再び・ヴォーリズの仕事

2007-11-28 17:46:48 | 建物案内

[図版差替え:11月29日、1.40] 

いままで気が付かなかったのだが、学研刊行の『日本の民家』第8巻「洋館」編のいわば番外に、下村正太郎邸が「大丸ヴィラ」として紹介されていた。
「番外」扱いとしたことについて、以下のような解説がある。

・・・わが国では珍しいチューダー・スタイルでまとめられ、この様式名をとって「中道軒」とも呼ばれたという。当時の半ば日本化した洋館にはみられない重厚な雰囲気を持ち、そうした本格的洋風建築の代表例ということで、重要文化財指定物件ではないが、比較の意味でとりあげた。・・・

同書によると、
建物は、鉄筋コンクリート造地下一階、地上三階(屋根裏部屋込み)、延床面積1,272㎡。

上掲の写真と平面図は同書から。
全景写真は、先々回の写真と同じアングル。

石造に見える部分は、実は鉄筋コンクリート。見かけ部分に石を使っている。
それでいて重厚な石造に見えるのは、コンクリートの躯体前面に、「石を貼る」のではなく、「積む」方法をとっているからではないか(目地部分にウソがないゆえの判断)。
木造の間にはめ込まれているのは煉瓦積、モルタル粗面仕上げ、いわゆるハーフ・ティンバー。これも張り物ではない。
とにかく、見ていて「安心」できる。

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続・ヴォーリズの仕事

2007-11-27 10:19:10 | 建物案内

ヴォーリズの仕事について、石田潤一郎氏の解説を、『関西の近代建築』から、抜粋引用転載させていただく。


・・・ヴォーリズ作品に触れた者は、ほんのちょっとした細部―たとえば階段の寸法―が非常によく考えられていることに気付かされる。おそらくかなりの部分、既成の、しかし良質なパターンの組合せで設計を進めていったことをうかがわせる。
そのあたりは、渡辺節がしばしば同じ増殖モチーフを使い回し、また欧米のパターン・ブックを重用したことと軌を一にしている。

  引用者註 渡辺節(わたなべ・せつ)
        1884年生。鉄道院に勤め、京都駅舎を設計。後に独立。
        村野藤吾は、この事務所で学んだ。

しかし、ヴォーリズにしても渡辺にしても、参照元の選択が独創的かつ的確だったことを見落としてはいけない。たとえば「大同生命ビルディング」(大正14)の陶板による外壁のあかぬけた表情と内部空間の豪快さとは、日本人建築家の思いもかけないものだった。あるいは「下村正太郎邸」(大丸ヴィラ・昭和7)の様式的純度の高さ。また、「関西学院」(昭和4)「神戸女学院」(昭和9)に見る群造形のアメリカ的スケール感。さらには、その小住宅が例外なく湛えている人なつっこい表情。
こうした手法には典拠があるにしても、それぞれの形態の持ち味をよく判ってそれを十全に発揮できるように思いを凝らしてあるので、どの形態も内発的に生み出されたような伸びやかさに溢れている。

  引用者註 最近の建物にも、「昔の形」を付加する例を見かけるが、
         この点が欠けているから、見るに堪えない場合が多い。

ただ、ヴォーリズが日本で、ことに関西で強く支持された理由は、必ずしも意匠上の卓越ぶりだけではないだろう。先に触れたような細部への気配りに示される〈生活の容器〉としての性能の高さにもよっているはずである。
彼の住宅論(W・Mヴォーリズ『吾家の設計』:文化生活研究会、1923年刊)をひもとくと、すこぶる具体的なことに驚かされる。たとえば「食堂でテーブルを使うときは椅子にかけるがサイドボードを使うときは立ってするから・・・テーブルの高さを二尺四寸にすれば、サイドボードは二尺八寸或いは三尺にする」といった具合である。こうした具体的な検討を重ねていく姿勢を裏打ちしているのは「食物と睡眠のことさえ整えば、まず生活ができる。そこに家がある」(同書)というような本質へ立ち帰った合理的思考である。この合理性を日本人は評価したのである。また、一方、ヴォーリズが近江商人の進取の気性を愛したのも、そこに相通じるものがあったからであろう。
・・・・・

ヴォーリズ事務所は、最高でも所員数30名弱、それでいて年平均44件の設計事例があるという。
もちろんCADなどない時代。しかも、どれも密度が濃い。まことに考えさせられる。
いったい今は、何に「思いを凝らして」いるのだろう。

上掲の写真は『関西の近代建築』からの転載。
左が「大同生命ビル」(大正14)、右は「大丸・大阪心斎橋店」(昭和6)。

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ヴォーリズの仕事

2007-11-25 21:25:29 | 建物案内

暗い話を続けてきたので、ここで転換。

去る6月28日の「近江八幡」の話のときに、ウィリアム・メレル・ヴォーリズという人物に少し触れた。
アメリカ人で1880年(明治13年)生まれ。伝道師として来日、近江八幡の商業学校に英語教師として赴任。そのかたわら、「近江兄弟社」を設立したり、建築家としても活躍した人物。ただ、建築を志したが、正式な建築教育は受けていないという。しかし、数多くのすぐれた建物をつくっており、かなり現存している。

『関西の近代建築』という本がある。
著者は滋賀県立大学で教鞭をとられている石田潤一郎氏、近代建築史が専門。
中央公論美術出版から1996年に刊行されている。
内容は、関西を舞台にした近代建築史。見事な口絵写真70余点(カラー)と詳細な解説。

その中にヴォーリズが京都(京都市上京区烏丸通)につくった住宅「下村正太郎邸」が紹介されている。それが上掲の写真。昭和7年(1932年)の竣工。三階建。別称を「大丸ヴィラ」と呼ばれるように、当時の「大丸」社長下村正太郎の自邸だった。現在は京都市の登録文化財に指定されている。
同志社大学の近くにあるが非公開。残念ながら、私は訪れたことがない(拝観には許可がいるとのこと)。
石井氏の言を借りると、「様式的純度の高い」建築。

写真は「関西の近代建築」から。
原本の写真、そして印刷は実に素晴らしく、スキャナでは十分反映できていないので、是非原本を・・。

とりあえず、今日のところは、紹介まで。

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続・「普及」が「衰退」をもたらす・・・・金物は補強なのか本体なのか?

2007-11-23 18:48:36 | 建物づくり一般
例のホールダウンhold down金物の使用箇所を規定した「告示第1460号」の二項に、「ただし、当該仕口の周囲の軸組の種類及び配置を考慮して、柱頭又は柱脚に必要とされる引張力が、当該部分の引張耐力を超えないことが確かめられた場合においては、この限りではない」とあり、その確認の簡便な方法として、いわゆる「N値計算法」が奨められている(「改正建築基準法の解説」、住宅金融普及協会発行「木造住宅工事仕様書」に詳しい解説がある)。
       
ここで注目したいのは、この計算法・算定式の妥当性云々ではなく、「筋かいを設けた場合」についてなされている「注釈」。
「筋かい」を使用する場合に限り、その算定式に補正が必要なのだ。
簡単に言えば、「筋かい」を使用すると、柱脚、柱頭にいわば「異常な引張り力」が生じる場合がある、ということ。

去る2月20日の「ホールダウン金物の使用規定が示していること」で、ホールダウン金物は、そんなにたくさん入れる必要はない、入れる場所は限られている(たすきがけ筋かいの場合)、と書いたが、基準の策定者自体が、別の形でそのことを認めているわけである。

逆に言えば、どうしてそんなに「筋かい」にこだわるのか、まことに不思議である。要は、「筋かい」をやめればよいのである。
むしろこの際、「筋かいは危ない」、あるいは、「筋かいは、余計な手間が必要になる(つまり無駄だ)」と言うべきなのではないか。
「筋かい」にこだわるから、架構の各仕口は補強金物だらけ、こうなると、補強ではなく金物が本体のごとくに見えてしまう。

どうしても「筋かい」と「ホールダウン金物」を使いたいならば、せめて、柱にボルトで取付けるのはやめるべきだろう。
なぜなら、柱にM12ボルト5本でとめる(HD-B25)などということは、どう考えてもおかしいからだ。木目に沿って、M12のための孔(多分15mm径が、ときには18mm)を@約10cmで開けるなどというのは、いわばミシン目をつくるに等しく、「割れ」を奨励しているようなもの。
材の欠損を気にする一方で、木目に沿ってミシン目を開けることを気にしないのは、まったく腑に落ちない。
どうしても、というなら釘打ち(HD-N25など)の方が問題が少ないだろう。作業も簡単。

そして、最もお奨めなのは、先ず、①軸組を梯子型になるように、「土台~胴差・床梁」間、「胴差・床梁~桁・小屋梁」間に横架材を設け(差鴨居など、丈を大きくする必要はない)、架構全体を一体になるような継手・仕口で組むことを考えること。モデルは今井町・高木家。
そして、確認審査を通すためには、②「筋かい」ではなく、「面材耐力壁」を利用する。特に、「貫タイプ面材耐力壁」なら、室内の間仕切り壁をもすべて耐力壁として算定できる。この方法で、確認審査は通過できるのだ。

ここで肝腎なのは、②を充たしただけで安心してはならない、ということ。
まして、先に2月5日に紹介した現在普通に見られる「危険な架構」では、たとえ耐力壁量が数字上規定を充たしても安心できない。

大事なのは①の作業。これは、現行の法令は、何も規定していない「現場の知恵に基づく技術」。これを実現するために(「確認」を得るために)、やむを得ず②の作業をするのである。
仮に①のような架構をつくって、計算をしたらホールダウン金物が必要という結果が出ても、だからと言って、すぐさまホールダウン金物を採用する必要もない。
「土台と差鴨居または桁・梁」、「胴差と差鴨居または桁・小屋梁」とをボルトで縫うだけで、ホールダウン金物に代えることができるからだ。

本来、金物による補強なしで、木だけで、十分に外力に耐える架構をつくる技術があったということ、それはメンテナンスが可能な方法であったこと、そしてきわめて寿命が長かったということ・・、これらの厳然たる事実から目をそらさず、今からでも遅くはない、そこから学ぼうではないか。
つまり、最新の「理論」を唯々諾々と信じ、唯々諾々と従う前に、「原理・原則」、言い換えれば、「自身の体感を通じて得ている常識」でものごとを考えよう、いわゆる「伝統工法」を編み出した人びとと同じ立場に立ってみよう、ということ。

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「普及」が「衰退」をもたらす:補足

2007-11-20 20:12:52 | 建物づくり一般

[文追加修正:11月21日 3.53]

先回載せなかった「金輪継ぎ」の分解図。上段は、継手の基本形=原理を示した図(目違いなどの工作をする前の原型)。

「金輪継ぎ」を横に置けば「布継ぎ」、これを土台などに使う。
たった一本の「栓」を打つことで二材が密着・一体になる、などという考えは、決して机上だけでは生まれない。現場での裏づけが絶対に必要。

冗談で言うのだが(しかし本当は冗談ではないのだが)、木造建築にかかわるいろんな基準をつくることに精を出している方々、そして、確認申請図書を審査する方々は、かならず一定期間、大工さんのところに常駐し(最低2~3年程度)、加工場~建て方を体験する、そして、大工さんの「修了認定」をもらう、というのを義務付けたらいかがなものか。そして、その一環として、古建築の技術を学ぶのも義務とする。
おそらく、こうなれば、数等世の中が「明るくなる」のではないだろうか。

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「普及」が「衰退」をもたらす・・・・住宅金融公庫仕様

2007-11-19 19:23:56 | 建物づくり一般

[字句修正:11月20日3.39]

いわゆる「宅金融公庫(現 住宅金融支援機構)」仕様は、それに順じていれば確認申請が通る、という点から、一般に「普及」している仕様であると言ってよいだろう。
そこで、近年の「建築基準法の改変」が、「住宅金融公庫仕様」にはどのように現われているか、興味が湧いたので、「木造住宅工事仕様書」の最新版(平成19年版)を取り寄せてみた。
私のところには、平成3年(1991年)、平成13年(2001年)版があり、見比べてみると、ますます金物オンパレード状態となってきていることがよく分る。

しかし、まったく変わっていないのは、継手・仕口や部材の組み方。
継手で紹介されているのは、「腰掛蟻継ぎ」「腰掛鎌継ぎ」「追掛け大栓継ぎ」「台持ち継ぎ」「腰掛継ぎ」「殺ぎ継ぎ」だけ。
「腰掛け」は、きわめて簡便な、力のかからない部分にしか使えない継手。
「殺ぎ継ぎ」は垂木や根太など、しかも真下に受け材がなければ使わない。
継手・仕口を説明するならば、どういう場合に何を使うか解説をしなければ、誤解を生むだけだろう。

上掲の図は、「仕様書」が一貫して奨めてきた床組に使う継手、「台持ち継ぎ」「追掛け大栓継ぎ」「腰掛鎌継ぎ+短冊金物」と、「通し柱への横架材の仕口」の解説図。

この図を見る人は、多分、梁の継手として、「台持ち継ぎ」も「追い掛け大栓継ぎ」も「腰掛け鎌継ぎ+短冊金物」も、どれも同様の「効能」を持つ、と理解するにちがいない。なぜなら、仕様書の2階床梁の項では、この三つの中から継手を選択するようになっているからだ。
しかし、この三つは「効能」がまったく異なる。なぜ、三つの選択制にしているのか理解に苦しむ。

「台持ち継ぎ」は、元来は小屋梁で使われる継手で、「敷梁・敷桁」上で継ぎ、その真上、つまり敷梁・桁位置上で束柱を立て、その上の屋根の荷重で継手部分を押さえ込むのが原則(押さえないと上下に容易にはずれる)。
ボルトで両者を縛りつけるのは、やむを得ないとき。
しかし、ボルト締めは、時間の経過にともなう「木痩せ」でナットが緩んでしまうことが多く、また大抵の場合、天井などで隠れてしまうため、気付かない。
下の図の①が通常の方法。

   註 いかなる乾燥材でも、含水率が常に一定ということはあり得ない。
      含水率15%の材でも、季節により13~18%の程度の幅で変動する。
      つまり、「木痩せ」はかならず起きると考えてよい。
      木材の含水率、乾燥材については、9月15日に簡単に紹介。

「腰掛け鎌継ぎ+短冊金物」を「追掛け大栓継ぎ」同様の効能にするには、短冊金物では間尺に合わない。大きな荷には堪えられないからだ。下手をすれば、ボルト孔から割れるだろう。つまり、「追掛け・・」とは、まったくちがう。
どうしてもというなら、「短冊」の代りに、西欧のトラスのように、両側面に「当て板(添え板)」を釘打ちした方がよほど効果がある。

「追掛け大栓継ぎ」は、これで継ぐと、一本ものと同様の強度が出ると言われる。しかし、手加工は手間がかかる(最近は加工機械がある)。
だから、これを使えば最良なのだが、現場では現在ほとんど見かけない。上記の三つの中から選べとなれば、簡単な方法を選ぶに決まっている。
金融公庫仕様は、「蟻継ぎ」「鎌継ぎ」に「目違い」を設けないなど、簡便な加工で済ます継手・仕口を紹介しているが、加工に手間がかかる「追掛け大栓継ぎ」だけが「生き残っている」のは何故なのか、不思議である。
②が追掛け大栓継ぎの一般的な組立図。この継手は、継手長さをどのくらいにするかが要点。
「追掛け大栓継ぎ」を載せるのなら「金輪継ぎ」なども紹介する方が妥当に思える。「金輪継ぎ」は、追掛同様、きわめて頑強な継手で、土台に使えば、万一の取替えが容易にできるすぐれもの。「追掛け・・」は「上下の動き」で納めるが、「金輪・・」は「横の動き」だけで納められるから、既存の架構の修繕に利便性があり、柱の根継ぎなどでも使われる(今回は図面省略)。

問題は、通し柱への横架材の取付け。もう何年もこの方式が金融公庫仕様で紹介されているから、どこの現場でも目にする。
いずれもボルト締め。ボルト孔はボルト径よりも大きいのが普通。つまり、いかにナットを締めようが、初めからガタがある。
さらに、いかなる乾燥材を使おうが収縮があり、かならずナットが緩む。ということは、この部分に力がかかれば変形が生じるのは火を見るよりも明らか。しかも、こういった箇所は、多くの場合隠れてしまうから、緩んでも気が付かない。

こういう箇所の従来の納め方は、③~⑧。いわゆる「差物」の仕口:「差口」。
いずれも「込み栓」「楔」「シャチ栓」「鼻(端)栓」といった木材の弾力性・復元性、材同士の摩擦を利用する堅木製の材:栓を打ち込む方法。
これは「木痩せ」の影響を受けないから、経年変化もない。第一、この仕様の歴史は長い。価値のある仕様ゆえに長く使われ、進歩した。

この仕口:差口が使われなくなったのは、刻まれた段階の柱を見たときに生じる「恐怖感」によるところが大きいだろう。特に、現場に立ち会ったことのない人は、刻んだ箇所で折れてしまいそうに見えるから、恐怖感が大きいはず。
この仕口は刻みが大きいので、最低でも4寸角以上必要。3寸5分角では先ず無理。ところが、柱を3寸5分角にすることがあたりまえになってしまったのだ(この点についての桐敷真次郎氏の論説を6月13日に紹介した)。
おそらく、この仕口を推奨していないのは、金融公庫仕様策定者も、「恐怖感」に襲われたからにちがいない。
なお、すでに紹介した今井町・高木家は、4寸3分角である。きわめて妥当な材寸である。

では、このような「差口」の刻みは、手がかかるか?否である。機械でも加工できる。
ただ、建て方は手間がかかる。組立てるまで、慎重に扱うことが必要である。単材のままのときは、刻み部分が弱点になるからである。
しかし、組まれれば、かけた手間以上の「効能」が期待できる。長期にわたり狂いがなく、丈夫な架構ができるのである。
「追掛け大栓継ぎ」を紹介するなら、同等の「効能」のあるこの方法を紹介しないのは片手落ちというもの。


いずれにしろ、このような基準法お墨付きの仕様の普及・促進は、結果として、日本の長い歴史のある木造建築の技法を衰退させてしまった、と言ってよい。
あるいは、こういった「仕様」は、フール・プルーフ:ばかでも扱える:方策、全般の技術の「底上げ」のための方法として推奨してきたのかもしれない。
もしもそうなら、それは、一般の人びとの能力をバカにした話。
むしろ、こういう策・方法をフール・プルーフとして提示する人たちの能力が疑われて然るべきだろう。

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「金物補強」と「歴史認識」

2007-11-16 10:07:56 | 論評
[追加・修正11月16日11.05]

2月20日に書いた「ホールダウン」金物の「解説」が、相変わらずよく読まれ、質問コメントも多い。

7月13日にも書いたが、ふたたび何故なのか、重複するところがあるけれども考えてみた。

おそらく、このブログを読んでくださっておられる方は、と言うより、現在建築に係っている方の大半が、戦後生まれの方なのではないだろうか。
つまり、身のまわりで見かける木造建物が、ほとんど全て、建築基準法の下の工法によるもの、という世代。
身のまわりにある、「筋かい」が入り、部材の接合部には金物を添えるのが「あたりまえの木造建築」、と考えてしまっても無理はない。これは特に、都会化した地域の方々に多いようだ。

だから、ホールダウン金物はもちろん、金物の使用一般について「批判的」な言に対して、「違和感」を覚える方がいてもおかしくない。確認審査に係る行政や民間機関の担当者の中にもそういう方が当然多数おられる。もちろん、一般の人びとも、木造の建物には筋かいが入って当然と思っている。それほどまでに、基準法仕様の工法:「耐力壁依存工法」は、僅か半世紀余りの間に、深く深く浸透してしまっているのである。

実は、こういう事態自体が問題なのだ。
日本の建物づくりの歴史に於いて、明治以降すすめられた「近代化」にともなう大きな「断絶」がある、すなわち、歴史に「不連続」あるいは「空白」があるという事実の認識が欠けてしまい、それどころか、その「断絶」「不連続」を正当化する動きさえあるからだ。[言い回し修正11月16日11.05]

これは建築の専門家を養成を旨とする教育においても歴然としており、「建築史」では、日本の建物づくりの歴史を技術的に見る視点を欠き、そして「近代化」に於いて何が起きたのか問うというまさに「歴史学」がしなければならないことが行われていない。
「建築構造」では、建築の歴史は明治から始まるかの如き様相を呈し、徹底して「過去」を捨て去る、つまり、明治以前の建物は「構造について無思慮である」「地震について無思慮である」かの態度で突き進んできた(この点については「在来工法はなぜ生まれたか」で既に触れた)。
「建築材料」では、木材の特徴と日本の伝統的な工法との関係については十分説かれていない。・・・

このように、歴史に「意図的な断絶、空白」を設けて平然としていられるという国は、世界でも珍しいと言わなければなるまい。[字句追加11月16日11.05]
そして、金物の使用についての批判に対して抱く「違和感」は、この認識の欠如から発していると見て間違いない。

しかし、幸いなことに、数の上では圧倒的に少なくなってはいるが、あまり都会化していない地域に暮す方々は、身のまわりで、「基準法以前の工法による建物」を今でも目にすることが多く、「基準法以前」、「基準法以後」のつくりの両様を「あたりまえ」に体感している。さらに言えば、なぜ基準法以前の工法がダメなのか疑問に思っているだろう。なぜなら、「通説」とは違い、それらの多くは、長い年月、環境の変化(地震や風雪・・)に堪えているからである。

茨城県内の講習会などで、いつも「椎名家」(5月22日に紹介した、現存する住居建築で東日本最古と言われる農家の建物、茨城県かすみがうら市にある)を知っているか、見たことがあるか、と問うことにしている。200人ほどの方の中で、行ったことのあるという方は、いつも1~2人。大部分はその存在さえ知らない。
では、最近話題になっている建物は、と言うと、1/3から半分の方は行ったり雑誌で見たりしている。
つまり、現在建築に係っている方々の多くは、「最近」・「最新」のものには関心を抱くが、「過去」のものには関心がない、見ても意味がない、と考えておられるようだ。
また、「欧米の建築見学」と「京都・奈良の古建築見学」という二つの企画を立てたら、どちらに人が集まるか。多分「欧米・・」だろう。

建築関係の雑誌でも、1950年代の「新建築」誌では、毎号、日本の建築史上知っておくべき建築を、見事な写真とともに紹介していた。時は戦後の復興期。足元を確認しよう、という企画だったのではないだろうか。
残念ながら、今はそういう雑誌はない。あるとすれば「観光」の対象としての扱い・・・。

   註 「観光」とは、本来sight seeingの意味ではない。
      「光」を「観る」こと。
      「光」とはその土地・地域の発している「光」。
      土地・地域を視察し、土地・地域について知ること。
      類似の語に、「観風」「聴風」がある。


今まわりに見かけるものだけが全てではない。そして、ものごとは今日始まったのではない。知識も技も・・・皆、長い年月に揉まれ継承されてきたものの延長上にあるのがあたりまえの姿。そして、それがなければ、決して「新しい」ものは生まれない。「革新」もない。「新しい」というのは、単に目新しいこと、差別化することでもない。

是非、身近にある「基準法以前」の建物を、有名、無名を問わず、過去のものとしてではなく観ていただきたいと思う。そこから得るものは、大げさに言えば無限である。

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USONIAN HOUSEの施工工程・・・・F・Lライトの枠組工法 その2

2007-11-12 19:51:00 | 建物づくり一般

先回の続き。

天井はパネルではなく、野縁を張って打ち上げているようだが、詳細は不明。

およそ30cm幅の壁の無垢板は、ビス留めされる「目地の板(目板と言うべきか)」だけでとめられているため、出隅部分(「留め」納めと思われる)では、どうしても狂いが生じるらしく、時を経た建物では、板そのものを下地に脳天釘打ち(ビス留め)にして押えている。
上掲のPOPE邸の元写真には、目地板の釘と、脳天打ちの両方が見えるのだが、ここに載せたのでは見えなくなってしまった!

インチによる材寸の決め方には、おそらく常用の定寸があるのではないか(樋端の四・七、五・七というような)。

使われている壁ボードの総厚は60㎜に満たない。建設地は結構の寒冷地のようだから、今の日本の人たちなら、断熱はどうしてるんだ?と叫ぶにちがいない。

工法もさることながら、空間のつくり方はやはりうまい。人の自然な動きが見えている。それにさからわない空間。それをつくると、結果として、形体もすばらしくなる。形体を考えることから始めていないのだ。

最近は、ライトって誰?なんて思う人たちもが増えているらしい。折をみて、名作をいくつか紹介したいと思っている。

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USONIAN HOUSEの施工工程・・・・F・Lライトの枠組工法 その1

2007-11-10 17:41:47 | 建物づくり一般

1940年~50年代にかけて、F・Lライトは、ローコスト住宅:Usonian Houseを数多く設計している。
これは、いわゆる枠組工法:2×4工法と言ってよい。
しかし、今の工法は、合板製パネルの表面に別途仕上げ材を張るのが普通だが、ライトのそれは、パネル自体がそのま仕上げになるように考えられている。

具体的には、1インチ:25.4㎜厚の芯材(この場合はイトスギ:cypressの板を縦張り、一般的には合板)を立ち上げ仮止めし、その両面に厚7/8インチ:約22.5㎜の無垢板(イトスギ)を横張りにする。こうして仕上がるボード(パネル)が構造体になる。その上に屋根パネルを載せる架構。壁のボード両面に張られた無垢板は、そのまま仕上げとなる。
壁ボードの詳細図は、後日紹介。

今回は、その段階までの工程の写真。詳細な架構組立図がないので、細部には不明な点が多々ある。
なお、寒冷地のため、温水床暖房が設置されている。

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ふたたび「偽装」「仮装」「化粧」・・・・新聞のコラムから

2007-11-09 10:14:42 | 論評

今朝の毎日新聞のコラム「発信箱」に上掲の記事が載っていた。
11月2日の「建材・・・」で、「不正が起きても、別に驚くこともない・・、起きてあたりまえ・・」と書いたが、このコラムの指摘に、まったく同感。

つまり、実態、実体、実際ではなく、ラベル表示や認定番号、すなわち「架空」あるいは「虚構」を「信じて」疑わない世の中になってしまったということ。
それをして「ブランド化」との表現、なるほど・・・。

まずはとり急ぎ紹介。

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続・「偽装」「仮装」「化粧」・・・・何が問題か

2007-11-06 17:47:33 | 論評
また「耐火」建材の不正認証取得がばれたという。

今の建築界の構図はこうだ。

①「建築確認」は、国土交通省の認定を受けた建材を使えば所与の目標を達成していると見なされ、フリーパス。
②だから、たとえば「耐火」について、そういう建材を使ってあれば「建築確認」を容易に得られる。ゆえに設計者もそれを使う。
そのとき、設計者は、おそらく、多分、きっと、それによって建物が本当に耐火建築物になったかどうかは不問に付しているはずだ。目標が、「耐火にすること」ではなく、「認証された耐火建材を使うこと」にすり替えられている。
③材料メーカーは、そういう具合に使ってもらえば売り上げが伸びるから、競って認証を受けようとする。一度認証を受ければ占めたもの。
④それゆえ、認証のために、規定の性能・数値を得られる(あるいは、得やすい)試験体で試験を受けるように努める!不正取得を行う「動機」はここにある。

ところで、試験体に不正がなく認証されたとして、現実に製造されている材料の、抜き打ち試験:追試はやられているのだろうか。
そしてまた、「認証された耐火建材を使う⇒耐火建物になる」という保証はあるのだろうか。その追試はやられているのだろうか。ただ、「認証された建材を使っている」ということで「安心」しているにすぎないのではないか。

また、万一、認証された建材を使用し建物が、耐火でなかったならば、その責任はどこにあるのか。
これは、「耐震」でも同じこと。構造計算に不正がなく、施工もまちがいがなく、そして、万一被災したら、その責任はどこにあるのか。

国土交通省は、すべての建材の「認定時の試験の内容」について調査を行うという。
しかし、必要なのは、食品等で行われているように、「実際に市場で流通している建材」そのものを「抜き打ちで調べる」ことだろう。
「試験」が問題なのではなく「材料そのものの性能」が問題なのだから。
認定試験時の試験の実態調査は、その次の問題のはずではないのか。

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「偽装」「仮装」「化粧」・・・・それとも「偽計」?

2007-11-04 10:40:49 | 建物づくり一般
偽装:ほかのものとまぎらわしくして、敵の目をごまかすこと(手段)。
    カムフラージュ。「擬装」とも書く。

仮装:その場の遊びとして、奇抜な扮装を凝らすこと。
    [法律用語としては、第三者を欺くための虚偽の意思表示の意・・]

化粧:〔身だしなみとして〕・・・・・顔を美しく見せるようにすること「死化粧」・・・。
    装いを新たにすること「雪化粧」。
    「仮粧」とも書く。古来の用字は「気装・仮借」。

たとえば、最近建てられる住宅。町なかで多く見かけるのは、外壁にサイディングを張った建物。「煉瓦積」風、「石積」風、「石目」風、「羽目板張り」風、「塗り壁」風・・・実に多用・多彩な表情。
下地が鉄骨造だろうが、木造軸組工法だろうが、はたまた2×4だろうが、自由自在。というより、下地が何か、外からは分らない。「無垢の木の家」と称する建物も、同じ。

また、「木の家」を歌い文句にしている〇〇ハウスや〇〇林業の商品化住宅の「木」とは、集成材。集成材の柱・梁による軸組工法を「木の家」と呼んでいる。しかし、コマーシャル・広告には「集成材」という文言はどこにもない。そしてそれらの仕上り・外見は、他の住宅と特に変ったところがあるわけでもない。
なぜなら、「木」は下地になって隠れてしまうからだ。見えている「木に見える部分」も、木ではあるが、多くは集成材の表面を「化粧」したもの。
こういう集成材による架構が下地の建物を「木の家」と称するのならば、2×4工法の建物も立派な「木の家」。主体の材料である「合板」も木の「集成材」の一なのだから。

では、このような外装やあるいは歌い文句は、上記の語の定義で言うと、はたして何にあたるのだろうか?「化粧」か、「仮装」か、それとも「偽装」か?

上に羅列した語義は、「新明解国語辞典」から抜粋したもの。
「広辞苑」でもほぼ同様で、「仮装」については「いつわりよそおうこと」ともある。
こうしてみると、「偽装」と「仮装」は紙一重。そして「化粧」はかぎりなく「仮装」に近づく。

   註 例の構造計算の「耐震偽装」や建材の「認証・認定偽装」は、
      「偽装」ではなく、「偽計」と言う方が妥当だろう。
      なぜなら、「行為」そのものに問題があるからだ。
         「偽計」:人をだますための策略、計略。詭計。
      そして、集成材の「木の家」のコマーシャル・広告も「偽計」。


非常に興味深いのは、たとえば、多様にあるサイディングの「表情」は、ほとんど既存の材料・「もの」の表情の「写し」であること。サイディングの材料そのものの顔そのまま、というのは先ずない。

「ベニヤ板(ベニア板)」という語がある。一般に「合板」と同義に使われることがあるが、本来の意味は「薄くそいだ板:単板」のことで英語ではveneer(合板はply wood)。
薄くそぐには一定の技術がいる。そして、なぜわざわざ薄くそぐ必要があったのか。
これは私の推測だが、産業革命以後の西欧の新興勢力たちが、旧勢力:上流貴族たちの建物に使われていた遥かな東方産の銘木:マホガニーやチーク製の家具や造作に憧れ、その模倣のために、表面だけを銘木様にしようとしたところからの発祥ではないかと思われる(逆に言えば、銘木は新興の勢力では容易に手に入れることができないほど高価だったのである。そして一方、銘木輸入業者は、1本の材を薄く切れば切るほど、儲けたことになる)。
英語のveneerは、日本語同様、「中味がない、薄っぺら」の意で用いられる。

   註 集成材としての「合板」は、veneer板を貼る経験から誕生した
      のではないだろうか。狂いが相殺されることを知ったのである。

昨年12月8日にベルラーヘの思想と仕事を紹介した。19世紀末、西欧では、既存の建物の形体を適宜に表面にくっつける類の建築が横行し、彼はそこからの脱却、「正直な建物づくり」を説き、実践した。
この西欧の「悩み」に無関係だったのがアメリカだった。元々、アメリカは西欧各国からの移民が主体。それぞれが、それぞれの移民先で、母国の建築を見よう見真似でつくった。というより、記憶の中の母国の建物に似せてつくった、という方があたっていよう。そのとき、彼らより先に住んでいた人たちがつくってきたアメリカの風土なりの建築はまったく無視・黙殺された。

だから、母国の建築が、それぞれの母国の環境の必然的結果としての形体であることを無視し、材料と無関係に、いわば「張りぼて」で母国の建物の形体をつくることに精を出すようになる。
合板によるパネルを立ち上げる工法は、それにうってつけであった。なぜなら、パネルの表面を、いかなる「様式」にも着せ替えることが出来るからである。
と言うより、最初から形態模写が念頭にあったからこそ、この工法が盛んになった、と言った方があたっているだろう。
なぜなら、架構そのもの、つまり「合板」をそのまま表して様になる、という設計をするには、相当のセンスが要るはずだからである。
そして、この「やりかた」が、日本にも(無理やり)輸入されたのである。

   註 先般の山火事で焼け残った住宅の映像を見たが、
      まさに何でもありなのには驚く。いろんな「様式」のオンパレード。
      敷地が広いから救われているが、
      狭かったら、日本の「住宅展示場」や「建売分譲住宅地」と同じ。
      日本は、住宅も、アメリカの後追いをしているのか?

   註 なお、F・Lライトの1940年代のusonian houseの連作は、
      今の2×4工法そのものであった。
      しかしそれは、「無垢板横羽目のパネル」を立ち上げる工法で、
      その板が即仕上げになっていた。

たしかに、こういう方法なら、いわば好き勝手に「表情」をつくることができる。「着せ替える」ことができる。
しかし、建物の「表情」というのは、そんな「安易な」ものだったのか?
いったい、その「表情」を選択し決定する「根拠」「拠りどころ」は何か?
単に、そのときの「気分」?「流行」?「目新しさ」?他との「差別化」?・・・

住宅だけではなく、町なかに建つビルも公共の建物にも、意味不明な「表情」が増えた。「本体」が不明。傍を通って、いい場所だなと思い心和み、もう一度行ってみようかと思うような建物も場所も減った。
どこもかしこも、「身も心も」、「偽装」「仮装」「化粧」だらけになった。
これでいいとは、到底、私には思えない。


昨年12月に紹介したオランダの建築家、ヘンドリック・ペートルス・ベルラーヘ(Hendrik Petrus Berlage,1856~1934)の語った語を再掲しよう。

(われわれを取り囲むのは)「まがいものの建築、すなわち模倣、すなわち虚偽(Sham Architecture;i.e.,imitation;i.e.,lying)」「われわれも両親も祖父母も、かつてなかったような忌むべき環境(surroundings)に生活してきた。・・虚偽が法則(rule)となり、真実(truth)は例外となっている」(i.e.=that is:すなわち)

   註 念のため。私は合板をまったく使わないわけではない。
      框戸の鏡板などに、無垢板の代りに、突き板を張った化粧合板を
      使うことがある。
      しかし、壁や床などには余程でないかぎり使わない。

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「建物の性能」と「建材の性能」――不燃材、透湿・防水材・・・で建物の性能がよくなるか

2007-11-02 11:11:10 | 建物づくり一般

[字句追加、11月2日、12.55および15.55]

ある建材メーカーで、水で濡らした《不燃材》が性能試験をクリアし、「不燃材」として認証され、「認定番号」をもらっていたそうだ。
別に驚くこともない。十分予想のつくことだ。似たような例は他にもあるだろう。

本当の問題は、「認証・認定制度」そのものにあるように思う。
なぜなら、これは、燃えないようにするにはどうしたらよいか、について一切考えることもせず(考えて設計をせず)、「認証されて認定番号の付いた不燃材料を使えば建物が不燃になる」と考える「安易な設計、安易な設計者の増加を促す制度」だからだ。
それに乗じるメーカーが出てくることは、今の世では、容易に想像できる。今の世には、かの「近江商人」は、ほとんどいないのである。
また、いつであったか、漆喰塗り壁の設計で、漆喰の認定番号を、と言われて愕然としたことがある。だから、「安易な検査官の増加を促す制度」でもある。

この制度は、一見「科学的」「合理的」な方策であるかのように見えて、実は、「きわめて非科学的、非合理的な行為:『思考停止・判断停止』を助長している」と言ってよい(今問題になっている食品の「消費期限」「賞味期限」の表示制度も、同様な側面をもっているのではないか)。[字句追加:15.55]


「透湿・防水紙」というのがある。これを張らない建物は建物でない、かのように最近の木造建築では張るのが流行っている。

   註 私はこれをまったく使わない。理由は後述。

もちろん、この「流行」は、軸組工法の木造建築で、軸組間に「断熱材」を封入し、外壁を大壁仕上げにした事例で木部の腐朽が目立ったことから導入された材料。理屈は、水蒸気は通すが水は通さない、という点。要は、材料に空いている孔の大きさ。
かつてアスファルトフェルトが張られていた箇所が、最近はこの材料にすべて置き換えられているようだ。

日本で大々的に「透湿紙」が使われるようになったのは、寒冷の地・北海道で、木造住居の保温性を向上させるため、1985年(昭和60年)頃から使われだしたらしい。元はアメリカ産の材料。
その工法は「新在来木造工法」と呼ばれ、軸組間に「断熱材」を封入し、天井、床にも「断熱材」敷き詰め、内部の壁を気密にして室内の暖かく水蒸気を含んだ空気が軸組内に逃げないようにする、外壁部には「透湿紙」を張り通気層を設け、軸組内の水蒸気を外に逃がそう、という現在北海道以外でも一般化しつつある工法である。要点は、通気層もさることながら、「気密」性が肝要。

私は、かねてから、「気密」と「透湿」が、どの程度確保でき、どのくらいの期間その性能を維持できるのか、疑問に思っている。
「気密」については、どうやら、「絶対」が求められるようだ(コンセントまわり、隅部、シートの継目を気にするようだ)。少しでも暖かく水蒸気を伴った空気が漏れると「断熱材(主としてグラスウール)」に結露する。

しかし、「絶対」が可能なのだろうか?
「気密シート」は「絶対」に傷まないのだろうか?継目にテープを貼れば「絶対」なのだろうか?施工後、あるいは竣工後、気密が破れることはまったくないのだろうか?

また、「透湿」機能:水蒸気は通すが水は通さないという性能:は、それを維持し続けることができるのだろうか。
なぜなら、外側の通気層を通るのは、新鮮な空気・水蒸気だけではあるまい。ドラフトが生じているのだから、地面近辺のきわめて微細な埃も通るはずだ。たとえ埃で「透湿紙」の孔が塞がれないとしても、表面全体に付着し、埃の層ができることは十分あり得る。そして、それが湿気を帯びたらどうなるか。「透湿」効果は激減するだろう。竣工後長い時間を経過した実際の建物で、中を覗いてみた人はいるのだろうか。通気扇・換気扇のエアフィルターだって、点検が必要なのだ。[字句追加]

どうやら「透湿防水紙」の瑕疵保障期間は10年らしい。10年経ったらどうするのか。張替えよ、ということなのか?
では、外装は、張替えが可能な、もしくは、張替えが容易な方法でつくられているか?それへの十分な対応のしてある例は見たことがないし、張り替えたという事例も知らない。そのような仕様で「200年住宅」などと言わないこと!

こういう仕様を見ていると、一般に、「良い性能の建材はいつまでもその性能を維持し続けることができる」、そして「そのような良い性能の建材を集めてつくれば良い性能の建物になる」と信じられているようだ。そしてまた、その背後には、「絶対確実」な施工ができる、という信仰が潜んでいる。


では、科学的データも「理論」もなかった時代、「性能のよい建物」はつくれなかったのか?
そんなことはない。木造主体のわが国で、わが国の環境を体感で熟知していたから、地域なりに、地域の特徴に適った長く性能を維持できる手法をいろいろと考案していた。

たとえば、中国山地や東北の寒冷の地では、「塗り家つくり」「蔵つくり」「土蔵つくり」などと呼ばれる古代から引継いできた建物全体を土壁で塗り篭めるつくりがある。普通は壁だけだが、ときには屋根面も塗り篭める例がある(上の写真の山梨県の例はその一つ)。
会津・喜多方(盆地のため寒冷になる)では、明治中頃からは土で塗り篭める代りに煉瓦を使うようになった。これもきわめて恒温恒湿性にすぐれた建物となる。こういうつくりが、なぜ北海道で使われなかったのだろうか。

土で塗り篭めるつくりは、同時に立派な防火構造でもあるから、江戸をはじめ、町なかの商店では大いに利用された(埼玉県・川越は、大火後、明治になって江戸の町家を模してつくられた土蔵造りが並ぶ街)。

しかし、土壁は風雨、風雪で傷む。特に、壁の下部が傷みやすい。これは大壁でも真壁でも同じ。
そこで、先ず深く軒を出して吹き降りの雨が壁にあたらないようにした上で、土壁の外側に、保護用の板壁を設ける方法が生まれる。
防火のための土蔵でも、保護の板壁が燃えても、土蔵は燃えない。さらには、万一の場合には、火を避けるために、土壁のところどころに「塩かます」をかけるための金具が仕込まれていた。

壁の保護には、場所によると、板ではなく平瓦を張る例が多々ある(通称「なまこ壁」:岡山県倉敷、静岡県伊豆下田など)。
また、土に比べ雨に比較的強い上質な漆喰を土壁上に塗る場合もある。一般に土蔵はこのつくりだが、漆喰も長いこと雨に洗われば傷む。以前紹介した近江八幡・西川家の土蔵では、それを避けるため、壁の中途に「水切」のための凹部を設けている(7月22日に紹介。水切瓦をまわす場合もある)。
この保護板壁(あるいは平瓦張り)は、風雨、風雪が弱いところでは壁の下部だけ、強いところでは全面に使われる。

上掲の三重県伊勢市は風雨が強い地域。ここでは、真壁つくりの外壁全面を羽目板で保護したうえ、妻側では、軒の出いっぱいに屋根型に「雨除け板」(「雨囲い」とも言うらしい)を下げている(今話題の「赤福」の店もこのつくり)。
これらの保護壁は絶対不滅なものとは最初から考えられてはおらず、板壁の場合は、土壁側に設けた下地に取付け、朽ちたり傷んだりしたら、取り替えることが出来るようになっている。

群馬県沼田は、雪の多い土地。上掲の例は、土壁の上を、伊勢の例同様板壁で蔽うのだが、ここでは板壁の取替えや土壁の点検・補修が容易になるように、最初から雨戸様のパネルを土壁の上に掛ける方法を採っている。これは、関東地方でも、土蔵の下部の保護板壁などでも見ることができる。

山梨県の例は、山梨でも寒冷の地。寒冷地対策として屋根まで土で塗り篭めてあるが、屋根が土塗では雨水に弱いから、土で塗り篭めた屋根の上に、新たに屋根を設けている。
こういうつくりは信州諏訪地方にもあり、今でも見ることができる。また関東平野・武蔵野の農家の土蔵でも見かけたことがある。
なお、この覆い屋は、陽の直射を避け、室内環境の維持に効果があると同時に、冬場、土塗り屋根面と覆い屋の間に外気が通じ、寒冷地で発生しがちな屋根上の雪が室温で溶けて凍ってダムとなり、水溜りとなって生じる雨漏り(すがもれ)を防ぐ効果もあるという。

土壁で塗り篭めた建物のすぐれた恒温恒湿性能は、昔から知られている。ただ、施工に時間がかかるのが難。これに代った会津の煉瓦蔵は、土蔵同様の性能で、なおかつ施工時間が短い、しかも耐久性がよい、ということから、煉瓦が造られ始めると一気に会津盆地一帯に広まった。
北海道でも良質の煉瓦ができる。「野幌(のほろ、のっぽろ)煉瓦」(野幌は地名:良質な粘土が産する)と言われ、明治に生産が始まっている。
これを使えば、数等暖かく、しかも耐久性のある建物がつくれたはずなのだが、煉瓦造は地震に弱いという「風説」が流されたため、ブロック造はあるものの、煉瓦造はほとんどつくられていない(ブロック造に比べ、保温性能は数等すぐれる)。
「断熱材」にたよる「新在来木造工法」も結構だが、耐久性にもすぐれる煉瓦利用を考えてみてもよいのではないか。維持管理等を含めたトータルコストでは、決して高いものではないはず。

ここで例示した例に共通しているのは、どれも、力ずくで環境を我が物にしてやろう、という考え方ではなく、当然、建材の性能を永久だなどとも決して過信してはいない。
しかも、この点が重要なのだが、使われているのは、すべて身近な周辺にある材料だ、ということ。しかも、朽ちたり傷んだりした材料の処理もきわめて容易。いわゆる産業廃棄物は出ない。

このあたりで、すぐに「高断熱・高気密・高換気・・」「高性能断熱材」・・の使用に走る前に、もう一度、建物をつくるという原点に立ち帰って、建築材料の選択、使い方を考え直す必要があるのではないだろうか。

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