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The insertion of first floors in low open halls :
高さの低い hall に二階床を増補する方策のいろいろ
中世後半になると、
open hall に造り付けの暖炉を設けたいという願望が強くなる。
hall 部分の二層化とともに急速に進んだ壁内の集合煙突は、暖房をよりよくし、付属室が設けやすく、二階諸室間の連絡をよくする効果があった。この変化は、現存する中世の建物すべてに見られるが、しかしそれは突然起きたのではない。
open hall は、16世紀初期に、総二階建て建屋に替り始める。そして、当初の
open hall に床を張ることは、それより少し遅れて始まっている。ケント地域の中世遺構の大半は、高さが高いため、二階床を設けることには何ら難しくなかったが、しかし全ての事例がそうであったわけではなく、このような改造が不可能な事例も多数あったことも知っておかなければならない。
14世紀後期までは、大抵の家屋は
aisled 形式か
quasi-aisled 形式だったようだ。かなりの大きさがない限り、二階を設ける際に難題が生じる。 二階床が設けられたとき、
aisled hall の
tie beam :繋梁は、下を通るには低すぎ、二階にできる空間の質は劣悪で用途が著しく限定されてしまうからである。おそらく、背の高い大きな
aisled hall だけが生き永らえることができたに違いない。すなわち、かなり大きな
aisled hall では、
aisle の軸組・小屋組の一組を移動させることで、使いにくい屋根の三角部分をなくし、あらたに壁を立ち上げ窓を設けることもできたからである。このような改造は、
fig 50 :下図:のように、すべての時代の
aisled hall に見られる。
時には、
aisle の部分が全面的に改造される場合がある。
AYLESHAM の
RATLING COURT (
fig 9:下に再掲 )や
HADLOW の
BARNES PLACE (
fig47:下に再掲 )のように、
aisle :側廊・下屋:の幅を狭めることで高さを確保する方策が採られる例がみられるが、この方策例は、
ESSEX では普通に見られる。
あるいはまた、
EASTLING の
DIVIAN COURT (解説図なし)のように、
aisle :側廊・下屋:と
arcade:
上屋柱列: すべてを改造して側壁を高くする方策もあり、その場合は、当初の
aisled hall の形状は、中央部の小屋組の
tie beam :繋梁上にだけ遺されている。これらはいずれも、かなり大きな上屋部分の小屋梁を承ける
arcadeの高さをを高めた家屋が普通であるが、このように頑丈で大きな事例は
aisled hall や
base-cruck hall にはまったく見かけない。また、
PETHAM の
DORMER COTTAGE (
fig34 :下に再掲)や
YALDING の
NIGHTINGALE FARMHOUSE(
fig56:下図 )のような
tie beam :繋梁が一段と低い事例では、こういう方策は不可能である。
DORMER COTTAGEでは、
open truss は消失しているが、
hall 上部の
closed truss 越しに 戸棚の設けられた低い二階がわずかに遺されている。また、
NIGHTINGALE FARMHOUSEでは、
base-cruck truss 一組以外は全て取り壊され改築されている。他の
aisled hall でも、多少でも原型を遺している事例はきわめて少ない。しかし、それが全てである、とは言い切れない。しっかりした二階を増築できるのは
aisle 形式の
hall だけである、というわけではないのである。
このことは、やや時代は下る例が多いが、他の背の低い
hall で為された改築の様態を見れば明らかである。
fig51(下図) の、
PETHAM の
OLD HALL や、
fig52(下図) の1380年建設の
TEYNHAM の
LOWER NEWLAND は、背丈の低い
hall に二階を増補した事例で、しかも稀に見るよくできた事例である。
OLD HALLでは、
open truss の
tie beam :繋梁の位置を変えることで目的を達している。すなわち、
crown post の根元を切断し、残りをジャッキアップして新設した
collar :梁で承けるようにしたのである。
LOWER NEWLANDでは、
tie beam :繋梁:を一部切り取り、切断した木口:端部を、新設の出入り口の
jamb :縦枠の柱に取り付ける方法で問題を解決している。
これらの場合、二階を増補する上での唯一の障碍は、
open truss の部分であったと言えるだろう。何故なら、
hall 端部では
crown post を増築棟の高い壁で承けることができるからである。これに似た方策は、
OLD HALL の増築部との接合部にも見られるが、しかしその上手側では、新設の二階部へは(低い
tie beam の下を通らないですむように)独立の階段が必要になり、増築部は使い勝手が悪い。それゆえ、この方策は、建て主にとって必ずしも都合のよい手法ではなく、今日ではめったに見られない。
また、
tie beam を切り取る方策を二つ以上の
truss で為されている事例は稀で、おそらく、架構を危うくすることの少ない別の方策が種々検討されていたものと思われる。
たとえば、
tie beam の位置が低い遺構のいくつかでは、(
truss を切ることはせず、その箇所で)二つに分けて使うように改造していることに注目してよいだろう。
たとえば、1389年に建てられた
STAPLEHURST の
HILL CREST と
KENT COTTAGE 、
LOOSE の
PEARTREE COTTAGE(
fig53:下図の上 ) がその例である。
いずれも、その改造が何時為されたかは不明ではあるが、
tie beam を一組も切り取っていないという事実は、この分割利用は二階床の増補と同時か、あるいはそれ以前から行なわれていたものと思われる。
このような言わば家屋を二分する方策は、二階を増補するにあたっての一つの解決策であり、また既存の架構の著しい取り壊しを必要としない唯一の策でもあったことを示している。
多くの背丈の低い
hall を持つ家屋では、軸組・小屋組は一つだけ活かされ、それ以外の軸組・小屋組は取り壊されている。
通常、
fig54( 上図の下)の1466年建設の
MOLASH の
HARTS FARMHOUSE のように、新たな妻壁に設けた集合煙突に接する
open truss が現存している。そこでは、増補の付属諸室は、
hall と同時建設の(
hall に直交して置かれた)背の高い別棟に設けられている。
SELLINDGE の
SOUTHENAY COTTAGE (
fig55:下図 )では、家屋の中心は、当初の
hall の端部に移っている(そこは、16世紀の改築で大きくなった)。
これらの改築事例は、いずれも当初の建屋が、長く使えるだけの十分な高さがあった。しかし、そうでない事例もないわけではない。
fig56 の
YALDING の
NIGHTINGALE FARMHOUSE には、後補の集合煙突の後側に
base-cruck truss が一つ残存している。当初の
wall plate (側壁上の桁の役割を持つ部分:図参照)は 2.1mの高さで後補の二階床のほんの少し上に位置し、それより少し高い位置にある
arcade plate (上屋を承ける桁の役割を持つ部分)とともに、
open hall の全長にわたり通っていて、二階床を造るうえで邪魔になっていた。それゆえ、二階床と木材で支持する煙突を造るには、当初の
hall の架構に手を付けざるを得なかったのである。上手側の付属室は、その形状は不明だが、(間仕切壁となる)closed truss を壊した新しい建屋として建て直されている。その際、
arcade plate (上屋を承ける桁の役割を持つ部分)を移動し、壁高を高くし、屋根も全面的に造り直されている。後に、前面の壁も全て造り直され高さも高くなり、直交して置かれた建屋よりも更に背の高い建屋が増築されている。ここでは、新設の集合煙突が既存の
open truss の一部を利用して造られ、建屋の下手側を取り壊しても特に通り抜けも考えていないため、
base-cruck を壊さないで済み、現存している。
これに似たような改築・増築が為された形跡をうかがわせる事例は、かなり見つかっている。その増改築は、上手側であったり、下手側であったり、あるいは両側であったりときわめて多様である。
以上で、この節 了
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次回は次の節を紹介の予定です。
The heightening of low halls with open ends-in line
The problem of low ground-floor rooms in storeyed ends
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筆者の読後の感想
この節を読んで、あらためて、いわゆる「和小屋組」:「束立組」の効能を思い知らされました。その工法では多層の造りも容易につくれるからです。しかし、イギリスでは相当苦労している・・・。
日本の多層建築の工法の技術の展開については、城郭建築~住居まで、2007年4月11日からの「日本の建築技術の展開」シリーズで触れています(住居に
ついては5月20日以降になります)。
バックナンバーから検索、お寄りください。
そして、なぜイギリスをはじめ西欧で、いわゆる「和小屋組:束立組」工法が主流にならなかったのか、考えざるを得ませんでした。
まったくの推量ですが、日本の主たる材料が針葉樹であること、そしてその材料に即した「貫」や、その延長としての「差物」を使用する技法の習得・普及、が関係しているように思えます。
しかし、針葉樹の得やすい地域は西欧にもある、しかし、そこでは「束立組」や「貫」、「差物」が見られるわけではない・・・。なぜか?
実は、筆者が今回この書物を詳しく見る気になったのは、多少なりとも、そのあたりが分るのではないか、という「期待」があったからなのです。しかし、今のところ、この「なぜ」の解は見つかりません。
分ったのは、建物づくりの歴史は、まったく、それぞれの地域特性に拠る、ということ。つまり、一様に考えられない、一様に考えてはならない、という「あたりまえ」のことでした。このことは、心しなければならない大事なことです。とかく忘れがちになるからです。
このあと、どういう展開になるか分りませんが、読解を続けます。