「高断熱・高気密」は本当に省エネか?

2007-10-31 09:02:55 | 建物づくり一般
先日、「遮熱材」を使って高「断熱」の建物をつくる、という話を聴きに行ってきた。
要は、こういうこと。
熱の伝播は輻射熱がかなりの量を占めているにもかかわらず、これまでの建物の「断熱」は、熱伝導率の低い材料で「断熱」するものが主で、輻射熱の「断熱」を考えていない。そこで、輻射熱を受けない材料による「断熱」を考えよう、というもの。要は、輻射熱を反射させる、というのである。

「断熱」という語も大仰だが、それにもまして「遮熱」は大仰だ。
東京都は、市街地のビルの屋上に、「遮熱材」を張りつけることを推奨している。それによって太陽熱を反射し、建物自体が暖まらないようにする⇒空調費を節約できる、という算段らしい。しかし、さすがに「遮熱材」とは呼ばず「高反射率材」という用語を使っている。この方が正しい。
屋上緑化も奨められているが、こちらは植物を植えた土の層を設け、熱を吸収させようという算段。

「断熱材」も「低伝導(率)材」または「保温材」と言うべきなのだ。
正当な用語を使えば、誤解が減り、世の中の「断熱」神話も少しは改まるのではないか。

たとえば、土間コンクリートが地温にならないようにと、コンクリートの下に「断熱材」を敷く仕様がある。
これは、「断熱」の語の魔術にのせられた例の一つ。
通称「断熱材」は、単に熱伝導率が低い材料にすぎないから、「断熱材」の上に打設されていようが、ある時間が経過すれば、コンクリートは地温と同じになっている。
夏の高湿のとき、コンクリートは地温に下がっているから、朝にはコンクリート表面に結露する。夏の朝、舗装道路が濡れているのと同じ。
だから、ベタ基礎を私は好まない。床下に湿気が流れ込むと結露の恐れがあるからだ。地面のままなら、地面が吸収し、空気が乾けば、あるいは気温が上がれば、放出され、液体として溜まることはない。
だいたい、床下というのは、地面から水が湧き出してでもいないかぎり、乾燥するのが普通だ(だから、たいてい、アリジゴクが暮している)。そういう所に、わざわざ水を溜める必要はない。防湿コンクリートなどというけれども、それは、下から常に水が湧き上がっているような所で敷設するもの。

RCの陸屋根に分厚い「断熱材」(15cm厚ほどのウレタン)を張り、塩ビシートを張った防水とし、室内には天井を張らず、スラブに直接仕上げ材を吹き付けただけの建物で暮したことがある。
夏場、午前9時をすぎると、室内の気温が強烈な暑さになる。「断熱材」があっても、朝早くから陽が注ぎ続ければスラブは熱を帯び、その輻射熱が室内を「暖める」のである。
そして、夜になっても、熱を放射し続ける。なぜなら、「断熱材」のおかげで、一旦暖まったスラブから、熱が外に逃げにくいのだ。外気が冷えていても、それによってスラブが冷やされるよりも、スラブの保有する熱の方がはるかに大きいということ。この設計も「断熱」の語に惑わされたのだろう。

さて「遮熱材」による「断熱」はどんな現象を生むか。
夏場、舗装した地面は熱を帯び、そこを歩くと照り返しで暑い。照り返し、つまり太陽の熱を吸収した舗装材料が、熱を輻射しているからだ。
舗装材が高反射率の材料だったらどうなるか?
材料自体の熱の吸収は少なく(つまり、暖まらず)、したがって材料自体の出す輻射熱は減るが、その代り太陽熱がぎらぎらともろに跳ね返ってくるだろう。鏡は、太陽にあたっても鏡自体は暖まらない理屈。その代りまともに鏡を見ることはできまい。
ということは、「遮熱材」を塗布すると、反射された熱が、あたりを熱することになるのではないだろうか。つまり、これは字のとおりの「照り返し」。何となくエアコンで冷房時、屋内が冷えた分、屋外を暖めているのを思わせる。
それだったら、屋上緑化の方が近所迷惑にならないし合理的(reasonable)。気象観測用の百葉箱の周辺が芝生になっているのも、地面からの照り返しを防ぐため。

最近では、「断熱・気密仕様」でない家屋は劣悪である、省エネでない・・・というのが半ば「常識化」している。先回も書いたが、「高気密・高断熱」にして、ほとんど年中空調によって室内環境を維持している住宅が多くなった。空調機の効率はよいかもしれないが、これをもって省エネと言えるのだろうか。

   註 RCの建物を「断熱材:保温材」でくるむいわゆる「外断熱」が
      西欧では盛んで、それはRCの建物特有の問題(結露)に対して
      きわめて有効、ということで、それを木造建物に応用するという
      動きが流行っている(「外断熱」「外張り断熱」とが混用)。
      しかし、西欧では、古くからある煉瓦造や石造、木造の建物では
      行われていないようだ。
      RCは、これらとまったく違う性質があるからだ。

私の家の隣は、煉瓦タイル様の目地模様入りサイディング仕上げの今流行の外壁に通気層をとった「高気密・高断熱」の木造(?)家屋。内部も大壁。
南面に3室が並び、それぞれに高さ2m、幅2mほどの掃き出しサッシ。欄間はなく雨戸シャッター付き。

このあたりは、夏暑い。しかも湿度が高い。今年は特にひどかった。しかし、南よりの風がいつも吹いている。風を通すと、日陰ならばそれなりに涼しくなる。
だから、私のところでは空調は動かさず(長年動いていない)、軒の出が5尺あるから日陰も確保でき、窓を開けておけば、まあ何とかしのげる。
網戸付きの欄間があるから、夜は欄間を開けっ放し。時には明け方、寒いと思うときもある。

ところが、隣家では、四六時中窓を締め切り、空調を回しっ放しで夏をすごしていた。もちろん、夜も空調依存。
「高気密・高断熱」にした今風のつくりの家では、結構、こういうお宅が多いようだ。

第一、シャッターというのは、一部だけ開けておくという芸当はできない。
昔の雨戸には、戸の上部に「無双窓(むそうまど)」がしこまれている場合もあったし、雨戸の入る開口の上部、つまり鴨居の上には欄間があるのが普通だった。欄間も「無双」になっていることが多く、外に網がはってあれば虫も入りにくく、よく風が抜けた。
たしかに都会の真ん中では、汚い外気を室内に入れるよりは、外気と縁を切った方が暮しやすいのだろう。もっとも、汚い外気を誰が作ったかというと、本人も犯人の一人なのだが・・・。
このような都会の状態を基準にして物事が考えられてしまうと、空気の綺麗な所に暮す人にとっては甚だ迷惑。各室に換気扇を設ける等というのがその一例。これはシックハウス対策だったはずなのに、有毒ガスを発生しない材料のつくりでも、いわば無差別。これなども省エネに反する。隣家にも、各室に付いている。使っているようには見えないが・・。

   註 無双窓
      開口部に小幅(2寸程度)の板で、板幅より若干狭い隙間をとった
      縦格子を設け、その内側に、それと同形の可動格子を設ける。
      可動の格子は、上下に框が付いていて、樋端を滑らせる。
      固定の格子の隙間に可動格子の板部分をあわせると「閉」状態、
      板にあわせると「開」状態になる。
      日本独特の開口装置と言われている。

高気密・高断熱に夢中になる前に、考えるべき点があるように私には思える。
たとえば、部屋の回りに3尺~1間幅の縁側を設け、縁側境に障子が入るかつてはあたりまえだったつくりは、この縁側の空間が、下手な「断熱」よりも、数等温度調節上優れ、安上がり、第一暮しやすい。
けれども、こういうつくりを「耐力壁依存工法」でつくることは、至難の技になってしまった。縁側が回っていたって、十分地震に堪えてきているにもかかわらず!


「近代科学の知識」がなくても、いや、それがなかったからこそ、かつての日本人は、自らの実感・体感・直観をもって、日本という環境で暮す知恵を身につけていたのだ。
地震に強い「一体化・立体化工法」もその一つ、それによった軒を深く出し、縁側を回し、空気の流通のよいつくりとするのも、その一つ。
なにしろ、長い長い年月をかけて獲得してきた知恵。いったいなぜ、これらの知恵を見向きもしなくなったのか。まことに不思議な話である。

そしてまた、室内環境の制御を、ただ「断熱材」を付加することだけに頼るのではなく、建築材料そのものについても考え直した方がよいのではないか。その点、会津・喜多方の「煉瓦蔵(木骨煉瓦造)」は一つのヒントを与えてくれている(特に寒冷地向けとして)。
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セキュリティと避難

2007-10-28 18:54:06 | 建物づくり一般
 
アメリカ・カリフォルニア州で起きている山火事。その映像を見ていて奇異に感じたことがある。
山火事は山林だけではなく、多くの家屋をも焼いている。その被災した建物が、まさに字の如く灰燼に帰し、形体を残していないのだ。
これはもちろん単に山火事の火勢が強かったせいではない。合板主体の2×4工法だからだろう。合板を燃やしたことのある人なら、知っているはず。合板は簡単に燃えだし、よく燃える。おまけに燃えると異臭を発する。接着剤が燃えて出すガス。難燃合板だとさらに臭い。 
軸組工法の場合、普通は骨組の残骸が残る。骨組まで燃えてしまうということは、まずない。

この山火事の場合、事前に火が迫っていることが分り、避難の余裕が十分にあったためか、家屋火災による直接の死傷者はないようだ。
しかし、これが普通の火災だったらどうなるか。詳しくは知らないのだが、彼の地の住宅火災は、燃える速さが早いのではないだろうか。
ただ、救いは、彼の地の戸建て住宅は、面積:規模が大きく、密集しておらず、家の中でも外でも逃げるゆとりがあること。

近年、日本の家屋火災では、従来とは比べものにならないほど死傷者が増えているように思う。高齢の方が被災される例が多いが、しかしそれは単に高齢だからではないだろう。そうではなく、「高齢の人が簡単に外へ逃げ出しにくい」建物になっているからではなかろうか。もちろん、二階建ての二階は逃げ出しにくいが、一階でも逃げ出しにくい建物が多いように見える。

最近つくられる建物は、従来の建物に比べ、圧倒的に開口が少ない。
それは、狭隘な敷地に建つため近隣との関係で開口を小さくせざるを得ないことが一つ、そして、これが最大の理由と思われるが、耐力壁の確保のために、開口が限られる。そして更に《高断熱》、ときには《高気密・高断熱仕様》(その結果、室内の環境は、常時空調にたよる住居が増え、何のための《省エネ》《断熱》か、訳が分らないのだが・・・)。開口は小さく、かつ密閉されている方が得だから、腰付き窓や嵌め殺し窓が多くなり、掃き出し窓は当然少なくなる。
更にその上、建具はアルミサッシになり、複層ガラスが増え、市街地では二重の鍵があたりまえ、ときにはシャッター、雨戸が付く。
それらの建具は、昔のそれとは違って、体当たりで外れるなどというヤワなものではない。
また、昔に建てられた住居でも、気密性の確保のため、アルミサッシに替えられていることが多い。開口部の大きさは最近の建物よりも広いが、簡単にははずれないのは同じ。

つまり、外からの「侵入防止につとめる=中からも簡単に出られない」つくりが増えたのだ。
最近の建物のつくりは、セキュリティと言いながら、いざというとき、外へ出られる場所が少なく、簡単には出られない。
セキュリティとは「安全」のことなのだが、侵入防止という一方向のセキュリティしか考えられていない、ということ。 

火災による人的事故予防のため、火災警報装置の取付けが義務付けられた。たしかに装置はないよりはある方がよいだろう。しかし、開口部が、出やすいようになっていなければ、根本の解決にはならないような気がする。
外からは入りにくいが、簡単に逃げ出せる、そういう機能の備わった開口部・建具を考え出す必要があるのではないだろうか。

ちなみに、わが仕事場兼住居の玄関ドアは、木製で透明の強化ガラス入りの格子戸。格子と言っても1尺角程度(上掲左側の写真)。中が丸見えで、防犯上危惧する人がいないわけではないが、外から中が丸見えということは、中からも外が丸見え。誰が訪れたか、たちどころに分る。だから、悪意を持って訪れるには、どこからか見られている気分になるから《勇気》がいる。
では、普通の人は訪ねにくいか、というとそうでもない。むしろ、拒否される感じがないらしい。他の場所の開口も、覗こうとすればどこも覗ける。これも逆に、覗こうとする者がいれば、中から見える。つまり、用がなければ、立ち寄りにくく、用のある人を拒否しているわけでもない。
大分以前から、そういう設計で済ませてきている(上掲右側の写真)。何のことはない、これはわが国の昔の人の住居のつくりかた。最近の住居のつくりかたは、あえて言えば、常に外敵を意識していた時代の旧習を引継いだ中国西域や西欧のつくりかた。世の中、外敵ばかりになってしまったのか。
日本の住まいは、閉鎖的な空間をつくることから開放的な空間をつくることへと変ってきたことに以前触れた。最近の住まいは、古代以前に戻ってしまったような気がしてならない。

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200年住宅?!

2007-10-25 20:27:20 | 建物づくり一般

[深夜に、追加付記しました]

今度は、200年住宅だって・・・!!!

現首相の所信の中に、200年住宅という言葉が現われた。これまでは100年住宅。イメージ倍増計画?大きいことはいいことだ?ドリームジャンボ計画?
これは現首相が会長をつとめる自民党の「住宅土地調査会」の「提言」が出所だ。

その提言は12ある。概要を羅列すると、以下の通り。
1)超長期住宅ガイドラインの策定(200年住宅のイメージの共有)、2)住宅履歴書の整備、3)分譲マンションの適切な維持管理のための新たな管理方式・権利設定方式の構築、4)リフォーム支援体制の整備・長期修繕計画等の策定およびリフォームローンの充実、5)既存住宅の性能・品質に関する情報提供の充実、6)既存住宅の取引に関する情報提供の充実、7)住替え・二地域居住の支援体制の整備と住替え支援の住宅ローンの枠組み整備、8)200年住宅(スケルトン・インフィル住宅)の建設・取得を支援する住宅ローン等の枠組み整備、9)200年住宅の資産価値を活用した新たなローン提供の仕組みの構築、10)200年住宅に係る税負担の軽減(住宅に係る税制の検討)、11)200年住宅の実現・普及に向けた先導的モデル事業の実施、12)良好なまちなみの形成・維持。

この《提言》は、最近の日本の住宅の寿命が平均30年だ、という認識から出発している。そして、建物として200年保つ住宅の構想、その取得費用と営繕費用へのローンの整備、住宅税制の優遇、等々を行えば寿命が延びる、と考えているのがこの提言の骨子。

この「提言」は、一言で言えば、現在「懐が豊か」で「裕福な住宅」に住まわれている方々の、言い換えれば一般の人びとの実体を知らない方々の、妄言に等しい。
なぜか。
なぜ最近日本の住居が低寿命になったか、についての分析がまったくなされていないからだ。一般の人びとの暮しをまったく見ていないからだ。

この点についての私の分析は、以前すでに触れた(8月10日「住宅の低寿命化はなぜ起きたか」)。
すなわち、構築物としての住宅の物理的寿命の低下は、一に、1950年以降の建築基準法をはじめとするわが国の建築法令が進めてきた木造建築の規定・仕様に最大の原因がある。
元来、住宅はもちろん木造主体の日本の建物は、構築物として寿命の長いつくりであった(わざわざ短命な建物をつくるはずがないではないか)。
そういうつくり方を否定し、黙殺し、つくれない方向に舵をとってきたのは、建築基準法をはじめとする法令であること、そしてその動きを推進してきたのは、一握りの学者と自称する人たちの群れであったことについても、しつこく何度も触れてきた。

つまり、現行の法令を撤去し元来の工法に立脚すれば、自ずと寿命の長い建物になるということ。現に、元来の工法と法令規定の工法との明々白々な落差に恐れをなしたのか、近年、元来の工法の法令への取り込みに躍起になっているではないか。

  註 私は、変な形での「取り込み」を恐れる。
     限界耐力計算法に安易にのるべきでない、と言うのは
     それを恐れるからだ、
     つまり、伝統工法が歪められるのは明白だからだ。

これもすでに触れたが、このようにして物理的寿命の低下策を進めてきた上に、さらに、高騰する固定資産税、都市計画税や相続税は、敷地の切売りを余儀なくさせ(まだ使える上物の建物をも壊すことになる)その建物を使い続けることを不可能にしている。
その結果は、敷地の細分化、敷地規模の狭隘化を否応なく進めてしまう。それでも維持できない人びとは、その土地を売り(売買するにも、現在は、地価が圧倒的に建物の価格よりも高いから、建物ではなく土地がその対象となる)、生まれ育った土地を離れてゆかざるを得なくなる。

そして、跡地を買うのは、再開発業者。再開発は、税制でも優遇される。つまり、この現行税制は何を目指しているか明々白々ではないか。
提言の言う「良好なまちなみの形成・維持」がこれでどうしてできるというのか。これは、体のいいスラムクリアランス以外の何ものでもないのである(追われた人びとは、別の場所に新たに狭隘な敷地の狭隘な住宅に住む、あるいは公営住宅で生活保護をうける、あるいはホームレスになる)。いったいどこに夢があるというのか!
それとも、スラムクリアランスを、良好なまちなみの形成と維持とでも言いたいのか?六本木ヒルズなどが良好なまちなみだと言いたいのか?恐ろしい話だ。(字句追加:10月26日3.51AM)

経済成長第一主義者は、よく、全体の経済が成長すれば、個々人にもその結果が《返ってくる》という。《返ってくる》とは聞こえがよいが、何が返ってきたか、おこぼれでも返ってきたか?
この一般の人びとを苦しめてきている地価に応じる税制(人びとを苦しめているのは住宅に係る税ではない)は、1962年に策定された「全国総合計画」通称「全総(ぜんそう)」に始まるいわば「地価の上昇をもって地域経済の隆盛」とみなす政策が進められた結果である。

なお、この全総は以後現在まで5回策定されており、一全総~五全総(1998年)と通称されている。
この策定すべてに関わっているのは池田勇人、佐藤栄作、田中角栄各内閣の「国土開発」に絶大な影響を及ぼした下河辺淳元国土庁事務次官、健在。
「全総」は1950年に制定された「国土総合開発法」に基づいている。
「一全総」で一応成功したかに見えるのは八戸、四日市などだけ、むつ・小川原は掛け声だけで終り、やむを得ず今は原発廃棄物保管場として生き延びようとしている・・・。
私は、この同じ年に制定された「建築基準法」と「国土総合開発法」こそが、 環境破壊、過密・過疎の激化、住空間破壊など、戦後の日本を傷めつけてきた元凶だと考えている。 


日本の住宅の低寿命化は、常に欧米の住宅と比較される。
そのとき、常に置き忘れられるのが、彼我の敷地面積の大いなる違いについてである。
日本の狭隘な敷地面積は、彼の地の住宅の床面積もない場合さえある。こうなっている理由は先に述べた。しかし、この点について、先の「提言」は全く触れていない。
おそらく自民党調査会の委員の面々は、敷地面積100~150㎡などいう狭隘の地には暮していまい。大きな敷地で、その固定資産税・都市計画税を払える十二分な所得があり、相続に当たっても別段困らない。つまり、実感がないのだ。それは、先の国土庁事務次官自体も同じはずだ。

(なお、この全総策定者と同年代で、戦後の日本の住居の質に大きな影響を与え公営住宅の基本を決めた学者は、庶民の実感には程遠い大きな住居に暮し、庶民を見下し、彼らに暮し方を指導してやる、という態度が著しかったことを、私はよく記憶している。これについても、いずれ詳しく触れなければならない。日本の住居を「おかしくした」元凶として。)

また、提言は、盛んに各種のローンを気にした発言をしている。寿命の長い建物は普通の建物よりも、つくるのにも修繕するのにも多額の費用を要すると考え、そのためのローンを用意しようというのである。
元来の日本の工法:いわゆる伝統工法:によって建物を建てるとき、茨城県下であれば、いわゆる坪当たり単価でいうと(工費のこういう表しかたは好ましくはないのだが)、普通の材料で、現在でも、60万あれば十分に長く保てる建物をつくることができる。
つまり、現在の普通の融資制度の下で、十分に建設できる。長く保つ建物は金がかかる、というのは迷信、誤解、曲解にほかならない。

これについては、いわゆる伝統工法、私の言葉では一体化・立体化工法で仕事をしている大工さんに訊いていただければ分る話。
なぜなら、いわゆる伝統工法は、長年にわたり、日本という環境で鍛え上げられてきた工法であり、決して無駄な金をかけない工法だからだ。
法令規定の工法(耐力壁依存工法)や2×4工法とは、鍛え方がまったく違う。合板や金物が、どうやったら200年保つというのだ。

では、一体この200年住宅提言は何なのだ?
察するに、新規の住宅関連ローンの策定が主眼のように思える。提言に出てくるローンの語の回数の多さにそれが垣間見える。
そしておそらく、そのイメージは、いま世界中をさわがせている主にアメリカで行われてきたサブプライムローンだったのではないだろうか。ローンを証券化し、ハイリスクだがあわよくば濡れ手に粟のハイリターンをと期待する投資家に売り出し、儲けようという魂胆の制度。根は、何もしないで儲けようというかつての近江商人なら嘆くだろう商法。
ところが、ここに至ってそれがパンク。この提言の主の「住宅土地調査会」はどう考えるのだろうか。

たまたまあるブログで、200年住宅について、別の見解が載っていたので、そのまま以下にコピーする(誤字は訂正)。

年末までこの路線でやって
それで200年住宅(固定資産を長期的に徴収する手段)前に
不適格住宅を沢山作ります。

市場に土地建物が大量に放出されたところで拾いに出る部隊が回収します。
大工、建築士など専門職を廃止させる圧力が増えます。

200年住宅として税金の話がアナウンスされるようになり
みんな賃貸がいいよ、になる。

海外から工業製品な住宅やノウハウを導入した方が、
単価が安くなるとアナウンスする。

外国主導で土地を取得し、
建設市場には200年住宅や建物が席巻するようになる。

評価固定資産が手に入り日本政府もウマー。

うがった見方だが、これまでのやり方(アメリカの輸入規制への圧力で、2×4工法や構造用パネルを導入した「実績」がある)を見ていると、十分にあり得る話。
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「耐震診断」と「耐震補強」・・・・続・この場合はどうなる?

2007-10-20 13:28:57 | 地震への対し方:対震

[註記追加:10月21日10.35AM]

 先回配置・平面と写真を載せた建物の実施設計図。

 このような壁を「底版=土間コン」と一体になるように打設。
 コンクリートが打ち終わり、型枠をばらすと、薄い板が等間隔に地面から生えているような感じだった。

   註 まだ異型鉄筋は普及しておらず、丸鋼だけの時代。
      配筋詳細図中のFG2は、開口部腰部分。

 壁ができれば、あとは、鉄骨の母屋を架けるだけで屋根の形の下地ができあがる。
 母屋を架ける段階で、思わぬことが起きた。
 鉄骨は端から順に据えながら継いでゆくわけだが、数スパン進んだところで、母屋の鉄骨に少し触れるだけで、架けた鉄骨が上下に揺れだし、揺れがなかなかとまらないのである。
 何のことはない、理科の実験でよくやる「正弦波」が見事に生じたわけ。このままだと、屋根ができあがっても、運が悪いと、風で屋根が波打つこともあり得ないわけではない。
 これは母屋の固定箇所が等間隔であることから生じたもの。それを崩せばよい。そこで母屋相互に、不定の間隔で9Φの鉄筋を張ることにして一件落着。

 このような形の建物をつくろうとすると、壁は壁、床は床として別々の要素に分けて考え、一体として考えることをしないのが普通だろう。その場合、壁を自立させるための策、たとえば壁に直交する控になる部分を設けるなど・・、を講じなければならくなる。つまり、いわゆるXY方向に耐力部を、という考えに至ることになる。
 別の言い方をすれば、現在は、ものを一体としては考えず、要素の足し算で考える考え方が主流なのだ。その点では、木造もRCも変らない。その方がたしかに簡単だ。
 けれども、足し算で考えたものでも、出来上がると、結果として、全体はある程度一体になる。木造の建て方現場で架構の上に乗っていれば直ちに分ることだが、最初ゆさゆさと揺れていたものが、部材が組まれてゆくにしたがい、揺れなくなる。特に小屋部分は顕著で、切妻屋根や寄棟屋根では、その形が出来てくるとともにきわめて頑強になる。
 設計者が足し算で考えていようが(いわゆる教科書的在来工法でも)、架構自体は一定程度は一体になる。まして、従来の継手・仕口で組む工法では、それが著しく、その固まりようは、在来工法の比ではない。特に、差口を多用した場合には、建て方の中途からは、仮筋かいも不要で、建て方終了時には垂直・水平は自ずと保たれ、間起こしの必要などない程だ。
 そして、これが重要なことなのだが、一体で考えると、足し算で考えるよりも、部材の大きさが小さくて済む。ここに例示した建物の場合も、当時の普通の「RC+鉄骨屋根」の同規模建物と比べ、材料は相当少なくて済んでいたのではないか。

   註 この建物の場合、簡単な形体だから、
     型枠仮設をはじめ、手間も少なかった。

 ところで、今さかんな「耐震診断」は、足し算思考に依っているから、そういう「診断」による「補強」が一体化構想の建物に施されると、「一体のもの」の「一体」が逆に傷められ、かえって危険になることが、容易に想像できる。先に紹介した部分的にRC筋かいで「耐震補強」をした小学校の場合も、単純で均質な架構であった状態を、わざわざ不均質にしてしまったように、私には思える。

 さて、耐震専門家は、このようなつくりの建物を、どのように診立ててくれるのだろうか? 

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「耐震診断」と「耐震補強」・・・・この場合はどうなる?

2007-10-18 21:44:28 | 地震への対し方:対震

 ここ2回ほど「耐震診断」「耐震補強」について書いたが、ふと、もう40年近く前に設計したある建物を思い出した。いわば「常識はずれ」の構造計画の建物だからだ。この耐震診断をしたら、どういう「判定」がでるのだろうか?

 上掲の図と写真がその建物。
 田んぼを埋め立てた地盤のよくない敷地に建つ小学校。
 その平屋建ての低学年教室棟は、教室間の200mm厚のRC隔壁(@8000mm)上に、軽量鉄骨の母屋:2C-150・50・20(t3.2)を@800mmで架け渡し、木毛板20mmの野地板を張って鉄板瓦棒葺きとした構造。今ではまずやらないであろう廉い方法。
 教室の中庭側の回廊:吹き放しの渡廊下は鉄骨造。
 それゆえ、教室の南北面とも全面開口(出入口を除き腰付)になっている。
 つまり、長手方向には壁がまったくない。多分、耐震専門家からはクレームがつくのではないか。

 写真は上から、前庭から見た低学年教室棟、右側の屋根がプレイルーム。
 次は、低学年教室の北棟~南棟間の中庭。吹き放しの回廊がまわっている。
 下は、北棟の教室内部、右手に回廊ごしに中庭が見える。
 
 1960年代の計画だから、徹底してローコスト。そうでありながら、教室の開口部を出来るだけ広くとりたい。そういう点から考えられたのがこの構造。
 構造計画は、増田一真氏。増田氏とはもう半世紀近いお付き合い。

 床には土間コンクリートが打設される。土間コンは、単に床下地のコンクリートとして扱うのが普通だが、それをも構造に利用しようというのがこの計画の要点。 各隔壁は、地面に横たわるコンクリートスラブから跳ねだした片持ちスラブである、という考えである。
 ただ、通常の片持ちスラブと違うのは、荷重、つまり地震による力は左右双方からかかること。
 そうやってできたのがこの建物。

 二度ほど改修(海岸のため、鉄部が容易に錆びてしまうため、スチールサッシをアルミに変えたり、屋根を変える改修)が行われたようだが、「耐震補強」については情報がない(というより、最近ご無沙汰している)。
 設計図を次回に掲載。

 なお、この設計の共同設計者の岩田荘一氏は、この建物の竣工の8年後、40歳の若さで世を去った。図と写真は、彼の追悼設計図録からの転載である(原版は「近代建築」1972年2月号)。

  註 1月17日に載せたトラス小屋は、この小学校に隣接の
     幼稚園の建物(配置図参照)で使ったもの。
    また、3月3日の「化粧」の例の一つは、
     この小学校の高学年教室棟3階にある音楽室の内部。

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「耐震診断」は信頼できるのか?-補足・・・・今井町・高木家の地震履歴

2007-10-17 18:40:28 | 地震への対し方:対震
 今井町・高木家が遭ったと思われる大きな地震を、その建った頃から最近まで、「理科年表(2006年版)」(丸善刊)で調べてみた。

 高木家は、天保年間(1830~1843年)に醸造業を営む本家から分家しているので、その頃に建物が建てられたと推定されている。そして、嘉永7年=安政元年(1854年)に醤油屋を開業しているから、どんなに遅くとも、その時には既に建っていた。

以下、発生年月日、被災地、マグニチュード、被災状況の順で記載。
・・・・
〇1854年 7月 9日(安政 1年) 伊賀・伊勢・大和一帯
               M7.2 奈良で潰家700戸 
〇1854年12月23日(安政 1年) 東海・東山・南海諸道
               M8.4:安政東海地震
〇1854年12月24日(安政 1年) 畿内・東海・東山・北陸・南海・山陽
               M8.4:安政南海地震(前記東海地震の32時間後)

  註 上記安政期の三つの大地震に遭ったかどうかは建設時期によるが、
    おそらく遭ったと考えてよいだろう。

〇1891年10月28日(明治24年) 岐阜県西部 仙台以南で有感
               M8.0:濃尾地震
               内陸地震で最大、全壊14万余 
〇1899年 3月 7日(明治32年) 三重県南部
               M7.0 大阪・奈良で煉瓦煙突被害多数
〇1936年 2月21日(昭和11年) 奈良県北部
               M6.4:河内大和地震
〇1944年12月 7日(昭和19年) 紀伊半島南東沖
               M7.9:東南海地震 
               静岡、愛知、三重などで全壊17599戸など
〇1945年 1月13日(昭和20年) 三河湾
               M6.8:三河地震
〇1946年12月21日(昭和21年) 紀伊半島南方沖
               M8.0:南海地震 
               中部以西各地で全壊11591戸
〇1948年 6月15日(昭和23年) 紀伊水道南部
               M6.7
〇1952年 7月18日(昭和27年) 奈良県北部
               M6.7:吉野地震
〇1995年 1月17日(平成 7年) 兵庫県南部
               M7.3:平成7年兵庫県南部地震
               通称:阪神・淡路大震災 

 高木家は、建設後、このように何回も大きな地震に見舞われていることが分る。
 当然、この地域の人たちは、昔から何度も大きな地震を経験しており、建物の「対地震策」についても十分検討がなされていた、と考えてよい。

 何度も触れてきたが、日本では、世のなかに「近代的学者」が誕生する以前から、地震は頻繁に起きていたのであり、人びとが「対震」について(「近代的学者」よりも)優れた知見を有していたことは、あらためて言うまでもあるまい。

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「耐震診断」・・・・信頼できるのか?

2007-10-16 02:31:50 | 地震への対し方:対震

[字句訂正追加:10月16日10.14AM]

 「耐震診断」というのが推奨されている。各種団体が公開している「方法」には、一般向けから専門家向けまで、簡易法から精算法まで、各種ある。
 たとえば、「日本建築士事務所協会連合会」の「あなたの家は大丈夫?木造住宅の簡易耐震診断」。その診断は6個の項目からなる。
 A:基礎がRCの布基礎か、無筋の布基礎か、ひび割れのある布基礎か、
   その他の基礎か。地盤は良いか、普通か、悪いか。
 B:建物の形が、平面的に整形か否か、立面が不整形か否か。
 C:壁の配置が釣り合いが良いか、外壁一面に壁が1/5未満か否か。
   外壁一面に壁がないか否か。
 D:壁に筋かいがあるか否か。
 E:壁の量、多いか少ないかを5段階で判断。
 F:建物の老築度:健全か、老朽化しているか、腐朽や虫害はあるか。

 各項目に評点があり、総合評点を計算する。1.5以上~0.7未満の幅があり、1.5以上が安全、1.0以上1.5未満は一応安全、0.7以上1.0未満はやや危険、0.7未満は倒壊又は大破壊の危険あり、なのだそうである。

 この「診断法」で私たちが設計し使っている木造の事務所兼住居の建物を診断してみた。
 この建物は東西10.5間、南北4間の切妻平屋建て、小屋裏付。
〇屋根はアスファルトシングル葺き。
〇基礎は、敷地が斜面のため、
  独立基礎(750mm角の底盤に300mm径のヒューム管を立て
  コンクリート充填)をほぼ@1間に設け、土台を渡す方式。
〇4寸角の柱がほぼ@1間。
  小屋は、軒桁:8寸×4寸、梁:7寸×4寸@1間の出桁で軒の出約5尺。
〇内法には、外周および間仕切部に4寸角の差鴨居、
  また外周の出入口以外、間仕切壁部には、腰に差物(窓では敷居になる)。
〇各部とも筋かいは無し。壁は真壁が基本(ラスボード下地、ラスカット下地)。
〇東妻面の壁は4間幅の内3間は壁、西面は全面壁。 
  南面の壁は10.5間の内2間、北面は1.5間だけが壁で、以外は開口がある。
  つまり、壁部分よりも開口部が圧倒的に多い建物。

 当然ながら、「診断」の結果、わが建物の評点は、見事に0.7未満の0.378。「倒壊又は大破壊の危険があります、是非専門家と補強について相談してください」との判定。
 設計者の私たちの耐震に対する能力も見事に「無能」と判定されたことになる。

 なお、この建物は、確認申請なし、工事届だけ。都市計画無指定区域だからである。
 しかし、指定区域であっても、壁量計算だけで同様の建物の確認の申請をしたはずだ。 

 面白半分に、今から180年ほど前につくられた奈良・今井町の高木家(上掲の図)の「診断」を試みた。この建物は、重要文化財指定後、解体修理が行われているが、架構にはとりたてて損傷は見られなかった(当初材のまま)。
 今井町は奈良県でも南部にあり、和歌山に近い。だから、「南海地震」などの大地震に、何度も遭遇している。
 「診断」してみると、評点は同じく0.378。つまり、このあたりを揺らした何度かの大地震で、とっくの昔に倒壊または大破壊していてよいはずの建物!

 「日本建築防災協会」の簡易診断法「わが家の耐震診断」というのには、「建設が1981年以前かどうか」という項目もある。1981年とは、いわゆる「新耐震基準」が施行された年。
 これで「診断」すると、「わが家」は「専門家に診てもらいましょう」、「高木家」は「心配ですから是非専門家に診てもらいましょう」となる。

 実は、茨城県下には、差鴨居を多用し、一面ないしは二面に縁をまわした、つまり一面又は二面の壁量が1/5以下の、農家住宅が多数ある。布基礎ではなく、礎石・足固め方式の建物もざら。基準法違反の建物だらけ。
 だから、これを「診断」すると皆「大補強を要す」という「診断結果」になり、判定をする人たちを「悩まして」いる。なぜなら、どう見たって最近の法令遵守の建物よりも頑丈で、安全、健全だからである。
 つまり、こういう建物に会うと、法令と事実がまったく合致しない例が多いことをあらためて知ることになる。おそらく、各地域でも同様に思われる方が多いはずだ。なぜ、この建て方がダメなのだ!と。
 そして当然、各地に残る重要文化財建造物も、皆同じ憂き目にあう。

 これらの「診断法」は、要するに、「基準法の規定遵守=耐震」という《考え》に凝り固まっていて、真実を見る目を失ってしまった人たちの独断・偏見によるもの、scientific、reasonableな判断では全くない、と断言してよいだろう。
 最大の「笑点」は、1981年以前かどうか、という《判断基準》。
 考えを詰めてゆくと、《専門家》たちが、「旧基準」が設定されていたことを、ものすごく気にしているということ。《新基準》の《正当性》を普及したいという発想から盛んに《新基準》を吹聴するのだろうが、かえって逆。「足元」がよく見える。

 こういう安易な(「簡易」ではない)診断法による《判断》が横行すると、耐震補強屋さん(専門家を含む)が儲かる一方で、ますます日本の建物の質の劣化が激しくなるだけだ。

 耐震専門家の諸氏よ!もっともっと日本の建築技術・工法を、その歴史から学んでくれ。そうしてから、「提案」をするのが、道理ではないか!
 いわゆる「先進国」の建築の専門家の中で、自国の建築についての知見を最も欠くのは、明治以来、日本の専門家だけだ、という事実を知ってほしい。

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「耐震補強」・・・・信頼して大丈夫か?

2007-10-13 02:33:01 | 地震への対し方:対震

 「耐震」の語の理解は、一般の人びとと建築関係とりわけ耐震専門家?とではまったく異なる。
 以前にも触れたが、一般の人びとは、「耐震」の字の通り、地震に耐える、地震後もその建物で暮してゆける、と思うのが普通。
 ところが、「現実」はそうではない。
 専門家の言う「耐震」とは、地震の際、人命に関わるような破損・損傷は起きない、という意味に過ぎず、地震後も暮せる、使える、という保証はしていない。
 つまり、看板:名称に偽りがある。「断熱」材と同じ。「耐」の字の使用に問題がある。「国語力」の不足!

 それはさておき、上掲の写真は「耐震補強」の実例。

 数年前、上段の高校を見たとき、その時それが「最新の耐震補強」を施工した建物とは知らなかったのだが、私の口から思わず出た言葉は、「何だこれは?」だった。建物の左端に建つ「塊」が異様に見えたからである。
 あの部分は何?と訊ねたところ、「耐震補強」だという。そこに何か室が設けられたわけではなく、あくまでも「補強」のための部分。同じものが4階建て校舎の両端に設けられたのだそうだ。
 普通は教室の開口部に補強を入れるが、この方法を採ったため、開口部は以前のままで済んだ、ということであった(教室の開口部に「堂々と」補強を入れる方法、それが下段の写真)。

 「耐震補強」と説明されて、直ちに私が思ったのは、「嘘だろう」だった。
 なぜなら、大きな地震があれば、「耐震補強のために新設された塊部分」と「元の校舎部分」との揺れ方が違うのは明らかだから、両者の接続部に損傷・損壊が起き、その影響が「元の校舎」部分に及ぶのではないか、つまり、「耐震補強」のために新設した塊が、かえって被害を惹き起こすのではないか、と直観的に思ったからだ。阪神・淡路の地震でも、いわゆる「耐震コア」で設計した建物で、「非耐震部分」が損壊したビルを見ている。
 写真を見ると、元の校舎と塊部分は、各階の床レベルで梁でつながっているだけだから、明らかに地震時にこの梁に負担がかかり、そこから破壊が始まるのではないか。破壊を誘発するのだ。

 下段の例も、最近仮設のシートがはずされ全容が見えたとき、「えっ?」と思った。地震の際、「補強のRCの筋かいを入れた部分」と「元の部分」との境から損傷・損壊が始まるのではないか。

 かつて、このように教室が一列に並ぶような建物の場合、地震による長手方向、すなわち桁行方向の揺れへの対処は、あまり問題にしなかったと記憶している。
 長手方向には通常開口部が大きく開けられるが、しかし、同じような構造の繰り返しが長手に続けば、RCであれ木造であれ、それが連続していることにより、十分に地震による揺れ・変動に堪えることができる、むしろ問題は、地震の際に、この長い物体が蛇行運動を起こさないようにすることだったのではなかったか。
 しかし、短手つまり梁行方向も、校舎の場合、教室間にほぼ同じ間隔で隔壁が入るのが普通だから、その隔壁が、いわば「竹の節」のように、蛇行変動にも堪えてくれる、と考えられていたように思う。
 実際、過去の地震でも、通常の地盤に建つ単純な一列型校舎には被災例は少ないはずだ。

 では、なぜ上掲の写真のような「耐震補強」が「普及」しだしたのか?
 多分それは、「現場」から遊離した「机上の考え」が思考を支配しているからだろう。簡単に言えば「机上の空論」の先行。
 つまり、地震により生じる力をX、Y方向に分解し、各方向に、その力を負担する耐力部を設ければよい、という「安易な」思考。架構・構造体を実体として観ていない。つまり直観的把握を欠いた「思考」。
 地震により生じる力というのは、そして一般に力というのは、机上で考えた「便宜」のようには働くものではない。
 例えば、地震力は、「耐力部と想定した箇所」にだけ降りかかるのではなく、すべての箇所に、平等に、均等にかかるという単純な事実に素直に気付くべきなのだ。

 こういう人たちには、実際に「工作」を経験させた方がよいだろう。ものづくりの経験である。木材を与え、箱の輪郭をつくらせるのだ。机上では味わえない「実感」「直観」が醸成されるはずだ。
 どうだろう。耐震専門家になるためには、単に構造理論を学び、「計算能力を高める」だけではなく、先ず模型工作を必修とする、というのは・・・。
 実感、直観を欠く専門家は百害あって一利なし!

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「建築士」の今・・・・階層を生む建築法令

2007-10-09 22:54:08 | 論評
 [字句・修辞改訂、註記追記:10月10日4.45AM]
 [字句訂正、10月10日0.23PM]

 先回紹介の講演で、講演者は、更に続けた。
 改変された法令を遵守するために、近い将来、設計という行為は、「全体を統括・指示するまとめ役」、「設計の構想を立てる役」、「その構想の設備的或いは構造的な部分を補佐・担当する役」、そして「それらを受けて『施工できる図』にする役(つまり、設計図にまとめる役)」・・などへと、仕事の「分業化」(というより「階層化」と呼ぶ方がよいだろう)が進むのではないか、と。

 何のことはない、この姿は、大設計事務所、住宅メーカー、ゼネコンなどの組織の「普遍化」のイメージである。そうして見ると、今回の改変が何故、ああいう形になったのか納得がゆくというもの。大手企業の姿が「理想形」として下敷きになっているのだ、と言ってよいのではないか。

 個人の住宅などの設計を、開発系の不動産屋が建てるビルや住宅メーカーの「商品化住宅」の設計と同列に考えている、いや、個人の住宅など、車を買うのと同じように、住宅メーカーの揃える商品の中から選べばよいのだ、ぐらいに考えているのではなかろうか。それでいて、住宅の高寿命化、最近では200年住宅を・・などとお題目を唱える・・。
 しかし、このような考え方が偉い人たちの頭を支配している「気配」は、実は、すでに、住宅の品質の確保の促進を歌い文句にした「品確法」制定や、法令の「性能規定」化の頃にただよっていたのである。

 ここしばらく、これこそ絶対善、のごとくに唱えられてきた規制緩和、市場原理主義・・は、結局のところ、大きいことはいいことだ、という《論理》に過ぎず、要は金儲けの論理。

 少しばかり《気の利く》人は、こういう流れに乗り遅れるな、とばかりになびいてしまう。
 これで割を食うのは、建物を建てるために当の建築士に依頼する人たち。単なる金儲けの手段・道具にされてしまうのだ。

   註 たとえば、「耐震性能がよい」住宅は、
      当然暮しやすい住宅でもある、と思っていたら、
      何のことはない「耐震だけを考えた」建物で暮しにくい・・
      「性能云々」は、売り込みのキャッチコピーだった・・・。
      これは、住宅メーカーのコマーシャル、広告で明らか。

 建築士の仕事の第一の目的は、建築士の「利益」のためのものだったのか。


 今回の法令の改変は、例の《耐震偽装》に端を発している。
 ところが、この《偽装》を詳しく見てみると、それは偽装なんてものではなく、ゲームをやっているようにしか、私には見えない。
 構造計算ソフトが各種誕生してからというもの、「構造計画」=「構造計算ソフトによる計算書作成」と見なす風潮が設計界に存在していたはずである。計算書作成が本義であるかの「錯覚」である。

 しかし、この「錯覚」は何故生まれたか。
 それは、直観的にみて合理的な構造も、計算書がなければ(計算でその合理性を示さなければ)認めないという「法令下の現実」があるからだ。
 結果としてそれは、「計算書があれば済む」という「判断」を生む方向へ進む。そして、計算の中味を変えても、あんた達、それを見抜けるか、という《ゲーム感覚》を生む。

 いわゆる「偽装」をした建築士も、それによって工費が廉価で済む、などということだけを目指していたようには私には思えない。
 何故か。
 おそらく彼の経験で、構造の審査が、「構造の審査」ではなく「計算の審査」で済まされていることをいやと言うほど味わってきたはずだからだ。
 ならば、あんた達、「計算の偽装」を見破れるか?案の定、フリーパス。これが本当のところでなかったか。

 そこであわてたのが法令をつくる側。それが今回の法令改変の根源。建築士を悪者にしておけばよい、という発想。これまでは性善説できたが、信用できないから性悪説にあらためる。
 これは法令「管理者」側の勝手なご都合主義。
 何故なら、偽装を見抜けなかった「当事者能力」の欠如については、一切無視しているからだ。
 その証拠の一例。過日、今回の法令改変についての説明会があった。
 そこに出た出席者が、法令どおりにやって問題が生じたときの責任はどこにあるのか、と訊ねたら、あくまでも設計者にある、という答があったという。
 だとすると、確認申請、審査とはいったい何だ?

 要するに、「建物づくりの当否」は、実際に建物をつくることにかかわる設計者、施工者にあり、監督官庁・行政にはない、ということ。
 このことを頭に刻み込んで仕事をするしかない。法令のめざす方向になびく必要など、毛頭ないのである。

 すなわち、まともに現行法令の諸規定に唯々諾々として従うのは無意味。「合理的に」「要領よく」法令の諸規定に対し、私達は私達の信ずる事をすればよいのである。いずれ結果は、正当な、そして正統な仕事をしている側に落ち着くはずだからである。
 たとえば、ここ半世紀、耐震性がないからダメとされてきた小舞土塗り壁が、最近耐震性があると見直された。眞壁も見直され始めた。差鴨居も同じ。
 何故見直され始めたか。
 それは、そういう仕様の仕事をこの法令の支配下でも「しこしこと続けてきた人たち」が、つまり伝統を継承してきた人たちが、いたからなのだ。その人たちの仕事が、残されている昔の仕事と同様、法令仕様のものに比べて数等優れていることを、見過すわけにゆかなくなったからなのだ。

   註 何故見直したか、何故これまで無視してきたか・・、について
      合理的(reasonable)な説明、迷惑をかけたことへの謝罪・・、
      これはまったくない。

 力の弱い人に唯一できることは、法令の定めることに唯々諾々として従うのではなく、自ら信ずることを、なし続けることなのだ。長い目で見たとき、それが一番強いはずだからである。
 何故か。
 「道理」をはずれてないからだ。

 「科学的(scientific)な正当性」の保証のない(あるとすれば「法令である」というだけの)法令がつくった土俵に上がる必要はまったくない。
 私が「限界耐力計算法」にのるのを避けるべきと考えるのは、何も向うが用意した土俵に唯々諾々と乗る必要がない、乗ったら最後、と考えるからだ。
 好き好んで、「階層化」の波に足をすくわれる必要はないではないか。
 そのように私は思う。

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「実業家」の今・・・・息苦しさを生む建築法令

2007-10-06 18:57:31 | 論評
 昨年の12月10日に、「『実業家』・・・・職人が実業家だった頃」という一文を載せた。実業家という語は、一時、今の「企業の経営者」「企業家」を意味する言葉として使われたことがある。だから、以前は財界ではなく実業界という言い方があった。
 しかし、明治に使われた「実業家」とは、今で言う「職人」のこと。実際にものをつくることに関わる人達。対極の語は、「虚業」になる。虚業という語は、表立っては使われない。けれども、今の世では、実業家のつくるものの上前をはねる仕事=虚業の方が流行る時代。

 実業家の最たるものの一は大工さん。大工さんは、今では、単に木材を刻む腕を持っているだけの人、つまり、どうやってつくるかを知っている人、と思われがちだが、それはとんでもない思い違い。
 そのように思われるようになったのは、明治の《近代化》以降の話。ものづくりに関わる人の「階層化」が行われたからだ。
 建築関係の場合、新しくつくられた《近代化向けの学校》を出たエリートを優遇することによって、実業家は下位に位置づけられてしまったのである。そして、今もってその状況は続いている。

 《近代化》以前、実業家は、何をつくるか、何をつくったらよいか、をも十分にわきまえた人達として、大事にされていた。つまり、「何を」、「どう」、つくるか、全般が分る人。それが「実業家」。単に建築系の学校を出たからといって「実業家」になれるわけではない。
 昨年12月に、「建築学講義録」では、「何を」については一言も触れられず、もっぱら「どうつくるか」が述べられていた、ということを紹介した。それは、当時の「実業家」にとって、「何をつくるか」は自明だったからにほかならない。そうでなかったならば「実業家」とは言わなかったのだ。


 建物をつくるのだから、当然「依頼人」がいる。今の「施主」である。今は、両者はいわば第三者の関係、三人称の関係が普通だが、かつては二人称の関係で仕事をしたと言えるだろう。つまり、互いによく知っている。そういう関係でなければ仕事をしなかった、と言ってもよいかもしれない。
 だから、実業家の仕事は、依頼主がつくりたいものはいったい何か、それは何故かまでを理解した上で始まる。また、常に、その意向に「近づこう」という神経を働かせる。なぜなら、一時にすべてが分るなどということは、たとえ二人称の関係でも不可能だからだ(三人称の関係ならばなお更だ)。

 かつての大工さんは、板図:柱通りを示す簡単な平面と、肝腎なことだけを盛り込んだ矩計を基に、木材を集め、刻みを行い、建て方を行う。
 建て方の段階になっても、依頼主との関係は親密さが保たれる。依頼主は、大工に頼みっぱなしということはなく、大工も常に依頼主の意向をおもんぱかる。建て方の終った後でも、変更は当然行われる(組まれた骨組の中での変更にかぎらず、時には骨組を変えることもあったに違いない)。
 そういう親密な関係が保たれる中で建物が出来上がる。第一、工法自体が、今のような「耐力壁だけを重視する」工法ではなかったから、臨機応変に対応できたのである(これについては、すでに何度か触れてきた)。

 現在残されている建物の多くに見られるきわめてきめの細かい、細部にまで目の行き届いたつくりというのは、こういう過程がなければ決して生まれないのである。着工前にそのすべてが思い描かれている、などということは決してない、といってよい。いかなる天才といえども、「現場」で初めて分ることがあるのはあたりまえ。だから、工事の進捗とともに、変えたい部分が見えてくるのは当然だ。


 さて、最近、建築法令が改変された。それによると、かつて行われていた上記のような仕事の進め方は、頭から否定されてしまったようだ。最初に全部が決まっていなければならず、変更すると書類の出し直しらしい。
 世のなか、全てがあらかじめ分る「極め付きの天才」だらけになったのだろうか。
 そうではない。
 法令をいじくった人達が、仕事から程遠いところにいるからにすぎない。結果論しか言えない野球解説者と同じ。仕事の「過程」を知らないし見ない人達がいじくったとしか思えない。

 おそらく、多くの建築士は、法令どおりに仕事をするようになるのだろう。そして、依頼主には、もう変えられません、と言って済ますのかもしれない。
 結局どうなるか。良くなり得たものも良くなるチャンスを失い、質が低下するのは間違いない。
 世に言う「品質の確保」という場合、いったい何を品質と考えているのだろうか。今の法令規定のいう「品質」が確保されたからと言って、使い勝手のよい、長年にわたり使える建物、使いこなせる建物、という品質が確保されるとは限らない。むしろ、あり得ないと言った方がよいだろう。
 たとえば、耐震性能という品質がどんなに優れていたところで、長年暮し、使いこんでゆくのに不適であったなら、当然ながら、それは建物としての品質は劣悪ということ。こんなことは、かつての「実業家」は絶対にやらなかった。

   註 今、各地で行われている「耐震補強」を見ていると、
      建物というのは、いつの間にか、
      耐震のためにあるものになってしまったようだ。
      そこで暮し、使うということは、置き忘れられてしまっている。
      第一、私の直観では、かえって地震で壊れやすくなるような
      「補強」が多いように思える(これについては、いずれ書く)。

 実業家は、順番として、先ず使える建物、長く使用に耐えられる建物とは何か、を考え、それを如何に、たとえば地震に耐えるようにするか、を考えた。それを考えることから生まれ体系化した工法が「一体化・立体化工法」いわゆる「伝統工法」だったのだ。
 つまり、実業家の考え方の方が正当であるしまた正統。現在は本末転倒の論理が支配している。

 ここしばらくの「規制緩和」と今回の「法令改変」で、「安泰」なのは、大きな組織、大きな企業だけだろう。中小の組織はもとより、「実業家」の活きる場面はますます息苦しくなってきた。
 これでよいはずがない。それとも、一度、どん底まで落ちなければならないのだろうか。 
コメント (1)
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続・「煉瓦の活用」・・・・RC造との併用の試み-2

2007-10-03 00:10:53 | 設計法

 先回紹介した建物の、煉瓦の「標準割付図」と施工中の写真。「標準割付図」は、設計図に添付したもので、この図によって施工した。

 なお、前回とも、図は「住宅建築」1989年11月号から転載、写真は同誌ならびに「竣工写真」より。

 この設計の最大の難点は、柱のコンクリート打設。煉瓦とコンクリートがよく噛み合い接続部に亀裂が生じないこと、形枠が二面不要になる、ことを想定した設計だったのだが、形枠に接する箇所で、煉瓦積の凹凸部にジャンカがかなり発生した(中央部ではよく充填されるが、どうしても縁の部分:型枠に接する部分で問題が生じる)。
 机上でも心配したが、その予想を上回って発生した。桟木一本分でも煉瓦面より外側に柱型を設ければ、問題は生じなかったと思われる。ただ、よくコンクリートがまわった箇所は、煉瓦との噛み合いも綺麗に仕上がっている。
 

 煉瓦積は現在専門職がいない(溶鉱炉などの耐火煉瓦積専門の方はいる)。この工事で実際に積んでいただいたのは、ふだんはタイル職と左官職の方。

   註 煉瓦積職人の「変遷」については、「会津喜多方の煉瓦蔵発掘」
     「喜多方の煉瓦蔵」「住宅建築1989.11」に解説がある。
 
 実際に煉瓦を積んでみると分るが、垂直の定規があっても、定規から離れたところでは、煉瓦は積んでいる自分の向う側、あるいは自分の側に、微妙に倒れ気味になる。目線と煉瓦壁面との関係だろう(垂直と思う線が、少し倒れるのである)。
 その点、左官職の方は、広大な面を日ごろ塗っているからだろう、そのあたりを感覚的に調整できるようだ(タイルは下地にならって張る。つまり下地次第。下地を自分でつくる人と、下地は左官職に委ねる人とがいるようだ)。
 もう一つ大きな違いは、タイル職は目地の通りを気にすること。煉瓦はタイルと違い寸法にばらつきがある。だからタイルのようには行かない。左官職は、時折り煉瓦から離れて遠くから眺め、全体の様子を点検して調整する。目地の通りが多少悪くても、全体が落ち着いていればよし、とする。これも日ごろの仕事上の習性なのだろう。そしてその方がよい仕上りになる。「感覚」が大事なのだ。煉瓦積には、その仕上りの良し悪しに、積む人の感性が関わる余地が大幅に残されているのである。

 「煉瓦要説」という明治に書かれた煉瓦造についての「教科書」がある。明治35年(1902年)、日本煉瓦製造㏍の二代社長諸井恒平氏が書かれた書で、煉瓦の歴史から製造法、煉瓦による構築法など煉瓦にかかわる全般について触れていて、現在でもこれを越える書はないと言ってよい。
 その書によれば、化粧積で、一日あたり230本程度が一人で積める量だとあるが、実際に調べてみると、それは妥当な数量だった。この仕事で煉瓦を積んでくれた方が、慣れてくると一日400本積めるが、翌日手首の関節が痛み仕事にならなかった、と話していたから、おそらく諸井氏の数字は、人力の限界を知った上でのデータ:経験値と思われる(この数量で積算ができる)。

   註 煉瓦1枚積で、仕上り面1㎡あたり約140本必要。

 なお、目地にセメントモルタルを使った関係で、白化現象が生じている。これを嫌う人がいるが、日時が経てば消える。

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続・「煉瓦の活用」・・・・RC造との併用の試み-1

2007-10-01 15:57:45 | 設計法

 煉瓦という材料の耐久性・恒久性、調温・調湿性は、もっと活用されてよいと思うのだが、如何せん、構造的に弱いとされているため、その利用は極端に減っている。
 日本きっての煉瓦製造工場であった由緒ある日本煉瓦製造KKも、先年、遂に煉瓦製造をやめてしまった。町のホームセンターなどで売られている煉瓦も、外構や装飾用で、いまやほとんど国外産、正直言って質は悪い(1000度以下の低温焼成のためだろう)。

 先に、木造軸組工法との併用を紹介させていただいたが、今回はRCとの併用の試み。
 心身障害障者の更生施設の設計に際し、その試みを実施することができた。

 一般に社会福祉施設は、運営管理が一仕事である。特に、この例は、心身障害者を抱える父母が、自らの出資と各種補助金や寄付金を元手に建設を計画した施設。全国的にこういう形態の建設例が多い。というのも、公的な施設は数多くあるが、父母の願いに応じてくれる施設は少ないからだ。父母の願いとは、一言で言えば、いわば永久に父母の代役をしてくれることを保証してくれる運営がなされる施設。
 このような施設の建物は、運営管理費に限界がある。だから建物自体、その営繕に費用がかからないことが必須。つまり、内外装の修理等が起きにくく、万一行う場合も容易にできること。
 そこで、外部を煉瓦主体でつくり、内部は木造軸組工法に倣うことにした。屋根はこれも過去の設計例(1983年竣工)で耐久性が実証済のRCスラブによる切妻勾配屋根にアスファルトシングル直葺き(25年近く経った今でも無事故)。
 社会福祉施設は耐火建築が要求される。一番簡単なのはRC。しかし、内外装で苦労する。長持ちして維持が容易な仕様がなかなかないのである(過去の事例では、内装で苦労している)。

 そこで煉瓦積。外部は煉瓦積表しのままで問題ない。むしろ、煉瓦積自体に問題が起きなければ、時間が経つほど貫禄がつく。しかし、煉瓦積だけだと、現在の法令では申請は通らないから、鉄筋補強煉瓦積+RCの柱・梁の構造とする。
 煉瓦積は、内部でも場所によっては表しでよい。しかし、内部はすべてを煉瓦にはできない。部屋の使用替えなどにも対応できるようにしなければならない(特にこの種の施設では肝要)。
 そこで内部は木造軸組工法にならい、RCの柱・梁を架け渡し、柱間に間仕切りを充填する方法を採った。間仕切りの大半は、奥行を柱径の倍数にそろえ規格化した家具(煉瓦1枚半=320mmが基準寸法になっている)。

 ざっと説明した上記の方策を採ったのが上掲の写真・図の建物。

 次回はこの建物の施工図と工程を紹介。

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