今日は「憲法記念日」です。
現行憲法の誕生について、今日の東京新聞の社説に、明解な解説が書かれていました。
認識をあらたにさせていただきました。以下に全文を転載させていただきます。
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自民党により憲法改正が具体化しようとしている。九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべき憲法記念日である。
ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。
一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。そこに書かれた示唆に富んだ話である。
◆「何ら変更はない」とは
<ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう>
執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。そこで尾高はこう記す。
<一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる>
この例えを念頭に九条を考えてみる。基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。国の在り方を決定付けているからだ。
九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。
だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。
◆消えた「必要最小限度」
もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。
動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。
安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。
憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。
このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。
歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。
それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。
それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。
また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。
しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。
歴史学者の笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。
◆戦争する軍隊になるか
他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる-。「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。それを恐れる。
現行憲法の誕生について、今日の東京新聞の社説に、明解な解説が書かれていました。
認識をあらたにさせていただきました。以下に全文を転載させていただきます。
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自民党により憲法改正が具体化しようとしている。九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべき憲法記念日である。
ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。
一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。そこに書かれた示唆に富んだ話である。
◆「何ら変更はない」とは
<ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう>
執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。そこで尾高はこう記す。
<一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる>
この例えを念頭に九条を考えてみる。基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。国の在り方を決定付けているからだ。
九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。
だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。
◆消えた「必要最小限度」
もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。
動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。
安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。
憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。
このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。
歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。
それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。
それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。
また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。
しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。
歴史学者の笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。
◆戦争する軍隊になるか
他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる-。「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。それを恐れる。