建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-6

2007-06-16 23:45:58 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介

5.耐久建築研究のすすめ

 いまや近代建築の理論的再構築に関する議論がきわめて盛んである。しかし、そうした議論を聞いていると、何かますます混迷を深めるために努力しているように思われることが多い。建築の問題はそうした思想的課題にも確かに関係しているが、その核心は主として実務や研究のなかにあると思う。社会の複雑化・多様化に対して、建築の理論・実務・流行はあまりにひと色であり、一本調子ではないか。
 これからの建築は設備だ、超高層だ、都市だ、環境だ、省エネルギーだと、ただ目先の風潮だけですぐ右往左往したり、建築に何か深遠不可思議な秘密や秘儀があるかのような議論は、全く無意味とはいえないが、より重要な問題から目をそらすためのトリックのように思われる。本論で建築の耐久力の問題をとり上げたのは、それが根本的課題のひとつであり、改めて真剣に研究されてよいテーマと考えるからである。

 建築の耐久力を重点項目とすることは、さまざまな面で近代建築の不健全さを是正する転回点となるかもしれない。構造家は、安くできるがあまり保証できない躯体、しばらくは適当にもつ躯体、絶対に壊れない躯体、200年は確実にもつ躯体など、さまざまの構造を区別してゆく。鉄材を用いて永久建築を目差すというむずかしい課題にも取組む。設備家には、建物の躯体を傷めずに更新できる設備のくふう、ランニング・コストを低減する建築的諸元の提示、そして耐久性があり維持容易な設備機器の発明、などを期待したい。

 こうしたアプローチが近代建築に真実の意味での多様性をもたらすことは疑いをいれないばかりか、真実の意味での合理性と科学性の確立につながると思うのである。
 近代建築は、近代の衝撃におびえて、いくつかの迷路にふみ込んでしまった。その第一は、他の先端的産業のパターンを模倣し、それに追随しようとしたことである。第二に、やはりそれらに追随して目先の経済性の追及を建設業の目的としたことである。すでに述べたように、建築がビジネスである以上、そうした行動はある程度は当然であろう。しかし、建築という仕事をそれひと色に塗り込めることは不当であるし、近代建築運動の教義のように、排他的に他のアプローチを圧殺するようなことも困るのである。

 耐久建築の研究は、建築設計家にも大きな影響をもたらすはずである。
 近代建築が誇った自由度は、建築を自由な造形芸術とみなした表現主義に典型的にみられたように、他の造形芸術の影響力に圧倒された結果の産物である。ル・コルビュジェの初期作品は、始め建築のおさまりを知らない素人の遊びと嘲笑された。ル・コルビュジェの天才は、こうした嘲笑を圧殺しきる偉大さをもっていたが、それだからといって、この嘲笑の背後にある建築のロジックと伝統の重味をそのまま無視することはできない。

 表現主義と近代主義の差は、後者が偽似科学的な言論とイメージで、近代建設産業の論理に密接できたということにほかならない。耐久性とメンテナンスに配慮した建築は、そのディーテイリングにまで大きな制約を受け、これまでの自由度の多くは失われるかもしれない。
 しかし、過去数十年間の近代建築のとりとめのない自由さこそ、建築の世界では異常なものだったのである。そして、このことは、日毎に現われる新材料部品や新設備機器との応接に忙殺される良心的な建築家の胸に絶えず去来する疑惑のひとつであったはずである。

 われわれは、耐久建築だけが唯一の正当な建築だといっているのではない。今日の社会では、10年もてば十分という種類の建築も多数要求されていることは熟知している。20年で十分という商業建築も多いであろう。しかし、モニュメンタルな建築や、少なくとも三世代の使用に耐えて欲しい住宅に同じ原理を適用することは明らかに不合理であり、不条理な傾向であることを指摘したい。

 建築の目差す多様性とは、単なる意匠の多様化ではなく、むしろ耐久性や維持費を配慮した多様性である。数年から10年で減価償却できる建物と、殆ど生産性のない記念建造物や住宅とは、建てかたが本来違うべきであるという主張なのである。
 現代の高度の技術水準をもって、この問題を追及する活動がこれまで全くなかったことが、現代の不思議のひとつではあるまいか。あえて耐久建築の研究を提案する所以である。(了)
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桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-5

2007-06-15 21:18:10 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介

4.鉄筋コンクリート造の耐久性(2)

 近代建築の発展によって、建築の構造や形態は確かに自由度を増した。理論的にはどのような形の建築もつくれるといって過言でない。しかし、これらの新技術と新しい建築理論のおおかたは、建築の耐久力を低下させ、その犠牲の上に新しい工法や新奇な造形を成立させる方向を辿ってきたといえる。新しい建築技術は、実に矛盾に満ちた方法で適用されている。
 つまり、一方では経済性・合理性の追求の名のもとに、耐久余力を殆どもたない建物をつくり、他方では機能性・近代的利便の追及の名のもとにフレキシビリティを全く欠いた建物をつくる。
 更に過度の近代的安全のために莫大な設備費を投下させ、また近代的造形と称して、殆ど維持不可能な細部や仕上げを提供し、そのために高騰するメンテナンス・コストやランニング・コストについては、これをすべて建築主に負担させるという建築のシステムを形成しているのである。
 これらはすべて、物理的・経済的な耐久力を無視ないしは軽視することから生じている。

 つまり、あらかたの近代建築の実態は、どのように見ても建築的・人間的に合理的でなく、健全でなく、5000年の歴史をもつ建築の本道にそむいているというよりほかはない。
 上記のような近代建築の諸特性を合理的だと説得するためには、いくつかの非建築的立場或は非建築的イデオロギーを前提としなければならない。
 例えば、非常に短期的な「目先の経済的利点」が建築の目標だとしたとき、上記のすべての傾向はつじつまが合い、すべての行為が合理的となる。
 しかし、そうだとすれば、すべては建設関連企業の目先の利益のためということになり、近代建築の開拓者たちの立派な言葉も、お人好しどものたわ言となってしまう。

 またひとつ、伝統的建築手法及び伝統的生活の絶滅を目差すことが近代日本の建築家の目標だったとすれば、これまたつじつまが合ってくる。
 ボールディング教授の日本観察によれば、近代日本人は日本の社会構造の複雑さを理解できず、その割り切れなさに苛らだって、古い日本のすべてを破壊したい衝動にかられるという(原註3)。

  原註3:Boulding,Kenneth “A Primer on Social Dynamics”1970
      Chap.Ⅷ
      横田洋三訳「歴史はいかに書かれるべきか」講談社学術文庫
      昭和54年刊。

 木造建築の絶滅とコンクリート造の普及は、明治・大正以来の日本建築界の宿望であり、都市の木造建築が許されていたのは、もうひとつの原理「目先の経済的利点」のためだけであったとみても、殆ど誤らない。
 ここでいう「目先」とは、せいぜい20年か30年と判定される。事実、ある著名な建築構造の専門家が、建築の躯体も造作も、ちょうど20年経ったとき同時に駄目になるのが理想的だ、と語るのを筆者は耳にしたことがある。

 建設もひとつの産業であり企業であるから、ビジネスとして遂行し、応分の利益を追求するのは当然である。ただ殆どすべての建設事業が上記のようなイデオロギーのもとにしか動いていないことを奇妙に思い、不気味に感ずるのである。
 特に奇怪なのは、そのような傾向に対して、大半の建築家、そして殆どすべての建設業者が、何の疑惑ももっていないように見えることである。建築研究や建築教育すら、そうした建築的現象への着目や分析を全く欠いているように思われる。

 その証拠として、現在では、半ば永久的存在を期待されている記念的建造物でも、当座の用だけを目差す商業建築でも、全く同じような構法や細部で設計されていることがあげられよう。
 第一流の建築家が、明らかに耐久性を欠く構法でモニュメンタルな建築を設計したりする。コンペの審査員も、建物の耐久力や維持管理の方法まで含めて判定しているとは思われず、30年経てば無残な有様となることが目に見えている建物に易々として賞を授けたりする。そこでは、記念建築の生命である耐久性という観点が全く抜けているのである。

 建築の方法が、いわばひと色に統制されているばかりでなく、建築の施工にはっきりした等級がないのも奇妙な現実である。
 日本料理によくある松竹梅や上・並の区別と同じように、かつて和風建築の工事には上等・中等・並等の区別があった。これは材料・工法・仕上げなどのすべてに亘る質の表示であると同時に、耐久力の表現であり、保証の程度の契約条件でもあった。
 現在の建築にも当然それが存在するはずであるが、故意にあいまいにぼかされて、たたひと色に偽装されている。この建築は20年しかもたないから単価はいくら、50年もたせるならいくら、100年保証せよというならいくらという単価の表示がなければ、とうてい正常な建築契約とは思われない。
 それとも現在では、すべての建築がすべて並等で20年の耐用年限を基準とし、それを知らないのは建築主だけなのであろうか。これはどう見てもフェアな状態とはいえない。
 
 もともと建築のコストとは、建設費だけでなく、メンテナンス・コスト、ランニング・コストの総和である。このトータル・コストが建築主の支払う総費用なのだから、耐久力というファクターが抜けていてはどうにもならない。
 ある建物に対して妥当なメンテナンス・コストを出す算式はないのか、とある建築経済の専門家に尋ねたことがあるが、そういうものはないという話であった。これで官庁・大学の建物が年毎に傷んでゆく理由がよくわかる。メンテナンス費用の算式がなければ説得力のある予算請求はできないからである。
 つまり、古くなった建築は、早く荒廃させて建て直した方がよいという結果になるのである。

 実際、今日の建築の状況が混乱を招いている要因のひとつは、確かに主導的建築家(かつてのコルのごときリーダーたち)の欠如であるかもしれないが、より大きな原因は、かつての指導者たちによって建築の実務があまりにも建築の本道から離れて、単なる経済行為・技術行為に堕してしまったからである。その最大のファクターは耐久力の無視であろう。

 世の中の誰一人として求めていない建築の短命化や造形には集中的な努力が傾注されているが、皆が要望している雨もれ防止や耐久力の増大、修理費・維持費の低減などに心を向けてくれる建築家はあまりにも少いのである。


  [次回は最終、5.耐久建築のすすめ]

桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-4

2007-06-14 18:47:29 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介

4.鉄筋コンクリート造の耐久性(1)

 木造建築は耐久力がないという常識の押しつけのもとに、鉄筋コンクリートの普及が推進されてきたというわが国の歴史的構図は明らかであるが、一般大衆が抱いている「コンクリート造は耐久建築」という誤ったイメージはいまだに修正されていない。一般大衆ばかりではなく、かつては建築家も鉄筋コンクリート造を永久建築と信じていた証拠がある。例えば、明治末・大正初期の論客であった建築家高松政雄は、近代日本における理想的な構法と意匠の原型を追求し、鉄筋コンクリート造こそ永久建築の基盤と断じている(原註2)。

  原註2 高松政雄「人の心と建築材料(三)」
      読売新聞:明治43年12月4日号、
      「高松政雄君の制作と著作」昭和10年、pp160~162。

 しかし、この結論が事実にも理論にも反していることは明白である。
 コンクリートはアルカリ性の物質で、それゆえに内部にある鉄骨や鉄筋の酸化を防いでいる。コンクリートの中性化は表面から内部へ進行して、中性化がかぶり厚さいっぱいに達したとき、コンクリートの防錆能力も尽きてしまう。鉄錆びは膨張し、コンクリートを破壊し、あとは通例の鉄材の酸化が容赦なく進行する。従って、鉄筋コンクリートの寿命はかぶりの厚さに準ずるが、かぶり厚さをやたらに大きくすることはできない。理論的な寿命の値にも各説あるようだが、まず60年から、せいぜい100年とみる点では多くの人が一致している。

 しかし、これは理想的に施工され、亀裂を全く生じなかった場合の話で、実際の建物にはあまり当てはまらない。施工のぞんざいな建物では30年もてばいい方だろうという声もある。公認の償却期間さえもたないだろうと思われる建物も少なくないのである。
 わが国で最も古い鉄筋コンクリート造建築は神戸和田岬に建てられた三菱の倉庫(明治39年、1906年)で、その寿命は60年に満たなかった。旧帝国ホテルは建設後45年で破壊されたが、その鉄筋コンクリートもやはり寿命がきていたという。現存最古の鉄筋コンクリート造建築は三井物産横浜支店(明治44年、1911年)で、ようやく寿命70年に達した。ヨーロッパの初期鉄筋コンクリート造の作例がどうなったかは、詳細を知らないが、いずれも寿命が尽きかけていることだけは間違いない。

  筆者註 以上の数値は、桐敷氏の執筆当時:1980年が基準である。

 近代建築の寿命が恐ろしく短かいことは、ライトのロビー邸(1908年)、グロピウスのファーグス工場(1911年)やバウハウス(1926年)、コルビュジェのサヴォア邸(1928年)などが、すでに文化財保存事業の対象になっていることからもわかる。最近では、メンデルゾーンのアインシュタイン塔(1921年)やペレーのル・ランシイのノートル・ダム聖堂(1927年)などの保存、コルビュジェのエスプリ・ヌーヴォー館(1925年)の再建などが話題になっている。それぞれの内容は別として、何か近代建築のはかなさを感じさせるニュースである。

 これらは経済的耐用年限の問題だという反論も可能であるが、それはフレキシビリティの欠如と同義であり、これは機能主義の裏返しの結果ではなかろうか。
 つまり、機能主義に徹すれば徹するほど、その建築はすぐに古くなる。
 その意味で近代建築はオーダーメイドの子供服に似ている。成長変化する内容に耐えられず、他の用途にも転用できないものが多い。修理も利かず、建て直した方が早いものが多い。いずれにせよ、耐久力がないのである。

 近代建築の基本構法や設計理論の基本そのものに、建築の耐久力を減殺する要因があることは、それらに付随するさまざまな表現や細部にも欠陥があることを予想させるが、これも残念ながら事実である。
 例えば、近代建築の基本形となったいわゆるインターナショナル・スタイル(箱型、白い平坦な壁、陸屋根)は、全く地中海型の建築であって、他の地域にはまず適合しない。
 特に多雨多湿のわが国で、陸屋根の大半が雨もれを生じ、二度も三度も修理してどうにか間に合わせていることは、建築界では常識化している。
 壁面を雨にぬらすことは、むかしの建築家たちが最もおそれたことであるが、軒蛇腹や蛇腹のないのっぺらぼうの壁、窓まわりの単純さは、そうした1000年の常識にさからっているのである。

 ミース式の総ガラス張り建築に至っては、いかなる場所に建てようが、暖房負荷・冷房負荷の点からエネルギー浪費のための建築としかいいようがない。
 もともと総ガラス張り建築は、イギリスか北フランスの温室建築か展示場建築として考えられたもので、人間の居住には本来向かないものである。スカンジナヴィア諸国や中近東諸国における総ガラス張り建築ほど不合理で無駄なものは考えられない。ハンコックビルのような超高層ビルの壁面ガラスが次々に破れてゆく事件などは、こっけいを通り越して冗談ではないかと思う。
 何のために何をしているのかがわからなくなっているのである。耐久力どころではなく、単なる浪費なのである。

  [以下、次回につづく]

桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-3

2007-06-13 16:43:30 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介

3.木造建築の耐久力

 われわれは、伝統的日本建築には耐久力がないことを無造作に常識化している。これは、鉄筋コンクリート造は耐久力があるという常識の裏返しである。
 しかし、事実はそれほど簡単ではない。日本建築といっても、社寺と住宅とは異なるし、住宅といっても、本格的な書院造や民家と、貸家・建売り・バラックの類とはまるで違う。
 しかし、ふしぎなことに、建物の維持管理には一定の通則があるようで、毎年の点検、10年毎の小修理、30~50年毎の大修理、100~300年で解体修理というのが一般的な手入れの仕方である。社寺・宮殿のような文化財建造物でも、ほぼ似たような数字があげられている。ていねいな維持管理をすれば、木造建築の寿命もかなりのものとなるのである。

 わが国の伝統建築では、このような手入れや修理がしやすいような工法が用いられてきた。
 例えば屋根であるが、瓦もタルキもはずしやすいようにつくられている。また柱も、腐りやすい下端部は根継ぎによって比較的簡単に補修できる。日本壁、ふすま、障子、タタミ、押縁下見に至っては、始めから定期的に修理、或は更新されることを前提にしている。適切なメンテナンスと結合されれば、伝統的日本建築はやはり耐久建築なのである。

 これに対して、現行の木造建築は、始めから耐久性を放棄しているように見える。当座の強度だけを問題にし、しかも、それを法的に、或は技術的に正当化しているのである。
 まず柱が4寸(12cm)角以下でもよい、10㎝角でもよいと、むしろ伝統規格より弱化させている。これは構造的な面ばかりでなく、建具のおさまりが無理になるという点からも改悪であろう。まして、耐久力の劣る外国材を用い(原註1)、合理化と称して柱数を最小限にすれば、耐久力は更に落ちる。柱を細くした結果、厚い貫が通せず、代りに筋違い(すじかい)を奨励した。これも柱の上下を切り欠き、桁を突き上げ、結局金物を使えという結果になってしまう。

  原註1:これは現在(1980年当時)輸入されている外国産木材の
      ことで、伝統的西欧建築に用いられているオーク材は
      300~500年の耐久力がある。

 金物を多用せよというすすめには、始めは心ある大工たちが強く反抗した。金物をできるだけ用いないことがよい仕事のしるしだったからである。
 日本では「釘を全く使っていない」というのが、建物の優秀性をあらわす表現だった。釘を全く使わない木造建築などあるわけがないが、金物をやたらに使ってようやく立っているような木造建築は下等であるという事実はよく表現されている。

 更に、防火性を高めると称してモルタル塗りを奨励したが、モルタル塗りの厚さが薄すぎて、亀裂による浸水が軸組を傷めてしまう。モルタル塗りは少なくとも3cm以上の塗厚がなければ耐久性がなく、日本でも大正・昭和初期にはそのように行われていた。
 また最近は、断熱性を高めると称して、壁のなかにやたらに詰物をすることが流行している。軸組が早くむれて早く腐るほうがよろしいとしているような状況である。

 どんな建物にも布基礎と土台を入れるという実務も耐久力を落している。
 布基礎にボルトで緊結された土台は、腐朽してもまともに入れ替えることができない。そのうえ、一般に行われている布基礎の規格程度では、不同沈下を起こしやすく、起こしても直しようがない。
 せめて土台だけは檜の4寸角としたいが、そのようにしている住宅を見ることは殆どない。わずか2間か2間半のスパンに鉄梁を組み込んでいる住宅などをみると、わが国の木造建築の衰退堕落もここまできたかと痛感するのである。

 屋根を軽くせよという一言で、鉄板葺きを流行させたのも同じ傾向である。正直に見れば、今日でも瓦にまさる葺材はないことが誰にもわかる。
 鉄板葺きのメンテナンスの苦労と費用を考えれば、瓦葺きの維持の楽なこと、耐候性、雨音防ぎ、落着きと重厚さなど、多くの長所が明らかである。第一、瓦葺きであるか、ないかで、大工の評価や意気込みがまるで違う。鉄板葺きであるというだけで、心ならずも気が入らず、手を抜いてしまうのである。
 しかし、瓦葺きが断然すぐれているという建築家の発言を聞いたことがない。
 確かに鉄板葺きは勾配をゆるくできるので、屋根のおさまりが楽になる。だが、緩傾斜の屋根は台風に弱い。風による屋根の吸い上げや、軒先のあおりを防ぐため、またしても手違いカスガイなどの金物でタルキを留めなければならない。

 雨押えを鉄板でするのも悪いプラクティスのひとつである。雨押えの取り替えは容易でないから、当然銅板を標準工法とすべきであるのに、銅板をぜいたく品のようにみなすのはおかしいのである。

 どの国のどの時代にも、一般建築の良心的な規格や標準工法というものがあるが、以上のような明々白々たる技術的低下、水準の引下げを公然と行い、それを進歩と考えている国は、残念ながらわが国ぐらいしか見当たらない。
 もちろん表向きの理由には、耐震性と防火性能の向上という大義名分がある。
 布基礎を入れ、土台を入れボルトで緊結し、金物を多用し、屋根を軽くすれば、確かに耐震性能は上る。しかし、所詮たいしたことはない。モルタルを塗り、鉄板や石綿板で蔽えば、確かに防火性能は高まる。しかし、これもたいしたことはない。耐震防火のためだけに、耐久力と意匠を犠牲にしているからである。

 建築にとって、耐震・防火・耐久力・意匠のいずれも大切な項目である。そのなかで、むかしから「便利・耐久力・意匠」といわれている建築の三大項目の二つまでを犠牲にして耐震防火を達成したところで、建築学の進歩とはとうていいい得ない。現に日本住宅の建築的水準は、設備・備品を除いて、史上最低のみじめさに低迷している。

 ローコストの住宅を提供するという名目は、社会的にはいかにも立派で、大衆にはアピールするかもしれないが、建築的には良心的ではない。
 建築は高価なものだから、より耐久力があるようにつくるという方がよほど健全である。このように考えれば、現代といえども、それほど多種多様の工法が残るわけではない。良心的で健全な建てかたとは、かなり限られた手法となるはずである。これが意匠にも反映する。
 健全な工法から生まれてくる意匠だけが健全なのである。日本の木造建築の再生はそこからしか現われないだろう。
 しかし、そうした耐久建築の研究がどこかで行われているという形跡さえ、いまは全くないのだ。

  [次回は、4.鉄筋コンクリート造の耐久性(1)]
 

桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-2

2007-06-12 16:10:27 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介

2.ヨーロッパ都市建築の耐久力(2)

 [先回のつづき]

 近代都市と歴史的都市が両立しがたいことを、いち早く悟ったのはヨーロッパ先進諸国であった。建築界におけるル・コルビュジェの圧倒的な影響力にも拘らず、ヨーロッパの古い町々や大都市の歴史的中心部では、コルビュジェ流の建築革命は殆ど拒否された。今日でも、代表的なヨーロッパ都市は、いわゆる「歴史的都市」の形態を中核として成立している。

 第二次大戦による破壊ののち、少なくとも四つの都市が、その主要部を全く戦前の姿のままに再建するという驚くべき事業をやってのけた。ドイツのニュルンベルクとローテンブルク、ポーランドのワルシャワ、ロシアのレニングラードがそれらである。他の町でもオールドタウンは殆ど復原的に再建された。近代的都市計画は、ただ新興住宅地と再開発されたスラム地区のみに許されるというのが一般的なパターンであった。

 実をいうと、ヨーロッパの都市にとっては、これは二度目、或は三度目の体験だったのである。すでに19世紀の中期から後期にかけて、都市の膨張と近代化は著しいものがあった。パリやウィーンのように、旧城壁を破壊して近代都市への脱皮を図った町も少なくなかった。
 しかし、この時すでに都市の個性についての自覚が生まれ、モニュメントやランドマークに関する意識が次第に明確化されていった。アルトシュタット(旧市街)とノイシュタット(新市街)をはっきりと区分した町も多い。
 ルネサンスの衝撃をすでに経ていたヨーロッパ諸都市が近代建築の衝撃に強く抵抗したのも、都市のアイデンティティ(自己証明)がその独自の「形態」にあることをよく知っていたためである。

 筆者の手許には20世紀初頭のベデカー(ドイツの著名なガイドブック)が数冊あるが、交通機関やレストランなどの案内を除けば、その内容は今日でも殆どそのまま通用する。つまり、ベデカーにのったものはモニュメントであり、ランドマークであって、その町から取りはずせないものになっているのだ。
 都市についての愛着や意識はそのように高いが、そればかりではなく、個々の建築、或は建築というものについての意識にも、市民と建築家の双方に、われわれとは大いに違ったものがある。
 それは、建築とは本来耐久的なものであり、人間が壊すつもりがなければ壊れるものではないという意識である。壊すも残すも人間の意志次第だという自覚である。近代建築は、耐久力に対する配慮が足りないという点で、こうした伝統的意識と合致しないところがあったのであろう。

 近代建築が普及するためには、ヨーロッパ人が日本人と同じように、建築を「仮の宿り」と考えるような意識の変革が必要だったと思う。
 日本人のもつ「仮の宿り」的建築観は、仏教の死生観、風水火災の見舞う風土、花鳥風月的生活観、木と草と紙の伝統的建築に養われたものと考えられるが、これが明治以降の使い捨て文化の進展と実によく合致して今日の先端的繁栄を築く大きな要因となった。

 西欧の場合はむしろ逆である。伝統的な「あなぐら」と「とりで」の建築観は、もともと防衛的・戦闘的な生活観から出ている。たとえ人は亡びても、建築や都市は残るという前提のもとに人々の生活が営まれている。
 人も建物もともに生々流転するというわれわれの生活観はむしろより近代的なもので、近代建築の思想によりよく合致していたとみるべきであろう。
 しかし、西欧も変りつつある。アメリカに押えられ、いままた日本に凌駕されるという経済力競争の屈辱が、ヨーロッパをも建築の近代化競争に巻きこむかも知れない。もしそうなったら、それはヨーロッパ文明の終末ともいえるし、少なくとも過去のヨーロッパの消滅を意味することになろう。

  [次回は、3.木造建築の耐久力]

桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-1

2007-06-11 21:59:36 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介
 今からおよそ四半世紀ほど前、1980年(昭和55年)、当時新日本製鉄㏍から刊行されていた「季刊 カラム」№78に、桐敷真次郎氏の『耐久建築論・・・建築意匠と建築工法の間・・・』という、今読んでも、いやまさに今だからこそ、傾聴すべき論説が載っている。
 桐敷氏は、当時、東京都立大学で教鞭をとられていた方で、建築史、特に西洋建築史、近代建築史の碩学。著作も多く、身近なところでは、大学向け教科書でも、西洋建築史、近代建築史を書かれている(共立出版「建築学の基礎」など)。

 日常の仕事に追われ、とかく忘れがちな問題について、再考する契機になれば、と思い、紹介することにする。
 抜粋して紹介する方法もあるが、誤解を生むといけないので、全文を数回に分けて紹介しようと思う。ただ、読みやすいように、段落は原文と変えてある。
 長くなると思うが、ご容赦。


  『耐久建築論・・・建築意匠と建築工法のあいだ・・・』  桐敷真次郎

1.はじめに

 建築の美学とか建築哲学というものは、おそらくこの世で最もむずかしい学問のひとつに数えられるであろう。古今の大哲学者といわれる人々が、誰一人として建築家を納得させるような学説を残していないし、美学・美術史の大家・碩学にしてもほぼ同様というよりほかないからである。
 その理由の第一は、もちろん建築を生み出す要因と条件があまりに複雑多岐に亘っていることにある。しかし、それらが最も単純な場合でも、建築の問題はそれほど簡単にならない。つまり、建築美学の困難さは根源的なものであり、他の芸術と異なる建築独自の性格にかかわっているためといってよい。

 例えば、建築構造と建築意匠はしばしば分離して論じられるが、いかに構法が自由になり、どのような形態も思うがままにつくれるようになっても、構造と意匠を切り離すことはできない。煉瓦造にみせかけたコンクリート造は、やはり本当の煉瓦造と異なる意匠をもち、近代構法を用いた古典様式は、やはり古代・近世の古典様式建築とはならない。

 しかし、工法と意匠のこうしたかかわり合いは、近代の建築においては過去の時代には見られないほど大きな結末をもたらしていると思う。
 それは耐久力の問題である。物理的な意味においても、経済的な意味においても、近代建築の耐久力は史上最低のレベルに達しており、それが無意識のうちに意匠の問題にも影響を及ぼしてきた。
 この問題を追及してゆくことによって、近代建築の極端な一面性をある程度明らかにすることができる。あえて耐久建築論なる意匠論を提示する所以もそこにある。


2.ヨーロッパ都市建築の耐久力(1)

 近代建築の歴史的起点をどこにするかについては、かなりな議論が必要であるが、かりに、様式的に最初の「新様式」と呼ばれたアール・ヌーヴォーやゼツェッションの出現、そして構造的に近代の代表的構法となった鉄筋コンクリート造の出現(鉄骨造の出現ははるかに早いが)を起点とすれば、近代建築の歴史もほぼ90年になる。また、近代建築の普及を第一次大戦後(日本では関東大震災後)とすれば、近代建築の一般化以来、ほぼ60年を経たということができる。

  註:90年、60年は、執筆年の1980年を基点とした計算である。

 この間に、近代建築は近代社会に適合した建築様式として全面的に受け容れられる状況となった。しかし、その受け容れられかたは、必ずしも初期のパイオニアたちが意図した輝かしい全面的勝利(旧様式の完全な打倒)ではなかった。
 つまり、近代建築は、その建築様式としての正当性、或は永続的な魅力によって受容されたのではなく、主としてその短期的な経済性や利便性によって歓迎されてきたということである。
 これは、どの国においても、戦争や動乱のたびに近代建築の飛躍的増大が見られたことから明らかである。
 これは不気味な徴候であった。

  [以下、次回につづく]