construction,engineer そして・・・・

2011-09-28 11:53:40 | 建物づくり一般




[リンク先追加 17.42][リンク先追加 29日 14.11][文言追加 30日 6.50][リンク先追加 30日 9.50]

しばらく間があきました。
いよいよ大詰めで、ここになってもまだ、ああでもない、こうでもない・・・の毎日です。


もう大分前からかかっていたある社会福祉施設(心身障碍者の居住施設)の増築仕事。
最初は30年前のこと。そして今、当時の「基準」による狭隘な面積を緩和すべく、隣地を取得して増築し、個室化を進めることになった。
しかし、現在の敷地に接するその隣地は、現在地から2mほど下がり、そこからさらに下るかなりの斜面。元は、山肌なりにつくられていた段々畑様の果樹園。
ただ、地盤は安定している。

増築建物を地盤にそって建てれば問題ないわけですが、そうなると、既存の建屋とは、床面が大分下ってしまう。
これは、こういう性格の建物の場合、運営上、決定的な問題点。
数多くのスタッフをそろえない限り、目配りがきかなくなるからです(現在、居住者1にスタッフ1の割合、それでさえ大変!)。

そこで、増築の建屋も、現在の床面にほぼそろえて建てることに。
ということは、床面を上げる手立てを講じなければならない・・・。

こういう場合、最近では、盛土をするのが普通。そうすれば、たしかに地面がそろう(今、東北の津波被災地での高台移転計画でも、当たり前のように「切土+盛土」が語られている!)。
しかし、切土はともかく、盛土したところには建てない
これは、斜面に建てる場合の往時からの鉄則、と私は理解しています。
   註 「平場でなければ建てられないか?」参照 [追加 30日 9.50]

そこで、最初に考えたのは、鉄骨で、建物の載る人工的地盤を清水寺方式でつくれないか、という案。要するに、柱と横材で立体格子の構台をつくる(下記で簡単に紹介しました)。
現地は資材の搬入も容易でない場所。
できるだけ工場加工を少なくして、部材を現地で組立てるのが、仕事が進めやすい、それには清水寺方式:懸崖造:が向いている、と考えたわけです。

   懸崖造・・・・斜面に建てる    [追加 17.42]

しかし・・・・・。
鉄骨では、柱に貫が取付く箇所に相当する位置ごとに柱を継ぐということになり、その継手・仕口を見ると、どう考えても大仰な仕事になる。
要するに、多段ラーメン架構、ということになるかららしいです。
それでは、当初の考え方:できるだけ工場加工を少なくして、部材を現地で組立てる:にもとる。
   木造で可能な方法が鉄骨でできない理由が、よく分からない。
   というより、懸崖造の強い理由が、現在の「理論」では解明できていない、ということかも・・。

そこで、現在進めているのは、横材を方杖で支える、という案。
この場合も、極力現地組立てが可能なように部材を分解。

どうも、現在の鉄骨架構は、合理化の名の下に、工場加工を増やし(したがって大型の部材になる)、それを立ち上げる、というのが主流のよう。これが大きなクレーンが使われる理由。
私は、かなり前から、これはムダ、合理化の名にもとる、と考えています。「理」に「合わない」からです。
大きなトレーラーが、工場で加工された大きな部材を一つ、あとは空気を載せて走っているのをよく見かけます。私にはムダに見える。
   茨城や埼玉、千葉などには、鉄骨加工工場が多い。
   かつて、東京下町(江東区など)にあった工場が、70年代以降、近県に移った。
   何をつくっているか。都会の建物の鉄骨架構。
   そこから、夜ごと、大きなトレーラーが都会に向う・・・。
    余談
    私が受けた「都市計画」の教授の、都市計画を志した理由。
    教授が学生時代、駅で電車を待っていると、貨物列車がすれ違った。南行きと北行き。
    どちらも荷物は石炭だった!
    この「不合理を解決するのは都市計画」だ、と思ったからだそうです。
    でも、その「都市計画」の今は?


幸いなことに(?)この敷地は、大きなクレーンも大型トレーラーも入れない。
だから、小さな部材(小型~中型車で運べる)を、現地で組立てることができる(小さなクレーンで可能)。
ことによれば、往年のように、人手ででもできる。そうすれば、仕事も丁寧に念入りになるかもしれない・・・。私はそう思っています。ハイ・テクよりもロー・テクのすすめ。


ようやく、何とか目途がたってきました。
そこで、ふと気休めに、先に紹介した‘BRIDGES’を見ていたら、興味深い写真と絵が載ってましたので紹介します。それが冒頭の図と写真です。
図は、BRIDGES の著者 David J Brown 氏の直筆のようです。

いずれも、19世紀にイギリスの鉄道敷設にかかわったブルネル(後掲註参照)がつくった鉄道橋のいくつかです。
使われている材料は timber つまり木材
素晴らしいです。驚嘆します。

なぜ凄いか。
つくられたのは、19世紀初頭です。「構造力学」誕生以前のことである、ということ。
もちろん、トラスの「理論」もなかった頃。
今の世の中、「工学理論」に拠らなければ設計ができない、と考える人が増えています。
それは、何度も書いてきているように、「学の誕生」の背景を忘れた「妄信・盲信」に、私には思えます。
はじめに学ありき、ではない」、ということです。
ワットが鋳鉄製の柱と梁で7階建の建物をつくったのも、「構造力学」誕生以前です。  [文言追加 30日 6.50]

   ブルネル Isambard Kingdom Brunel(1806~1859)
        鉄道会社の engineer として、鉄道敷設にかかわる各種構築物、鉄道車両
        さらには蒸気船の製作にもかかわっている。
        engineer と表記するのは、明らかに(現在日本の)「技術者」とは異なるからです。
        なお、この点については、アンリ・ラブルースト・・・・architect と engineer で触れています。

        ブルネルよりも後に活躍したマイヤールも、こういう engineer の一人と考えてよいと思います。
        マイヤールの仕事については、下記で紹介しています。
        「コンクリートは流体であるである」 [追加 29日 14.11]

        BRIDGES に載っている Brunel の写真と解説を転載します。
        


BRIDGES には、他にも興味をひく写真や図がありますので、いずれまた紹介させていただきます。

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とり急ぎ・・・・「耐震」の実際

2011-09-14 18:46:29 | 地震への対し方:対震
[筆者註 追記 15日 9.57][見解転載追加 16日 19.15][追加 17日5.30]


(社)日本建築構造技術者協会(JSCA)茨城サテライトから、「設計者のつぶやき」という今回の震災の「体験」に関しての「体験談・見解」集が公表されています。
   註 現在はリンクできません。ご了承ください。[2016.05.03追記]

その中に、木造建築についての瞠目すべき「体験に基づく見解」がありましたので、以下に紹介します。


現行の設計基準にて設計した「土台は基礎に緊結する」住宅で、基礎コンクリートにひびが入る被害があった。
上屋の揺れによりアンカーボルトに大きな力が加わって破壊したものと思われる。
家の中では筋交い周囲の壁のひび割れが多く、家具類の転倒が激しかった模様。
しかしながら、近隣に建つ、基礎と一体となっていない土台や、筋交いを持たない工法で建てられた住宅(いわゆる在来軸組工法、伝統工法*)は、土台のずれが認められるものの、家屋の被害は極めて少ない。このような被害傾向は他の場所でも確認された。
地盤と一体となって地震の力を全て上部の建家に伝えてしまう耐震の考えと、地震力を基礎部分で低減し、建物全体で地震力に抵抗させようとする考えの違いであるが、地盤と基礎に緊結する現行基準によって建てられた木造建築物が、必ずしも在来の軸組工法*に勝るものではないと思われる。
むしろ、在来工法*の優れた考えをもっと々生かした基準の見直しを考えるべきである。
『地震に強い建物』(剛構造)より『地震になじむ建物』(柔構造)を…と指導していた専門家の言葉を思い出す。

   筆者註 *の文言は、建築基準法施行以前に行われていた工法のことを指しているものと考えられます。

   筆者註 [追記 15日 9.57]
   ここで使われている「在来工法」「伝統工法」の語は、読まれる方に、誤解や混乱を起こしそうに思えます。
   そこで、以前、筆者なりに、そのあたりについてまとめてみた「項目」を、下記に挙げます。
   「在来工法」≠「伝統工法」であることを、ご理解いただければ幸いです。

   「『在来工法』はなぜ生まれたか-1」 
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-2・・・・『在来』の意味」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-2の補足・・・・『在来工法』の捉えかたの実態」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-3・・・・足元まわりの考え方:基礎」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-3の補足・・・・法令仕様以前の足元まわり」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-4・・・・なぜ基礎へ緊結することになったか?」 
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-4の補足・・・・日本の建築と筋かい」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5・・・・耐力壁に依存する工法の誕生」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5の補足・・・・耐力壁の挙動」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5の補足・続・・ホールダウン金物の使用規定が示していること」

また、かつての日本の建物づくりの実相をお知りになりたい方は、下記で私見を書きましたので、ご覧ください。
   「再集:日本の建物づくりでは、壁は自由な存在だった」[追加 17日5.30]


もう一つ、最後に載っていた素晴らしい見解にも、私は賛意を表します。以下に転載します。


大地をこれほどまでに「ゆする」巨大なエネルギーのまえに、
どれほど英知を絞った「人工物」でも歯が立たない…という気がします。
自然のエネルギーに抵抗させた建物は、激しく何度も繰り返す激大きな揺れに激しく損傷し、
それを目で追う住人は、為すすべを知らずになるがままの状態で、
多くの方が「死」を覚悟した恐怖は、心に大きな傷跡を残してしまいました

揺れが収まった後の惨状は、街の景色を一変させ、重い荷物を課せられたような長く続く苦労を思わせました。

建物はいつか補修されて元の姿を取り戻しても、人の心の傷は改修不能です
我々は「自然に抵抗」するのではなく、
「予想される力になじむ建物」を造らなければならない。
こんな基本をともすれば忘れて設計に従事していた自分が、自然界に激しく叩かれたようなショックでした


大地の動きを建物に伝えても「耐震」の抵抗力で建物を壊さないようにする現行の一般的な設計は、
震災を受けた人の心に及ぼす影響を考えるとき、大きな疑問を感じます


今後は、地盤の揺れを建物に直接伝えない考えや、
揺れを「逃がす・吸収する」設計をもっと普及させ、
地震に遭遇した人の心に大きな傷跡を残さないよう心がける必要があると思います

我々は「建物」を設計しているのではなく「ひとの心」を設計しているとの認識を持ち続けなければなりません

毎日車で通る見慣れた道の、あちらこちらで、初め小さな「凹面」が1週間後に「えくぼ」になり、すぐに「危険」箇所になる状況。
その繰り返しに、自然界の力に対して人工的な技術が如何にぜい弱なものかを感じます。
道路は大地と切り離すことは出来ないが、建築物は地盤と切り離すことが可能なのですから。
 [追加 16日 19.15]

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『形』の謂れ・補遺・・・・‘Form follows function’

2011-09-12 07:08:28 | 形の謂れ
締切り間際の仕事の合間をぬって書きます。今回は長くなります。ご容赦を。

「感想:分別のコスト」に、日本の現在をクールに見つめた英国の新聞記事をリンクしました。[13日 19.02]

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[文言追加 18.57][リンク追加 19.12][リンク追加 20.56][リンク追加 14日14.37] 


先回(「形」の謂れ(いわれ)-8・・・・再び、建物とは?) のお終いに、以下のように書きました。 

   要するに、建物をつくる場合でも、「いったい、何を、何のためにつくったらいいのか」、
   精通していなければならない、ということになります。
   かつての建物づくりの専門家は、それを、当然のこととして、身につけていた。
   ・・・・・・・
   現在、そういう「習慣」はどこかに置き忘れてきてしまった
   ・・・・・・・
   農業、牧畜、そのすべてをでき得る限り承知してトラクターという機械をつくる、
   それとまったく同様に、「人がこの大地の上で暮す」とはどういうことか、
   でき得るかぎり承知しよう、
   ・・・・・・・
   簡単に言えば、そう考えた結果が建物なのだ、と考えています。
   (形の)「謂れ」とは、端的に言えば、「ものの道理」のこと。
   すなわち、そういう形になる、あるいはそういう「形」にする「ものの道理」。
   ・・・・・・・
     形づくりにまで「道理」を求められるのは納得ゆかない、「自由な発想」が妨げられるではないか、
     と思われる方が、多分居られるのでは、と思います。
     では、その「自由な発想」は、何を契機に生まれるのでしょうか?
     そして、その発想は、泉のごとく、絶えることなく湧き出してくるのでしょうか? 


ここで、‘Form follows function’という文言を思い出した方が居られるかもしれません。そして‘Machines à habiter:A machine to live in’ という文言を思い出された方も。
もっとも、これらの文言は、すでに「歴史」の単なる1ページ、知らない、という方がたの方が多いかもしれません。なにしろ、前者は19世紀の終り、後者は20世紀の初めの頃に書かれた文言ですから・・・・。
しかし、建築の近代は、そのあたりから始まったことを考えると、そのあたりから押さえておく必要がある、と私は考えています。
「来し方」について「知り」、そこから「行く末」を考える、それは当然為されなければならないことだ、と思うからです。

‘Form follows function’は、19世紀半ば~20世紀初頭に活躍したアメリカの建築家L・サリバン( Louis Henri Sullivan、1856~1924)が、著書“Kindergarten Chat”の中で述べた言葉。
サリバンは、当然、生粋のアメリカ人ではなく、西欧からの移民2世。
彼は、先に紹介のオランダのベルラーヘ(ヘンドリック・ペートルス・ベルラーヘ:Hendrik Petrus Berlage、1856~1934)同様、当時の「主流」であった西欧の建築界の様相に異議を唱えたのです(生年が同じです!)。

サリバンの代表作が下の写真です。
いずれも、ギーディオンの「空間・時間・建築」原書からの転載です。





‘Machines à habiter:A machine to live in’は、もう知る人も少なくなってきているようですが(この人誰?と訊く若い方が居られる、と聞いたことがあります)、スイス生まれのフランスの建築家コルビュジェ(ル・コルビュジエ:Le Corbusier、1887~1965年。本名 Charles-Edouard Jeanneret-Gris )の言った文言。ベルラーヘやサリバンからおよそ半世紀後の世代。

こういった文言が日本で広く話題になるようになるのは、第二次大戦後、つまり1945年以降と言ってよいでしょう。もちろん、すでに戦前に伝わってはいたのですが、それどころではなかった、という時代(戦前から、前川國男氏や坂倉準三氏らはすでにコルビュジェに傾倒していた)。

日本の建築界では、サリバンの‘Form follows function’が、直訳的に「形体(形態)は機能に従う」と訳され広まり、その「解釈」をめぐり、現在にまで尾を引いている(と、私は考えています)「混乱」が生じました。

戦後の日本の建築界を、いわば二分していたのが西山卯三氏と丹下健三氏に代表される二派。
西山氏の論調は、いわば「直訳信仰」派。一方、丹下氏はそれに違和感を感じていた。
端的には、「機能:用から・・」派と「造形:美から・・」派と言ってもよいでしょう。この両派の「違い」については、だいぶ前に下記で書きました。
   「実体を建物に藉り・・・何をつくるのか」


現在の建築界の「不毛」の因は、すでにこの二者の「論争」の中に、兆しを見せている、と私は考えています。
簡単に言えば、用から入るか、美から始めるか、といった不毛な「論議」が蔓延し、現在もまだその後遺症が重篤な状態にある、ということです。

その明らかな証が、先に「理解不能」で触れた、今の名だたる「建築家」諸氏の震災後の言動です(その後の彼らの行動を、数日前の朝日新聞が報じています)。

不毛な論議に結末をつけずに、つけようともせずそれに甘んじ、半世紀以上経ってしまったのです。不毛は続いているのです。しかし、今の著名な評論家、建築史家も、それに目を瞑っている、私にはそう見えます。

   少し詳しく書けば、戦後間もない頃、世は貧窮の時代、「用」を説く派が主流でした。
   建築計画学の「隆盛期」です。
   しかし、高度《経済》成長期、世の中に《現金》が蔓延るにつれ、「用」の必然は埋没します。1970年代のことです。
   その頃から、やたらと「華美な」造形の建物が跋扈しだすのです。
   「用」なんて考えていられるか、そんなのどうでもいいや・・・。《芸術家》の出番だ・・・!
   そして、1980年代以降、建築計画学は一気に衰亡します。
   使い勝手の悪い建物がその頃から増えてきました(ただし、それは建築計画学の衰亡とは関係ありません)。
   そしてその頃から、いわゆる「サイン」:案内標識板がやたらに増えてきます。

                                              [文言追加 18.57]

戦後の一時期、建築についての一般向け入門書と見なされていた書物に、西山卯三氏の著した岩波新書「現代の建築」があります(まだ刊行されているのでしょうか?)。

その中に、次のような文言があります。

   ・・・・
   建築は、生活の要求、建設技術や経済の要求に応えると同時に、美しくあらねばならない・・・・
   建築の造型は、絵画や彫刻などを綜合した芸術である。
   ・・・・ 
   建築が人間生活の容器である以上、そして人が生活をよろこびをもって豊かに営もうと望む限り、
   そのよろこびのために、・・・豊かにかざられることは何ら不思議のことではない。
   ・・・・
   ただ、過去の建築は、なんのために、誰のために、それをかざったのか。建築の持ち主の富や力を示すために
   彼等だけを楽しますために、ではなかったか。・・・・
   ・・・・

     著者は、それに続いて、モスクワの地下鉄の駅の「装飾」こそ、あるべきすぐれた事例として称賛しています。

この文言は、当時の建築界の様相を理解するには恰好の一文です。

この中にある「建築は人間生活の容器である」という文言は、今でも一般受けする建築の「定義」と見なすことができます。実際、それに基づく「論」は、多々見かけます。

「容器」を「箱」という言葉に置き変えましょう。そして「人間生活」を「菓子」に置き換えましょう。
そのとき、「建築」とは、「菓子箱をつくること」になります。
菓子箱をつくるのは、どんな菓子を何個容れるのかが問題になります。もちろん、どんな具合に容れるのがよいかも問題です。
簡単に言えば、「建築計画学」は、この「菓子の容れ方」を研究した、と言えるでしょう。
もちろん、どんな菓子かが、第一番の前提です。
饅頭と羊羹、ケーキ・・・では当然異なる。これが、学校、病院、図書館・・・と、建物種別に計画学が研究された理由。
そのとき何が決め手か。
どういう詰め方が「合理的か」という判断でした。最小限の器で菓子が最大に詰められれば最高・・・。

   たとえば、病院内での看護師の動き。それをいかに少なくするか、が病棟計画で重視されました。
   たしかに、看護師の仕事は大変な労働です。それを少なくする、それが「合理化」。
   ただ、当時私が違和感を感じたのは、看護師はなぜ病棟内を動き回るのか、
   その「意味」をも考慮に入れているのかどうか、不明確であったこと。
   看護師は、やみくもに歩いているわけではありません。患者の「様子」を診ているのです。
   最近では、その代替機械が増えたようです。
   しかし、機械では、患者の顔色、すなわち「全容」は分りません。

   
しかし、こうして「できる」箱は、そのままでは、ただの「無愛想な」箱で終ってしまう。
そこで、その箱を「美しく飾ろう」ではないか・・・。
言ってみれば、これが西山氏の説く「美」だった。簡単に言えば、「包装紙のデザイン」。
こういう考え方の建築家は、今でも五万といるはずです。

   余談ですが、どの原発の建屋にも、何らかの「明るい」外装がペイントされています。
   一般の工場などでは見かけないことです。
   きわめて「象徴的」です。そのようにしたくなる「裏側」に、何が潜んでいるのか。

こういう「考え方」で生まれたのが、住宅で言えば、公営住宅の「型」計画。1DK、2DK・・といった住宅を部屋数とK:厨房との関係で決めたつくり。この「分類」による住居の呼び方は、何と、現在も行われている。そしてそれが「住居」と思われてしまっている!
こうして進められた「研究成果」は、学校、病院・・・といったいわゆる公共建築の「画一化」として、結果しました。


一方、容器の方を先につくっちゃえ、というのが「造型」《重視》派、と言えます。
饅頭の方は、何とかすれば詰められる、という考え方と言えば分りやすいかもしれない。
人間なんて、どうにでも詰められる饅頭みたいなもの、と考えていたかどうかは知りませんが、不自由、不便・・な「容器」が多かったのは事実です。
その一つの現れが、先に触れた案内標識:サインの海。
   たとえば、かつての駅(戦前や、戦後初期につくられた駅)は、案内標識がなくても、分りやすかった。
   しかし、いまや・・・・。
   参考項目 「京都駅ビルは駅か」                       [リンク追加 19.12][リンク追加 20.56]

今の名だたる「建築家」諸氏のつくるのは、この系譜と言ってよいのではないでしょうか。
「人の不在」は、さらにひどくなっているように私には思えます。
そこには「鑑賞する人」はいるのでしょうが、「生活する人」は見当たりません。そこにいる「人」は、言ってみればオブジェ、「点景」。

だから、震災に遭って、「生活する人」が少し見えるようになった(のかなァ)? 

   こういう「用と美」論があたりまえのように跋扈する中で、私が同意できる著述もありました。
   柳 宗玄 氏の中世の教会建築についての論説です。
   その中の一つを挙げます。

   ・・・・
   建築は建築であって彫刻ではない。絵画でもない。
   しかし、建築の問題は、光ないし色彩と形態の問題であり、機能の問題であり、
   さらにより深く精神の問題である。この点で、建築は絵画や彫刻と同様である。
   そしてこのことを、中世建築は、最も明快に実証する。
   キリスト教を生活の基本原理とする中世社会にあって、・・・(教会は)共同の祈りの場所であり、・・・
   その壁面の囲む空間は、世俗の空間ではない。それは聖なる空間でなければならない。・・・・
   中世の聖堂建築の問題は、ほとんど内部に集中され・・・・、空間の聖化のために、
   あらゆる努力がなされる。形態および色彩と光の全手段をつくしての努力である。
   そこでは、建築、彫刻、絵画といった区別は問題ではない。・・・
   ここではあらゆる要素の総合的調和が問題なのである。

   我々はよく壁画や建築彫刻の一部だけを切放したものを図版でみるが、
   それはしばしば判断を誤まらせる。
   つまり、それらは―――個々の形態も構図も運動性も、さらに色彩の用法も―――
   建築空間全体の一部としてのみその意味をもち、その意味は理解されるのである。
   ・・・・・
   単に形態そものが問題なのではなく、形態のもつ意味が・・・問題なのである。
   ・・・・・
        講談社版 世界美術大系〈15〉フランス美術 柳 宗玄「聖なる空間の創造」より


いずれにしろ不幸であったのは、‘Form follows function’が、直訳的に「形体(形態)は機能に従う」として流布してしまったことでしょう(訳が間違っているわけではありません)。

このような「理解」は、しかし、直訳理解された日本だけではなく、西欧・欧米でも行われていたようです。

サリバンの下で修業したF・Lライトは、その著書 On Architecture で、次のように述べているとのことです。

   ‘Form follows function’is but a statement of fact.
    When we say ‘form and function are one',only then do we take mere fact into the realm of creative thought.

つまり、欧米でも、‘Form follows function’の「字義通り」の理解が横行していて、ライトはそれは間違った理解だ、と言いたかったのだと思います。

また、サリバン自身も、そういう「誤解」が生じるであろうことを承知していたものと見え、この問題の文言を記した書:“Kindergarten Chat”の中で、次のように書いています。
   If the work is to be organic ,
   the function of the part must have the same quality as the function of the whole;
   and the parts....must have the quality of the mass.


私はこういう「不毛な環境」で学生時代を過ごしました。
そういう「環境」にいて、それに対して論駁することは容易ではありません。なにせ、それが「主流」なのですから・・・。
しかし、論駁するために学んだことは、それはそれなりにいいことではありました。
ある意味、その「環境」は、反面教師として「役立った」のです。
   もっとも、考えてみれば、それは本当は不幸なことなのです。遠まわりなのだから・・・。
   私が止むを得ず「自習」で得たことなど、本来は、義務教育、あるいは高校、大学で、
   「素養」としてカリキュラムに組まれていて然るべきことなのです。
   

いったい、なぜ、このような「理解」が、洋の東西を問わず、生じてしまうのか。

それは、「言語」が生まれつき持っている「構造」の、いわば必然的結果によるところが大きいのです。
   この厳然たる事実に気が付くまで、相当時間を費やしました。
   しかし、その結果、それに気が付いている先達がかなり居られることも知りました。宮澤賢治もその一人。
   彼の書いた「春と修羅」の序や「月天子」という詩に、いたく感銘を受けたことを覚えています。

言語は、どこの国の言語も、ある状況を「叙述する」にあたって、その言語の文法に応じて「語彙を並べる」という形をとります。
そして、どこの国の言語でも、その「叙述にあたっての語彙の配列が、そのままいわば事象を時系列で示している」、あるいは「そのまま、そこで展開している状景を表している」と理解されてしまう「危険性」をはらんでいる
のです。

かつて紹介した道元の言葉は、そのあたりをきわめて明快に示してくれています。
「鳥が空を飛んでいる」という叙述は、「鳥」が、「空」という場所を飛んでいる、と普通に理解されます。そうすると、鳥と空はまったく別個の事象として扱える、と思ってしまうのです。
しかし、空なくして鳥は生きられない、水なくして魚はいない、・・・

   ・・・・
   うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、
   鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。
   しかあれども、
   うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。
   ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。・・・
   鳥もし空をいづればたちまちに死す。
   魚もし水をいづればたちまちに死す。
   ・・・・

「建築は人間生活の容器である」、という文言は、表現として間違っているわけではありません。
しかし、だからと言って、「生活」と「容器」との関係について考えよう、という方向に論理が展開するのは間違いなのです。
なぜなら、「生活」は、容器なしには存在し得ない、それは鳥と空、魚と水の「関係」と同じだからです。

道元は中世の人ですが、近現代の西欧にも、そのような考えを示す人たちがいます。
アメリカのS・Kランガー女史もその一人で、次のように述べています。

   ・・・・
   すべての言語は、諸種の観念の対象が互いに入れこになっていても、
   それら観念を一列に並べてつないでゆくように要求する形式を持っている。
   これらは、実は上へ上へと重ね着する一揃いの着物を、
   物干し縄にかける場合には(一揃いとしてではなく)横へ横へと並べねばならないのと同様である。
   言語的シンボルの持つこの性質は、discursiveness として知られている。
   このために、この特殊な順序に並べ得る思想のみが曲がりなりにも語られ得るのである。
   この「投影」に適しないどのような観念も語に(よって)は表現できず、語によって伝達もできない。
   ・・・・
                    (S・Kランガー「シンボルの哲学」岩波現代叢書)。

同じ著者の“Feeling and Form”には、次のような一節もあります。
   ・・・・・
   Prosaically speaking,all life is in space;and to “take possession”of space can mean nothing but
   to occupy it physically. Blankets put into a chest, filling it copletely,take possession of the space in it.
   この書では、いわゆる「有機的建築」:organic という語の「誤解」の基についても明解に解説しています。   


近代は、いわば、ものごとを二項対立的(二項の関係)として扱うことで「進展」してきた、と言えるでしょう。いわゆる「科学技術」は、まさにその「代表」であり「象徴」でした。そこでは、二項対立的に扱えないものは黙殺してきました。
そうなってしまったのは、多分に、この言語の構造・特質を知らずに、その叙述の持っている「魔術」に捉われたところに始まっている気配が濃厚なのです。
その方が「叙述しやすい」からなのです。道元やランガーの考え方では、現今の「科学的叙述」はできないのです。
   関連項目 「厳密と精密・・・・学問・研究とは何か」  [リンク追加 20.56]
   関連項目 「『冬』とは何か・・・・ことば・概念・リアリティ」  [リンク追加 14日14.37]

そして、この「魔術」に気が付かないまま(気付いても、それでは「成果」を示しにくいがゆえに無視し)、多くの「学」は、「進展」してきたのです。
戦後の日本の建築界の様相など(耐震「理論」なども含め)、その「典型」と言えるかもしれません。
そして、その「偉大なる結果」が、すなわち「今」なのだ、と私は思っています。

繰り返しになりますが、建築、というより、人のかかわる問題は、すべからく、本質的に、二項対立的に扱ってはならない、扱うことができない問題なのです。
そのような問題の立て方は、基本的、根本的に不毛
なのです。

人にとっての「空間」の意味を考えない、それとは無関係にできあがる建築など、本来あってはならないのです。
そう考えるがゆえに、名だたる建築家諸氏の言動は、私には「理解不能」なのです。
   朝日新聞が紹介している彼らの最新の「行動」は、実によく、その「重篤な病状」を示している、
   私には、そう見えました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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「形」の謂れ-橋の形・補遺

2011-09-10 10:50:52 | 形の謂れ
BRIDGES という書物に、各種の橋について解説が載っていました。
各種の橋、とは、架構方式のいろいろを、その原型から近代的な架構まで各種採りあげている、という意味です。もちろん、その施工法についても触れられています。

   BRIDGES  David J. Brown 著 Macmillan Publishing Company 1993年

なかでも興味があるのは、各地域に暮す人びとが、その叡智をそそいでつくりだした「近代科学技術」とは無縁の橋の数々です。
建築の世界で言えば architecture without architects 。

こういうのを見ると、現代人が、いかに「科学的知識」に冒されているかがよく分ります。
「科学的知識」が人びとから「勘」を消し去り、その結果、発想に溌剌さがなくなってしまった、そのように私には思えます。

そこで、その「原型」の部分を、いくつか抜粋して紹介します(原著では、ORIGINS という「章」にまとめられています)。

下は、ネパール(Dudh Khosi,Nepal)の橋。
猿橋や愛本橋と同じ考え方です。橋脚を設けることのできない状況下で考えだされたのでしょう。
猿橋や愛本橋では外見で見えなかった跳ねだし( cantilever )部の押さえ込み部分がよく分ります。



この橋の紹介は、章の最後の部分、吊り橋の前に紹介されています。

章の出だしは、ごくあたりまえに、丸太を架け渡すだけのもの。



解説では、primitive beam bridge とあります。
場所は、Qala Panji,Afghanistan 。
丸太を並べ、小枝を敷きつめ、土を塗りこんであるようです。
解説では、こういう橋は、ホモ・サピエンスの頃からあっただろう、とあります。

次は、アメリカ、ユタ州にある長さ89m、高さ32mの自然の岩がつくりだしたアーチ。
解説では、北アメリカの先住民が、橋としてつかっていたのだろう、とあります。



次は、丸太ではなく、平たい石を、これも石の橋台に架け渡した橋。
所在は Somerset,England 。



全長55m。スパンは17あるそうです。おそらく、丸太よりも石材の方が得やすい地域ではないか、と思います。
   木は腐るから石にした、というのは「現代的」発想。
   木がいつでも採れるなら、木を使います。
   
次は石造アーチ橋の、まさに原型。



所在は、Wasdale Head, Cumbria, England 。

最後は吊り橋。 



ロープは蔦、歩行面は竹を並べて土を塗りつけてあるようです。
所在、Trisuli River, Nepal。
似たような橋は各地域にあり、日本では、四国・祖谷渓(いや だに)のそれが有名です。

同書では、以上の写真のわきに、それぞれの架構法の「原理」について解説図が載っています。
それを一つにまとめて編集したのが、下の図です。



こんなようになって、それぞれの架構が安定する、という知見は、「学的教科書」があって得られたものではないことは当然です

今の私たちは、これらがつくられた時代あるいは地域で、生きてゆけるのでしょうか? 

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「形」の謂れ(いわれ)-8・・・・再び、建物とは?

2011-09-02 15:09:03 | 形の謂れ
先回の「感想:『分別』のコスト」に、香山リカ氏の発言をリンクしました。[3日 19.08]

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

締切り仕事が8割がた終わったところで、「形の謂れ」の最終回を書くことにしました。

このシリーズで、何度も 滝 大吉 氏が「建築学講義録」の序文に著した
「建築学とは木石などの如き自然の品や煉化石瓦の如き自然の品に人の力を加へて製したる品を
成丈恰好能く丈夫にして無汰の生せぬ様 建物 に用ゆる事を工夫する学問」
という文言を紹介してきました。
ところが、、「建築学講義録」の中で、滝 大吉 氏は、肝腎の「『建物とは何か』については何も触れていません。

大分前に「建築学講義録」を紹介した際(「『実業家』・・・・『職人』が実業家だった頃」)、以下のように書きました、

  ・・・・
  ここで注目する必要があるのは、
  エリートたちが「どのような(様式の)建物をつくるか」という議論をしているにもかかわらず、
  「実業家」:職人たちは、それには興味も関心も示していないことである。
  それは、彼らが「建物づくりの専門家」だったからである。
  彼らにとって「何をつくるか」は自明のこと、「いかにつくるか」が問題と言えば問題だったのだ。
  だからこそ新技術書が広く読まれ、そして、それゆえに「擬洋風」の建物をつくり得たのである。
  では、彼ら「実業家」にとって、なぜ「何をつくるか」が自明であったのか。
  それは、当時の「実業家」:職人は、常に人びとの生活と共にあり、
  そこにおいて、「何をつくるか」=「何をつくるべく人びとから委ねられているか」
  自ら検証を積み重ねていたからにほかならない。
  実は、それが専門職の専門職たる由縁、
  そして「技術」「技能」はその裏づけのもとに、はじめて進展し得たのだ。
  ・・・・

ひるがえって現今の建築の世界。
「専門家」たちは、「何をつくるか」=「何をつくるべく人びとから委ねられているか」について、「自明のものとしている」のでしょうか。
おそらく、自明のものとしてはいないはずです。
それは、現今名のある建築家たちが、今回の震災・人災に遭い、「考え方を見直さなければ・・・」、と語った、という事象に明らかです。「考え方」は、そんなに簡単に変えられるものなのでしょうか?(「理解不能」参照)。

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

話題を変えるようで恐縮ですが、この季節、近くの圃場で、思わず魅入ってしまう光景に出会います。
以下の写真が、その光景です。

ここは、林地を開いた台地上の平らな農地で、おおよそ南北5~600m、東西300mはあります。まわりを囲む樹木は谷地田に向う斜面の樹林、主に人工の針葉樹林です。
この平地は、かつては麦や陸稲をつくっていたのではないかと思いますが、数年ほど前は、一部で煙草を栽培して、あとはいわば放置されていたと記憶しています。
そして、ここ数年は、そのほぼ半分ほどを使って、家畜の飼料用のモロコシ:コウリャン(高粱)が栽培されるようになりました(トウモロコシも少し混じっているようです)。
モロコシにはいろいろな種類があるようですが、このモロコシは、背丈が2mを超え、そこに近づくと、まわりが何も見えなくなり、風の音だけが聞こえます。
あのサトウキビバタケにうたわれる「ザワワ ザワワ」は、もしかしたらこんな様子なのかもしれません。

この写真は、そのモロコシの刈入れの様子です。
刈入れといっても、その場でチップに加工してしまう。それを行う大型のコンバインの作業風景。
ただ、このコンバインは、それ専用の機械ではなく、大型のトラクターにコンバインを構成する機能を持つ「部品」を接続したもの。
つまり、「刈り取り切り刻む機械」と、それをホッパーに搬送するための弓なりに曲線を描く「チューブ」、そして「ホッパー」、これがトラクターに付加された「部品」なのです。この点は、これから田んぼで見かけることが多くなる稲刈りの専用コンバインとは異なります。
チップは、トラックで牧場に運ばれ、冬に備えサイロに保管されるのでしょう。

以下の2枚は作業中の遠景。
手前はすでに刈り込みの終わった場所。





写真で分るように、進行方向(左手)前面に付いている機械でモロコシを刈り取り、直ちに小さく切り刻んでチップとし、チップは曲ったチューブを通り(弓なりのカーブを描いている管)、後部の金網張りのホッパーに集められます。風圧で送られているのしょう。
   なお、2枚目の写真の左上に黒い点が2つ見えますが、これはレンズに付いたゴミではありません。
   これは飛び交うツバメの姿。
   モロコシを刈り取ると、そこに隠れ棲んでいた虫たちが追われて跳び出し、それを追いかけているらしい。
   このときは10数羽飛んでいました。 

ここで「前部」「後部」と書きましたが、本来のトラクターの前部は写真の右手。したがって、オペレーターはホッパーの方を向いて後ろ向きでバックミラーを見ながら(時折り後を振り返りながら)刈り取り作業の操作をしていることになります。
しかし、その操作の見事なこと。
オペレーターの座っている姿は、下の写真のガラス越しに、ぼんやりとですが見えます。
大きなタイヤは直径1mは超えているでしょう。これが駆動輪、小さな車が操舵輪のようです。




近くに寄って進行方向の前から見たのが次の写真。


先端はこうなっています。
まるで、カニあるいはザリガニのはさみのよう。
この3本のはさみで寄せ集められそのはさみの付け根あたりで切断され飲み込まれ切り刻まれ、そして圧送される、という過程のようです。
どういう仕組みになっているのか知りたくなります。


ホッパーを高く持ち上げて、コンテナ(これも四周は金網張り)にチップを移しています。

コンテナを牽引するのも、コンバインを曳いているのと同じ機種のトラクターです。
どうやら、日本製ではなく、アメリカ製。   

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

なぜ魅せられるのか。
一つは、その作業の壮快さ、見事さにありますが、私が最も魅せられたのは、この機械の「形」です。
一言で言えば、その「形」には、人に見てもらおう、称賛してもらおう、あるいはまた他の同種の機械との「ちがい」を見せつけてやろう(いわゆる「差別化」)・・・、といった風情がまったくない。
つまり、「けれん」も「衒い」もまったくない。ただただ、その機械に求められる役割を十全に果たすべく考えられ、素直にそれが「形」になっている。
最初につくられた蒸気機関車や自動車など「近代的機械」が持っている惚れ惚れとする形に共通するものを感じるのです。
言ってみれば、「ものづくりの原点」の姿。すなわち、その「形」に、歴(れっき)とした「謂れ」がある、ということです。

   このトラクター+搬送管+ホッパーの形には、
   一昔前のジープや工事現場で見かけた建機に通じる特徴があります(最近のジープや建機は少し違う)。   
   日本のインダストリアルデザインの草分けの一人吉岡道隆氏(故人)から、
   ジープの外形は、戦場で壊れたとき、
   簡単に修理できる二次元の形、つまり、鉄板を折り曲げ切取りくっつける、
   誰にでも応急的に直せる形に徹底しているのだ、と聞いたことがあります。
   修繕のために板金屋さんに運ぶ必要がない現場向きの機械、ということでしょう。

すなわち、この機械の「形」もまた、「木石などの如き自然の品や煉化石瓦の如き自然の品に人の力を加へて製したる品を成丈恰好能く丈夫にして無汰の生せぬ様に用ゆる事を工夫」した結果である、と言うことができそうです。
なぜできるのか?
それは、「なぜモロコシを栽培するのか」、「どのようにモロコシを刈り取るのがよいのか」・・・についてはもちろん、「モロコシを刈り取りチップにする」作業の具体的な工程について、精通しているからです。チップは、どの程度に刻めばよいのか・・・、つまり、牧畜そのものにも当然精通している。
この機械の形に到達するまでに、多くの試行錯誤があったに違いありません。


要するに、建物をつくる場合でも、「いったい、何を、何のためにつくったらいいのか」、精通していなければならない、ということになります。
かつての建物づくりの専門家は、それを、当然のこととして、身につけていた。
現在、そういう「習慣」はどこかに置き忘れてきてしまった。(高等)教育でさえ、それが何か、教えない・・・。教える側に、それが身についていないからに違いない・・・。
あらためてそれを考え直す必要がある。

これについて私なりに行ってきた「考え直し」の中味について書いたのが、「建物をつくるとは、どういうことか」のシリーズです(下記にまとめてあります)。
農業、牧畜、そのすべてをでき得る限り承知してトラクターという機械をつくる、
それとまったく同様に、「人がこの大地の上で暮す」とはどういうことか、でき得るかぎり承知しよう、そういうことについて、今まで考えてきたことを書いたシリーズです。
簡単に言えば、そう考えた結果が建物なのだ、と考えています。
   ただ、最後の頃は、今回の震災・人災で若干本題をはなれている点もあることをご了承ください。
今回の「形の謂れ」は、そこで書いたことを別の見かたで書いたに過ぎません。

「謂れ」とは、端的に言えば、「ものの道理」のこと。
すなわち、そういう形になる、あるいはそういう「形」にする「ものの道理」。
それがあるか否か。

   形づくりにまで「道理」を求められるのは納得ゆかない、「自由な発想」が妨げられるではないか、
   と思われる方が、多分居られるのでは、と思います。
   では、その「自由な発想」は、何を契機に生まれるのでしょうか?
   そして、その発想は、泉のごとく、絶えることなく湧き出してくるのでしょうか?

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
建物をつくるとはどういうことか-1・・・・建「物」とは何か
建物をつくるとはどういうことか-2・・・・うをとりいまだむかしから・・
建物をつくるとはどういうことか-3・・・・途方にくれないためには・・
建物をつくるとはどういうことか-4・・・・見えているもの と 見ているもの
建物をつくるとはどういうことか-5・・・・「見えているもの」が「自らのもの」になるまで
建物をつくるとはどういうことか-5の追補・・・・設計者が陥る落し穴
建物をつくるとはどういうことか-6・・・・勘、あるいは直観、想像力
建物をつくるとはどういうことか-7・・・・「原点」となるところ
建物をつくるとはどういうことか-8・・・・「世界」の広がりかた
建物をつくるとはどういうことか-9・・・・続・「世界」の広がりかた
建物をつくるとはどういうことか-10・・・・失われてしまった「作法」
建物をつくるとはどういうことか-11・・・・建物をつくる「作法」:その1
建物をつくるとはどういうことか-12・・・・建物をつくる「作法」:その2
建物をつくるとはどういうことか-13・・・・建物をつくる「作法」:その3
建物をつくるとはどういうことか-14・・・・何を描くのか
建物をつくるとはどういうことか-15・・・・続・何を描くのか
建物をつくるとはどういうことか-16・・・・「求利」より「究理」を
建物をつくるとはどういうことか-16・再び・・・・「求利」より「究理」を

  なお、このシリーズの出だしに、前川國男自邸を例に出したところ、
  前川自邸自体のみに興味を示す方が居られたようですが、
  その建物自体について云々する気は私には毛頭もありません。
  私は、前川國男氏(たち)の建物づくりに対する「作法」すなわち「考え方」に関心があるのです。
コメント (6)
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