農地は 一朝一夕には 生まれない

2011-04-29 11:55:25 | 居住環境
[図版更改 18.02][文言追加 18.13]
[「原発一個動かなくても関係ない都会!」へリンク追加 1日 23.24]
[毎日新聞 投書欄から投書転載追加 3日 12.10]

先に、飯館村について、少しばかり触れました。

そのあとで、私は、吉野せい さんの書かれた「洟をたらした神」という随筆を思い出し、書棚から引っ張り出して、あらためて読んでみました。
同書は「弥生書房」から、1975年4月15日初版で刊行されています。

吉野せい さんは、1899年福島県 小名浜(おなはま) の生まれで、詩人であった小作農・吉野義也:三野混沌:と結婚し、平(たいら)の町のはずれの山地の開墾に従事した方、そして、夫 混沌の没後、70歳を過ぎて著作を始めた方です(元々、平の牧師をしていた詩人・山村暮鳥などを知り、文筆を志していたのですが、結婚を機に、それまで書いたものを全て焼いてしまった、といいます)。
同書の あとがき で「・・・一町六反歩を開墾、他に一町歩の梨畑、自給のための穀物作りに渾身の血汗を絞りました。」と、記しています。


飯館村の方がたは、避難を強制されるようです。

報道で聞こえてくる話に拠れば、事故を起こした張本人は、賠償をできるだけ少なくしたい、同時に、国にも賠償の支援を求めたい、と考えているらしい、とのこと。
その話の えげつなさ もさることながら、その思考の向うに、何ごとでも金で解決できる、という考えも透けて見えてきます。
おそらく、原発立地も金で可能になったし、住民だってそれで潤っているはず、潤したのは我われだ、だから、原発被災も金で・・・という「発想」なのだと思われます。
しかし、飯館村は、原発の地元ではありません。原発とは無縁の豊かな山あいの地。[文言追加 18.13]

私が「飯館村」の話から、吉野せい さんのこの一冊を思い出したのは、
そこに、かつて、農地は、どのようにして開かれていったのか、如実に、しかしさりげなく、開墾に携わったた方自らの手で描かれていたことを思い出したからだ、と思います。
現代の人びとが造成された宅地を買うような、そんな形では農地は農地にならない、従って、それを簡単に「金」で何とかしよう、とするような考え方には、到底ついてはゆけないのです。人びとの代々の営みを、金に換算できますか。
「耕す」ことを英語では cultivate と言いますが、culture はその派生語。耕さなければ生まれないものが culture なのです。そして、農業は agri-culture 。 agri の語源は「土地」のことらしい。
農地の破壊は一日もかからずにできる、しかし農地は一朝一夕では作れない、このことを、今回の事故の張本人たちは、忘れていないだろうか(知らないのだろうか)?
金勘定する前に、先ず、張本人たち総動員で、土壌除染に向けての作業をなさったらいかがですか(下請け任せにしないで・・・)。

   吉野せい さんを広く世に紹介した 串田孫一 氏は、同書の「序」で、
   「書くことを長年の仕事としている人は、文章の肝所を心得ていて、うまいものだと感心するようなものを作る。
   それを読む者も、ほどほどに期待しているから、それを上廻るうまさに驚く時もあれば、また、期待外れという時もある。
   ところが、吉野せい さんの文章は、それとはがらっと異質で、私はうろたえた。
   たとえば鑢紙での仕上げばかりを気にかけ、そこでかなりの歪みはなおせるというような、
   言わば誤魔化しの技巧を秘かに大切にしていた私は、張手を喰ったようだった。
   この文章は鑢紙などをかけて体裁を整えたものではない。
   刃毀れなどどこにもない斧で、一度ですぱっと木を割ったような、狂いのない切れ味に圧倒された。
   ・・・・」

「洟をたらした神」の最初は、「春」という一文です。
以下に、同書からスキャンして、そのまま転載します。[図版更改 18.02]

文末の数行は、実に凄い。

版面を変えたくなかったので、字が小さいと思います。恐縮ですが拡大してお読みください。

吉野せい さんの著作は、他に、作品集「道」(弥生書房)、評伝「暮鳥と混沌」(草野心平 跋 弥生書房)があります。
   草野心平 氏の愛した 川内村 も素晴らしいところ。ここも、避難地区になってしまった![文言追加 18.13]








2007年の中越地震で柏崎原発が停止したときの柏崎市長の言を紹介したことを思い出しましたのでリンク。
「原発一個動かなくても関係ない都会!」。[リンク先追加 1日 23.24]

5月3日付毎日新聞、投書欄から転載 [記事転載追加 3日 12.10]

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とり急ぎ・・・・こういう企業もあるんだ!

2011-04-24 18:10:38 | 居住環境


[追記 20.52][追記 21.12]

新緑のころ、よくある風景です。
今にも降りそうな気配でしたが、雷は音だけ響かせて、通り過ぎて行きました。

ところが、南に去ったと思っていた雷雲は逆戻りしてきたような恰好で、頭の上で雷鳴、近くに落ちたらしい。そして、猛烈な雨。8時過ぎに止みました。 [追記 20.52]

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

東京の南部に拠点を置く「城南信用金庫」のHPに、今回の原発事故を機に、「思いを新たにする」との「宣言」が載っているとのこと、早速見てみました。発表は4月1日。

下記です。

「原発に頼らない安心できる社会へ」

原発に電力の3割を依存しているのなら、3割の節電をすればよいではない、
という
いかなる原発推進論者をもってしても反論できない非常に明快な論理です。
あまりのことに驚きました。世の中には、こういう経営者もいるんだ!

とり急ぎ、お知らせまで。

このニュースは下記で知りました。[追記 21.12]
alterna

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建物は「平地・平場」でなければ建てられないか?

2011-04-23 11:01:15 | 建物づくり一般
[註記追加 15.10][文言追加 24日 9.41][註記追加 25日11.17]

東北のある県知事が、「津波に襲われた狭隘な海岸縁の一帯以外に平地がなく、仮設住宅を建てるにしても、山を切って造成しなければ敷地が確保できない」というようなことを語っていました。
おそらく「建物は平地・平場でなければ建てられない」、あるいは「傾斜地は平らに造成するものだ」、という考えが「常識」になって染み付いているのだと思われます。

たしかに、鉄骨の仮設住宅、通称プレファブを何棟も並べるには平地がいい、と言うより、仕事が楽です。

しかし、「山を切崩し平地をつくる」という発想は、重機万能の時代の発想に思えます。
もし重機がなかったなら、どうするのでしょうか。人力で山を切り崩して平地をつくるのでしょうか?
昔だって、とりあえずの建屋を建てなければならない、という状況はあったはずです。
そのとき、平地がないからだめだ、と考えたりはしなかったはずです。
まして「平地を求めて移住する」、などとは直ぐには考えない。
簡単に「移住」を口にするのも、自動車車万能の時代の発想。

山だからといって、すべてが切り立っているわけではありません。
多くの場合、山裾には多少なりとも 3/10~5/10程度の勾配の斜面は必ずあります。少し手間はかかっても、この程度なら、通称プレファブ小屋も建てることができます。
通常、簡単に木杭を打って、その上に置くのがプレファブ小屋のやりかた。少し丁寧になると、ブロックで基礎をつくることもあります。
いずれにしても、一定程度の斜面なら、片側を地面すれすれに据え、下側の基礎を高めにすれば、床は平らになります。
基礎の高さの調節で水平面を空中につくるわけです。

日本では、こういうことを、昔から本建築でもやってきています。
その代表が「清水寺」の舞台。他にも各地に例があります。
清水寺が建つ場所の勾配は、ほとんど45度に近い。勾配 8~9/10程度あります。
懸崖造(けがいづくり、けんがいづくり)懸造(かけづくり)などと呼ばれる方法。
清水寺の場合、建屋本体は、懸崖造の一部にだけ載り、大部分は地山(切った岩盤)に建っています。

このような建て方をしたのは、何も、当時重機がなかったからではありません。前掲記事でも触れていますが、
山を切ったりすると、山が崩れ始めてしまうことを知っていたからなのです。
山の形、それは、そうなるべくしてなった形なのです。
簡単に言えば、柔らかい部分が水で流れ去り、硬い部分が残った、と考えればよいでしょう。そして、安定した形になった

子どものころの砂遊びで、砂場に水をそそぐ。そうすると、一面同じような砂で被われているのに、水は微妙な経路を描いて流れ、やがて吸い込まれる。
つまり、
同じような砂に埋め尽くされている砂場の砂にも、水に押し流されるところと、そうでないところがある。
だから、水みちも微妙に曲る。
これが、大地になれば、もっと差がある。
その結果、地表はデコボコになる。そうして「地形」ができる。
だから、「地形」と「地質」は深い関係がある。
往時の人びとは、「こういう事実・事象」を身をもって知っていた。
もちろんそれは、「現代科学による知見」を知って、つまり「ものの本」を読んだりして得た理解ではありません。
「現場」の僅かな「差異」をも見究める、人びとが「感性」で得た「理解」です。「感性」は「直観」と言い換えてもいい。
あるいは、それこそが、現代科学の礎になった「理解」と言ってもよいかもしれません。
だからこそ、往時の人びとは、自然が造り為した地形を、いたずらに弄る(いじる)ことはしなかったのだ
と私は思います。

   註 このあたりのことについて、以前、「知見はどうして得られるか」で書いています。[註記追加 25日11.17]

そうは言っても、奈良時代の東大寺の伽藍は、若草山の山裾を造成して建てられています。
下図は、東大寺の伽藍配置図です(この図は以前にも載せてことがあります。再掲です)。



中国の伽藍にならった当時の国策的大事業:「東大寺」の大伽藍をつくるには、広大な平地が必要でした。
そこで、奈良盆地北東隅の若草山の西側緩斜面を切取って平地をつくったのです(なぜ盆地の平らな場所にしなかったか、については不詳であることを、前掲記事でも触れています)。
上掲の図の等高線を追ってゆくと、線の曲り方が不自然になる箇所がありますが、そこが切取った場所です。
当然、切取った土の処理が必要になりますが、おそらく西側の大仏池の堰堤あたりに盛ったのではないかと思われます。
しかし、現代と異なるのは、伽藍は、切土の箇所につくり、盛土した場所にはつくらなかったことです。

なお、東大寺より以前につくられた「法隆寺」伽藍では、きわめて緩い斜面に、斜面なりにつくられています。それでも、回廊を歩くと、北に向ってかなりの爪先上がりであることが分ります。
多分、地表を軽く均す程度だったのだと思われます。
ただし、礎石を据えるための地形(地業:ぢぎょう)には、細心の注意が払われています(「日本の建物づくりを支えてきた技術-3・・・・基礎と地形」参照)。
   この「伽藍」の配置の決め方についての「想像」も、前記の記事で書きました。

この「盛土をして平らにした土地に建物は建てない」という「常識」は、おそらく近世まで継承されているように思います。
山間の地には、斜面に住み着いて暮している方がたの住居が見られます。知っている例で言えば、関西で紀伊半島の山中、関東では秩父の山中。全地域で見られるはずです。
この方たちの住まいもまた、なるべく地山はいじらず、切土・盛土する場合でも、大半は切土をした箇所に建屋を建て、盛ったところは庭先とするのが普通です。

最近の住宅地では、斜面であれば、そこを雛壇のように造成するのが当たり前になっています。
   大規模住宅団地の場合にも、地山を大きくいじるのが普通です。
   その「悪しき好例」の嚆矢は、広大な多摩丘陵を重機で切り刻んだ「多摩ニュータウン」でしょう。
   神戸に至っては、六甲山を崩して平地をつくり、
   崩した土をベルトコンベアで運び海岸を埋め立てる、ということを「公共」事業でやっていました。

そういう住宅地では、今回の地震で崖崩れや地滑り様の現象や、建物が大きく傾くという現象が生じています。

戸建て住宅地の雛壇の造成は、敷地の斜面方向の距離の半分を切り取って、残りの斜面の半分に切取った土を盛ることで平らな面をつくるのが普通です。つまり±0という方法。残土が出ないから、計算上では《合理的》です。
その結果、敷地の斜面下方側が盛土ということになり、その盛土を支えるために擁壁を築きます。
報道で見る限り、崖崩れや地滑りは、こういう方法で造成された新興住宅地の、擁壁で支えられた盛土部分で起きています。
多くの場合、こうしてつくられた住宅地は、敷地面積が狭隘のため、切土部分にだけ建屋を建てるわけにはゆかず、盛土部分にも載ることになります。
最近の普通の広さ(150~200㎡程度)の敷地なら、建屋の半分以上は盛土部分にかかります。
どんなに十分に突き堅め、がっしりとした擁壁を築こうが、所詮、盛土部分は既存の地面とは一体にはなっていない、いわば浮いている状態になっていますから、激しい揺れがあれば、盛った部分が容易に滑って動いてしまい、擁壁をも押し倒す
のです。
   どんなに突き固めようが、盛土が「安定」するには、最低でも20年はかかる、と
   鳶職の方から うかがった覚えがあります

   たしかに、竣工後間もない高速道路などで、盛土部分が、地震がなくても路面が波を打っているのを見かけます。
   道路と橋の取付き部でも、橋の路面と手前の盛土した道路面の間に段差が生じている例を数多く見かけます。

   どんな地震でも崩壊しないような擁壁をつくるとなれば、
   城郭の天守台の石垣のようなつくりにでもしなければならないでしょう。[文言追加 24日 9.41]

また、そのような住宅地で、建屋が傾いてしまったのは、基礎を布基礎やベタ基礎にしているためと思われます。
地盤調査をすれば、現行の建築基準法の基礎仕様規定から、自ずと布基礎やベタ基礎になるからです。
ところが、
建屋の半分以上が、盛土部分に載っているため、盛土部分の崩壊・崩落とともに、そこに載っていた布基礎・ベタ基礎ごと、建物全体が傾いてしまうのです。

布基礎やベタ基礎は、弱い地盤に建屋の重さを分散させ、不同沈下を避けることを目的に「提案」された方策ですが、それは、弱い地盤が弱いなりに「安定」していることが前提になります。
しかし、「切土」「盛土」で成り立っている敷地は、直ぐには「安定」しないのです。

   布基礎の提案が、なぜ行われたのか、「『在来工法』はなぜ生まれたか-3」で触れています。

これが独立基礎、柱ごとの基礎なら、多分、部分的な被害、たとえば切土部分に載っている基礎は動かず、盛土部分では基礎が浮いてしまう、あるいは木造部が基礎から離れてしまうなどで済むと思われます。
以前、室町時代末に建てられたと推定されている「古井家」を紹介しました。
「古井家」は独立基礎:石場建てです。
下は、その桁行断面図です(「古井家」については、数多く触れていますので、「古井家」で検索してください)。



解体修理の際、この断面図の東側(図の右手)の一部は盛土部に載っていて、そこが沈下し、長年のうちに柱や横材の一部に折損が生じていたことが判ったそうです。
これは、切土部分は不動であったから起きた現象です。ベタ基礎のように、盛土部の沈下によって、全体が傾くことはなかったのです。

もちろん、沈下が始まっても、折損に至る前の早い段階では、木造部は、宙に浮いた形になっていたものと思われます。早く手を打てば、折損も起きなかったでしょう。
現在のように、独立基礎でも、柱を基礎に金物で結んでいると、多分、折損は早く生じたでしょう。ただ、転倒することはない。

つまり、盛土部分に建屋を載せること自体が問題を起こすのはたしかですが、独立基礎の方が、布基礎やベタ基礎よりも、影響が少ない、ということ、すなわち、現行の基準法の仕様規定の「想定」は、「実際・実状・現場: reality 」に合っていない、ということです。


最近の造成住宅地の中には、斜面の雛壇化のほかに、「低湿地の平地化」した例がかなりあるようです。谷地田や沼沢地、ときには休耕田など、あるいは海岸に盛土をして平地をつくりだす場合です。
住宅地で、今回の地震により液状化現象を起こしたのは、すべてそういう場所です。
これまで見られなかった内陸部の例が目立っていますが、潜在的に「起きる条件は整っていた」にすぎません。これまで起きなかっただけ、ということ。

これらの「宅地化」にあたっては、当然、土木・建築畑の技術者が計画に係わっているはずです。
では、なぜ彼ら「技術者」:「専門家」が、起きるであろう事態を予測しなかったのか?
多分彼らは、現行法令の諸規定に合わせればよい、と考えたに違いありません。それは、地盤の悪いところではベタ基礎にすればよい、で済ませてしまうのと同じです。
つまり、「技術者」の理解が、「設計とは、《法令の規定する基準》に合わせること」という「理解」になってしまっているということです。
これは「設計」の字義にももとる。そして、当然、そういうことをするのは、「技術者」にももとる。


では、専門家ではない人たちが、敷地の良し悪しを見分けるには、どうしたらよいか。
〇 先ず、建物は、平地でなくても建てられる、ということを知ること。
〇 ある土地を、見るとき、その「現状の姿」を見るだけではなく、
   その土地を含めた一帯の様子を観察し、その土地の「元来の姿」を想像してみること。
   近在に昔から暮している方がたから、以前の様子を聞き取ること。いわゆる「古老の話を聞く」のも一法。
   もし図書館があれば、その地域の地誌や地名辞典などを調べるのも一法。
〇 周辺にも足を伸ばし、その地域に古くから在ると思われる家々が、どういうところに建っているかを知ること。
   たとえば、その構え方から、風向きなども知ることができる。
〇 周囲が、既に建物で埋め尽くされている場合には、
   戦後間もなくの頃、1950年代(昭和30年代)の地形図を見て、かつての地形の様子を知る。などなど。
   なお、国土地理院発行の各年代の地形図は、
   「日本地図センター」のネットショッピングで購入、あるいは複写を依頼できます。

「専門家でない人」が、敷地の良し悪しを見分けるには・・・と書きました。
しかし、なぜ?
建築などの「専門家」で、敷地の土地の履歴などを調べている人は、きわめて少ない、というのが、現実だから!!です。
だからこそ、
「専門家でない方がた」は、先ず「事実」を知って、その上で「専門家」と話をする、あるいは「専門家」の話をきくことが肝要なのです。
この場合の「専門家」とは、建築家(都市計画家も含む)、住宅メーカー、不動産業・・・の方がたです。

   註 これは、「専門家でない方がた」が、
      専門家たちを本当の専門家たらしめる為にできる、
      最大の「教育」なのです。
      そうでもしないと、多くの専門家は、自力で成長できないのが現実だからです。[註記追加 15.10]
                            

今回の最後に、清々しい事例を紹介します。
地形にあわせて設計された集合住宅の事例です。
下は、その配置図です。



次は、断面図と、地山への載せ方を解説した図です。



これは、地山の原型を極力尊重した計画例です。
つまり、先ず敷地を平らにする、などということを考えていません。
どうすれば、「地山の形状をそのまま使えるか」と考えた、と言えるかもしれません。
もちろん、建物を据える場所では、地形(地業)のための「造成」=「原型の破壊」はしています。
   もっとも、「段差無し=バリアフリー」論者からは、否定されるに違いない計画ですが・・・。

このような計画の場合、下手をすると、建物全体が、斜面を滑ることが起きかねません。
すなわち、建物重量の「斜面方向に向う分力」が「垂直方向への分力」よりも大きいと、建物全体は斜面を滑ります。
この計画では、第一層の斜面奥の部分、第三層の奥の部分が、地山にいわば喰いこんだ形になっていること、垂直方向の重量分力が圧倒的に大きいこと、が滑りを止めている、と考えられます。

この集合住宅は、フィンランドの建築家、アルバー・アアルトの設計です。
彼は、地山を削って平地化する住宅地建設を目の当たりにして、それは違う、としてこの計画を立案、実施したようです。
  「 KAUTTUA の集合住宅」 企画・計画1937年、建設1938~1940年
   出典:“ALVAR AALTO Ⅰ” Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 刊

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建物をつくるとはどういうことか-16・再び・・・・「求利」よりも「究理」を

2011-04-19 18:45:17 | 建物をつくるとは、どういうことか
「文言追加 20日 9.16][追補 20日 18.01][追補 20日 23.25]

今日(4月19日)の毎日新聞夕刊(東京本社版)に、次のような記事がありました。



新聞記事ですから、やむを得ないことなのかもしれませんが、単に「歴史的事実」を記憶していたか、否か、の点に焦点が絞られているのが、気になりました。

単なる「歴史的事実」の「記憶」の問題ではない、と私は思います。

往時の人びとは、単に「歴史的事実」を記憶していたからではなく、その「事実」の先に、「そこは暮らすべきでない場所だ」ということを、「理由(わけ)も踏まえて認識していた」からだ、と私は考えます。

考えてみてください。津波は日常茶飯事のことではありません。
もちろん、地震も同じ、日常茶飯事のことではありません。
単なる「記憶」なら、忘れてもいたしかたない。
「記憶」していたか、否か、そういうことではないのです。

往時の人びとは、「その場所の地形・地質が何を意味するか」まで認識していたのです。そして、「だから、そのような土地に暮してはならない」、ということを「認識」していたのです。
それが、「歴史的事実として、表れている」にすぎない
のです。


先回書いたことを一部再掲します。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・・・・
「新市街地」とは、その多くは、現代の「科学・技術」による「想定」(=基準・指針)の下に「計画」された地区にほかなりません。
たとえば、地盤の悪さは杭やベタ基礎で解決できる、津波は、大きくても数mだろう・・・という「想定」(=基準・指針)の下で開発された新興地区なのです。
それがダメになったのは、「想定外」の天災に拠るのだ、天災がワルイ・・・。

旧市街:往時に人びとがつくりあげた集落:町が津波被災をしなかった、ということは、
そこに暮す人びとが、「住まいの備えるべき必要条件、十分条件」を認識していた、ということです。
「わざわざ危ない場所に暮すことはしてこなかった」ということです。
「大地」の上で暮す以上、「大地の理」を「尊重する」こと、おそらく、往時の人びとは、この「道理」を、当然のものとして理解していたと思います。
日ごろの「経験」「観察」を通して、「大地の理」を認識していたのです。
そして、当たり前のこととして、人が「大地の理」を凌駕できる、とは考えませんでした(もちろん、それが「大地の理」に「負けることだ」などとは思うわけもない)。
どうしてそれが可能だったか。
人びと自らが、自らの感覚で、日常的に、「大地の理」を学んでいたからだ、と言えるでしょう。
《偉い人》のご託宣に頼るようなことはしなかった、ということです。
・・・・
  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

先ほど、TVで、《専門家》の、実験をまじえた液状化現象についての「解説」を放映していました。
私は、
そういうことが分っていたのなら、なぜ、低湿地:海岸や沼沢地を埋め立てて宅地化することはやってはならない、と説かなかったのか、それを説いて初めて「専門家」ではないか
と思いながら聞いていました。

もっと言ってしまえば、そういう実験などは、単に、学会へ発表するのが目的の「研究」なのではないか、とさえ思いました。「研究」が「求利」の一手段になっている・・・。

「事件」が起きてから、「理詰めの説明」をしてもらったって、何の意味もないではないですか。

原発推進を諮ってきた原子力の《専門家》による「原発事故についての解説」に至っては、もっと憤りを感じています。
進んで現場に行かれたらいかがですか。
自ら唱えた「安全」論の「評価」のために。
そして、事態の収束の為に。
この際、あなた方は、評論家であってはならないのです。
それは、やむをえず避難を強いられる多くの人びとに対して為さねばならない、原発を推進してきたあなた方の責務です。
それができないのなら、所詮、あなたがたの「学」「研究」は、「求利」の為のものだった、
ということになります。

   以前に載せた宮澤賢治の「グスコンブドリの伝記」の一節を思い出しました。

   そこには、こうあります。

   「・・・私はもう火山の仕事は四十年もして居りまして
   まあイーハトーヴ一番の火山学者とか何とか云はれて居りますが
   いつ爆発するかどっちへ爆発するかといふことになると
   そんなはきはきと云へないのです。
   そこでこれからの仕事はあなたは直観で私は学問と経験で、
   あなたは命をかけて、
   わたくしは命を大事にして共にこのイーハトーヴのために
   はたらくものなのです。」
                         「文言追加 20日 9.16] 
 
原子力の利用は、二酸化炭素を出さないから、地球環境を護るクリーンなエネルギーだなどと言うことをやめましょう。
原子力なるものは、下水道が整備されていないのに上水道だけつくってしまった、というに等しいのです。
廃棄物はどうするのか、不明のまま使っている・・・!
地中深く埋めれば問題がない?!
それはこの大地に対する冒涜です。

追補 [追補 20日 18.01]
4月20日毎日新聞朝刊に、見過すことのできない記事がありました。
以下はその一部、そして赤枠内を拡大すると右側になります。
もちろん全てではありませんが、現在の「学」「研究」の様態を如実に示しています。


再追補 [追補 20日 23.25]
毎日のネットニュース:毎日jpに「地震国日本になぜ原発が多いか:原発の戦後史」という、注目すべき特集が載っています。同日の夕刊の記事でもあります。
コメント (4)
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とり急ぎ ご案内:「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会+鎌仲監督トークinいわき市

2011-04-16 20:12:30 | 居住環境
先に触れた標記映画の上映会を、福島県いわき市で行うことになった、という連絡を、
三函座リバースプロジェクト実行委員会 からいただきました。

下記のとおりです。

第一回
日時 2011年 5月 4日 (水曜日)
場所福島県いわき市平字5-15-1 (地図)
説明「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会+鎌仲監督トークinいわき市
【会場】burrows(バロウズ)/いわき市平字​5-15-1
【プログラム】12:10開場/第1回上映12:35/監督トーク15:00/第2回上映16:00
【参加費】大人1000円/学生…主催者にお問い合わせ下さい
【主催】三函座リバースプロジェクト実行委員会
【問合せ先】burrows(バロウズ)/0246-24-7772

第二回
日時 2011年 5月 5日 (木曜日)
場所福島県いわき市平字5-15-1 (地図 第一回の地図参照)
説明「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会inいわき市
【会場】burrows(バロウズ)/いわき市平字​5-15-1
【プログラム】12:50開場/第1回上映13:15/第2回上映​16:00
【参加費】大人1000円/学生…主催者にお問い合わせ下さい
【主催】三函座リバースプロジェクト実行委員会
【問合せ先】burrows(バロウズ)/0246-24-7772

なお、他の地域での上映会については、下記をご覧ください。
「ミツバチの羽音と地球の回転」上映カレンダー
コメント (2)
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建物をつくるとはどういうことか-16・・・・「求利」よりも「究理」を

2011-04-15 15:41:54 | 建物をつくるとは、どういうことか
[註記追加 16日 9.45][付録部分 訂正 21日 18.08][追記追加:飯館村紹介 21日 18.21]
間が空きましたが、今回を「建物をつくるとはどういうことか」の最終とします。

このシリーズでは、「私たちの『建物をつくる』という営為」は、本来、いかなる「作業」であったのか、根本・根源に戻って考えるようにつとめてきました。
それはすなわち、
「現代の建物づくりの考え方」、
そして、その考え方の基になる
「ものごと全般に対する対し方、考え方」に於いて、
決定的に忘れられている、と常日ごろ私が思ってきた諸点について、
あらためて「集成」してみようとする試みでした。

まとめは別のかたちになると思っていたのですが、今回の震災に遭遇して、この震災についての「感想」を書くことで、このシリーズのまとめにしようと決めました。
なぜなら、原発事故を含め、今回の被災の状況に、「現代の考え方」が、如実に露になっている、と思ったからです。

   註 「究理」とは、ある物理学者の造語です。 
      どのような意味か?
      「究理」の字義こそ、science の本義である、ということからの造語です。
      science は「科学」であってはならない、ということです。もちろん「求利」などであっては・・・。
      [註記追加 16日 9.45]

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[註記追加 16.47][文言追加 17.20][参照記事追加 16日 1.25][註記追加 16日 9.32][追記追加 5月27日 15.20]

先日、今回の地震・津波の被災からの「復興」へ向けて、海岸に津波を避けるためにコンクリート製の「人工地盤」をつくる、という「提案」がある、と新聞に図解入りで紹介されていました。「復興・・会議」の委員の一人の提案だそうです。
「この期に及んで、未だ・・・・」、というのが、私の率直な感想です。
「・・・・」のところには、いろいろな文言を入れることができます。たとえば、「懲りないのか」、あるいは「考えを改めないのか」・・・・。

地震や津波に対して「次に起る(であろう)地震に耐える強度の建物」や、「次に起る(であろう)津波の高さよりも高い防潮堤」をつくることで「対応できる」と考えるようになったのは(先回「想像を絶する『想定外』」で、こういうのを「工学的設計」と呼びました)、そんなに昔からではありません。
おそらく明治以降、つまり、「科学(技術)」を「信仰」するようになってからではないでしょうか。とりわけ第二次大戦敗戦後に著しい。
   註 (であろう)と書いたのは、私にとっては「・・・であろう」ことも、  
      そういう《基準》を定める方がたには、「・・・であろう」ではないらしいからです。
      彼らは「次に起きるのは、かくかくしかじかの事態である、と断定的に《評価》」します。
      もし、それとは異なる事象が起きれば、「想定外であった」として済ますための「用意」なのでしょう。


次の地図は、福島県北の明治20年代の地図です。いわゆる「迅速図」と呼ばれている図です。
「日本歴史地名大系」(平凡社)の「福島県」編の付録から転載しました(原版はモノクロですが、一部に色を付けました)。



図中の黄色にぬった線は「陸前浜街道」、現在の「国道6号」です。
   なお、赤い線で区画した西側(図の左側)が、
   「想定外の」原発事故:放射能汚染で、人びとが避難を余儀なくされ苦しんでいる「飯館村」です。
   清流に恵まれ水が美味しく、人情こまやかな穏やかな山村とのこと。
   追記:ダイアモンド オンラインの記事に飯館村の紹介があります。

現在の道路を見慣れてしまった目には、この地図上の曲がりくねった道は、不可思議に見えるかもしれません。
しかし、道は、無意味に、あるいはわざと、曲がりくねっているのではありません。
これが人がつくる道の本来の姿
なのです。
このように曲るには、それぞれ明確な理由があります。曲るべくして曲るのです。

人が道をつくるときの原則は、かなり前に書きました(たとえば「道・・・どのようにして生まれるのか」。このシリーズでも触れています)。
人にとって「分りやすい」「疲れにくい」「安全に歩ける」・・、それが道をつくるにあたっての「要点」なのです。もちろん、現代の人びとではなく、往時の人びとの採った考え方です。
   現代では、案内板やカーナビがあればよい、と思うかもしれません。
   
「浜街道」に並行して、山寄りの山裾を、細い道(単線の表記)が南北に走っていることに注目したいと思います。
地図では「里道」と記されていますが、おそらく、この道は、「浜街道」が整備される以前からあった道と思われます。多分、等高線に沿った道だと思われます。
   以前、奈良盆地を南北に走る道には、
   「上つ道」「中つ道」「下つ道」の3本があったことを紹介しました。
   このうち、「上つ道」:いわゆる「山の辺の道」が古く、以後、盆地の方に降りてゆくことも紹介しました。
   このシリーズの第3回で触れています(末尾の付参照)。

平地:平場が歩きやすいのはたしかですが、平場は目見当をつけにくく、最初には手が付かないのです。これが、道の成り立ちの「順序」と言えばよいでしょう。
と言うより、この「里道」と呼ばれる道沿いに、数多くの集落があり、「里道」は、それらの集落を結ぶために生まれた道だったと考えられます

明治期には人口500人以下ですが、おそらく、この地域で最初に生まれた集落の名残りではないかと思われます。往時は(多分江戸の初期ごろ)、もっと人が多かったでしょう。
そこを拠点に、目の前の平場を開拓し、江戸末には、集落の拠点が海寄りに移った、と考えられます。
しかし、平場といっても、
海からは一側内側の、今回、津波を被災しなかった区域に拠点集落:町場が構えられていることに注意したいと思います。
それを明らかにしてくれるのが次の地図です。明治20年代の地図の範囲と縮尺は、この図に合わせて編集してあります。



この地図は、国土地理院が公開している今回の津波による浸水区域の地図です。
図の海寄りの赤いところが浸水域です。

分りにくいかもしれませんが、「陸前浜街道」は、明治の頃の道筋を基本的に踏襲しています。
そして、「陸前浜街道」は、大半が津波の浸水を免れている、ということも分るはずです。
と言うことは、「陸前浜街道」が結んでいた町々の「旧市街地」もまた浸水を免れていることになります。
言い方を変えると、これらの町で浸水したのは、主に「新市街地」であった、ということです。

   先にも触れましたが、往時の国道:官道は、既存の町:集落を結んで設定されています。
   町:集落が生まれるのが先、それから集落・村、町相互を結ぶ道が生まれるのです。
   これを、現代の「開発」の見かた:道をつくって人を貼り付けるという見かた:で理解するのは間違いです。
   往時の人びとは、ものごとを「暮しの理」で考え、
   現在のように、ものごとをすべからく「利」で追求することはしなかったからです。

これは、この地図の範囲だけではありません。
次の図は、仙台空港のある仙台東部地区の浸水図です。出典は先と同じく国土地理院公開の地図。4地区ほど公開されています(前記からアクセスできます)。



この地図には、南から、亘理、岩沼、名取、そして仙台中心部(旧市街)と、それを結ぶ「陸前浜街道」が読み取れ、それらがいずれも津波浸水域をはずれていることが分ります(角田という町もありますが、この町は浜街道沿いではありません)。

   註 この地域の明治20年代の地図は、部分的ですが「此処より下に家を建てるな」のときに
      載せてあります。[註記追加 16.47]

このことは何を示しているか。

旧市街地は、津波被害を免れている、という事実。
これらの町が津波で被害を蒙ったことが知られていますが、先に触れたように、それは、これらの町の「新市街地」が大半なのです。

「新市街地」とは、その多くは、現代の「科学・技術」による「想定」(=基準・指針)の下に「計画」された地区にほかなりません。
たとえば、地盤の悪さは杭やベタ基礎で解決できる、津波は、大きくても数mだろう・・・という「想定」(=基準・指針)の下で開発された新興地区なのです。
それがダメになったのは、「想定外」の天災に拠るのだ、天災がワルイ・・・


旧市街:往時に人びとがつくりあげた集落:町が津波被災をしなかった、ということは、
そこに暮す人びとが、「住まいの備えるべき必要条件、十分条件」を認識していた、ということです。
「わざわざ危ない場所に暮すことはしてこなかった」ということです。
「大地」の上で暮す以上、「大地の理」を「尊重する」こと、おそらく、往時の人びとは、この「道理」を、当然のものとして理解していたと思います。
日ごろの「経験」「観察」を通して、「大地の理」を認識していたのです。
そして、当たり前のこととして、人が「大地の理」を凌駕できる、とは考えませんでした(もちろん、それが「大地の理」に「負けることだ」などとは思うわけもない)。
どうしてそれが可能だったか。
人びと自らが、自らの感覚で、日常的に、「大地の理」を学んでいたからだ、と言えるでしょう。
《偉い人》のご託宣に頼るようなことはしなかった、ということです。
もちろん、往時にも、「偉い人」は居ました。
しかし彼らは、人が自らの感性で事物に対することの必要を説き、自分の説:ご託宣を押し付けるようなことはしなかった!
   だからこそ、人びとから「偉い人」だと認められたのです。
   そこは、今の《偉い人》との決定的な違いです。

   註 現在の「工学」の「一般的な」発想法の「特徴」について、下記で書きました。
      「工か構か」 [註記追加 16日 9.32]

地図からでも、これだけのことは読み取れるのです。
冒頭に触れた「津波を避けるためにコンクリート製の人工地盤をつくるというような《工学的提案》」をする前に、先ず、往時の人びとの「知恵」をこそ学ぶべきだ、と私は思うのです。
彼らの方が、数等、scientific なのです。

このことを、今回、明治の地図と、今回の被災浸水域の地図を比較してみて、あらためて強く感じています。
   「此処より下に家を建てるな」、これもまた、往時の人びとの「知恵」なのです。
   この「知恵」を、笑ってはならないのです。

何度も、いたるところで書いてきたように、
scientific であるということは、「数値化すること、計算すること・・」では、ありません。
science =「数値化すること、計算すること・・」という「理解」こそ、現代のものの見かた、考えかたを生む、最大にして最悪の「根源」
なのです。

得てして、「数値化すること、計算すること・・」という「ものの考え方」は、「利」に直結します。
現に、原子力安全委員会の元委員は、「万が一のことなど考えていたら、コストがかかり過ぎる」「(あるところで)割切らないと設計できない」と公言していました。
これはすなわち、ものごとの判断の根拠を「求利」に置いていることの証以外の何ものでもありません。[文言追加 17.20]

私たちの目の前に広がって在る「歴史」事象は、単に、学校の歴史教科の教材ではありません。
それらの事象には、
この大地の上でしか生きることのできない人間の、大地の上での生きかたの経験と知恵がつまっているのです。
それを認識し理解できない、というのならば、いかに「科学的」であろうが、到底 scientific であるとは言い難い、と私は思います。

そうなのです。
「復興」を考えるのであるのならば、机上で勝手なことを妄想するのではなく、
「現地」「現場」に厳然として存在する「歴史的事実」「歴史的事象」から、
「長い年月」という「実験」を経て、「その地」で、往時の人びとが為してきた営為を知り、
そこから、人は何を為してきたか、そして今、何を為すべきか、そこに潜む「理」を学ぶべきなのです。
決して「現代的開発」の論理、阪神淡路震災の「震災復興計画」のような、
普通の人びとの日常の苦しみを生むような、生むことを願ったような、
一部の人たちの「利」にだけなったような、
そういう《復興》を夢見てはならないのです。

   註 「区画整理・・・心の地図」
      「災害復興と再開発」参照  [参照記事追加 16日 1.25]

私はそう思います。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
リンクしないとのご指摘がありましたので、改めました。失礼致しました。[訂正 21日 18.08]


付 「建物をつくるとはどういうことか」シリーズはこんな内容でした。

第1回「建『物』とは何か」
第2回「・・・うをとりいまだむかしより・・・」
第3回「途方に暮れないためには」
第4回 「『見えているもの』と『見ているもの』」
第4回の「余談」 
第5回「見えているものが自らのものになるまで」
第5回・追補「設計者が陥る落し穴」
第6回「勘、あるいは直観、想像力」
第7回「『原点』となるところ」
第8回「『世界』の広がりかた」
第9回「続・『世界』の広がりかた」
第10回「失われてしまった『作法』」
第11回「建物をつくる『作法』:その1」
第12回「建物をつくる『作法』:その2」
第13回「建物をつくる『作法』:その3」
第14回「何を『描く』のか」
第15回「続・何を『描く』のか」

   追記
   ここで書いてきたことを、同じ資料を使い、別の形にまとめ、下記雑誌に書かせていただいております。
                          [追記追加 5月27日 15.20]
   雑誌「コンフォルト」2011年4月:№119(建築資料研究社)
     「住まいにとっての開口部」

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buzz communication をこそ・・・・ある教師の苦悩

2011-04-06 21:36:19 | 専門家のありよう
[末尾に註記追加 7日 16.14]

数日前、一通のメールをいただきました。
事故原発の近くの県の、ある教育機関で教師をされている方からでした。

このような思いをされている方は、おそらく多数おられる筈です。

承諾をいただきましたので、公開させていただくことにします。
書かれた方が特定されることのないように編集してあります。


      夕暮れのクロボケです。例年より10日ほど遅い開花です。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[語句補足:紹介者 8日 8.43][誤字訂正:紹介者 9日 17.30]

長文メールで恐縮ですが、思うところを綴りました。

私は以前より原発には反対です。
原発自体そして廃棄物の安全性に疑問を持っているからです。

自分は就職するとき、不覚にも勤務先が原発に近いということを全く思い出さずに就職を決めました。
電気料金には「原子力立地給付金」なるものがあり、小額ですが返金される仕組みがあります。これを知ったときに原発の近くに住むことを初めて意識したのでした。このお金を受け取り拒否するか本気で考えました。

自分は原発反対でいながらにして、原発に就職するものを多数輩出する学校に勤めるという矛盾を抱えている人間です。

偉い方がたの主導でいきなり原発をなくすということは、多くの人々の職を奪うことから現実的ではないとも思っています。
皆が考え直して廃止の方向に進み、このような大きな事故の起こる前に働く人々の職をいきなり奪うことなく、徐々に廃止できればいいのだが、、と願っていました。そうはなりませんでしたが。

では、無力な自分が原発廃止に何ができるか、何をなすべきか、自分なりに考えました。
結論は、
原発に就職を希望する者には、「心ある技術者」となって、いつかその危険性に気づき、内部から原発廃止の声を上げて欲しい、というものです。

「心ある技術者」のイメージを私なりに固めるのに大きな影響を与えたのは、ゴルゴ13と言う漫画の原発事故を題材にした「2万5千年の荒野」という作品の中の第三話です。

この作品は、ある評価でゴルゴ13のベスト作品になっています。
自分はこの作品を読んで本当に涙をこぼしました(ただし、ネットに書評を書いている方がたの多くとは、そのツボは異なります)。

数学を教え、全く素人のラグビー部の顧問の私が、「心ある技術者」の育成として、何ができるでしょうか。
原発に勤める親、親戚、知人を持つ学生に、
その親や親戚、知人が聞いていたとしても決してブレないことを学生に言うとしたら、
自分に嘘をつかずに何が言えるでしょうか。
何か大きなことはできそうにありませんし、気の利いた何も言えそうにありません。

この震災での非常事態を憂える被災せずにすんだ若者たちが、自分に何ができるだろうか、何か発信できないだろうか、と思うのに似ているような気がします。

自分に素直にできること、それは、まさしく学生に「2万5千年の荒野」を勧めることでした。
何の疑いも持たずに原発賛成を口にする学生には、この作品を読むことを勧めています。

かつて原発見学があったころは、この本を宣伝してクラスに置きました。
「諸君らの親御さんや親戚、知人には原発関係の方もいるだろう。世の中は原発賛成の人も反対の人もいる。
自分は原発反対だが、いきなりなくすということもできそうにない。少なくとも自分にはその方法は思いつかない。
もしも原発の仕事をしたい、という者がいるならば、その人には『心ある技術者』になって欲しいと考えている。」というような事を言いました。

今は原発見学はなくなりましたが、昨年の10月に原発に将来勤めたいというある学生に、この漫画を勧めたら、学生の間でまわし読みとなり、今私の手元にありません。

「技術者倫理」という言葉を耳にするようになってから久しくなりますが、「技術者倫理」という言葉で、私が真っ先に自分が思い出すのは「2万5千年の荒野」です。
世間で「技術者倫理」と言われるとき、その問題点は「経営者倫理欠如」に帰すべきものばかりと言う気がします。

「2万5千年の荒野」でも、原発事故の一番大きな原因は、「経営者倫理欠如」ですが、「技術者倫理」が「経営者倫理欠如」を凌駕します。
私が涙をこぼしたのはそこでした。
日頃から技術者として保身も考えずに行動し続けた技師が、最後までその姿勢を崩さずに行動し、経営者側を動かしたところに涙がこぼれたのです。
単に英雄的な行動をしたところでも、その姿勢に敬意を払うゴルゴ13がタバコに火をつけてやるところでもありません。

私の「心ある技師」には実在のモデルもいます。
原発技師ではないですが。その人は、小学2・3年の頃に原子力潜水艦にあこがれていました。
それがいつの頃からか反原発に変わりました。
「事実」と正しい「認識」があれば、そのように変わるものなのだと考えています。
その人は小型機器ではありますがが、低電圧省電力の研究をしています。そして原発関係メーカーにいながら、タバコのポイ捨ての会議中に、それよりも原発の廃棄物を考えるべきだ、と発言するような男です。

私の心の中の「心ある技師」は、原発賛成で原発に勤めた者が身近に原発に接し、危険と認識し、原発反対に変わり、世の中に広める技師。実在しない「2万5千年の荒野」の「心ある技師」バリーと、実在する私の知る低電圧・省電力研究者をもとに、私の心の中の「心ある技師」は形づくられたのです。

原発で当初行方不明が2名いると報道されました。
そのうち1名は、私の担任したクラスの学生らしいと知らされました(ネットで確認すると、操作を誤った上に逃げている、などというひどい噂もありました)。
彼に「心ある技師」の話をしたかはっきりした記憶はありませんが、卒業謝恩会のときに話をしたような記憶がおぼろげながらあります。
このような結末が待っているならば、私は特攻を勧めた教員と同罪だ、と思うと、本当に胸が痛みました。
彼がその場で、常人には考えもつかぬ防御策を講じ、無事であることを願っておりました。

教育を続けていくべきか、自分の教育で悔いが残ることは何か、という思いが混沌として苦しい日々を過ごしました。
自分がこの原発事故を前に成し得たことは、「心ある技師」になることを勧める他にも何かあったのではないかと考えました。数理論理学に携わる者として。

それは、誤った前提の上に、いくら精密な推論を重ねても、結論は無意味であることを、きちんと教育すべきこと。

自分には明らか過ぎて強調する気もないことですし、きちんとした議論ができる方なら何でもないことですが、
「研究者」と呼ばれる方には、そんなことも分っていない、としか思えない方がたがいて、更にそういう方がたに煙に巻かれてしまう現実がある。

何が危険か、ということまでは踏み込まないとすれば、「事実」をみれば、原発が危険なことは明らかです。
 0.制御できなくなった原発は危険。
 1.何かあったら原発は制御できない。
 2.「何か」は起りうる。(「想定外」の津波とか)
 3.原発は危険。
これに反論できる人はいないと思います。
論理学以前に筋道たてて考えられる人なら、反論の余地の無い議論。

ところが「結論ありき」の方は、このような話をされると決まって直接の反論はせず、「・・・だから安全」という議論に持って行きます。
例えば次の如し。
 A.今までの津波の高さは xメートル。
 B.(x+α)メートルの防波堤を作る。
 C.津波以外にも同様のことを考える(地震については耐震基準を満たしている・・)。
 D.対策は講じたので原発は安全。
こんな議論にだまされてしまう。
あるいは「専門家」自身が分っていない。
今後(x+α)メートル以上の津波が来ないと何故言えるのでしょうか。
耐震基準を満たせば安全などと、どうして言えるのでしょうか。
耐震基準を満たしたものが、いままでいくらでも壊れているというのに。

安全と言う結論を得るために、間違った前提のもとに推論を重ねる。そして事故が起きれば「想定外」。

今回の震災では、
「数値信仰」の馬鹿らしさと、「まず前提を疑う」ことの大事さを再認識させられました。
一例を挙げます。
近在では「安定ヨウ素剤」が配布されました。ヨウ素の必要量はどのように算出されたのでしょう。昔少しだけ探しましたが見つけることはできませんでした。
それにそれほど真剣に探す気もありませんでした。

被爆前に摂取すれば何パーセントの効果が期待され、被曝24時間以内なら何パーセントの効果が期待され、などというデータを目にすれば、あらかじめ被曝させられる被験者がいなければならず、[誤字訂正 9日 17.30]
原水爆の実験に際して待機させられた兵士たちが実験台にさせられたぐらいしか、自分には思いつかなかったからです。
さもなくば全くの捏造データでしょうか。
ヨウ素の摂取が効果的というのは信じられましたので、後は自分で考えようと思いました。

ヨウ素不足気味の欧米人によるデータなら、普段からヨウ素を十分摂取している日本人は少量でよいだろうと考えました。
ヨウ素を多量に含む食品も調べ、昆布、とろろ昆布であることがわかりました。子供ができたとき、妻にこれらを十分備蓄しておくように言いました。これはもう5年くらい前の話です。
このことを思い出したとき、「まず前提を疑う」「数値に頼らない」ことをまさしく行っていたのだなと思いました。
他にも放射線量と健康被害の関係も、数値の根拠に疑義があります。
何故メディアではこの数値はこういうことを根拠に決めた数値だということを言わず、X線撮影と比べるだけなのか、不思議です。

「(間違った)前提の上にいくら精密な推論を重ねても結論は無意味である」[語句補足:紹介者 8日 8.43]
「まず前提を疑え」「数値の根拠を知れ」
学生に大事にして欲しいことはいくらでもありそうです。

常人には思いつかぬ防御策を講じてどうか無事でと願っていた行方不明の2名が、既にタービン建屋で亡くなっていたことを知りました。
一人はきっと私のクラスにいた卒業生です。お二人のご冥福を祈りたいと思います。
操作ミスをして逃げて酒を飲んでいた、などとふざけたことをネットに流していた馬鹿どもと、この状況で「...今回の原子力問題についても死者は出ましたか...」などとテレビでのたまった大馬鹿評論家には、体を張って危険に立ち向かうことなど出来ぬでしょう。きっと涙の一滴も流すことはないのでしょう。

「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画があることを以前から知っていたのですが、この震災で知人からも知らされました。
ミツバチと地球の回転は再生可能の象徴。
ミツバチの羽音は buzz communication :口コミで伝えていくことの象徴。
メディアで大きく扱われることのない「上関原発・祝島」の問題、スウェーデン電力事情、再生可能エネルギーの話を題材にしたものだそうです。
 
世の中は変わるのでしょうか。
今必要なのは、大メディアに拠るのではない buzz communication なのかもしれません。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

註記 7日 16.14 
このメールも触れている「上関原発・祝島」にかかわるドキュメンタリー映画の上映会が下記のとおり開催されるとのこと。ブログ「リベラル21」からの転載です。
お近くの方、どうぞ。

2011.04.07 ドキュメンタリー映画「祝の島」緊急上映会
■短信■

 中国電力が山口県上関町に建設中の「上関原発」に対する周辺の島民の反対運動を記録した映画「祝の島」の緊急上映会が開かれます。この工事は、福島原発事故を機に中断されています。

ドキュメンタリー映画「祝の島」緊急上映会

日時:2011年4月9日(土)14:30/18:30
トーク:14:30の回上映後 本橋成一(写真家・映画監督)×纐纈あや(祝の島監督)
     18:30の回上映後 山秋真(ライター)×纐纈あや(祝の島監督)
会場:NPO法人地球映像ネットワーク 神楽坂シアター
    地下鉄東西線 神楽坂駅(神楽坂出口)より3分
    東京都新宿区赤城下町11-1 http://www.naturechannel.jp/access.html
料金:予約 1,000円/当日 1,200円(限定各30席)
予約:ポレポレタイムス社 Tel:03-3227-3005 E-mail:houri@polepoletimes.jp
(岩)

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「一票の格差」の是正=「不条理」の是正?

2011-04-02 19:16:01 | 居住環境


路傍のシデ コブシ。
例年より開花が遅れています。
シデは「垂ず(しず)」という動詞の連用形、その名詞的用法、とのことです。言うならば「しだれ辛夷」なのでしょう。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[註追加 3日 8.50][註記追加 3日 20.03][註記追加 4日 10.30]

昨年の大晦日、毎日新聞の投稿欄にあった「人口だけで一票の格差を考えるな」という投書を紹介しました。
世の大勢のなかでは少数ですが、まことに当を得た、理の通ったお考えである、と私は思います。
「民主主義」の名の下で、単純に数値の大小でものごとを決める悪しき「習慣」が流行っていることは、既に何度も書いてきました(「数値の軽重・・・・数の大小でものごとは決まるか?」「本末転倒の論理」)。

しかし、世の大勢は、相変わらず数字の大小に比例することを望むようで、最高裁で「一票の格差」を認める判決が出され、「一票の格差の是正」を求めていた原告(各地域の弁護士たちです)が、会見で「判決が妥当である(半ばですが)」旨の見解を表明していました。

ところで、次の数字から、何が見えてきますか?
茨城県:299、栃木県:201、群馬県:202、埼玉県:702、東京都:1227、千葉県:604、神奈川県:869、山梨県:88、静岡県(の約1/2):189、以上合計4352。

これは、東京電力の配電している地区に属する各都県の2006年の人口:単位万人(「最新基本地図帳 2008年版」より)。
静岡県を約1/2にしているのは、富士川以西は中部電力の地区になっているからです。
   註 各都県に「住所がある人」の数です。
ここから、概算で、東京都に隣接するいわゆる「都会」「市街地」地域の人口が、東電の管轄区域の2/3を占めると見てよいでしょう。
単純に考えると、各都県の電力使用量も、ほぼこの人口比率に比例すると言えます(昼間人口はこの数字ではないでしょう)。
それを考えると、他地域の電力会社の名称が、北海道、東北、中部・・・と配電地域名を付けているのに、関東・山静だけ「東京」である理由が分ります。「都会」以外は、その他大勢・・・。

   註
   茨城県は、被災地域ということで「計画」停電を免れています。
   東京23区でも、江戸川など東部の川向うの区以外は免れているとのこと。
   配電網が、「都心部」を念頭に構築されている関係かもしれません。
   「首都・東京」を護る電力配電網。
   因みに、都心から半径50~70キロの辺りには、環状線状に、
   東京へ配電する高圧線・鉄塔が並んでいます。  


現在、わが国の総電力量の3割程度が原発によるものと言われています。
関東・山静の電力は、新潟と福島で、その1/3を生産している、と、福島県の知事が語っていました。
因みに、福島県の人口は210万、新潟は244万です(同資料による)。

   註 福島、新潟は東北電力の管轄です。
     たしか、青森県の東通村にも東電の原発がある(建設中?)はずです。
        [註記追加 3日 20.03]

原発は安全なのだそうです。核燃料廃棄物の処理も安全に行われるのだそうです。
であるならば、なぜ、需要の多い地区に近接して、例えば東京湾沿いに、建設しないのでしょうか?配電網もローコストで済みます。
なぜ、廃棄物処理場は六ヶ所村なのでしょうか。近くでいいじゃありませんか。これもローコストで済みます。


これは何度も問われてきた「根本的・根源的( radical )な問」ですが、いつもうやむやのまま、「安全である」、「安全に処理できる」、との「専門家のご託宣」に基づいて、時の政府が「認可」し、建設されてきてしまったのです。

福島原発の建設にあたっても、当然「専門家のご託宣」がありました。
「ご託宣」とは、すなわち専門家の「想定」のこと。「工学的設計」が拠るべき「目標値」です。
そしてそれは、自分の立てた「想定」が実際と違った場合には、それは「想定」が悪いのではない、それを越えた地震・津波がワルイのだ、と言って済ませることのできる「想定」です。そういう事態が起きたら、「再評価」すればよいのです。


例の構造計算事件の姉歯氏は、賠償を命じられました。
原発の設計要件の「想定」は、偽装どころか、「工学的設計」が目指すべき「基本値」の設定。
もしかすると、「都合のよいように誂えた想定」:「捏造」(事実であるかのように作り上げること)だったのかもしれません。
この「ご託宣」を告げた専門家は、今何処で何を?
それを《金科玉条》に認可した「担当者」は今何処で何を?
すべて「東電の責任」で済ませばよいのでしょうか?だから、国も負担するのだそうです。しかし、元はと言えば、税金なのです。


原発立地が、そこで暮す人びとの人権:「居住権」を侵害しているのは明らかです。
では、「一票の格差は民主主義にもとる」と説く弁護士諸氏は、この原発立地の「偏り」「格差」について、「民主主義にもとる」と主張するのでしょうか、しないのでしょうか?

論理的には当然主張しなければならないはずです。その延長上に、専門家の責任の糾弾も見えてくる・・・。
技術者と同じく、弁護士諸氏の「人権」観が問われるのでしょう。

   註 福島原発も、例の「新耐震基準」相応の補強はしてあったそうです。
      ところが、今回の地震では対応できていないことが分った、とのこと。
      つまり「新・新耐震基準」が必要、という見方が出てきているようです。
      どこまで続く「近代思考の泥沼」・・・。

現在、私の住まいの「最寄りの駅」を通る常磐線は、「計画節電」で、1時間に1本です。
私が茨城に移住した1970年代後半に戻ったような感じです。
車に頼るしかないけれども、ガソリンがなく、省燃料運転で、本当に必要なときしか乗らない。それはそれで、何とかなっています。

どうでしょう、都会も、1970年代あるいはもっと遡って1950~60年代の暮し方に戻ってみては。電車も通常の半分でいいではありませんか。乗れるのだから・・・。
福島の放射能被災者にだけ、不条理な暮しを押し付けるのは、まさに不条理なのです。

電気が足りないと経済が衰える、だから原発、という論理は、既に破綻しています(もともと破綻しています)。私はそう思います。
足りないものは足りないのです。「足りない」と言うのがそもそも理が通らない。
「足りない」のではない。「それだけしか ない」。
   註 思わず戦時中の「標語」、「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」(だったかな)を
      思い出しました。

   註 政府に乗り越えられた新聞
     今後の原発建設の「是非」について何も触れないジャーナリズムについての論評です。
      「リベラル21」の4日の記事に載っていました。[註記追加 4日 10.30]

「足りない」論理を延伸すると、国土が狭い、足りない、だから他人の暮す場所を頂いてしまえ、つまり侵略の論理に連なります。
原発被災者は、「足りない」論理で経済振興:原発建設を主張する人びとに、その日常を「侵略された」と言えるのかもしれません。
   註 震災のニュースを見ようと、たまたま覗いたTVで、
      《有名な》女性の「経済評論家」が、「原発必要」論なのでしょうか、
      「原発事故で、死者が出ましたか・・・」、という旨の発言をしているのを聞いて、
      耳を疑い、TVのスイッチを切りました。
      死人が出なければ、大した話ではない、ということらしい!

   註 今日の毎日新聞朝刊「万能川柳」から抜粋転載 [註追加 3日 8.50]
      皆、ちゃんと見てる!

       私等は電力会社選べぬし
       問題ない けれど避けろと放射能
       下請けが原発管理?そりゃないわ
       想定外 ただ考えていないだけ
       安全といってた人は いまどこに

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