引き続き、ク)からシ)まで。
残念ながら、これらの建物についての資料が手元にありません。そこで、それぞれの建物について知る方策を調べました。以下の通りです。
ク)燈明寺 本堂:とうみょうじ ほんどう
現在は廃寺。元は京都府相楽(さがら)郡加茂町にあった寺です。
現在、横浜の「三渓園」内に移築・保存されています。
この図は内陣のもの。
「文化財建造物保存技術協会」開設の「文化遺産オンライン」で
概略をみることができます。
下記から「燈明寺 本堂」で検索してください。
「文化遺産オンライン 建造物修復アーカイブ」
ケ)久安寺 楼門:きゅうあんじ ろうもん
大阪府池田市にあります。
「久安寺」自体のHPはないようですが、「久安寺」検索で、
いろいろな方の撮られた写真が見られます。
コ)円教寺 食堂:えんきょうじ じきどう
書写山(しょしゃざん)園教寺
所在地:兵庫県姫路市書写。
姫路城の北西にあたる。
総二階建て、長さおよそ40mの建物。
下記から「食堂(じきどう)」の項をご覧ください。
「書写山園教寺」
サ)円成寺 本堂:えんじょうじ ほんどう
本堂は「阿弥陀堂」が正式。
所在地:奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんまち)
奈良盆地の北東、柳生街道沿い。
寺内多宝塔にある大日如来座像は運慶の第一作とのこと。
下記から「本堂」の項をご覧ください。
「円成寺」
シ)不動院 本堂:ふどういん ほんどう
所在地:奈良県 大和高田市(桜井線「高田」駅近く)
本尊:大日如来像(鎌倉時代)ゆえに「大日堂」とも言う。
下記に外観写真と簡単な説明が載ってます。
「奈良の寺社」
恐縮ですが、以下は、図版をプリントしていただき、それを片手にお読みください。
さて、ク)「燈明寺本堂」の「継手」。
二つの継手はともに「鎌継ぎ」。
その内の左側の「足固貫」の「継手」が、どういう場所で継いでいるのか分らない。左側の材を先に据え、それに被せるように右の材を置く。「鎌」が斜めに刻んであるので滑り降りて固く締る。それは分るのだが、ではどこで継いでいるのかが分らないのです。???
右側の「頭貫」の「継手」については、場所は分りますが、なぜわざわざ手間をかけて「鎌継ぎ」にしたのかが分りません。
柱の側に、「貫」に喰いこむ凸部がありますから、「貫」は落とし込むだけで柱に固定されます。それゆえ、単に「相欠き」にするだけの古代の方法で十分なのではないか、と思えるからです。
それでいて、「斗」は「太枘(ダボ)」で取付ける古代の方法。
ケ)久安寺・楼門の例。
すべて「高欄」の部材の「継手」。いずれもきわめて手の込んだ細工です。
「高欄架木」の「蟻継ぎ」以外は「鎌継ぎ」の各種応用編と言ってよいくらい多様です。
継いだあと、継目に隙があかずに、そして継目が綺麗に見えるように、いかに二材を密着させるか、に意をそそいでいるようです。
これだけの細工をするには、道具も逸品が用意されていたと考えられます。
「地覆」(いわば高欄の束柱を立てるための「土台」に相当する材です)の継手は、いずれも「束」の立つ箇所で継いでいるので、上端に「束」の「枘孔」が彫られています。
一番上の図は、ごく単純な「鎌継ぎ」を下側に設け、上側に「枘孔」を彫っています。
次は「鎌」を微妙な位置で2枚設け、上側に「枘孔」を彫っています。
仕上りの外見は「束」の芯の位置に継目が1本見えるだけです。つまり、両者まったく同じです。両者の材寸が同じですから、同じ「高欄」の「地覆」でしょう。
しかし、この二つをどういう使い分けているのか、分りません。単に、「担当者」の違いなのか?
3番目、継目を斜めにした例。もっとも片側は垂直。これも、どういう箇所でこの方式にしているのかが分りません。
それにしても、二材の狂いをいかに避けるか、その工夫は並大抵ではありません。多分、二材をあてがってみては削り、あてがってみては削り・・・という作業を何度も繰り返しただろうと思います。へたをすると、一箇所完成するのに一日近くかかったりするでしょう。
「架木」の継手。何の気なしに見ている「高欄」の「架木」が、こんな継手になっているとは知りませんでした。「束」の頭を傷めずに、腰掛けるだけで、しかし二材は継がれている。単純だけれども確実です。
これらを見ていると、工人たちが、いかに綺麗に仕上げるか、楽しみながら、あるいは腕を競いながら、仕事をしている様が目の前に浮かんできます。
コ)円教寺・食堂。
「頭貫」の継手・仕口は、ク)の「頭貫」のそれと同じです。
これを見ていると、この頃になると「鎌継ぎ」「蟻継ぎ」「蟻掛け」の刻みは何の苦もなくできるようになっていたのではないか、と思えます。
とは言っても、Tの字部分も含め、「相欠き」あるいはその応用で済むものを、わざわざ手間をかけるのはなぜなのか、わかりません。
「丸桁」の「継手」を「鎌継ぎ」にするのは、先回のイ)「円光寺」、ウ)「如意寺阿弥陀堂」、キ)「桑実寺本堂」と同じで、化粧に意をつくすためでしょう。
「二重梁」の「継手」は、材の端部を細めていること、同一レベルで交叉しないことをのぞけば「大仏様」の「飛貫」の「継手」と同じです。
この方法は、「埋木・楔」さえ気にならなければ、「差鴨居」の最も簡単な「継手」として応用可能です。
興味深いのは、「野垂木」の「継手」です。
これは、「母屋桁」から持ち出した位置で継ぐための工夫と考えられます。
材寸は高さ2.5寸(約7.5cm)幅2寸(約6㎝)で、決して太い材ではありません。それにこのような細工をするというのは、たしかに確実に継がれ、一材と変らない強度が得られるとは思いますが、現在では考えられません。よほど素性のよい材料でないと、加工中に傷んでしまいそうです。
サ)「円成寺本堂」の例。
ともに「側桁」の「継手」ですが、左側は幅8寸×高さ7.5寸(約24cm×22.5cm)の材を「枘」を2枚にした「柱」の上で継ぐ場合ではないかと思います。
「鉤型付相欠き」を縦方向で使う「継手」は、柱から持ち出した位置で継ぐ時に使うのが普通で、上から荷をかけても曲がらない強い「継手」です。なぜ柱上で使ったのか分りません。
「大仏様」の工人なら、同じ「継手」を平に使って(横位置で使って)、1枚の「枘」で両者を貫く方法をとるものと思います。細工もその方が簡単です。
右側の「継手」は、先の例とは材の幅がひとまわり小さくなっていますから、別の位置の「側桁」で、柱から持ち出した位置で継ぐ例で、多分化粧桁ではないでしょうか。
シ)「不動院本堂」
この図はミリで寸法を表示しています。
「足固貫」「内法貫」は18.1cm×9.1cmの角材。この材を、「大仏様」同様、柱内で継ぐ「継手」と思われます。ただ、先端部に幅1.8cm×奥行2.1cmの凸部:「目違い」を設けている点が違います。「目違い」は、2材が捩れるのを防ぐためのもの。しかし、柱の孔の中で継ぐわけですから、捩れは心配ないはずです。それとも、材の素性が悪く、外で次いでから孔に挿したのか?
「大引」は丸太の上端と下端を平らに仕上げた材を使い(「太鼓落し」などと呼びます)、側の柱で「足固貫」に「鉤型付き相欠き」で交叉させ楔で締めているものと思われます。「大引」の手前は丸柱に取付くように見えますが、その端部の刻みは何のためか、いろいろ考えましたが分りません。
「根太」は幅9.1cm×12.1cmの太い角材です。ここで使われている「継手」は、いわゆる「略鎌」。「大引」上で継ぐ場合を示しているものと思います。
「大引」~「大引」間で「根太」に荷がかかり「根太」が撓もうとしても、この「継手」のかかりの部分が抵抗して、撓みを低減してくれるのです。
ざっと見たところ、この時代になると精緻な細工:刻みが可能になっていることがよく分るのですが、その一方で、そのような細工:刻みをする理由に一貫性がない、あるいは合理的な理由がないように見えるのは、私の思い過ごし:偏見でしょうか。