明治の3階建て町家・・・・旧・東松家住宅

2009-11-09 17:55:17 | 日本の建築技術
[註記追加 18.56][註記追加 19.14]

鬱陶しい話題からしばしの安息を!

木造3階建て建物の倒壊実験で、かつて観た明治村の木造3階建て「旧・東松(とうまつ)家住宅」を思い出しました。
これは、どこに出しても恥かしくない建物。ただ3階にすればいい、などと思ってつくった建物ではありません。
昭和49年(1974年)に重要文化財に指定されています(明治村移築後)。

昔撮った写真を探しましたが出てきません。そこで「日本の民家」(学研)、「日本の美術」(至文堂)のお世話になります。
図面は「日本の民家」から転載し、文字等を編集しなおしてあります。

木造の3階建ては、決して珍しいことではありません。
山形県尾花沢の「銀山温泉」には、木造三層四層の旅館が軒を並べています。
たしか、信州上田の「別所温泉」や、群馬の「四方温泉」にもあるように思います。
どこも、100年程度を経ていますが心和む建物です。

温泉街に多いのは、山あいの狭い土地で、建物の容積を大きくとる工夫なのでしょう。そういう技術は、かつての工人たちにとって、難しいことではなかったのです。

「旧・東松家」は、江戸時代の末から名古屋の中心部で油問屋を営んでいます。
名古屋城に通じる「堀川」(運河)に面し、一帯には食料品などを扱う問屋が軒を連ねていたといいます。

「旧・東松家」は、建設当初:江戸の末では平屋建てでしたが、明治28年(1895年)2階建てに、そして明治34年(1901年)3階建てに増改築され、現在の姿になっています。
当然、濃尾地震など幾度かの大地震に遭っています。

戦後に名古屋市の区画整理を機に「明治村」に寄贈され、昭和40年(1965年)「明治村」内に移築されています。
上の外観写真は「明治村」内での写真。両脇に続く街並みがないため、何となくひょうきんです。

しかし、内部の空間構成の妙は、写真にはならない素晴らしさ。実に見事です。
特に2階の茶室のあたりでは、建物の中に居ることを忘れてしまうほどです。

また、町家は一般に薄暗いですが、「東松家」の中が、実に明るかったのが印象に残っています。天窓や高窓からの自然光がふんだんに入ってくるからです。

   註 「通りにわ」の大戸口から見た写真(左側)の「みせ」と「奥」の境には
      欄間が設けられています。
      おそらく往時は「暖簾」が下がっていたのではないでしょうか。

      また、「通りにわ」の奥の2階を斜めに横切る明り障子入りの壁は、
      「茶室」から奥の座敷へ降りる階段への「畳廊下」の壁です。
      外の「露地」を歩いているかの錯覚を覚えます。

      いずれにしても、かつての工人たちは、建物をつくるとはどういうことか、
      よく心得ていたのだと思います。
      [註記追加 18.56]

同じように、中に入って感嘆した建物としては、近江八幡の「旧・西川家」そして、これは商家ではありませんが、京都・清水下の「河井 寛次郎邸」などが思い出されます。
その素晴らしさは、いずれも、実際に訪れないと分らないのではないかと思います。つまり、写真にはならない・・・。

   註 河井 寛次郎は陶芸家で、柳宗悦たちと「民芸運動」を起こす。
      「河井邸」には登り窯もあります。
      「河井邸」は河井 寛次郎自身の設計で、故郷の島根の大工が建てたそうです。

もしも、明治村に行かれる機会がありましたら、「東松家」に、寄ってみてください。

   註 柳宗悦の話を出したので、「日本民藝館」へも、行かれてない方は
      是非一度行ってみてください。
      建物も、織物をはじめとする収集品も素晴らしい。
      東京・駒場にあります。渋谷から井の頭線で直ぐ(駒場東大前下車)。
      宗悦の自邸もあります(いつもは観れません)。
      [註記追加 19.14]

以上、しばしの安息。
コメント (4)
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