今回は「二十四 腕木門(うでぎ もん)」「二十五 塀重門(へいじゅう もん)」の項。
今回も、現代文読み下しはせず、原文及び図jを編集・転載(不揃いや歪みがありますがご容赦ください)、用語についての註記と私なりの所見を付すだけとします。
はじめは「二十四 腕木門」の原文と図。
註 腕木門とは、上図:第参拾図のような屋根付きの門。屋根を支えるための腕木があることからの呼称と考えられます。
構造的には、冠木門に屋根を設けたと見なすことができるでしょう。
腕木(うでぎ):霧除庇(きりよけ ひさし)などをつくるとき、柱から突出し、庇屋根を承ける桁・出桁を支える横木。
上図では肘木も設けてありますが、霧除庇などでは設けない場合が多い(下記)。
上図は腕木、肘木とも柱に大入れとし、腕木上部に楔を打ち固定していると思われます。
あるいは、肘木は柱に貫通させ、柱に渡腮で掛け、ニ方からの腕木を楔で締めることで固める方法とも考えられます。
腕木を一材とし、貫のように貫通させ楔で締めれば、この程度の出ならば、肘木を設けなくてもよいはずです。
通常の霧除庇は、肘木を設けず、腕木を大入にし、腕木先端の出桁と、垂木(柱に設けた垂木掛に掛ける)で形づくる三角柱で形状を維持しています。
これは、霧除庇部に簡単な立体トラスが構成されている、と考えればよいでしょう。
ただし、群馬県の妙義山下での実施例では、春先の碓氷峠越えの強風で(現地では「吹っ越し」と呼んでいた)、ものの見事に吹き飛んでしまい、
腕木の大入部に地獄枘を設ける方法でつくり直したことがあります。
次は「二十五 塀重門」の原文と図。
註 塀重門
『中門の一。表門と母屋との間にある門。左右に方柱があって笠木はなく、扉は二枚開き。
寝殿造の中門廊が塀になったところからの名称という。壁中門。平地門(へいぢもん)。』(以上「広辞苑」より)。
『現今塀重門と称する門は、・・左右に方柱ありて、冠木なく、扉は二枚開きにして、井桁と襷の化粧木あるものなり。
この種の門には控柱なきを普通とすなり。されど稀には控柱付きのもあり。かべちゅうもんを見よ。』(「日本建築辞彙」より)
壁中門
『古語なり。今いう塀重門に同じ。「家屋雑考」に「正殿の東西にある長廊下の壁を切通しにしたるを壁中門(へきちゅうもん)といい、
また廊なくして築地ばかりなるを屏中門(へいちゅうもん)といい、又之を壁中門ともいう、武家には屋根なきを用いらるる例なり云々」とあり。・・・
右の如く昔は門の位置より起りたる名称なるが・・・。』(「日本建築辞彙」より)
屏=塀 なお、塀は和製漢字
「・・・正殿の東西にある長廊下の壁を切通しにしたるを壁中門といい、また廊なくして築地ばかりなるを屏中門といい・・・」の個所、意がよく分りません。
寝殿造では、長廊下の中ほどに設けられる門が中門です。
「日本建築史圖集」所載の寝殿造当該部の図(「年中行事絵巻」より)を下に転載します。
右側の門が屋敷を囲む築地塀に設けられた東門(四足門)、その左手、斜めに走る建屋が中門廊、東門を入って正面の中門廊にあるのが東中門。
図の左端に西の中門廊と西中門が見えます。
ゆえに、この文は、中門廊に設ける場合を壁中門、前方を仕切るのが塀(築地塀も含む)の場合に設けるときは屏中門と呼ぶ、という意に解します。
したがって、塀重門とは、屋敷内を奥:内:と手前:外:に、より明確に仕切るための塀に設ける門、と解してよいと思います。
要は「内」を確保するための手段の一である、ということになります。
ただ、表門を、このつくりにする例もあります。
なお、塀重門は塀中門の転訛でしょう。
また、仕切りのつくりは、築地にかぎらず、板屏、生垣など多様に考えられます。茶室への露地に設ける門もこの一つと言えると思います。
扉の意匠が何に拠るのか不明ですが、他の門扉に比べると、強固に閉鎖する、という印象は強くありません。
襷型や井筒(=井桁)は、書院造や方丈建築の欄間などに見かける意匠です。そのあたりが造形の源かもしれません。
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以上で、「日本家屋構造・中巻・製図篇」の本文は終りです。
原書には、このあと、付録として「石材彫刻及び石工手間」「漆喰調合及左官手間」「住家建築木材員数調兼仕様内訳書」「普通住家建築仕様書の一例」が載っています。
分量は多いですが、興味深いので、全体を紹介するべく編集を考えます。少し時間をいただきます。