建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

つくば遠景・・・・それは....

2008-06-27 18:27:33 | 居住環境

[タイトル変更、文言補訂 23.48][註記追加 6月28日 18.15][註記追加 6月29日 11.20 12.53]
 
水戸から国道6号:水戸街道を東京方面へ走って土浦へ至ると、市街を西に大きく迂回する「土浦バイパス」にさしかかる。以前は、谷田部の高層気象台の鉄塔が見えるだけだったが、最近はそのちょうど右手に、つくばの町並が、というより、最近急増した高層ビルの頭が、霞んだ空気越しに田園の上に浮び上る。
言ってみれば、TVの映像で時々見るドバイやラスベガスの町同様の異様な風景である。周辺に圧倒的に広がる「地」にそぐわないからである。

最近送られてきた建築雑誌購読勧誘の冊子に、いま注目を浴びているらしい建物:ビルの写真が載っていた。
その中で私の目を惹いたのは、「捩りドーナッツ」を垂直に立てたような形のビル(もちろん、ドーナツ色ではなく、ガラスと金属の色)、「だるま落しをやっている最中かのように、数層ごとに右左にズレているビル」(頚椎ヘルニアのX線写真のような感じ)。
「目を惹いた」と書いたが、もちろん「魅せられた」わけではない。「呆れた」だけ。私の感覚は、相当に時代遅れらしい。なぜなら、私が呆れるものを、雑誌は「重要視」しているらしいからだ。

そして、突飛だが、いまや日本は、ラスベガスやドバイ同様、法律の許容する範囲であれば、金に飽かせて何でも《自由》に「モノがツクレル」国になってしまったのだ、という感懐が湧き上がった。
町は、「ゲイジュツ家」のキャンバスに成り下がり、「ゲイジュツという名の建物」に、人びとはやむを得ず付き合わなければならない。
「ゲイジュツ家」にとって、そういう多くの人びとはどのように見えているのだろうか。我が「ゲイジュツ」を理解してくれないのは「ヒゲイジュツテキな」人びと、そう思っているのではないか。

東京駅前の中央郵便局も、「老朽化」の名の下に撤去され、ここでも「再開発」と称して「ゲイジュツ」が建てられるらしい。
どこがどう老朽化したのだろう(外面だけ残し、伝承したと称するが、それは撤去に等しい。なぜ老朽化したものが、外面だけのこせるのか?)
あの当時のRC建造物は、現在のそれに比べて、比べ物にならないほど丈夫だ。なぜなら、仕事が丁寧だからだ。阪神・淡路の地震のときもそうではなかったか?「老朽化」は、「再開発」という名の破壊のための単なる理屈づけにすぎないように思える。

   註 RC造の耐久性、その条件等についても、真島健三郎氏はすでに
      大正13年(1924年)に述べている。
      「紹介・真島健三郎『耐震家屋構造の撰擇に就いて』:柔構造論の原点」

      また、桐敷真次郎氏も、建物の耐久性について論じている。
      「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-1」
      「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-2」
      「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-3」
      「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-4」
      「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-5」
      「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-6」
      RCについては、「-4」「-5」で語られています。

      桐敷真次郎氏の論説の中から、一部を以下に抜粋

      「・・・・・筆者の手許には20世紀初頭のベデカー(ドイツの著名な
      ガイドブック)が数冊あるが、交通機関やレストランなどの
      案内を除けば、その内容は今日でも殆どそのまま通用する。
      つまり、ベデカーにのったものはモニュメントであり、ランド
      マークであって、その町から取りはずせないものになっているのだ。
      都市についての愛着や意識はそのように高いが、そればかりでは
      なく、個々の建築、或は建築というものについての意識にも、
      市民と建築家の双方に、われわれとは大いに違ったものがある。
      それは、建築とは本来耐久的なものであり、人間が壊すつもりが
      なければ壊れるものではないという意識である。
      壊すも残すも人間の意志次第だという自覚である。近代建築は、
      耐久力に対する配慮が足りないという点で、こうした伝統的意識と
      合致しないところがあったのであろう。・・・・」
      

そして、こういう東京で行われる「ゲイジュツ」は、すぐに各地域で模倣される。さすがに捩れた建物はまだないが、つくばはミニ東京化している。それゆえに、いくつもできる高層のビルは、同一の設計者か、と見紛うほど、どれも皆似ている。
そうなると、またぞろ「差別化」のための「突飛な」(私には突飛以外のことばが浮かばない)形が追い求められるのだろう。
私は、最近、極力、つくばの町を通らないようにしている。

ところで、「土浦バイパス」を通るとき、つくばの遠望は、私には、いつも、上掲の写真のイメージに重なるのである。
これは、私の暮す町の、丘陵のヘリにある集落の墓地の遠望である。

ある《苦情》・・・・漏れ聞こえてきた《怖い》話

2008-06-25 11:11:33 | 居住環境
[タイトル変更 15.16]

筑波新線、いわゆるTXの開通以来、東京近郊に比べると相対的に廉価ゆえに、宅地や建物を求め、つくばや土浦界隈に引っ越される方々が増えているという。
そして、そういう方々の中には、市役所や町役場へ、「苦情」の電話をかけてくる人が結構多いのだとのこと。
どういう「苦情」か?

いわく「蛙の声がウルサイ」・・・・

今、麦秋。関東平野北部、群馬南部では麦刈りで刈った後の藁などを畑で燃やし、煙があたりを覆う。これは昔からの姿なのだが、新しく移住した人から苦情が出たという。
これは藁を燃やさなければ済む話。
けれども蛙の声はねーェ。

いったい、市役所に、どうしてもらおうと思ったのだろうか。まさか駆除してくれ、というのでは?????

聞くところによると、西欧人の多くは、蛙の声や風の音・・・などにある感懐をいだくなどということは少ないのだという。俳句のなかみを知るのは難しいのだろう。
さて、日本人も、ここまで《西欧化》したのだろうか・・・?

岩手・宮城内陸地震・雑感・・・・短周期地震動と家屋

2008-06-24 20:49:26 | 地震への対し方:対震

[文言補訂 22.06、22.11、22.23][註記追加 6月25日 8.17][註記追加 6月28日 3.30 6月29日 20.26]

東北山地での大地震発生から、もうじき2週間になる。
上掲の地図は「大日本地図帳」(平凡社)から転載した震源地域の地図と、「・・県の地名」(平凡社)から転載の旧市町村行政区画図。

今回の地震の特徴は、建物被災が少なかったことだろう。
調査によると、震度6強を記録した岩手県奥州市、宮城県栗原市でも、全壊家屋は0だったという(読売6月18日、朝日6月19日など)。

いわゆる「応急危険度判定」でも、「危険」と判定された家屋は、奥州市で4%、栗原市で7%で、宮城県北部地震(最大震度6強、2003年)の17%、中越地震(最大震度7、2004年)の15%、中越沖地震(最大震度6強、2007年)の15%を遥かに下回る。
一方、今回の地震の振動の加速度:揺れの強さは、観測史上最大との報道もある。

   註 「応急危険度判定」の判定基準には、伝統的な工法の建物には
      適用できない判定条項がある。
      この地域には、後に触れるが、伝統的な工法による建物が多く、
      実際には危険ではない建物が「危険」と判定されている例が
      あるように思える。

   註 「危険」判定の割合:[註追加 6月25日 8.17] 
      阪神・淡路:13.9%、鳥取県西部:10.9%、福岡沖:16.4%

   註 報道される地名には、合併による新しい行政区画名が多く、
      分りにくい。
      合併前の元の市町村名は以下の通り。上掲地図参照。
       一関市
       一関市(いちのせき・し)、花泉町(はないずみ・まち)、
       東山町(ひがしやま・ちょう)、川崎村(かわさき・むら)、
       大東町(だいとう・ちょう)、千厩町(せんまや・ちょう)、
       室根村(むろね・むら)
       奥州市
       水沢市(みずさわ・し)市、江刺市(えさし・し)、
       前沢町(まえさわ・ちょう)、胆沢町(いさわ・ちょう)、
       衣川村(ころもがわ・むら)
       栗原市
       築館町(つきだて・ちょう)、若柳町(わかやなぎ・ちょう)、
       栗駒町(くりこま・まち)、高清水町(たかしみず・まち)、
       一迫町(いちはざま・ちょう)、瀬峰町(せみね・ちょう)、
       鴬沢町(うぐいすざわ・ちょう)、金成町(かんなり・ちょう)、
       志波姫町(しわひめ・ちょう)町、花山村(はなやま・むら)

       これらは、おおむね、旧「郡」単位で合併したようだ。

       蛇足だが、旧市町村はほとんどが自然境界で区画されており、
       はたして、これを合併して行政が「合理化」できるのだろうか?
       はなはだ疑問に感じる。

       なお、平泉町だけは、どこと合併することなく既存のまま。
       したがって、町の面積は著しく小さい(上図参照)。[記述追加]

被災家屋が少なかったことについては、いろいろな見解が述べられている。そのなかで、「いつもながらの見解」は「屋根がトタンで軽かったから」ぐらい。

震度6強の地域は山地の住まい、しかも戦後の入植者の多い地域。戦後60余年経っている。
おそらく今の建屋は、開拓が落ち着いた頃に建てられたもので、築後30~40年の家屋が多いと思われる。しかも、おそらく都市計画区域外。
ということは、建築基準法の規定に準じた建物であるわけがなく、昔ながらのつくりのはず。また、仮に都市計画区域内であったとしても、旧耐震基準によった建物のはずだ。

さすがに今回ばかりは、耐震専門家も、「新耐震基準以前の建物は壊れた」、などと言うことができなかったのである。屋根がトタンで軽かったからだ、と言うのがせいいっぱいだったのかもしれない。
しかし、それとても、瓦葺きの土蔵が壁を振り落としても、躯体は健在な姿を見ると何も言えまい。

こういった現地の実像から、地元の専門家は、「貫工法による伝統工法の建物が多かったことが倒壊を少なくした」と見ている(朝日6月19日)。

また、開拓地以外について、奥州市の建築住宅課の「築150~200年の農家などは、柱が太く、びくともしていない」との見解もある(読売6月22日)。
この場合の「太い柱」とは、現在の基準法の最低柱寸法100mmとの比較であることに留意したい。つまり、むやみやたらに太いわけではないことは、東北の農家建築を見てみれば分る。
こういう地域の専門家は、都会の専門家と違って、「あたりまえなものの見かた」ができるようだ。

いろいろな研究者の現地調査で注目したのは、「振動の周期」についての見解。
すなわち、境有紀氏(筑波大学・地震防災工学)の調査によると、今回の地震は、中越、中越沖など過去の地震と異なり、振動の周期、つまり「揺れの一往復の時間」が、きわめて短いという指摘。
今回の地震のそれは、0.2~0.3秒。能登半島地震では1.5秒。多くの場合にくらべて5分の1程度の周期なのだという(読売6月18日、なお境有紀氏のHPに地振動についての詳しい解説あり)。

この短周期の地震動に対しては、通常の家屋は破損・倒壊に至らず、周期1.5秒前後の地震動は倒壊をもたらしやすいという(いわゆるキラーパルス)。

建屋のもつ固有振動数(すべての物体には、それ固有の振動数がある、という)と地震の振動数とが共鳴・共振する場合に、破損が生じやすい、ということのようだ。今回の場合、短い周期の揺れは、多くの木造家屋に共振を起こさなかった、ということらしい。

では、いったい、建物の「固有振動数」とは何によって決まるのだろうか。

機械設計や車両設計では、完成後の機械が共鳴・共振を起こさないように苦心しているらしいが(ディーゼルエンジンなどでは、振動を打ち消すためのバランサーが付いているのではなかったか)、建物ではそういう研究が行われているのだろうか?
おそらく、建物の「固有振動数」は、建物の形体、建物の重さ、重心の位置、使用材料、建物を構成する部材の組み方、・・・など多種の要因で微妙に異なるのではないか。
たとえば、同じ形体、同じ仕上りであっても、伝統的な工法と耐力壁依存工法、2×4工法・・では、固有数値が異なることが予想される。

もしも、固有数値の制御ができるのならば、現在のいわゆる「耐震補強」策とは異なるもっと合理的な「対震」法が見出されるのではなかろうか。

そして、これは私の「勘」なのだが、いわゆる「貫工法」「差鴨居工法」によるいわゆる「伝統工法」では、いろいろな経験の積み重ねの結果、建屋の固有振動数を、地震の「キラーパルス」にはもちろん、どのような振動数に対しても、大きく共鳴・共振しないように整えることのできた工法だったのではないだろうか。
各地の例を見なおしてみて、そのように感じるのだ。

ちなみに、短周期の地震動は、瓦や壁は落ちやすく、ガラスも割れやすく、人も揺れを感じやいそうである。

   註 真島健三郎氏は、大正13年(1924年:関東大震災の翌年)、
      すでにその「柔性建築論」において、
      固有振動数と地震の関係について論じている。
      [註記追加 6月28日 3.30]
      「紹介:真島健三郎『耐震家屋構造の撰擇に就いて』:柔構造論の原点」

ところで、もう一つ今回の地震報道で感じたことは、あの巨大な土砂崩落・地すべりにまき込まれた家屋が、少なくとも多くの映像を見る限り、無いことだ。
温泉宿が二軒まき込まれているが、いずれも河川敷近く、多分泉源に建てられたのだろう。
ところが、農家で土砂に埋まった映像は無い。寸前のところまで土砂が押し寄せている例はあるが無事。
なぜなのだろうか。
これも私のまったくの想像だが、農家の方々は、現地での長年の開拓の実践によって、地形の特質を見抜き知っていたからではないだろうか。
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M小学校の体育館-4・・・・妻面の納まり

2008-06-21 21:18:11 | トラス組:洋小屋

[文言追加:23.38][図面更改:6月22日12.17]

巨大な切妻面の受ける風圧は、かなりのものがある。
この屋根は、トラスで組まれた三角柱が横たわった形。しかし、その立体だけで風圧に耐えるには無理がある。そこで、@1800mmの束柱と横繋ぎ材(いずれも□100×100の鉄骨)の一部にH-200×100を添わせることで、しのぐことにした。
外部は屋根面に沿った欄間以外は大壁(中空押出成型セメント板)、内部は、束柱の間にスギ板壁を真壁納めとしている。スギ板は目透かし張りとし、内部に吸音材を封入した(でき上がってみると、野地板の硬さが吸音効果を妨げ、若干反響が著しかった)。

最近、木造、鉄骨造、RC造を問わず、とかく「構造」は「隠れてしまうもの」「隠すもの」というような設計が多いが、私は賛成しがたく思っている。
つまり、舞台の書割り、その支えが構造だと考える人が多いようなのだ。
「構造体」をすべて表しにする、しなければならない、とは毛頭考えないが、「構造体」とはまったく無関係な「外皮」がつくられる傾向にはついてゆけない。

昨今の、杜撰な構造計算・構造計画が多発する現象は、ことによると、設計者の「構造蔑視」「構造無視」の考え方が結果しているのかもしれない。

それにしても、「構造体とは無関係な外皮」を、いったいどのようにして《発案》しているのだろうか。私には、まったく不可解・謎である。

M小学校の体育館-3・・・・屋根の詳細

2008-06-17 21:56:42 | トラス組:洋小屋

今回は、鉄骨トラスに載せられた瓦屋根の詳細。
瓦の枚数が各部の寸法等の決め手になる。

原図はA1判、縮尺20分の1および10分の1。鉛筆描き。
上掲の図は、原図から抜粋し編集、文字を活字化。

ほぼ設計図通りに仕上がっている。

次回は妻壁の納まりを紹介予定。

(まだ風邪が完全には抜けない!)

M小学校の体育館-2・・・・トラス組の詳細

2008-06-12 18:48:35 | トラス組:洋小屋

[図版改訂 6月13日 12.48]

上掲は、先の体育館のトラスの工事中の写真と設計図。

この設計では、トラス組:構造体:がそのまま現れることを前提に設計している。これは、以前に紹介したこの小学校の校舎部分での考え方と同じである(「RC・・・・reinforced concreteの意味を考える-1」「RC・・・・reinforced concreteの意味を考える-2」参照)。

材寸の確定、仕口等の構造詳細設計は、増田一眞氏にお願いした。
上の図は、増田氏の直筆図を編集し、文字等を活字に置き換えてある。
原図はA1判、20分の1、鉛筆描き。

メインのトラスの上下弦材は、2L-90×90になっているが、計算上では2L-75×75で十分とのことだった。しかし、何となく不安で一段大きくした記憶がある。仕上がってみると、見た感じ、少しばかりごつく、75でよかったのかもしれない。

G-PLについては、可能なかぎりr をつけている。部材接合部の一体感が視覚的に得られるからである。
また、主トラス相互を桁行方向に結ぶ繋ぎ梁(図のB1)も、アーチ型のラチス梁とした。これも、全体が組みあがったとき、個々の主トラスだけが浮いて見えることをきらったからである。結果は、一定の効果は得られたように思う。

このようにプレートをr を付けて切断したり、アングルを湾曲させたりすることは、手間・加工費がかかるとして、最近ではあまりやらないようである。
しかし、トラス組は、使用鋼材量が圧倒的に少なくなるから、鉄骨工事費総体としては、必ずしも高くはならない。

なお、r 加工は、レーザー利用の切断のため、最近では以前に比べると、数等容易とのことだった。

鉄部の塗装は、内外とも、グラファイトペイント仕上げ。

鉄骨と建築仕上げとの取合い等については次回。

(今回も間が空きました。風邪完治せず・・・)

M小学校の体育館-1・・・・鉄骨トラス+瓦屋根

2008-06-08 12:23:58 | トラス組:洋小屋
[写真・図面更改 16.43]

長手:桁行36m、短手:梁行27mの大きな競技室をもつ体育館。
小学校の体育館だが、同時に、地区の社会教育・体育施設をも兼ねるため。

写真は竣工写真から。原版はカラーだが、水銀灯の照明の補正をかけていないため、青ずんでいたのでモノクロにした。

図面の原図は100分の1、鉛筆・手描き。平面図の右方が北(図面の上が西)。

RCの躯体に鉄骨トラスの小屋組を架けた切妻型。
躯体のRCは要所に限定し、開口部は煉瓦1枚積あるいはコンクリートブロック(CB:防水19cm厚)積の腰壁で、開口の大きさを調節(場所によると、全面を煉瓦あるいはCB積)。
競技室内壁は、スギ板横目透かし張り(内部に吸音材)、素地仕上げ。
ギャラリーの手摺もスギ板目透かし張り。

外部に面する建具はアルミサッシ、内部の建具が木製を原則としている。

小屋組は、下部を円状(アーチ型)、上部が切妻型のアングルで構成したトラスを@2700mmで配置。加工に手間がかかるが、鉄骨量は少なくて済む。
なお、プロフィールの写真は、このトラス組の躯体取付け工事中の様子。

このトラスの形式は、ベルラーヘの「アムステルダム証券取引所」ホールの鋳鉄製トラスの真似。
もっとも縦横比が違うので、少しも似ていないが・・・(「まがいもの・模倣・虚偽からの脱却・・・・ベルラーヘの仕事」に写真あり)。

屋根は、不燃野地下部表し、瓦(53A型)葺き。
瓦にしたのは、台風の襲来地帯ゆえの策。金属板葺き、特に長尺ものは、風による被害が大きく、最近台風常襲地では、瓦葺きが見直されているという。
瓦が全面飛んでしまうことはまずあり得ず、部分的に被災するだけ。規格品を使用していれば、修復も早い。耐久面でもすぐれている。

次回はトラスの詳細を。

(ここ数日、風邪でダウン。間が空きました。)
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緩い斜面に建てる-3・・・・木造の長屋・その内部

2008-06-04 18:04:32 | 設計法
内部の様子を「竣工写真」から。
狭い室内は、なかなか素人写真ではうまく撮れないが、この場合はプロの撮影。それでも内部が狭いから、実際と若干感じが違う。

平面図に付した矢印・番号が撮影位置。
壁は原則、漆喰塗り真壁。
以前紹介のTo邸では、二階は小屋組表しだが、ここでは天井を張ってある。一階の居室部は根太天井(踏み天井)。

開口部は「外付けアルミサッシ+障子」。障子は柱間に納める。鴨居は「差鴨居」としている。サッシの色は白。アルミ地金の色にしたかったが、なかったので白とした。
これは、木部が経年変化で黒くなったときのことを考えたからである。黒くなったとき、普通木造建物に使われる茶色系のサッシだと、みすぼらしく見えてしまうようだ。白くすると、経年変化後でも、開口部がすっきりと見える。
もともと、アルミは木材とは異質なもの。アルミを木材色に似せてみても、その色は経年でも変化しない。つまり、年を経ると木部とそぐわなくなる。ならば、異質は異質として見せてしまった方がかえってよい、という判断。

緩い斜面に建てる-2・・・・木造の長屋:その架構

2008-06-02 20:05:47 | 設計法

[図面改訂 6月3日 10.42、11.01][記述修正 6月3日 11.10][タイトル変更 6月3日 17.38]

緩い傾斜地面に大きな手を加えずに建てるためには、一戸あたりのおおよその間口を基に計算すると、各戸相互間に約20~25cm程度の段差を設ければよい。
一方、各戸を同一断面にして、その屋根勾配を2寸5分とし、建物のズレを3尺にすると、7.5寸の段差が生じる。これで配置してみると、敷地に納まる。それが、前回紹介の配置図。

今回紹介するのは、各戸の「各階平面図」と「標準矩計図」、および「戸境通り(図の「い」通り)の軸組図」。

架構は、以前に紹介した「棟持柱」形式(「続・日本の木造技術の展開・・・・棟持柱・切妻屋根の多層農家」「棟持柱の試み・・・・To邸の設計」「棟持柱の試み・補足・・・・To邸設計図抜粋」)を採っている。

上掲の矩計図は、上掲平面図の一戸手前の住戸の矩計。軸組図は、その戸境壁(「い」通り)の軸組。
棟通り(図の六通り)を「通し柱」として、「床梁」「小屋梁」を「通し柱」の両側に出し、管柱で支える(上掲平面図では、棟通りは「七」通りになる)。
左右(南北)に延びる「床梁」「小屋梁」は、「通し柱」で「雇い小根ほぞ差しシャチ栓継ぎ」。同一位置で直交する東西方向の梁(桁)も同様「雇い小根ほぞ差しシャチ栓継ぎ」で通し柱に納める。

厄介だったのは、戸境の軸組(「い」通り軸組図参照)。
図のように、複雑になっている。ただ、この部分以外は、きわめてスムーズに仕事は進んだ記憶がある。

このような「棟持柱」形式は、ことによると現在は、、隅柱を通し柱にせよ、という「建築基準法」の規定に違反するとして、認めてくれないのかもしれない・・・。