建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

近時雑感 : 棒になった話

2014-09-28 11:00:20 | 近時雑感
[追記追加 20.00][各所文言補訂 29日10.15]

発症以来初めて東京へ行ってきました(家内の見守り付です)。一昨年の暮に山梨へ行ったのが最後でしたから、一年九ヶ月ぶりです。
行き先は入院している知人のお見舞いに、御茶ノ水の東京医科歯科大学病院。

電車の乗り降りは別段問題はありませんでしたが、難儀をしたのが駅の構内。エスカレーターやエレベーターを探すのに結構手間取りました。多くの場合、辿りつくまで、かなりの距離を歩かなければなりません。
大きな駅には、ホーム間をつなぐ連絡通路が数本ある場合があります。
しかし、そのそれぞれに、エスカレーターやエレベーターがあるとは限らないのです。下図は上野駅の構内図です。

図の上が上野公園側になります。上野駅は、図の手前側が開業当初の駅になります。東北・上越・常磐各方面への長距離列車の発着ホームになっています。その後山手線が敷設され、そのホームは上野公園のある山側に設けられました。したがって、上野駅は二段になっています(現在は、低い方のホームの上にもホームが高架でつくられています)。したがって、これらのホーム間の連絡は複雑です。図のように、現在、3本の連絡通路が設けられています。当初の連絡通路は、一番左側の「中央乗換通路」と呼ばれ、山側では地下になっている通路。中ほどにあるのが「公園口通路」、この2本だけでは不便だということで造られたのが、右手の「大連絡橋通路」です。

今回、御茶ノ水へは、土浦~(常磐線)~上野~(山手線)~神田~(中央線)~御茶ノ水のルートにしました(通常は秋葉原で総武線に乗り換えるのですが、秋葉原は混雑するし連絡路も複雑で私の脚には負担だと考え、神田乗り換えにしたのです)。
   念のため、各駅の構内案内図は事前に調べたうえのルート選択です。
土浦~上野は特急を使いましたので、上図の一番手前の⑰番ホームに着きます。そこから「大連絡橋」までエスカレーター。
しかし、そのエスカレーターは、図で分るように、直接「大連絡橋」には着かず、その1本右手の小連絡橋に着きます。改札口は、エスカレーター到着地点から10数段ほど階段を上がったところ。この段差にはエスカレーターはない。ここが最初の「難関」。しかし、問題なく通過。
   今回の外出では、普段はまったく使わない「杖:T字杖」を用心のために持ってゆきました。これは正解でした。
乗り換えの山手線は③④番ホーム。
ところが、そのホームへのエレベーター、エスカレーターは「大連絡橋」にはない。ゆえに「公園口通路」を使うしかない。そこまでの歩行コースを、図上で辿ってみてください。健常な場合でも結構な距離です。しかも、流行りの「エキナカ」の中を歩くのです。「お上りさん」の私は、健常な時でも、よく人にぶつかりそうになる場所です。幸い、そういうこともなく、何とか目指すホームのエレベーターに到着。思わずホーッと息をつきました。
   「大連絡橋」にエレベーター、エスカレーターがあれば、健常な人にとっても、負担・ストレスは大幅に減るはずです。
   もっともそうすると「エキナカ」に人が来なくなる?!それを避けるためにエレベーター、エスカレーターを設けないのだ、とは思いたくはありませんが・・・。

神田の乗り換えは楽でした。空いていたし、降りてすぐにエレベーターが見付かったからです。

御茶ノ水に着きました。この駅が難物でした。
もともと狭隘な場所にある駅ですからホームの幅が狭い。エレベーター、エスカレーターなど設ける余地がないのです(現在、水道橋寄りに移設し改良する計画が進行中のようです)。
やむを得ず、階段を使うしかありません。人通りの少なくなった頃を見計らい、左手でときおり手摺を掴み、右手で杖を突き、何とか登り切りました。かなりくたびれました。
   普段の散歩コースに、水平距離50メートルほど、高低差10mほど一気に登る山中の道のような急坂があるのですが、そこよりもくたびれました!

東京医科歯科大学病院は、病院の案内では御茶ノ水駅から歩いて1分とありました。病院のHPから周辺図・配置図を転載します。

御茶ノ水橋を渡り、バス通りを越えれば病院の「お茶の水門」。病院のエントランスは、そこから一段高い位置、バス通りから見れば二階に相当する高さにあるらしい。それゆえ、バス通りからは階段かスロープでその段差を登ることになるのです。これが「歩いて1分」の正体。
配置図の「お茶の水門」の文字のところが階段の始まり。階段の左側にスロープが並んでいます。図では分りにくいので、そのあたりの航空写真が次図。

この写真は工事中の撮影らしく、病院の建物のあたりは現在と異なるようです。写真の中に、丸印を付けましたが、左下がエントランスまでの歩行の基点(バス通りの歩道の端部)、右上が終点(出入口のある建物端部壁面)の位置です。その間、水平距離で約40メートルあります。基点からその中ほどまでがスロープになっています。その右手が階段です。目の前に、スロープ・階段越しに、10何階かの病院・病棟(配置図の「医科A棟」)が聳えていました。
   地上階には、自動車向けの入口があるらしかった。
   配置図の立体駐車場の右手にバス通りからの車の進入路があります。上掲の航空写真は、このあたりの様子も現在とは異なります。
横断歩道を渡って、この階段とスロープ越しに建物を見上げた時の私の気持ちは、あまりの「感激」でうまく言い表せません。
あえて言えば「何だこれは!」。
建築設計を生業としてきた人間として、この病院の「計画」が信じられなかったからです。
当然ながら私はスロープを使いました。もちろん、スロープの勾配は、法令を遵守しているのでしょう。しかしながら、登りきるまでの時間は、先ほど登ってきた御茶ノ水駅の階段よりも長く感じました。山頭火には失礼ですが、山頭火風に言えば、「登っても登っても尽きぬ坂」。
黄土色のタイルが敷き詰められ、踊り場も、多分法令通りの位置に設けられているようですが、一面のタイル敷きゆえ、見分けがつかず、ひたすらスロープが続いているように感じられ、踊り場で一休み、という感覚はまったく持てないのです。
登り切ったときの疲労感は、御茶ノ水駅の階段よりもひどかったのを覚えています。
私は、健常な時でも、多分同じ感想を抱いただろうと思います。誰も、違和感を感じないのだろうか?
しかも、ここは病院へのアプローチ。病気の方がたが多く通るところです。
第一の疑問は、何故、メインエントランスが地上階にないのだろう?ということでした。人は、2階レベルではなく地上を歩いてくるのです。皆が皆車やタクシーで来るわけでもないのです。
したがって、地上階をアクセス階にするのが、設計上の「いろは」の「い」:基本である、と私は思います。もしかしたら、どうしても、という事情があったのかもしれませんが、その場合でも、この設計上の基本を如何にして維持するか、真摯に考えて当然である、と私なら考えます。
しかし、そこで私が見たのは、一階分の段差をスロープにする、という策だけでした。そのスロープも、法令を遵守すれば文句ないだろう、とのようにしか見えなかったのです。
   側壁に取付けてあるステンレスの手摺も、付けてあればよいだろう、というだけのように見えました。使う気にならないのです。

先ほど触れた散歩コースにある急坂をはじめ、近在の道には、このような素っ気ない道はありません。
どれもみな、いわゆる「けものみち」の如くに、近在に暮す人びとが、その暮しのなかでつくりだした道です。
そういう道は、目的地に、「気分よく」歩いてゆけるように造られます。もちろん、なるべく早く着くことは大事ですが、だからと言って、自らに「無理がかかるようなことにはしない」のです。それゆえ、「気分よく」歩けるのです。自らの「感覚」「感じ方」を大事にしているのです。
だから、そういう坂道を登っても、体がつかれても、気分の上で、「イヤな気持ち」は残らないのです。つまり、ストレスがかからないのです。
   参考:「道:どのように生まれるのか」[追記 20.00]
階段やスロープの設計というのは、もともと人に重力に逆らう「無理な動作」をお願いすることです。それは設計時点で最初から分っていること。
それゆえ、階段やスロープを設計する際には、その「無理な動作」が、人にとって過剰なストレスにならないように考える、これが当たり前ではないか、と私は思っています。
登山道というのは、ほとんどが、その山に登る人びとが歩くことによって自ずと生まれたものです。九十九折りの登山道は、頃合いのよい所で折り返し、歩いていて気分のよいものです。
ところが、この病院前のスロープは、心底、気が滅入りました。もしも機会がありましたら、このスロープを実際に歩いてみてください。

   人の行動の多くは、外界からの「刺激」に対応するものですから、必ず何らかのストレスは生じます。
   「ストレス」とは、辞書的に言えば、「外界から与えられて刺激が積もり積もった時に防衛反応として示す、生体の肉体上・精神上の不具合」のこと。
   したがって、私たちは、自らの感覚で、自らの体の状態・様態に応じて、「不要な外界からの刺激」が生じないように心しているものです。
   簡単に言えば、「わざわざ」疲れるような行動・行為はしない、ということです。
   だから、自ずと出来あがった「けものみち」のような道は、歩いていて「気分がよい」のです。


そして思いました。現在の建築の世界は、特に都会では、これが当たり前になっているのだ、と。
病院の中も、だいぶ前に書いた案内板がなければ歩けない「迷子になる病院」同様でした。

知人を見舞い、来たルートを逆にたどり、何とか無事に家に帰りつきました。

土浦駅から自宅までは、車を運転するのですが、帰り着いて、運転席から降りるとき、左脚を外に出そうとしても、自由に動かせず、まるで荷物を下ろすかのように、手で左脚の脛を持ち上げ、外に出しました。
くたびれて脚が棒になる、という表現がありますが、まさにその通り、左脚が「棒になった」ような感じでした。
普段の散歩では、どんなに歩いても、そうはなりません。多分、肉体疲労のうえに不要なストレスがかかったからだろう、と思っています。
幸い、一晩寝たら、元に戻りました。

私にとって、都会は今や、以前よりも更に鬼門になりました。
毎日のように、不要なストレスに曝されながら暮しておられる方がたに、畏敬の念を抱かざるを得ません。   
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「学ぶということ」について

2014-09-22 13:31:05 | 近時雑感

例年より早く、十日ほど前から路傍でヒガンバナが咲いています。これは庭の一隅の一叢。
朝は室内でも20度を割るようになってきました。数日前からファンヒーターの出番です。
これも、一ヶ月は早いように思います。ネコたちは喜んでます。



「普通に体を動かせない」という「貴重な体験」をして以来、日ごろの自分の「動作」を具に観察するクセががつきました。そうするといろいろな「発見」があります。

たとえば「バリアフリー」。段差をなくせば躓かなくなる、と言われます。脚の動きの前方に障害物・バリアたとえば段差がある、それがなければ、つま先がぶつからずに歩を進められる、これが常識的なバリアフリーの考え方だと思われます。
しかし、それでは十分ではない、ということを実感しました。平坦な場所でも躓きかけることが結構あるからです。具体的には、靴底が地面を擦るのです。摺り方が強ければ転倒する:つまり躓くのです。幸い、退院以来、一度も転んだことはありませんが、靴底を擦る経験は、今でもあります。

これはいったい、どういうことなのか、観察を続けてきました。
結論は至って簡単なものでした。
地面・床面に対する脚:靴の動作の「タイミング」が適切でないからなのです。つまり、動作の「調整制御・コントロール」が上手くできていない、それが躓いたり靴底を擦る原因のようです。この動作は、健常な場合には、至って簡単な動作です。地面・床面の状況に応じてそれに見合うべく脚の動作を微妙に調整しているのです。躓くのは、本人は脚を地面・床面に対し適切に動かしているつもりなのですが、実際は適切でないからなのです。
これを避けるためには、面倒でも、一歩ごとに「意識して動作をする」ように努めるしかありません。こんな面倒なことは、健常なときはやっていません。意識しなくても、自ずと脚の動かし方を場面に応じ調整しているからです。

それゆえ、単に障害物を取り除くだけではなく、躓きそうになる人には、「動作の要領」を「自覚してもらう策」がどうしても必要になります。私の場合、療法士さんは、その「援け」をしてくださいました。本人がこのことに「気付く」ように心してくれたのです。
それ以来、本人に「気付かせる」「自覚させる」こと、これが「介護の本質」なのではないか、と考えるようになりました。
   物的バリアフリーだけを「完備」すると、かえって、リハビリの援けにならないようにも感じています。
   人は楽な方がそれこそ「楽」ですから、「自ら何とかしよう」という「やる気を持たなくなる」ように思えるのです。
   そして一方、健常な人は、バリアフリー状態を完備したのだから、誰でも楽に動けるはずだ、と思い込むようになるのではないでしょうか。
   不自由な人の「不自由さ」の実態が、理解されなくなるのです。

ところで、先の「健常なときの状態」は、生れた時から備わっている「能力」ではなく、おそらく、赤子の頃からの幾多の「経験」を通して体全体が覚えこんだ「能力」なのだと思われます。
この「健常な場合のごく当たり前な歩行」ができるロボットをつくろうとしたら、多種多様なセンサーが多数必要になるでしょう。通常の歩行に際して当面するありとあらゆる場面に対応しなければならないからです。
そう考えると、人の「能力」とそれを維持している「人体」というのは、実に「凄い」機構である、と思わざるを得ません。


昔から、「学ぶ」とは「真似ぶ:真似をする」ことに始まる、と言われています。
リハビリを体験して、たとえば、躓かないで歩くというような「能力を身に付ける」「自分のものとする」までの「過程」が、実は「学ぶということの本質」を示唆しているのではないか、との「思い」が強くなりました。

真似をするには、先ず「真似すべき対象」を「見る」ことが肝要です。まさに「見よう見まね」です。
   見よう見まね:人のすることを見て、まねをしているうちに、自然に出来るようになる。(「新明解国語辞典」による)

左脚を「普通の様態」にすべく、私は、歩行時の右脚の動きの様態を歩きながら「観察」しました。そして、左脚でその真似をしてみるのです。つまるところは「歩行という動作」の観察です。この「動作」は、単純なようでいて、実は結構「奥が深い」ものでした。そういう「深遠・巧妙・神妙な」動作を、健常な場合には、何ごともないようにやってのけている!そう気が付いて感動したものです。

「真似」は、はじめは本当に「形の真似」をすることから始まります。しかし、「形の真似」だけで、右脚と同じに左が動けるようになるわけではありません。「真似ごと」を通じて、そのコツを読み取らないと、いつまでたっても「形」だけのままのようです。もっとも、多少でもマヒが遺っていると、コツを会得しても完治したことにはなりません。ただ、コツを覚えるか、覚えないかでは、様子が違います。コツを覚えれば、多少はぎこちなくても、無難に歩ける、躓かなくて済むようになるのです。

では、この「コツ」というのは何なのか?
それは、先に触れた「『歩くという動作』が『どのように為されているか』」を「身をもって知ること」と言えばよいでしょう、というより、そうとしか言いようがありません。「真似」をすることを通じて、「コツ」の習得に至るのです。

『歩くという動作』の要点は、先ず、「歩くとは、体を(前方に)移動させる」ことだ、ということを知ることにありました。
たとえば右脚の足先:つま先で地面を蹴ると、その反動で脚の付け根である腰が前へ押し出されます。
しかし、そのままでは、押し出された体は、いわば宙に浮いていることになり、それを避けるために、もう一方の足:左脚で体を支えることになります。
左脚が、体を支えると同時にそのつま先で地面を蹴ると、更に体は前に移動します。
その時、左脚は先ず踵で体重を受け、即座につま先の地面を蹴る動作へと動作を変えています。蹴ったつま先は素早く元に戻し、着地の用意へ切り替えることが必要になります。
この「踵~つま先の動きの合理的:スムーズな維持」のためには、きわめて微妙な「調整」が要ります。この「調整」がうまくゆかないと、靴底が地面を擦ってしまうのです。
この右脚と左脚のダイナミックにして微妙な動作を繰り返すのが、すなわち「歩く」という「動作」と言えばよいでしょう。

これはきわめて簡単な「動作」「仕組み」ではありますが、つま先で蹴るとき、宙に浮いた体をもう一方の足が支えるとき、その足には全体重がかかっています。しかも「速度」がついていますから、体重よりも重い荷がかかっています。
したがって、よろけずに体重を受け、効率よく全体重を後ろに蹴るには、脚の位置取りや体重の載せる方向:ベクトルの選択・・・など相当な「配慮」が必要になります。スムーズに足を出す「手順」「仕組み」を知り、実行に移す配慮・心づもり、と言えばよいかもしれません。
端的に言えば、この「体の仕組み」「動きの手順」の内で、最も「合理的な(と思われる)」「仕組み・手順」を、自ら探し出し、「身に付けること」、それが「コツ」の会得なのだと言えるでしょう。

   この「コツ」の修得状況を一人で確認するには、歩いているときの「影」の様子と靴音の確認が有効でした。
   スムーズに動いているな、と思えるときは「影」の動きもスムーズで、靴音もリズミカルなのです。
     このことが分っても、一旦マヒの生じた体で「歩く」のは簡単ではありませんでした。
     私の場合、当初は、左脚で地面を蹴る力が足りず、また、左脚に体重がかかるとき、うまく支えきれずによろけました。
     それを避けるために右脚が「奮闘しよう」としますから、右脚も疲れました。
     その原因は、マヒが生じてしばらくの間動かさなかったゆえに、脚を動かす筋力・体力が衰えたことにあったようです。
     そこで理学療法では、スクワットが奨められ、その結果でしょう、一定程度は回復しました。今でもやってます。
     傍からは、普通に歩いているように見えるようですが、本人にとっては相変らず左脚が重く十全とは言い難いのが現状です。

ここまで、「合理的」だとか「スムーズな」動きなどという表現をしてきました。
いったい、何が「合理的」で「スムーズ」なのか、その見究めは何に拠るのか。
それは、最終的には、あるいは基本的には、その見究めは、本人の「感覚」に拠るのです

動きに「違和感」がない、と感じられる、ということが、すなわち、スムーズに歩けていることの証左なのです。
そして、その「感覚」を、鋭敏にするには、自らの動作を観察し続けるしかないのです。
「感覚」で決めるなどというと、そんな非科学的な!と思われる方が、今の世では多いかもしれません。
しかしそれは、私に言わせれば、既にいろいろなところで書いてきましたが、甚だしい「誤解」なのです。



ここまでくどくどと書いてきて、この「真似ごとをすること」から「学ぶ」、ということについて、どこかで読んだような気がする、何だったろうかと、数日探しました。
ありました!
世阿弥の「至花道」の「體・用の事」の項に次のように述べられていました。
   この書は、「能の芸を継承してゆくにあたっての心得」すなわち「芸を学ぶ、会得するにあたっての心構え」を伝えるべく著されたようです。

以下に少し長いですが、転載します(岩波書店刊「日本古典文学大系、歌論集・能楽論集」より引用します)

  一、能に體・用の事を知るべし。體は花、用は匂のごとし。又は月と影(光)とのごとし。體をよくよく心得たらば、用もおのづからあるべし。      
  抑(そもそも)、能を見る事、知る者は心にて見、知らざるは目にて見る也。心にて見る所は體也。目にて見る所は用なり。
  さる程に、初心の人は、用を見て似する也。是、用の理(ことわり)を知らで似する也。用は似すべからざる理あり。
    
  能を知る者は、心にて見るゆえに、體を似する也。體をよく似する内に、用はあり。
  知らざる人は、用を為風と心得て似する程に、似すれば用が體になる事を知らず。

  是、まことの體にあらざれば、つゐには、體もなく、用もなく成りて、曲風断絶せり。かやうなるを、道もなく、筋もなき能といへり。
  ・・・・・
原書の註を参考に、拙くて恐縮ですが、現代語で読み下すと次のようになろうかと思います。

   は、「體」と「用」の二つの側面から語ることができる。
   「體」とは、能(を演じるということ)の本質、「用」とは「體」を演じようという作用により生まれる見えがかりの形を指す。
   「體」は花、「用」は、その発する匂いと譬えてもよいし、月と月の光の関係と譬えてもよい。「體」を十分に心得たならば、「用」はおのずと備わるはずである。
   を見る場合、をよく知る者は心で見るが、知らない者は、目で見るものだ。
   心で見ているのは「體」すなわち(能の本質)だが、目で見ているのは「用」すなわち見えがかりの姿・外形に過ぎない。
   能の演者として初心の人は、「用」を見て、それに似せようとしがちである。
   これは、「用」というものの性質、すなわち「用は體から生れるのだ」、という道理をわきまえていないからである。
   能をよく知る者は、本質すなわち「體」を似せようとするから、それが自ずと「用」:形となって発現される。
   ところが、能の初心者は、「用」すなわち、目の前に見ている形が真似るべき芸であると思ってしまう。
   しかし、そうすると、その本来「真似すべきでない形」が、「似非の體」になってしまい、結果として、支離滅裂の芸になってしまう。
   このような芸は、正道にはずれ、理の通らないと言うべきだろう。
   ・・・・

      
これは、たしかに、人が何かを自分のものにする、その過程についての「真実」を語っていると思います。

「心で見る」「心眼で見る」などという言い回しは、当今流行らない文言ではありますが、「現象」を発現させている「仕組み」「構造」「理」・・・を見究める、考える、と言い直せばよいのではないでしょうか

原文は、このあと、「體」と「用」を別個の二つのものと見なしてはならない、という「事実」を知ることが大事であること、そして、「用」を真似ることからスタートしても、身に付けなければならないのは「用」そのものではなく「體」である、ということを知らねばならないのだ、ということを懇々と説くのです(今回はその部分は省きますが、これは、道元の思想にも通じます。

能について世阿弥が熱心に説いている内容は、「技術」の継承を要する万般に通底する「真実」を語っている、と言うより、「学ぶ:真似ぶ」ことの真髄について語っている、と私には読めました。
   建物づくりで言えば、いわゆる「民家風の建物」をつくることをもって、「伝統工法」であると考えるなどは、まさにその「間違った理解」の例と言えるでしょう。
   そしてまた、先回引いたサン・テグジュペリの「おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、・・・それなら辞書と同様である」という文言にも、
   また、サリバンの‘Form follows function’という文言にも通じるところがあります。
   

私が世阿弥の書を読むようになったのは、学生時代に唐木順三氏の評論「中世の文学」を読んだのがきっかけでした。
まわりの方がたからは、お前は生まれた時代を間違えた、とよく言われたものでした。

私は黙って聞き流しましたが、内心では、今だからこそ、こういう考えかたが必要なのだ、と思っていました。
そのときの「思い」は、今になってもまったく変わっていません。むしろ、ますます強くなっているようです。


後記
あとで読み直したところ、「回帰の記」にかなり重複する内容になっていました。あしからずご了承のほど。[23日13.15追記]

ものごとには順序がある

2014-09-15 09:50:00 | 近時雑感

昨日の朝の光景。秋の空に、夏のような雲が湧いていました。
彼岸前なのに、急に涼しくなってきました。ここ数日、朝の外気温は20度を割っています。
秘かにモクセイの香りが漂っています。


先日、「日本家屋構造の紹介-7:継手」で紹介されている「宮島継」について、「いつかありつぎをやってみたい」という表題の下記のようなコメントが寄せられました。
  宮島継 みやじま つぎ を、大昔解体された小学校校舎の廃材に見たことがあります
  中央の小さな片は無い物でした
  解体した大工さん?が感心して継ぎ手の部分だけ見本に取ったのを一つもらいました
  合わせるとしっかりしていて斜めなのにひねってもずれない
  子供ながらにその不思議に感動しました
「小さな片」というのは、多分「しゃち栓」のことではないか、と思います。また、宮島継は「ありつぎ」の範疇には入らないと思います。他にも腑に落ちないところがありましたので、「保留」状態にさせていただいてきました。
今回は、このコメントを読んで感じたことを書かせていただきます。

この投稿をされた方は、「いつか・・・やってみたい」との文言から、建物づくりに関わりのある方ではないでしょうか。
そうであるならば、「いつかやってみたい」と思う前に、「それが「校舎のどこに使われていたのか」に関心をもってよいように思います。「いつかやってみる」として、例えば、梁の継手に使ってくれ、などと大工さんに頼めば、多分、大工さんは怪訝な顔をするはずです。つまり、この継手は、どこに使っても使えなくはないでしょうが、どこにでも使う普遍的・一般的な方法ではないからです。「日本家屋構造の紹介-7」の解説にも、これは、主に天井の竿縁に用いる旨説明があり、筆者註でもその点について触れました。


最近、このブログに、「建築用語」、「木造建築用語」を調べるために寄られる方が増えております。多少なりともお役にたてばいいな、とは思いますが、一方で、「用語」の「収集」で終わらなければいいがな、などと余計なことも考えてしまいます。

たとえば、いろいろな「継手」「仕口」を知ったからと言って、それで木造建築のつくりかたが分る訳ではありません(まったく知らない、あるいは知ろうともしない、というのも困りますが・・・・)。
それぞれの「継手」「仕口」が、単に「どういう部位で用いられるか」だけではなく、それと合せて「どのような場面で用いられるか」について知らないとほとんど意味がない、と言うより、折角の「知識」が活きない、そのように私には思えるからです。
たしかに、「建築用語」には、その語義からだけでは理解不能な語が多数あります。学生の頃も、設計を始めた頃も、さっぱり分らなかった記憶が私もあります。

その後の経験から、こういう「用語」を「知る」には、「建物をつくる場面」、あるいは、もう少し広く「ものを組み立てる場面」を想像してみるのが手っ取り早い方策である、と思うようになりました。
たとえば柱を立てる、どうやって自立させるかを考えてみる。そうすると、「掘立て」という方法の持っている意味が分かってくる。あるいはまた「土台」を設けることを案出した人びとの悩み考えたであろうことにも思いが至るはずです。
自立した二本の柱上に横材つまり梁を架ける。どうしたら梁が柱からずれ落ちないようにすることができるか考えてみる。そうすると、「枘」という方法の意味が分かってくるし、更には、「枘」をつくるには、どういう道具が要るかも考えるようになる。そしてまた、軒桁などのように長い材を要するとき、どうやって対処するかを考えると、部材の延長法すなわち「継手」について考えざるを得なくなる・・・。

「日本建築史」の授業では、古代の「斗拱」の「形式」でその建物の建立時期が判定できる、ということで、形式間の差異についての講義がありました。いわゆる「様式」の判別法。私はあまり関心がありませんでした。それよりも「斗拱」の役割、意味、それが時期により異なる理由を知りたい、と思ったものでした。
この《問題》の私なりの「克服」法は、奈良の諸寺を巡り歩き、つぶさに建物を観ることでした(当時「学割」で鉄道運賃が半額だった!)。建物の傍に寄って、足元から順に上へ上へと目を移してゆくのです。柱が立ち、それが屋根を支えている。どのように支えているか、どの材が何を支え、更にそれが何を受けているか・・・、そうやって観て行くと、少しずつ分ってきたように思います。たとえば、「肘木や」「斗拱」は、横材:梁などを柱上に安定して載せるためや、軒を外に大きく張り出すための工夫である、ということに気付くのです。そうすると、他の例と比較したくなります。観てて飽きることは先ずありません。何度となく、同じ場所を訪ねたものです。そのときの経験から、写真を撮ることは、決して「学習にはならない」、ということも学びました。脳裏に焼き付けることの方が大事だ、ということです。
   写真がまったく無意味だというのではありません。写真は、現場を離れて、現場を思い出す際には重要な役割を果たしてくれます。
   しかし、撮った写真がすべて、現場を離れ、何かを知りたくなった時に役に立つか、というと必ずしもそうなる訳ではありません。
   知りたい「視点」で撮った訳ではないからです。肝心なところが撮れていないのです。
   プロの写真家もそのようなことを語っていました。そういうときは、あらためて撮りに出向くのだそうです。
   
あらためて学び直すことを兼ねて、このような考え方、見かたで、諸資料を基に日本の建物づくりの歴史をもう一度見直してみたい、という「試み」が、「日本の建物づくりを支えてきた技術」「日本の建築技術の展開」シリーズでした(もっとも、若かったら、多分、こんな大それたことは畏れ多くてできなかったでしょう。歳をとると怖いものはなくなるようです)。[文言変更17.57]   

この「学び直し」を通じて、私が再確認したのは、「ある方策・技術」や「理論」が一旦「定着」すると、人には、それに「拘る」「拘りたくなる」という「習性」があるということでした。
更にそれは、そうしなければならない、という「思い込み」になります。多分これが「様式化」の因だと思われます。そしてそれは、「専門家」の陥りやすい「習性」にも通じます。
この様態に陥り、そこから脱するには、つまりデフォルトモードに入るには、ある程度の「時間」がかかるようです。いわゆる「大仏様」誕生までの経過がその例だと思います。
そして、上層の人びとよりも、庶民や職方の方が、「対処法」の発見が早かった、すなわち、ものごとに対し虚心で対応できた、つまり、デフォルトモードで対処することができた、そのように私は考えています。
   今の《専門家》の多くが「職方」の方がたを無視・黙殺したがる「理由」は、この「違い」にあるのではないでしょうか。
それゆえ、もう一つの《問題》の「克服」法は、分らないことや、「何故?」と思ったら、率直に職方さんに尋ねることでした。
たいていの場合、職方さんは皆、建物をつくる手順についてをよく知っていますから、5W1H 全般にわたって、丁寧に教えてくださいます。本当にいろいろと教えていただきました。

先ほど、建物をつくる場面を想像してみるのが手っ取り早い、と書きました。要は、何ごとであれ「ものごとには順序がある」ということです。あるいは「ものごとの道理」と言ってもよいかもしれません。つまり、どういう順序が自然な道筋なのか、ということを知る、想像で確認してみる、ということにほかなりません。たとえば、BはAが在って初めて成り立つとした場合、Bを先に考えることは、 non-sense だ、ということです。用いる「継手・仕口」を先に決め、それだけによって建物をつくろうと《考える》のは non-sense なのです。ゲームや脳トレではないのだからです。
そうではなく、「どういう順序が自然な道筋なのか、ということを知る、想像で確認してみる」ならば、「問題の所在」が明らかになり、したがって「問題の解決策」も見えてくるはずです。
そして、この視点で対処すれば、たとえば、その「発案」の「意味・謂れ」をも含めて「継手」「仕口」を理解することができ、しかも、その「更なる展開」も可能になる、そのように私は考えています。
「技術の歴史」というのは、この「発展の様態」にほかならないのです。そしてそれは、決して「机上の産物」ではないのです。

これまで何回となく「部分」の足し算で全体が生まれる、と考えるのは、よく陥る落とし穴だ、ということを、書いてきました。
建物がらみの「用語」は、いわば「建物づくり」の全過程の一部に関わる言葉と言ってよいでしょう。「部分」の名称であったり、そしてまた全工程の一部を成す「工程」の名称であったりします。
それらの「習得」にのみ関心を持つと、得てして「全体・全貌」を見失いかねない、一言で言えば、「本質」を見失ってしまう、そのように思っています。
つまり、単なる「用語の収集」だけでは、サン・テグジュペリの言葉を借りれば、「おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとってなんの意味があろう?それなら辞書と同様である」という通りの事態になってしまうのです。そうであるにもかかわらず、そのような気配が広く世に漂っているように思え、気になっています。

長々と言わずもがなのことを書きました。年寄りの繰り言とお聞き流しください。


デフォルト モード

2014-09-11 11:25:05 | 近時雑感

生垣に蔓性の草が張り付いて、今、花が見頃です。
名前が分りません。野生種なのか栽培種なのかも分りません。ご存知の方お教えください。
近くの藪にも、近くのお宅の庭にもみかけませんから、鳥が遠くから運んできたものではないでしょうか。
去年発見、草刈りで根を傷めないように気を付けてきました。


私たちのいろいろな行動は、脳の指令の下で為されているようですが、私たちが「意識的な行動」を何もしていないようなときでも、脳内のある分野がネットワークを組んで「活動」している、ということが最近になって分ってきたそうです。
名付けてデフォルトモードネットワーク。デフォルトモード:default mode、初期化状態、具体的なoperation の指令待ちの状態とでもいえばよいのでしょう。しかも、その際、膨大な血流がそのネットワークを流れているといいます。
そして、このデフォルトモードネットワークの存在が、私たちの「意識的な行動」にも大きな力を与えていることも分ってきたとのこと。いわゆる「認知障碍」にも、このネットワークの「異常」が関わっているらしい、という「研究」や、「瞑想」「座禅」時の人の脳の様態もデフォルトモード状態であるらしい、などの「研究」もあるようです。

たしかに、ある「仕事」の「判断」に行き詰まったようなとき、一旦、その「眼下の仕事」を一切考えることをやめ、放置し、しばらくして戻ってみると、簡単に「判断」でき、いったい何を迷っていたんだろう、などと思うことがあります。
多分、それは、「眼下の仕事」から離れることで、頭を白紙の状態にもどした、つまり初期化状態に移行させたからなのかもしれません。
そしてまた、ある状況に接したときの第一印象、最初に「感じたこと」が、後々の大きな「力となる」ということがありますが、これも多分、初期化状態の頭が、その状況に、最も素直に且つ的確に反応していることの結果なのかもしれません。
   これは、「設計」時によく経験します。多くの場合、最初の「構想」が的を射ていることが多いのです。
   ああだこうだといじくり回して、二進も三進もゆかなくなり、ふと最初のスケッチを見直してみたら、なんと、そこでは、問題はすべて解かれている!
   こういう経験が結構あります。

「日本家屋構造」の紹介作業も一段落しましたので、しばらくゆっくりするつもりです。デフォルトモードに入れれば幸いです。そして、その更地で感じることを書いてゆこう、と思っています。

そう思っていたとき読んだ今日の東京新聞の社説は、相変らず素晴らしかった。
表題は「起てよ全国の新聞紙 桐生悠々を偲んで」。
TOKYO web からプリントアウトして下に全文を転載させていただきます。

その一節に次のようにあります。
   「言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う」
   「言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである」
   「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少(すくな)くとも、損害を招く」


まったくその通りだ、と私も思います。言いたいことを言うのは簡単です。
「言わねばならないこと」を言い続けたい、と私も思います。




近くから大きな音が聞こえています。行って見てきました。想像どおり、飼料用トウモロコシのコンバインによる刈取りでした。

驚いたのでしょう、トウモロコシの叢で暮していた虫たちが、あたりを飛んだり跳ねたりしています。ツバメも寄ってきて飛び交っています。
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近時雑感 : 散歩にて思う

2014-09-07 14:40:49 | 近時雑感

夜来の雨にも負けずに元気でした。
庭先の山椒の枝先で育つ何匹ものキアゲハの幼虫。
この子のすぐ下の枝にもいます(ぼんやりと写っています)。
画面の一番上のまんなかあたりの丸い葉の中の長さ1センチほどの黒い線も、生まれたばかりの子です。
そういえば、夏の盛りに、キアゲハが数羽群がっていました。
鳥に襲われないよう気にしながら、蝶になるまで見とどけたいものだ、と思ってます。


いつもの年なら、今頃はまだ暑さが厳しいはず。こういう気候の急変には、体がついてゆかないな、と思うときがあります。

犬に引っ張られて、リハビリを兼ねて、朝1キロほど(歩数で1500歩ほど)、夕方2~3キロほど歩いていますが、この夕方の2~3キロがきつく感じられるときがあります。2キロほど過ぎた頃、体が重くなるのです。そして、自宅が見え始めると、一気に疲れが出ます。すがすがしい季節ではそんなことはありません。夏の暑い頃や、寒暖の差が激しいこういう気候のときに著しいようです。
こういうとき、目的地が見えてくると、かえってくたびれるように思います。まだ、あんな遠くまで歩かなければならないのだ、と思うからのようです。普通だったら、もう直ぐだ、と思うのでしょうが、そうではないのです。
そこで最近は、そういうときは、極力10mほど先を見て、そこを目指して歩く歩くことにしました。目的地の方は見ないのです。あの坂の上り端まで、あるいはあのマンホールまで、何歩ぐらいで行けるかな、などと歩数を予測し数えながら歩くのです。言うなれば、時どきの目標・目的地を近い所に置くのです。そうすると、その10mを過ぎると「安心する」のです。これを繰り返しているうちに、帰り着いています。疲れた、くたびれた、という「感じ」を抱かないですむのです。

先日、歩きながらふと思いました。くたびれたから、といってその場に座り込んで休んだらどうなるか、と。
そのとき思い至ったのは、いわゆる「行き倒れ」というのは、そうしたときに起きるのではないか、ということでした。
座り込んで休めば疲れがとれる、と普通は思います。
しかし、そうではない。それは、体力・気力が温存されているならば、の話なのです。
ところが、私のような場合、体力は未だ昔通りではありません。「気力」は体力に関係します。
普通だったら目的地を目にしたら、「もうすぐだ」、と思うのに、「まだあんな遠くなんだ」と思ってしまうことにそれは表れています。
だから、そういう時、一旦腰を下ろしたら、もしかしたら、腰を上げようという気が起きないかもしれないのです。そうしない方が「楽だから」です。そしてそのまま眠ってしまうかもしれません。
雪山の中を歩き続けると眠気を催すと言います。しかし、そこで眠ってしまったらダメ、凍死する、だから決して眠ってはならないそうです。
多分それと同じ、くたびれたからといって、安易に座り込んでしまうと、そこですべてが終わる破目になるかもしれない、多分、そうなるのが「行き倒れ」ということに違いない、そのように思ったのです。
散歩から帰って、この話を家内に話したところ、すごくリアリティがある、と妙に感心されました。

今回の病気とリハビリを体験して以来、自分の体の上に起きる「現象」を、常に観察している自分を発見しています。
気象の様態が体の様態に関わっていることにも敏感になっているようです。
実際、主治医の勧めで再発予防のため、血圧測定を朝夕行なっていますが、寒い朝は、てき面に高くなるようです。寒さに対するために、血流を増やすためなのでしょう。
もちろん、血圧の高低までは自覚できませんが、寒くなると体の動きが鈍くなるのは明らかです。遺っている「しびれ」の程度にも微妙な変化があるように感じています。そういうときは要注意なのです。
何ごとでも「観察」は「認識の基本」だ、まさに、「転ばぬ先の杖」なのだ、と感じている今日この頃です。
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「日本家屋構造・下巻・参考篇」の紹介-5(了)・・・・「五 床棚の部」「六 間仕切り及附書院の部」

2014-09-05 11:02:05 | 「日本家屋構造」の紹介


[参照記事追記 6日9.45]

だいぶ間が明いてしまいました。一時、操作ミスで、下書段階の記事が載ってしまったようです。お騒がせしました。

今回は「日本家屋構造 下巻 参考篇」「五 床棚の部」「(六)間仕切及附書院の部」の紹介です。
これで、「日本家屋構造」全巻を紹介したことになります。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
はじめに「(五) 床棚の部」の原文を転載し、続けて現代語で読み下します。なお、図版部分は、編集の都合で縮小してあります。また、図版に歪みがありますが、ご容赦ください。





第二十四図~第二十九図は、および床脇棚の参考図で、いずれも前面の姿図である。
には、正式、略式があり、大別すると六種に分けられる。
第二十四図 甲が、正式な床、本床(ほんどこ)の図である。
本床」は、室内の畳面より上に床框)を設け、床の内部には上端揃いで畳を敷くか板を張り、床柱角柱とする。
の材寸などは、「製図篇の普通住家木割に解説がある。(「日本家屋構造・中巻・製図篇の紹介-6」
   註 「和室造作集成」(学芸出版社刊)では、床の間の基本形は次の八種としている((図も同書による)。
     ①本床、②蹴込床、③踏込床、④洞床(ほらどこ)、⑤袋床、⑥織部床、⑦釣床、⑧置床
 
第二十五図 甲は、床の内部右手に板を敷き、その上方に釣舟を下げた一風変わった床の例。
第二十五図 乙は、床框を省き、床板と室内の畳寄せとの間に蹴込板を設けた蹴込床の図(「日本家屋構造・中巻・製図篇の紹介-6」中の第五十四図に図解があります)。
踏込床とは、床の間の床面を室内の畳面と同一にしたをいう。
第二十六図 甲は、釣床の図。室内の一隅の天井から束を下げ、落掛(おとしがけ)を廻し釣り壁を設けたもの。
   註 原文は分りにくいので、「和室造作集成」の説明を転載します。
     壁床の一種で、下部は畳敷きのままとし、上部にだけ、釣束を下げ、矩の手に(かねのてに)落掛あるいは垂れ壁などを付けたもの・・・。
第二十六図 乙は織部床の図。室内正面の壁の天井廻縁下に幅5~6寸の板を横に嵌めただけの床。
   註 「和室造作集成」の説明
     床柱は壁付とし、天井廻縁の下へ杉柾板を取付け、これに掛軸の釘を打っただけの極めて簡単なもので、古田織部の創意に拠るとされる。
第二十六図 丙袋床の図。床の内幅より横に入れ込んだ床をいう。
   註 「和室造作集成」の説明
     床の間の前面に袖壁を設け袋のように囲った床で、小堀遠州の創意に拠るものという。袖壁は通常は壁にするが、彫刻した板などの例もある。
     地板踏込にするのが通例である。
第二十六図 丁は、洞床の図。床の間の内部の左右の壁及び天井を塗り廻しにした床をいう。
   註 「和室造作集成」の説明
     室床(むろどこ)とも呼ばれ、床の内部の壁、てんじょうのすべてを塗り壁で塗り廻しての形にしたもので、片桐石州の創意とされる。
     地板は、踏込にする決まりがある。壁だけで天井を塗らない場合は、洞床ではなく、塗回し床(ぬりまわしどこ)という。

第二十九図 甲は、上等客間の上段の間付の床の間の例。
深さは京間の6尺、火燈口の内部は、床の間の面より一段上がった畳敷きで、高貴の人の御座所になる場所で上々段と呼ぶ。
   註 火燈(かとう)
      架燈とも瓦燈ともいう。上方が曲線形なるものをいう。・・・(「日本建築辞彙」による)
第二十九図 乙は、間口2間半、襖4枚建ての間仕切で、欄間筬欄間(おさ らんま)を設けた例。部屋に最も厳格な風情を添えることができる。
   註 筬欄間:見付1分5厘×見込4分の組子を明き4~5分で縦繁の格子を組込んだ欄間。
      (おさ):織機の部品名。金属あるいは竹製の細い板を平行に並べて枠に収めたもの。織物の縦糸をそろえ、横糸を押しつけては織目を整える。
                                                                            (「新明解国語辞典」による)

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――     
続いて「(六)間仕切及附書院の部」の原文。


以下、読み下します。
第三十図 甲は、欄間透しの例(前項の第二十九図 乙も、欄間透しの一例を挙げたものと思われます)。
第三十図 乙は、間仕切の小壁に用いる角柄窓欄間の図。
第三十図 丙は、座敷の縁側境の小壁に設けた櫛形欄間の例。
第三十一図は、いずれも附書院の意匠の例。
第三十二図は、風雅な棚を設けた例と妻板建ての附書院の例。
下地窓(第三十二図 丙の右手の壁にあるような壁下地:小舞を見せた窓をいう)は、茶室の例を応用したもので、通常座敷に多く用いられる。
下地の小舞の掻き方は、大小とも指先3本入るほどの大きさとし、縦長窓のときは、小舞の間は縦を長くし、横長窓のときはなるべく正方形に見えるように組む。竹の組み方は、寒竹(かんちく)、紫竹(くろちく)などは、末を上に向け、女竹(めだけ)は打ち返して使用する。(打ち返して使用とは、2本目は逆さに使用してもよい、という意と解します)。
小舞の組み方は、1,2,3,4本などと変化を付けて組むが、5本以上にはしない、という決まりがある(この部分「和室造作集成」の解説で補いました)。
藤蔓の掻き方は、縦長窓のときは外から、横長窓のときは内から掻き始める。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上で「日本家屋構造・下巻・参考篇」は終りです。

蛇 足 読後の感想

先回にも触れましたが、明治期の都市居住者にとって、これは現在にも通じるのかもしれませんが、「住まい」は、そこで暮らす人のステータスシンボルである、と見なす風潮があったのだと思われます。その最も簡単容易な手立てが、床の間のつくりや、建具のつくりように求められたのでしょう。具体的には、材料にこだわり、手の込んだつくりをもって、格の高さの具現化と考えたのだと思います。
私の子供の頃暮した家は、昭和15年に建てられました。天井に杉杢張りの合板が使われていたことを以前にも書きましたが、床柱もいわゆる銘木の薄板・単板(べニア: veneer )を貼った材料であったことを覚えています。
単板(べニア: veneer )は、西欧で産業革命後に誕生した新興勢力が、旧勢力たちが使用したマホガニーやチークなどのいわゆる銘木による造作や家具を模倣するために表面だけを銘木風にしようとした方策が発祥のようです。それゆえ日本語同様、英語でも veneer という語は、《中身がなく薄っぺら》という意味に使われています。しかし、この単板製造技術が、合板:ply wood の製作に用いられたであろうことは想像に難くありません。
   ちなみに、ラワンという材料は、戦後のある時期、安物の代名詞のように言われていましたが、昭和初期には、高級南洋材として扱われています。
   造作材として、珍重されていたのです。その頃に建てられた建物では多く見られるはずです。
   そして、現在は価格の点では、高級材のはずです。日本のラワン材乱用のため、原産地が輸出を制限したからです。
   なお、円安の影響で、米松材も現在は国産の杉・松材よりも高くなっているそうです。

また、開口部の意匠に、下地窓など茶室に起源を求める例が多々あるようですが、当初の茶室を、つまり、遠州、織部、石州たちが造った茶室を、ステータスシンボルとしてつくられたと見なすのは誤りであろう、と私は考えます。だいぶ前に妙喜庵待庵についての記事で触れたように、茶室はあくまでも「心象風景の造成」を意図していた、と考えるのが、適切であると考えるからです。
   この記事の前後の記事で、妙喜庵待庵の詳細図などを紹介してあります(2007年5月5日、6日、7日の記事:「バックナンバー」で検索ください)。
   片桐石州の関わった事例を、「慈光院」で紹介してあります。
   小堀遠州の関わった事例は「日本の建築技術の展開ー19」などをご覧ください。[以上追記 6日9.45]
当初の茶室の作者たちは、そのとき、普通の庶民が、自らの住まいとしてつくりだした建物の各所に、心和む「風景」を発見、その再現を試みた、それが例えば下地窓だったはずです。庶民は、とりたてて、「部分」:たとえば、藤蔓の掻き方など:にこだわったりはしていません。その場に馴染んでいれば:相応しいと思えれば:それでいいのです。それは、私たちの今の日常でも同じはずです。
   これも以前に書いたことですが、建築家は「立面図」の細部にこだわります。
   しかし、私たちは、日常、「建築家」のこだわった「立面」をしげしげと鑑賞しているでしょうか?
   私たちは、その立面の建物があたりにつくりだしている「場の様子:雰囲気」を感じているにすぎません。
   「立面」が、「場の様子」をつくりだすのに関係しているのは確かではありますが、かと言って、「立面」をしげしげと鑑賞などはしていないのです。
   私たちの建物の良しあしの判断は、その建物が「場の様子」の造成に相応しいかどうかに拠っているはずです。

今回「日本家屋構造」全巻を読んでみて、「教科書」というのは「怖い」ものだ、あらためて思いました。一つの「考え方」「見かた」を、それだけを広く、あたかもそれが絶対の如くに「流布」させてしまう恐れがあるからです。これは、現在、建築がらみで出される「基準」や「指針」にも通じるところがあります。いずれも「部分」だけが突出して説かれます。
「部分」は、あくまでも「ある全体・全貌」の部分に過ぎません。
先ず、「ある全体・全貌」がリアリティをもって説かれる必要があります。
人は何故に、建物を、住まいをつくるのか?
これを欠いた「部分」の説明は、誤解を広めるだけではないか、そのように私は考えます。
先ずもって、「教科書」は、何を観たらよいか、何を考えたらよいか、それを示唆するものでなければならないのではないでしょうか。