この国を・・・・31: 嘘つきは・・・

2012-08-30 19:25:44 | この国を・・・

中旬のたんぼ。
今はもう、黄金色。近在ではコンバインの準備が進んでいます。

このところ、たまった用事の処理で時間がなく紹介ができなかったのですが、その間、東京webで読んでいる東京新聞には、あいかわらず、いろいろと素晴らしい論調、記事がありました。
以下に紹介するのは8月21日の紙面から。

社説は、政府が、福島県につくろうとしている「汚染土壌」のいわゆる「中間貯蔵施設」建設についての明解・明快な論。


素朴な疑問は、なぜ福島でなければならないのか。
なぜ、福島の方がたが、30年以上、生まれた土地から離れて暮さなければならないのか、それについての「釈明」を聞いたことがありません。

他の地域が設置を嫌うのは、よく分ります。
そういう問題が生じない場所があります。
それは、国会議事堂前の広場、あるいは総理官邸の広場。地下から地上まで、おそらく東京ドーム23個分ぐらいはできるのでは。
輸送が大変だ、と言うかもしれませんが、最終処分場を九州にしようと考えているらしいですから、その問題はないはず。日本は科学技術先進国なんだから・・・?!

第一、国会議事堂や総理官邸などにつくれば、日本政府の「本気度」が、世界中に伝わります。
そして、それでも足りない場合には、脱原発に反対する経団連:経済界・経済人や政治家・政党各々が、それぞれの所有地内で請負う(もちろん電力会社も含まれます)。
「それはできない」という筋道たった理由はないはずです。
福島でなければならない、という筋道たった理由もないからです。

私は、経済界の偉い方がたの、電力が足りないと産業が空洞化する、・・・という《説教》を聞くたびに、幕末から明治初期の各地で鉱山を開いた経営者たちのことを思い出します。
彼らのもとに、電気をはじめ必要な品々が存分に他所から届いていたのでしょうか。
そんなことはありません。大半が「自前」です。
たとえば、いつか紹介した小坂鉱山では、足りないものは山道をかついで自ら運び入れ、・・・自ら発電機をつくり発電所を建設し、・・、上水道を整備し、住居を用意し、病院をつくり・・・という「経営」をしていました。
鉱山特有の排出物の処理も行なっています。ゴミを出しっぱなしで平気ではいられなかったのです。
もちろん完全無比ではなかったでしょう。しかし、「気遣い」はあったのです。
現在の経済界で、「気遣い」のある会社はどのくらいあるのでしょうか?

次は、この「気遣い」とも深く関連する「ドイツの脱原発の経緯」についての記事。
ドイツが脱原発を決めたのは「倫理」。


「倫理」は、今の日本では、単なる学校の一「教科」にすぎなくなっています。
ドイツでは、そうではなく、「倫理」とは、この世で人が生きてゆくにあたっての「あたりまえの感覚」であるようです。
この「感覚」は、近世までの日本人は誰でも、皆あたりまえに備えていました。そうでなければ暮せないからです。
それを「近代化」を焦った日本は、この「あたりまえの感覚」を何処かに置き忘れてきてしまったのです。置き忘れることを奨めてきたのです。
今、日本の中枢を牛耳っている(と思い込んでいる)方がたは、この感覚をお持ちでないように思えます。むしろ、そうであることが「先進的」と思い込み、積極的に捨てることを心がけてきた。それは、先の記事で触れたとおりです。

そんななか、今日の「リベラル21」の記事の中で、今、ある種の人びとから注目されているある「政治家」の言葉が紹介されていました。この人の自著(絶版)に載っているのだそうです。
以下に引用させていただきます。
   「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。
   自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、様々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。
   ・・・別に政治家を志す動機付けが権力欲、名誉欲でもいいじゃないか!
   ・・・ウソをつけないヤツは政治家と弁護士になれないよ!嘘つきは政治家と弁護士のはじまりなのっ!」。

何をか言わんや。

コメント (2)
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「日本家屋構造」の紹介-11・・・・小屋組(こやぐみ):屋根を かたちづくる(その2) 京呂組と折置組

2012-08-25 16:30:30 | 「日本家屋構造」の紹介

いろいろと用事が輻湊して間遠くなりましたが、小屋組の解説の続きです。
今回は、梁の架け方:京呂組折置組について。
[註追加 26日 9.44]
[註追加時の操作で、図版が別の図になってしまいました。補正します。27日 10.34]

「第三 京呂梁と折置梁の区別
京呂梁とは、先ず柱の上部にを架け、その上に仕掛ける方法。
折置梁は、柱の上にを架け、その上にを載せる方法。
第三十七図の京呂梁の側面図。
図の右側の仕口は、渡り腮(わたり あご)で架けた場合の図、左側は兜蟻(かぶと あり)で架ける場合の図。
図の乙は、渡り腮の仕口。
木口(こ ぐち)の外側まで伸ばし、の内外の側面を桁幅の1/8ほど残した大入れとして渡り欠きを彫り、内側の側面には蟻掛けをつくりだす。
の上端は、内側の角から外側の口脇の角にかけて斜めに欠き取り、の下端もこの欠き取りに合わせ欠き取り、両者を嵌め合わせる。
の上端は、垂木の上端に合わせて勾配なりに削り、木口垂木を受ける垂木彫(たるき ぼり)を彫る。
の下端は、水墨(みずずみ)を下端とするのが定めではあるが、の形状によっては、多少下げることもある。
図のは、兜蟻の仕口。
上端の真(芯)で切り止め、木口面戸板で隠す。
には渡り腮の内側同様、蟻掛けで掛ける。
垂木は、の端部にわなぎ彫(輪薙彫)で取付ける。
図のは、の取合いおよび継手を示す。
継手としては追掛大栓継がよい。金輪継もよいが、その際は、あらかじめ地上で組んでおくこと必要で、建て方が難しい(後註)。」
   語彙の説明 「日本建築辞彙」(新訂版)の解説
    仕掛(け)る 一木を他の木の上へ、取付けることをいう。
           それよりして・・・仕掛けるための切欠きを仕掛(しかけ)と称するに至れり。・・
    わなぎ彫  一つの木を他の木に、わなぎ込むために、後者を彫ることなり。
    わなぎ込む 一つの木を他の木に食ます(はます)こと。
     
   補注 相欠き渡り腮などは、組合わせる二材の双方を刻むが、この場合は片方の材は原型のまま。
         「わなぐ」という動詞は、一般の国語辞典にはありません。語源不明です。ご存知の方、ご教示ください。
         当然、「輪薙」という表記は、当て字でしょう。
    兜蟻    その外形が兜に似ているから、と説明を聞いたことがあります。
           要するに、普通の蟻掛けです。



次は折置組について           

「第四 折置梁
第三十八図のは、折置梁の側面図。同じく軒桁折置梁仕口を示している。
軒桁は、に1寸~1寸5分ほどの深さで渡り欠きにして、の両側面に深さ5~6分ほどの大入れ(追入れ)とする。
この場合、重枘(じゅう ほぞ、またはかさね ほぞ)としての上端まで差し通す。
図のは、木口を板に写し取り、他のに転写する方法を示す。写し取る板をヒカリ板という。
この方法は、どのような場合でも、正確に転写することができる。」
   補注 ヒカル または シカル
       ヒカリ付け または シカリ付け
       これも語源が分りませんが、礎石の形に合せて柱の下端を削るなど、一般に転写する方法を言います。
       シカルはヒカルの江戸弁なのか、よく分りません。
       ご存知の方、ご教示ください。「日本建築辞彙」には載っていません。

補足
京呂組折置組は、古代から用いられている方法です。
ただ、古代の例は、どちらの方式でも、必ず、梁の両端の下部には柱が立っています
ある時代以降(正確には分りませんが近世末ではないか、と推測しています)、京呂組で、大きな断面の材を柱から持ち出した位置で継いでを架け、の中途にを架けることによって、すべてのの下にを設けない方法が生まれます。柱を間引くことを目的とした方策と言えるでしょう。今回の京呂組の図解:第三十七図は、その例です。
もちろん、古代の京呂組でも、建物が長くなれば、当然を継ぐ必要が必ず生じますが、その時は、柱の真上:芯で継ぐ方法を採るのが普通です。
すなわち、古代の京呂組は、柱を抜くことを目的とはしていなかった、と考えてよいと思います。
古代の事例は、下記をご覧ください。
日本の建物づくりを支えてきた技術-5・・・・礎石建て2・原初的な小屋組

なお、一般の農家や商家の建物では、通し柱差物差鴨居のような横材を使用することでを抜く策を採っていますが、持出継ぎで継いだを用いている例は見かけないようです。
下記で、差物差鴨居を用いることでを抜いた古井家の例を紹介しています。
日本の建築技術の展開-25・・・・住まいと架構・その2 差鴨居の効能

ことによると、京呂組+持出継ぎは、一般の武家系の住居で多用された方法なのかもしれません。多くの武家系の住居は、見かけの上で書院造を模したつくりが多いからです(「見かけ」と「形式」の重視)。
書院造では、桔木(はねぎ)や長大なを使ってを抜いている例が多く、それを模すために、(長大な材を得ることは一般には至難であるため)短い材を継いで長い材にする方策が生まれたのだと思われます。
持出継ぎは、寺院や書院造では、架構材には使われず、化粧の材で使われています。このあたりについては、下記をご覧ください。
日本の建物づくりを支えてきた技術-25・・・・継手・仕口(9)中世の様態」[追加 26日 9.44]
明治になって都市に暮すようになった人びとは、圧倒的に旧武家の方がたです。「日本家屋構造」で紹介されている家屋は、その方がたの住まいの代表的な事例をとり上げているのかもしれません。

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この国を・・・・30: 感 覚

2012-08-17 07:10:08 | この国を・・・


[語句補訂 14.53]
暑い日が続いています。
1945年の夏も暑かった記憶があります。
そのとき私は、疎開先の甲府盆地の西のはずれ山梨県竜王にいました。8歳でした。
辛うじて戦前~戦後そして現在に至る間の世の移り変りのありさまを見ることができた世代です。

最近の政府の要人たちの、いったいどうしたの?と思わざるを得ない「行動」が気になっています。
先日の新聞で、毎週金曜日の官邸前のデモ、脱原発デモは、原発に対しての「感覚での拒否反応」だから対応に困る、という旨の「見解」が政府の内部にある、との記事を読みました。
一言で言えば、「感覚=感情」に拠っていて「理性的」行動でないから対応できない、ということのようでした。
そうかと思うと、政府を支える政党の中枢にいる人物は、首相が、デモの「主導者」:呼びかけ人に会う、との「姿勢」に、「一活動家」だけに会うことは、適切でない旨を語っていました。どうやら、「一活動家を利する」だけだから、というのが理由のようでした。
国民投票で原発への対応を決めるのにも反対のようです。決めることができるのは「政治家」だけ、と思ってるようでした。
   私は、「呼びかけ人が会う必要は全くない」、と思っています。
   「国民の意見は十分聞いた」という「工作」に使われることは目に見えているからです。
   オーストリアでは、福島の事故以後、直ちに国民投票で、新設の原発の稼動を取りやめたそうです。
   イタリア、ドイツの方向転換を決めたのも国民投票。
   この「国民投票で決める」という判断を、彼の国では、「政治家」が決めた、のです。
   日本の政治家は、それを嫌う。「結果」がはっきりしているからでしょう。
   そこに、日本の政治家たちの本音が見えます。
   それは、いわゆる「《経済》界」の人たちと通じている。
   と言うより、「経済」の本義を忘れているからでしょう。
そうかと思うと、どうやら原発の下に活断層があるらしい。調査をしてそれが活断層であることが判明したら、稼動をやめる、という「専門家」の発言が報道されていました。
最近、鉄道に乗っていると、何々線では、走行中の異音の確認のために運転を見合わせています、という案内をよく聞いたり見たりします。
車を運転していても、いつもと違うな、と感じたら車を停めます。
運転を続けながら異常の有無を確認する、などという行動は、普通はとらない。
いつもと違うな、あるいは、おかしいな・・・、と思ったら、まず停まる、それが「常識」ではないでしょうか。
ところが、原発の場合は、運転を停めて確認する、ということをしないらしいのです。

この「いつもと違うな」という「認識」の根拠になっているのは、私たちの「感覚」です。
ところが、ある方がた(特に「エリート」たち)の間には、「理性」は「感覚」とは無縁なものだ、「感覚」から離れなければ存在し得ない、という《理解》があるようです。
それは、「客観」は「主観」とは無縁に存在する、という《理解》と根は同じです。数値化できれば客観的だという信仰もまたその《理解》の「結果」です。
いったい、オーストリア、イタリア、ドイツ・・・の人びとは「非理性的」なのでしょうか。
そんなことは、あるわけがありません。
「感性」「感覚」の裏打ちのない「理性」は存在しません
彼らは、そのことが分っているからこそ、そのような決断ができるのです。
「非理性的」なのは、「感覚」の存在を無碍に無視し否定したがる日本の一部の「エリート」たちなのです。

こういう日本の(一部の)「エリート」たちは、どうして生まれたのか?
私は、science を「科学」(分けて学ぶ:《専門分科》して学ぶこと)として「理解」するようになってしまったことに起因していると思っています。つまり、西欧の思想:考え方に対する「誤解」から始まった。

「科学」という日本産漢語は、「一科一学」から生まれたいうのが定説です。
「一科一学」とは、西欧の《近代的》文物を早く吸収するために、手分けして学べ:一科一学:という「教条」でした。
この語が短縮されて「科学」と称され、なおかつ「分けて学ぶこと」(これを、日本では《専門》と称する)こそが science なのだ、と「理解」されたのが悲(喜)劇の始まり。[語句補訂 14.53]
以来、それが「近代化」であるとして、1世紀以上にわたって、視野の狭い「エリート」たちが続出するのです。
それはすなわち、人の上に人をつくる、ことに他なりませんでした。根は深いのです。

敗戦後、この「傾向」は是正されたかに見えましたが、最近になってまたぞろ復興してきた、しかも勢いを増している、そのように私は感じています。

8月15日、東京新聞の社説は、またまた明解でした。以下に転載します。
江戸時代の人びとは、貧乏だったけれども貧しくなかった、という一節があります。


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「日本家屋構造」の紹介-10・・・・小屋組(こや ぐみ):屋根を かたちづくる(その1)

2012-08-11 15:43:12 | 「日本家屋構造」の紹介


[註 追加 12日 11.22][記載漏れ追加 14日 9.17 ][補注追加 14日 9.55]

「日本家屋構造」紹介の続き、今回は「小屋組(こや ぐみ)」:「小屋の構造」についての解説部分。

今回の紹介は、いささか考えてしまいました。継手や仕口をキライになる方を増やしてしまうのではないか、と思ったからです。
なぜなら、出だしが、多くの方が困惑するであろう仕口の解説から始まるのです。
しかし、紹介であるかぎり、原著の順に忠実でなければならない、と思い直し、註で補うことにします。

「小屋の構造」の第一として挙げられているのが「小屋組」。

「第三十四図は、方形(ほうぎょう)屋根の軒桁の隅の部分の組み方の図。
   註 寄棟屋根、入母屋屋根の隅部も同じです。
     各屋根については、「日本家屋構造の紹介-5」をご覧ください。
   註 「入母屋」は、現在、単に屋根の形の一と思われていますが、元は架構のつくり方として謂れのある語でした。
      この点については「日本の建物づくりを支えてきた技術-2」他で触れています。[追加 12日 11.22]
図のは上から見た伏図(ふせ ず)、はその分解図。
軒桁は、合欠き(あいがき)で交叉させ、隅木(すみ ぎ)は、交叉部の上に渡り欠きで掛け渡す。
この場合、相互の合欠きの底になる部分は、(普通の合欠きとは異なり、)隅木の勾配と同じ勾配で刻む(→注参照)。
隅柱の仕口の図で、重枘(じゅう ほぞ)の上端まで差し通す。
この仕口組手捻組(ねじ ぐみ)と呼ぶ。」
「第三十五図は、口脇形板(くちわき かたいた)を使って母屋の小口に屋根(垂木)の勾配を描き写す方法を示した図。
口脇とは屋根勾配を言う(→注参照)。
口脇形板は普通の4分厚板の長辺の一方を真っ直ぐに削り、端部を屋根勾配にあわせ切り落とした板で、その先端から2.5~3寸下がった位置に板に直角に墨を引く。この墨を水墨と呼び、図のようにあるいは母屋の小口の真(芯)墨にあて、勾配水墨を描き写す。そうして引いたに合わせ釿(ちょうな)で勾配なりに削る(→注)。」
   語彙の説明 「日本建築辞彙」(新訂版)の解説
    合欠き 「相欠」と書く方正しからん。
          継手または組手に於て、二つの木を、各半分ずつ欠き取りて、合せたる場合にいう。
    捻 組  組手の一種にして、その上下の接肌(つぎ はだ)は水平ならざるものなり。
                
                 左は大工職(建築)の捻組、右は指物職(家具等)の捻組

                「日本建築辞彙」(新訂版)の後註に、次のような解説が載っています。
                「・・・交叉する桁類を相欠きとする場合、その接面を水平にすると隅木との仕口によって
                上木上端が斜めに欠かれているため、上木の欠損がいちじるしく偏ってしまう。
                その偏りが生じないように、相欠きの接面を斜めにするのが捻組である。・・・」

                下の図版は、14世紀につくられた浄土寺・浄土堂の母屋の隅の仕口の写真と分解図。
                               (「国宝 浄土寺・浄土堂修理工事報告書」から転載・編集)
       
                この場合の相欠きは、普通の水平に欠き取る相欠き
                図の右上が上木の側面図。隅木の刻みにより生じる欠損の大きさが分ります。
                ただ、材寸が大きいため、先端が折れるおそれはありません(右下姿図参照)。
                しかし、材寸が小さい場合や、隅木の勾配が急な場合には、折損のおそれが大きくなります。
                捻組は、それを避けるために生まれた現場の知恵と言えるでしょう。

                最初にこういう手間のかかる仕口を説明されると、方形や寄棟、入母屋の隅は
                必ずこのようにしなければならない、と思ってしまう方が現れてもおかしくありません。
                そして、継手・仕口は面倒でやっかいなものなのだ・・・、となりかねません。
                冒頭、「いささか考えてしまった」と記したのは、そのためです。
                大事なのは、二材を同一面で交叉させる基本は相欠きだということです。             
                桁が一定程度の丈(5寸以上)があれば、普通の相欠きで済むのです。

    口 脇  軒桁、隅木、その他すべて小返(こ がえり)付の木の横面(よこ つら)をいう。
               
                小返りとは、天端につくられた斜面。
                鎬(しのぎ)とは、最高部:峠の部分(刀剣の用語から)。
     補注 この解説では、軒桁の天端全面を垂木の勾配なりに削っていますが、
         現在では、垂木の載る箇所だ欠き込むのが普通ではないかと思います。
         下の図はその説明。実用図解「大工さしがね術」(理工学社)より転載・編集。
         
        図から判断すると、この書では、彫り込んだ部分のことを口脇と呼んでいるように見えます。
        現在は、桁・母屋の側面の彫り込みの深さを決めて、小返り:奥行を決めるのが普通ではないでしょうか。
        彫り込みの深さは任意ですが、深さが浅いときは、芯のより浮いています(上図のb)。   
          なお、私は、桁、母屋を所定の位置に置き、口脇の深さを決めて垂木を描くことにしています。
          口脇の深さは、面戸板の取付け方次第で決めています。
        手加工の時代では、桁上端の全面を勾配なりに削るのは大ごとだったと思われます。
        なぜそうしたのか?垂木の間隔が狭い場合があった(繁垂木)からでしょうか。
        理由をご存知の方が居られましたらご教示ください。        

次は、「切妻造」の解説ですが、ここでも突然傍軒(そば のき)裏甲(うら ごう)の納め方の解説から始まります。
   傍軒については、『「日本家屋構造」の紹介-5』で触れています。
   裏甲とは、茅負(かや おい)の上に設ける化粧材を言います。
   しかし、今回紹介の第三十六図には茅負が描かれていません。
   それゆえ、一般の広小舞上に設けるのこととを言っているのではないかと思います。
   下図は、「日本建築辞彙」所載の淀・広小舞と裏甲の図です(淀・広小舞の図は再掲)。
        
        茅負広小舞については、同じく『「日本家屋構造」の紹介-5』参照。       

「第三十六図は切妻造傍軒の納め方の一例で、図の垂木形(たるき がた)裏甲の取付け方を示す。
傍軒の出は8寸以上1尺ぐらい出すのが普通だが、垂木の間隔と同じにしてもよい。[この部分記載漏れゆえ 14日 9.17 追加]
図のは、妻梁軒桁へ取付ける仕口で、この場合は大入れ(追入れ)蟻掛け大入れの深さは、の幅の1/8程度。
の丈:厚さは柱径の5分(5/10)×幅4寸程度。
垂木形(*)は厚さ柱の3.5/10×幅:下端で全長の8/100、上端で下端幅の2分増し程度とし、土居葺き(どい ぶき)(*)上端より1~1寸2分ぐらい上の位置で、軒桁母屋棟木には蟻掛け:図の:あるいは、杓子枘(しゃくし ほぞ):図の:(*)で取付け、なお、手違鎹(てちがい かすがい)(*)で補強する。
裏甲の大きさは、丈は垂木形の厚さと同じ、幅はの面より3寸以上外に出す。
裏甲登り裏甲の隅は、目違いを設けた留(とめ)(*)で納め、上端に平鎹(ひら かすがい)2個以上を打ち補強する。」
   語彙の説明 文中 * について 「日本建築辞彙」(新訂版)の解説
    垂木形 片流れまたは両流れの屋根に於ける妻に取付けたる板にして垂木に平行するもの。
          ・・・あたかも破風のごとし。・・・垂木形は破風に比すれば、長さに対して幅が狭きものなり。  
           註 上側の幅を下側の幅よりも若干幅広にするのは、視覚的に、全幅が同じに見せる工夫。
    土居葺 屋根瓦下なる薄板葺をいう。・・・
           註 現在の野地板と見なしてよいでしょう。
    杓子枘 上向きに傾斜した枘で桁類と破風板の仕口に用いられる。
        二つの木が、直角またはその他の角度にて出会うとき、その角度を折半して継目を設けたるもの・・。
    手違鎹 鎹の一種にして、その両端の爪が互いに直角をなすものなり。
           註 直交する(交叉する)二材を留めるための鎹。
             床板の根太への取付けなどにも使われる(→鶯張り)。
   補註 傍軒の出について
       この書では、8寸~1尺あるいは垂木間一つ分程度出すのが普通、とありますが、
       軒の出は、傍軒の出も含め、その役割に応じて決める必要があります。
       軒の出の役割は、壁面への雨の当たりの制御、日照の調節などにあります。
       たとえば、吹き降りの激しい地域ではを深くしています。
       特に、片流れや切妻屋根では、傍軒の出は、妻壁の保護にとってきわめて重要です。
       また、軒の高さに対して適切な軒の出を採ると、
       冬は陽射しを屋内深くとりこむ一方で、夏は屋内への直射を避けることができます。
       各地域の住まい:いわゆる民家:に、
       それぞれの地域での風土・環境: surroundings :への対し方を観ることができます。
       つまり、一様の数値で決める必要はないのです。
       大事なのは、先ず、それ何のために在るか、考えることだと思います。[補注追加 14日 9.55]

長くなりましたので、今回はここまで。

方形、寄棟、入母屋などについての「補足解説」を、「小屋組」の項の紹介終了後に載せる予定です。

次回は「京呂梁」と「折置梁」についての解説の紹介。

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補足・「日本家屋構造」-3・・・・軸組まわり:柱と横材:の組立てかた(その2)

2012-08-07 15:31:57 | 「日本家屋構造」の紹介
昨日は原爆忌、今日は立秋。
昨日の夕立で、乾ききっていた地面が生き返りました。
草叢では秋の虫たちが鳴いています。そして近くの林では、アブラゼミ、ミンミンゼミとともに鶯が。このあたりでは、鶯は春先からずっと林に居ついています。 

左:二方差(伊藤邸  差鴨居) 右:四方差(筑波一小体育館  梁・桁) いずれも「竿シャチ継(竿は「雇い竿」)」
                                                    [写真更改 9日10.40]

(社)茨城県建築士事務所協会主催の建築設計講座に際し作成したテキストから、軸組まわりの説明の続き:継手や仕口についての部分:を転載します。


今も一般に多く見られるのは④⑤です。これは、「住宅金融公庫」が推奨仕様としていたためと思われます。
金物を添えれば強くなる、という《神話》を広め、「建築基準法」の規定の《神格化》を進めたのが、「住宅金融公庫」仕様であった、と言っていいでしょう。
しかしそこでは、①の説明で触れているように、「追掛大栓継ぎ」と「腰掛鎌継ぎ」を同じ性能のものとして扱っています。
   住宅金融公庫仕様を背後で支えてきたのが、建築研究者ムラです。原子力ムラと構図は同じです。

次は「通し柱」への横材の取付け方のいろいろ。
最初は隅の「通し柱」の場合。

③と④は、一般に多く見かけますが奨められない方法。
これは「住宅金融公庫」仕様はもちろん、現在の教科書「構造用教材」でも紹介されています!!

次は「二方差し」~「四方差し」、つまり、中間の「通し柱」への横材の取付け方。

図はありませんが②③④⑤が今一般に見られる奨められない方法。

続いて、横材同士の仕口と管柱と横材の仕口について。

次に梁と小梁、根太の取付け方の一般。

最後に、伝統的な建築法から学んだ「部材を組んで一体の立体:箱:につくり上げる方策」の概要。

このようにすることで、間違いなくきわめて頑強な架構になります。
しかし、これでは、現行法令では「不適格」、すなわち、数百年健在の多くの重要文化財建造物と同じく、耐震補強を要する建物とされてしまいます!《神話》が「事実」よりも上位にあるからです。

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補足・「日本家屋構造」-2・・・・軸組まわり:柱と横材:の組立てかた(その1)

2012-08-02 11:04:01 | 「日本家屋構造」の紹介
暑中お見舞い申し上げます。
もうミンミンゼミが鳴いています。いつもは8月も半ばを過ぎてから鳴きはじめるように思います。
猛暑のなかの現場通いで(現場は暑いので有名な甲府盆地の一角)、少しばかり夏バテ気味。
「日本家屋構造」の紹介の続き、少し間が開いてしまいました。ただいま編集中です。


その間に、かつて(社)茨城県建築士事務所協会主催の建築設計講座に際し作成した、日本の建物づくりの技術=建物の組立てかた:構造、およびその基幹を成す「継手」や「仕口」についてのテキストから、先回(補足・「日本家屋構造」-1)の続きとして、「柱と横材をどのように組立てるか」についての部分:いわゆる軸組の組立てかた:を転載させていただきます。

[補註追加 4日 17.25]

軸組まわりの解説というと、多くの場合、柱と横材の取合い、すなわち「仕口」や横材の「継手」の解説から始まるのが普通です。
「日本家屋構造」の叙述の順番もそうなっていますし、私もそういう順番で教わったように記憶しています。
たとえば、突然のように「追掛大栓継」「三方差」・・などの「解説」がなされます。ときには、「こうのす」のようないわば「特別」な例が持ち出されます。
そこでは、それが強固な継手である、あるいはすぐれた仕口である、とは説明されますが、それを「全体のどのあたりに、どのようなときに、設ける(のがよい)か」という解説は一切なかったと思います(「追掛大栓継」は梁や桁に使い、1本ものと変らない強さがある・・・といった説明で終り)。他の継手や仕口についても同じでした。
   継手・仕口の解説本でも、その継手・仕口だけについて、強い、弱いという程度の説明で済んでいるのが普通です。  

多分、教える側には、「部分」をいろいろと知っていれば、その足し算で「全体」をつくりあげることができる、との考えがあったのではないか、と思います。
しかし、「単語」を知っていても「文章」がつくれるわけではないのと同じで、継手や仕口など、「部分」をたくさん知ったからといって、それで「全体」が構築できるようになるわけではない、ことは自明の理です。  
教わる側は、「全体」を構築するには、何をどう考えたらよいか、まずそれが悩みの種なのですが、教える側はそれが分らないのです。
教える側自身にも必ずそういうときがあったはずなのに気づかない。
あるいは、それは自ら会得しろ、というのかもしれません。
しかしそのとき、会得するに相応しい場面・状況を、具体的につくったり提示していたか、というと、そんなことはまったくない。
本当のところは、教える側自身、何をどう考えたらよいか、分っていなかった、・・・のかもしれません。   
    ・・・・
    それゆえに私は、諸学舎の教師たちを呼び集め、つぎのように語ったのだ。
    「思いちがいをしてはならぬ。おまえたちに民の子供たちを委ねたのは、
    あとで、彼らの知識の総量を量り知るためではない。
    彼らの登山の質を楽しむためである。舁床に運ばれて無数の山頂を知り、
    かくして無数の風景を観察した生徒など、私にはなんの興味もないのだ。
    なぜなら、第一に、彼は、ただひとつの風景も真に知ってはおらず、
    また無数の風景といっても、
    世界の広大無辺のうちにあっては、ごみ粒にすぎないからである。
    ・・・・
    ・・・・
    言葉で指し示すことを教えるよりも、把握することを教える方が、
    はるかに重要なのだ。
    ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。
    おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとって
    なんの意味があろう。それなら辞書と同様である。
    ・・・・
                             サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)
    これは、私が学生時代に読んで共感し、以来、そのようにありたい、と心がけてきた「教え」です。

そういうわけで、この「設計講座」では、極力、部分から全体へ、ではなく、全体から部分へ、という流れの中で分ってもらえたら、との方針で臨みました。テキストもその主旨で編集してあります。
しかし、すべては試行錯誤、十全ではないのは言うまでもありません。そのあたりをお含みの上、お読みください。
  なお、先回でも触れましたが、ここでは「胴付」を「胴突き」と表記しています。

はじめは、(二階建ての)建物の骨組は、どのようになっているか。
そして、横材すなわち梁や桁は、その上に載る重さによって撓んだり曲ったりするけれども、その撓みや曲りの程度は、梁や桁の取付けかた:支持のしかた:によって異なる、ということについての概略の解説です。

現在の法令の規定は、図のAを前提に考えていると考えてよいでしょう。
簡単に言えば、架構としての強さは、筋かいなどのいわゆる耐力壁が担うから、横材は柱に簡単に掛かっているだけで、その上に載る重さに耐えればよい、という考え方です。
しかし、すでに「壁は自由な存在だった」など、いろいろなところで触れてきているように、日本の建物づくりの技術は、中世末には、図のC’のような形をなすようにつくれるようになっており、近世にはさらに進展しています。
そこでは、架構全体が外からかかってくる力に耐えればよい、という考え方を採っているのです。
それは、ひとえに、開放的な空間をつくるための「工夫」であった、と言ってよいでしょう。その方が、日本の風土では、暮しやすいからです。

   補註 図C’は、横材に生じた力が、柱へと伝わり、
       柱の各部に図のような大きさの力が生じている、ということを示した図です。
       鉄筋コンクリート造の場合には、このような姿になります。
       一方、木造建築(特に伝統的な日本の建築)の場合、柱の根元は地面と一体にはなっていません。
       そのため、この図のような形にはならず、柱に伝わった力は、
       足元で、柱間に影響を与えます。簡単に言えば、柱間を狭めたり、拡げようとしたりするのです。
       そのような動きを留めていたのが地面に据えられた礎石です。
       礎石は、建物の重さを支えるだけではなく、
       柱間の幅の増減・移動をも留める役割を持っていたのです。
       さらにその動きを留めるのに役立ったのが「足固め」でした。
       「足固め」を設けると、木でつくった「枠:rahmen 」:「箱」を礎石の上に置く、という形になります。
       そうすると、礎石と「箱」は、分離していますから、地面の動き=礎石面の動きは
       「箱」に伝わらない=地震とともに動かない、ということになるのです。
       その反対に、建築基準法の規定は、
       木造建築をコンクリート造のようにしよう、つまり、「枠」:「箱」を地面に埋め込む、
       という《考え》だと言えるでしょう。
       その結果、地面の動き=地震とともに動くことになるわけです。
       コンクリート造を、伝統的な日本の木造建築のようにしよう、というのが、いわゆる「免震」構造と言えます。
       割り箸などで簡単な模型をつくり、力をかけてみると、この力の伝わり方を実感できます。
                                                 [補註追加 4日 17.25]

次は、はじめに通し柱管柱(くだばしら)の役割について、次いで、柱と横材をどのように組むか、その組み方:架構法:をモデル化して説明しています。  


これまで何度も紹介してきた奈良・今井町の「高木家」は、架構法Cの典型です。
   同じ今井町の「豊田家」もこの架構法ですが、いわゆる大黒柱を多用している点が「高木家」と異なります。

次は、二階床のつくりかた。これもモデル化して解説。


次は、横材の寸法:大きさ・太さ:をどのように決めるか、その決め方の説明。

材料の太さを大きくすれば建物が強くなる、と単純に考えるのは誤りです。
いわゆる「民家」は骨太である、と一般に言われていますが、上の「島崎家」と「堀内家」の例は、それが誤解であることを示す事例です。
今井町「高木家」も、不必要に太い材料は使わない好例です。

次は、二階の床をどのようにつくるか、いわゆる「床組(ゆかぐみ)」(「床伏」とも呼ぶ)について。


次は、このような架構法に使われる継手や仕口についての説明ですが、分量が多くなりますので今回はここまでにして、「その2」として載せることにします。

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