建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

進行中の仕事

2012-10-27 17:30:15 | 建物づくり一般
今、現場が佳境に入っています。
現場は山梨県塩山の近く、かつて甲州と秩父を結んだ街道、雁坂(かりさか)峠の南側、「巨峰」の発祥の地と言われる牧丘。字のとおり、古代は牧だったらしい。[説明追加]
   秩父山地を囲んで、甲州、秩父そして信州・佐久には、よく似た養蚕農家があります。[説明追加]
私のところからだと、片道3時間半から4時間の場所。現場に居られるのがやはり3時間半から4時間。
現在、月に1~2度現場に行き、あとはメールや FAX あるいは電話での打合せで進んでいます。昨日、金曜日、行って来ました。

つくっているのは30年前に建った知的残障者居住施設の増築。
敷地はかなりの斜面。
30年前は、辛うじて平らな部分を整地して建てましたが、それでも南側に約2mの擁壁を設けました。
今回は、そのさらに南側の斜面に建てることに。
   どういうわけか、斜面に建てる仕事が多い・・・・。

施設の性格上、極力、一層:同一平面:でありたい。
しかし、かなりの急斜面(元は、数段の段差のあるぶどう園)。擁壁で盛土は先ずあり得ない。地山をいじらずに使いたい。
幸い地山は、地表から平均1.2m下が厚いシルト質の地盤(はるか昔の火山灰の蓄積でしょう)。表土は、かなり手が入っている。[説明追加]
そこで、既存の敷地とほぼ同高の面を、鉄骨の架台の上につくることに。
要は、鉄骨に支えられた人工地盤。人工地面は、鉄骨架台上にデッキプレートを敷いて、RCのスラブをつくる。
その上に建屋をつくる。
建屋は、いまどき見かけないコンクリートブロック積み。保温材を使わなくても、保温性がいい。
CBの壁の上に、ふたたび鉄骨の小屋を架ける。これは軽量鉄骨。
全体を軽くすることで杭工事は不要になった。
   CB造:補強コンクリートブロック造:が塀専用のごとくになっているのは
   かねがね もったいないと思ってきました。保温性もいい。多分空洞があるからでしょう。
     ただ、開口のつくりかたは要注意。
   今回も、建築のブロック工を探すのに苦労したようです。建築ブロックの経験者がいない!

現在、人工地盤が仕上り、その上にCB積が進行中。
そこまでの過程を、写真でざっと紹介します。ただ、地形:根伐段階は省略。

先ず、鉄骨架台の建て方。
この方式に至るまでに、半年以上かかりました。
最初は、懸崖造を鉄骨でできないか、と考えたのですが、ダメ。いわゆるラーメン構造になり、エライことになってしまった。
木造のようにはゆかないらしい。なぜ木造は平気なのだろう??
そこで至ったのが、この方杖方式。方杖を四方に広げ、梁を受ける方法。
梁の受け方、方杖の受け方は、木造の柱頭などの方法の(特に古代の)原理を参考にしました。
設計図はいずれ紹介します。
   材寸などは増田 一眞 氏に示唆をいただいて設計図を描き、
   その妥当性を構造計算で確認していただきました。
   


建て方中。
梁が未だ架かっていないところがある。建て方は小さなクレーンで行なっています。
写真の正面、狭い箇所はスパン2.1m、広いところは5.6m。
亜鉛メッキが工費の都合でできず、グラファイトペイント防錆に変更。
この写真は、グラファイトペイント塗装前の段階。
鉄骨の脚部はコンクリートでくるむ。

以下は、グラファイトペイント塗装の終わった鉄骨架台の状態。
2枚の写真の奥の方に、既存の擁壁が見える。
人工地盤面は、ほぼこの擁壁の高さになる。
地盤面と地山:現状地盤:との落差は最大で7m弱。
この「床下」は高さがほぼ2階分あるので、確認申請審査で、竣工後ここを使用してはならない、と釘をさされています!

写真の箇所では、奥行スパンは、3.15m・2.1m・3.15m、計8.4m。
2,100mm(1,050×2、700×3)を基準寸法にしています。
   3.15m=2.1m×1.5。
   5.6 m=2.1m/3×8。[説明追加]



鉄骨の柱は8.5吋:216.3mm径の鋼管(厚1/3吋≒8.2mm)。
方杖は不等辺山型鋼(125×75)2枚あわせ、梁は溝型鋼(200×90)の2枚あわせ。
いずれも9mm厚のプレートを挟んで高張力ボルト締(昔ならリベット)。[説明追加]
大型のトラックが入れないので、小ぶりの材を現場で集積する方法を採っています。
メッキを施したデッキプレートは、形枠の代り。構造要素とは考えていません。
要は、いわゆるジョイストスラブ(繁根太床版)の形枠にデッキプレートを使う、という方法。
   最近は、デッキプレートを構造要素とする方法が盛んなようです。
   
下の写真2枚は、少し離れて見た姿。
銀色に見えるのは、地盤の端部に設けたフェンス。亜鉛メッキの溶接金網製。
風雨に直接曝される箇所のみ、溶融亜鉛メッキが施されています。[説明追加]




床下にもぐるとこんな具合。
上下水、電気等の配管がぶら下がっている。


次の2枚はデッキプレート上の配筋中の写真。



鉄筋が立ち上がっている部分は、CB積みの基礎になるところ。
スラブを打った後で、あらためてCBの立ち上がり筋をセットし、コンクリートを打つ。

CB基礎の打設も終り、現在CB積が進行中。CBは、B種150mm厚。
この写真で写っているコンクリート部分は、建屋の床下になる。床仕上り面は、CB基礎の天端。

CBの中途に見える空隙は、壁が交差する箇所。壁のCB積がすべて終わると、この空隙にコンクリートが充填される。

年内には屋根まで仕上がる予定。
以後の経過は、またの機会に紹介します。
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「仮設」の計画も設計のうち

2011-10-15 16:55:32 | 建物づくり一般
下は BRIDGES (David J Brown 著 Macmillan Publishing Company 1993年刊)に載っている素晴らしい写真。 



橋のように見えますが、これ自体は橋ではありません。
橋をつくるための用意、仮設工事の写真です。

石造や煉瓦造では、時に、つくり上げるための用意をする必要があります。
たとえば、石や煉瓦で橋をつくるには、木材や鉄材でつくるようには簡単にはゆきません。
石や煉瓦で橋をつくるときに使われるのがアーチ。

上の古代の墳墓の入り口のように、両側から少しずつ迫り出してゆき、最後に全体がつながるという方法なら問題は少ないですが(猿橋や愛本橋、先に紹介のネパールの木橋もこの方法です)、アーチにするためには(上の解説図の右側)、所定のアーチ型を用意し、その上に石や煉瓦を積まなければなりません。「形枠」です。もちろん、石や煉瓦を積んで壊れてしまってはだめ。

多くの場合、「形枠」は木でつくります。石や煉瓦を使う、ということは、自由に使える材料がそれしかない、という地域。つまり木が貴重な地域。
しかし、「形枠」は木でつくるのが容易。
ローマの煉瓦造には多くのアーチが使われていますが、そこでは、貴重な木でつくった形枠を使いまわしていたようです。一度使って廃棄することなく、大事に保存しておき、次の建造物に使うのです。
   喜多方の登り窯の覆屋の下にも、窯の修理用のヴォールトの形枠がトラスからぶら下げて保存されていました。
   今回の登り窯修復にも使われたのではないでしょうか。

石や煉瓦に代って使われるようになったのがコンクリート。
コンクリートを「混擬土」と描いた時代があります。この表記は言い得て妙。
以前にも書きましたが、コンクリートは当初は流体。成形のためには形枠が要る。
そして、その形枠を支える準備も必要。
こういった準備を仮設、仮設工事と呼んでいます。

冒頭の写真は、マイヤールの設計したRCの橋のための「形枠を支えるための支柱」です。木材でつくられています。この上に「形枠」がセットされるのです。
BRIDGES の解説には、次のようにあります。
・・・・
The timber framework for the arch was a major engineering feat in itself,with its crown 76m above the valley floor.

まったくその通り。これだけでも立派な構築物です。
しかし、橋が完成すると撤去されてしまう。もったいない・・・。

下は、川床から見た写真と遠景。




コンクリートの橋桁をそばに寄ってみたのが次の写真。



これから判断してもかなりの重量。工事中それを支持していたのが冒頭の木造架構なのです。重量を支えるため、それ自体、きわめて頑強につくられていなければならない、それが素晴らしい木造架構をつくりだした理由なのだ、と思います。

この橋は、1930年に完成した SALGINATOBEL BRIDGE。
著者 David J Brown 氏は、次のように解説しています。原文のまま載せます。


SALGINATOBEL も SCHIER も、調べましたが、何処にあるのか分りませんでした。

なお、マイヤールの一連の仕事についての解説図もありましたので、転載・紹介します。



ついでに、
以前に紹介したライトの落水荘の仮設の様子が下の写真です。



このような仮設段階の仕事を目にすることは、現場に立ち会っていないと、まずありません。
マイヤールにしろライトにしろ、完成形もさることながら、この「仮設」の段階も「設計」していたものと考えられます。
しかし、現在は、「仮設」の段階を考えて設計する設計者は少なくなってしまった
ように思えます。
仮設は temporary、一時的な作業、 そういうことは、施工者が考えること、と思っているからではないでしょうか。設計者:建築家が「偉くなってしまった」のです。

私はそれは大きな間違い、と考えています。
コメント (2)

続: engineer BRUNELの仕事・・・・橋とは何か

2011-10-04 18:23:00 | 建物づくり一般
「とり急ぎ:村上東海村村長の見解」:「この国は・・・・」に改題に、毎日新聞に載った石牟礼道子氏へのインタビュー記事を転載しました。[8日 17.42]
その中に「偉い人とは、人情がわかる人という意味」という石牟礼氏の言葉が出てきます。本当はそうの筈なのです。[文言追加 8日 18.12]

また、9日付東京新聞社説「住民の論理で復興を」も、転載しました。 [9日 14.40]
この内容に関連する当ブログの記事にリンク。[9日 16.40]
10日付毎日新聞「風知草」を転載しました。[10日 19.45]

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BRIDGES から、engineer BRUNEL のつくった吊り橋を紹介。
工事中と現況の写真が載っていました。





橋というのは、「用」がきわめて明解です。
簡単に言えば、こっちからあっちへ渡る。
だからと言って、かつての橋には、今の橋のように、架ける場所がどこでもよい、というような橋はなかった、と言ってよいでしょう。

今の橋の「典型」は、高速道路や新幹線の橋。
これらの橋は、「そこ」を通る必然性がない。
もちろん、今の「技術者」は、そんなことはない、立派な理由がある、と言うに違いありません。
どういう理由か?
A地からB地へ向うのに、「そこ」を通るのが最短だから、あるいは、「そこ」を通るルートでつくるのがコストがかからないから・・・、といった類の理由です。
つまり、「そこ」とは関係のない「理由」。
リニア新幹線のルートなど、まさにその「典型」。
唐木順三 氏の表現を借りれば、「途中の喪失」です。

かつての「橋」は、そういうようなことはなかった。
「そこ」を通る「謂れ」、「そこ」との明瞭な関係のある「謂れ」があったのです。
それは、「道」が「『そこ』を通らなければならない」からです。
その道の「一部」をなすのが、すなわち「橋」

そしてそこには、「道」とは何か、ということについて、現在とは異なる「認識」があったからだ、と言えるでしょう。
   それについては、
    「道・・・・どのように生まれるのか」
    「建物をつくるとはどういうことか・・・・続・世界の広がりかた」
    「鉄道の敷設:その意味」
   などで、簡単に触れています。
   そして、
    「建物をつくるとはどういうことか-16・・・・『求利』よりも『究理』を」
   も参照ください。[追加 6日 23.47]


要するに、往時、道は、そのルートすべてにわたって、
そのルートでなければならない「謂れ」があった
のです。
しかし、今はそのような「認識」が失せてしまっている。
だからこそ《カーナビ》が流行るのです。

そして、ここに、「現代の工学的設計」の「思想」が、典型的に現れている、と言えるでしょう。
「工学的設計」の最先端が、原発の立地選定、さらには、原発そのものを是とする「工学的設計思想」に他ならないのです。
   「工学的設計」については、下記でその「性格」について触れました。
    「想像を絶する『想定外』」

   国会で、国会のありようを糾弾した児玉氏は、それをして、「科学者が政治家、経済人になった」と言いました。
   しかしそれでは、本当の政治家や経済人の立つ瀬がない(いるかどうかは別として・・・)。
   私の言い方で言えば、「銭儲け」がすべての「判断・《評価》の基準」になった。
   それをして《合理化》という。

なぜ、こういう「状況」になってしまったか。
私は、[「部分」の足し算=「全体」]と見なす「考え方」にその根がある、と思っています。
それはすなわち、「一科一学」の「思想」の行き着いた先。
「専門家」は他の誰よりもすぐれているのだ、と思い込んで(本人も、そしてまわりも)何の違和感も感じない、そういう「思想」。
つまり、(日本の)「近・現代」をつくってきてしまった「思想」。


BRUNEL とは関係はありませんが、BRIDGES に載っている見事な鉄道橋を転載します。
19世紀のアメリカでつくられた橋です。鉄材を使っています。解説もそのまま付します。

これも、「構造力学」未発達の時代の建設。すごいです!発想が自由です。奔放です。
今の「構造の専門家」(特に若い方がた)は、こういうことができるのでしょうか?
おそらく、あの部材はムダだ、こうした方がよい・・・などと、御託をならべるに違いありません。


construction,engineer そして・・・・

2011-09-28 11:53:40 | 建物づくり一般




[リンク先追加 17.42][リンク先追加 29日 14.11][文言追加 30日 6.50][リンク先追加 30日 9.50]

しばらく間があきました。
いよいよ大詰めで、ここになってもまだ、ああでもない、こうでもない・・・の毎日です。


もう大分前からかかっていたある社会福祉施設(心身障碍者の居住施設)の増築仕事。
最初は30年前のこと。そして今、当時の「基準」による狭隘な面積を緩和すべく、隣地を取得して増築し、個室化を進めることになった。
しかし、現在の敷地に接するその隣地は、現在地から2mほど下がり、そこからさらに下るかなりの斜面。元は、山肌なりにつくられていた段々畑様の果樹園。
ただ、地盤は安定している。

増築建物を地盤にそって建てれば問題ないわけですが、そうなると、既存の建屋とは、床面が大分下ってしまう。
これは、こういう性格の建物の場合、運営上、決定的な問題点。
数多くのスタッフをそろえない限り、目配りがきかなくなるからです(現在、居住者1にスタッフ1の割合、それでさえ大変!)。

そこで、増築の建屋も、現在の床面にほぼそろえて建てることに。
ということは、床面を上げる手立てを講じなければならない・・・。

こういう場合、最近では、盛土をするのが普通。そうすれば、たしかに地面がそろう(今、東北の津波被災地での高台移転計画でも、当たり前のように「切土+盛土」が語られている!)。
しかし、切土はともかく、盛土したところには建てない
これは、斜面に建てる場合の往時からの鉄則、と私は理解しています。
   註 「平場でなければ建てられないか?」参照 [追加 30日 9.50]

そこで、最初に考えたのは、鉄骨で、建物の載る人工的地盤を清水寺方式でつくれないか、という案。要するに、柱と横材で立体格子の構台をつくる(下記で簡単に紹介しました)。
現地は資材の搬入も容易でない場所。
できるだけ工場加工を少なくして、部材を現地で組立てるのが、仕事が進めやすい、それには清水寺方式:懸崖造:が向いている、と考えたわけです。

   懸崖造・・・・斜面に建てる    [追加 17.42]

しかし・・・・・。
鉄骨では、柱に貫が取付く箇所に相当する位置ごとに柱を継ぐということになり、その継手・仕口を見ると、どう考えても大仰な仕事になる。
要するに、多段ラーメン架構、ということになるかららしいです。
それでは、当初の考え方:できるだけ工場加工を少なくして、部材を現地で組立てる:にもとる。
   木造で可能な方法が鉄骨でできない理由が、よく分からない。
   というより、懸崖造の強い理由が、現在の「理論」では解明できていない、ということかも・・。

そこで、現在進めているのは、横材を方杖で支える、という案。
この場合も、極力現地組立てが可能なように部材を分解。

どうも、現在の鉄骨架構は、合理化の名の下に、工場加工を増やし(したがって大型の部材になる)、それを立ち上げる、というのが主流のよう。これが大きなクレーンが使われる理由。
私は、かなり前から、これはムダ、合理化の名にもとる、と考えています。「理」に「合わない」からです。
大きなトレーラーが、工場で加工された大きな部材を一つ、あとは空気を載せて走っているのをよく見かけます。私にはムダに見える。
   茨城や埼玉、千葉などには、鉄骨加工工場が多い。
   かつて、東京下町(江東区など)にあった工場が、70年代以降、近県に移った。
   何をつくっているか。都会の建物の鉄骨架構。
   そこから、夜ごと、大きなトレーラーが都会に向う・・・。
    余談
    私が受けた「都市計画」の教授の、都市計画を志した理由。
    教授が学生時代、駅で電車を待っていると、貨物列車がすれ違った。南行きと北行き。
    どちらも荷物は石炭だった!
    この「不合理を解決するのは都市計画」だ、と思ったからだそうです。
    でも、その「都市計画」の今は?


幸いなことに(?)この敷地は、大きなクレーンも大型トレーラーも入れない。
だから、小さな部材(小型~中型車で運べる)を、現地で組立てることができる(小さなクレーンで可能)。
ことによれば、往年のように、人手ででもできる。そうすれば、仕事も丁寧に念入りになるかもしれない・・・。私はそう思っています。ハイ・テクよりもロー・テクのすすめ。


ようやく、何とか目途がたってきました。
そこで、ふと気休めに、先に紹介した‘BRIDGES’を見ていたら、興味深い写真と絵が載ってましたので紹介します。それが冒頭の図と写真です。
図は、BRIDGES の著者 David J Brown 氏の直筆のようです。

いずれも、19世紀にイギリスの鉄道敷設にかかわったブルネル(後掲註参照)がつくった鉄道橋のいくつかです。
使われている材料は timber つまり木材
素晴らしいです。驚嘆します。

なぜ凄いか。
つくられたのは、19世紀初頭です。「構造力学」誕生以前のことである、ということ。
もちろん、トラスの「理論」もなかった頃。
今の世の中、「工学理論」に拠らなければ設計ができない、と考える人が増えています。
それは、何度も書いてきているように、「学の誕生」の背景を忘れた「妄信・盲信」に、私には思えます。
はじめに学ありき、ではない」、ということです。
ワットが鋳鉄製の柱と梁で7階建の建物をつくったのも、「構造力学」誕生以前です。  [文言追加 30日 6.50]

   ブルネル Isambard Kingdom Brunel(1806~1859)
        鉄道会社の engineer として、鉄道敷設にかかわる各種構築物、鉄道車両
        さらには蒸気船の製作にもかかわっている。
        engineer と表記するのは、明らかに(現在日本の)「技術者」とは異なるからです。
        なお、この点については、アンリ・ラブルースト・・・・architect と engineer で触れています。

        ブルネルよりも後に活躍したマイヤールも、こういう engineer の一人と考えてよいと思います。
        マイヤールの仕事については、下記で紹介しています。
        「コンクリートは流体であるである」 [追加 29日 14.11]

        BRIDGES に載っている Brunel の写真と解説を転載します。
        


BRIDGES には、他にも興味をひく写真や図がありますので、いずれまた紹介させていただきます。

建物は「平地・平場」でなければ建てられないか?

2011-04-23 11:01:15 | 建物づくり一般
[註記追加 15.10][文言追加 24日 9.41][註記追加 25日11.17]

東北のある県知事が、「津波に襲われた狭隘な海岸縁の一帯以外に平地がなく、仮設住宅を建てるにしても、山を切って造成しなければ敷地が確保できない」というようなことを語っていました。
おそらく「建物は平地・平場でなければ建てられない」、あるいは「傾斜地は平らに造成するものだ」、という考えが「常識」になって染み付いているのだと思われます。

たしかに、鉄骨の仮設住宅、通称プレファブを何棟も並べるには平地がいい、と言うより、仕事が楽です。

しかし、「山を切崩し平地をつくる」という発想は、重機万能の時代の発想に思えます。
もし重機がなかったなら、どうするのでしょうか。人力で山を切り崩して平地をつくるのでしょうか?
昔だって、とりあえずの建屋を建てなければならない、という状況はあったはずです。
そのとき、平地がないからだめだ、と考えたりはしなかったはずです。
まして「平地を求めて移住する」、などとは直ぐには考えない。
簡単に「移住」を口にするのも、自動車車万能の時代の発想。

山だからといって、すべてが切り立っているわけではありません。
多くの場合、山裾には多少なりとも 3/10~5/10程度の勾配の斜面は必ずあります。少し手間はかかっても、この程度なら、通称プレファブ小屋も建てることができます。
通常、簡単に木杭を打って、その上に置くのがプレファブ小屋のやりかた。少し丁寧になると、ブロックで基礎をつくることもあります。
いずれにしても、一定程度の斜面なら、片側を地面すれすれに据え、下側の基礎を高めにすれば、床は平らになります。
基礎の高さの調節で水平面を空中につくるわけです。

日本では、こういうことを、昔から本建築でもやってきています。
その代表が「清水寺」の舞台。他にも各地に例があります。
清水寺が建つ場所の勾配は、ほとんど45度に近い。勾配 8~9/10程度あります。
懸崖造(けがいづくり、けんがいづくり)懸造(かけづくり)などと呼ばれる方法。
清水寺の場合、建屋本体は、懸崖造の一部にだけ載り、大部分は地山(切った岩盤)に建っています。

このような建て方をしたのは、何も、当時重機がなかったからではありません。前掲記事でも触れていますが、
山を切ったりすると、山が崩れ始めてしまうことを知っていたからなのです。
山の形、それは、そうなるべくしてなった形なのです。
簡単に言えば、柔らかい部分が水で流れ去り、硬い部分が残った、と考えればよいでしょう。そして、安定した形になった

子どものころの砂遊びで、砂場に水をそそぐ。そうすると、一面同じような砂で被われているのに、水は微妙な経路を描いて流れ、やがて吸い込まれる。
つまり、
同じような砂に埋め尽くされている砂場の砂にも、水に押し流されるところと、そうでないところがある。
だから、水みちも微妙に曲る。
これが、大地になれば、もっと差がある。
その結果、地表はデコボコになる。そうして「地形」ができる。
だから、「地形」と「地質」は深い関係がある。
往時の人びとは、「こういう事実・事象」を身をもって知っていた。
もちろんそれは、「現代科学による知見」を知って、つまり「ものの本」を読んだりして得た理解ではありません。
「現場」の僅かな「差異」をも見究める、人びとが「感性」で得た「理解」です。「感性」は「直観」と言い換えてもいい。
あるいは、それこそが、現代科学の礎になった「理解」と言ってもよいかもしれません。
だからこそ、往時の人びとは、自然が造り為した地形を、いたずらに弄る(いじる)ことはしなかったのだ
と私は思います。

   註 このあたりのことについて、以前、「知見はどうして得られるか」で書いています。[註記追加 25日11.17]

そうは言っても、奈良時代の東大寺の伽藍は、若草山の山裾を造成して建てられています。
下図は、東大寺の伽藍配置図です(この図は以前にも載せてことがあります。再掲です)。



中国の伽藍にならった当時の国策的大事業:「東大寺」の大伽藍をつくるには、広大な平地が必要でした。
そこで、奈良盆地北東隅の若草山の西側緩斜面を切取って平地をつくったのです(なぜ盆地の平らな場所にしなかったか、については不詳であることを、前掲記事でも触れています)。
上掲の図の等高線を追ってゆくと、線の曲り方が不自然になる箇所がありますが、そこが切取った場所です。
当然、切取った土の処理が必要になりますが、おそらく西側の大仏池の堰堤あたりに盛ったのではないかと思われます。
しかし、現代と異なるのは、伽藍は、切土の箇所につくり、盛土した場所にはつくらなかったことです。

なお、東大寺より以前につくられた「法隆寺」伽藍では、きわめて緩い斜面に、斜面なりにつくられています。それでも、回廊を歩くと、北に向ってかなりの爪先上がりであることが分ります。
多分、地表を軽く均す程度だったのだと思われます。
ただし、礎石を据えるための地形(地業:ぢぎょう)には、細心の注意が払われています(「日本の建物づくりを支えてきた技術-3・・・・基礎と地形」参照)。
   この「伽藍」の配置の決め方についての「想像」も、前記の記事で書きました。

この「盛土をして平らにした土地に建物は建てない」という「常識」は、おそらく近世まで継承されているように思います。
山間の地には、斜面に住み着いて暮している方がたの住居が見られます。知っている例で言えば、関西で紀伊半島の山中、関東では秩父の山中。全地域で見られるはずです。
この方たちの住まいもまた、なるべく地山はいじらず、切土・盛土する場合でも、大半は切土をした箇所に建屋を建て、盛ったところは庭先とするのが普通です。

最近の住宅地では、斜面であれば、そこを雛壇のように造成するのが当たり前になっています。
   大規模住宅団地の場合にも、地山を大きくいじるのが普通です。
   その「悪しき好例」の嚆矢は、広大な多摩丘陵を重機で切り刻んだ「多摩ニュータウン」でしょう。
   神戸に至っては、六甲山を崩して平地をつくり、
   崩した土をベルトコンベアで運び海岸を埋め立てる、ということを「公共」事業でやっていました。

そういう住宅地では、今回の地震で崖崩れや地滑り様の現象や、建物が大きく傾くという現象が生じています。

戸建て住宅地の雛壇の造成は、敷地の斜面方向の距離の半分を切り取って、残りの斜面の半分に切取った土を盛ることで平らな面をつくるのが普通です。つまり±0という方法。残土が出ないから、計算上では《合理的》です。
その結果、敷地の斜面下方側が盛土ということになり、その盛土を支えるために擁壁を築きます。
報道で見る限り、崖崩れや地滑りは、こういう方法で造成された新興住宅地の、擁壁で支えられた盛土部分で起きています。
多くの場合、こうしてつくられた住宅地は、敷地面積が狭隘のため、切土部分にだけ建屋を建てるわけにはゆかず、盛土部分にも載ることになります。
最近の普通の広さ(150~200㎡程度)の敷地なら、建屋の半分以上は盛土部分にかかります。
どんなに十分に突き堅め、がっしりとした擁壁を築こうが、所詮、盛土部分は既存の地面とは一体にはなっていない、いわば浮いている状態になっていますから、激しい揺れがあれば、盛った部分が容易に滑って動いてしまい、擁壁をも押し倒す
のです。
   どんなに突き固めようが、盛土が「安定」するには、最低でも20年はかかる、と
   鳶職の方から うかがった覚えがあります

   たしかに、竣工後間もない高速道路などで、盛土部分が、地震がなくても路面が波を打っているのを見かけます。
   道路と橋の取付き部でも、橋の路面と手前の盛土した道路面の間に段差が生じている例を数多く見かけます。

   どんな地震でも崩壊しないような擁壁をつくるとなれば、
   城郭の天守台の石垣のようなつくりにでもしなければならないでしょう。[文言追加 24日 9.41]

また、そのような住宅地で、建屋が傾いてしまったのは、基礎を布基礎やベタ基礎にしているためと思われます。
地盤調査をすれば、現行の建築基準法の基礎仕様規定から、自ずと布基礎やベタ基礎になるからです。
ところが、
建屋の半分以上が、盛土部分に載っているため、盛土部分の崩壊・崩落とともに、そこに載っていた布基礎・ベタ基礎ごと、建物全体が傾いてしまうのです。

布基礎やベタ基礎は、弱い地盤に建屋の重さを分散させ、不同沈下を避けることを目的に「提案」された方策ですが、それは、弱い地盤が弱いなりに「安定」していることが前提になります。
しかし、「切土」「盛土」で成り立っている敷地は、直ぐには「安定」しないのです。

   布基礎の提案が、なぜ行われたのか、「『在来工法』はなぜ生まれたか-3」で触れています。

これが独立基礎、柱ごとの基礎なら、多分、部分的な被害、たとえば切土部分に載っている基礎は動かず、盛土部分では基礎が浮いてしまう、あるいは木造部が基礎から離れてしまうなどで済むと思われます。
以前、室町時代末に建てられたと推定されている「古井家」を紹介しました。
「古井家」は独立基礎:石場建てです。
下は、その桁行断面図です(「古井家」については、数多く触れていますので、「古井家」で検索してください)。



解体修理の際、この断面図の東側(図の右手)の一部は盛土部に載っていて、そこが沈下し、長年のうちに柱や横材の一部に折損が生じていたことが判ったそうです。
これは、切土部分は不動であったから起きた現象です。ベタ基礎のように、盛土部の沈下によって、全体が傾くことはなかったのです。

もちろん、沈下が始まっても、折損に至る前の早い段階では、木造部は、宙に浮いた形になっていたものと思われます。早く手を打てば、折損も起きなかったでしょう。
現在のように、独立基礎でも、柱を基礎に金物で結んでいると、多分、折損は早く生じたでしょう。ただ、転倒することはない。

つまり、盛土部分に建屋を載せること自体が問題を起こすのはたしかですが、独立基礎の方が、布基礎やベタ基礎よりも、影響が少ない、ということ、すなわち、現行の基準法の仕様規定の「想定」は、「実際・実状・現場: reality 」に合っていない、ということです。


最近の造成住宅地の中には、斜面の雛壇化のほかに、「低湿地の平地化」した例がかなりあるようです。谷地田や沼沢地、ときには休耕田など、あるいは海岸に盛土をして平地をつくりだす場合です。
住宅地で、今回の地震により液状化現象を起こしたのは、すべてそういう場所です。
これまで見られなかった内陸部の例が目立っていますが、潜在的に「起きる条件は整っていた」にすぎません。これまで起きなかっただけ、ということ。

これらの「宅地化」にあたっては、当然、土木・建築畑の技術者が計画に係わっているはずです。
では、なぜ彼ら「技術者」:「専門家」が、起きるであろう事態を予測しなかったのか?
多分彼らは、現行法令の諸規定に合わせればよい、と考えたに違いありません。それは、地盤の悪いところではベタ基礎にすればよい、で済ませてしまうのと同じです。
つまり、「技術者」の理解が、「設計とは、《法令の規定する基準》に合わせること」という「理解」になってしまっているということです。
これは「設計」の字義にももとる。そして、当然、そういうことをするのは、「技術者」にももとる。


では、専門家ではない人たちが、敷地の良し悪しを見分けるには、どうしたらよいか。
〇 先ず、建物は、平地でなくても建てられる、ということを知ること。
〇 ある土地を、見るとき、その「現状の姿」を見るだけではなく、
   その土地を含めた一帯の様子を観察し、その土地の「元来の姿」を想像してみること。
   近在に昔から暮している方がたから、以前の様子を聞き取ること。いわゆる「古老の話を聞く」のも一法。
   もし図書館があれば、その地域の地誌や地名辞典などを調べるのも一法。
〇 周辺にも足を伸ばし、その地域に古くから在ると思われる家々が、どういうところに建っているかを知ること。
   たとえば、その構え方から、風向きなども知ることができる。
〇 周囲が、既に建物で埋め尽くされている場合には、
   戦後間もなくの頃、1950年代(昭和30年代)の地形図を見て、かつての地形の様子を知る。などなど。
   なお、国土地理院発行の各年代の地形図は、
   「日本地図センター」のネットショッピングで購入、あるいは複写を依頼できます。

「専門家でない人」が、敷地の良し悪しを見分けるには・・・と書きました。
しかし、なぜ?
建築などの「専門家」で、敷地の土地の履歴などを調べている人は、きわめて少ない、というのが、現実だから!!です。
だからこそ、
「専門家でない方がた」は、先ず「事実」を知って、その上で「専門家」と話をする、あるいは「専門家」の話をきくことが肝要なのです。
この場合の「専門家」とは、建築家(都市計画家も含む)、住宅メーカー、不動産業・・・の方がたです。

   註 これは、「専門家でない方がた」が、
      専門家たちを本当の専門家たらしめる為にできる、
      最大の「教育」なのです。
      そうでもしないと、多くの専門家は、自力で成長できないのが現実だからです。[註記追加 15.10]
                            

今回の最後に、清々しい事例を紹介します。
地形にあわせて設計された集合住宅の事例です。
下は、その配置図です。



次は、断面図と、地山への載せ方を解説した図です。



これは、地山の原型を極力尊重した計画例です。
つまり、先ず敷地を平らにする、などということを考えていません。
どうすれば、「地山の形状をそのまま使えるか」と考えた、と言えるかもしれません。
もちろん、建物を据える場所では、地形(地業)のための「造成」=「原型の破壊」はしています。
   もっとも、「段差無し=バリアフリー」論者からは、否定されるに違いない計画ですが・・・。

このような計画の場合、下手をすると、建物全体が、斜面を滑ることが起きかねません。
すなわち、建物重量の「斜面方向に向う分力」が「垂直方向への分力」よりも大きいと、建物全体は斜面を滑ります。
この計画では、第一層の斜面奥の部分、第三層の奥の部分が、地山にいわば喰いこんだ形になっていること、垂直方向の重量分力が圧倒的に大きいこと、が滑りを止めている、と考えられます。

この集合住宅は、フィンランドの建築家、アルバー・アアルトの設計です。
彼は、地山を削って平地化する住宅地建設を目の当たりにして、それは違う、としてこの計画を立案、実施したようです。
  「 KAUTTUA の集合住宅」 企画・計画1937年、建設1938~1940年
   出典:“ALVAR AALTO Ⅰ” Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 刊

“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” :イギリスの古建築-5

2011-03-07 21:01:41 | 建物づくり一般
時ならぬ雪が降りました。
その中でも、ボケとサンシュユの蕾がふくらんでいます。





  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[註記追加 8日11.39] [註記追加 8日 12.23]

先回、石造の尖塔型構造を目指して行き着いた木造 Cruck 工法を紹介しました。
この工法の建物は、いろいろな「要素・部材」が複雑に絡みあってつくられていて、その実際の「構築法」は、実物の「解体~再構築」を試みてみて初めて分ったようです。
先回の最後に載せたスケッチに、“Reconstruction of typical cruck hall” とあるのは、その「再建」作業によって得られた「成果」だからでしょう。

同書では、引き続き、各部の「Joints :継手・仕口」と実際の「建て方」を図解で示しています。
初めの図(a)は、ある実際の建物の「Joints :継手・仕口」の図解です。
そして次の(b)は、そうして組み立てられた Cruck の建て方の方法。
今回は、分りやすくするため、全般に図版を大きめにしてあります。





いろいろな形の「枘:ほぞ」と栓を多用した、きわめて精緻で、しかも念入りに検討された「Joints: 継手・仕口」であることが分ります。

   註 joint :継手は、持ち出し対置で継ぐ「持ち出し継ぎ」ではなく、主要構造部材上にあります。
      「構造用教材」などで示されている現在の日本の木造の《標準的仕様》が「異質」なことが分ります。
      [註記追加 8日11.39]

最初に、ある「通り」の一面を地上で組み立て、それを引張り起こす建て方は、日本でも、差鴨居を多用するような場合に行なわれます。
通常は、各部材を建てながら組んでゆきます。西欧でも、Cruck のような架構法以外では、建てながら組んでゆくと思います。

次の図は、別の例での構築法の図解。この場合は、平面図も載っています。

単位がftであるとすると、平面は梁行が16~18ft、桁行は12~15ft柱間が3~4。
つまり、日本で言えば、梁行2.5~3間×8~10間程度の建物に相当するでしょう。そんなに大きくはありません。それにしてはゴツイつくりです。

この事例はイギリス中部の Avon 州の博物館に移築されている建物。
移築にあたって構築法が解明されたのでしょう。その構築手順を図解した図です。
今回は、解説をそのまま載せるだけにします。




Cruck には、いろいろな種類があるようです。その解説が次の図です。



そして、Cruck 工法のいわば完成形とされるのが、下図のスケッチ。上は足元から木造の Cruck、下は石造の Base に Cruck を建てる Base-cruck と呼ばれる方法です。 Base-cruck は、おそらく「最高」のつくりだったのではないでしょうか。





下の図は Cruck の細部のつくりかた。





それにしても手が込んでいます。
Cruck の曲った形への強い「こだわり」が感じられます。
これはいったい何なのでしょう?
地震とは無縁な地域の建物。多雪地域かもしれませんが、合掌造でも、ここまでゴツクありません。
その一方で、西欧でも森林の豊かな地の木造建築には、こういうゴツイのはない。この対比には、きわめて興味が湧きます。
やはり、地中海沿岸の石造が「願望」だったのでしょうか?


ところで、この書物を見ていて、日本では、このような「建て方・組み方」を図で解説した書がないということに気付きました。
多くの「研究書」「研究報告」は、修理工事報告書をも含めて、「部分」の解説に終始しているように思えるのです。

それはおそらく、研究者を含め、建築に係わる多くの方がたが、建築「物」に関心があって、字義通りの「建築」(建て築くこと)についてはあまり関心がないからではないでしょうか。簡単に言えば、「結果」に関心があり、「過程」には関心がない。

いわゆる「建物の構造」についても同様で、「結果物」の「構造」については云々しても、「建て築く過程」を通して「構造」を考えることを嫌うように、私には見えます。
たとえば、ものの本には、継手・仕口の個々については説明があっても、架構全体から見た解説がされた書物は見たことがありません。
だから、三方差、四方差の柱を見て、これではアブナイ、金物が必要だ、などという「見解」が横行するのではないか、と思います。
   先回のコメントで、石の「空積み」の話がありました。「空積み」は、のっけからアブナイとされるのが日本。
   しかし、城郭の石積みや、九州に多い石橋は、空積みだと思います。
   煉瓦積では、目地材が使われます。そして目地材はセメントモルタルが奨められます。
   ところが、シックイ目地の方が、ひび割れも起こさず強い、というのが現場の声。
   組積造が地震に弱いというのも、積む「過程」を無視したことから生まれたいわば「風評」に思えます。

   註 私の知っている書物で、唯一、「過程」から建物を考えている書物があることを思い出しました。
      以前に紹介した「建築学講義録」です。
      これも以前に触れましたが、この書の出された頃の「建築」という語は、
      字の通り、「建て築く」という意味でしたから当然ではあります。
      [註記追加 8日 12.23]

一般に、「現代の建築関係者」は、「過程」を無視して「結果」を追い求めたがる人種であるように、私には見えます。
簡単に言えば、カッコイイ形づくり。
カッコイイ「絵」を描いて、そうなるようにつくれ、と施工者に命じることを「設計」と考える人たちの群れ・・・。
だから、「設計図」のほかに別途「施工図」が要るような「設計図」が描かれてしまう(それを助長しているのが、設計ソフトの類)。
これでは「設計」という語が「かわいそう」!


   「草思社」から「日本人はどのように建造物をつくってきたか」という好著(絵本)が刊行されています。
   第一巻は1980年初版の「法隆寺」、その後刊行されているか不詳です。
   しかし、この書でも、“Conservation・・・・”のような解説にはなっていません。
   なお、この本は、建築史学者 宮上茂隆、大工 西岡常一両氏の共著です。
   宮上茂隆氏は、将来の活躍が期待された異色の建築史学者でしたが、早逝されました。


この続きの次回は、同書の「木」についての解説を紹介します。これも、日本のそれとは趣きが多少違うように感じられます。   

“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” :イギリスの古建築-4

2011-02-06 13:49:42 | 建物づくり一般
[図版更改 7日 8.15][註記追加 8日 10.44]


しばらく間が空いてしまいましたが、“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” から、イギリス中世の、地中海沿岸の石造をモデルにつくられた「頑強にして不動の」木造建築の事例の紹介を続けます。

ここまでイギリス中世の木造建築:主に bahn の建物のつくり方を見ながら、思ったこと。

それは、地震国の日本でも考えられないほど頑強なつくりである、ということ。
地震の心配などまったくないのに、「頑強にして不動」の木造建築を求め、その策として、構築物全体に斜め材 brace をありとあらゆる箇所に入れて固めてきた。

一方、地震国日本では、明治以降、建築学者を先頭に、「頑強、不動」の木造建築を求め、その策として、「架構の一部に頑強な部分:耐力部:を設ければよい」という「考え方」を採った。現在の法令仕様の木造建築は、いわばその集成と言ってよいでしょう。

そのまた一方、「耐力部を設ける方法」が推奨される以前は、
日本の建築は(大半が木造建築)、分っているだけでも千数百年にわたり、「頑強、不動」の立体などを求めたことなどはまったくなく、むしろ、「柔軟な(風にそよぐが如き)」立体架構をつくることに専念し、それでいて地震で壊れない建物を多数つくってきている(少なくとも、南大門などは800年を越えて健在である)。

この三様の発想の違いは何なのだ?何に起因するのか?


ときおり、道を歩きながら高圧線などの鉄塔を見ていて、「突拍子もないこと」を考えます。

高圧線などの鉄塔は、等辺山型鋼(通称アングル:L型の鋼材)でつくられた先細りの梯子(はしご)で塔の4面を構成し、その各面の梯子の各段がつくる四辺形(台形)には、斜め材( brace )が入っています。
こうした4面でつくられた鉄塔は、一つの「かたまり」になって地上に立ち、外力にはその全体で対応しています。
仮に、その斜め材( brace )が1本でもはずれたりしたならば、鉄塔は「かたまり」ではなくなり、抵抗力を失います。

   註 brace :動詞は「~を締める、引き締める」「~につっかい棒を入れる、支える」
           名詞は「突っ張り、支柱」「副木、添え木」「締め付けるもの」・・・
           [註記追加 8日 10.44]

   斜め材( brace )を入れると頑強になり、しかも使用鋼材も少なくて済むことは、
   鉄鋼造が橋などの構築物に使われだして以来、現場での試行錯誤の結果得られた重要な知見です。
   エッフェル塔など初期の構築物では、斜め材( brace )をX型に入れていますが、
   さらなる試行錯誤の結果、
   すべてをX型にしなくてもよいことを知り、対角線1本だけで済ます事例も増えてきます。
   これは、すべて構造力学が発展を見る以前のこと、
   むしろ、そういう現場の知見が構造力学の展開の後押しをしたことは以前にも書きました。

   そして、そういう架構形式を、
   日本では「トラス」あるいは「ラチス」という語・概念で括って呼ぶ「習慣」があります。
   しかし、この「習慣」は、その奥に潜む「ものを構築するにあたっての考え方」に迫らず、
   「トラスという構造」の「形式」を「知識として収集しただけ」で終わる「危険」と背中あわせです。
   なぜ「危険」かというと、「思考」が停止してしまうからです。
   キングポストなどの名称を知り、その各部材にかかる力の性質を知る、それはそれでいい、
   しかしそれだけでは、
   「ものを構築するにあたって、何を、どう考えたらよいか」という「境域」には達することができません。
   この「危険」を避けるには、先に紹介した「建築学講義録」の「洋小屋」の解説(下記)が参考になります。
   それは、梁を掛ける距離:梁間が増えるとともに、
   梁の架け方にも工夫が生まれる、その結果、各種の小屋形式が生まれる、という解説です。
   この「過程」を知ってから(「考えて」から)「構造力学」に入っても遅くはない、と私は思います。
    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/16c9b15026d4e8bb0fe224f2acf8ffab
   
実際、改めて日ごろ見慣れている高圧線鉄塔を眺めてみると、その使用鋼材の細さには感動を覚えます。

「突拍子もないこと」とは、この鉄塔を、現在の木造建築の構造規定の根拠となっている「理論」で設計したら、どうなるか、ということ。
現在の木造の考え方によるならば、鉄塔の一部に外力に耐える「耐力部」を設ければいい。
たとえば、鉄塔の4面それぞれに、通常見るよりも断面の大きい鋼材でX型に斜め材:「たすきがけ筋かい」:を入れるとか、あるいは分厚い鉄板を張った「耐力部」を、「バランスよく設ければ」、その他の箇所にはあえて brace を入れなくてもよいことになります。

けれども、もしこのような鉄塔がつくられたなら、おそらく直ちに、電線の引張る力だけでも倒壊するでしょう。
実際、そんな鉄塔は見たことがない。現場もまた、そんな鉄塔は承服しないにちがいない。

しかし、なぜ、現在の法令規定の木造建築では、これが許されるのでしょう?

鉄鋼造と木造は異なる、と言うかもしれません。
縦に伸びる構築物と横に広がる構築物は、同じに扱えない、と言うかもしれません。

しかし、根底の「理論」は同じでなければならない、「場面ごとに異なる理論」がある、などというのでは、それでは「理論」の名にもとる。私はそう思います。

この私の「妄想」について、構造を専門とする方がたのご意見を、ぜひうかがいたいと思います。


かなり横道にそれてしまったようです。
このあたりで、“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS”の紹介に戻ることにします。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

先回まで、どの地域でも見られる「垂木構造・合掌構造・又首組」が、梁間の長大にともない「母屋桁を用いる構造」が生まれてくる過程を見てきました。

ただ、イギリスの(多分西欧の平原部一般の)母屋桁( purlin )を使う方法は、日本の母屋(桁)に垂木を掛ける方法とは、異なるようです。
ここで見てきたイギリス中世の方法は、「母屋桁と斜め材:brace そして垂木、屋根板」でつくられる屋根面を、一つの「丈夫な面」とすることに意をそそいでいるように見受けられます。

もちろん、日本の場合でも、母屋に垂木を掛け野地板を張れば、結果として「面」にはなりますが、しかし、イギリスのそれほどには頑強ではありません。

   一般に、「面」として働く、ということを「剛性がある、あるいは強い」と言いますが、 
   日本の場合、かつての建物づくりでは、そこまで頑強にすることは、重要とは考えていないようです。
   普通の幅の狭い板を張ったのでは剛性が足りない、合板ならいい、とか
   面の四隅に「火打ち」を入れなければならない、などと日本で言われだしたのは、
   建築構造学者が生まれてからのこと。

母屋桁方式のつくりが行なわれているうちに、さらにその先へ展開します。
それを、同書では、Post-and-truss 方式の工法と呼んでいます。
これを日本語で言うのは難しい。トラスという語を使うと、まえがきで触れたように、日本で一般に浸透してしまっているトラス概念で捉えられてしまう。
ここで言っていることを意訳すれば、「柱相互を桁で固める」工法、ということになるかと思います。

   新英和中辞典(研究社)によると
   truss :「けた(桁)構え」「けた(桁)構えで支える」とあります。
   ところで、「桁」とは、新明解国語辞典(三省堂)では、
   「柱と柱を結ぶように渡して、その上に構築する物の支えとする材」とあります。
     蛇足 「算盤の珠を貫く縦の棒」のことも「桁」と言います。
        十の桁、百の桁・・の「桁」は、そこから来ています。

同書の Post-and-truss 方式の工法の解説を、そのまま以下に転載します。
   


この解説では、 Post-and-truss 工法は、「母屋桁屋根部( purlin roof )と壁体部( wall- frame )とを結合した、構造の考え方の点で、また建て方の点でも、最もよく総合的に考えられた工法である」とした上で、この方法は、結果としては over-strong であったろうと述べています。
実際、この姿を見ると、日本の古来の木造建築を見慣れた目には、あきれ返るほど over-strong に見えます。地震国日本の建物でさえ、ここまでしなくても大丈夫・・・。

さらにこの Post-and-truss 方式は展開し、Cruck という独特の工法に行き着くようです。いわば、 Post-and-truss 工法のムダを省いた方法と言えるようです。

   Cruck とは、湾曲した木材で尖塔型のアーチをつくる方法で、
   このシリーズの「その1」および下記で紹介しています。
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/7cd6ef4e90665a1accadc3e83fe0c6c4 

下の写真は、この書の紹介している Cruck の例。上記にも他の例が載ってますのでご覧ください。それにしても、豪快!



Post-and-truss と Cruck の違いを説明したのが下図。



右の着色した部分が Post-and-truss 工法、左側が Cruck 工法。

Cruck 工法は、湾曲した材料を使うことで、たしかに施工は合理化されます。もっとも、湾曲した材料を集めるのには苦労したと思いますが・・・。
   前にも記しましたが、Cruck とは、新英和中辞典(研究社)によると
   「中世の建物の土台から屋根の頂まで延びて屋根を支える湾曲した一対の大角材の一」を言うようです。

Cruck 工法に至る過程の姿と考えられる事例が次の写真です。


   
先回にも触れましたが、この Cruck 工法の木造建築は、石造建築がモデルになっているようです。
モデルになった石造建築は、次の写真のような建物。
これは、平たい石材を少しずつ「迫り出し」ながら( corbel :迫り出す)積んでつくった尖塔型のトンネル状(ヴォールトと呼ぶ)空間の Gallerusu 礼拝堂( Gallerusu は固有名詞?)。



Dingle Peninsula はアイルランド南西部の小さな半島。
Eire は the Republic of Ireland のアイルランド語名。その Kerry 郡に現存する礼拝堂。 Kerry は山岳地帯だそうです(以上は、新英和中辞典による)。

アイルランドには、たしか、石造の遺跡や建物が多かったように記憶しています。
   蛇足 文化はギリシアに始まり、そこを起点に文化が各地に流れていった、という「文化伝播説」を
       くつがえす契機になるギリシア以前につくられたすぐれた石造構築物がアイルランドにあった!

   石や煉瓦あるいは日干し煉瓦を少しずつ迫り出して積んで屋根をつくる方法は、
   木材の得にくい地域:乾燥地域:なら、どこでも見られるようです。
   この例では、平行する2枚の壁の上に内側に向って迫り出していますが、
   これを円形状平面で内側に迫り出しながら積んでゆくとドームをつくることができます。
   サラセン文化:イスラムの大ドームはこの方法でつくられた例が多いようです。
   この迫り出し法の最大の特徴は、「形枠」が要らないこと。
   いわゆる「アーチ(それを連続させたヴォールト)工法」には形枠が必要です。「形枠」は普通木製。
   つまり、「迫り出し工法」なら、足場が多少要る以外、まったく木材不要なのです。

この石造建築と Cruck 工法とを比較したのが次の図解です。



図中の Eaves course とは、軒線、つまり屋根の最終ラインというような意味だと思います。
Tie beam は(a)の立面には見えませんが、尖塔型の下部が拡がるのを防止するために引張り材が入っているのだと思われます。材料は不明です。木?

Cruck の脚部は、互いに「土台」様の木材で繋げられています。「土台」を流し、それに噛ませる形で Cruck を立てるのでしょう。
その「土台」へ Cruck を固定するためには木製の「栓( peg )」が使われているようです。
下はその部分の解体時の写真。

 

ただ、「土台」は地面に(多分石が敷いてある)置いてあるだけのようです。
脚部を繋げば、建物全体がきわめて頑丈な立体架構になるわけですから、地面に置くだけで、風で飛ばされるなどということはないのです。

   日本の現在の法令仕様で、土台を地面に緊結せよ、というのは、架構を立体に組むことを考えず、
   一部分に斜め材を入れて済ませるため、その斜め材を経て、土台を持ち上げるなどという事態が起きるからなのです。
   イギリスのように、入れられるところ全てに斜め材を入れる場合には、そういう現象は起きません。
   このあたりにのことついては、かなり前に「在来工法はなぜ生まれたか」のシリーズで触れています。
   基礎への緊結については、下記参照。
    http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/1b28f18dca826a4b5f9bbcff2d617ce0

そして、Cruck 工法の棟の部分には各種の納め方があり、その事例が次の写真。

 

こうやって一定の完成形に到達した Cruck 工法による建物の典型の内観を、同書は透視図スケッチで紹介しています。
多分著者 F.W.B.Charles、Mary Charles 夫妻の手になるものと思われます。分りやすい!


 

同書では、このあと、 Cruck 工法の細部の接合法:仕口や建て方が詳細に記されますが、今回は容量を超えそうですので、ここまでにします。

   註 事例のいずれも屋根が急勾配なのは、北海道よりも緯度の高い地域の建物だからです。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

   詰まっていた作業の一つは完了、しかしまだ、今週いっぱい、水戸の次回講習会用資料の作成と、
   地盤調査書が届いた心身障碍の方がたが暮す建物の断面図の検討・作成に追われそうです。
   ゆえに、次の記事(「建物をつくるとは・・・」の続きの予定)は、来週以降になると思います。

“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” :イギリスの古建築-3

2011-01-13 20:44:37 | 建物づくり一般
[註記追加 14日 9.57][註記追加 14日 10.20][文言改訂 14日 10.23][註記追加 14日 17.08]

今回は、「 Purlin:母屋桁」を使った小屋組・屋根について。
次のような解説があります。そのまま転載します。



どうやら、地中海沿岸の石造建築が盛んな地域=木材の乏しい地域での木造建築から生まれた工法が、北方の急勾配を要する屋根の架構を考える中で発展した、と考えられているようです。
一言で言えば、「 Rafter Roof 又首組:垂木構造」より一歩進んで、各部材を組んで立体的な架構に仕上げる方法だ、と言えるでしょう。

前提となる木材は、オークを主とする広葉樹です(いずれ紹介しますが、オークの使い方を詳しく解説した章があります)。針葉樹のような長大で真っ直ぐ、しかも太さもある、そういう材が得にくい樹種。

次の図は、「棟:ridge 」部分の架構の一例。



「 king post :真束」に、細身の材で2段の「棟桁:ridge 」を差して「棟」を構成しています。
上段の「桁」は、「真束」上で「相欠き」で継いで、「真束」の「頭枘」を貫通させて留めています。「柱」と2本の「棟桁」が、これで一体の立体となるわけです。
   古来、日本でも使っている継手・仕口です。「鉤型」を付ければ一層確実。    

下段の「桁」は、[真束~真束]間を一材とし、継手は使わず、真束を介して連続させることを考え、「真束」に段違いで「枘差し」。「込み栓」と「鼻(端)栓」を併用して留めています。
   同じ高さで継ぐ方策がないとき、あるいは面倒なとき、日本でも見かける方法です。
   下記で紹介の「広瀬家」の棟持柱への梁の取付けに、この方法が採られています。[註記追加 14日 17.08]
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/a558f2498c1f364f9ab4b93d7092989d

上下2段の桁の中途に2本の「 brace:支柱」が入れてありますから、結果として「 lattice :ラチス(梁)」になっています。「 lattice 」とは「格子」「格子組」。
おそらく、これも「 truss 組」発祥の一と考えてよいと思われます。
細い材でなんとか長い「棟桁」や「桁」をつくろうという工夫がいろいろ試みられ、それが「トラス組」という架構の「定型」を生みだしたのです。

   当然、構造力学誕生の前のことです。
   構造力学がトラス組を生んだのではない、という「事実」は、
   力学を先に学んでしまう現代の人びとには、理解できないことかもしれません。

   また、brace を直ちに「筋かい」と訳すのも考えものです。あくまでも、「支柱」、「副柱」という意味です。
   「現代日本の法令規定の木造建築」流に解釈すると落し穴に落ちます。

   参考 「建築学講義録」で紹介されている「洋小屋」の変遷・発展図を載せます。
       この図は、以前に下記記事で載せた図の再利用です。
       この記事で、各種の小屋組がなぜ考案されたか、
       「建築学講義録」の「力学を使わない」解説を紹介しています。[註記追加 14日 9.57]
        http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/16c9b15026d4e8bb0fe224f2acf8ffab
       黄色の色を付けた方法が「 king-post 」を使っている例です。
       「 king-post 」を「釣り束」と呼んでいます。
      

次は、「真束」はありませんが、「 Purlin:母屋桁」を使っている事例の図解。



左側の図、細い材、あるいは短い材を合成して、「 portal-frame :門型フレーム」をつくることに懸命であることが分ります。とりわけ、屋根の形をつくる垂木にあたる部分では、2本の垂木が「母屋桁」を挟んで取付いています。compound rafter :「複合垂木」と呼んでいます。

これを見ると、ここで使われている「 Purlin:母屋桁」は、日本の「母屋」とは、働き:役目の考え方がいささか異なるように思えます。
日本の場合、単純に「 Rafter:垂木」を受ける材、載せる材として考えますが、ここでは、「 Rafter:垂木」とともに、屋根面を積極的に「面」として形づくることを意図しているようです。
   もちろん、日本の場合でも、「結果としては」「面」として働くことにはなりますが、
   それほど積極的には考えていないのではないでしょうか。

先の解説文中にある「 longitudinal racking :縦方向の歪み」を防ぐための「 wind-bracing 」とは、右側の内観図で、柱ごとにある「登り梁」と、それに架かっている「 Purlin:母屋桁」との間の曲りのついた斜め材、日本で言えば「火打ち」あるいは「方杖」」にあたる材のことでしょう。
wind-・・ は多分、「曲っている」という意味では?

「 Purlin:母屋桁」と「 wind-bracing 」の関係を示すのが下の写真。



   日本の最近の木造建築の「火打ち」や「方杖」は部分的に入れて済ませていますが、
   この場合は、そのような「省略」はせず、
   全ての箇所に徹底して入れていることに留意する必要があります。
   そうすることで、組み上がった全体は、単なる部材の足し算ではなく、強固な立体になるからです。
   あくまでも、「架構全体を、一体の立体に組む」ことが念頭に置かれているのです。

   これを見ると、日本の現在の法令規定の木造建築が、
   強い部分と弱い部分の足し算で考え、強い部分が外からの力に耐えると見なし、
   「一体の立体に組む」ことをまったく考えていないことが分ります。
   中世のイギリスをはじめ西欧の工人たちの方が、scientific だ、ということです。
   わが《先達》たちは、西欧に留学して、何を観てきたのか、まことに不思議に思います。

   なお、wind-bracing は、屋根面だけではなく、図で分るように、各所に使われています。
   この場合も、部分的にではなく、入れられるところは全て入っていることに留意。[註記追加 14日 10.20]

今回は、最後に、「 Purlin:母屋桁」の取付けにあたって使われている各種の継手や仕口の図解を転載します。



Fig18 の a)
Clasp purlin 「抱き付き」母屋桁、あるいは、日本の「吸い付き」とでも言うのがよいのか?
点線で描かれているのが Purlin 。右から来る材は、左右の「登り梁」を繋ぐいわば「繋ぎ梁」。
Purlin が載る材が principal と呼ばれている主材:「登り梁」。寸面が Purlin の載るところから上で小さくなるので reduced principal。この場合、 Purlin は、欠き取ったL型部に載っているだけ。

Fig18 の b)
同じく Clasp purlin で、principal に刻まれた「枘」で取付く。

Fig18 の c)
これは日本の「相欠き」と同じ。

Fig18 の d)
この図では、登り梁に開けられている孔が purlin の全幅で開けられていますが、そうすると、「枘」をつくりだしている意味が分りません。
多分孔の幅は、「枘」の幅:厚さ分ではないかと思います。図が違う。
そうであれば、三角形に斜めに伐った「枘」が、孔の内部でぶつかり、側面からそれぞれに釘なり栓を打って固定できます。

Fig18 の e)
splayed-scarf とは、日本の「殺ぎ継ぎ(そぎつぎ)」単純に2材の先端を同じ角度で斜めに切ってぶつけるだけ。登り梁の中で継いでいる。少しきつめにつくるのか?

Fig18 の f)
単純な「相欠き」継ぎ。
これなら、側面から栓や釘を打って留めることができる。

Fig19 の a)
brideled scarf 何と訳せばいいのか?
同じ継手が、「法隆寺東院伝法堂」の「垂木」にあります(下記に図と写真を載せています)。「文化財建造物伝統技法集成」でも、名前は付いていません。
「伝法堂」では、「栓」が1本で、その位置で「垂木」の勾配が変ります。
 http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/bd1f8005ded5ccf15608d1500345cbba

Fig19 の b)
この方法も、どこかで見た記憶があるのですが、思い出せません。探しています。


ここまで見てきて、またまた、人の考えることは、地域によらず同じなのだ、と感じています。
もちろん、環境が違います。気候は当然、樹木だって同じではありません。
しかし、どうすれば確実な構築物をつくることができるか、その点で考えることは同じなのです。
今見ている建物は、いずれも地震のない地域の建物です。
しかしながら、現在の日本の法令規定の木造建物などよりも、数等優れていると言わざるを得ません。

この書物が紹介している古建築群を見て感じる私の一番の感想は、
日本の建物も「一体の立体に組上げる」ことではまったく変りはありませんが、なにゆえに「 brace 」を用いなかったか、という点です。[文言改訂 14日 10.23]

その理由は、一つは、明らかに、使用材料が広葉樹か、針葉樹であるかの違い。
そして、もう一つは、少なくとも、ヨーロッパの中央部では、その根に、石造、煉瓦造のイメージが色濃く残存しているからなのではないか、と思っています。
つまり、木材で、石造、煉瓦造の如き、「揺るぎなき」構築物をつくる、という考え。

これに対して、日本では、石造、煉瓦造の「素養」はない。はじめから木造。
木造のしなやかさ、復元・弾力性を認識できていたとき、「揺るぎなき」構築物を求める必要はなかったのではないか。そのように私には思えます。
つまり、非常に弾力性に富んだ「一体の立体」であれば、「しなやかに」外力に対することができる、何もガチガチに固める必要はない、そのことを知っていたのだろう、と思います。

現在の日本の法令規定の木造建築は、「揺るぎなき」構築物にすることを意図しているはずです。
しかし、それにしては中途半端。と言うより、足し算でしか考えていない。brace を使うなら使うで結構。しかし、使うなら、ここで見てきたような使い方でなければ、中途半端なのです。先ほども書きましたが、中世の西欧の工人の方が、「揺るぎなき」木造の構築物をつくるつくり方をはるかによく知っていたのです。

しかし、木造建築は、わざわざ石造の如くに「揺るぎなき」構築物にする必要がないことは、日本の木造建築の歴史が実証しています。
このことは、元々が木造建築主体の地域、たとえば北欧や先に紹介したアルプス山麓の地域では、brace が使われていないことでも明らかではないでしょうか。

いずれにしても、日本の現在の木造建築の権威諸氏が、
西欧、日本、その双方の木造建築技術史に疎いのはたしかだ、としか言いようがありません。

“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” :イギリスの古建築-2

2010-12-21 13:19:29 | 建物づくり一般
[図版更改 15.20][文言追加 15.31][文言追加 15.38]

Rafter roof :垂木構造の続きです。

先回、中世西欧の木造建物では、斜材:brace を交叉させたり、補助的な部材を付加する場合に、 lap-joint 、half lap-joint が多用さている、と紹介しました。
これは、ヨーロッパ大陸からイギリス、デンマーク、ノルウェイなど北欧地域の bahn や教会の建物に多く使われているようです。

イギリス中部の町 Hereford:ヘリフォードに、19世紀末に改造された「交叉する brace 」で構築した鐘楼(鐘塔)があり、その復元想定図が下の図です。19世紀末には、点線のように脇から支えられていましたが、half lap-joint の痕跡から想定復元された姿です。
この点線で描かれた鐘塔の外に付く部分、これが aisle の効能の一つ。最初は、ツッカエ棒のようなものだったのかもしれません。



この鐘塔の姿を鉄骨に変えると、高圧線鉄塔に似てきます。
産業革命後、イギリスでは、橋をはじめ鉄を使った構築物がつくられますが(下記)、そのヒントは木造の構築物にあったと言われています。
   http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/550bf074ff8bf3e9caa4befca172e345

日本の火の見櫓などでは、「斜材」使用がないのはなぜだったのでしょう。このような使い方なら、「部分的に入れる筋かい」が惹き起こす問題は生じない。ことによると、材料となる木材の樹種の違いか?

lap-joint の図解が下図です。[図版更改 15.20]



lap-joint というのは、2材がぶつかり合う箇所で、互いを欠いて接続させる日本でいう「相欠き」に相当するのではないかと思います。

図の a と b の場合、「斜材」の「柱」に当たる部分に「欠き込み」(赤い枠のところ)がある。
多分、はじめの頃は設けずに、ただ「斜材」を柱に当てて「栓」を打つだけだったのだと思います。そのうちに、「欠き込み」を設けると、「斜材」が引張られたとき、その「欠き込み」が引っ掛かって「栓」と共同して、より強くなる、それで設けるようになったのだと考えられます。
c は、逆に、押されたときに効く「欠き込み」(赤い枠のところ)と思われます。だから、引張られることに対しては、「栓」を2本打つことで対応しています。

このとき、「栓」を打つ位置が、直ではなく:「木理」上にはなく:斜めにずらしていることに注目したいと思います。
こういう仕事は、現場でなければ生まれません。13世紀の仕事だそうでうす。  
   日本の現在の木造建築で推奨される「ホールダウン金物」の取付けボルトは、
   平然と「木理」に沿って直線上に並べています。
   10cm径の柱に13Φのボルトを数多く並べるとなるとやむを得ないかもしれないが、所詮割烈の奨め・・・。
   それを承知で奨める・・・。これはどういうこと?  

d は、「欠き込み」を表に見せない方法。仕上りでは「欠き込み」が見えず、材は直のまま。これは、仕口など刻みの仕事が徐々に見栄えのよいやりかたに変ってゆく過程を物語っています。
notch とは、V字型の「切り込み(欠き込み)」のことを言う、と辞書にあります。

英語の joint は、一語で、日本の「継手」「仕口」の両方を指しているようです。

なお、探してみてはいますが、材を「持ち出した位置」つまり、支点~支点の中間で継ぐという事例が見当たりません。
これは、近世までの日本の建物づくりと同じで、材を中途で継ぐという発想は、かつての工人:現場の人たちにはなかったのでしょう。
考えてみれば納得がゆくように思います。材を継ぎたくなったら、そこには支点になるものを置く、これが素直な考え方だと思えるからです。

   斜材の先端:柱に lap する端部に「刳り形」がつくられているのは、
   先端が「ぶっきらぼう」なのを嫌ったからだと思います。
   日本で「木鼻(端)」を細工したくなった感覚と同じだと思います。[文言追加 15.31]


このような brace を多用するつくりかたで、earthfast posts による Fyfield Hall という建物(多分教会堂だと思います)が、ここ数百年健在だったことが発見されたとあります(具体的には図などが示されていません)。
earthfast とは、「地面に固定した」という意味にとれますから earthfast posts というのは「掘立柱」のことではないかと思います。
このように「斜材:brace 」をとにかくたくさん入れるつくり方は、下図の Hereford:ヘリフォードにある The Bishop's Palace の大ホールのようなつくりかたが生まれる過渡期の工法だったと考えられる、と同書は説明しています。
「斜材:brace 」の入れ方を、いわば「整理する」「要るものだけにする」までの過渡期、という意味だろうと思います。[文言追加 15.38]
The Bishop's Palace とは、Hereford 地区を統轄する司教の官邸?
いつの建設かは書いてありません。
下図は、そのThe Bishop's Palace の大ホールの断面図。



brace を多用する建物をつくっているうちに、力の流れに、より無駄なく対応できる方策に気がついた、その一つの到着点の姿と言えるのでしょう。

私がこの断面図を見て「なるほど!」と思うのは、下屋:aisle の Rafter:「垂木」(オレンジ色)の勾配・角度が、上屋の上部に設けられた「方杖」(黄色)の勾配・角度と同じで、しかも同一直線上にあることです(原図には色は付いていません)。

これによって、Rafter:「垂木」は、単に屋根の重さを支えるのではなく、建物全体の架構を構成する重要な部材として働くことになっているのです。
つまり、brace :「斜材」の役割を、Rafter:「垂木」にも担わせた、ということです。

もしも、下屋の「垂木」が、この図の位置よりも下になっているとすると、つまり、「方杖」の取付いている位置よりも下で「柱」に取付くと、屋根に載っている荷物の重さで、「柱」には上の方では外側に、下の方には内側へ押す力が生じてしまいます。「柱」には、垂直方向の力の他に、横に押す力が、しかも上下で逆方向の力がかかってしまう、その結果、ことによると「柱」が折れてしまうことも起きかねない。
逆に、位置が上になっても、ほぼ同じようなことが起きるでしょう。

おそらく、そういう経験を繰り返しているうちに、直線上に置くことの効能を知り、
しかもその直線は45度に近い角度がよいことにも気付いたものと思われます。
つまり、この「勾配」「角度」もダテではない、ということ。
   ダテ(だて・伊達):内容を充実させることには意を用いず、外見(だけ)を飾る様子。(「新明解国語辞典」)


ところで、Rafter roof :「垂木」構造に力がかかったとき、基本であるA型のフレームを構成する各材に、変形を起こそうとする力がかかります。
この様子を図解したのが下図です。



一番問題が起きやすいのは、合掌の頂部。
ところが、フランス以外の地域では、不思議なことに、このことを考慮した仕口はないのだそうです。つまり、合掌の頂部が離れてしまう事故を起こしやすい。
そのフランスで見られる仕口、解説では ridge joint 確実な接合となっているのが、下図のような方法。



これは、以前に紹介したことのある奈良時代建立の「法隆寺東院・伝法堂」の方法と同じです。参考のために、「伝法堂」の場合の写真と分解図を載せます。

        

異なるのは、フランスの場合、「枘」に相当する部分が dovertailed tenon になっていること。 dovertailed tenon とは、ハトの尾のような形、つまり、先が広がるバチ型の「枘」、辞書には「ありほぞ」とあります。 tenon が「枘」。
「伝法堂」では、ここまでの細工はしてありません。

要するに、これも、「現場で考えることは、洋の東西を問わず同じ」ということを示しているわけです。
建物をつくるに当たって、工人たちは、同じような問題に直面し、同じような解答を見つけ出すのです。これはまったく地域によらないことなのです。
私たちに必要なのは、「机上」で考えるのではなく、常に工人たちの立場に立つ、すなわち
「現場」の発想を大事にすること。それが、構築技術を考える際の「要(かなめ)」だと私は思っています。

今回の最後は、先に出てきたイギリスの Hereford:ヘリフォードの辺りの地図。
ロンドンの北西、バーミンガムの南西、オレンジ色の○で囲んであります。



次回からは、Purlin roofs 「母屋(桁)」方式の屋根を持つ建物について。
いろいろな継手、仕口が使われています。
コメント (6)

“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” :イギリスの古建築-1

2010-12-09 18:20:50 | 建物づくり一般
   はじめに、お知らせ。
   先に紹介させていただいた講習会「日本の建物づくりを知ろう」(下記参照)、
   まだ余裕があるそうです。
   関心のある方は、主催者まで、ご連絡ください。
    http://www.kenchiku.co.jp/event/detail.php?id=2416

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[註記追加 9日 21.51][註記追加 10日 10.16]


“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS”(F.W.B.Charles,Mary Charles 著 Hutchinson & Co.Ltd 刊) という書物があります。
1984年に初版が出ています。
イギリスの(木造)古建築の「保存・修復」について、実例を基に書かれた書。

この書物に、先に紹介した aisled bahn では載っていなかった bahn をはじめ中世の(イギリスの)木造建築の詳細が載っていましたので、「建物をつくるとは・・・」と交互に紹介することにします。


これは、きわめて地味な書物です。しかし、内容は濃い。
この書の意義を紹介する「推薦文」が表紙カバーにありましたので、そのまま掲載します。



イギリスは近・現代建築で常に先駆者でしたが、同時に常に「原点」を大事にするお国柄。だからこそ「先駆者」たり得たのでしょう。
この点は、進んで「原点」を見捨てる日本の近・現代(の建築界)との大きな違いだと私は思います(この点については、http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/ff5c01cb975024f20a6c378226019f10などで何度も書いてきました)。

この書を見ると、一般に、「継手・仕口」が日本固有・特有のものである、あるいは、西欧の木造建築は金物万能である・・・かのように思うのは、まったくの「思い込み」であることがよく分ります。「誤解」です。
「理」をもって事象・事物に対する人びとの営為には、日本も西欧もないのです。

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STRUCTURAL TYPES として、(イギリスの)木造建築には、古来、‘box-frame’‘post-and-truss’‘cruck’‘base-cruck’ の四つのタイプがある、とされてきたようです。

‘box-frame’というのは、「箱の枠」ですから、いわば「軸組」のイメージと考えてよいでしょう。
‘post-and-truss’とは、柱とトラス梁で組む方法、‘cruck’ は湾曲した木材を、地面から尖塔型に組む方法、‘base-cruck’ とは、後掲の図のように cruck を基礎の上に(中に)組む方法のようです( cruck、base-cruck の実例は、http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/7cd6ef4e90665a1accadc3e83fe0c6c4参照)。

しかし、この分類では、それぞれの意味する範囲が曖昧である、として、著者は、きわめて単純に、Rafter roof であるか、Purlin roof であるかで分けています。

Rafter とは「垂木」のこと、したがって Rafter roof とは、「垂木」「合掌」だけで小屋を組む方法、
Purlin とは「母屋(桁)」のこと、それゆえ Purlin roof とは、「母屋」を設け、それに「垂木」を架ける方法を言います。
この図解が下図。



日本でも、古いものは「垂木」「合掌」だけで小屋を組んでいますが、後に「母屋」を入れるようになります。「母屋」を組めば、「垂木」「合掌」は細身の材でよく、「母屋」の上で材を継ぐこともできます。
日本の場合、たとえば桂離宮のように、任意の形に屋根をつくることが可能になります。


同書の最初は Rafter roof の解説。これがきわめて明快。

Rafter roof の起源は、3本の「棒」の端部を縛って三角をつくると、強固な枠:フレームになるという発見にあり、そして、その理屈:三角形安定の原理は、居住用に十分な大きさのA型をした枠:フレームをつくることなどに応用されている、と。

   この「三角形の理屈」が、日本では、明治時代、当時の「学者」たちによって、きわめて狭く利用された。
   それが「筋かい」の輝かしき「発祥」です。
   しかし、この書の解説にあるのは、そんな「狭い」ものではありません。
   構築の全体を見ている。つまり、机上ではなく、あくまでも工人:現場の視点。

同書は続けます。

この理屈・原理の最大の効能は、容易に扱える大きさの birch(カバ)、poplar(ポプラ)、willow(ヤナギ)、conifer(イトスギなど)などの丸太だけで、すべてがまかなえる点にある。
そして、次に、より高い空間を得るために、この三角形のA型フレームを掘立柱の上に載せる方策が考案される。
この解説の図解が次の図です。
これは、イギリスの典型的な掘立柱による「小作農の住まい」の構築法だそうです。



何か「古井家」を見ているような気になります。

図の解説にあるように、先ず、建設場所の地上で、a)中央に使われるA型フレームをつくり、b)次いで端部になる部分を組み、c)全部材を所定の大きさ・形状に並べ、d)組まれた足元の四周に ring-beam をまわす。ring-beam は、日本の建物の軒まわりの桁・梁に相当する部分。
次に、e)この外形に合わせて地上に掘立柱を立てる。柱頭は、枝がY字型になる部分を使うようです。そして、f)地上に組んでおいた小屋組を持ち上げて骨格の完成。
外壁は cladding of cob 、wattle-daub 、turf 、stone など、表情の違う方法が地域に応じてあるようです。
wattle-daub というのは、小枝を編んで土や石灰を塗り付けた仕上げ、日本の小舞壁のこと。 cladding of cob は「荒土でくるむ」意のようですから、いわば「塗り篭め」。ただ、wattle-daub とは区別されていることから、つくりかたは、練った土を積む「版築」のようなものと思われます。
turf には「芝」の意もありますが、stone と並んでいることから、「芝」ではなく「切り出した泥炭の塊」のことと思われます。
つまり、版築、小舞壁、石や泥炭を積む、という異なった方法が、地域ごとにあったのです。
この方法は、円形、楕円形、長方形、正方形・・その他どんな形にも対応できるので、石器時代このかた、使われたはずだ、と同書は解説しています。

でも、小さなものならばともかく、大きな建屋になれば、持ち上げることは不可能です。
その場合は、小屋組をいくつかに分解して持ち上げたようです。
分解法は説明がありませんが、図のd)f)で分るように、ring-beam はいくつかの丸太を継いでいますから、その部分が分解の目安になったものと思われます。

この Rafter roof のつくり方では、空間の大きさに(特に幅:梁間:スパンに)限界があります。大きくしたいときはどうするか。
それが aisles の方法です。
先の図が「上屋」であるとすると、それに「下屋」をつけて大きくする方法。「上屋」が nave 、「下屋」が aisle 。
これはまったく日本の場合と同じです。

下の図の左は、イギリス南西部のチェダーにあった1120年頃に建てられた the Royal Saxon Palace の East Hall と呼ばれる BAHN の梁行断面図。復元想定図のようです。
しかし、Rafter roof 構造では、いささか大きすぎて、しばらく経って、大きさを縮小したのだそうです。それが右側の図。



また、地域によっては、掘立柱を用いず、地面・基礎から cruck :「湾曲した登り梁」を組む方法をとる事例があり、その場合の断面図が下図。
この実例は、前掲の先のシリーズの記事で紹介しました。



Rafter roof の特徴は、X型に交差する場合も含め、長い斜め材:brace の多用にあるようです。
解説には Rafter roof の組み立ては、brace の取付けを含め、lap-joint によっている、とあります。
lap-joint とは?
英和辞書では「重ね継ぎ」とありますが、どうもしっくりこない。
日本でなら何と呼ぶのが適切か。

それについては、図解があるので、次回に考えることにします。

   註 斜材:brace の使い方について  [註記追加 9日 21.51、10日 10.16]
      ここに示されている斜材:brace の使い方を、
      日本の木造建築で「推奨されている筋かい」の使い方とを比べてみてください。
      あるいは、RC、鉄骨造で「耐震補強」でなされている使い方とも比べてみてください。
      いかに現代日本のそれは「みみっちい」使い方であるかが分ります。
      この「みみっちさ」に、現在の日本の構造理論の限界が表れている、そのように私には思えます。
      中世の工人たちの方が(洋の東西を問わず)、全体が見えていた、ということ。
      そして、その大らかさ!
      柱間の一部に「ちまちま」と入れるなどということをしていない。
      第一、柱間は、人の通る空間なのだ。建物は人のためにつくる。
      それに比べ、日本の構造理論家たちの、何と「こざかしい」ことか!
      彼らは、建物は「耐震」のためにつくるもの、と勘違いしている。
      人の生きる空間を「耐震化」する、という視点を見失っている。
          

なお、チェダーという町は、チェダーチーズの発祥の地。下の地図の赤丸で囲んだサマーセット州の小村。探したけれども、載っている地図がありませんでした!




建物をつくるとは――の続きは・・・・ただいま工事中!

2010-11-29 19:42:35 | 建物づくり一般


一段落したのですが、追加があった!ので、工事が遅れています。あと少しかかりそう。
そこで、写真でお茶を濁す次第・・・。

これは、かつての「常陸国国府」、現在の石岡市にある「常陸総社」の紅葉。夕刻です。
「常陸総社」は、筑波山東麓から霞ヶ浦にそそぐ「恋瀬川」に面して立つ常陸国一宮。舟で来て、川岸から段丘の急坂を登って参詣したのだそうです。
この参道を登りつめたあたりから「恋瀬川」の方、ちょうど西にあたります、を見た風景。残念ながら、昨年の写真!です。

The Last of the Great Aisled Barns-8

2010-11-25 15:32:27 | 建物づくり一般
  ほぼ一段落しましたので、Aisled Barns の紹介から再開します。

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[文言追加 26日10.36、10.54][註記追加 27日16.56]

“Silent Spaces――The Last of the Great Aisled Barns ”( Little, Brown and Company 1994年刊)所載の建物紹介は、今回が最後です。

今回は、ヨーロッパから北アメリカに移住した人びとがつくった bahn 。
移住した人びとは、それぞれ、生まれ故郷のつくりかたで建物をこしらえたようです。
そのため、北アメリカには、ヨーロッパ各地域のつくりかたによる建物が、それぞれの入植地にあります。

今回は、同書に載っているオランダの入植者が18世紀に建てた建物。
Deertz bahn とありますが、Deertz の意味が不明です。固有名詞?

当初、Middleburgh(Schoharie Country), New York に建っていたと説明にありますが、この場所も手持ちの地図では見つかりません。末尾の h のないMiddleburg という地名はワシントンの北にありますが、そこは New York 州ではない。 New York 州は、オンタリオ湖の南部一帯。多分そのあたりの平野部にあるようです。

下の写真は、移築のために下見板( weather boards )を剥がした状態。
「差物」を多用した、と言うより、「横材」はすべて「柱」に「差口」で納めている、骨組が見えます。
「差物」「差口」は、前回までに紹介したヨーロッパの例にも多く見られます。
「差物」「差口」は、決して日本の木造建築の特技ではないのです。誰だって、同じことを考えるのです。




その実測図が下図。柱間は6間。平面は、60ft×50ft(18.25m×15.25m)。
ヨーロッパの bahn との大きな違いは、石の上に直かに柱を立てるのではなく、石の上に流した「土台」上に、「枘差し」で柱を立てていること( tenoned into longitudinal timber sills )。
緩い北斜面に建っていたようです。



「土台」が使われた、ということは、入植者たちが建物づくりに習熟した人たちばかりではなかった、ということを示しているのではないでしょうか。

「礎石」の上に直かに「柱」を立てるには、熟練の技を必要としますが(「礎石」の天端をすべて同じ高さに据えられるとはかぎりませんから、「礎石」ごとに「柱」の長さを調節しなければならない)、「土台」を使用すれば、誰にでもできるからです(「土台」を水平に据えることは比較的容易、そうすれば横材が角材なら、「柱」の長さは全部同じですむ)。
日本の城郭づくりと、同じような状況だったのでは。

「柱」の中途に、床位置とは関係なく「横材」が入っていますが、これは「飛貫」同様の役割を担っているものと考えられます。


以下は、移築時の建て方の様子です。
1990年代の移築ですから、クレーンが使われています。
先ず、「身廊」:上屋に当たる部分を建てます。両妻、そして中央の列を先行したことが分ります。



柱の外面に打たれている斜材は、「仮筋かい」。
「仮筋かい」は部分的に入れられていますが、本体に入る斜材は、同じ位置に、すべて入れられていることに留意してください。
入れるなら、全部に入れる、これが「斜材」を入れるときの鉄則。


次は、模型の写真のようですが、左が上の写真の段階の、長手方向から見た写真。
右は、軸部が側廊:下屋 aisle まで組み上がった段階。
まわりの景色は、ヨーロッパの風情ではありません。



次は、「仕口」(「枘差し・込み栓」)のクローズアップと合掌まで仕上がった写真です。これも、まるで模型のよう。



側廊側面の「柱」頂部の「斜材」:「方杖」は、両妻位置と中央の「柱」にのみ設けられていますが、「桁」を中央の柱上で継いでいるからのようです。日本では「肘木」を据えるところです。

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ここまで、各地域の木造を主とする Aisled Bahn を紹介してきましたが(イタリア・ドロミテの木造を主とする建物群も過日紹介しました)、人びとが考えることは、洋の東西を問わず、地域によらず、同じである、ということを、あらためて強く感じています。
その土地土地の状況において、人びとはそれぞれなりに建物づくりを考える。
しかし、そのとき人びとが考える「構築の原理」は、結局のところ、同じである、ということです。考えてみれば、きわめて当たり前のこと。

そして、今、日本で、「伝統」「伝統工法」・・と騒いでいることが、ますます馬鹿げたことだ、と私には思えてきました。
なぜなら、日本の建物づくりの「構築の原理」もまた、人びとなら必ず至りつく考えにほかならないからです。
「伝統」「伝統工法」と騒ぐ方がたは、それを「原理」という眼で捉えているようには、思えないのです。単なる「形」としてしか捉えていないように思えるのです。
「伝統」とは、形ではない。もちろんファッションではない。その意が、ますます強くなってきました。

このような日本の「特異な状況」は、ここ1世紀足らずの間の一部の人たちの考え方(耐力壁に依存する考え方)によって人為的に為されてきたこと、その結果生じた現象である、これは、今さら言うまでもないでしょう。
この人たちは、耐力壁に依存する考え方の《普及》のために、「普通の人びと」に「事実を知られないよう」に必死になった。その結果、人びとは「事実を知ること」から遠ざけられてきたのです。[文言追加 26日10.36]

なぜそうしたのか?
自らの《「学」の権威を維持するため》である、としてしか私には考えられません。なぜなら、この人たちの論理には「理」がないからです。

このような状況を「普通の」「当たり前の」状態に戻すには、人びとが「事実を知る」こと以外にありません。
広く、一般に「事実」を開示することです。
「事実」を「一部特権者」の下に秘匿しておいてはいけないのです。
普通の、一般の人びとの存在を無視して、《専門家》が専制的に勝手なことをする、そんなことを放置しておいてよいわけがないのです。

《専門家》が勝手なことができないようにする「最良の策」、それは、「皆が事実を知っていること」、これに尽きるのです。
私はそのように思っています。[文言追加 26日10.54]

   註 「伝統」「伝統工法」・・と騒ぐことを馬鹿げたことと思うわけを補足します。

      法令を「伝統的工法」の仕様が可能になるように改訂せよ、という「要望・要求」がなされています。
      たしかに、そうなれば、当面、「伝統的工法」が「可能になるように見えます」。
      けれども、建物づくりの「仕様」は、本来、「場面場面で工夫・考案される」ものです。
      法令で規定を定めると、どうなるか。
      使える「仕様」が規定され、それ以外は不可。「場面場面での工夫・考案」
      言い換えれば、工人の「創意・工夫」は禁じられてしまうに等しいのです。
      現に、現行の法令規定によって、私たちは苦労しているではありませんか。
      「伝統的工法」仕様が可能になったところで、「創意・工夫」が禁じられることに変りはないのです。
      それでいいのですか?「自由」が広がった?狭いより広いからいい?・・・

      いわゆる「伝統的工法」は、なぜ、一定の体系にまで仕上がったのか。
      それは、つまるところ、年月をかけての「醸成」にあります。
      しかし、この「醸成」は、工人たちの「場面場面での創意・工夫」がなければ「なされなかった」。
      第一、かつて、工人の「創意・工夫」を「規制」するようなことがあったでしょうか。

      法令や「指導」で「創意・工夫」を規制することは、
      「技術の固定化」「技術の衰退」を結果する、
      これは自明の論理ではないでしょうか。

      当面の状況の打開にのみ邁進するのは、私には不可解なのです。「姑息」に写るのです。
                                       [註記追加 27日16.56]

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   今回の最後に、講習会の「案内」をさせていただきます。
   下記をご覧ください。
   こういう event 案内に徹したHPがあるのを、初めて知りました!
   http://www.kenchiku.co.jp/event/detail.php?id=2416

The Last of the Great Aisled Barns-7

2010-11-13 17:54:32 | 建物づくり一般
“Silent Spaces――The Last of the Great Aisled Barns ”( Little, Brown and Company 1994年刊)所載の建物紹介を続けます。

今回は、イギリス WILTSHIRE 州 BRADFORD-on-AVON にある事例。
BRADFORD という町はイギリス中部にもありますが、 WILTSHIRE 州は、辞書によるとイギリス南部の地域とあります。したがって、中部の町ではない。
BRADFORD-on-AVON の on-AVON は、地図を見ると AVON 川というのがありますから、多分、その川沿いの BRADFORD という意味と解釈し(日本の飛騨・高山、常陸・太田などというのと同じ)、下にそのあたりの地図を載せました(この地図には WILTSHIRE 州という名は載っていません)。
AVON 川には傍線を振り、その流域の地域を円で囲んであります。あくまでも推定です。



説明によると、tithe bahn とあります。tithe とは「十分の一税」のこと。それで納められた穀物を収納しておく納屋だそうです。
当時、農民は、収穫の「十分の一」を、その地の領主に「物納」していたようです。

この建物には、aisle 「側廊」:「下屋」がありません。
柱間が14間。平面の大きさは167.5ft(51m)×30.25ft(9m)。

壁部分を石積みでつくり、小屋は「木造アーチ梁」。
石の壁の高さは、梁行が30ftから推定して、16~7ftはありそうです。約 5m。
一個の石の幅が 1ft:約 1尺はありそうですから、壁厚はおそらく 2ft:約 2尺≒60cmはあると思われます(石の厚さ:高さは、0.8~1ft程度のようです)。



下は側面に設けられる出入口部分。
石壁と木造小屋組との取合いがよく分ります。
石壁上に「枕」になる木材(「枕木」)を据え(断面は石の断面に相当)、「束柱」を立て「垂木」を受けています。
木造のアーチ梁は、石壁の中途で、壁に「枕木」を埋め、そこで受けています。

小屋を「枕木」で受ける方法は、地域によらず組積造に共通する方法で、小屋が鉄骨になっても採られています(旧信越線「横川」の煉瓦造変電所や喜多方の煉瓦蔵も同じ方法です)。

以前に、日本の古代の寺院建築で用いられた「頭貫」は、「組積造」に「起源」があるのではないか、と書きましたが、この写真の出入口の上を飛んでいる「枕木」の様子を見ると、その推定は間違いないだろう、と思えてきます(中国の木造建築は、元来、組積造と木造のハイブリッド、そこで生まれた木造技法がそのまま日本に伝わった)。



小屋のアーチ梁の詳細が下の写真です。なお、部材の名称は、私が仮に(勝手に)付けた名称です。



アーチの形状は、両側の壁から出た「方杖」が受ける「登り梁」と、それが受ける「微妙に湾曲した陸梁(ろくばり)」、そして「登り梁」と「陸梁」との鈍角部に設けられる「微妙に湾曲した斜め材:火打ち」によって構成されます。

   日本では一般に、このような斜め材を「火打ち」と呼んでいます。
   火打石を使っていた頃、打ち付ける金物が三角形をしていたことから、
   「斜め」を称して「火打ち」と呼ぶようになったそうです。
   工人仲間の符丁だったのではないでしょうか。(「日本建築辞彙」より)

「火打ち」が「陸梁」「登り梁」に接する部分は、全長にわたって「枘(ほぞ)」をつくりだし、陸梁に彫られた「枘穴」にかませ、「込み栓」打ちにしてあるようです。

さらに、この「登り梁」は、1本で伸びるのではなく、その上部は、先の「陸梁」の上に新たに置かれています。あるいは、先の「登り梁」などで構成された小屋の上に、新たにAの字型の小屋を組んだ、と言ってもよいかもしれません。

いずれにしろ、このような方策は、まさに、広葉樹ゆえの仕事です。


次は、全体の形は似ていますが、壁部も含めてすべて木造の事例です。



この建物は、イギリス南西部の WORCETERSHIRE 州(ウスターシャー州)にある14世紀に建てられた柱間10間、平面が100ft(30.5m)×27ft(8.25m)、この地域最大の cruck bahn 、と説明にあります。

先の地図の上部、バーミンガムの南西にウスター: WORCETER という町があります。そのあたりが WORCETERSHIRE 州だろうと思われます。なお、WORCETER は WORCETER SAUCE :ウスター・ソース発祥の地とのこと。

cruck bahn の cruck とは、「中世の建物の土台から屋根の頂まで延びて屋根を支える湾曲した一対の大角材の一」とのこと(研究社「新英和中辞典」による)。
この建物の場合、角材の寸法は、土台に接する位置で、20in(51cm)×14in(35.5cm)の1本もの。たしかに巨大な木材です。当然広葉樹です。

cruck という「特殊な」語彙が存在することから考えると、中世のイギリスには、このようなつくりの建物が、当たり前のようにあったのではないか、と思われます。

壁は下部が煉瓦を充填した真壁。外部は、大壁になっているように見えます(煉瓦2枚あるいは3枚積み)。上部は板張りのようです。
ただ、外観の写真がないので、いずれも詳細は不明です。


今回の最後に、“Silent Spaces――The Last of the Great Aisled Barns ”に載っている中世イギリス(14~15世紀)の収穫風景(麦の収穫と思われます)の絵を、まとめて紹介します。



このような立派な納屋はありませんでしたが、この風景は、馬を牛に代えれば、私が子どもの頃に目にした風景そのものです。
   砂利道の坂を行く牛車を、学校の行き帰りに、よく押したものです。
   その道は、今の環状8号線。今から60年ほど前の話です。
私の家の隣は地付きの農家。茅葺の家の前庭で、麦秋の季節、梅雨の晴れ間を縫って、この絵と同じ方法で脱穀をしていました。
こういう工夫も、地域によらず同じなのです。
   日本はイギリスから学んだのだ、などと思わないでください!
私が見たのは、回転する部分がもう少し大きかった(長かった)ように思います。
これが、ぎーこ・ぎーこと唸る足踏みの脱穀機に代るのはしばらく後になってからのこと。

ものすごく印象に残っているのは、作業終了後、あたりの地面には一粒も麦が散らばっていなかったこと。今は、コンバインが去った田んぼには、かなりの籾が散らばっています!
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The Last of the Great Aisled Barns-6

2010-11-05 17:26:16 | 建物づくり一般
[文言訂正 6日 7.47]

“Silent Spaces――The Last of the Great Aisled Barns ”( Little, Brown and Company 1994年刊)所載の建物紹介を続けます。

今回はイギリスとベルギーの例。

はじめにイギリス南部のケント州アッシュフォードにある農家。

ケント州アッシュフォードは、下の地図で地名を円で囲んでありますが、このシリーズのはじめに紹介したフランスの事例の所在地、SEINE-MARITIME:セ-ヌマリティム、CALVADOS :カルバドス の対岸にあたります。[地名に英文追加]



下は外観。緩い傾斜地に煉瓦の基礎・擁壁をつくって、その内側に盛り土をして平坦にしているのでしょう。

屋根は板を並べてゆく板葺きと思われます。下の内観で垂木に直接載っているのが分ります。あるいはシングル葺き(割り木を重ねてゆく)。

最近つくられた、と言ってもおかしくありませんが、つくられたのは15世紀中ごろとのこと。

写真の説明によると、当地域の「自作農」:「自由民」( yeoman )が、まわりの修道院にある bahn のつくりかたに影響されてつくったのではないか、とあります(西欧中世の「身分」「階級」は、調べていないので、よく分りません)。[英文追加]



下は内部です。まさに納屋そのものの使い方。脱穀に使っているようです。



梁を受ける「方杖」の「柱」と「方杖」の両者には、下の写真のように、「記号」が彫られています。
これは、日本の「番付」に相当する組立ての際の利便のため。

日本の「番付」は、現在は「いろは・・」と「一、二、三・・」の組合せで付けられますが、中世には「絵」で表しています。
組み合わせる2材に同じ「絵」「記号」を記しておくいわば「絵合わせ」。それと同じ発想と考えられます。ただ、日本の場合は、彫らずに墨で記した。

   
  
   ただし、現在の建築教育では、
   水平方向はX、Y、縦方向をZで示し、それと洋数字の組み合わせで示すように教えられる。
   たとえば[X2・Y5(・Z2)]のように表示され、記入文字が多すぎ、しかも分りにくい。
   これは、現場のことを知らない(忘れた)偉い人たちの机上の《アイディア》。


次はベルギーの LIMBURG:リンブルフ地域の農家。1697年に建てたという記録があるようです。
リンブルフというのは、下の地図の円で囲んだあたり。
先に紹介したドイツの LOWER SAXONY : NIEDERSACHSEN の南西、陸続きの一帯です。と言っても、数百キロ離れていますが・・・(この地図の右上が NIEDERSACHSEN )。



下の写真は外観。
屋根は茅葺、寄棟。
図面がないので不詳ですが、上屋:nave (身廊)の四周に下屋:aisle (側廊)がまわされたつくりと思われます。
上屋の端部を斜めに切り上げて「寄棟」型にしてあるわけですが、切り上げなければ「入母屋」型になる。ただ、西洋では見かけないようです。[文言訂正 6日 7.47]

壁のつくりが分りません。目地のような線が見えますから、厚いパネル状のものを張っているようにも見えます。



この写真は、出入口部分。
上屋の垂木の上に、もう一段垂木を束柱で支えています。その二段目の垂木の勾配を少しずつ変えて曲面をつくりだす。これは日本でもやる方法です。



なお、この建物は、現在「屋外博物館」( open-air museum )に移築されて保存されているとのこと。


こうして見ると、現在の所属する国名は違いますが、往時は、海を挟んだ地域も含め、ほぼ同じ環境の地域一帯には、同じようなつくりかたの建物が多数つくられていたことが分ります。

考えてみればそれは当たりまえ。基本は「人」。
その同じような環境で、「人」はどのように暮すか。おそらく似たような暮しになるはずです。

「国」概念は、人の歴史で言えば、ごく最近のもので、第一次世界大戦まで、明確な線としての国境はなかった、と聞いたことがあります。
その大戦の因は、資源争いだった・・・!今になってもやっている。

太陽光利用が今以上に盛んになると、太陽のあの部分はオレのものだ、などと言って太陽に国旗を立てたがる人たちも出てくるのかも・・!現代のイカロス?

ある種の近現代の「偉い人」たちよりも、中世の「自由民」たちの方が、考え方が「自由」「柔軟」そして「真っ当」だった、私にはそう思えます(西洋にかぎらず、日本という地域でも)。
上掲の地図を見ていても、この「国境線」はいったいなぜ此処なのだ、と思わず考えてしまいます。多分、妥協の産物。

The Last of the Great Aisled Barns-5

2010-10-26 09:09:11 | 建物づくり一般
“Silent Spaces――The Last of the Great Aisled Barns ”( Little, Brown and Company 1994年刊)所載の建物紹介の続きです。

今回は、ドイツの LOWER SAXONY : NIEDERSACHSEN (ドイツの州名)の地域の OSNABRUCK 近郊にある1750年に建てられた農家。
46ft(14m)×118ft(36m)。下の写真は、幅46ftの正面:妻面です。

今は移築されて博物館に在るようです(写真の解説文参照)。



NIEDERSACHSEN とは、「ザクセン低地」とでもいう意味なのでしょうか。
NIEDERLANDE:NETHERLANDS 低地の国:オランダ。

今回は、解説の文字が読めるように、図版を、ちょっと大きすぎるかな、という大きさにしました。

下に、平凡社「常用 世界地図帳 1985年版」から LOWER SAXONY 地域の地図を載せました。
1985年版ですから、まだ「ドイツ民主共和国」があった頃の地図です!



SAXONY というのは、英和辞書によりますと、エルベ川とライン川とに挟まれた地域で、古代 SAXON:サクソン民族が居住した地域、とのこと。
エルベ川、ライン川には黄色の線で、そして LOWER SAXONY: NIEDERSACHSEN にはオレンジの線でアンダーラインを付けました。
OSNABRUCK (オスナブリュック)はオレンジの線の四角で囲んであります。

この町の緯度は、北緯52度。北海道のさらに北、樺太(サハリン)の中部にあたります。 LOWER SAXONY全体が、51度以北!

エルベ川とライン川:この二つの大河の間の距離は約500km。東京~大阪がすっぽり入ってしまいます。
日本を見慣れた目には、ちょっと想像できない大きさの平野です。

下の写真は、出入口の詳細。
この建物も、上屋+下屋(母屋+側廊)のようなのですが、図面がありません。
正面:妻面の繁く入っている柱は、46ftという幅から計算して、@約0.9m程度ではないかと思われます。
ほぼ柱と同じピッチで、柱と同じ断面と思われる横材が入っていますが、各材は柱に「枘(ほぞ)差し、込栓打ち」で納めてあります。要は差物。こうしてできあがる軸組の空隙部を煉瓦で充填して壁になる。
北緯52度ですから、極力、開口部を少なくし、保温性のよい煉瓦にしたのでしょう。もちろん、それ以前は小舞を掻いた土壁のはず。
日本なら「貫」にするところ。厚い壁にしたいためだと思われます。

   註 煉瓦と土の保温性能は、ほぼ同じです。
      そして、その「保温性能のよさ」は、伝導率ではなく、
      「潜熱」に拠るもの、と考えられています。

建て方には大変に手間がかかったものと思われます。中世には考えられない。



写真の解説には、この出入口の構えは、石造の教会建築の影響だろう、とあります。

全般に凝ったつくりで、中世の建物にあった素朴さは感じられません。
日本でも近世も末になると同じような現象が見られますから、こういう傾向は、いずこも同じなのかもしれません。

次は、妻面の詳細と棟飾り。
よく見たら、茅葺でした。
この破風の飾りかたは、日本でも見かけます。こうしたくなる「気持ち」も、いずこも同じ、という感じを受けます。



次は、妻面の出梁・桁部分の詳細。
梁の小口に彫物がつくれるのは、材が堅木だからだと思います。日本では、「木鼻」がせいいっぱい。
よく見ると、一本ずつ、彫られているものが違うようです。



迫出しの支えに設けられている「方杖」は、日本では「肘木」でつくるところ(方杖がないわけではありません)。
柱へは、多分、「枘差し」と思われます。そして、梁へは「枘差し 込み栓」、しかも2本。

「方杖」に施された「彫り」。日本でも、こういう箇所には同じような「彫り」が見られます。たとえば、雨戸の戸袋の側板の下部。
そうしたくなる「気持ち」も分ります。
もっと激しいのは、禅宗様の寺院。中国伝来ですから、中国の人たちも、同じような「気持ち」を抱いたのでしょう。
もっとも、これも、当初、中世以前なら、何も彫らずに素材のままだったはず。

少しゆとりが生まれると「彫りたくなる」。この気分、気持ちはよく分ります。
それをどの程度で止めておくか、何となく、その「程度」に、「時代」が反映されるような気がします。
「程度」を決めるのは、所与の目的を、どう意識しているか、その「意識」の程度。
ひどくなると、「所与の目的」が何だったかをも忘れてしまう。つまり、意識下にもなくなる。それが多分「現代」。