当方の処理ミスで、未完の下書き状態が一時公開になっていたようです。
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[文章改訂 27日 12.32]
今回は、特徴的な建物を観ることにします。
先ず、地域全図をふたたび載せます。
地図中にA~Dの符号を付けたあたりの建物が、独特の方法で紹介されています。
はじめにA地点の建物。
ここは、標高1000m程度の一帯、住戸に付けられている記号の FO は、前回紹介の集落 FORNESIGHE を指しています。
そして、B は標高1300mの CORTINA D'ANPEZZO の住戸。符号は CA。
図は、事例住戸の各階の平面を左側に、次に斜面下側(表側)、側面、そして斜面上側の建物の立面図、右は屋根の伏図です。
この図の、A では下、B では上にある線は棒尺で、文字が小さくて読みにくくて恐縮ですが、文字の付いている一目盛が10m、半分のところ:5m:にも目盛があります。
この目盛をあてがうと、各住戸の大きさがおおよそ分ります。
この表示法は、C~Dの図でも共通しています。
そして注目すべき点は、平面図、立面図(側面図)が、網掛けで用途別に区分されて表示されていること。これも各図共通。[文章改訂 27日 12.32]
すなわち、
白抜き部が住居部分:居住区
点々を掛けた箇所は家畜小屋
グレーの箇所は干草用の納屋
このような表記法を採った報告書の類は、日本には例を見ません。あったとしても、平面図の区分けだけ。
この A、B 2集落の建物は、大部分が2~3階建です。
小屋裏の平面図は書かれていませんが、いずれも小屋裏を使っています。
図の網掛けの比率を見ると、家畜小屋と干草納屋が面積のほぼ半分を占め、家畜小屋と干草納屋では、干草小屋が半分以上を占めます。
どの建物も、小屋裏は干草納屋。したがって、小屋裏の平面図も描けば、圧倒的に干草小屋の占める部分が大きいことが分ります。
これまで紹介した写真で、なぜこんなに大きな建物?と思っていたのですが、この図を見ると、疑問が解けます。
この建物の大きさは、「この地で暮す上で必然の大きさ」なのです。
つまり、人びとは、冬場も、この地で家畜の世話をしながら過ごす。
そのためには、大量の干草が要る、それを一つ屋根の下に囲い込んでいるのです。
同時に、この地の冬は、家畜や干草を別棟にすることなど考えられない環境になることをも示してもいるのです(それにしても、なぜこの地を選んだのか、他にはなかったのか?)。
日本でも、一つの建屋で牛や馬と共に暮している例はたくさんありますが、それは多くが農耕のためで、牧畜を生業として一つの建屋で家畜と暮す例は、私は知りません。
文中のどこかに、どの位の数の家畜とともに暮しているのか、書いてあるのかもしれませんが、読解できていません。
牧畜に強い方なら、これだけの面積の干草納屋の大きさ:干草の量:から逆算できるのかも・・・。
建物は、石積みの上に木造の小屋を架けるか、1階を石積みにして2階、小屋を木造とする例があるようです。
以上は建屋が2~3階の地域の例。
次の C、D は、3階建~5階建の建物が多い地区です。
C、D は、ともに標高1000m程度の地区です。
標高1000mというのは A 地区と同じ高さです。それゆえ、環境も同じ程度と考えられますから、必要干草量も多分同じ。
しかし、A に比べ、建物の全容積は小さく、建物は4階建て以上。
その上、建物容積に占める家畜小屋、干草納屋の比率が大きい。つまり居住区は A、B 地区の住戸に比べ、かなり小さいことが分ります。
このことから、この地区は、農耕地、放牧地には恵まれてはいても、建物を建てる場所が狭く、それゆえ一戸あたりの敷地も狭くなり、家畜に見合う干草を用意するには、建物を4階建以上にしなければならないのだ、ということを思わせます。逆に言えば、これが集落の大きさをも決めているのではないでしょうか。
中層の建物の大半は、実は家畜のためのもの。
たとえば、D の下の方の VC5/1は、建物全部が干草納屋と家畜小屋、容積的に干草3.5:家畜1の割合。
その右にある VC5/2はいわば住居棟で、干草納屋・家畜小屋棟よりも一回り小さい!
建物の建て方は、小屋組だけ木造の場合と、2階以上に木造を使う例とがあるようです。
建物が全体にコンパクトのせいか、切妻ではなく、寄棟が多くなっているようです。
以上ざっと観てきましたが、どの地区の人びとの生業も牧畜、そして、どの地区も、その土地土地の環境・状況に応じて建物を構えていることが分ります。
「応じて」とは、同じ牧畜を営むのであっても、「土地土地での暮し方に応じる」ということ。すなわち、「一律ではない」ということ。
生業が同じでも、土地の環境によって暮し方が異なるのがあたりまえ、これは、現代人が得てして忘れがちなこと。
おそらく、これが「住む」「暮す」「建物をつくる」ことの原点なのだ、と私は思います。
そして、この書の編集者が、これほどまでの熱意をもって「現地」を観ているのも、そこに現代が忘れてしまった Architecture Without Architects: Non-Pedigreed Architecture の「迫力」、つまり、建物をつくるとは何か、その「原点」を見出したからではないか、と私は勝手に思っています。
それにしても、この書の編集者の「執念」は凄い!
今回は写真を載せませんが、次回以降は建物そのものを観てみたいと思っています。
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[文章改訂 27日 12.32]
今回は、特徴的な建物を観ることにします。
先ず、地域全図をふたたび載せます。
地図中にA~Dの符号を付けたあたりの建物が、独特の方法で紹介されています。
はじめにA地点の建物。
ここは、標高1000m程度の一帯、住戸に付けられている記号の FO は、前回紹介の集落 FORNESIGHE を指しています。
そして、B は標高1300mの CORTINA D'ANPEZZO の住戸。符号は CA。
図は、事例住戸の各階の平面を左側に、次に斜面下側(表側)、側面、そして斜面上側の建物の立面図、右は屋根の伏図です。
この図の、A では下、B では上にある線は棒尺で、文字が小さくて読みにくくて恐縮ですが、文字の付いている一目盛が10m、半分のところ:5m:にも目盛があります。
この目盛をあてがうと、各住戸の大きさがおおよそ分ります。
この表示法は、C~Dの図でも共通しています。
そして注目すべき点は、平面図、立面図(側面図)が、網掛けで用途別に区分されて表示されていること。これも各図共通。[文章改訂 27日 12.32]
すなわち、
白抜き部が住居部分:居住区
点々を掛けた箇所は家畜小屋
グレーの箇所は干草用の納屋
このような表記法を採った報告書の類は、日本には例を見ません。あったとしても、平面図の区分けだけ。
この A、B 2集落の建物は、大部分が2~3階建です。
小屋裏の平面図は書かれていませんが、いずれも小屋裏を使っています。
図の網掛けの比率を見ると、家畜小屋と干草納屋が面積のほぼ半分を占め、家畜小屋と干草納屋では、干草小屋が半分以上を占めます。
どの建物も、小屋裏は干草納屋。したがって、小屋裏の平面図も描けば、圧倒的に干草小屋の占める部分が大きいことが分ります。
これまで紹介した写真で、なぜこんなに大きな建物?と思っていたのですが、この図を見ると、疑問が解けます。
この建物の大きさは、「この地で暮す上で必然の大きさ」なのです。
つまり、人びとは、冬場も、この地で家畜の世話をしながら過ごす。
そのためには、大量の干草が要る、それを一つ屋根の下に囲い込んでいるのです。
同時に、この地の冬は、家畜や干草を別棟にすることなど考えられない環境になることをも示してもいるのです(それにしても、なぜこの地を選んだのか、他にはなかったのか?)。
日本でも、一つの建屋で牛や馬と共に暮している例はたくさんありますが、それは多くが農耕のためで、牧畜を生業として一つの建屋で家畜と暮す例は、私は知りません。
文中のどこかに、どの位の数の家畜とともに暮しているのか、書いてあるのかもしれませんが、読解できていません。
牧畜に強い方なら、これだけの面積の干草納屋の大きさ:干草の量:から逆算できるのかも・・・。
建物は、石積みの上に木造の小屋を架けるか、1階を石積みにして2階、小屋を木造とする例があるようです。
以上は建屋が2~3階の地域の例。
次の C、D は、3階建~5階建の建物が多い地区です。
C、D は、ともに標高1000m程度の地区です。
標高1000mというのは A 地区と同じ高さです。それゆえ、環境も同じ程度と考えられますから、必要干草量も多分同じ。
しかし、A に比べ、建物の全容積は小さく、建物は4階建て以上。
その上、建物容積に占める家畜小屋、干草納屋の比率が大きい。つまり居住区は A、B 地区の住戸に比べ、かなり小さいことが分ります。
このことから、この地区は、農耕地、放牧地には恵まれてはいても、建物を建てる場所が狭く、それゆえ一戸あたりの敷地も狭くなり、家畜に見合う干草を用意するには、建物を4階建以上にしなければならないのだ、ということを思わせます。逆に言えば、これが集落の大きさをも決めているのではないでしょうか。
中層の建物の大半は、実は家畜のためのもの。
たとえば、D の下の方の VC5/1は、建物全部が干草納屋と家畜小屋、容積的に干草3.5:家畜1の割合。
その右にある VC5/2はいわば住居棟で、干草納屋・家畜小屋棟よりも一回り小さい!
建物の建て方は、小屋組だけ木造の場合と、2階以上に木造を使う例とがあるようです。
建物が全体にコンパクトのせいか、切妻ではなく、寄棟が多くなっているようです。
以上ざっと観てきましたが、どの地区の人びとの生業も牧畜、そして、どの地区も、その土地土地の環境・状況に応じて建物を構えていることが分ります。
「応じて」とは、同じ牧畜を営むのであっても、「土地土地での暮し方に応じる」ということ。すなわち、「一律ではない」ということ。
生業が同じでも、土地の環境によって暮し方が異なるのがあたりまえ、これは、現代人が得てして忘れがちなこと。
おそらく、これが「住む」「暮す」「建物をつくる」ことの原点なのだ、と私は思います。
そして、この書の編集者が、これほどまでの熱意をもって「現地」を観ているのも、そこに現代が忘れてしまった Architecture Without Architects: Non-Pedigreed Architecture の「迫力」、つまり、建物をつくるとは何か、その「原点」を見出したからではないか、と私は勝手に思っています。
それにしても、この書の編集者の「執念」は凄い!
今回は写真を載せませんが、次回以降は建物そのものを観てみたいと思っています。