「基準」がないと、良いものができないか・・・・むしろ「基準」は技術を衰退させる

2009-11-25 11:01:58 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[文言追加(末尾追記) 15.22][文言追加改訂 26日 3.43][文言追加 26日4.03]

ここに2枚の「絵」があります。
どちらも19世紀中頃、イギリスでつくられた鋳鉄製鋼管で架けた橋を描いた絵です。
上は1846年、下は1858年の構築。写真がない時代ゆえに絵で描かれています。

ちょうどこの頃は、ウィリアム・フェアバーン( WILLIAM FAIRBAIRN )たちが、鉄の活用のために、事前の計算で部材の形や構築物の強度を確認する方法:「材料力学」「構造力学」の端緒にたどりついた頃です(下註参照)。
   
   註 「鋳鉄の柱と梁で建てた7階建のビル・・・・世界最初の I 型梁」

ですから、この橋梁は、「構造力学」に拠ったのではなく、設計者の「想像力」「創造力」に拠ってつくられたと言ってよいと思われます。
ともに Engineer:I.K.Brunel による計画。どのような方であるか、分りません。


1846年 Ivy Bridge Viaduct (Viaduct:高架橋)


1858年 Gover Viaduct,Cornwall Railway

この絵を見て分ることは、この橋は、いずれも、多分石積みと思われる橋脚の上から、鋳鉄製の鋼管支柱を扇状に立てて床を支える、という考え方でつくられていると推察されます。日本流に言えば角度の異なる「方杖」を多数設けて支えよう、という発想です。
TVの映像で、たしかパリのセーヌ川にかかる似たような架構の橋を見て、どこかで見た覚えがある、といろいろ探ってこの絵を探し出しました。
“GREAT ENGINEER”(ACADEMY EDITIONS, LONDON 刊)という書物が出典です。

下の鉄道橋をよく見ると、扇型は長手方向だけではなく、短手方向にも、つまり直交方向にも扇型の支柱がつくられています(アアルトの町役場の議場の木造天井のそれに似ています:「トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-5」)。
ただ、両側の橋脚からなされ、途中に水平な「繋ぎ」をとっていますから、この部分は、いわゆるトラス、あるいはラチス(格子)状になっています。
これは、床板をいかにして支えるかを考え抜いた末たどりついた方策と考えてよいでしょう。それは、それまで、木造の建物であたりまえに行われてきた方法の応用に他なりません。
先の水平の「繋ぎ」も、2本の柱を梯子型に構成すると、俄然丈夫になることを知っていたからです。技術者の多くの現場での体験が活用されたのです。
その結果、全体は、今のいわゆるトラスよりも美しい。[以上、文言追加改訂 26日 3.43]
これは、世界最初の「鉄の橋」が生まれる過程、それを生んだ発想と同じなのです(下註)。

   註 「鉄の橋-1」

大分前に、「建築学講義録」の西洋小屋組:いわゆるトラス:の解説を紹介しました(下註)。
そこでは、「力の分解」という解説ではなく、「いかなる現象が生じ、それを避けるにはどうしたらよいか」という視点で、つまり「つくる視点」で解説されています。その解説から、トラス組の「発展の経緯」も分ります。

   註 「トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-3」

今なら、力の分解ベクトル図で、引張り、圧縮に分けて解説するでしょう。
しかしそういう解説をするようになるのは、後になってからの話。

トラスを思いついたのは、そういう「理屈」が先なのではなく、現場での目的:たとえば川の上を長い距離飛ばした床をつくる、という目的へ向けての「体験に基づく知恵」の総動員・工夫が先で、「理屈」は後からついてくるのです。
主役は、学者ではなく、現場の工人たちなのです。そして彼らには「直観力」があった。
すなわち「力学」が先ずあってそれに拠って構築物がつくられたのではなく、先ず構築物がつくられ、その理屈の探求:後付けとして「力学」が生まれたのです。

これは、構造力学が体系化する以前に「I 型梁」がつくられたのと、まったく同じです(前記註)。
「 I 型梁」は断面二次モーメントの概念が生まれる前につくられていたのです。

今の学者・研究者の方々は、そういう「知識」なしに「 I 型梁」を発想・考案できるでしょうか。
「直観力」はあるのでしょうか?仮にあったとしても、「数字」「数値」がそれを苛むのではないでしょうか。


なぜこのような話を書くかというと、例の「倒壊しないはずの3階建て長期優良住宅」が倒壊してしまった実験についての「ケンプラッツ」の報道に対してたくさんのコメントが寄せられましたが、その中に、問題含みの見解があったからです。
私の推測では、今回の倒壊実験、その主催者たちの動向を強く支持する方の発言のようです。

  余談ですが、内容は「便所の落書き」的なものではなく、
  この実験の「予想外の展開」への「批判」を踏まえて
  この一連の実験、その考え方をを支持、援護する意見なのですから、
  私だったら、匿名ではなく実名で発言しますね。
  何か実名を出すと差し障りがあるのかも・・とは思いますが、
  無責任だ、と私は考えます。何故か。
  「批判」への「反論」を「言い放し」で終るからです。[文言追加 26日4.03]

その見解は、私のコメントに対するもの。
以下に、そのコメントをそのまま転載します。

>〇〇・・・〇は私のコメントです。なお、話を進める上で分りやすくするために、*1・・・・ を付します。

  >どうしても「基準」が必要なのですね

   基準は必要だと考えます。
   建築基準法は建築のためだけに存在するものではないはずです。
   そこに何らかの客観的基準を設けず、仮に「熟練大工の勘に従えば良い」とすることが可能でしょうか(*1)。

   耐力壁による在来工法の基準に不備があるというのは異論はございません(*2)。
   そして、半世紀の間、大地震を経験するたびに不十分な部分について改訂を重ねてきたのも事実です。
   しかし、それはメンツやシガラミあるいは伝統工法を軽視してきたからではなく、
   耐力壁+金物という剛体として扱う方法でしか客観的基準を設けることができなかったからだと思います(*3)。

  >根底の考え方の異なる伝統工法と基準法の整合性をとることが、どうやって可能なのでしょうか。

   もちろん簡単ではないと思います。
   しかし、これまで「歴史」という実験室でしか検証できなかったものが、
   Eディフェンスという実大実験装置での検証が可能になりました。
   伝統工法の研究にこれほど大きな武器はないと思います。
   だからこそ、大橋教授がされているような一連の研究に大いに期待しているのです(*4)。
   もちろん、最初から完璧なものを求めるのではなく、
   検証を重ねながらより良い基準を目指してほしいと考えます(*5)。

  >日本の(木造)建物づくりのたどってきた道筋を、あらためて学び直すこともしていただきたいと考えます

   おっしゃるとおりです。過去から学ぶことも新しい実験結果から学ぶこともどちらも大切だと思います(*6)。

*1 について

  仮に「基準」が必要だとしましょう。
  では、いったい、その「基準」は誰が設定するのでしょうか?
  神様ですか、それとも「選ばれた人たち」ですか?

  仮に「選ばれた人たち」だとして、それは誰が選ぶのですか?
  その際、「選ぶための基準」は何ですか?

  今行われている「基準・指針づくり」に係わっている方々は、
  どういう経緯で「選ばれた」のですか?
  自分で自分たちは「熟練大工」よりも「能力」がある、と勝手に立ち上がったのですか?

  そういう点について明解・明快な説明もせずに、「基準・指針づくり」を行うのは、
  「おこがましい」かぎり、だと思わないのですか?

  第一、なぜ「基準」がないと、良いものはつくれない、と思うのですか?
  どこにそういう実例がありますか?
  普通の人は、自分たちよりも「頭が悪い」とでもお考えなのですか?
  あまりにも、ものを知らな過ぎる、技術の歴史、学問の歴史を知らな過ぎるのではありませんか?

*2 について

  「耐力壁による在来工法の基準に不備がある」のを承知の上で、不備なものを「基準」にする、
  いったい、そのとき、その「基準」とは、何ものなのですか?

  「不備な基準」で何か問題が生じたら、どのような責任をとるのですか?
  「改訂」すれば済む、と考えるのは無責任きわまりない、と思わないのですか?
  企業だったらリコールものなのに、今行われている「耐震補強」のように、
  国の費用でやればいいや、とでもお考えですか?

*3 について
  
  「伝統工法を軽視してきたからではなく、耐力壁+金物という剛体として扱う方法でしか
  客観的基準を設けることができなかったからだ」という場合、
  いったい「客観的」とは、いかなることと考えているのですか?

  「耐力壁+金物という剛体でしか扱えない」ということは、
  論理的には、そうでないものは存在を認めない、具体的に言えば、
  「伝統工法」はそういう剛体でないから、その存在を「客観的に認められない」ということになりますが、
  その考え方は scientific 科学的であるとお考えですか?

*4 について

  「実大実験装置での検証が可能」になったと言われますが、
  問題は、「何を(いかなるものを)」実験装置にかけるか、です。
  先年以来行われている実験の「試験体」の、いったいどこが「伝統的」なのか、不可解です。
  実験にかけられたのは、すべて「似非伝統工法」の試験体です。
  「伝統的木造構法住宅の実物大実験について-1」以下の記事で、
  試験体がいかに「似非」であるか触れていますから、参照ください。  

  「伝統的工法」について、正確に定義がされているのですか?
  実験主催者から、その定義について説明があったことは、いまだかつてありません。
  明確な定義もないままに行われているからこそ、「大橋教授がされているような一連の研究」に
  「危惧、危険」を私は感じているのです。

*5 について

  「最初から完璧なものを求めるのではなく、検証を重ねながらより良い基準を目指」す、と言うのならば、
  その途中の段階で示される「基準」は、いったい何の基準なのでしょうか?

  なぜそんなにまでして「基準」を押し付けたいのですか?
  この論議は、*1 の問いへ戻ります。

*6 について

  これまでの「研究成果」のいったい何処に、「過去から学んだ」ことが在るのでしょうか?
  いまだかつて見たことがありません。報告書にも在りません。
  在るのは僅かな、しかも「似非試験体」の実験結果だけではありませんか。


以上、「言い放しコメント」についての私のコメントですが、当然「言い放し」の方からはもちろん、関係「当事者」からのお答えは期待していません。

私は、こういう研究者たちの実態・姿・思考形式を、多くの普通の方々に知っていただきたい、と考えているのです。

一言で言えば、学者・研究者は、特に建築がらみの学者・研究者は、全てが「公正・公平な考えを持ち、論理的であり、そして科学的である」とは限らない、ということです。
むしろ、その逆、「利系の研究者」の方が多いことに気をつけなければならないのです。

そして、そういう方々のつくる「基準」が建築の世界を「支配」するとき、世の中にはワンパターンのものが蔓延し、技術は展開することなく、衰退するだけなのです。「基準」「規定」の可笑しさ、馬鹿らしさについては、その一例を「基礎の重さ」で触れました(「基礎の重さ」)。

追記[文言追加 15.22]
最近にも紹介しましたが、大分前に書いた記事に、レオナルド・ダ・ヴィンチの
「最高の不幸は、理論が実作を追い越すときである」
「意見が作品より先にすすむときこそ、最大の禍である」
という言葉を載せています(「閑話・・・・最高の不幸、最大の禍」)。

「理論」や「意見」がリアリティとかけ離れたものであるときは、
不幸、禍などと呑気なことを言ってられない、とんでもないことになります。
建築一般、特に木造建築をとりまく現在の状況はまさにそれです。

逆に言えば、ダ・ヴィンチは、「理論」のあり方を糺したかったのではないか、と思っています。
数字にならないからといって、リアリティから乖離してはならないのです。
コメント (3)
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