を添えると手にぴったりする。
     掴むことは考えず、手を載せやすいあるいはがあれば、そこに手を置くだけで体を安定させることができる、と考えたのだと思います。
ところが、この《斬新な》「手摺」は、「手を添える」こと、「添え続ける」ことができないのです。
水平から垂直に段状に折れ曲がるところで、手を一旦離さざるを得ないからです。

手を離す⇒片脚立ちになる⇒1点支持になること、ゆえに脚の不自由な人は、ふらつくことになる・・・。

   註 試みに、簓状・段状の「手摺」に手を添え続けることができるか、想像してみてください。手をそんな具合には動かせません。
     ムリしてやってできなくはありませんがくたびれます。

私は転倒の恐怖を感じ、直ぐに、その「《斬新な》手摺」に頼るのをやめ、階段の中央にある「普通の手摺」の厄介になりました。

そこで考えました。
どうしてこのような「手摺」がつくられたのか?
おそらく《発案者》は、階段を歩行するとき、人の体も、階段の段に従い、簓状・段状に動いているはずだ、手も同じ。だから、「手摺」も階段の形状に倣うのが《合理的》ではないか・・・と考えたのではないでしょうか。

一番最初の(つまり、最も古い)新幹線の車内の座席は、当時、最新の「人間工学」に拠る《デザイン》と喧伝されていました。しかし、それは、極めて座り心地が悪かったことを思い出しました。
この「手摺」は、この「座席」の《デザイン》の発想と同じだ・・・。
その「座席」は、体をスポッとおさめたら最後、自由に体を動かしづらいのです。定形を保て、というわけ。それはムリというもの。かえって疲れてしまう・・・。
おそらく、人が、鉄道の車内の座席にどうやって座って過すのか、設計者:デザイナーが、考え忘れたのです。
   註 単純なベンチのような座席の方が、体は自由に動け適宜な姿勢を保つことができます。
つまりこの「手摺」の発案者も、「人と手摺の関わりかたの実相」について、考え忘れたのだと思います。
つまり、‘form follows function' を字面の上で「理解」しているのです。階段を歩行する人の体は、階段の形に応じて、簓状の動きをする= function と「理解」してしまった、に違いありません。
もしかしたら、「考え忘れた」のではなく、「《気鋭の》設計者、デザイナー」によく見られる傾向なのですが、「人と手摺の関わりかたの実相」を「考えなければならない、ということに、気が付いていなかった」のではないでしょうか。
   註 人と違ったこと、目新しいこと、をやりたかっただけだった、とは思いたくはありません・・・。


ところで、私は、階段を歩くことを考え、手袋をいつも持っています。春になっても、素手で鋼管の「手摺」に触ると、「冷たい」からです。冬場はなおさらのこと。それに、その方が、触ったときの感触がいいのです。その点では、木製にすぐるものはありません。アアルトの設計で、鋼管に皮を巻いた「手摺」があります。
   註 私の左手先は、感覚が鈍く、温度には、過敏で、冷水が針で刺されるように感じられるときがあります。だから、鋼管は触りたくない。

都会の街中には、私のなかに「違和感」を生じさせる事象にあふれています。田園の中の暮しとは、全く違う。「違和感」の存在は、「ものごとの原点を考える」一つのきっかけになるのは確かですが、本来は「在る必要はない」はず。ですから、田園の中の暮しに比べて、都会の街中は疲れます。今回の東京行きでも、復活に二日ほどかかりました・・・。

  ‘form follows function' については、下記で詳しく書きました。
   この「文言」の「解釈」のありようが、現代の設計・デザインの様態を決めてしまった、と私は考えています。
   その好例?が、先述の「人間工学に基づく新幹線の座席《デザイン》」なのです。
   「形の謂れ:補遺
     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんなわけで、「中世ケントの家々」の続き、編集がだいぶ遅れています。ご容赦!

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ある人の使う「語」は、その人の「思想」を顕す   更改・再掲

2015-04-05 17:19:27 | 近時雑感



数日前の路傍のシデコブシ。見事でした。

更改し再掲します。[4月5日 5.20pm]
[標題更改 16.50]
[4月5日付 sinano毎日新聞社説をweb版から、追加転載します。首相の「軽い言動」を糺した論説です]

3月の末ごろ、メディアで、とんでもない「語」が、ほんの一時でしたが、話題になりました。私は、子どもの頃を思い出し愕然としたものです。
その語とは、「八紘一宇」という文言と、「わが軍は・・・」という文言です。
前者は、自民党の女性議員の、これからの日本のあるべき姿について語った一部、後者は現首相の、自衛隊の行動についての発言。
なぜ愕然としたか。これはいずれも、子どもの頃、よく目にし耳にした文言だからです。
「八紘一宇」は、日本がやっている戦争の「意義」を説くために使われたと思います。端的に言えば、日本が中心になり、世界を統一するのだ、という考えだった。
そして後者は、「わが帝国陸軍は、・・・・」という「戦果」の報告の冒頭に必ず出てきた文言。いずれも、人びとを戦争にかきたてるために用いられた、多少でも戦時下の体験のある年代の人にとっては思い出したくない語なのです。だから新聞の投稿で、この語について「危惧」を覚える旨述べていたのは、70~80代の方でした。若い方がたが知らなくて当然ではあります。
私は、こういう言葉を使う方がたの思考に大いなる危惧を感じました。
この用語は、発言者たちの頭の内を如実に顕している。彼らの言う「日本を取り戻す」というのは、やはり、こういうことだったんだ・・・。
若い方がたが、こういう考えかたを、「正当・正統」と思わなければいいが・・・。

しかし、かつてなら大騒動になるはずなのに、メディアも、おひざ元の国会でさえ、あっけなく幕引きにししまったようです。

この点について、詳しく論評した新聞記事がありました。当時を知らない若い方がたにもよく分る解説です。
web 版から転載させていただきます。
先ず「八紘一宇」に関して



続いて、「わが軍は・・・」という文言について

信毎5日付社説:『最高権力者が唱える倒錯 首相の「言論の自由」』を転載出せていただきます。


     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-12

2015-04-03 11:07:05 | 「学」「科学」「研究」のありかた

     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回は、4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries の章の紹介です。
この章は、次の節に分れます。数回に分けて紹介することになると思います。

  Building and documentation on Christ Church Priory manors
    Documentary evidence
    Solars and chambers
    Garderobes
  Upper end accomodation in stone houses
    Layout and circulation
    The form and use of ground-floor rooms
    First-floor chambers and chapels
    Nurstead Court
  Lower-end accomodation in stone houses
    Layout and circulation
    The first floor : access and accomodation
  Subsidiary accomodation in stone houses : conclusion
  Subsidiary accomodation in timber-framed houses
    Cross wings
    Evidence for secondary rooms in single-range structures
    The form of early timber ends and the reasons for their disappearance

     *************************************************************************************************************************
今回は、以下の部分
  4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries
    Building and documentation on Christ Church Priory manors
      Documentary evidence
      Solars and chambers
      Garderobes
     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries13世紀後期~14世紀初期の附属建屋

hall のある建屋は、中世の住居で最も重視されていたと言ってよい。
しかし、これまで触れてきた事例は、その建屋だけ独立して存在することはまったくなく、すべてかならず付属の建屋をいくつか備えている。ただ、その全容、正確な形式はほとんど解明できていない。これは特に木造建物で顕著であり、その建屋の役割も一定ではなく説明に苦しむ点が多い。
そこで、石造家屋の附属建屋と石造・木造混淆の建物の附属建屋についての検討から考察を進めるのが適切だろう。
これまで、14世紀後記以前には、hall上手側と下手側は、取り立てて区別はされてはいなかった、と見なされてきた。
しかし、ケントの諸事例は、これは事実ではないことを示唆していて、1300年代には、建屋は hall上手下手の両方向に展開し、上手側には特別の意味が与えられ、下手側はサービス用の附属部とされる例が多い。
石造および石造・木造混淆の1280~1350年代の建設と見られる14事例のうち、10事例は、上座側( dais のある側)が hall上手にあり、実態が分らないのは、上部架構がすべて消失してしまっている1事例のみである。また、6事例は下手側に附属屋あるいはサービス部を有し、3事例にもその痕跡が遺っている。
このような事実から考え、住居は一般に hall上手下手の両側に附属屋を有していたことは明らかで、記録や遺構は、その用途も定まっていたことを示している。
   註 原文の high and low end of the hall を「上手側」「下手側」と解しました。
     原文のこれまでの解説から、hall の屋根・天井の高い方= high end としているもの、と解したからです。
      これまで紹介した解説図で、一方が「寄棟」、他の側が「切妻」形の屋根・天井の場合、「切妻」の側が high (end) となっています。
       つまり、感じられる天井の高低で highlow と区別し、高く感じられる側を、その空間の中心:上座( dais を設ける側)と見なしていると解したのです。
         dais :演壇、台座など、その空間の中心:目が自ずと集中する場所というような意と解されます。

       ただ、私見ですが、一概にそうとは言えず、屋根・天井の低い側、寄棟形の端部の方が中心と感じられる場合もあるように思えます。
       むしろ、この「感じ方」は、その空間へどの位置から出入りするか、その空間への出入口の位置が決め手ではないか、と私は考えます。


 Building and documentation on Christ Church Priory manors

  Documentary evidence

EASTRY の修道院長の備忘録memorandum book:資財帳・会計簿の類か? )から、1300年代の官邸に備えられていた附属部の姿が分る。
この記録は、CHRIST CHURCH の邸宅が、修道院によって管理されていた当時の状況に関する記録でなので、修道院の官邸・家屋は一般の人びとの家屋と同一であるとは考えられず、資料の検討にあたってはこの点に留意する必要がある。
もっとも、CHRIST CHURCH 修道院の 現存する石造5事例は、知られている一般の7事例および牧師館2事例ときわめて似た附属部を備えていたことが分っている。多分、一般の人びとと教会関係者では、部屋の具体的な使いかたなどは異なっていたのだろうが、それが全体の形状に影響を与えることはなかった、と考えられる。
それゆえ、個々の建物事例について検討する前に、先ずCHRIST CHURCH 修道院資料について詳しき検討してみたいる。
memorandum bookには、1285~1322年に建てられた建物が一覧表になっているが、1318年より後の事例は実際には記録されてはいない。つまり、その領地内で為されたすべての建設が記録されているわけではない。70を越える事例は、ケント地域の22の領地・荘園内の住居用建物に関する記録で、いずれも既に分析されている。その多くは、novus の名で存続しているが、改築や増築が為されて形の変っている場合が多い。また、その一覧表には、33年間を通して記録されている邸宅がいくつか在る。それらに特に大きな関心が寄せられていたものと思われる。こういう特定の建物に集中する時期が、2回以上あったことが記録に見える。一方、単年度に一つというような独立した建屋(たとえば、 hallprivate apartmentchapelkitchen など)の建設の記載は少ない。同様に、個人的な事例の記載も少ない。
例えば、CHARTHAM で為された記録で言えば、以下のようになっている。
1292年に門番小屋新設(囲障工事を含み、工費 67s 3d)、1302年に chapel と 石造の garderobe 新設、工費£38 10s 0d 、1303年に hall 、石造 chamber 2棟と暖炉および諸設備の新設(工費£70 18s 9d )、1304年に kitcendairy の新設(工費、barn を含み£6 17s 9d )。
そこに記載されている工費の説明から、CHARTHAM の建物の大半は、2事例に明記されているように、いずれも石造の附属的な用途の建屋であったことを示している。おそらく、この時期の建設以降は、Prior Chillenden になるまでは、14世紀後期に於いて、目だった工費をともなう建物の改築・改修はなかったと思われる。
   註 dairy : 搾乳場、バター・チーズ製造所
     barn : 納屋、物置、家畜の小屋
      いずれの語も、何を指しているかは、事例の詳細を見ないと分りません。
     Prior Chillenden :修道院長の名か?
この2時期の£60を超える工費を要した工事は例外的であるが、£40以上の巨額な工費を要した例が、 MONKTONGREAT CHART にもある。その頃の多くの邸宅の改築などの工事は、せいぜい工費£30前後あるいはそれ以下があたりまえであった。
COPTONMERSHAM の大きな石造遺構は14世紀初期の事業であることが分っているが、memorandum bookには記載がない。これは、それらは明らかに14世紀初期の建設ではあるが、memorandum bookの記載が途絶える1322年以降の工事であることを意味している。
memorandum bookにあるケントの事例についての記録を詳細に考察すると、部屋の呼称・用語法用途の点で興味深く重要な点がいくつか浮かび上がってくる。
hall 以外の部屋の呼称では、chamber が18例、solar が16例、chapel が22例、garderobe が15例、service room がらみの名称が5例、cellar が3例である。
   註 cellar : 貯蔵庫。元は物置や倉庫に使う穴倉・地下室のこと。ex : wine cellar

Solars and chambers

先ず、solarchamber という語の意味と用法について検討する必要があろう。
この二つの語は、ほぼ現在の drawing roomloungesitting roomliving room とほぼ同等、あるいは類似の意と見なしてよいかもしれない。

memorandum bookは、おそらく、一人の筆記者が原資料(各種事例ごとに作成者は別人である)を忠実に筆写したものと考えられるが、この二つの呼称の使いかたを詳細に見ると、それが、異なる場所の異なる用途に対応していることが見えてくる。
1853年、PARKER 氏は 、main private chamber に論及した上、solar の語は、しばしば、離れ屋の上階の room を指していることを指摘している。
また、最近では、BLAIR 氏が、SOUTHWARK 修道院がその領地に建てた13世紀後期の建物の分析を基に、solar は諸設備を備えた(主屋に接して直交して建てられる)独立の建屋(上階にいくつかの room がある)を指すのではないか、との見かたを提示している。
両者の見解は、CHRIST CHURCH 修道院の記録にも適合するが、、solarchamberの用法を完全に説明できているるわけではない。
   註 各呼称の「英和中辞典」の解説は以下の通り。 
     drawing room:「客間」「応接間」の意。←draw(動詞):引き寄せる。寄り集まる。
     lounge:英国では「居間= sitting room 」の意←lounge(動詞):ぶらぶらする、ゆったり横になる
     sitting room:英国では「居間」「茶の間」の意。←sit(動詞):座る。
     living room:英国では「居間」=sittinng room、lounge room (家族がくつろぐ一家の中心となる部屋、応接間としても使われる)。←live(動詞)

solar の呼称の使われている16例の他に、住居用の諸室とは完全に離れ、厩舎や家畜小屋を併設した事例が3例ある。
これは、PARKER 氏の言う「 solar は、離れ屋の上階の部屋の呼称」との説に符合する。
しかし、他の事例では、solar は必ず主屋のなかに在る。5例では solar は新しい hall とともに建てられ、3例ではサービス諸室とつながっている。どの例も暖房はない。3例のうちの一つはGREAT CHARTCOURT LODGE の遺構であるが、それに関する1313年の記録には、「配膳室pantry )と食品貯蔵庫buttery )を備えた新しい hall とその上階に solar 」と記載されている( fig17:下図参照 )。


現在の COURT LODGE の建物は、下手側が三つに分れ、その中央の通路がサービスの部屋を二分していて、そしてその上階に部屋がある。この建築的な様態と記載されている記録は、 solar の呼称が、「 hall に近接する上階の部屋で、なおかつサービス諸室側の上階の部屋」との説と確かに符合する。
chamber もしばしば hall につながる。18事例のうちの5例については、solar と同様の形で hall に接している。しかし、実際には相違点がある。うち3例は暖炉で暖房され、6例では chpel を併設している(これに対して、solarchapel の組合せが2例ある)。
更に chamber を設ける場合のコストは、平均で£27、solar の場合は£19である。これらのことから、 chamber は通常 solar よりも豪華で、より特定の目的をもった部屋を指していたと見なせるのではなかろうか。
chamber は、離れ屋( outbuilding )にも在る。ただし、その2事例は、特定の使用者の部屋、すなわち、修道士の chamber と従者の chamber である。
また、chamber の語は、solar とは異なり、特定の場所を示す語として使われることもある。
ADISHAM には、camera armigerorumCHARTHAM には、camera mainora と呼ばれる部屋がある。更に、地上階の例も2例あり( camera basse )、一つは庭園の中に在る。1例だけサービスの部屋を指している。それは、食糧置き場で、chamber の附属室と考えられるが、15世紀初期の MARGATESALMSTONE GRANGESt Augustine's Abbey に属する) に関する記録では、配膳室( pantry )と食品貯蔵庫( buttery )の上階の chamber を指している。この例は、COURT LODGEsolar ( fig17:前掲図)とそっくりである。
   註 >camerachamber
これらのことから、chamber の語は、ある特定の用途の部屋の呼称に使われていることが明らかになる。
いくつかの事例では、家屋の上手側にある chapel に次いで上等の大きな部屋を指し、hall 以外で唯一暖房のある部屋でもある。現存する SHELDWICHCOPTON 邸 manor ) がその例である( fig18 下図再掲 参照)が、残念ながらmemorandum bookには記載がない。

しかし、COURT LODGEでは、hall の上階あるいは南東端の小さな増築部の地上階及び上階の出入口は、現存の1313年建設の hall 及び今は消失している1311年の建屋(memorandum bookに拠れば、chapelgarderobe を備えた chamber があった)の solar 部分に先立つ建設と思われる。
CHRIST CHURCH 修道院の邸宅で、他の14世紀初期の建物に比べ多額の費用をかけた hall の上手側の部屋が頻繁に取り壊されるなどということは、奇妙に思える。これは、たまたまそう結果したにすぎないのかもしれないが、煖房付の chamberchapejgarderobe で一組となる部屋は、日常の用途のためではなく、客用(修道士とは限らない)のしつらえであった、という解釈も成り立つ。しかしこの上等の部屋の部分は、14世紀後期になって土地が小作に出されるようになると、使用する必要がなくなり、他の部分に比べ、長い間放置されるようになったためだ、との解釈である。
また、上階の上手側の部屋を示すにあたり、chamber の語は、階上階下を問わず、他の目的の living room を示す場合に用いられている(その際は、「誰のための部屋」であるかが特記される)。ただ、memorandum bookには、chamber の語が、特別の用途のための一画を指す語として使われている例はない( STROODTEMPLE 家では、そのような場合に使われている)。対照的に、solar は比較的小さい暖房もない hall下手側に在る場合が多いようだ。おそらくそれは、当主の仕事場・書斎か、使用人の部屋だったのだろう。
solar の語は、離れ屋の上階にも使用例がある。おそらく単に上階に在る家事用の部屋を指しているものと思われるが、確かなことは言えない。
その土地・建物の借主が、その地で暮して働いていたのか、他の場所から訪れてきて働いていたのか、によっても建物の使用様態が違っていたのではなかろうか。

   註 solar の語について 、wikipedia には、次のように解説されています。百科事典の解説からの引用のようです。
      The solar was a room in many English and French medieval manor houses, great houses and castles, generally situated on an upper storey, designed
      as the family's private living and sleeping quarters.
      In such houses, the main ground-floor room was known as the Great Hall, in which all members of the household, including tenants,employees and
      servants, would eat. Those of highest status would be at the end, often on a raised dais, and those of lesser status further down the hall.
      But a need was felt for more privacy to be enjoyed by the head of the household, and, especially, by the senior women of the household.
      The solar was a room for their particular benefit, in which they could be alone and away from the hustle, bustle, noise and smells (including cooking
      smells) of the Great Hall.
      The solar was generally smaller than the Great Hall, because it was not expected to accommodate so many people, but it was a room of comfort
      and status, and usually included a fireplace and often decorative woodwork or tapestries/wall hangings.
      In manor houses of western France, the solar was sometimes a separate tower or pavilion, away from the ground-floor hall (great hall) to provide
      more privacy to the lord and his family.

Garderobes

memorandum bookに頻繁に出てくる部屋の呼称には、他に chapelgarderobes がある。
前者は説明を要しないが、他の附属諸室との関係は明らかでない場合が多い。
後者 garderobes は、解釈に悩むもう一つの語である。
現在は、 latrine (便所)の婉曲的表現として通常は使われる。しかし中世には、wardrobe (衣裳部屋)を意味していた。部屋内の収納小部屋( closet)や物置部屋( storage )のことで、close stool が置いてあったり、あるいは latrine に通じていた。
   註 close stool :設備用配管のなかった時代に使われた椅子様の便器(移動可)
また、latrine 自体も、camera privata あるいは privy chamber と呼ばれていたようである(いずれも後世には別の意味を持つようになる)。latrine は、王宮ではよく地上階に置かれていて、通常他の諸室とともに、附属室を構成する一室であった。
CHRIST CHURCH 修道院に遺る痕跡は、王宮の記録と一致している。
記録のあるgarderobes 15事例のうちの3例だけが独立の部屋であり、他は、chamber と併設が2例、chapel と併設3、chamberchapel 併設3、solar が4、cellar 併設が1例である。現存の建物の中で、これらの部屋を比定することは難しい。それらの部屋は、主屋に設けられることがなく、概して現在は取り壊されてしまっている増築部分あるいは突出した部分に設けられていたように思えるからである。GREAT CHARTCOURT LODGE では、garderobeswardrobesolar から突出していたらしい( fig17参照 )。この部分は主屋に増築されたらしいが、memorandum bookでは触れられていない。そこは二階建てでその東面から latrine (便所)が突出していた形跡がある。前掲の COPTON 邸( fig18 )の下手側にある同様の位置の建屋も wardrobe と思われるが、その大きさから、そこは独立の chamber block (居住棟)で、二階部分は knight、あるいは servant 専用であったのかもしれない。現存はしないが、かつて既存部への増築部がしばしば行なわれたことは、例えば、COPTON 邸chamber block の壁に出入口があったり、 MERSHAM 邸fig19 下図)のように、下手側上階の部屋の壁に出入口のある事例の存在しているからも分る。

上下階両方に出入口があることから、COPTON 邸wardrobe を備えていたのかもしれないが、あるいはそこには chapel があり、更に離れて別の建屋へと通じていたのかもしれない。また、MERSHAM 邸の二階にだけあるたくさんの小さな出入口は、独立した別棟へ通じるのではなく、latrine への出入り口だったのかもしれない。これらの考察は、確かな建築的痕跡がないので、あくまでも推測の域を出ない。
つまり、garderobeswardrobe は住まいのなかで重要な部屋ではあるが、その場所を現存の遺構建物内で比定することは難しいという MARGARET WOOD 氏の知見以上のことを、今のところ、誰も言い得ないのである。
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以上で今回の紹介は終りになります。
次回は
  Upper end accomodation in stone houses
    Layout and circulation
    The form and use of ground-floor rooms
    First-floor chambers and chapels
    Nurstead Court
の項の紹介予定です。
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この項の筆者の読後の感想

     hallchambersolar の語は、前回までの部分でも出てきましたが、あえて深入りしないで済ませてきました。
     一番悩ましいのは hall が日本の住まいの何処に相当するのか、という点です。
     どうも、出入口から入ったところに先ず hall があり、続いて chamber 、あるいは solarが展開する、というのが彼の地の住まいの構成のようです。
     作業場、納屋などは別置される。   
     日本の農家や商家の場合は、先ず「ドマ」に入る。そこから奥に上足・座式の「デイ」「「チャノマ」「ナンド」「ネマ」などが展開する。
     chambersolarは、「デイ」「チャノマ」などに相当する、と言えるかもしれません。
     しかし、hall を「ドマ」と同等と見なすには無理がある。「ドマ」には作業場、家畜小屋などまで含まれる・・・・。
       そこで次のように考えました。
       原初の住まいは、彼の地でも、ワンルームの一つ屋根の「空間」であって、それがすなわち hall と呼ばれる場所。
       そして、その一つの「空間」を適宜に使い分けていたのは、彼我で違いはなかったと思います。
       使いかたが固定し、なおかつ広くしたいとき、日本では、一つ屋根を大きくし、それを仕切る策を、彼の地では、別室を増補する策を採った。
       そうなった後も、彼の地では、住まいの根幹部として、 hall は残り、hall +αの形式になる・・・。
       この彼我の違いは、多分、材料・架構法・構築法の違いに拠るのではないだろうか・・・。
       近代日本は、彼の地の「形式」だけ移入し、「住まいの原理」を見失った・・・。
       今後も思案します。

     なお、いままでのところ、彼の地の人びとの暮しの様態が、未だに詳しく浮かび上がってきません。 

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