建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

ご挨拶

2018-11-17 11:33:13 | ご挨拶

初めまして、下山眞司の連れ合いの下山悦子と申します。

お知らせとご挨拶を申し上げます。

このブログの開設者・書き手である下山眞司は、去る8月22日、肺がんにて逝去致しました。
享年81歳でした。

3年ほど前より時々体調がすぐれず、2年前の夏からは頻繁に高熱が出るようになりました。
後にそれは肺炎と分かったのですが、微熱が続くようになりました。
肺がんと診断されたのは、昨年の夏前で、進行の早い、治療の難しいものでした。
定期的に通院し、自宅で療養していましたが、8月にやはり肺炎を起こし、肺炎治療のため入院、1週間後に永眠致しました。

12年間、このブログを続けてまいりました。
書くことが大好きだったので、楽しい時間を過ごすことができたと思います。

同ブログは、できる限り今の状態を続けます。

電子書籍・書籍等どのようにまとめて行くかはこれからの検討・作業になります。
何かお知らせできることがあれば、(時間はかなり先になると思いますが、)
その時は、また書き込ませていただきます。

このブログに区切りをつけるために、一つの書き込みをさせていただきます。


故人は、筑波大学芸術専門学群建築デザインの教官を、24年間勤めました。
その折に、学期の最後に、それまでの講義をレポートにまとめ、学生に渡すことを常としていました。

それは、最初の頃は手書きでした。
講義名は「建築空間論」。 その表書きが下になります。




その当時、このレポートを受け取った学生の一人である私には、その難解さに哲学書を読むような気がしたものでした。
「建築空間論」の書き出しはこんなでした。



今、数十年ぶりに「建築空間論」を手に取ると、やはり難しさは変わらず、
文章の一節一節を反芻し、咀嚼できないところはそのままにして先に進むという読み方の、
反芻の速度も、咀嚼できない量の多さも、昔とあまり変わらず、
今更ながら成長のない卒業生だったと再認識しています。

「建築空間論」1年分のレポートをPDFにして、リンクをかけました。
1979年度の講義「建築空間論」は1年:3学期ありました。  PDFは学期ごとになっています。
  (PDFは、最初に開く画面は大きさ・鮮明さに欠けるので、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。枚数が多いと開くまでに多少時間がかかります。)

        「建築空間論1979年度Ⅰ学期 表書き+12頁」
        「建築空間論1979年度Ⅱ学期 表書き+22頁」
        「建築空間論1979年度Ⅲ学期 表書き+10頁」

関心のある方は、お読みいただけましたら、幸いです。


また、故人は1981年から6年間あまり、月に1回「筑波通信」と名を付けた通信を、
卒業生・知人に送付しておりました。
1981年の「発行の辞」では下記のように述べています。

「『筑波通信』発行の辞
 
 大学の教師として学生たちに、建築をはじめとする我々が具体的に住んでいる居住空間のありかたについて、
たとえ信ずることを語ったからといって、それでほんとうに十分なことをしているといえるだろうか。
 学生諸君は世の中へでて、たとえ『ありかた』など説かれたところで現実はそうはいかない。
それが現実だ、自らの生活を維持するために「つくる」のだ。
おとぎばなしをいったってはじまらない、と思っても、少しも不思議でない。
 その一方で、そうやってつくられる環境のなかで、
自分たちと何の関係もないところで有無を言わせずつくられる環境のなかで、
まさに生活せざるを得ない人たちにも会ってきた。
その人たちの、まさに「やり場のない」「やるせない」重い思いも見せられてきた。
 そういうとき、教師の私が、それこそこの「現実」に対していわば目をつぶり、
信ずることを語ったところで、ほんとにそれでいいのだろうか。それだけでいいのだろうか。
 「つくる」人と「つくられる」人の間の接点は、ほんとの意味の接点:共通の世界は、
いまやそれを求めること自体、おとぎばなしなのだろうか。 
             略
 とりあえず、ばかげたことなのかもしれず、単に自己満足にすぎないのかもしれないが、
毎月一度のつもりで、「つくる」人「つくられる」人の接点であるはずの身辺のことどもをとりあげ、
私見を述べさせてもらい、共通の話題となることを願いつつ、いままで私の会ってきた人たちに、
まったく一方的にお送りすること、それならばできそうだ。
もしそれで、はなれていても話ができるなら、そんなうれしいことはない。                                            略           」

                        「筑波通信 発行の辞」PDFにリンクをかけました。
(PDFは、最初に開く画面は大きさ・鮮明さに欠けるので、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。)

 去る 11月3日に、つくばの地で「下山眞司先生を偲ぶ卒業生の会」を開催していただきました。
その際に「筑波通信」の取りまとめ・整理をしてくれた、当時通信を受け取っていた卒業生から、
「偲ぶ会」の終了後に、下記のようなメールが届きました。

「この度は素敵な会を催していただき、本当にありがとうございました。
お陰さまで先生の知らなかった仕事などをいろいろと知ることができました。
 一方で、先生の学生への講義要旨レポートや筑波通信をコピーしながらあらためて強く感じたものは、
教育者としての先生の熱意でした。
 言葉に表しにくい人の感覚のあり方、物事を根元的に見ること、成り立ちを考えることの重要性等々を、
ボーっとした学生相手に粘り強く伝え、卒業してからも思考放棄するなと静かに喝を入れ…。
こんなに長く教え子に語り続けてくれる大学の先生はどこにもいないだろうと思いました。
ご自分の研究に熱心な先生はいくらでもいますが。・・・・・・
 しかも筑波通信は今読んでも深いのです。・・・・・・」

 教師であった故人への、最高の弔辞、手向けの言葉を頂きました。

「筑波通信」については、ブログ中に「復刻」の形で稿を改めていくつか収められています。
残ったもの、また最初の形のものをどうするかについては、やはりこれもこれからの検討になります。
                                                                                                                   
                                                                                                                    
 長らく、このブログにお寄りいただき、故人にお付き合いいただき、
 故人と共に、深く御礼申し上げます。                  
                                           敬 具
                                                                       

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