建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

近時雑感 : 吉里吉里人

2014-06-30 14:53:13 | 近時雑感

庭の片隅で、ガクアジサイが見頃です。
今はいろいろな種類があるようですが、これは多分昔ながらのもの。


追記追加[1日 15.15]

《解釈改憲》の動きが加速しています。こんなことなら、黒を白と言いくるめるのなんか、簡単だ。いい歳をした大人のやるべきことではない。私にはそう思えます。

《集団的自衛権》とは、(同盟国に対して)「日本に対する攻撃と同じくらい国民の生活や権利を根底から覆すもの」と判断されたときに、「限定的に行使する《権利》」というのが、政権党幹部の《説明》です。
この「現政権の《意向》」に対しては、多くの地域の議会(府県~市町村)が、反対決議を採択しています(190あまりにのぼるそうです)。
この各地の動向に対して、これも現政権党の幹部は、「日本人として勉強が足りない」との発言をしたそうです。
これは、きわめて怖ろしい発言です。なぜなら、その先に透けて見えるのは、かつての『非国民』という言葉だからです。政府の意向に反する者は・・・・。
彼らの《思考》は、こまで来てしまっているのか・・・、その発言を知ったとき、私は恐怖感を覚えました。


「国民の生活を根底から覆している」状況が、現に存在します。
福島原発事故の結果、生まれ在所から追い出されている方がたは、まさに「生活や権利が根底から覆されている」のです。
そもそも、原発事故は、現政権党のかつての施策の然らしめた結果と言ってよい。しかも、ほとぼりが冷めたと思っているのか、再稼働を進めようとしている。
先の発言者は、この現況をどう考えているのか。
彼らは考えていない、彼らには見えてもいない、と言ってよいでしょう。
「最後は金目・・云々」の言こそが、彼らの本音なのです。沖縄の基地移設問題に対する《発想》もまったく同じ


ある方が、彼らの使う「自衛権」というのは言葉のモテアソビに過ぎない、彼らは「戦闘権」が欲しいだけ、つまり、鉄砲を打つ権利のこと、要するに、人に向け武器をふりかざしたいのだ、と喝破していました。その通りだと思います。


私は、彼ら政権党幹部の発言を聞いていて、「吉里吉里人」を想起していました。
各地域の人びとが「吉里吉里人」を倣ったらどうなるか・・・。
もしかしたら、「吉里吉里国」は、それが本当の「自治」の姿かもしれない・・・・。なぜなら、自ら自らの生活や権利を衛ろう、というのだから。これが本当の「自衛権」・・・。
井上ひさしさんは凄い方だ!今から数十年前に、そんな姿を思い描いていた・・・!


今日30日の東京新聞のコラム「筆洗」と「論説室から」をTOKYOweb から転載させていただきます。

前者の一節に次のようにがあります。
「戦争を知る者は平和を求め、戦争を知らぬ者は平和のありがたさを忘れてしまう。」
後者は「『小さな人間』から見る」と題し、「デモクラシー」とは何か、についてです。



追記 [1日 15.15]
同日の東京新聞に、他のメディアにはなかった唖然とするような内容の報道がありました。
「原発輸出」を「促進」する施策が、見えないところで着々と進んでいる・・・というのです!
記事をTOKYOweb から転載します。

「日本家屋構造・上巻、中巻」の紹介を終えて

2014-06-26 10:45:19 | 「日本家屋構造」の紹介


少し時間がかかりましたが、「日本家屋構造」上巻、中巻、ひと通り紹介させていただきました。参考図主体の下巻も、おって紹介させていただくことにします。

この書については、実を言えば、これまで必要に応じ当該箇所を拾い読みする程度で、端から端まで目を通したのは、私も今回が初めてなのです。
今回全貌を知るに及んで、これは何もこの書に限ったことでないのは当たり前ですが、あらためて、世代によって、この書に対する対し方が大きく異なるに違いない、と思いました。

たとえば、大きく《開発》が進み《東京風に都会》化した地域で生まれ、そして育った(そしてそれが「普通」と思っている)世代の方がたにとって、この書の言う「普通家屋」なる建物の姿をイメージすることは至難の技であり、おそらく珍奇なものに映るはずです。自分の家はもとより、身の回りに目にすることもないからです。簡単に言えば、《絶滅危惧種》を探すようなもの・・・。

一方、いわゆる《現代的開発》から「取り残され」、いわゆる《現代的繁栄》とも程遠い地域に生まれ育った方がたにとっては、自分の「家」や、あるいは「隣近所の家々」「近在の家々」について、つまり「身近なこと」について書かれている、そう思うに違いありません。そして、「あそこのところはこうしてつくるのか」、「あそこはこうなっているのか」・・・、とあらためて知って納得するのではないでしょうか。
   私が育った家は、昭和15年(1940年)に建てられた建物。ほぼこの書のいう「普通住家」に一部洋室を追加した大正~昭和の頃の典型的な建屋でした。
   雨戸の開け閉めは子どもの役目。雨戸の話は、子どもの頃を思い出させ、その桝目で「九九」を学んだ竿縁天井の「構造」では、天井裏を覗いたときのことを
   思い出しました。
   私が「ベニヤ板」という語を知ったのもこの竿縁天井。天井板が杉の杢目の薄板(veneer)を貼った「合板」だった。当時は「合板」の「創成期」だったのです。
   雨漏りでシワシワになったのを覚えています。糊に耐水力がなかったのでしょう。
   それゆえ、身構えるような門や玄関などの項を除けば、この書に違和感を覚えるところは少なく、むしろ新たな「知識」を教わる点がかなりありました。

最近会った若い大工さん(若いと言っても40代はじめと思いますが)も、この書の紹介を読んでいただいておりました。
詳しく聞いたわけではないのですが、この方の場合は、「現場」で親方からいわば「身をもって」教えられてきたことが「文章化」されている点に「関心」があったようです。多分、こういう仕事が最近は減っているはずですが、紹介されていることの大半は「分ること」のように思われました。

つまり、ある事象を(たとえば、この書の内容を)「分るか、分らないか」は、先ず第一に、その人が、何処で(どういう環境: surroundings で)生まれ、育ったか、が大きく関係しているのです。要は、「経験」「体験」の「内容」次第ということ。単に「語彙」を知っているだけでは「分っている」ことにはならないのです。
   「語彙」を知ることは勿論必要です。
   ただ、「語彙」を知っているだけでは「知ったこと」にもならず、必ず、その「裏打ち」としての「具体的な事象との遭遇」が要るということです。
   あえてこんなことを言うのは、最近、「日本家屋の名称」の検索から当ブログに寄られる方が妙に多いな、と感じているからです。
   「日本家屋」で何をイメージしているのか、あるいは、なにゆえに「名称」を知りたいのか、を知りたいものだ、といつも思います。

では、この書の書名は、なぜ「『日本』家屋構造」となっているのでしょうか?「日本」と限定することにどういう意味があったのでしょうか?
最近の日本人のある部分にまたぞろ見かけるようになったいわゆる「ナショナリズム」的意味があったのでしょうか?
この点を理解するには、「この書の刊行の謂れ」を知る必要があります。
この書は、代々大工職の家に生まれ育った著者・齋藤兵次郎氏が、氏の勤める東京高等工業学校で建物づくりについて学ぼうとする若い人たちのための「教科書」として編んだ書です(「『日本家屋構造』の紹介-1」の序文参照)。
東京高等工業学校は、現在の東京工業大学の前身です。これがどのような教育機関であったかは、当時:明治期の建築教育の様態を知る必要があります。
   この点については、すでに下記で大まかに触れていますのでご覧ください。
   ① 「日本の『建築』教育・・・・その始まりと現在
   ② 「『実業家』・・・『職人』が実業家だった頃
   ③ 「語彙にみる日本の建物の歴史・・・『筋交』の使われ方
   ④ 「日本インテリへの反省
明治政府は、我が国の「近代化=西欧化=脱亜入欧」策の一環として、建物の西欧化を期し、そのための教育機関を設立します。工部大学校・造家学科、現在の東京大学工学部の前身です(①をご覧ください)。
「西欧化」が主眼ですから、そこでは当初から自国の建物づくりについて知ることは不要とされました。
ところが、「近代化」を学ぶために西欧に留学した《エリート》たちが知ったのは、西欧の人びとは、「自国の建物」、というより「自国の文化」を当然のこととして会得している、という事実でした。「日本建築辞彙」の著者の中村達太郎氏もそのひとりです。そこで、「反省」し、自国について、やっと学び始めるのです。そして、わざわざ「日本」家屋とか「日本」建築という呼称がを付けられるようになるのです。この点については、③をお読みください。
一方、そういう教育に異を唱えた方も居られました。「建築学講義録」を著した滝大吉氏はその先駆者でしょう。②で触れていますが、そこでは、西欧、日本の別を特に意識することなく、「建物を『造る』技術」の視点に意を注がれています。
   今でも、日本の木造建築は世界一、などと思っている人が結構居られます!こういうランク付け・比較はまったく無意味・無用です。
   日本(という地域)には、「その環境: surroundings 」に見合う建築技術として独特の木造建築技術が培われた、に過ぎないのです。
   どの地域でも全く同じ。それぞれの地域にその地域特有の技術が育つ。この厳然とした事実がとかく忘れられる
。これについては④をお読みください。

それでは、この「教科書」で学んだ高等工業学校の学徒たちにとって、この書の内容はどのように受けとめられたでしょうか?
多分、そこで例示されている諸事例は、彼らにとっては、特に目新しいものではなかった、と思います。たとえば「家屋各部の名称」も、「名称」は知らなくても、その名を付けられている「「もの」そのものは、どれもどこかで目にしたことのあるものであったに違いありません。つまり、名前を知らなかっただけ。小屋組その他の構造部材についても同様だったでしょう。当然、いわゆる「普通住家」なども決して目新しいものではなく、ことによると自分の家がそうだったりする・・・・。身構えるような門や玄関なども、身近なところで知っている。だから、この書の内容についての彼らの「理解」は、容易であり、早かったのではないかと思います。

ところが、今はそうはゆきません。かつてはあたりまえであった我が国の建物を理解するためには、先ず、「そういう事例の存在を知る」こと、「目にすること」、あるいは「目にする機会を用意すること」・・・から始めなければならないのです(こんな「先進国」は日本だけでしょう)。
そのような「用意」として、各地に「建物」や「街並」が「文化財」として維持保存され、あるいは「資料館・博物館」なども設けられています。しかし、私には、いずれもが単なる「観光資源」扱いにされ、本来の「文化を知る」ための働きをしているようには思えない場合の方が多いように思えます。
   私は、「文化財」よりも「文物」という表記の方が適切ではないか、と考えています。中国では「文物」です。
   文物 : 一国の文化が生み出したもの。芸術・学問・宗教・制度などを含めた一切のもの。(「新明解国語辞典」)
最も最近の例で言えば、今話題の「富岡製糸場」。訪問者の多少に一喜一憂しているだけでよいのでしょうか。この「遺構」について、5W1Hで問う気配がまったく感じられません。5W1Hで問うとき、見えてくるものはきわめて豊饒のはずなのです。
   富岡製糸場が、なぜ完全な形で現存し得たかについて詳細に報じたのは、私が知る限り、毎日新聞だけでした。
   富岡製糸場を政府から引き継いだのは民間の片倉工業です。
   片倉工業は、富岡製糸場存立の「意義」を深く認識し、工場の稼働停止後も、製糸場全体の機能維持に全力を挙げてきたのです。
   それゆえ、現在でも、機械等はすぐに動かせるのです。
   片倉工業は信州諏訪の片倉家が創業した製糸業。
   諏訪にも製糸工場があり、諏訪地域の人びとに広く開かれた温泉保養施設「片倉館」を建てたのも片倉工業です。今も活きています(重要文化財のはず)。     
   また、富岡製糸場の開設にあたり大きな力があったのは、「指導」「支援」にあたったフランスの一青年の尽力です。
   彼は、単に母国の「先進技術」をそのまま富岡にもってきたのではありません。彼は、日本の生糸生産地を訪ね日本の技術を調べ上げ、
   日本の状況に適した器械を設計し、場所を慎重に選び、富岡製糸場を造ったのです。片倉工業は、この考え方・精神を「尊重」「継承」したのです。
   私たちは、富岡製糸場を通し、近代フランスの青年の「思想」と、「経済」の王道をゆく明治の「企業人」の「考え方・思想」に迫ることができるのです。
   この「思想」は、かの「近江商人」の思想にも通じる近世の人びとに通底する「経済」観と言ってよいのではないでしょうか。
   そしてそれはいずれも、現代日本の人びと、特に政治家や企業人そして学者の多くが、どこかに置き忘れてきてしまった「思想」のように私には思えます。

さて、このような現在の「文化状況」は、どうしたら乗り越えることができるのでしょうか。

それは、「明日」は「今日」がなければ成り立たず、「今日」は「昨日」がなければ成り立たないのだ、という厳然たる事実を、各々が認識に努めることではないか、と私は考えています。すなわち、「歴史を正当に認識する」ということ(もちろん、「認識する」とは、今一部の人びとにみられるような「自分の都合のよいように認識する」ことではありません)。
もっと簡単に言えば、常に「謂れ」を考える、すなわち常に5W1Hで問い続けること。
とりわけ、近世~現在の変遷を、多少でも身をもって体験・経験し得た私の世代の責任は大きい、と思っています。


ところで、「日本家屋構造」の初版は明治37年です。
その十数年前の明治24年、濃尾地方に大きな地震がありました。新興の建築家・建築学者を震撼とさせた「有名な」地震です。多くの建物が被災しています。大半が木造の建物です。
   もちろん、木造ゆえに被災したのではありません。大半が木造だった時代ですから当たり前です。
   しかし、一部の学者は「だから木造はダメだ」と騒いだ・・・。この《伝統》は、依然として現在も学界に「継承」されています。
   この点については、下記で触れています。
   「学問の植民地主義
   「木造家屋と耐震・耐火研究」[リンク先を追加しました。26日16.05]
濃尾地震の後、学者の間では、上記記事でその詳細を触れているように、木造建物の「補強策」が話題になりました。軸組に斜材を入れる方法がクローズアップされます。すなわち「筋叉(筋違)」。
また、金物(主にボルト締め)による仕口の「補強」も薦められ始めます。

では、そういう地震被災の後に刊行された「日本家屋構造」に、最新の「耐震策・技術」が紹介されていたでしょうか?紹介してきたように、「筋叉・筋違」の語は、何処にも見当たりませんし、金物使用も、西欧の工法の紹介どまりと言ってよいでしょう。

つまり、この書の著者は、大地震を経験後も、近世の工法(石場建て、軸組、小屋組を「貫」で縫う工法)を、いわば自信をもって紹介していた、と言ってよいように思えます。
   現在では、大地震を経験後十年もすれば、かならず《新たな耐震補強策》が奨められているでしょう・・・・。

「日本家屋構造」の所載の内容は、図版を含め、多くの現在の建築関係参考書に編集・転載されています。実際、日本の近世までの建築技術は、職方の家に秘匿されていましたから、この書はその意味で極めて稀有、貴重だったのです。
この書の内容には、若干、私には「形式」化した「型の継承」としか思えない箇所がありますが、そのような「形式化」現象をも含め、、そこに至るまでには、はるかに長い「前段の経緯:歴史・謂れ」があるはずです。
その「謂れ」を見通し得たとき、明日も見えてくるはずだ、そのように私は思っています。「形式化したがる」のも人間の本性、その「形式」は何を意味しているのか・・・。

それにしても、紹介しながら新たに学んだことがたくさんありました。何とかの手習い・・・。

近時雑感 : 梅雨晴れ

2014-06-14 14:19:45 | 近時雑感


久方ぶりに梅雨らしい梅雨の毎日。子どもの頃の梅雨を思い出しています。夏休みが始まるまで、毎日ぐずついていたように思います。
去年はこんなには降らなかった。今年は「梅雨寒」「梅雨晴れ」「降り籠められる」というが復権した感じです。

写真は、昨日13日の朝の風景。ネムノキの上に青空が輝いています。まさに「梅雨晴れ」。気分がいい!!
降り籠められていた間、低調だった体調も、晴れると快調になります。きわめて敏感に反応します。五感の大事さを実感します。


しかし、世の動きは梅雨晴れどころか、いっそう憂鬱になることばかり。
いい歳をした「大人たち」が、どうしてこうまでして「いくさごっこ」の「夢」に夢中になるのでしょうか。その「想像力の凄さ」に驚きます。
その「想像力」を、「福島原発被災地の暮し」にも馳せてみたらいかがでしょうか。

ときどき、こんなことを考えます。
例の「除染で出た『廃棄物』」の『中間貯蔵施設』は、国会議事堂前の広場につくったらどうか、と。そうすれば、「国」や「議員」の本気度が世界に示されるはずではないか。
考えてみてください、そこでつくれないのであるならば、他の場所でもつくれるわけがない。
「議事堂前にはどうしてもつくれない」という「合理的な理由」を、一つでも挙げられますか? それは存しないはずです。

そういう事態を考えてみるだけで、『中間貯蔵施設』の場所は安易に決められない、という「事実」を認識できるはずだ、「想像力」が、要らぬところにだけ注がれている、そう私には思えるのです。


梅雨の晴れ間の一時、今日は朝の涼しいうちに、リハビリを兼ねて、路側の草刈りをしてきました。前回からひと月ほどしか経っていないのに、この雨続きで、一気に伸びてしまったのです。生命力の凄さ! 少しばかり、さっぱりしました。

「日本家屋構造・中巻:製図篇」の紹介-24 :附録 (その9)「仕様書の一例」-6(終回)

2014-06-11 15:28:20 | 「日本家屋構造」の紹介


二十九 普通住家建築仕様書の一例(一式請負の時)」の項の原文を編集、A4判6ページ(右上に便宜上ページ番号を付してあります)にまとめましたが、現在、仕様の具体的内容部分(2~6ページ)を紹介中です。

           **********************************************************************************************************

[文言改訂 12日 8.20][文言改訂 12日 10.20][誤字訂正 12日 11.30]

紹介は、原文を、編集したページごとに転載し、現代語で読み下し、随時註記を付す形にします。
今回は、その最終回、6枚目の建具、畳などの仕様の項の紹介になります。

はじめに原文。

以下、見出しを付け、現代語で読み下します。

〇 雨戸
 材料 
  框 : 樅
  鏡板 : 杉 四分板 無節 三枚矧ぎ 7本桟とし、は上下ともで止める。
 仕様 
  閉めたとき、戸袋寄りの最後の建具に、上げ猿落し猿を仕込み、また、戸相互の召合せ部には、召合せ决りを設ける(下図の雨戸建具平面詳細図参照)。
  建具は実際に建て込み、建付けを調整する。 
    註 原文の「・・・七本桟上み下も止め」は、「7本の桟のうち、上下は框としてつくる」という意に解しました。
        近世の雨戸は、通常、上框を設けず、両側の縦框を角のように出し先端を决り一筋鴨居の溝を滑らす方式を採っています。
        も、上桟より上部にはねだし、を滑ります。
        原文には、材寸などが指示されていません。
        そこで、一般的な雨戸の事例の参考として、滋賀県大津の近世の商家旧西川家の雨戸の詳細を転載します。
        旧西川家は、宝永3年:1706年に建設された近江商人の代表的な商家で、内法高五尺七寸の当時の標準的な矩計で計画されています。
        それゆえ、雨戸なども、当時の標準的な仕様でつくられていると考えてよいと思います。
        なお、図は、滋賀県 刊「旧西川家住宅修理工事報告書」より、筆者が抜粋し編集したものです。
        はじめに、旧西川家の平面図(図の上方が北東、下方が南西)と、雨戸詳細図
        下段の雨戸・平面詳細図は、平面図の赤枠内に相当します。
        右側の図は、建具:平面詳細図・立面図・組立図です。材寸は、当時の標準的な寸法でしょう。

    註 上げ猿、落し猿 : 雨戸の戸閉装置。建具に仕込んだ扁平の棒敷居、鴨居に彫った穴に差し、戸の動きを止める(下図参照)。
      下図は前掲修理工事報告書から、左が上げ猿、右が落し猿の立面図。これらは縦猿とも呼ぶようです。
      上げ猿の場合、の下るのを避けるため、図のように横棒を飼います。下げ猿に設けることもあります。
      なお、建具相互をつなぐ横猿を設けることもあります。建具を一枚ずつ外されないようにする工夫です。
      横猿は、上の雨戸建具詳細図・立面図に描かれています。
      の実物は、各地の保存民家や博物館、資料館などで見られると思います。
        この装置を、なぜと呼ぶかについては、諸説あるようです。
       

      召合せ决り : このほかに、縦框に台形の凹凸を削りだす印籠决り(いんろう しゃくり)と呼ばれる方法があります(現在はこれが普通では?)。
        これは、印籠の蓋のように噛み合わせることからの呼称のようです。
 
        次図は、一筋敷居・鴨居、戸袋:断面詳細図です。

      蛇足 「旧西川家住宅修理工事報告書は、建具の詳細図が載っている稀有な修理工事報告書の一ではないかと思います。
          詳しくお知りになりたい方は、同書の「調査事項」(122~187頁)をご覧ください。
            国会図書館の複写サービス(当該部分を指定)が受けられます。
                
〇 便所の開き戸
 材料 雨戸に倣う。すなわち、框は樅、鏡板は杉 四分板 三枚矧ぎ舞良戸(まいらど)に仕立て、肘壷にて具合よく釣り込む。
    註 舞良戸 : (板戸の)表裏に幅6~7分内外、厚さ4~5分程の木(舞良子)を横に(繁く)打付けた板戸を言う。縦に打つ場合もある。各種の意匠がある。
             (「日本建築辞彙」ほかによる)
〇 表入口の格子戸
 材料 すべて檜
  縦框 : 見付 1寸2分×見込 1寸  下框 : 成・丈 1寸4分×見込 1寸  上框 : 成・丈 1寸6分×見込 1寸
  にはを設け、上下の縦框に二枚枘で差し、面は隅で「面腰(めんこし)を押す」。
    註 面腰を押す 下図のようにつくり納めることをいう。(「日本建築辞彙」による)
       二枚枘は雨戸の組立図参照。
        
  竪子(たてご) :縦の格子見付 7分×見込 8分 大面取り 15本。上下は枘差し、5本のを通す。ただし、中央の掛子彫をして割貫とする。
  なお、各部の仕口は、糊付けを併用する。
    註 掛子彫、割貫については、前回に説明。
    註  「押糊入れ」「押糊飼い」という表現は、職方の常用語なのでしょうか。
       「面腰を押す」という表現を含め、「押す」という動詞には、職方独自の意が与えられているのかもしれません。「押角」も?
       
〇 明り障子(表八畳間縁側境4枚 腰板付、表出格子4枚 水腰、玄関2枚)
 材料  
  縦框 : 見付 1寸3分×見込 1寸  下框 : 成・丈 1寸3分×見込 1寸  中桟 : 成・丈 9分×見込 1寸  上框 : 成・丈 1寸6分×見込 6分 すべて檜
  組子 : 杉柾 見付 2分×見込 5分5厘 横繁
  腰板 : 杉柾
 框、桟の仕口は包み込枘差しとし、糊付を併用して組立て、建付けを調整後、引手張りも含め上美濃紙を張る(貼る)。
    註 引手張り : 引手にあたる部分の一ますだけに、紙を反対側に張る。その部分だけ部になり手が掛けやすくなる。[誤字訂正 12日 11.30]
             表側の紙を×形に切り、折り返し反対側の紙に張り付け、×形が見える場合が多い。
〇 明り障子(その他の個所)
  材料樅の上等品を用い、材寸は前者に倣い、組子は見付 2分5厘×見込 5分 、紙張り同前。
    註 腰板付障子水腰障子の例を前掲「旧西川家修理工事報告書」より、抜粋転載させていただきます。

      左が腰板付。ただし、この例は腰板に目板様の格子がついています。原文の腰は板を矧いで嵌めてあるだけ。
      右が水腰腰のない明り障子を水腰と呼ぶ。その理由は「腰を見ず」つまり腰がない、という説があります。
        原文に「水腰」とありますが、普通は「」の字は付けないのではないでしょうか。
      原文にある包み込枘差しとは、組立図のように、横材のを貫かず、框内に納める方法のこと、と推察します。
        以前に紹介の武家・横田家の飛貫にも「包み枘差」が使われていましたが、その場合は、「地獄枘差し」と同義と考えるのが妥当と判断しました。
        しかし、このような建具の場合は、上記の意と思われます。
〇 腰高障子(台所入口)
  材料は樅
  縦框 : 見付 1寸3分×見込 1寸  下框 : 成・丈 1寸5分×見込 1寸  中桟 : 成・丈 1寸5分×見込 1寸  上框 : 成・丈 1寸6分×見込 6分
  組子 : 6分角 横の組子横子)を西の内紙の幅の二つ割で、縦の組子(竪子・縦子)は中三本を入れて組む。
          腰高は、内法高さの中央を中桟の上端とし、裏桟(見付 1寸×見込 6分)二本を設け、杉 赤身 無節板を糊で三枚矧いだ腰板を四周の小穴
          嵌め 引手板ともども組立てる。
    註 美濃紙美濃の国・岐阜県産の和紙、西の内紙は茨城県北部西の内産の和紙。
       明り障子組子の間隔は、張る紙の寸法に応じていた。
〇 襖
  材料 椹(さわら)
  化粧竪(縦)縁 6分角、下桟 見付 7分×見込 6分、上桟 見付 9分×見込 6分召合せ定木縁蒲鉾形につくりだし、いずれも黒漆塗り仕上げとする。
  下地骨組 組子 見付 6分×見込 5.5分力骨 見付 8分×見込 5.5分
        下地骨組は、縦3本、横11本とし、そのうち縦1本 横3本力骨が兼ねる。
        隅は襟輪目違入りで糊を飼い木釘にて打付け、四隅力板、引手部に引手板を切込み打付ける。
        竪縁は、上下を角柄を伸ばし、横縁上端にて切断し、現場に合わせ調整する。
    註 原文の「張付組子・・・」以下を、上記のように解しました。
       この説明に相当する襖の骨組図学芸出版社刊「和室造作集成」より転載させていただきます。表示寸法はmm表記(18×16.5≒ 6分× 5.5分)。
       
  紙貼り(張り) 下貼り骨縛り一度以上、下張り四遍仕上げ(都合五遍仕上げ)、上貼りは、唐紙(からかみ)を貼る。     
    註 骨縛り襖貼りで最下層になる紙貼りのこと。
       四遍、五遍⇒四回、五回の意
     
  化粧縁の取付け 貼り下地竪縁折釘を仕込み、化粧竪縁に設けた凹部を当て、上部から化粧竪縁木口を叩くと折釘に刺さり下地竪縁に密着する。
              張替の時は、この逆、下部の木口を叩いて外す。[文言改訂 12日 10.20]
    註 各部の詳細図を、前掲「和室造作集成」より抜粋編集し転載させていただきます。表示寸法はmm表記。
   
   左上は、引違の場合の平面詳細、左下は召合せ部の「定木縁」の例(この図では「定規」と表記)。
   中央は断面詳細。右図は、化粧縁取付けの折釘おりくぎ、おれくぎ。図では「合折釘:あいおれくぎ」と表記)化粧縁の納まり図。
   図の竪縁表記が化粧竪縁(黒い部分)。折釘は、下地側に打込んである。
  引手金物 上等品を用いる。
      
〇 畳
  畳床(たたみ どこ) : 八畳間二間は刺数(さしかず)十一通し、他の三間は九通しの品。
    註 刺数 : 畳床を糸で縫い締める針を刺す通りの列数の意と解します。どなたか、詳細のご教示を![文言改訂 12日 8.20]
  畳表(たたみ おもて) : 八畳間は備後(びんご)、他は「表前仝断早嶋表を用い」る。
    註 備後 : 備後(広島県東部地域)産の畳表。
       「表前仝断早嶋表を用い」の意不明。どなたかご教示を!
  (へり) : 紺(色の)縁の上等品。

〇 其の他 補遺
 工事中、不明な点が生じたときは、すべて係員の判断を待つこと。
 工事中は、指図に従い随時大掃除を行い、火の元を十分警戒し、指定場所以外の喫煙を禁じる。
 (請負工事のときは)請負人は工事進行中諸法規を遵守し、自己の怠慢より生じた諸損害はすべて請負人が負担する。
 工事に従事する人夫職人は従順にして勤勉な者とし、喧嘩口論を好む輩は一切従事することを認めない。
 以上は仕様の概略で本工事の程度を示したもので、明記のない個所であっても、建築上欠くべからざる工事は請負人の負担をもって指図通り施行する。


  [以上で「仕様書の一例」の紹介はすべてです。]

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不明な点がいくつかありますが、ご存知の方は是非ご教示くださるよう、お願いいたします
内容を理解するため、いろいろと調べることになり、「あらためての学習」になりました。もっとも、その分、時間がかかってしまい、恐縮しております。

「日本家屋構造」には、主に参考図からなる「下巻」があります。これをどうするか考え中です。 

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近時雑感 : 初夏の風物

2014-06-02 14:45:00 | 近時雑感


六月になりました。早いものです。

写真は、近在の畑の地境に植えられているウノハナ:ウツギです。
盛りは過ぎましたが、香りに誘われてハナムグリやいろいろなチョウが群がっています。
ホトトギスは、当地には五月のはじめごろから現れ、今も、毎朝けたたましく啼きながら翔んでいます。
近くの藪では、ウグイスが四六時中忙しく囀り、時折キジも鋭く啼いています。
いつもならキジは山に帰る頃。もしかしたら、このあたりが山になったのかも・・・。
神社の杜からはキツツキのドラミングが聞こえてきます。音の大きさからすると、アカゲラかもしれません。
夜になれば、神社の杜や近くの林からは、コノハズクでしょうか、ホーホーと寂しげな声が響いてきます。たんぼからはカエルの声。
今は、彼らの季節なのです。
  コゲラは近くまで来るので見かけるのですが、アカゲラコノハズクは、まだ姿を見たことがありません。

季節外れの猛暑とのこと。
たしかに暑くなりました。が、さいわい当地はいまのところ爽やかな風が通り、いい季節です。