先日、「遮熱材」を使って高「断熱」の建物をつくる、という話を聴きに行ってきた。
要は、こういうこと。
熱の伝播は輻射熱がかなりの量を占めているにもかかわらず、これまでの建物の「断熱」は、熱伝導率の低い材料で「断熱」するものが主で、輻射熱の「断熱」を考えていない。そこで、輻射熱を受けない材料による「断熱」を考えよう、というもの。要は、輻射熱を反射させる、というのである。
「断熱」という語も大仰だが、それにもまして「遮熱」は大仰だ。
東京都は、市街地のビルの屋上に、「遮熱材」を張りつけることを推奨している。それによって太陽熱を反射し、建物自体が暖まらないようにする⇒空調費を節約できる、という算段らしい。しかし、さすがに「遮熱材」とは呼ばず「高反射率材」という用語を使っている。この方が正しい。
屋上緑化も奨められているが、こちらは植物を植えた土の層を設け、熱を吸収させようという算段。
「断熱材」も「低伝導(率)材」または「保温材」と言うべきなのだ。
正当な用語を使えば、誤解が減り、世の中の「断熱」神話も少しは改まるのではないか。
たとえば、土間コンクリートが地温にならないようにと、コンクリートの下に「断熱材」を敷く仕様がある。
これは、「断熱」の語の魔術にのせられた例の一つ。
通称「断熱材」は、単に熱伝導率が低い材料にすぎないから、「断熱材」の上に打設されていようが、ある時間が経過すれば、コンクリートは地温と同じになっている。
夏の高湿のとき、コンクリートは地温に下がっているから、朝にはコンクリート表面に結露する。夏の朝、舗装道路が濡れているのと同じ。
だから、ベタ基礎を私は好まない。床下に湿気が流れ込むと結露の恐れがあるからだ。地面のままなら、地面が吸収し、空気が乾けば、あるいは気温が上がれば、放出され、液体として溜まることはない。
だいたい、床下というのは、地面から水が湧き出してでもいないかぎり、乾燥するのが普通だ(だから、たいてい、アリジゴクが暮している)。そういう所に、わざわざ水を溜める必要はない。防湿コンクリートなどというけれども、それは、下から常に水が湧き上がっているような所で敷設するもの。
RCの陸屋根に分厚い「断熱材」(15cm厚ほどのウレタン)を張り、塩ビシートを張った防水とし、室内には天井を張らず、スラブに直接仕上げ材を吹き付けただけの建物で暮したことがある。
夏場、午前9時をすぎると、室内の気温が強烈な暑さになる。「断熱材」があっても、朝早くから陽が注ぎ続ければスラブは熱を帯び、その輻射熱が室内を「暖める」のである。
そして、夜になっても、熱を放射し続ける。なぜなら、「断熱材」のおかげで、一旦暖まったスラブから、熱が外に逃げにくいのだ。外気が冷えていても、それによってスラブが冷やされるよりも、スラブの保有する熱の方がはるかに大きいということ。この設計も「断熱」の語に惑わされたのだろう。
さて「遮熱材」による「断熱」はどんな現象を生むか。
夏場、舗装した地面は熱を帯び、そこを歩くと照り返しで暑い。照り返し、つまり太陽の熱を吸収した舗装材料が、熱を輻射しているからだ。
舗装材が高反射率の材料だったらどうなるか?
材料自体の熱の吸収は少なく(つまり、暖まらず)、したがって材料自体の出す輻射熱は減るが、その代り太陽熱がぎらぎらともろに跳ね返ってくるだろう。鏡は、太陽にあたっても鏡自体は暖まらない理屈。その代りまともに鏡を見ることはできまい。
ということは、「遮熱材」を塗布すると、反射された熱が、あたりを熱することになるのではないだろうか。つまり、これは字のとおりの「照り返し」。何となくエアコンで冷房時、屋内が冷えた分、屋外を暖めているのを思わせる。
それだったら、屋上緑化の方が近所迷惑にならないし合理的(reasonable)。気象観測用の百葉箱の周辺が芝生になっているのも、地面からの照り返しを防ぐため。
最近では、「断熱・気密仕様」でない家屋は劣悪である、省エネでない・・・というのが半ば「常識化」している。先回も書いたが、「高気密・高断熱」にして、ほとんど年中空調によって室内環境を維持している住宅が多くなった。空調機の効率はよいかもしれないが、これをもって省エネと言えるのだろうか。
註 RCの建物を「断熱材:保温材」でくるむいわゆる「外断熱」が
西欧では盛んで、それはRCの建物特有の問題(結露)に対して
きわめて有効、ということで、それを木造建物に応用するという
動きが流行っている(「外断熱」「外張り断熱」とが混用)。
しかし、西欧では、古くからある煉瓦造や石造、木造の建物では
行われていないようだ。
RCは、これらとまったく違う性質があるからだ。
私の家の隣は、煉瓦タイル様の目地模様入りサイディング仕上げの今流行の外壁に通気層をとった「高気密・高断熱」の木造(?)家屋。内部も大壁。
南面に3室が並び、それぞれに高さ2m、幅2mほどの掃き出しサッシ。欄間はなく雨戸シャッター付き。
このあたりは、夏暑い。しかも湿度が高い。今年は特にひどかった。しかし、南よりの風がいつも吹いている。風を通すと、日陰ならばそれなりに涼しくなる。
だから、私のところでは空調は動かさず(長年動いていない)、軒の出が5尺あるから日陰も確保でき、窓を開けておけば、まあ何とかしのげる。
網戸付きの欄間があるから、夜は欄間を開けっ放し。時には明け方、寒いと思うときもある。
ところが、隣家では、四六時中窓を締め切り、空調を回しっ放しで夏をすごしていた。もちろん、夜も空調依存。
「高気密・高断熱」にした今風のつくりの家では、結構、こういうお宅が多いようだ。
第一、シャッターというのは、一部だけ開けておくという芸当はできない。
昔の雨戸には、戸の上部に「無双窓(むそうまど)」がしこまれている場合もあったし、雨戸の入る開口の上部、つまり鴨居の上には欄間があるのが普通だった。欄間も「無双」になっていることが多く、外に網がはってあれば虫も入りにくく、よく風が抜けた。
たしかに都会の真ん中では、汚い外気を室内に入れるよりは、外気と縁を切った方が暮しやすいのだろう。もっとも、汚い外気を誰が作ったかというと、本人も犯人の一人なのだが・・・。
このような都会の状態を基準にして物事が考えられてしまうと、空気の綺麗な所に暮す人にとっては甚だ迷惑。各室に換気扇を設ける等というのがその一例。これはシックハウス対策だったはずなのに、有毒ガスを発生しない材料のつくりでも、いわば無差別。これなども省エネに反する。隣家にも、各室に付いている。使っているようには見えないが・・。
註 無双窓
開口部に小幅(2寸程度)の板で、板幅より若干狭い隙間をとった
縦格子を設け、その内側に、それと同形の可動格子を設ける。
可動の格子は、上下に框が付いていて、樋端を滑らせる。
固定の格子の隙間に可動格子の板部分をあわせると「閉」状態、
板にあわせると「開」状態になる。
日本独特の開口装置と言われている。
高気密・高断熱に夢中になる前に、考えるべき点があるように私には思える。
たとえば、部屋の回りに3尺~1間幅の縁側を設け、縁側境に障子が入るかつてはあたりまえだったつくりは、この縁側の空間が、下手な「断熱」よりも、数等温度調節上優れ、安上がり、第一暮しやすい。
けれども、こういうつくりを「耐力壁依存工法」でつくることは、至難の技になってしまった。縁側が回っていたって、十分地震に堪えてきているにもかかわらず!
「近代科学の知識」がなくても、いや、それがなかったからこそ、かつての日本人は、自らの実感・体感・直観をもって、日本という環境で暮す知恵を身につけていたのだ。
地震に強い「一体化・立体化工法」もその一つ、それによった軒を深く出し、縁側を回し、空気の流通のよいつくりとするのも、その一つ。
なにしろ、長い長い年月をかけて獲得してきた知恵。いったいなぜ、これらの知恵を見向きもしなくなったのか。まことに不思議な話である。
そしてまた、室内環境の制御を、ただ「断熱材」を付加することだけに頼るのではなく、建築材料そのものについても考え直した方がよいのではないか。その点、会津・喜多方の「煉瓦蔵(木骨煉瓦造)」は一つのヒントを与えてくれている(特に寒冷地向けとして)。
要は、こういうこと。
熱の伝播は輻射熱がかなりの量を占めているにもかかわらず、これまでの建物の「断熱」は、熱伝導率の低い材料で「断熱」するものが主で、輻射熱の「断熱」を考えていない。そこで、輻射熱を受けない材料による「断熱」を考えよう、というもの。要は、輻射熱を反射させる、というのである。
「断熱」という語も大仰だが、それにもまして「遮熱」は大仰だ。
東京都は、市街地のビルの屋上に、「遮熱材」を張りつけることを推奨している。それによって太陽熱を反射し、建物自体が暖まらないようにする⇒空調費を節約できる、という算段らしい。しかし、さすがに「遮熱材」とは呼ばず「高反射率材」という用語を使っている。この方が正しい。
屋上緑化も奨められているが、こちらは植物を植えた土の層を設け、熱を吸収させようという算段。
「断熱材」も「低伝導(率)材」または「保温材」と言うべきなのだ。
正当な用語を使えば、誤解が減り、世の中の「断熱」神話も少しは改まるのではないか。
たとえば、土間コンクリートが地温にならないようにと、コンクリートの下に「断熱材」を敷く仕様がある。
これは、「断熱」の語の魔術にのせられた例の一つ。
通称「断熱材」は、単に熱伝導率が低い材料にすぎないから、「断熱材」の上に打設されていようが、ある時間が経過すれば、コンクリートは地温と同じになっている。
夏の高湿のとき、コンクリートは地温に下がっているから、朝にはコンクリート表面に結露する。夏の朝、舗装道路が濡れているのと同じ。
だから、ベタ基礎を私は好まない。床下に湿気が流れ込むと結露の恐れがあるからだ。地面のままなら、地面が吸収し、空気が乾けば、あるいは気温が上がれば、放出され、液体として溜まることはない。
だいたい、床下というのは、地面から水が湧き出してでもいないかぎり、乾燥するのが普通だ(だから、たいてい、アリジゴクが暮している)。そういう所に、わざわざ水を溜める必要はない。防湿コンクリートなどというけれども、それは、下から常に水が湧き上がっているような所で敷設するもの。
RCの陸屋根に分厚い「断熱材」(15cm厚ほどのウレタン)を張り、塩ビシートを張った防水とし、室内には天井を張らず、スラブに直接仕上げ材を吹き付けただけの建物で暮したことがある。
夏場、午前9時をすぎると、室内の気温が強烈な暑さになる。「断熱材」があっても、朝早くから陽が注ぎ続ければスラブは熱を帯び、その輻射熱が室内を「暖める」のである。
そして、夜になっても、熱を放射し続ける。なぜなら、「断熱材」のおかげで、一旦暖まったスラブから、熱が外に逃げにくいのだ。外気が冷えていても、それによってスラブが冷やされるよりも、スラブの保有する熱の方がはるかに大きいということ。この設計も「断熱」の語に惑わされたのだろう。
さて「遮熱材」による「断熱」はどんな現象を生むか。
夏場、舗装した地面は熱を帯び、そこを歩くと照り返しで暑い。照り返し、つまり太陽の熱を吸収した舗装材料が、熱を輻射しているからだ。
舗装材が高反射率の材料だったらどうなるか?
材料自体の熱の吸収は少なく(つまり、暖まらず)、したがって材料自体の出す輻射熱は減るが、その代り太陽熱がぎらぎらともろに跳ね返ってくるだろう。鏡は、太陽にあたっても鏡自体は暖まらない理屈。その代りまともに鏡を見ることはできまい。
ということは、「遮熱材」を塗布すると、反射された熱が、あたりを熱することになるのではないだろうか。つまり、これは字のとおりの「照り返し」。何となくエアコンで冷房時、屋内が冷えた分、屋外を暖めているのを思わせる。
それだったら、屋上緑化の方が近所迷惑にならないし合理的(reasonable)。気象観測用の百葉箱の周辺が芝生になっているのも、地面からの照り返しを防ぐため。
最近では、「断熱・気密仕様」でない家屋は劣悪である、省エネでない・・・というのが半ば「常識化」している。先回も書いたが、「高気密・高断熱」にして、ほとんど年中空調によって室内環境を維持している住宅が多くなった。空調機の効率はよいかもしれないが、これをもって省エネと言えるのだろうか。
註 RCの建物を「断熱材:保温材」でくるむいわゆる「外断熱」が
西欧では盛んで、それはRCの建物特有の問題(結露)に対して
きわめて有効、ということで、それを木造建物に応用するという
動きが流行っている(「外断熱」「外張り断熱」とが混用)。
しかし、西欧では、古くからある煉瓦造や石造、木造の建物では
行われていないようだ。
RCは、これらとまったく違う性質があるからだ。
私の家の隣は、煉瓦タイル様の目地模様入りサイディング仕上げの今流行の外壁に通気層をとった「高気密・高断熱」の木造(?)家屋。内部も大壁。
南面に3室が並び、それぞれに高さ2m、幅2mほどの掃き出しサッシ。欄間はなく雨戸シャッター付き。
このあたりは、夏暑い。しかも湿度が高い。今年は特にひどかった。しかし、南よりの風がいつも吹いている。風を通すと、日陰ならばそれなりに涼しくなる。
だから、私のところでは空調は動かさず(長年動いていない)、軒の出が5尺あるから日陰も確保でき、窓を開けておけば、まあ何とかしのげる。
網戸付きの欄間があるから、夜は欄間を開けっ放し。時には明け方、寒いと思うときもある。
ところが、隣家では、四六時中窓を締め切り、空調を回しっ放しで夏をすごしていた。もちろん、夜も空調依存。
「高気密・高断熱」にした今風のつくりの家では、結構、こういうお宅が多いようだ。
第一、シャッターというのは、一部だけ開けておくという芸当はできない。
昔の雨戸には、戸の上部に「無双窓(むそうまど)」がしこまれている場合もあったし、雨戸の入る開口の上部、つまり鴨居の上には欄間があるのが普通だった。欄間も「無双」になっていることが多く、外に網がはってあれば虫も入りにくく、よく風が抜けた。
たしかに都会の真ん中では、汚い外気を室内に入れるよりは、外気と縁を切った方が暮しやすいのだろう。もっとも、汚い外気を誰が作ったかというと、本人も犯人の一人なのだが・・・。
このような都会の状態を基準にして物事が考えられてしまうと、空気の綺麗な所に暮す人にとっては甚だ迷惑。各室に換気扇を設ける等というのがその一例。これはシックハウス対策だったはずなのに、有毒ガスを発生しない材料のつくりでも、いわば無差別。これなども省エネに反する。隣家にも、各室に付いている。使っているようには見えないが・・。
註 無双窓
開口部に小幅(2寸程度)の板で、板幅より若干狭い隙間をとった
縦格子を設け、その内側に、それと同形の可動格子を設ける。
可動の格子は、上下に框が付いていて、樋端を滑らせる。
固定の格子の隙間に可動格子の板部分をあわせると「閉」状態、
板にあわせると「開」状態になる。
日本独特の開口装置と言われている。
高気密・高断熱に夢中になる前に、考えるべき点があるように私には思える。
たとえば、部屋の回りに3尺~1間幅の縁側を設け、縁側境に障子が入るかつてはあたりまえだったつくりは、この縁側の空間が、下手な「断熱」よりも、数等温度調節上優れ、安上がり、第一暮しやすい。
けれども、こういうつくりを「耐力壁依存工法」でつくることは、至難の技になってしまった。縁側が回っていたって、十分地震に堪えてきているにもかかわらず!
「近代科学の知識」がなくても、いや、それがなかったからこそ、かつての日本人は、自らの実感・体感・直観をもって、日本という環境で暮す知恵を身につけていたのだ。
地震に強い「一体化・立体化工法」もその一つ、それによった軒を深く出し、縁側を回し、空気の流通のよいつくりとするのも、その一つ。
なにしろ、長い長い年月をかけて獲得してきた知恵。いったいなぜ、これらの知恵を見向きもしなくなったのか。まことに不思議な話である。
そしてまた、室内環境の制御を、ただ「断熱材」を付加することだけに頼るのではなく、建築材料そのものについても考え直した方がよいのではないか。その点、会津・喜多方の「煉瓦蔵(木骨煉瓦造)」は一つのヒントを与えてくれている(特に寒冷地向けとして)。