建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

この国を・・・・16:手口

2012-02-28 18:11:51 | この国を・・・
昨日の夕刊の「気になる記事」を転載します。
囲いの中の10項目に注目。思い当たるフシがいっぱいあります。

記事のおしまい頃にある
「・・・被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。
分かっていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いです。」
というスミスさんの言葉が印象に残ります。

文字が小さくて見えない方は、毎日jp にも載っていますのでそちらをお読みください。
   「かつて水俣を、今福島を追う



この国を・・・・15:権益

2012-02-26 08:31:10 | この国を・・・
もうじき一年になります。

ほとぼりが冷めたかのように、原子力利用を推進したい、原発の再稼動を促進したい、という「論者」(もちろん、いわゆる「有識者、専門家」です)が「声」を強く上げだしているようです。
少し前になりますが、そういう「論者」とNHKとの間で、「論争」が起きたという特集記事が毎日新聞にありました。毎日jpにもありますが、時間が経つと消えることを考え、毎日jpからスキャンした全文を載せます。



また、最近のY紙では、「電力の自由化が叫ばれているが、肝腎の電力が不足している、自由化を促進するには原発の早期再稼動が望まれる」という論理的にはスジが通りませんが、原子力推進団体は喜びそうな主旨の記事が1面トップにありました。

しかし、記事中にもありますが、これらの推進団体あるいは原発再稼動促進論者からは、不条理な暮しをせざるを得ない多数の方がたに対して、何の「挨拶」もないのです。
手に入れた「権益はまもるのだ」、という強い「意志」が垣間見えるような気がします。


ところで、多くのメディアには大きく報道されていませんが、例の「民意で選ばれた」方が、思想調査に等しい「業務命令」の「アンケート」(本来、アンケートは、それへの回答は任意のものです)、や「メールの内容調査」を命じているそうです。
リベラル21の記事「2012.02.19 『アンケート』は、特高警察とゲシュタポ的手法の合作によるものだ」に詳しく載っています。

「民意で選ばれた」以上、「民は《主人》の《考えかた・思想》に従え」と思っているようです。それが、「民意で選ばれることで得た当然の権益」だ、と思っているのかもしれません。
しかし、「民意」は、それを「容認」しているのでしょうか。
容認しているかどうかの確認作業(いまどきの言葉で言えば「評価」)は、為されているのでしょうか。

こういう恐るべき(私にはそう思えるのですが)「『思想』調査」を主導しているのは、何と「弁護士」なのだそうです。
そういえば、「民意で選ばれた」方も「弁護士」だという。
「弁護士」とはどういう職種なのか、と考えてしまいます。
もっとも、「弁護士会」から「注意」の声明が出されていますから、弁護士がすべてこうなのではない、きわめて特異例のようではありますが・・・。

しかし、この動きを、多くの方がたが「支持」しているのだそうです。
これまた私には理解不能です。浦島太郎の心境です。

とり急ぎ ご案内:喜多方登り窯 11年度焼成 報告・講演会開催

2012-02-25 13:47:05 | この国を・・・
喜多方から連絡がありました。
昨年の焼成は、格段によかったとのこと。
その報告と、焼成の指導をされた安田瓦の協同組合理事長 星野誠一 氏の講演会の案内をいただきました。
   「安田」は、阿賀野川を下った福島・新潟県境に近い新潟の町です。
   昔から瓦の産地として有名です。
   登り窯をつくった樋口窯業の創設者も、安田の出身です。

明日26日開催の案内なのに、掲載が遅れてしまって恐縮です。
興味・関心のある方は、是非!


SURROUNDINGSについて・・・・9:コルビュジェにとっては 何であったのか-4

2012-02-21 10:18:16 | surroundingsについて
間があきましたが、続きです。

コルビュジェは、いわゆる「都市計画」「地域計画」においても大きな影響を与えています。
そこで、今回は、そのとき彼は、SURROUNDINGS について、どのように対していたか、を見てみたいと思います。
   今回の図も“ Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1910~1929、および同 1929~1934”からの転載です。

次の図は、近代建築史のいろいろな書物でも紹介される有名な「計画図」です。
これは、彼の「町」「都市」あるいは「人が暮す場所」、についての「想い:いわゆる『コンセプト』:考え方」を示していると考えてよいのではないでしょうか。



たしかに、綺麗なパターンです。
しかし、このような「形:パターン」を、人の暮す町の「形」として思い立たせた契機はいったい何だったのでしょうか。
いろいろ調べてみても、それが何であったのかは、少なくとも私には、分りません。ことによると、織物にヒントが?
   最近の「気鋭の建築家」のつくる建物でも、「そういう形」にした謂れが、
   少なくとも私には分らない事例が、たくさんあります。
   「想い:コンセプト」に謂れなどはない、
   それこそが「アイディア」「独創」「思いつき」・・・だと言うのかもしれませんが・・・。

コルビュジェの計画の「契機」を物語っていると(私には)思える「図」があります。
一つは、1930年代、チェコの山あいの町の計画。
計画地の「地形」を表した図と、そこに計画された町の図があります。それを上下に並べたのが、以下の図です。 



縮尺が同一ではありませんが(計画の図の方が縮尺が小さい?)、地形の上でほぼ平坦な河川沿いの一帯に、平地の形なりに「計画」してあるようです。
下図の川の上側にみえる編隊飛行している飛行機のような図柄は、居住地区の集合住居らしい。
この計画でも、左方の河川が合流する広い平地に、先の図と同じような幾何学形態の地区が計画されています。

もう一つ、ブラジルでの町の計画のスケッチ。


この場合も、一方が山(丘?)で囲まれた平坦地いっぱいに、その平坦地の形なりに目いっぱいに計画されています。

そして、この計画でできる町の(完成後の)遠望スケッチが次の図です。



この二つの計画で、コルビュジェの「考え方」が見えてくるように、私には思えます。
最も分りやすく示してくれているのが、上の遠望スケッチだと思います。
町が、まわりの山やまに囲まれて、どんな恰好に見えるか、全体がどんな「風景」になるか、そこに関心がある、と考えられるからです。

これらから察しがつくのは、一言で言えば、
「地面:大地あるいは地形は、(単なる)巨大なキャンバスである」、という考え方。
そのキャンバスに向い、浮かんでくる「想い」のままの《抽象画》を描く。その謂れなど訊いて欲しくない。それは画家の「絵心」なのだ・・・。

コルビュジェは、パリの再開発計画など、多くの「案」を描いています。
それらの「案」の表現、今の言葉で言えばプレゼンテーション、で多く用いられているのは、高層ビルが並び立つ鳥瞰・俯瞰図、あるいは遠景の透視図です。

はっきり言って、そこに暮す人びとの目線の図は一つもない。人びとの目線に近い図も、それは、日常の目線からは程遠いのです。SURROUNDINGS は、単に、「絵」の一部の背景にすぎないのです。


すでに先回も書きましたが、こういう「考え方」は、きわめて「分りやすい」。
なぜなら、SURROUNDINGS など気にせず、「そのものだけを見やればいい」からです。だから、現代の気鋭の建築家たちに受け容れられたのではないでしょうか。SURROUNDINGS など気にせず、机の上の「白い紙」の上で「もの」の形を、「想いのままに考えられる」「フリーハンドで線が描ける」ではないか・・・。
つまり、現代建築は、そのほとんどが、気鋭の建築家たちによる、まさに字の通りの「机上の産物」に過ぎない、と言ってよいのではないでしょうか。そうであれば、以前に書いた「理解不能」な事態が生じてもおかしくないのです。
そしてそれは、そこで暮さなければならない人びとにとっては、不幸なことなのです。
もしも、気鋭の建築家たちが、大地震によって、あらためて SURROUNDINGS の存在、その重要さに気付いた、のであれば幸いですが・・・。


次回は、こういう近・現代の「机上の計画」とはまったく逆の、 SURROUNDINGS を拠りどころにした町の計画例を紹介したいと思います。

SURROUNDINGSについて・・・・8:コルビュジェにとっては 何であったのか-3

2012-02-09 17:48:16 | surroundingsについて
[文言補訂 12日 9.38]

少し間があいてしまいましたが、もう一つコルビュジェの設計例を見ることにします。
今回は“ Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1934~1938 ”に載っているパリ郊外にある別荘です。1935年の事例(設計年ではなく竣工年ではないかと思います)。

先ず平面図。



すごく簡潔な平面です。一体、外形はどうなるか。想い描いてみてください。

設計にあたって、コルビュジェは、何を考え、何に拠って、「形」を決めているのか?

それを知る手がかりになるスケッチがあります。
次の図です。



このヴォールト様の形は、おそらく地中海沿岸の諸国に遺っている古代ローマや中世サラセン文化が遺した建物、すなわち、石や煉瓦、日干し煉瓦、あるいは土だけで空間をつくり上げる構築法がヒントになっているのではないか、と思います。

この別荘もヴォールトを使っています。その外観が下の写真。

石積みの壁体にRCのヴォールトを載せる。
先のスケッチ上のいろいろなスタディから察して、コルビュジェの脳裏には、ヴォールトをいくつか集めた「形」にする「想い」:アイディア(今風の言葉で言えばコンセプト):は、初めからあったのではないかと思います。



この「形」にする、という「想い」がコルビュジェの脳裏に浮かんだ「契機」が何であったか、それは推測するしかありません。
ただ、私は、この別荘の建つ「 SURROUNDINGS に対しての観察・熟慮」から生まれたものではない、と思っています。
なぜなら、先のスケッチから、コルビュジェの「関心」は、もっぱら、「ヴォールト様の屋根を被った形態による空間造型」にある、と見なすことができるからです。

この「形」の決定に、唯一 SURROUNDINGS が「影響」したとすれば、それは壁体の材料の「選択」ではないかと思います。
もしも敷地の SURROUNDINGS が、広漠とした樹木の少ない場所であったならば、多分、RCにしたのではないでしょうか。

逆の言い方をすれば、いかなる SURROUNDINGS であっても、建物の「形」は変らない、ということです。

ヴォールトは、室内にそのまま表れます。以下が内部の写真。





この写真から分ることは、それぞれの「室」に相応しい空間の形として考慮された形がヴォールトであった、というわけではない、ということ。
むしろ、ヴォールトの形に「如何に合わせるか」という「考慮」がなされた、と考えられます。
少し厳しい言い方をするならば、足に合った靴を探すのではなく、靴に足を合わせる、という考え、と言えるかもしれません。
その点、コルビュジェは、たしかに「現代建築の先駆者」であることは間違いない、と言えるでしょう。
「現代建築」のほとんどが、「靴に足を合わせる」ことを、人びとに対し「望んでいる」(あるいは人びとに「強いている」)と言っても過言ではない、と私には思えるからです。[文言補訂 12日 9.38]

これは、先に紹介したアアルトの設計とまったく異なる点です。
アアルトは、明らかに、「足に合う靴」を探しています。
だから、常に「そこに暮す人」を考えます。当然、「そこに暮す人」にとっての「 SURROUNDINGS 」を考えることになります。そして当然、彼のつくる建物も「 SURROUNDINGS 」の一つに加わります。
アアルトにとっては、この「考察」の過程は、ごく自然で、あたりまえなことなのです。

もちろんアアルトも、古代ローマや地中海沿岸に遺っている遺構を知っているはずです。
しかし、アアルトは、単にそれらの「形」を見たのではなく、その「形」を在らしめた「謂れ」を観たのだと思います。
つまり、「かくかくしかじかの SURROUNDINGS の中で暮す人びと」の様態と、彼らのつくりだした建物:居住空間、すなわち「その人びとのつくりだした新たな SURROUNDINGS 」、それを「一つの全体として捉らえていた」、そのように私は思います。

アアルトの「思考」は、「『人びと』 と 『彼らのつくる建物・空間』との『関係』」を問う、というような、「対象」をいくつかの「要素」に分け、「それら要素間の関係」として捉えようとする「近代的思考形式」とは明らかに相容れない、と言ってよいでしょう。
つまり、アアルトは、近・現代に在りながら、「近・現代」の遥か向うにいる、のです。それゆえ、アアルトの設計事例は、先回も触れたように、「近・現代的思考」法に慣れた目には「分りにくい」のではないか、と思います。


さて、この別荘の建物に戻ります。
冒頭に載せた平面図で、この建物への主なるアクセスについて見てみます。
平面図と、前掲の外観写真から、そこに見える「石畳」を歩いて、入口に至る、と思われる方が多いと思います。
しかし、そうではないのです。
そのあたりを知ることのできるのが、次のアキソメ図です。

この図には車が停まっています。
これから察するに、この別荘へのアクセスは、図と写真に見える先の石畳に直交しているポツンポツンと置かれた2列の踏み石、と考えてよいでしょう。
石畳は、同じくヴォールトの屋根を持つ「あづまや」への道。

コルビュジェは、軽快に立ち並ぶ樹林の中に建つ建物の絵を描きたかったのではないでしょうか。簡単に言えば、「絵」になることが重要だった。更に言えば、そこに在る建物は、「絵」にならなければならない。
そして更に言えば、設計に関わる図もまた「絵」でなければ、「絵」にならなければならない、のです。コルビュジエのスケッチ、あるいは図面に、鳥瞰図や俯瞰アキソメ図が多いのは、そのためだ、と考えてよいと思います。
以前にも何度も書いていますが、そこで暮す人には、その暮す世界を鳥瞰、俯瞰で見ることはありません。全体の「立体構成」は見えないのです。また、見る必要もない。
鳥瞰図、俯瞰図で全体が「よく分る」ことは、必ずしも、そこで暮す人の目に分りやすいことにはならないのです。むしろ、「必ずしも」ではなく、「絶対に」そうならない、と言うべきかもしれません。

実は、多くの現代の建築設計者は、「鳥瞰図、俯瞰図で全体がよく分る」=「暮す人にもよく分る」と思い込んでいるように、私には思えます。
これが、分りにくい街や建物を、つまり「案内板」をたくさん付けないと分りにくい街や建物を増やしている原因なのです。さらに悪いことは、案内板を付ければ分りやすくなる、と思い込んでいることです。
都市計画にもこの傾向が見られます。「上空」から見た「姿」で計画され、実際にそこで暮す人びとに「混乱」を与える。その「好例」が、「筑波研究学園都市」です。
   都市計画の発祥は、古代ローマの植民地に見ることができる、という説があります。
   実際、各地に、先住の人びとの暮しを無視した円形や碁盤目状の古代ローマの植民都市の遺構がたくさんあります。

ひるがえって、アアルトのスケッチを見ると、そこにあるのは、常に人の目線で描かれていることに気付くはずです。そしてそこには、常に「まわり」がある。そして、これがきわめて重要なことだと思うのですが、最初に SURROUNDINGS と関係ない「形」は脳裏にはないのです。「形」は、SURROUNDINGS への熟慮の結果として生まれてくる
そしてあらためて近世日本の建物を見直してみると、そこでも常に「まわり: SURROUNDINGS 」を「気にしている」ことが分るはずです。

建築の世界で、「環境」や「景観」などという語が使われだしてから、かなりの年月が経っています。
しかし、残念ながら、なぜそれらが問題にされるようになったか、その「謂れ」についての「考察」がなされたようには思えません。
相変わらず、環境と建物、景観と建物・・・といった具合の「論議」がなされ、挙句の果てには、それに関わる「法令」までできてしまった・・・。

いったい、人が建物をつくるとはどういうことなのか、どういうことだったのか、radical に考えることが必要だ、と私は考えています(このブログの主旨でもあります)。

次回、続きを・・・。

この国を・・・・14:遠くに見え隠れして見えるものは

2012-02-04 17:52:37 | この国を・・・
[文言追加 5日 7.42]

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これは、先に紹介した養蚕農家の近くに在る棟持柱方式の養蚕農家。その妻面です。
ちょっとボケています。
棟持柱には、梁と貫(と言ってもかなりの大寸)が挿してあります。
屋根勾配は6寸近くあるのではないか、と思います。
笛吹川沿いの街道では、こういう建物が軒を連ねていたのです。

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社会福祉施設(心身障碍者支援施設)の増築設計、最終段階。規模の大きな仕事(と言っても僅か500㎡の増築)は、最近の法令改変以後、ご無沙汰でした。
確認申請の諸手続きが、大きく変っていて戸惑っています。浦島太郎になった気分です。

今様浦島太郎は、この世が大きく変り、人びとに画一的な思考を求める傾向が顕著になり、さらにその傾向を「歓迎」する人びとが増えていることを知り、仰天しています。いつからこうなってしまったのか?

あれはダメ、これもダメ、カクカクシカジカにせよ・・・。そのカクカクシカジカの「領域」がきわめて限定的で「狭く」なった。おまけに、要らない(と思える)装備を付けることも義務付けられる。世の中には、「絶対的標準」なるものがあると《考え》ている、としか思えない。

なぜここまで、こと細かに「親切に」設定するのか。
それは単純な理由。
だいたい、法令や告示、指針・基準といった類が、「すべての場面・局面」に対応できる、などということはあり得ません。
場面・局面は、端的に言えば、人の暮らしごとに、建物ごとに異なる。
設計者は、「その特有の場面・局面にどう対応するのがよいか」を考える。それが設計という行為の基本である、と私は考えています。
だから、いかなる「個々に異なる場面・局面」にも対応できる指針・基準は、当然ながら、存在する筈がない。

しかし、設計者が、個々に個々の場面・局面を考えることを、法令や告示は嫌うのです。
なぜ?
「管理」できないからです。
個々が異なっていては管理できない。それではやってられないので、一つの指針・基準に(無理やり)「統一」しようとする。
けれども、当然のこととして、意図的か否かを問わず、そういう指針・基準の類のスキマの事例が必ず生じる。
しかし、それでは基準・指針の意味がないと(勝手に)思い、スキマのないように告示、指針・基準といった類を改変する(これを通常「改正」と称する)。
だから、ますます「狭く」なるのです。
と言うより、一つの「形」に集約することを求める、と言った方があたっている。
なぜ?楽だから・・。

何が楽なのだ?
人びとを管理するのが楽になる。
なぜ管理が必要なのか?
管理しないと人びとが何をするか分らないから。
管理するのは誰?
それは「選ばれた人たち」。
誰に「選ばれた」のか?
・・・・・      [以上7行文言追加 5日 7.42]

そういうことの結果、建物の中味にまったく関係のない「諸手続き」に大きな時間を費やされます。

では、このような「法令や告示、指針・基準といった類の限定強化」は、建物の質を高めているのでしょうか。
表立っては言わないでしょうが、大方の建築関係者の答は「NO」であることは間違いありません。

では、「法令や告示、指針・基準といった類の限定強化」は、何か「よい結果」を生んだでしょうか。
それが在るのです。
先ず、「法令や告示、指針・基準といった類」に適合しているかどうかの「審査」に、とんでもない時間と労力を要します。
と言うことは、審査担当者が多数必要。
と言うことは、それができる「人材」が要る。
それでは、そういう「人材」はどこに居る?言わずもがな、でしょう。

それに並行して、この審査に適合するように「導く」「《設計》ソフト」が幅をきかす。
つまり、こういった「法令や告示、指針・基準といった類に適合させる諸手続き」に「係わる」方がたの仕事は増える。それはこの方がたの稼ぎに反映する。

もちろん、審査を「お願い」する側、すなわち設計者の仕事も増える。ただし、建物の中味と関係しない「余計な」仕事が・・・。
もっとも、それが「設計」と思われている方がたも、かなりいるようですが。


おそらく、この先ますます、基準・指針は、その偏狭さを増すでしょう。
一言で言えば、最初の「ボタンの掛け違い」そのものを直すことをせず、その場その場で「不都合」を繕い、そこで生じた新たな「不都合」を、またその場しのぎで繕う、・・・。
なぜか?なぜボタンを掛け直さないか?
なぜ radical な(根本的な)検討(今の世の語で言えば「評価」)が行われないのか。
面倒だから?、
そうではなく、おそらく、「権威」にかかわる、と思うからでしょう。沽券に関わる・・・。だってエライんだから、過ちなんかないのだ・・・。
もちろん、「繕い」でも済む場合もあります。
しかし、全体が「繕い」箇所だらけ、というのは、すなわち「本質が見えなくなる」ということ。


こういうことを続けていたとき、その先に見えるのは何でしょうか。
それは、エライ人が決めた「一つの答」:「《模範》解答」に「従う」ことが強制される世界。
従わない物も者も認めない、という世界。
たしかに、管理する側に立てば、手っ取り早い。
すなわちそれは、、「人びとに、個々の思考の停止を求める世界」。
個々は思考をしてはならず、指示のとおりに動け、ということ。
それは、「いつか来た道」、「破滅に至る道」、と私には思えます。


しかし、関西の方では、選挙で多数を得たのだから、少数者は多数者に従え、それが民主主義だ!なぜなら、多数意見こそが「民意」だから、という《論理》で、好んでこの方向に突進したい方がたが増えているらしい。(「この国を・・・10:民意参照」)
民主主義とは、多数が少数を見殺しにすること?「多数」が「民意」か?

ものごとを、数の多少で《判断》することを、昔から私は採りません。
なぜなら、そういう「考え方」の人たちが、必ず「多数派工作」を行うのを見てきたし、第一、そういう思考は、ものごとの本質からは最も遠い「思考」であることは、言うまでもないことだからです。
片方では「科学的」という言葉を使い、その一方で「数の多少」でものごとを決めようとする、
そういう人がなぜ生まれてしまったのか、理解できません。
どなたか、解説してください。

あるいは、もしかして、このブログで私が書いてきていることは、
どれも、単なる「浦島太郎の愚痴」に見えているのかもしれませんね。
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