日本の建築技術の展開-29・・・・住まいと架構-その6:二階建ての町家-2

2007-05-30 00:57:47 | 日本の建築技術の展開

 「豊田家」のおよそ180年後に建てられた「高木家」。酒造・醸造業を営んでいた。
 二階建だが、「豊田家」とは異なり、二階は床がすべて同一面、天井は高さが低いが竿縁天井として小屋裏を隠す。このような二階建を、本格的な二階建「本二階」と呼ぶ。
 二階は、積極的に、私的な空間として使われたという。

 架構は、「豊田家」と同じく、各間仕切の交点を「通し柱」として相互を「差鴨居」で結び、「差鴨居」上の束柱で「根太掛け」を受け、「根太」を渡す方式。一階は基本的に「踏み天井(根太天井)。

 しかし、「豊田家」とは、次の点が大きく異なる
 ① 四周に「土台」をまわす。ただし、現在の「布基礎+土台」方式ではなく、
   礎石上に「土台」を流し、柱を立て、床位置の「足固め」「大引」で脚部を
   固める方式。
 ② 可能なかぎり「貫」を入れて柱相互を縫う。
 ③ 「通し柱」はすべて約4寸3分(130mm)角とし、大黒柱を用いない。

 つまり、この建物は、その時代までに蓄積されていた「土台」「通し柱」「足固め」「貫」「差鴨居」という技法のすべてを自在に使った、きわめて洗練された方法で建てられている、と言ってよい。
 大黒柱なしで、柱径をすべて4寸3分角とすることができたのも、この方式に拠るところが大きい。その意味で、現在でも大いに参考になる事例と言えるだろう。

 言ってみれば、「豊田家」~「高木家」の180年は、こういった数々の技法を「消化する」時間だった、と言えるのかもしれない。各所の「仕口」「継手」などもきわめて合理的な洗練されたものとなっている。

  註 この建物でも、柱径が4寸3分角である点が興味深い。
 

 ところで、現在の木造の多層建物では、各階の間仕切位置が一致しない例が多い。つまり、二階(以上)の階では、階下の構造とは無関係に間仕切が設けられる例がきわめて多く、しかもそれがあたりまえと思われている。過日、昨今見かける「不可思議な」架構の例を紹介したが(2月5日)、それもこの《習慣》によって生じている場合が多い。

 それに対して、近世につくられる二階建(以上)の建物では、「豊田家」「高木家」と同じように、主要な架構と各階の間仕切は、原則として一致させるのが当然の仕事であった。逆に言えば、各階の空間構成を見通した上で架構を考えたのである。今でも、鉄骨造やRC造では、これが「常識」ではなかろうか。

  註 なお、現行の「壁倍率の計算」をすると、
    この建物は、東西方向(桁行方向)の壁量が不足する。
    つまり《耐震性がない》とされるはずだ・・。
    しかし、かれこれ1世紀半以上健在である。豊田家」も同様。
    というより、現存の重要文化財の建物の大半は同じはず。
    《耐震》学者は、これらの建物の「対震」について、
    謙虚に検討すべきなのである。

 図・写真は「日本の民家6 町家Ⅱ」(学研)より転載・編集。
 なお、平面図中の番付は、「高木家修理工事報告書」記載の番付にしたがい、筆者加筆。

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