この国を・・・・29: 「人びと」、それとも 「国民」?

2012-07-19 19:02:59 | この国を・・・

梅雨明けの青空。合歓の花が盛りです。

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最近、「国民」という語が気になっています。
「国民」という語の指し示す内容が気になるからです。

たとえば、社会保障のありかたについては、「国民会議」の下で論議を深める、とのこと。
はて「国民会議」とは?
何のことはない「有識者」に論議していただく会議らしい。
そういう場合、これまでは「有識者会議」「有識者委員会」などと称してきたはず。それが、今度は「国民会議」だと言う。
「国民」とは「有識者」のことなのか?。
「それ以外」は何?「有識者」は、すべての人びとの代理者?
だいたい、「有識者」とは何?
大学教授、「その道の」専門家は「有識者」なのだろうか?
そもそも「有識」とは何を言うのか?
これらについての「解釈」「説明」は、いまだかつて聞いたことがない。
もちろん、「有識者」の会議がなぜ「国民会議」なのか、その説明はない・・・。

政府が主催する「エネルギー・環境会議の意見聴取会」というのが開催中です。
これは、「国民的議論」の場にする、というのが政府の「見解」のようです。
「意見聴取」という以上、「集った方がたの意見を聴く」のであろう、と思っていたら、まったくそうではないようです。
「原発依存0」、「原発依存15%」、「原発依存20~25%」の三つの選択肢のそれぞれについて、「無作為で選ばれた人」が「意見」を述べるのを、集った人びとが、一切質問も意見も言えず、ただ黙って「聴く」だけの会、のようです。
   しかもその意見陳述者の「選択」は、原発0、原発15%、原発20~25%、の選択肢ごとに
   「公平に」3人ずつ、「公正に」選んだのだそうです。
   意見を述べたい人の数の割合は、原発0>原発15%>原発20~25%、とのこと。
   「東京web」のデータを転載。
   
   「公平」「公正」の「概念」についても見解を糺したくなります。

しかし、人数に応じて意見を述べることができれば事態が正された、ということにはなりません
それは、いわば瑣末な話。
この場合の本質的な問題が三つあります。
一つは、「国民」的議論、の「国民」とは何を指しているのか
一つは、こういう形式の会をして、何ゆえに「意見聴取の場」と言うのか
そして、それをなぜ「国民的議論の場である」と称するのか
   この形式の運営を企画したのが「広告代理店」だそうです。さもありなん・・・。
   しかし、「企画」は明らかに政府が出したものの筈。
そしてもう一つは、
「意見」を、なぜいわば先験的に、この「三択」だけに集約するのか

この二つの事例は、結局は「根」は一つである、と私は思っています。
簡単に言ってしまえば、
人びとを「言いくるめる」ための「政治家たちのたくらみ」。これをして「政策」と言う?

「・・・人間として大事なのは、自分が相手の立場になった時にどう思うかだ。その痛みを感じる心を持ってもらわなければならない・・・。」
この「素晴らしい講話」は、誰が、何について語ったのでしょうか?

「いじめ」について、わが現・総理大臣が語ったのだそうです(「毎日新聞」17日付朝刊)。
そういう気持ちをお持ちなら、福島の多くの人びとの立場に立って、原因解明も、将来の姿も不明な、まして廃棄物の処理も未決なまま、大飯を再稼動する、などと言うことはできないはずです。いったい、この「決断」の際、どんな「相手」の「立場」に立っていたのでしょう?

つまりこれは、「人なんか言いくるめればいいのだ」、「言い負かして、勝てばいいのだ」(それをしてディベート: debate と思い込んでいる人が結構いるらしい)という「己のあり様:実像」をすすんで「証明」してくれたようなもの。
そして、今の政府の要人たちは、どうやら、皆そのようです。
それは、この「意見聴取会」なるものについて、未だにその「正当性」を説く企画担当大臣、原発担当大臣や、
「この程度の線量は、直ちに危険ということはない」と意味不明なことは言って平然としていた大臣、の「発言」を見れば分る。
今の政府の「要人」たちは、(若いのに!)その「発想」すなわち「精神」が、本当によく「似ている」。
人びとというのは、言葉の上で言いくるめれば済む、と「今の偉い立場にいる」方がたも、相変わらず、「かつての偉い」方がたと同じく、考えているのではないでしょうか。

   たまたま見ていたTVで、フィンランドの核廃棄物を10万年間埋設処理する地下施設を訪ねた方が、
   何万年後かの人たちに、「ここは近づいたり掘ったりしてはならない」ということをどうやって伝えるのか、
   と問うたのに対して
   フィンランドの専門家は、それが悩みの種なのだ、と素直に応じていました。
   日本の「政治家」や「専門家」なら、何と言うでしょうか?
   多分、それまでには方策が見つかっているでしょう、見つけるよう今努力しています・・・、とか
   あるいは「専門用語」を並べて煙にまく、・・・など、「言いくるめ」に「熱中」するでしょう。
   日本の「政治家」は、「言いくるめ」を「身上」「信条」とする方がたがほとんどであり、
   日本の「専門家」は「科学者」であっても、scientist ではないからです。

念のために付け加えますが、日本人が昔からこうだったのではありません。
こうなったのは、明治になってからです。
今の姿は、「近代」化策の成れの果て、と言ってよいでしょう。
たしかに、天は人の上に人をつくらなかった。
しかし、明治以降の偉い人たちは、すすんで人の上に人をつくる策を講じてきたのです。
その結果、人びとは、「偉い人(:言いくるめに没頭する人)」と「普通の人びと(:否応なく言いくるめられる人)」に二分されてしまったのです。
この「流れ」は、いったんは第二次大戦の敗戦で断ち切られたものの、それから半世紀以上経つ間に再び「復活」し、しかも、今「権力」の座にある方がたは、それを更に強固にし、なおかつ永続させようと願っている(誰の、何のために?)、としか思えません。これが私の歴史認識:理解です。
   「国会の原発事故調」が、その英語版で、
   原発事故は人災であり、それを惹き起こしたのは日本特有の「精神的風土」:島国根性・・にある、
   と書いてあるそうです。
   しかし、江戸時代の日本人なら、こういう人災は起していないでしょう。
   そこで触れられている日本特有の「精神的風土」・・なるものは、
   明治以降、いわゆる「近代化」の下で生まれたものなのです。
   調べると分ることですが、
   江戸時代の人びとは「国際的」です。
   もちろん専門家もいます。しかし、「今の世で見かけるような専門家」はいません。
   視野が「萬屋(よろずや)的」で、偏狭ではないのです。それぞれが scientist なのです。


さて、なぜ「国民」の語を私が気にするか。
最近の「大政翼賛」的な動きに併行して、頻繁に、「国民」「国民的」議論などという言葉が使われるようになったからです。
その向う側に見え隠れしているのは、「非-国民」という「呼称」ではないか。

今行なわれているさまざまな「画策」の「結果」、何か「方針」が決まったとしましょう。
たとえば、「原発依存15%」という策に方針が決まった、とします(このあたりを落としどころとする《シナリオ》があるのかもしれません)。
それは「国民的議論」を経て決まった策だ。
だから、決まった後、それに反するような意見を言う者は、「非-国民」である・・・。
つまり、「選別」の手段の《合理化》を急いでいる・・・。
政府の要人(三党《合意》の合意者も含みます)たちの「行動」を見ていると、そういう「方向」に「発展する気配」がきわめて濃い、と私は感じています。
   
もしそうではない、と言うのならば、
「国民」という語を、「人びと」という語に置き換えることができますか?
多分、できないでしょう。
なぜなら、もし「できる」のなら、耳に入ってくる「人びとの叫び」をして、「大きな音だね」などとして聞き流すことはできないはずだからです。
「国民」の生活は考えるが、「人びと」の生活は考えない。(偉い方がたの)言うことに叛く「人びと」は「国民」ではない・・・のかもしれません。
「人びと」はたしかに侮辱されているのです。

これでいいわけがありません。

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「日本家屋構造」の紹介-9・・・・軸部:柱と横材の「構造」

2012-07-16 13:18:08 | 「日本家屋構造」の紹介

2週間ほど時間が空きました。風邪は何とか治ったようです。再び「紹介」を続けます。

[文言補訂 17日 11.00]

今回は、「足固め(堅め)」、「二階梁・桁:胴差」など、柱へ横材を取付ける方策についての解説です。

まず、「足元の構造」について。


ここで「足元」と言っているのは、立上がりを設ける「布基礎」を用いない時代の「足元」です。
すなわち、
「礎石」の上に「柱を直接立てる」、あるいは「礎石」の上に「土台を流し、その上に柱を立てる」工法の時代の「足元」。
この書の解説は、このことを前提に書かれています。

「布基礎」主流の今では、「足固め(堅め)」を知る人が少なくなりました。
   一階の床は、通常、地面より高い位置に置かれます。
   「布基礎」を見慣れた目には奇異に映るかもしれませんが、
   その「床高」位置のあたりで「柱相互を結ぶ横材」を「足固め(堅め)」と呼びます。
   「床高」を確保するための部材は、「大引」「根太」ですが、
   特に、「柱の通り」に設けられる「大引」材を「足固め(堅め)」と呼ぶ、と言えば分りやすいかもしれません。
   柱通りに「大引」のような横材が設けられると、足元まわりがしっかりと固まってくることが知られ、
   その結果多用されるようになり、その役目を表わす呼称としてこの名称が付けられたのだ、と思われます。
   これも、現場生まれの知恵です。机上では生まれません
   なお、古代にも「大引」様の材が使われていますが、そこでは「床桁」と呼ばれていたようです。
   「床桁」の方が意味が分りやすいかもしれません。[文言補訂]
        このあたりのことについては、「再検:日本の建物づくり-7」をご覧ください。

「第一 足固め(堅め)及び床束」
「足固めの上端を床板の仕上り面と同じにする場合には、『足固め』材の両側面の上端を床板が掛かる幅を板厚分欠きとる。これを『板决り(いた しゃくり)』と呼ぶ。
『足固め』の継手は『鯱(しゃち)継』とするのがよい。
第三十二図は、『足固め』の『四方差(しほう ざし)』の『鯱(しゃち)継』の仕口の解説図。
「柱」で「足固め」が交差するので、一方を『下小根(枘)』(図の【甲】)、他方は『上小根(枘)』(図の【乙】)とする。
『鯱(鯱)継』に代えて(『枘』を『柱』に差した後、『柱』の側面から)『込栓打ち』とすることもある。
一般に『鯱(しゃち)継」は、『鎌継』などのように上から落として継ぐことのできない場合に用いられる(作業は横方向の移動で済む)。
『大引』の『柱』への取付きは『枘差し』とし、『足固め』材に取付くときは、図の【丙】のように、『蟻枘差し』とする。
『床束』は、図の【丁】のように、上部は『足固め』『大引』に『枘差し』とし、下部は『沓石』に『太枘(だぼ)差し』とし、『束』相互に『根搦み(ねがらみ)貫』を差し通す。
   『太枘(だぼ)』とは、『束柱』の径の1/3ぐらいの正方形で長さ1寸ほどの『枘』の一。
粗末な工事では、『根搦み(ねがらみ)貫』を通す代りに、『束』の側面に『貫材』を釘打ちとする。
『根太』は『大引』に『渡り欠き』で掛ける(図の【戌】)。」
  注  『渡り欠き』:『渡り腮(わたり あご)』にするため木の一部を欠くこと。
      『渡り腮(わたり あご)』:下図参照。
      図の【カ】が『渡り欠き』     (「日本建築時彙 新訂版」より)
      

  補註 この解説は、『足固め』の上面を仕上げの一部とする方法についてのもの。
      縁側の『縁框』を『足固め』に兼用する場合などが、これにあたります。
      一般には、『足固め』を設けても、床仕上げで隠してしまうのが普通ではないかと思います。
      この方法では、『根太』は、その上端を『足固め』上端より床板の厚さ分低い位置に取付ける必要があり、
      したがって『大引』は『足固め』の中腹に取付けることになります。
      『大引』~『足固め』の仕口が『蟻枘差し』程度で済むためには、
      『大引』断面が大きく、かつ、『束』が『大引』を確実に支持していることが必要。
      そうでないと、『足固め』の際で、床が暴れてしまいます。

次は「軸の構造」

「第三十三図の【甲】のように、『柱』に『横差物』を『追入れ(おおいれ)』に納め、『追入れ』の深さを柱径の1/8程度とし、図の【(い)】のように『柱』の『枘穴』の左右の一部分を残し他を彫り取り、差し合わせる方法を『鴻の巣(こうのす)』(→注)と呼んでいる。
『鴻の巣』を『差物』の『成(せい):丈』に通して設けることもある。
『鴻の巣』は、『柱』の力を弱めることがなく、『差物』の曲(くるい):捩れを防ぎ、また【(ろ)】の穴底に『柱』を密接させ、『枘』を堅固にする効果がある。
  注 「鴻の巣」   工人仲間の《常用語》  「日本建築辞彙」の解説をそのまま載せます。
     

第三十三図は、『二階梁』が『柱』に三方から取付く『三方差』の図。
【甲】のように、一方向:この場合『桁行』:では、『柱』を介して左右の材を『鯱(しゃち)継』で継ぎ、他方『梁行』は、『柱』に『小根(枘)』差しで取付け、【(に)】の穴から【(は)】に『込み栓』を打ち、『桁行』の右側の『材』に差すと、『梁』の【(ほ)】の欠きこみ部分を【(へ)】が通り、『鯱(しゃち)継』で左右の材が継がれることで、『梁」は抜けなくなる。
【乙】は『柱』への『根太掛(ねだ かけ)』けの取付け方。『根太掛』材に『襟輪欠き(えり わ がき)』を施し『柱』に取付け、『根太彫(ねだ ほり)』の穴から釘打ちで留める。
『隅柱』も同様に『襟輪欠き(えり わ がき)』をして大釘打ちとする。
『際根太(きわ ねだ)』は、『柱』に1寸ぐらい掛かるように掘り込み、その他の『根太』は1本置きに『二階梁』および『根太掛』などに【(ち)』のように『蟻掛』とする。」
  注 『襟輪』:木材の組手継手などに於いて、一つの木の縁(ふち)に設けたる突出をいう。
     「入輪(いりわ)」とも称す。     (「日本建築辞彙」より)
  補注 『襟輪』は、材の捩れなどを防ぐための「目違い」の一と考えられます。
      このような念入りな仕事は、最近見かけなくなりました。
      「柱」に添えて釘打ちするだけで、「根太掛け」が少し掛かるように「柱」を欠きこむことさえしないようです。

  補注 「梁行」にも「柱」を挟んで横材が伸びる場合が「四方差」です。
      つまり「柱」に十文字に横材が架かる場合。
      いわゆる『鴻の巣』は、「三方差」「四方差」の丁寧な刻みの例に過ぎず
      「三方差」「四方差」をすべてこのようにしなければならないわけではありません
      その意味で、最初に一番手の込んだ仕事を紹介することには、私は賛成いたしかねます。
      継手・仕口は面倒だ、という誤解を生じる一因になってしまうからです。現にその気配が感じられます。
      大事なことは、「原理」を知ることではないでしょうか。
      単に《面倒で手の込んだ仕事を知っている》だけでは何の意味もない、と私は思います。


次回は「小屋組」についての解説になります。
     

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この国を・・・・28: もののあはれ

2012-07-08 23:11:46 | この国を・・・

槿の花が咲きだしました。風の中、少し揺れて撮れてしまいました。

[文言補訂 9日朝]

先週の金曜日の深夜、咳が出て寝床を抜け出し、所在なくつけたTVで、数年前の番組の再放送をやっていました。
「漂泊のピアニスト アファナシェフ もののあはれ を弾く」。

ここ数ヶ月、あまりにもデジタルな話にばかり係わっていたこともあり、思わず咳もとまり、聞き入りました。
大事なことを忘れそうになっていたな・・・。

アファナシェフは、ソ連時代のロシア生まれのピアニスト。
国家・権力が芸術をも差配する社会をきらい亡命、日本の文化に共感を覚え、自らの音楽世界構築の礎にした、という。
彼は、源氏物語や徒然草を愛読し(日本語で読んでました)、能の世界に共鳴し・・・、日本の古代~中世の人たちの「もののあはれ」という「世界の認識のしかた・ありよう」に共感したのです。
番組後半、京都・岩倉実相院での、うまい言葉がありませんが「鬼気迫る」とでもしか言いようのない、空間に引きこまれてゆくような演奏は、圧巻でした。

「もののあはれ」。
懐かしい言葉です。中学・高校の「古文」で初めて聞いた言葉、そして、その意味するところに、何となくですが、共感を覚えたものでした。
「もののあはれ」とは、国語辞典によれば
「目に触れ耳に聞く物事につけて感じられる、しみじみとした情趣(平安時代の貴族社会における理念とされた)」(新明解国語辞典)
「・・・『もの』すなわち対象客観と、『あはれ』すなわち感情主観の一致する所に生ずる調和的情趣の世界。優美・繊細・沈静・観照的の理念。・・」(広辞苑)。

中世に生まれる日本の諸「芸術」は、建物づくりをも含め、たしかに、その根に「もののあはれ」感・観が潜んでいます。と言うより、それなくしては、つくられなかった、と思われます。
先に「 SURROUNDINGS について」でも触れたように、私たちの日常の生きざまは、明らかに、本来、この「もののあはれ」感・観:主客同一の世界に在らんとする心情・理念:に拠っているのです。
そしてそれは、本来、(洋の東西・地域を問わず)人びとすべてに共通する「心情・理念」であったであろう、と私は考えています。
中世の人びとは、それに素直に応じてきた・・・。
   註 「 SURROUNDINGS について」のシリーズは、カテゴリー「建物づくり一般」からアクセスできます。

しかし、「近代化」が著しくなるにつれ、それらはすべて消えてゆこうとしている。
元来根ざしていたことどもから、浮いて離れて生きることに平気になってしまった、あるいは平気になることこそが「近代化」だ、と思っている・・・。

私は、学生時代に感銘を受けたある詩の一節を思い出していました。

  ・・・・・・
  ・・・・・・・・今の世では、嘗てなかったほどに
  物たちが凋落する――体験の内容と成り得る物たちがほろびる。それは
  それらの物を押し退けて取って代るものが、魂の象徴を伴はぬやうな用具に過ぎぬからだ。
  拙劣な外殻だけを作る振舞だからだ。さういふ外殻は
  内部から行為がそれを割って成長し、別の形を定めるなら、おのづから忽ち飛散するだろう。
  槌と槌のあひだに
  われわれ人間の心が生きつづける、あたかも
  歯と歯のあひだに
  依然 頌めることを使命とする舌が在るやうに。
  ・・・・・・・・
  ・・・・・           リルケ 「ドゥイノの悲歌」: 第九の悲歌
  
20世紀初頭のヨーロッパ。
そしてそれは、今の日本であるかのよう・・・。


今日は日曜日。東京新聞の社説:週のはじめに考える:は相変わらず明晰です。
東京webからそのまま転載します。


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ちょっと、お休みを・・・。

2012-07-04 14:44:49 | その他


道端のドウダンの茂みのなかに、小さな釣鐘があるのを見つけました。
縁が薄黄色をした蜂の巣でした。小さな蜂が懸命につくっています。6月30日の夕方です。
その前日ごろから、おかしいなと思っていたら、どうやら夏風邪にかかったらしく、ここ数日、熱が37度から下がりません。
そんなわけで、「日本家屋構造」の紹介の続き、編集が手付かずですので、ちょっと休みます。
蜂は、元気にまだ作り続けています。何という名の蜂なのか、まだ分りません。
コメント (7)
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