A・AALTO設計「パイミオ・サナトリウム」の紹介―3 :スケッチから:その1

2013-08-29 08:30:01 | 建物案内
A・AALTOの描いたスケッチや設計図面を集成・編集した“The Architectural Drawings of Alvar Aalto”(Garland Publishing,Inc. New York and London )という書物(全11巻)が刊行されています。
図面やスケッチは、ほとんどがAALTOの「手描き」です。

図やスケッチは、設計のはじめの段階から、工事の段階まで、大変な数にのぼります。
その凄いエネルギーには、ただ感嘆するしかありません。「退職記念?」に購入し、時折紐解いて、ため息をついています。

その中から、パイミオ・サナトリウムのいくつかを紹介させていただきます。
なお、パイミオ・サナトリウムは、設計が1928年にはじまり、1932年に竣工しています。その間のスケッチ、設計図が集められています。

紹介する目的は、そこに、A・AALTOの「設計という営為に対する考え方」が如実に表れている、と思うからです。
そしてそれは、明らかに、日本の(そしてことによると世界の)現代の「(有名)建築家」の「設計に対する考え方」とは全く異なります。
私は、若い世代の方がたに、こういう考え方がある、ということ、しかもそれは決して目新しいことではなく、かつては、こういう考え方が当り前だったのだ、ということを知っていただきたい、と考えています。
   
   もちろん、A・AALTOを好きになってくれ、などと言っているのではありません。
   「当たり前」になろう、原点に戻ろう、ということを願っているだけです。
   そして、この「当たり前の考え方」で「設計」が為されているならば、「理解不能」な言動など生まれるはずがないのです。
   理解不能な言動が生まれるのは、「設計という営為に対する考え方」のどこかに欠落があるからです。もっと言えば、「考えていない」からです。


この設計は、設計競技です。
先ず、建物位置・平面の決定:提出図面作成:に至る間に描かれたと思われる図・スケッチをいくつか見てみたいと思います。

最初は、当初主催者から提示された計画の基になる敷地周辺の測量図を載せます(1928年測量とあります)。

赤線で囲んだ部分が計画用地(赤線および道の符号は、筆者補筆)。道の符号は、以下の各図共通です。
ただ、図中に描かれているサナトリウムの建物の位置は、次図と少し異なるように思います。

赤線内の地形と、建物の配置の関係:配置スケッチ 

図の縮尺が読み取れませんが、病棟の長さは約90mですので、推測してください。等高線は、次図と同じく@1mと考えられます。

計画地は、緩やかな勾配の丘陵状の地の裾に近い部分と思われます(次図から、約1/30以下の勾配と推定しました。針葉樹林に被われていますから、多分、地面は見えないでしょう)。
図の左に、3本の道がありますが、このうちの上へ伸びる道(「い」と記入)と、下の若干細い斜め右下へ伸びる道(「ろ」)は、上図に載っているY字型の道です。
地形図から想定して左手側にも同じような丘陵があり、「い」の道は二つの丘陵のつくる緩い谷を下ってゆく道、「ろ」 は右手の丘陵の等高線に沿った道と考えられます。

そして、この「い」「ろ」2本の道の間に描かれている道(「は」と記入)は、おそらく、AALTOが現地を訪れて「計画敷地」へのアクセス路として相応しいとして、直ちに見出したルートだったのではないか、と思います。
AALTOの構想は、この道の見出し・設定から始まったのではないか、ということです。
   かつての人びとの建物づくり・住まいづくりも、これと同じ過程をたどっていました。このことについて、下記で触れています。
   私たちは、そのことを忘れて(あるいは、忘れさせられて)しまったのです。
   「建物をつくるとはどういうことか-11・・・・建物をつくる『作法』:その1
   「建物をつくるとはどういうことか-12・・・・建物をつくる『作法』:その2

既存の道 「い」「ろ」 は、この一帯に暮す地元の人びとが行き交う中で「自然に」生まれた、いわば「けものみち」と言ってよいでしょう。つまり、人びとが人びとの感性で見出した「自然な」ルート。
「い」「ろ」2本の道が分岐する地点は、左右の丘陵の間の鞍部:「たるみ」で、分岐するに相応しい「自然な」場所。それゆえAALTOは、アクセス路も、そこから始まるのが「自然だ」と判断したのだと考えられます。

   人が当たり前の感覚で生み出す「道」の様態:「自然な道・けものみち」の誕生については、「道…どのように生まれるのか」で簡単に触れました。
   農山村には、Y字型に分岐する道をたくさん見かけます。私の暮すところにもありますが、分岐する場所は、たいてい「納得のゆく」場所です。
   いわゆる「計画道路」には、Y字路の計画は、ないのではないでしょうか。私は見たことがありません。

図をよく見ると、建物の線が何重にも描かれています。病棟の「向き」:できるだけ南面させること:と周辺の surroundings との関係をいろいろと考えた過程を示しているのではないでしょうか。コンパス(磁石)片手に、何度も森の中を歩き回ったのかもしれません。
アクセス路(「は」)にも、いくつか線が見えます。これも、建物位置と連動して、いろいろ考えられたのだと思います。
   AALTOは、地図の上に、現地を、そして建物が建った後の状景・場景を、常に見て(観て)いるのです。


設計競技提出図面の配置図が下図(図中の標高数字は大きな字で補筆してあります)


縮尺が不明ですが、病棟の全長が約90mですから、90mで高低差最大3mほど。つまり、勾配1/30(3.3%)以下の緩い斜面です。
等高線の形が若干前図と違いますが、「計画・整地後の地形」を示しているのかもしれません。地形の「基本」を壊すことはしていません。
   現在なら、まっ平らにしてしまうのではないでしょうか。
方位は、病棟の軸が東~西です。
   なお、図の左上の「マーク」は、この「提案」の「モットー」を示した「マーク」で、提出図のすべてに付してあり、
   この「提案」のポイントである病室の「窓まわり」の図です(次回紹介予定)。

おおよそ建物を建てる場所を決め、次に、建物をどのように配置するか:レイアウト:の検討がなされます。
この段階のスケッチの量は膨大です。よくこれだけ多くのスケッチ類が残されている、と感心します。なぜなら、大半はトレーシングペーパーへ鉛筆描き。トレーシングペーパーはそれほど耐久性はないからです。中には、トレーシングペーパーの裏表に描かれているものもあります。
以下に、そのうちのいくつかを転載させていただきます。
そこから、AALTOの設計の(思考の)過程が見えてくると思います。


大気療法のための病棟の位置はおおよそ決まっていて、ここでは、いわば裏勝手:サービスなど:へのアクセスを考えているのではないかと思われます。このスケッチは、A4判ほどの紙へ鉛筆描き。


「病棟(前回掲載平面図のA)」と「共用棟(同B)」、「病棟」と病棟東端部の「多用途テラス」との「接続部」の平面、外観などの検討をしているようです。これも紙へ鉛筆描き。

次はトレーシングペーパーへの鉛筆描きスケッチ。両面に描かれています。
トレーシングペーパーゆえに、裏側の線が透けて見えています。

表面(図番 a )にエントランスの立面の検討、裏面(図番 b )では、配置レイアウトの確認と断面の検討をしています。

次も同じくトレーシングペーパー両面への鉛筆描きスケッチ。

表(図番 a )で、アクセス路~エントランスを、平面、断面、パースペクティヴスケッチで検討しています。
裏面(図番 b )は、配置レイアウトの確認スケッチと思われます。

次は、病棟(A)~エントランス~共用棟(B)の平面図のスケッチ。トレーシングペーパーの表裏に鉛筆描き。

a は平面のスケッチ。下段に、裏面のスケッチ( b 図)が透けて見えています。
裏面( b ) は、再度配置レイアウトの確認をしているようです。
階段の向き、エレベーターの位置が最終案と異なります。

下は、同じ場所のもう少し詳しい平面図スケッチ。トレーシングペーパー鉛筆描き。


今回紹介する図・スケッチは以上です。
次回は、病室の窓まわり、家具など、工事段階の図やスケッチを紹介したいと思います。
ただ、数が多いので、選択・編集に時間がかかりそうです。



以上を見ただけでも、同じところの図・スケッチを、例えば同じ場所の平面図を、微細に変えるたびに何度も描いていることが分ります。変更箇所だけを直す、ということはしないのです。
配置レイアウトに至っては、ひっきりなしに描いています。これでいいかどうか、常時、確認作業を厭わずに行っているのです。

現在の設計のやりかたに慣れてしまっている人には、ムダな作業を繰り返しているように見えるかもしれません。
しかし、そうではない、決してムダではない、と私は思っています。むしろ、必須な作業なのだ、とさえ考えています。
そして、そのためには、「手描き」でなければならない、とも考えています。


紙の上に線を描く。手で描こうが機械が描こうが線は線であって同じではないか、と思われる方が、今は多いでしょう。
ところが大きく違うのです。

手で線を描く。その線が何を意味しているか、その位置でよいのか、・・・などを考えないと線は描けないはずです。私はそう考えています。
それは、機械で描いたって同じではないか、と思われるかも知れません。でも、違うのです。

手で描く場合には(定規を使おうが、フリーハンドであろうが)、描き終わった後、「描く」「描いた」という身体的「動作」が、記憶に残るのです。
なぜ記憶に残るか。それは、「考えた」からです。「しばし考えた後、はじめて描くという動作に移ることができた」ということを、体が(頭が)覚えているのです。
それゆえ、描かれた線の向うに「考えたこと」が隠れていて、描いた本人には、その線を見ただけで、「考えたこと」を思い出す、見えるのです。

つまり、「記憶」「記録」が、データファイルにではなく、本人の中に生き生きとして重層的に蓄えられているのです。
これが「手描き」の特徴なのです。
だからこそ、他人のスケッチでも、そこに描かれている線の向うに、おおよそではありますが、その人の思考(の過程)を想像し、辿ることができるのです。


現在、数値制御の木工機械が普及しています。複雑な継手・仕口も加工できます。いわゆるプレカットの機械です。町場の大工さんも使うようになってきました。
ところで、実際の加工は、誰がやっても同じでしょうか。
たとえば、ある仕口の加工を機械で加工する場合、
その仕口を手で刻んだ経験のある方の加工と、刻んだことのない方のそれとで、仕上がりは同じでしょうか?
違います。
手刻み経験者の加工の方が、どうしても上をゆくのです。
それは、加工する木材に対する「見かた」が違うからです。木への対し方が、教科書的、辞書的理解ではないのです。

CAD が普及し始めた頃、設計事務所の対応に二つありました。
一つは、もう製図板も建築士も要らない、オペレーターがいればいい、と考える方、
もう一つは、若い人にはすぐには CAD を使わせない、ある程度製図板上で図が描けるようになってからだ、と考える方。
そうでないと、CAD に使われてしまう、と考えたのです。computer aded ではなくなる、と感じたのです。年輩の方に多かったと思います。
私も後者に属します。人の行動は、その人の感覚に拠る。そして、感覚・感性はアナログである、と認識しているからです。

そして、そう考えれば、AALTOのスケッチの多さも理解できるのではないでしょうか。
このサナトリウムにかかわる患者・療養者、スタッフなどの人びとにとって、この既存の環境: surroudings の中に、いかなる環境: surroudings を用意するのが適切か、AALTOは考え続けているのです。だから、ああでもない、こうでもない・・・とスケッチが増えるのです

そして、スケッチの内容を見ると、どうしたら「斬新な造形になるか」などということは、毛頭も考えてはいないことが読み取れるのではないでしょうか。
それは、パースペクティヴスケッチを見れば明らかです。そのときAALTOの念頭にあるのは、その造形が、サナトリウムの環境: surroudings :として適切であるかどうか、そのあくなき検討のためのスケッチなのです。だから、この場合も、同じ場所が、何度も描かれるのです。

      

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A・AALTO設計「パイミオ・サナトリウム」の紹介―2 : 「病室」の詳細

2013-08-24 10:01:12 | 建物案内
[補遺 24日15.00追記]
このサナトリウムのたくさんのカラー写真を紹介されているブログをコメントでご教示いただきました。
そこに、病室各部の色彩や、病室ベッド足元壁面の「でっぱり」がクローゼットであることの分る写真が載っています。
コメントに記載のアドレスからアクセスください。



病室で、ベッドに横になっている患者・療養者の視界に入る「もの」の「様態」は、患者・療養者の「気分」に大きく関わります。
これらは患者・療養者の surroundings にほかならず、しかも、患者・療養者は、いわば「自由を拘束されている」わけですから、否が応でも、それらに接しなければならないない surroundings だからです。
A・AALTOも、この点を重視したようです。

患者・療養者の「視界」に入る「もの」は、頭の位置より前方の「壁(開口部も含む)」と「天井」です。
特に、「天井」は気になります。
今回の入院生活の経験でも、やむなく目に入ってくる「天井の様態:照明器具や種々の機器類、仕上げ・・・」は、かなり鬱陶しいものでした。
特に照明(器具)は、直接目に入るとかなり眩しい。
照明だけではなく、天井自体も、目を覚ましている患者・療養者の目に四六時中入ってきますから、その様態も、自分の家での普段の生活時よりも、思った以上に気になります。それは多分、普段の生活と異なり、「自由がきかない」からだろう、と思われます。
壁や窓:開口も同様で、その様態は、自分の家での普段の生活時よりも、思った以上に気になりました。特に、窓から見える「景色」は気分に大きくかかわります。
   しかし、窓から何が見えるか、それは、病院の「立地」次第です。
   パイミオのサナトリウムは、その点きわめて恵まれています。
   私の病室の窓から見えたのは、病院のまわりの分譲住宅の屋根の波、パチンコ屋のネオン付看板・・・、清掃工場の煙突や飲料会社の巨大倉庫・・など。
   その病院は、既存の山林・畑地につくられた(既存集落はその中に塊状にポツンポツンと散在していた)工業団地に隣接した分譲地の一画にあるからです。
   既存の山林・雑木林は、わずかに「公園」としてのこされているだけです。
   唯一、食堂からは、これらの「雑物」越しに筑波山が見え、ほっとしたものです。
     隣接地が、昔からの街並や集落のだったら、大分様子が違ってくると思います。
     昔からの街並や集落は、現在の新興の開発地とは違い、surroundings の創出に意をそそいでいるからです。
   現在は、「街中」の病院の設計は難しいな、と思ったものです。
     もちろん、病院に限りませんが・・・・。


さて、今回紹介するA・AALTOのパイミオ・サナトリウムの病室は、ここまで念入りに考えられた病室は、当時の病院はもちろん、現在の病院でも、先ずない、と言ってよいでしょう。

はじめに、平面図と天井伏図(設計図)を、次いで、病室の写真を転載します。対照してご覧ください。

①上:病室の平面図 下:天井伏図
原図に縮尺無記入 ベッドの寸法(2.3~2.5m×1.1~1.2mぐらいか)で想定してください

“ALVAR AALTO bandⅠ 1922-1962”所載の解説には、概略、次のような説明があります。
  天井は落ち着いた濃い色調、壁はやや明るい色合いに仕上げられている(探したのですがカラー写真がなく、具体的な色合いは分りません)。
  部屋の暖房は、枕元への輻射を避けベッドの足元を温める天井に設けた「輻射パネル」が主(天井伏図参照)。部屋の他の部分は僅かな熱を受けるだけ。
    熱源については、説明がなく、分りません。
  新鮮外気は、特別な仕組みの窓によって、予熱され室内に採り入れられる(④図参照)。
  すなわち、外の冷気は、ガラスで囲まれた「箱」端部の療養者からできるだけ離して設けられた「採り入れ口」から、「箱」の中を斜めに通過して室内に入る。
    「箱」内を通過中に温められるのか? なお、窓の「開閉」の「仕組み」も、分りません。

     私の「誤解」があるかもしれませんので、解説文の原文を、下に転載します。
   



②病室入口から病室を望む(窓の側が南)
照明器具の上部にあたる一画だけが明るい(天井伏図参照)
天井左手の部分が「輻射パネル」かと思われます(図よりも幅が広い?)


③病室窓側を見る
左手の壁面の立ち上がりが何か、不明です


④南面窓まわりの詳細図
可動のブラインドを外に設ける例は、珍しい。
断面を見ると、陽光をできるだけ採り入れ、なるべく広く視界が開けるように考えているように思います。
窓際の「棚」は、普通のテーブルの高さ程度。
ここに座っての読書など、最高の気分でしょう。ただぼんやりと座っているだけでもいい・・・。
棚下のパイプは、温水または蒸気の通っているラディエーターと思われます。だから、寒い時でも、ここは暖かい。
   「箱」内の空気も、これで温められるのか?
   この窓は、細部にわたり「用」を徹底的に考えた、そのように私には見えます。「形」に「謂れ」があるのです。
   ただ、仕組みの細部が分らないのが残念!ご存知の方、ご教示を!
     「形の謂れ」については、「形の謂れ・補遺」をお読みください。
     
     最近の日本の設計では、既製の各種工業部品の寄せ集めでできている例が増えているように思います。
     そういう製品のカタログのDMが、毎日のように届きます・・・。
     数十年ほど前、アメリカでは、カタログナンバーを書けば設計が出来る、という話を聞いて呆れたことを覚えています。アメリカ化が進んだのかな?!
       既製品を使うことを全否定しているわけではありません、念のため・・・。



⑤病室北側を見る
円形の器具は、洗面器(手洗器)で、AALTOにより設計されています。その断面図が次の図版です。


⑥洗面器の断面
この断面:形状は、描かれている水の「線」から判断すると、「水はね」が洗面器内に収まることを考えて決められているようです。
ただ、写真を見る限り、この洗面器の位置が妥当かどうか、少し気になります(①の平面図ではそれほど気になりませんが、写真ではベッドとの距離が近すぎるように思えるからです)。


以上、パイミオ・サナトリウムの病室について、書物から分ることを紹介させていただきました。
そこで分ることは、この病室は、徹底して、このサナトリウムを必要とする人びと:「患者・療養者」の「目線」で考えられている、という「当たり前のこと」です。
   病室以外も同様です。すべてが、「この病院にかかわる人びと」の「目線」で考えられているのです。
残念ながら、これは、現在の日本の(もしかしたら世界中の)建築家たちから忘れ去られた「視点」かもしれません。


今回紹介できませんでしたが、このサナトリウムの各所で使われる「家具」も、AALTOによって設計されています。その中から、最後に、屋上の大気浴バルコニーで使われている「寝椅子」の設計図を転載します(金属製のようですが、詳細は分りません)。

⑦寝椅子の設計図

図版出典
③④⑤⑦
“Alvar Aalto Between Humanism and Materialism”(The Museum of Modern Art,New York 1997年刊)
①②⑥  
“ALVAR AALTO bandⅠ 1922-1962”(Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 1963年刊) 


蛇足
最近設計した知的障碍者居住・支援施設(30年目の増築)の個室では、天井照明は、間接照明にしています。
と言っても、ベッドの枕元の上にあたる部分の天井を、主部の天井よりいくぶん低くし、その段差部分にトラフ型の20Wの蛍光灯を置いただけ(器具代が安い!部屋の大きさに応じて台数を調整)、という簡単なもの。天井の仕上げ材料は、ごく普通に見かける「虫喰い石膏ボード」。
   電気工事担当者から、暗くないか、と心配されました。今は、何でも明るいのがいいらしい。
これは、30年前と同じ方策。メンテナンスが簡単で(管球の取り換えが施設スタッフでもできる)、しかも眩しくない。
結構いい雰囲気になります。手元の照度が必要ならば、スタンドなどを別途用意すればいい。
実は、30年前、低廉な工費のために考えた策の継承にすぎません。
コメント (2)
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A・AALTO設計「パイミオ・サナトリウム」の紹介―1

2013-08-18 11:59:00 | 建物案内
「回帰の記」のなかで、surroundings の創出に意を注いだ設計例として、A・AALTOの設計した「パイミオ・サナトリウム」の名を挙げました。
私の年代近辺の方なら知っている設計事例ですが、若い方がたは知らない方が多いかもしれません(「近代建築史」の一事項として、「教科書」にはあるはずですが・・・)。
そこで、いろいろな書物から図面や写真、スケッチなどを編集して紹介させていただくことにします(私は現地を訪れたことはありません)。

サナトリウムとは「療養所」という意味ですが、特に、20世紀のはじめは、日本でも、「結核の療養所」を意味することが普通でした。
当時、結核の治療法として、新鮮な空気と陽光の下で過ごす療法(「大気療法(たいきりょうほう)」が勧められていたのです。
場所として、高原や林間、海岸などが選ばれました。日本では、堀辰雄など、多くの文人の療養した信州・八ヶ岳山麓の「富士見のサナトリウム」などが有名です。
   結核の治療法が変わり、現在、パイミオも富士見も普通の病院になっています。

パイミオ・サナトリウムは、ALVAR AALTOが自身の入院経験を基に設計したと言われています。
すなわち、当時の病院は、患者にとっての surroundinngs の視点を欠いてデザインされていることを体験し(たとえば、はベッドに横たわっている患者に眩しすぎる天井の照明など・・・)それを患者の立場から見直そうとしたのです。それは、病室の設計に如実に現われていますが、今回は、先ずパイミオ・サナトリウムの全容・概要を図と写真で紹介します。

フィンランドは、国全体が森林の、日本の高原のような地域。パイミオは、首都ヘルシンキの西150㎞のトゥルクという町の近くにあります。


①全体俯瞰 針葉樹の森の中に埋もれている

②配置図 ①は、この図の左手の上空からの俯瞰 ループ状の線がアクセス
Aと付してある棟が病棟 B:共用棟 C:厨房、機械室 D:ガレージ E:医師用住宅 F:職員住宅など


③スケッチ このスケッチから、病棟の位置が最初に決まっていたことが読み取れます。すべての病室が陽光を受けるように、病棟は東西軸に一列に病室を並べる。
次に、この病棟に対して、Bの共用棟をどのように並べるか、いろいろと考えているようです。この二棟の関係で、建物に向かう人の「気分」が決まってしまうからです。ただ、二棟をⅤ型に配置することは、かなり早く決まっているようで、むしろ入口回りをどうするか、検討している様子がスケッチからうかがえます。

以前にも紹介しましたが、ALVAR AALTO のスケッチは、単なる「形」の「追及」つまり「造形」確認のためのスケッチではなく、その「形」がつくりなす surroundinngs を事前に確認するためのスケッチであることがよく分るのではないでしょうか。それは、右側のスケッチと、後掲の⑥の写真を見比べるとわかります。


上:④標準階平面図 下:⑤地上階平面図


⑥建物へのアクセスから見た全景 
正面が入口、右手の中層建物が病棟(配置図のA)左手が共用棟(配置図のB)。③のスケッチ参照。

⑦病棟断面図
病室への陽光の採りこみに工夫がこらされています。次回紹介の予定。


⑧病棟の屋上に設けられている「大気浴」のためのバルコニー 
病室からここへ出てきて一定時間過ごすのです。 療養者でなくても居たくなります。⑦断面図参照
地上の散策路も見えます。「大気浴:森林浴」に使われる散策路です。

今回の最後

⑨入口ホールにある中央階段
療養者は普段エレベーターを使うと思いますが、この階段も歩きたくなるでしょうね。
   初めてこの事例に接したとき、
   踏面、蹴上、幅木のおさめ方もさることながら、手摺のつくりかたに感動したことを覚えています。
   手摺をこのようにおさめる(階段の勾配に平行におさめ、なおかつスムーズに段差なく折り返す)のは、断面図を描くと分りますが、結構難しいのです。


次回は、病室まわりの詳細を紹介したいと思います。

図版出典
①③⑥⑦⑧⑨
“Alvar Aalto Between Humanism and Materialism”(The Museum of Modern Art,New York 1997年刊)
②④⑤  
“ALVAR AALTO bandⅠ 1922-1962”(Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 1963年刊) 




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敗戦記念日

2013-08-15 14:50:02 | その他
[ web 版 リンク追加 17日8.20]

68年前の8月15日、私は、疎開先の山梨県竜王町にいました。甲府盆地の西端に在る町です。暑かったです。

私と同じく、68年前8歳であった方が、終戦ではなく敗戦と言うべきだ、と新聞に投稿されていました。
先日紹介した毎日新聞コラム「発信箱」に、「・・・言葉には霊力が宿り、その言葉通りのことが起きる[という]日本古来の伝統が、原発事故以降、頭の片隅にひっかかっている。・・・」という一節がありました。
その「伝統」を、戦時中、為政者は「為に」使ってきたように思います。戦時中、耳にしたのは「神国日本」、危急の場合には「神風」が吹くと喧伝し、挙句の果ては特攻隊を神風に仕立て上げようとした・・・。
そして今、そういう時代を懐かしい、あるいは望ましい、その時代に戻りたい、と思う人が、特に政治家に、増えているようです。その「気分」は、「原発再稼働」を望む「方向」に連なります。まさに、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」です。

過去の事象が、いかなる意味を持つか、その認識を欠いたまま平然として、明日を迎える、これが習慣化しているように思います。「歴史」認識の欠落。「歴史」を「過去の栄光」とだけ見做し、「意味」を考えない人たちが増えているのかもしれません。
   教育の場面で、「歴史」教科を単なる「暗記科目」に貶めてきた「結果」かもしれません。

今日の毎日新聞に、同じ敗戦国であるドイツが戦後に執った行動が紹介されていました。ドイツの新聞記者へのインタビュー記事です。
その「行動」を知って、日本が未だに原発に依存しようと画策しているとき、何故ドイツが福島原発事故後、即刻「脱原発」に舵を切ったのか、その理由もよく分りました。
ドイツの為政者は(そして人びとも)、「ことの本質」から目を背けることをしないのです。
一方日本の為政者は、「本質」から目を背け、美辞麗句でごまかそうとする・・・。人びとは・・・?
特に、4段目のドイツと日本の「戦後処理」の相違点は注目してよいと思います。
ドイツの人びとは、「のど元を過ぎても熱さを忘れない」のです。一方日本は・・・ひたすら時の過ぎゆくのを待つ。人のうわさも75日・・・・。

全文を転載させていただきますが、コピーなので、読みにくいかもしれません。
web 版「そこが聞きたい」でも読めます。[追加17日 8.20]



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「耐震補強」 と surroundings

2013-08-13 09:41:53 | 構造の考え方
残暑お見舞い申し上げます。
立秋とともに、猛暑がやってきました!


雨水を一時的に溜めている池に、毎朝ヒメスイレンが咲きます。

[註記追加 14日 8.50]

学校の校舎の「耐震化:耐震補強」が進んでいない、という報道がありました。私の暮す茨城県はワースト5に入るそうです。

学校校舎の「耐震補強」で一般的なのは、既存の校舎の開口部のいくつかに、鉄骨製または鉄筋コンクリート製のX型の「筋違(すじかい)」を設置する方策です。
以前にも書きましたが、この施策の必要が報道されるたびに、私は「違和感」を感じます。

その違和感は、大きく分けて二つあります。
一つは、「耐震補強」の拠って立つ「建物の骨組み:架構についての考え方」についての「違和感」、もう一つは surroundings の観点からの「違和感」です。
いずれも、「これでいいのか?」という「疑問」に連なります。

前者:架構についての考え方:に対しては、すでにその「可笑しさ」「異常さ」( non-scientific であること)については、何度も書いてきましたので(後註記事もその一つ)、今回は、後者: surroundings の観点からの「違和感」:について特に触れることにします。

言うまでもなく、学校の校舎は、たとえば小学校は、6歳から12歳までの子どもたちが、昼間の大半を過ごす場所です。
すなわち、四六時中子どもたちを取り囲んでいる surroundings 、「居住環境・居住空間」にほかなりません
そのとき、開口部に設けられている大きなX型の筋違は、surroundings として、なくてはならないものでしょうか?
当然ですが、必要ありません。
   必要だ、と思われる方は居られますか?
6歳から12歳というのは、感受性豊かな子どもたちが、各自の感性に磨きをかける大切な時期です。
子どもたちは、surroundings との「応答」のなかで、感性に磨きをかけるのです。
そのとき、日常的に接する surroundings が、重要な意味をもつのは言うまでもないでしょう。
そして、開口部に設けられるX型は、邪魔以外の何ものでもないのです
。それとも、必要ですか?

明らかに、現在進められている「耐震補強」は、人の暮す surroundings を損なうことになる、という点については一考だにされていないのです
つまり、子供たちの成長に好ましくない環境が、教育を管轄するはずの文部科学省の推奨の下で、「耐震補強」という《大義》を立て、つくられているのです。
これはきわめて恐ろしいことだ、と私は思います


   いわゆる重要文化財建造物も、同じような耐震補強が求められていて、「文化財」の意義が失われつつあるようです。これも文部科学省の管轄!

   世の中には、この「耐震という必要不可欠な策」に異論を唱えるなどは、(国家の)《大義》に反するという「言論統制」に近いフンイキが漂っています。
   私はそれを「霊感商法」と同じだ、と書きました(後註参照)。なんだか、戦時下を思い出させます。
   
     なお、茨城県がワースト5であるということは、環境破壊が幸いまだ進んでいないということかもしれません!

もちろん私は、地震の際の安全性を確保することを不要と言っているのではありません(あえて「耐震」とは言いません。「耐震」などと「おこがましい」ことを言うから、進むべき方向を間違えるのです)。
   カテゴリー「地震への対し方・対震」で、この点に関する記事35編ほどがまとめてありますので、お読みください。[註記追加]

必要なのは、surroundings を確保したうえで、地震の際の安全性を確保することのはずです
それを為し得ていない方策は、「技術」と呼んではならないのです。
なぜなら、「技術」とは、「人間の生活に役立たせるために、その時代の最新の知識に基づいて知恵を働かせ様ざまなくふうをして物を作ったり加工したり操作したりする手段」のことです(「新明解国語辞典」による)。
しかし、現在行われている《耐震補強技術》には、「人の生活・暮し」の視点が全く欠けているのです

こういう耐震《技術》の「誕生」の背景には、どこか、原発《技術》の「誕生」と似たような状況があるように思えます。
かかわる《技術者》たちは前後左右が見えなくなり、「技術」の本来の意味を見失ってっているのです。
これは、もしかしたら、「理」を忘れ、「利」の追及に走りたがる現在の日本の「工学」の世界特有の現象かもしれません
。    
   「壁は自由な存在であった」シリーズで紹介したように、
   日本の建物づくりでは、
    surroundings を確保したうえで、地震時の安全性をも確保する技術を、中世~近世初頭には確立していた
と考えられます。
   まったく「壁」のない「風通しの良い」「今でも暮せる」建屋が、400年近く、何度も地震に遭いながらも健在なのです。
   こういう例は多数あります。しかし、工学研究者たちの目には入らないようで、研究の対象にさえなっていません。何故か?
   「解析」の方法が(分ら)ないからのようです・・・。
   しかし、かつての工人たちは、そういう「技術」を習得していたのです。もちろん「学」の存在しない時代に、です!
   彼らは「理」を「感覚」で把えることができたのです。「直観」による理解です。


耐震補強の名の下での私たちの surroundings の破壊を、私たちは黙認してしまっているのではないでしょうか。

   註 下記もお読みください(カテゴリー「地震への対し方・対震」にも入っています)。
     「耐震診断・耐震補強の怪-1」
     「耐震診断・耐震補強の怪-2」
     「耐震診断・耐震補強の怪-3」
コメント (3)
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この国を・・・42: にんげんをかえせ ―― 想像力を働かせているか

2013-08-07 10:38:31 | この国を・・・
8月6日、広島の原爆の日、東京新聞の社説は、いつものように明快でした。
web 版からコピーして、全文を転載させていただきます。



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この国を・・・42:「偽計」

2013-08-06 14:33:29 | この国を・・・
今日は広島原爆の日です。

こともあろうに、深刻な被害を生み、未だに収束の見通しさえ立っていない過酷な原発事故を起こした国の宰相が、「そういう過酷な事故を踏まえた安全な原発技術」と称して諸国を行脚し原発の売り込みに熱中しています。
この「神経の粗さ」、「感性の欠けた振る舞い」に違和感を覚えるのは、私だけではない筈です。
メディアの中には、この「行商」を、日本経済再興の起爆剤として歓迎すると論じるところもある始末。それを「経済」と言って憚らない論者の「知性」を疑います。

私は、この「行為」は、明らかに、「偽計(欺計)」であると思います。
そこへもってきて、「ナチスの手口に学べ」という呆れ返る発言が、宰相の取り巻きから為される。これは、まさに「偽計(欺計)のすすめ」以外の何ものでもない。
   偽計(欺計):相手を騙すための策略。他人を騙すはかりごと。振り込め詐欺然り。

そんななか、8月3日の毎日新聞の特集記事「記者の目」と「発信箱」に、このような政治家や経済人、その同調者たちを問い質す記事が載っていました。全文を転載させていただきます。

「記者の目」は、いかにして一般の人びとの原発への反発を薄めるか、そのための「偽計(欺計)」の謀議を告発、つまり、いうところの「安全神話づくり」の裏側を突いた記事です。

web版「記者の目」

これほどまでに「偽計(欺計)」をしなければならない、ということは、原発がいかに危険なものかを示す証にほかなりません。
そしてそれゆえ、当の本人たちは、「危険を安全と言いくるめること」が、「お国のため」の《正義》の行為である、と思い込んでいるのです。

次に「発信箱」を転載します。
今回の「発信箱」の内容は、「偽計(欺計)」を支えてきた言葉の軽さについて論じたもの。
簡単に言えば、「安全」に基準などない、ということ。

web版「発信箱」

世の中には、「脱原発」などは「情緒論、感情論」あるいは「書生論(理論倒れで現実に合わない論のこと)」だという方がたがいます。原発製の電気がなければ世の中真っ暗闇だと考える人たち。
おそらく、この方がたには、「福島の人びとの現実」が見えないのです。
その意味では、彼らの方が書生論。経済とは金儲けのことなりと一途に思い込んだ我利我利亡者。それ以外何も見えない。見えなくなっている。

何故こうなるのだ?
人の本来備えている「感覚・感性」に基づいて獲得する「知」を、安易に《学的『知』(科学的知、経済学的知・・・)》と置き換えてしまったからではないでしょうか。それが「科学的」なことと勘違いして・・・。

本来の人の「感覚・感性」を備えているならば、記事にあるような「言動」は、あり得るはずがない。
つまり、人であることをやめてしまったのではないでしょうか。




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回帰: re‐habilitation :の記-了・・・・「感覚」の復権 : 療法士の方がたへの敬意と謝意を込めて

2013-08-04 14:36:41 | 回帰の記
この夏は、七月の半ばころからミンミンゼミが鳴いています。一方、いつもなら朝から夕方まで鳴き続ける「夏」を代表するアブラゼミが、今年は少ないような気がします。朝夕、あたり一帯に響き渡るヒグラシも少ない。
いつも今頃下の写真のように咲き誇る百日紅も、今年は、葉の繁りのなかに埋もれています(下は一昨年の様子です)。
気象がおかしい、これが実感です。




退院してほぼ二か月半が過ぎました。発症から六か月半。当初は、今ごろ退院ではないか、と考えていました。

今は、左手指先に少し鈍いしびれがあり、同じく左膝の後ろ側がいつも張っている感じが遺ってはいますが、一応普通の暮しを行えています。
これは、まったく初期の適切な治療と、その後の「 re-habilitation の成果」であることは間違いありません。

そして、この折角の「 re-habilitation の成果」の「後退」を避けたいと考え、朝1㎞、夕方2~3㎞ほど歩き(犬に引っ張られて・・・)、また、左手を極力使うよう努めています(「引戸」の開け立てはかならず左手を使う、荷物を左手で持つ・・・など)。

さて、すでに何度も触れてきましたが、私が re-habilitation で「得たもの」は、
「一度失せかかった体の機能」の「回復・回帰」だけではなく、
「人の存在:行動・行為:の『基本』はすべからく『感覚』にある」という「事実」の「確認」が改めてできたことだった、と言えます。
つまり、「感覚」という「概念」、その「地位」の堂々たる「復権: re-habilitation 」です。
    re-habilitation は、日本語では「社会復帰」と訳されています。語本来の意味について、二回目の記事で触れましたが、その部分を再掲します。
   ・・・・・
   あらためて、“rehabilitation” の意味を辞書で調べてみました(研究社「新英和中辞典」に拠ります)。
   rehabilitationとはre-habilitation 、つまり、habilitation を「新たにする」「原状に復す」ということになります。
   では、“habilitation” とは、どういう意味か。
   これが厄介な語。辞書には、habilitate 「特に、ドイツの大学教員の資格をとる、資格があること」とあります。
   ゆえに、その名詞形 habilitation には、察するところ「資格(がある)」能力(がある)」という意味があるらしい。
   それゆえ、re-habilitation とは、「資格復権」「能力再建」とのような意味になるように思われます。
   「社会復帰」という日本語訳は、
   人としての通常の能力を復権すれば、普通に社会で暮せるようになる、とのような意を込めての「意訳」だったのではないでしょうか。
   ・・・・・

私は、学生のころから、建築の設計とはどういうことなのか考え続けてきました。
いわゆる《芸術家肌の建築家》と異なり、建物(の形)を「ひらめきで思い付く」などというのは、私はまるっきり「不得意」でした。だから、はじめのうちは、私なりに「気に入った」既存の事例を「真似る」ことでなんとか「設計(の真似事)」をしていたように思います。その一つがA・AALTOの設計事例であり、そして日本の「古典」事例、特に近世の諸事例でした(日本の古典は、可能な限り、実際に観にゆきましたが、AALTOの設計事例は、書物に拠るしかありませんでした)。
しかし、それでは「先がありません」。「こんこんと湧き続ける発想の泉」はないのか?いろいろと右往左往した結果たどり着いたのが、これまで書いてきたような考え方だったのです。その考え方の根本は、以下に要約できます。

人は常に「何か」に囲まれています。その「何か」を、surroundings と呼びました。日本語なら「環境」です。
なぜ surroundings という語を使うか、については、「 surroundings について-1」で触れました(「空間」という語を使ってもいいのですが、かえって誤解を生みかねません)。
surroundings とは、この記事でも書きましたが、「飛ぶ鳥にとっての『空』」、「魚にとっての『水』」にほかなりません。人にとって、「空」や「水」に相当するもの、そのことを指しています。
人は常に surroundings の「中」に在り、そこを離れて在ることはあり得ず、ときどきの状況に応じ、surroundings に「対応して」行動しているのです。道元の言葉を借りれば、次のようになります。
   ・・・・・
   うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。
   ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。
   ・・・
   鳥もし空をいづればたちまちに死す。
   魚もし水をいづればたちまちに死す。
   ・・・・・
     この道元の言葉に出会ったのは、だいぶ後のことです(上記記事で、もう少し詳しく紹介しています)。
そして surroundings に「対応しての行動」は、「私たちそれぞれの『感覚』に拠って制御されている」のです。これについても、何度も書いてきました(先の記事でも書きました)。
この点について、再び、たとえ話で説明します。
たとえば、ハイキングをしていて、休憩して昼食にしよう、と思ったとき、人はかならず、そのあたりで、「休憩し、食事をするのに相応しい場所」を探すでしょう。
   それとも、どこでもいい、と思うでしょうか。
   ハイキングのような場面では、そんなことはないはずです。
では、場所決めにあたり、人は、休憩し食事をするに相応しい要件を列挙し、要件ごとに「採点・評価」して決めているのでしょうか。
これは一見「最も現代風で《科学的な》方法」のようにも見えますが、そんなことはしないはずです。

大概の場合、一瞬のうちに、無意識のうちに、同行の人たち皆が同意を示す場所が決められるはずです。
そのときの、「ここにしよう」「ここでいい」という「判断」の「根拠」は、同行の人たちの「感覚」「感性」以外の何ものでもありません。
人は常にこのような「的確な判断」を行っているのです。しかし気付いていない!


私は、建物づくりの根幹は、この「事実」を知り、そして、それに基づき「 surroundings を整えること」が「建築の設計」である、との考えに辿りついたのでした。そして、その視点に立つと、いろいろな建物がらみの「事象」の説明がつくことも分ってきました。
要は、「建物づくりの根底になければならないのは、私たちの surroundings に対する『感覚・感性』を尊重することだ」ということになります。

けれども、「拠って立つ基盤は人の感覚・感性である」などという考え方は、到底、「共感を得ることは無理」でした。
なぜなら、これも何度か書いてきましたが、世の中では、「感覚」などというのは「人によって異なる」「不定」で「曖昧」なものゆえ、到底《科学的》とは言い難い、という《考え方》が《常識》になっていたからです。
そこで、いろいろな「思想書」の類を読み漁りました。そして、最先端の現代物理学者が、同様の趣旨のことを語っていることを知ったときは安堵したものです(「冬とは何か:言葉・概念・リアリティ」に載せてあります)。
もちろん、いわゆる「文学」の世界にも、同様の考えに立つ書が多数あることも知りましたし、いわゆる「哲学」や「言語学」の分野にも、・・・・・。
   そのいくつかは、すでに紹介してきました。

そして、「私たちの surroundings に対する『感覚・感性』を尊重する」という考え方に少しも問題はないのだ、と、いわば「自信を持つ」ようになったのです。
しかし、そこまで辿りつきながら、残念なことに、「人のあらゆる『動作・所作』そのものが、自らの『感覚』によって制御されているという『事実』の認識にまでは至っていなかった」のです!
論理的に言って、それは明らかに「片手落ち」、「理」が通っていません。
surroundings への「適応」は、この「動作・所作」の延長上にあるのです。そのことに気付いていなかったのです!私も、世の《科学的思考法》に毒されていたのかもしれません。

ところが、「思いもかけず」、 re-habilitation が、この重要な「事実」の存在、そして私がそれに気付いていないことを、あらためて私に認識させてくれたのです
具体的に、私の目を開かせてくれたのは、若い療法士さんたちでした。
彼らは、人のあらゆる「動作・所作」そのものが「その人自身の『感覚』によって制御されている」、この「事実」を、至極あたりまえのこととして会得し、その下で施療にあたっている、これは、私にとって、きわめて「新鮮かつ衝撃的なできごと」でした。簡単に言えば、私は私の「盲点」を鋭く突かれた思いがしたのです。

ここで、なぜ「会得」と記したか。
それは彼らは、この「事実」を、単に教科書的知識として「知っている」のではないからです。それは、彼らが、施療を受ける側の状況・状態にあわせ、施療法を「案出」することでわかります。「原理」を、臨機応変に「応用」できるのです。

たとえば、PT、OT両方で行われた訓練に、「手に持ったタオルで壁の上部を拭う」というのがありました。なるべく高いところを拭うには、手だけを伸ばすのではなく、足をしっかり踏ん張り、全身を精一杯伸ばす必要があります。PTの「目的」は、そうすることで、脚部をしっかり固定する練習になり、なおかつ姿勢の矯正の効果を期待したものと思われます。
一方OTでは、左手でそれをやるには肩から手先まですべてを働かせなければなりません。それにより、しばらく動かせないでいた部分を、いわば強制的に働かせることになるわけです。この訓練は、PT、OTとも、療法士さんは初めから予定していた訓練ではなく、施療の途中で、いわば急遽アドリブで追加した「課程」でした。ここに私は、彼らの、教科書的知識だけではできない臨機応変の「応用」能力を観たのです。
   この際使ったタオルも、その訓練用に、単に折り畳んだだけではなく手で掴みやすいように、「取っ手」部を縫いこんだ療法士さんお手製の「用具」でした。

人のあらゆる『動作・所作』そのものが、自らの『感覚』によって制御されているという『事実』は、その気になって、自らの「動作・所作」を観察してみれば、自ずと分ることで、しかもその「制御」の様態に感動を覚えるはずです。
今の世の中には、いろいろな場面で数多くの機械的センサーが働いています。
一方、人の「動作・所作」を制御しているのも、私たちの「感覚」というセンサーです。しかし、その性能に於いて、いかなる機械的センサーよりも、私たちのセンサーは優れているのです。
機械的センサーは、たぶん人のセンサーを目指しているのでしょうが、決してそれと同等になることはないでしょう。
なぜなら、私たちのセンサーは、機械的センサーとは異なり、いかなる状況にも微妙に対応できる能力があるからです。
たとえば、先に例に出した眼鏡のツルを掴むという「動作」について考えてみます。
眼鏡のツルを掴むという動作は、言葉にすれば一つですが、何のためにツルを掴むのかに拠って、掴み方が微妙に異なります。
単に眼鏡をはずすときと、眼鏡の曇りをとるためにはずすのでは、はずし方、したがって掴み方も異なりますが、自らの「動作・所作」を観察すると、その微妙な違いにスムーズに対応できていることに気付くはずです。そのとき、指先の動きも微妙に違っています。

この「動作・所作」を完全に機械で模倣しようとしたら、いったい、どのくらいの数のセンサーが要るでしょうか?
「何のために掴むのか」その場面それぞれに応じた数のセンサーを用意しなければならないはずです。しかも、「場面」の数は有限ではなく、いわば無限です。
しかしながら、私たちのセンサー:「感覚・感性」は、いかなる場面にも融通無碍に対応できているのです。
私は re-habilitation を通じて、人の「感覚」の(潜在)能力の大きさ・凄さに気付かされたのです。そして、いったい、その能力を本当に活用しているか、と思わず自問したものです


もしも、なお、「感覚」「感性」など不確定で曖昧だ、と思われる方や、《「科学的」データ》に拠る言辞こそ大事、と考える方には、一度でいいですから、「自らの動作・所作」について「観察」していただきたい、と思います。そして、「感覚・感性」をないがしろのできないことに気付いて欲しいと思います。それは、必ずや scientific とは、どういうことかについても示唆してくれるはずです。


一応平常(に近い)生活を可能にしていただき、さらに、重要なことを教えていただいた回復期病院の若き療法士さんたちには、どんなに敬意と謝意を表しても足りない、と思っています。
本当に有難うございました。



今回は、かつて、私に「感覚・感性」の重要さを教えてくれた書物の一つ、宮沢賢治の「春と修羅」「序」を転載しておしまいにさせていただきます。


       

  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといつしよに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち その電燈は失はれ)


  これらは二十二箇月の
  過去とかんずる方角から
  紙と硬質インクをつらね
  (すべてわたくしと明滅し
  みんなが同時に感ずるもの)
  ここまでたもちつゞけられた
  かげとひかりのひとくさりづつ
  そのとほりの心象スケッチです


  これらについて人や銀河や修羅や海胆は
  宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
  それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
  それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
  たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
  記録されたそのとほりのこのけしきで
  それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
  ある程度まではみんなに共通いたします

  (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
  みんなのおのおののなかのすべてですから)


  けれどもこれら新世代沖積世の
  巨大に明るい時間の集積のなかで
  正しくうつされた筈のこれらのことばが
  わづかその一点にも均しい明暗のうちに
    (あるひは修羅の十億年)
  すでにはやくもその組立や質を変じ
  しかもわたくしも印刷者も
  それを変らないこととして感ずることは
  傾向としてはあり得ます

  けだしわれわれがわれわれの感官や
  風景や人物をかんずるやうに
  そしてたゞ共通にかんずるだけであるやうに
  記録や歴史 あるいは地史といふものも
  それのいろいろの論料といつしよに
  (因果の時空的制約のもとに)
  われわれがかんじてゐるのに過ぎません

  おそらくこれから二千年もたつたころは
  それ相当のちがつた地質学が流用され
  相当した証拠もまた次次過去から現出し
  みんなは二千年ぐらゐ前には
  青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
  新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
  きらびやかな氷窒素のあたりから
  すてきな化石を発掘したり
  あるひは白堊紀砂岩の層面に
  透明な人類の巨大な足跡を
  発見するかもしれません

  すべてこれらの命題は
  心象や時間それ自身の性質として
  第四次延長のなかで主張されます


     大正十三年一月廿日  宮 澤 賢 治    宮沢賢治全集(筑摩書房)より

       註 原文は縦書きです。
         「論料」には「データ」とルビがふってあります。
         
         大正という時代は、西欧の「文物」が「輸入」され、大々的に日本特有の「誤解」が始まった時代だ、と私は考えています。
         そういう時代の一文ゆえに、訴えるところが大きい、と私には思えます。
         なお、この一文について、下記で補足を書いています。[註追加]
         「観察・認識・分るということ・余禄」
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