とり急ぎ・・・・「耐震」の実際

2011-09-14 18:46:29 | 地震への対し方:対震
[筆者註 追記 15日 9.57][見解転載追加 16日 19.15][追加 17日5.30]


(社)日本建築構造技術者協会(JSCA)茨城サテライトから、「設計者のつぶやき」という今回の震災の「体験」に関しての「体験談・見解」集が公表されています。
   註 現在はリンクできません。ご了承ください。[2016.05.03追記]

その中に、木造建築についての瞠目すべき「体験に基づく見解」がありましたので、以下に紹介します。


現行の設計基準にて設計した「土台は基礎に緊結する」住宅で、基礎コンクリートにひびが入る被害があった。
上屋の揺れによりアンカーボルトに大きな力が加わって破壊したものと思われる。
家の中では筋交い周囲の壁のひび割れが多く、家具類の転倒が激しかった模様。
しかしながら、近隣に建つ、基礎と一体となっていない土台や、筋交いを持たない工法で建てられた住宅(いわゆる在来軸組工法、伝統工法*)は、土台のずれが認められるものの、家屋の被害は極めて少ない。このような被害傾向は他の場所でも確認された。
地盤と一体となって地震の力を全て上部の建家に伝えてしまう耐震の考えと、地震力を基礎部分で低減し、建物全体で地震力に抵抗させようとする考えの違いであるが、地盤と基礎に緊結する現行基準によって建てられた木造建築物が、必ずしも在来の軸組工法*に勝るものではないと思われる。
むしろ、在来工法*の優れた考えをもっと々生かした基準の見直しを考えるべきである。
『地震に強い建物』(剛構造)より『地震になじむ建物』(柔構造)を…と指導していた専門家の言葉を思い出す。

   筆者註 *の文言は、建築基準法施行以前に行われていた工法のことを指しているものと考えられます。

   筆者註 [追記 15日 9.57]
   ここで使われている「在来工法」「伝統工法」の語は、読まれる方に、誤解や混乱を起こしそうに思えます。
   そこで、以前、筆者なりに、そのあたりについてまとめてみた「項目」を、下記に挙げます。
   「在来工法」≠「伝統工法」であることを、ご理解いただければ幸いです。

   「『在来工法』はなぜ生まれたか-1」 
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-2・・・・『在来』の意味」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-2の補足・・・・『在来工法』の捉えかたの実態」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-3・・・・足元まわりの考え方:基礎」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-3の補足・・・・法令仕様以前の足元まわり」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-4・・・・なぜ基礎へ緊結することになったか?」 
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-4の補足・・・・日本の建築と筋かい」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5・・・・耐力壁に依存する工法の誕生」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5の補足・・・・耐力壁の挙動」
   「『在来工法』はなぜ生まれたか-5の補足・続・・ホールダウン金物の使用規定が示していること」

また、かつての日本の建物づくりの実相をお知りになりたい方は、下記で私見を書きましたので、ご覧ください。
   「再集:日本の建物づくりでは、壁は自由な存在だった」[追加 17日5.30]


もう一つ、最後に載っていた素晴らしい見解にも、私は賛意を表します。以下に転載します。


大地をこれほどまでに「ゆする」巨大なエネルギーのまえに、
どれほど英知を絞った「人工物」でも歯が立たない…という気がします。
自然のエネルギーに抵抗させた建物は、激しく何度も繰り返す激大きな揺れに激しく損傷し、
それを目で追う住人は、為すすべを知らずになるがままの状態で、
多くの方が「死」を覚悟した恐怖は、心に大きな傷跡を残してしまいました

揺れが収まった後の惨状は、街の景色を一変させ、重い荷物を課せられたような長く続く苦労を思わせました。

建物はいつか補修されて元の姿を取り戻しても、人の心の傷は改修不能です
我々は「自然に抵抗」するのではなく、
「予想される力になじむ建物」を造らなければならない。
こんな基本をともすれば忘れて設計に従事していた自分が、自然界に激しく叩かれたようなショックでした


大地の動きを建物に伝えても「耐震」の抵抗力で建物を壊さないようにする現行の一般的な設計は、
震災を受けた人の心に及ぼす影響を考えるとき、大きな疑問を感じます


今後は、地盤の揺れを建物に直接伝えない考えや、
揺れを「逃がす・吸収する」設計をもっと普及させ、
地震に遭遇した人の心に大きな傷跡を残さないよう心がける必要があると思います

我々は「建物」を設計しているのではなく「ひとの心」を設計しているとの認識を持ち続けなければなりません

毎日車で通る見慣れた道の、あちらこちらで、初め小さな「凹面」が1週間後に「えくぼ」になり、すぐに「危険」箇所になる状況。
その繰り返しに、自然界の力に対して人工的な技術が如何にぜい弱なものかを感じます。
道路は大地と切り離すことは出来ないが、建築物は地盤と切り離すことが可能なのですから。
 [追加 16日 19.15]

想像を絶する「想定外」

2011-03-20 22:16:13 | 地震への対し方:対震
[註記追加 21日10.57]。[文言追加 21日 15.59][註記追加 21日 19.32][追記追加 22日 8.04][文言補足 22日 17.28]

想像を絶する津波被害には、言葉がありません。呆然としています。
そして、紛うことなき人災:原発事故。



この地図は、参謀本部陸軍部測量局によって明治22年、23年に作成された三陸海岸の1/20万地形図です(「日本歴史地名大系 宮城県」より)。上方の湾が陸前高田、続いて気仙沼、志津川(南三陸)と湾が並んでいます。最近の(震災直前の)地図と比較しようと思っていますが、できていません。


子どもの頃、「稲村が崎」の話を読んだり聞いたりした記憶があります。鎌倉の話です。
収穫の秋、村の高台に居を構える村の名主が、普段と違う地震に異変を感じ、海を眺めると潮が引いてゆく。津波の前兆と察して、収穫したばかりの稲束を集めて火をつけ、火を見た村人たちは火事と思い火の元へ駆けつけ、その結果、村人たちは津波に遭わずに済んだ、という話。

四半世紀前、三陸を巡ったとき、田老など各所の海岸で、見上げるばかりの防潮堤・水門を見て驚いたことがあります。
このたびの津波は、建設時の「想定」を越えたもので、一部が倒壊したとのことです。
三陸大津波の後、田老では、高台に居を移す話もあったそうですが、やはり、海に近い方がいい、ということで、おそらく、工学畑の専門家の進言があったのでしょう防潮堤を築造することになったのだそうです。
防潮堤の高さは、それまでの最大潮位を基につくっている。


今回の福島第一原発の恐るべき事態について、TVで、東京電力の社長が、この被災は「地震による揺れではなく、想定外の津波が非常用電源にかかり機能しなくなったため」と言っているのを聞きました。
「想定外」という大災害の後かならず聞こえてくる語が、やはり使われています。

東京電力HPに、「原子力発電所の安全対策について」という項があり、そこに、津波への対策として、次のように書かれています。読みやすいように段落は変えてあります。

  津波への対策 
  原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、
  過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、
  重要施設の安全性を確認しています。
  また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。

この引用は、いったい、東電(の社長)の「想定」が何であったかを知るためのものです。

私には、これを読むと、何が「想定外」であったのか、分りません。
なぜなら、「過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認」している、と明言しているからです。この言に従う限り、今回の津波は「想定内」のはずです。

それゆえ、こう明言した上で「想定外」と言う以上、論理的には、「過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価」した「評価」が誤りであったということになります。
つまり、「発電所の設計」の「前提」が誤りであった、あの場所に原発をつくることは間違いだった、ということです。

このことは、近・現代の「工学的設計思想」の重大な「欠陥」「欠落」部分を象徴的に示している、と私は思います。

いったい、「敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価した」「評価」の妥当性、正当性について、どのような「評価」が為されたのでしょうか。
「評価を下した人たち」の「評価」にあたっての「根拠」は何だったか、明らかにしているのでしょうか?
終わってから「想定外」と言うなら、専門家でなくても、誰にでもできる。

そして何よりも、安全に扱うことができないことが分っている、廃棄物の処理も簡単にはできないことが分っている「核燃料」を、「大丈夫だ、最新の科学・技術で安全に扱うことができる」、とした「判断」の根拠は、いったいどこにあるというのでしょう?

「設計」という営為は、人がこの世に誕生したとき以来、人びとにより為されてきたことです。
しかし、その古来人びとの為してきた「設計」と、近・現代の「工学的設計」とは「思想」がまったく異なっています。

現在は、「工学的設計」こそ「範たる設計法」だ、という考え方が広く流布しています。近・現代の「工学的設計思想」による設計は、必ず、ある「目標(値)」を掲げ、その目標(値)の完遂を設計の指針とするのが普通です。
建物の「耐震基準」もそれです。

このような「設計の論理」は、「数値シミュレーションによる評価」がない限り、設計は行うことはできない、と言うことをも意味しています。そして、これが「工学的設計の真髄」と言ってよいでしょう。

一方、古来人びとが行ってきた「設計」は、このような「目標(値)」を立てて行われたものではない。
もちろん、彼らもまた、彼らの「経験」から、何をしたらよいか考えたはずです。
そのとき彼らは、不可能なものは不可能として認め、人にできないものを無理してまでも行おうなどという無謀なことはしませんでした。
彼らは、不可能なこと・危ないモノを、「勘」「直観」で見分けていたのです。現代の科学者たちは、それを、非科学的だと言います。
しかし、古来の人びとは、本当に非科学的だったのでしょうか?
   
   しかも、「数値シミュレーションによる評価」などせずに、
   彼らの建設した多くの構築物・建物が、数百年の時を経て、なお健在なのです。
   現代の科学者たちは、何故、この厳然たる事実に目を遣らないのでしょう。
   [註記追加 21日10.57]

古来の人びとと、近・現代の科学者たちとの最大の違いは、
古来の人びとは、世の中に在る事象、とりわけ「自然の現象」には、「人智の及ばない、及び得ない事象が多々在る」との認識を、当たり前のこととして持ち、それゆえ自然の力に対して、力ずくで対応する、などということは考えなかったのに対し、
近・現代の科学者たち、とりわけ「工学畑の科学者」には、人智の及ばない事象はない、あるいは、先進の科学・技術には人智の及ばない事象などない、という視座をとる方がたが多い、ということです。

私は、「人智の及ばない、及び得ない事象が多々在る」との認識こそが、科学的な:scientific な認識である、と思います。
逆に言えば、「人智の及ばない、及び得ない事象が多々在る とは思わない」「そういう事象に対しても、科学・技術で対応できる、それが人智だ」などと考えることこそ、non-sense であり、non-scientific である、ということです


おそらくこれから、原発の安全、危険の論議がされるに違いありません。
そしておそらく、今回の津波を基に、新たな防潮堤の「基準」づくりに走るのも間違いありません。現に、建設中の原発で、高さ12mの防潮堤を新設する、という発表があったそうです。
しかし、これで安全かどうか議論しても、不毛です。non-sense です。

肝腎なことは、自然現象を、完璧に予測できるのか、そして、核燃料・放射線物質の放射線を完全に制御できるかどうか、の問題です。
昔に比べればかなり分ってきた、ある程度は予測できる、というのは答えになりません。
なぜならそれは、完全には分っていない、という事実の裏返しの表現に過ぎないからです。
完全に予測できない以上、「耐」地震、「耐」津波・・・などはあり得ないのです。
[文言追加 21日 15.59]

そしてまた、ある程度制御できる、危険にならない程度まで制御できる、というのは答えになりません。
なぜならそれは、完全に制御できないという厳然たる事実の裏返しの表現に過ぎないからです。
放射線量を確実に0にすることができない以上、安全ということはないのです。
要するに何をしても危険は危険だ、というのが厳然たる事実
なのです。

   昨年の春先に、「現代の科学の実態」について書かれたある書物を、その書評で紹介させていただきました。
   2010年3月21日付「毎日新聞(東京)」朝刊からの転載です。再掲します。
  


まして、この程度の被曝量は、人はいつも自然界から受けている、だから問題ない、という論理で「安全」を論議したり、「安全」を説くのはやめましょう。
なぜなら、「この程度の被曝量」は、わざわざ人工的につくりだしたもの、つくりださなければ存在しなかったものだからです

人に暴行を加えておいて、この程度の暴行では人命に損傷がない、だからと言って、暴行を正当化できますか?

1986年のチェルノブイリ原発事故に際して、森滝市郎氏(当時の原水禁代表)は、次のように語っています。

・・・・
核エネルギーは軍事利用であっても、平和利用であっても、人類の生存を危うくするものであり、核エネルギーと人類は共存できないと思い定めて、核絶対否定の道を歩むことが人類の生きる道ではないでしょうか。
・・・・


   註 4年ほど前に、やはり地震があったとき、同様の感想を書いていました(下記)。
      『「想定外」と「絶対」・・・近現代工学の陥し穴』 [註記追加 21日 19.32]

   追記 [追記追加 22日 8.04]
   お寄せいただいたコメントに「基準(値)」についてのご意見がありました。
   何でも「基準」で片づける不条理について下記で書きました。
     「基準依存症候群・・・・指針、規定、そして基準」

   海外では、原発損壊で避難をしなければならないような事態になっても
   「静かな」日本人を「称賛」している、という報道があるとのこと。[文言補足 22日 17.28]
   それは「誤解」だ、と私は思います。
   近代化以前、つまり明治以前はそんなことはなかったはず。おそらく一揆が起きたでしょう。
   明治以降、人びとは「飼い慣らされてしまった」のではないでしょうか。
   天は人の上に人はつくらなかった、かもしれませんが、
   明治以降、「国」は進んで「人の上に人をつくってきた」のです。
   どんな人を?偉い人たち:学者とお役人・・・を。
   人びとは、偉い人のつくる「基準」に唯々諾々として従うのが当たり前になってしまった!
   何故?ラクだから・・・。

   そうではありませんか?
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地震と「場所」

2010-07-27 02:38:08 | 地震への対し方:対震
[誤字等訂正 27日10.50][文言追加:11.40]
25日、26日と久しぶりの雷雨。25日は北西から、そして26日は北東からの襲来。
2日とも大雨・洪水警報が出ましたが、この地区では居住地の浸水・洪水は先ず起きない。幸いなことに、そういう場所を避けて人が住んでいるからです。[文言追加:11.40]

26日の毎日新聞に、「ちゃんと調べている方がおられるのだ」ということばが思わず口をついて出た貴重なデータが紹介されていました。
下の「阪神大震災による死者の発生地点と旧河川跡を重ねた地図」です。
立命館大学の高橋学氏(環境考古学)が作成されたもの。



私も、被災が、元来人が住んでいなかった東海道線よりも海側の地区に於いて激しい、と見ていましたが、そのことについて、詳細な調査が行われていたわけです。
しかし、このようなデータは、震災後出された「報告書」にはまったくありません。

一言で言えば、旧河川敷のような土地は、被災しやすい場所だ、ということ。記事にもありましたが、古人はそういうところには住まなかった。
東海道線のルートは、明治期の鉄道敷設では多い事例ですが、人が居住可としてすでに住み着いていた地区を避けて、空いていた場所でかつ市街に近いところ、したがって市街地の縁に設定されたのです。簡単に言えば、「人の住めない(と人びとが判断していた)」場所に敷設した。

現在、耐震補強が盛んに言われています。
幸か不幸か、茨城県の学校の耐震補強化率は、全国で上から45番目。

現在の耐震補強の指針について、私はかねてから疑問を抱いています。
先ず、一律に震度6弱の地震に対して「耐」震にする、ということのおかしさ。
なぜなら、一方で、「揺れやすさ」地図がつくられているからです。
耐震補強の怪-1参照)。
そこでは、それぞれの地域の地形・地質によって、揺れやすさが大きく異なることが示されています。つまり、地震の程度は、地域によって異なり、一律ではない、ということです。
耐震補強の「目安」としている震度6弱の地震とは、場所によらず、「一律に、震源上端深さ=4kmで、M6.9の地震が起きた場合の想定震度」を言っています。
そのような地震が起きたならば、ほとんどすべての場所が「震度6弱」以上の揺れを受けることになるというのです。
  
そう仮定すると、そのような巨大地震が、頑強な地盤のところでも起きるというわけです。頑強な地盤がどのような過程でできあがっているか、それゆえ、そういうところでは、地震はどのように起きるか、そういったこととは一切関係なく「震源上端深さ=4kmで、M6.9の地震」が起きるという想定。
これは scientific と言えますか?
つまり、場所によっては、「震度6弱」以上の地震は起きないところもあるはずです。

   註 そういうと、「もしも起きたらどうするのだ」、だから「安全側」で考えているのだ、と言うでしょう。
      だったら、「揺れやすさ」地図は、何のためにつくった?

次に現在奨められている「耐」震補強の具体的な諸例の「ひどさ」。
これは、偉い人たちが、「人は耐震のために一生を過ごせ」と考えていると見てよいでしょう。古人ならば、たとえ「耐」震を考えたとしても、こんなことはしなかった。「耐」震が人生の目的であるとは考えないからです。
古人は、「人生」を完遂するために地震に対した。それは「耐」震ではなかったのです。
これから何世紀か後、発掘された「現代の建物」遺構をみて、未来人は、何と思うでしょうか。人は毎日地震のことばかり考えて暮していた?!

本来、都市計画とは、そのような場所は居住地として不可、ということを明確に指示し、建築法例とは、そういう場所には建ててはならないこと、を明確に指示すべきで、そういう場所にも人が住める、そういう場所ではベタ基礎にせよ、などというのは、本末転倒の指示と言ってよいでしょう。

茨城県の耐震化率が下から3番目というのは(上から45番目は下から3番目でした、訂正)、未だ、不要なことに支出をしていない、建物の監獄化が進んでいない、ことを意味し、だから、むしろ「幸」なのです。

   註 こんなことを言うと、地震で被害にあったらどうするのだ、と言われるでしょう。
      私は、個々の事例について詳細に考えるべきであって、
      一律の指針で進めるのは間違いだ、と言っているのです。
      一律の指針で耐震補強を行なった建物が被災したらどうするのだ、と言いたいのです。
      私には、補強の結果、かえって危なくなった建物が多いように思えるからです。
      そのとき、いままでに経験したことのない地震だった、などという言い訳は、もう結構です。
     
      そしてまた、建築構造に関わる方々から、何の「意見」も出ないことを不審に思っています。
      すべての建築構造に関わる方々が、
      今進められている「耐震補強」が妥当・正当だ、とお考えなのでしょうか。
                                       [誤字等訂正 27日10.50]
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速報・続・・・・「公開倒壊実験」の主催者挨拶・説明の動画

2009-10-31 22:09:27 | 地震への対し方:対震
[転載記事追加 11月1日 12.38][感想文言追加 11月1日 15.39][註記追加 11月3日 7.19]

「3階建て木造住宅倒壊実験」の「公開実験」にあたって主催者が行った「主催者挨拶・解説」の録音されている動画のあることが分りました。
とり急ぎお知らせいたします。
下記で見る(聞く)ことができます。

「プレス資料」よりも詳しく、「試験体1」と「同2」の違いを懇切丁寧に説明し、
「試験体2」の方が「同1」に比べて「弱い⇒長期優良住宅の基準を満たさない」旨解説されています。
なお、「試験体1」は、29日に紹介の「動画」(下記に再掲)で、ひっくり返った方の試験体です。

なお、主催者としては、「プレス資料」では「防災科技研」が筆頭ですが、この「主催者挨拶・解説」では「木を活かす建築推進協議会」が筆頭で挙げられています。

「主催者挨拶・解説」
http://video.fc2.com/content/%E5%80%92%E5%A3%8A%E5%AE%9F%E9%A8%932/20091029J14ZNhV6/

「実験開始から試験体1がひっくり返るまで」
http://www.youtube.com/watch?v=IJQW8fuCwDc

追記 関西テレビのHPから、動画ニュースで倒壊映像、実験者のコメントなどにアクセスできます。
以下に、関西テレビネット版の映像から、説明文章部分をそのまま転載します。[転載記事追加 11月1日 12.38]
   
   *********************************

関西テレビの映像から

木造3階建て住宅の倒壊実験 予想外の結果に…

最近増えている3階建て住宅の耐震実験が兵庫県三木市で行われました。
「長期優良住宅」と、そうでないものの比較でしたが、予想外のことが起きました。
27日に行われた、3階建ての木造住宅2棟を揺らす実験。
それぞれの違いは、柱と壁などの継ぎ目に使った金具の強さだけです。

一棟は強度の高い金具を使い、一定の耐震基準を満たす「長期優良住宅」の認定を受けています。
そしてもう一棟は、強度が「不十分」な家です。

実験は耐震基準の1.8倍の強さの揺れを加え、建物への影響を調べます。
手前にある「継ぎ目の強度が足りない」方(筆者註 試験体2)が倒壊する…と予想されたのですが、揺れが止まる直前、長期優良住宅だけが倒壊するという予想外の結果が出ました。

一方「強度が不十分」とされた方は、揺れ始めた段階で飛び上がり、大きく変形しますが、かろうじて倒れずにすみました。

この結果を受けた、実験担当者の建築研究所・河合直人上席研究員は「倒壊する・しないの結果だけ見ると、予想と違ったことは確かだが、両方の試験体ともに倒壊に近い状態になったと言える」と説明しています。
データの上でも、長期優良住宅のほうが1割から2割ほど揺れに耐える力が強かったということです。

「倒壊はしたものの、時間的にはずいぶん遅れて倒壊した」「詳細にデータを解析し、結論を出したい」(河上研究員)。

グループでは「実験の条件に左右された面もあると考えられ、基準の見直しにつながるものではない」としています。 ( 2009/10/28 19:52 更新)

   *********************************

    〇 記事を読んでの筆者の感想
       記事がどこまで、発言内容を正確に伝えているか、分りませんが、
       発言が事実だとすると、いずれも scientific ではなく、「研究者」の発言には思えません。
       とりわけ、下記の発言は何だろう。いじましい。
       《予想と違ったことは確かだが、両方の試験体ともに倒壊に近い状態になったと言える》
       《データの上でも、長期優良住宅のほうが1割から2割ほど揺れに耐える力が強かったということ》
       《倒壊はしたものの、時間的にはずいぶん遅れて倒壊》
       唯一まともなのは「詳細にデータを解析し、結論を出したい・・・・」ぐらい。

       《実験の条件に左右された面もあると考えられ、基準の見直しにつながるものではない》
       「基準の見直しにつながらない」あたりまえです。
       こんなのでやたらに基準を変えられてはたまらない!
       もういい加減にせい!と言いたくなります。[感想文言追加 11月1日 15.39]

「速報」に於いて書きましたように、「試験体」の詳細(設計図など)を知るべく、「防災科技研」に「問合せ」を行いましたが、その進行状況・経過に付いて、明日あらためてお知らせいたします。

   註 この記事へのコメントで触れている2007年1月23日の記事は下記です。[註記追加 11月3日 7.19]
      「地震への対し方-2・・・・震災現場で見たこと、考えたこと」

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雑感・・・・三木の「E-ディフェンス」

2009-10-30 02:52:59 | 地震への対し方:対震
[註記追加 10.25][解説文言改訂 31日 10.35][神戸新聞の記事転載 31日 17.07]

「長期優良住宅」の実物大実験の「速報」のおかげで、予定の記事作成のペースが乱れています。

「動画」を見ていささか驚いた後、いったいどんなものだ、と思って「防災科学技術研」のHPで「実験実施のお知らせ」という9月28日付「プレス発表資料」を見てみました。

     動画中の、倒壊・転倒直後の
     「どういうこと?」とのような発言と、
     笑い声が印象的です。
     笑い声は、苦笑か失笑かそれとも哄笑か・・・・。

「プレス発表資料」によると実験に使われた「実物」は、構造用集成材の105㎜角の柱(!?)を使い、梁桁も構造用集成材で
試験体1:N値計算に準拠した許容応力度計算で接合金物を決定した建物
試験体2:耐力壁が耐震等級2を満たすが接合部設計を存在応力に基づき行った建物
とあるだけで、[試験体1の解説文言改訂 31日 10.35]
図面は平面図だけ、断面図も伏図も接合部の詳細も分りません。
先回のいわゆる「伝統的工法による住宅」の実験では、詳細な図が開示されていました。
今回はどうして図が示されないのだろう?
そこで、「防災科学技術研」に、試験体の設計図面を教示いただくべく、研究所HPの所定の「問合せメール」宛、問い合わせ中です。

「プレス発表資料」の写真と「動画」に写っている建物から判断すると、潰れたのは「試験体1」のようですが、よく分りません。

なお、先回の記事のコメントに、この実験についての地元紙「神戸新聞」の記事と、別の角度で撮影された「動画」のアクセス先を紹介していただいております。

以下が「神戸新聞」の記事です。[記事転載 31日 17.07]

  ***********************************

認定が進む「長期優良住宅」の耐震性能を図る建物倒壊実験が27日、三木市の実大三次元震動破壊実験施設(E-ディフェンス)であった。
2棟を揺らし、まず、柱の接合部の弱い建物が損壊。接合部の強い優良住宅の建物も最終的に倒壊した。研究者は「与えた地震動が大きすぎたためで、耐震性に問題はない」としている。

長期優良住宅は、耐震性や耐久性に優れた建物が認定され、住宅ローンの優遇措置などが受けられる。
実験は、3階建て木造住宅2棟を使用。一方は優良住宅の基準を満たし、もう一方は同じ構造、重さながら柱の接合部を弱くした。

震度6強の揺れを20秒間与えた。接合部の弱い住宅は10秒で1階部分の柱が傾くなど「全壊」並みの損壊。
優良住宅は柱は持ちこたえたが、壁に圧力がかかり、20秒を過ぎて倒壊した。

優良住宅は、通常基準の1・25倍以上の耐震性が必要とされるが、今回は1・8倍の地震動を与えた。
実験グループの大橋好光・東京都市大学教授は「1・8倍まで耐えられると思ったが、壁が弱かった。基準はクリアしたが、今後データを詳しく分析したい」と説明した。(岸本達也)

    記事を読んでの筆者の感想
     壊れても基準はクリア、とはこれいかに?
     もう一方は、よわいはずなのに、なぜ倒壊しなかったの?

  ***********************************
 
ところで、「動画」を見て、実験そのものとは別の感想を私は持ちました。
実験にはかなりのギャラリーがおられたようです。
このギャラリーの皆様は、いろいろな所から来られた方々だと思います。遠路はるばる、という方もおられるでしょう。

E-ディフェンスのある三木は、地図を見れば一目瞭然、「浄土寺・浄土堂」のある小野市へは10km程度、千年家「箱木家」は、神戸への帰り道沿い、同じく千年家「古井家」は少し遠いけれども40kmほど、中国自動車道を使えば直ぐ。

これらの建物は、どれも、それこそ「長期優良」建物、「浄土寺・浄土堂」は築800年以上、「箱木家」「箱木家」は築400年ほどです。

ギャラリーの方々で、これらの建物の内の一つでも「ついでに」訪ねた方はおられたのでしょうか。

そして、「防災科学技術研究所」の方々で、これらを訪ねた方は、どのくらいおられるのでしょうか。

もちろん、実験の共催者「木を活かす建築推進協議会」の方々は、「木を活かす」ことを考えている以上は、当然のこととして、訪ねているのでしょうね?

先回の「いわゆる伝統工法の住宅」の実物大実験を訪れた「伝統工法」に関心をお持ちの方々の中でも、訪れた方はいなかったようです。
私などは、実験だけ見て帰るなんて、交通費がもったいない、と思ってしまいます。

   註 「古井家」「箱木家」については、下記をご覧ください。[註記追加 10.25]
      この記事では、室町期に建てられた「千年家」は、
      壁に依存することなく、架構自体で自立していたことについて書いています。
      「日本の建物づくりを支えてきた技術-23の補足・・・・古井家の貫から貫工法を考える」
      「日本の建物づくりを支えてきた技術-41の補足・・・・復元・箱木家の空間と架構」 
      「浄土寺・浄土堂」については、各所で触れていますので、
      「このブログ内」で検索してくだされば幸いです。
      なお、その検索でも、上記の記事ならびに関連記事に寄れます。
        
暗い話はやめましょう。
上掲は、先日の台風20号が去った後の「神社の杜」の夕映え。
実は、ほんの一瞬前まで、二本の杉の古木の頂とその下の枝には、数羽の烏がとまっていたのですが、カメラを取りに行っている間に、飛び立ってしまっていました。
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速報・・・・「長期優良住宅」基準の建物が実物大実験で倒壊

2009-10-29 07:12:02 | 地震への対し方:対震
[アクセス先 追記 29日17.08][日本経済新聞 28日 朝刊記事 転載 18.00][註記追加 18.10]

先回の「耐震診断・耐震補強の怪-3」のコメントに、標記についての情報が寄せられました。
コメントにその内容を載せましたが、見やすいように記事にもしておこうと考え、以下に転載します。

出所は28日の「日経」ネット配信ニュースです。なお、実験の動画もあります。アクセスは下記で。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091028AT1G2703J27102009.html
http://www.youtube.com/watch?v=IJQW8fuCwDc

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「長期優良」でも倒壊  3階建て木造住宅耐震実験 防災研

防災科学技術研究所などは27日、大型震動台「E―ディフェンス」を使って
3階建て木造住宅を揺らし、耐震性を試す実験を実施した。
その結果、
震度6強で、揺れに耐えると考えられた「長期優良住宅」の基準を満たす住宅が倒壊。
実験を指揮した東京都市大学の大橋好光教授は「基準に問題はない」としているが、
3階建て住宅の増加もあり、同研究所は設計上の課題などを探る。

実験では同じ設計の木造3階建て住宅を2棟使用。
1棟は「耐震等級2」を満たす長期優良住宅。
もう1棟は柱の接合部のみを弱くしてあり、同等級を満たさない。

2棟を並べて耐震基準の1.8倍、震度6強相当の人工地震波で約20秒間揺らした。
実験した住宅はともに耐震基準の1.44倍に耐える設計だが、
実際には余裕を持たせて建築しているため揺れを上乗せした。

その結果、長期優良住宅は揺れ終わる間際に壁が崩れ横転するように倒れた。
計画では、ぎりぎり倒れないはずだった。
もう一方は揺れ始めて約10秒後に柱の接合部が壊れたが、完全には倒壊しなかった。(07:00)

  **********************************

「長期優良」の3階建て木造住宅、震度6強で倒壊 防災研が実験  [10月28日/日本経済新聞 朝刊]

防災科学技術研究所などは27日、大型震動台「E―ディフェンス」を使って
3階建て木造住宅を揺らし、耐震性を試す実験を実施した。
その結果、震度6強で、
揺れに耐えると考えられた「長期優良住宅」の基準を満たす住宅が倒壊。
実験を指揮した東京都市大学の大橋好光教授は「基準に問題はない」としているが、
3階建て住宅の増加もあり、同研究所は設計上の課題などを探る。

実験では同じ設計の木造3階建て住宅を2棟使用。
1棟は「耐震等級2」を満たす長期優良住宅。
もう1棟は柱の接合部のみを弱くしてあり、同等級を満たさない。

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

坂本功氏の後を引き継いで現在「木造」をいわば牛耳っている大橋氏の「言い訳」に注目。

接合部が弱い「優良基準を満たさない試験体」の方が倒れなかった、というのが象徴的です。
「斗栱」による古代建築が、なぜ地震に強いか、実験してくれたみたいですね(当初の「東大寺・大仏殿」は、軒先が垂れたようですが、焼き討ちにあうまでの400年ほどの間、地震では壊れていない!⇒下註参照)。

   註 「日本の建物づくりを支えてきた技術-12・・・・古代の巨大建築と地震」
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耐震診断・耐震補強の怪-3・・・・数値で誤魔化す

2009-10-27 12:39:12 | 地震への対し方:対震
[文言追加 27日15.20][註記追加 27日 17.44][副題変更 17.57][文言追加改訂 18.03]

「耐震診断・耐震補強」は、「建築物の耐震改修の促進に関する法律(平成7年法律第123号」に基づいて制定された「国土交通省告示第184号(平成18年)」に規定された方法で行われることになっています。
そこには、「構造耐震指標:Is、Iw」(Iw は木造、Is はRC造など)なるものを計算して判断せよ、とあり、ここでは書きませんが「計算用《公式》」と計算にあたっての細かな指示が示されています(Ⅰとは、index :指標という意味)。
けれども、こと細かでありながら、実際の規定で用いられる数値は、実は、どんぶり勘定的な about なものと言ってよいでしょう。これは、これまでの耐力壁の計算にあたっての「壁倍率」においても同じです。[文言追加改訂 18.03]
細かく規定されている計算式で、about な数値で計算しておいて、〇〇以上、以下という可・不可の判断をする。しかし、この〇〇の数値自体もまた about。
about であろうが、これまでの「学的経験値」としての数値だ、というのでしょう。
職人さんたちの現場経験による直観や経験を否定しておきながら、こういうところに来ると、突然自分たちの「経験」が顔を出すのです。

第一、この「学的な経験値」というのは、先回も、そして他のところでも触れてきたように、構築物:架構は「耐力部」+「非耐力部」である、との「仮説」(?)の下で得られたもの。
この「仮説」自体がすでに実際の構築:架構を見誤っているわけですから、そこから得られた経験値もまた怪しげ、ということになります。

建築学関係での「学的な経験値」は、「物理学」のそれとはまったく比較にならないほどお粗末だ、ということを認識する必要があるのではないでしょうか。


上掲は、もう何度も掲載してきた奈良・今井町の「高木家」の平面図と断面図です。「高木家」は1830~40年ごろの建設。
この建物は、重要文化財に指定されて行われた1979年の解体修理まで、小さな改造や修理は行われているものの、全体にかかわる大修理などはなされていません。

さらに、これもすでに触れたことですが、1854年(安政元年)の「安政東海地震」「安政南海地震」(いずれもM8.4)など、何回もの地震に遭っていますが、解体修理時には、土台の腐食、蟻害はありましたが、地震によると思われる損壊等は見られませんでした(「『耐震診断』は信用できるのか・補足・・・・高木家の地震履歴」参照)。

ところが、この建物を、木造建築の「簡易耐震診断法」で「診断」すると、たちどころに「要耐震補強」、あるいは「専門家の指示を受けなさい」という「判断」が下されます。布基礎でない、桁行方向に壁が少ない・・・、からです。
閑がたくさんありましたら、お験しください。07年10月16日記事(「『耐震診断』・・・・信用できるのか?」)では、簡易診断法で計算してみています。[文言追加 27日15.20]

実は、何度も書いてきましたが、1981年以前だろうが以後だろうが、歴史のある村や町に今でも多く建っている昔ながらの工法でつくられた農家や商家は、皆、「要耐震補強」、あるいは「専門家の指示を受けなさい」という「判断」が下されてしまうのです。
しかし、各地の地震で、これらの建物に大きな被害がなかったことは、周知の事実です。

   註 聞いた話ですが、滋賀県建築士会では、
      「昔ながらの工法でつくられた農家や商家」の「耐震診断」では、
      「簡易診断法」を安易に適用しないよう、会員に周知徹底している
      とのことです。[註記追加 27日 17.44]

であるとすると、今の「耐震診断」法が適用できるのは、1950年~1981年の間に、時々の建築基準法の規定にしたがって建てられた建物の「診断」にだけ、意味がある、ということになります。


しかし、なぜこうも「数値化」に走るのでしょうか?
たしかに数値の大小は、誰が見ても一目瞭然。
しかも、数字で示されると、何となく信憑性が高いように見え、なんとなく抗いにくいという意味で《説得力》もある。
それゆえ、こういう数字も「霊感商法」に使えるのです。言うなれば、「科学的霊感商法」。「科学的」装いをとるから始末が悪い。


大分前のことになりますが、厳密とは何か、精密とは何か、について、書いた記憶があります(「厳密と精密・・・・学問・研究とは何か」

そこで、ある人の著述を紹介しました。くどくて恐縮ですが、そのなかから、再び、その一部を抜粋します。

その文中に
「この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が見込まれていなければなりません。
この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、はじめて眺められるのです。」という一節がありますが、
この認識を欠いたいかなる「研究」も(構築物:架構は「耐力部」+「非耐力部」である、との「仮説」は、まさに、あらゆる経過事象:経験されてきた事象:が見込まれていないのです)scientific とは言えない、と私も思うからです。

そして、見誤った「見取図」すなわち[架構は「耐力部」+「非耐力部」である]との見かたの下で生まれたいかなる「公式」も、砂上の楼閣の如きものではないでしょうか。
その公式で、細密な計算をする、それを判断の神のように扱う・・・。そこに虚しさを感じませんか?

なお、抜粋部分は、読みやすいように、前回紹介のときよりも更に、原文とは異なる段落に替え、仮名を漢字に直すなど、手を加えてありますが、もちろん文意は原文のままです。

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
   ・・・・・
   今日人が学問と呼んでいるものの本質は、研究です。
   ではどこに、研究の本質があるのでしょうか。
   それは、認識することが自ら道案内として、自然であれ歴史であれ、
   存在するものの領域内で身構えるところに、成り立つのです。

   道案内とは、ここでは単に方法や手続きを言うのではありません。
   なぜなら道案内はすべて、自らがそのなかで動く或る開けた区域を、
   予め必要とするからです。
   しかし、ちょうどそのような区域を開くことが、研究の基礎工程なのです。

   これは、存在するものの或る領域たとえば自然において、
   自然現象の一定の見取図(輪郭)が描かれることによって、行われます。
   いったいどんな仕方で認識する道案内が、開かれた区域に結びつくべきか、
   ということを予め描くのが企画です。

   この結びつき方は、研究の厳密さです。
   見取図の企画と厳密さの規定とによって、道案内は存在領域において、
   その対象区域を確保します。
   最も早くから発達し且つ標準的な近代的学問(近代科学)である
   数学的物理学をみれば、このことが明らかになります。
   ・・・・・

   物理学は一般に自然の認識であり、特に質量的物体的なものを
   運動において認識することです。
   なぜなら質量的物体的なものは、それが様々な仕方にせよ、
   すべて自然的なものに直接に例外なく現われるからです。

   さて物理学が、ことさらに数学的な或るものへと形成されるとすれば、
   これは或る強調された仕方において、数学的なものを通じて、
   また数学的なものにとって、なにものかがすでによく知られたものとして、
   予め構成されている、ということなのです。
   この構成は、求められた自然の認識にとって、
   いつか、自然であるべきところのものを企画することに
   全く他ならないのです。

   すなわち、これは時間空間的に相関連する質点の自己完結的な運動連関に
   他ならないのです。
   この構成されたものとして設定された自然の構図に、
   とりわけ次の諸規定が記入されます。
   すなわち、運動は場所の移動である、いかなる運動も運動の方向も、
   他のそれらより勝っていることはない、すべての場所は他の場所と等しい、
   いかなる時間点も他のどの時間点に優先しない、すべての力はそれが運動に、
   すなわち
   再び時間単位における場所の移動の大きさという結果を伴うところのものにしたがって
   規定される、
   換言すればそれ以上でも以下でもない、などなど。

   この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が
   見込まれていなければなりません。
   この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、
   はじめて眺められるのです。

   物理学的研究の、その問のどの歩みも、予め企画に結びつくことによって、
   自然についてのこの企画が確実さを保っています。
   この結びつき、すなわち研究の厳密さは、
   企画に沿ってそのつど独自の性格をもっています。
   数学的自然科学の厳密さは、精密さです。
   すべての出来事は、それらがおよそ自然現象として表象されるときには、
   その際予め時間-空間的な運動量として規定されねばなりません。
   そのような規定は、数と計算の助けをかりる測定において行われます。
   ・・・・・
   しかし数学的な自然研究は、
   正確な計算がおこなわれるから精密なのではなく、
   その対象領域への結びつきが精密さの性格をもっているので、
   そのように計算されねばならないのです。
   ・・・・・
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

すなわち、[架構は「耐力部」+「非耐力部」で構成される]との見かたは、厳密ではない、ことになります。
厳密でない仮説の下で、精密な計算だけを要求される、この不条理。

文の上記以外は、前記記事をご参照ください。   
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耐震診断・耐震補強の怪-2 の 補足

2009-10-24 10:33:17 | 地震への対し方:対震

先回の終りに、かつての日本人の「補強」の考え方の一例として「慈照寺・東求堂」の小壁を例にしていますが、「木造住宅読本」では、もう少し詳しく書いていますので、その箇所をそのままスキャンしました。上掲のコピーです。

要は、かつての日本人は、建物を「日常」のためにつくったのに対して、
現在の法令では、建物は「耐震」のためにつくるかのように変貌をとげている、と言ってよいでしょう。
極端な言い方をすれば、「日常」は、耐震のためなら犠牲にしてよい、そういう考え方なのです。

かと言って、かつての日本人が地震について考えなかったわけではありません。
日本が台風や地震に頻繁に見舞われることは百も承知。
そのような状況下で、「日常」を、いかに維持するか、それが彼らの念頭にあったのです。
あたりまえの話です。

上掲の解説にも書きましたが、現在の建築家・建築学者は、開口部を広くとりたいという住み手の気持ちを無視して、壁で塞いでしまうでしょう。
現に、耐震補強の例として、今でも農家建築に多い二間続きの座敷(大抵は八畳ないしは十畳二間)の間仕切:襖部を、補強のための耐力壁で仕切ってしまう策が、模範例として提示されているほどです。

人は耐震のために毎日を過ごすのではありません。あたりまえのことです。
「技術の意味」を忘れたくないものです。

耐震診断・耐震補強の怪-2・・・・世界を救うのは強者だけ?

2009-10-23 17:49:18 | 地震への対し方:対震

[写真番号 誤記訂正 24日 2.10][文言追加 24日 2.17][文言追加改訂 24日9.28][文言追加 24日 9.35][文言追加 27日15.17]


今回は、いつも以上に長くなりますが、ご容赦を!

上掲の写真は、近くで見かけた「耐震補強」を施したRC造の学校校舎(以前にも載せたような気もしますが・・・・・⇒07年10月13日記事参照)。[文言追加 27日15.17]
ともに、ローム層の台地上に立地しています。

②の写真の、4階建て既存校舎の左端にある窓のないコンクリートの塊部分が「耐震補強」のために付加された部分です。

①は、最近多く見かける「耐震補強」のためにRCの「筋かい」を付加したRC校舎です。写真はありませんが、鉄骨の「筋かい」を付加した例もあります。
最近は、新築でも、このような「筋かい」を堂々と教室の前面に取り付ける学校を見かけます。

②を見たのは「耐震補強」が叫ばれだした初めの頃、したがって10年以上前のことです。
これを見たときの私の感想は、なぜこんな危なっかしいものが「補強」になるのか、という違和感でした。
私には、もしも地震があったら、特に校舎に直角方向:短手・梁行方向:の揺れがあったら、「既存部」と「補強部」の境:接続部で破断を起こし、結果として既存部にも影響が生じるのではないか、と思えたからです。もちろん、校舎に平行の方向:長手・桁行方向:の揺れでも異常を起こすのではないでしょうか。

①は比較的最近の例です。シートが外され、全貌が見えたとき、やはり違和感を覚えました。それは2点あります。
一つは、
イ)既存の校舎にはなかった「不均衡」、すなわち「強い部分」と「弱い部分」を、何故わざわざつくるのか、私には理解できなかったからです。
もう一つは、
ロ)新設の筋かいのある教室では、常に子どもたちの視界を斜めの線が横切ることになりますが、そういう鬱陶しい空間に変えてしまって平気でいられるというのが「不思議」だったからです。
これは、かつての日本の人びとにはなかった、きわめて粗暴な感覚です。

先ずイ)について。
先に紹介した 遠藤 新 の言葉の中に「不釣合いは不縁のもとで、不権衡は不健全である。外(ほか)の部分が弱められるか、強い打撃をうけるかに終る」という言葉がありましたが(「遠藤 新 の構造、材料についての考え方」参照)、私もまた同様に考えるからです。

私が若い頃、校舎のように同じような部屋が横並びする細長い建物の場合、短手方向の強さは気にしても、長手方向については左程問題にしないのが普通でした。

何故問題にしなかったのでしょうか。

模型で仮想実験をしてみましょう。
何階建てでもいいですが、4本の柱で支えられた直方体Aがあったとします。つまり、4本の柱でつくられた柱状の立体に床板が何枚か入っている立体です。
もう一つ、立体Aと同じ大きさの立体が数個長手に連続している直方体Bがあるとします。接続箇所では、柱を共有することになります。
たとえば4個横並びになった直方体では、柱10本で支えられ、それを貫いて床板が入っている立体になります(模型をつくって写真を撮ろうかとは考えていたのですが、間に合いませんでした。言葉で書くと面倒ですが、簡単な形ですので、姿を想像してください)。

この模型AとBを平らな板の台の上に糊付けします。そして、その板の横腹を、置かれた立体の、直角方向(短手方向)、平行方向(長手方向)にハンマーで軽く叩いた場合を想像してみてください。
たとえば、台を右から左へ向かって叩くと、立体は右側に倒れようとするでしょう。これがいわゆる「慣性」です。注意したいのは、そのとき、台に糊付けされている(固定されている)ため、模型の足元は台とともに左方向に動いていることです。後でふたたびこのことに触れるでしょう。[文言追加改訂 24日9.28]

結果は、直角方向、平行方向ともに、Bの方が倒れにくい筈です。
とりわけ平行方向(長手方向)では、かなりの差があります。
これはあたりまえすぎるほどあたりまえです。
4個のAを横並びした大きさの直方体全体で「水平力」に対応しているからです(これは、実験しなくても分る筈ですが、模型をつくって実験すればすぐに分ります。ウソだと思われる方は、実験してみてください)。
なお、直角方向:短手方向でも、集まった4個のAの大きさの立体の方が、A1個のときよりは、強くなります。

私の若い頃、この「事実」は、誰もが実験をするまでもなく、分っていた、つまり「常識」だったのです(その「常識」は、各人の「体験・経験」で培われていたのだと思います)。

では、その直方体の一部に、不均衡になる部分をつくります。
たとえば、4個のうちの3個目の床板を、天板だけ残して取り去ります。
この立体を、同じように板に貼り付け叩いてみた場合を想像してみてください。
床板を取り除いた部分で、捩れたり、潰れたりする筈です。これが「不権衡は不健全」と言う所以です。


では、何故、最近は「不健全な不権衡」が奨められるのでしょうか?
その理由は、「最新の耐震理論」にあります。

その「理論」とは、簡単に言えば、「地震の力」は主として「水平力」である。その「水平力」に対して、建物の保有する「水平耐力」が対応する、というものです。
そのとき、建物の「水平耐力」を担うのが「耐力部」、すなわち主に「筋かい」を含む「耐力壁」であり、各層(各階)にある「耐力壁の耐力」をすべて足したものがその階の保有する「水平耐力」:「保有水平耐力」である、ということになります。
そして、簡単に言えば、建物の各階の「保有水平耐力」が、地震による「水平力」に耐えられるかどうか、その「検討」が「耐震診断」であり、「保有水平耐力」が足りなければそれを補う、これが「耐震補強」、ということになります。

一見するかぎり、筋が通っているように見えます。
しかし、肝腎なことが忘れられているのです。
「耐震」を考えるあまり、「耐力部」だけしか見えなくなっているのです。
すなわち、「耐震」とは[「耐力部の耐力」vs「地震の水平力」のこと]に掏りかわり、「建物全体」が視界の外に消えてしまったのです。

すなわち、この理論の前提・根底には、[建物は「耐力部」と「耐力には無用の部分」によって構成され、「耐震」に働くのは「耐力部」だけである]という考え方があり、ゆえに[「耐力部の耐力」vs「地震の水平力」]という考え方が生まれ、「耐力には無用の部分」はもとより「全体」が見えなくなる、あるいは、見なくてもよい、という考えに至るのです。

もう一つ、肝腎なことが忘れられています。
いったい、「建物に加わる水平力」は、何ゆえに生じているのでしょうか。
ここで、以前に紹介した「在来木造建築の耐震」についての日本建築学会のパンフレットの「記述」を思い出してみてください(「現行法令の根底にある『思想』・・・・学界の木造建築観、耐震観」参照)。
そこには、
「木造軸組工法の住宅が地震にあうと、柱、はり、すじかいで地震のカを受け持って、土台、アンカーボルト、基礎、地盤と力が伝わります。」
と書かれています。
この「地震の力」はどこから現れたのでしょうか?


たしかに、地震の際、「地上に置かれた物体」には、普段は考えられない力が加わります。その主なものが「水平力」です。
けれどもそれは、a)地面に固定されている物体の場合、b)地面に固定されていない物体の場合、とでは異なるはずです。

先ほどの仮想実験は、a)に相当するもので、ハンマーで台を叩いて生じた台上の立体に起きた動きが地震にほかなりません。
このとき、台上の物体は台とともに動きましたが、同時に、あたりまえではありますが、「慣性の力」が働いているのです(先の仮想実験では見えにくいですが、「だるま落とし」を考えれば分ります)。つまり、物体が、元の位置を保とうとするために、物体の生じる水平方向の力です(バスが急発進したとき、立っている人が受ける力と同じです)。したがって、a)の場合は、台の動きによる力と慣性の力、この両者が物体に働いていることになります。[文言追加 24日 9.35]

ところが、b)の場合は、台と立体の間に摩擦がないとすれば、物体は台とともには動きません。それゆえ、物体に生じる「水平力」は、「慣性による力」だけ、ということになります。
実際には、b)の場合でも、台と物体の間に摩擦がありますから、一定程度、物体は台とともに動きますから、大きさは違いますが、物体には、台の動きによる力と慣性の力の両者が働いています。
しかし、その力は、a)の場合に比べ、はるかに小さくてすみます。そしてこれが、かつての日本の木造建築の工法だったのです。


現在の「耐震理論」は、おそらく、a)の場合しか考えていませんから、「建物に生じる地震の力=地面の動き」と見なし、「慣性により生じる力」を忘れているのではないか、と思われます。
なぜなら、もしも「慣性により生じる力」が念頭にあったならば、「耐力部」と「耐力には無用の部分」という分け方はできないはずなのです。
「慣性による力」は、「耐力部」「非耐力部」には関係なく、つまり、「理論」どおりに仕分けて生じるようなことはなく、立体各部に「平等に」生じ、その結果、不権衡部:弱いところ:に障害が生じることが分る筈だからです。
地面が揺れると(つまり地震が起きると)、建物各部には、強い、弱いは関係なく、平等に慣性による力がかかる、このことを忘れては、地震を語る資格なし、と言ってもよいかもしれません。[文言追加 24日 2.17]

そしてこれが、架構を「すべての部材を、一体化した立体にする」ことの必要な理由にほかならないのです。
すでに多くのところで触れてきましたが、かつての日本の工人・技術者たちは、このような理屈を通してではなく、幾多の現場での体験・経験を通して、架構を「一体化した立体」になることを目指してきたのです。

残念ながら、現在の「耐震理論」は、「強者」だけが地震に耐えるのだ、それ以外は不要だ、と言っているのに等しく、わが「現代社会」の縮図のような「考え方」と言ってよいでしょう。

さて、ようやくロ)にたどりつきました。
すなわち、耐震のためなら日常の不愉快など問題でない、という「考え方」の粗暴さについて。
かつての工人は、逆に考えました。
日常の暮しが第一。それをどうやって確保するか、それが「技」「技術」というものだ、と。
そのよい実例は、いかにして開口部を広くとるか、そのために工夫された「慈照寺・東求堂」です。「『在来工法』はなぜ生まれたか-4の補足・・・・日本の建築と筋かい」で紹介してありますので、参照ください。文化財建造物での唯一の「筋かい」例です。

よく、ここまでお読みくださいました。ありがとうございます。
コメント (2)

「耐震診断・耐震補強」の怪-1・・・・霊感商法?

2009-10-20 18:30:34 | 地震への対し方:対震

[註記追加 21日 9.45][文言追加 21日9.54]

これから数回書くことは、ある方々の《顰蹙(ひんしゅく)を買う》内容になるはずです。それを百も承知の上で書きます。


ここしばらくよく耳にし目にする言葉に「耐震診断・耐震補強」があります。
「病院・医療機関」の「耐震化率」は未だにこんなに低い・・・、〇〇県の「耐震化」は極めて遅れている・・・などと、一般の人びとを不安に落としいれてもおかしくない「報告」を、今でも見かけます。

また、日本の各地で、「耐震診断・耐震補強」が着々と実施に移され、その「実務」は、各地の建築士の仕事の重要な一部ともなっているようです。
そして、実際の「耐震補強」をした「実例」も、多く目にするようになっています。

これらの一連の「耐震診断・耐震補強」の「状況・事実」を見ていての私の感想は、一言で言えば、「これは一種の『霊感商法』だ」というものです。

なぜでしょうか。

「霊感商法」とは、簡単に言えば、「人の不安をあおり、そこにつけこんで、『霊験あらたかな(と称する)商品』を売りつける商法」です。
「耐震診断・耐震補強」もまた、「耐震診断」で、このままではいつなんどき地震で被災するか分らないという恐怖に人びとを落としいれ、「霊験あらたかな耐震補強」を奨める点、そっくりではないですか。

そもそも、町なかで見かける「耐震補強」なるものが、本当に「霊験あらたか」なのか、はなはだ疑わしい、と私は考えています。だから、「霊感商法」ではないか?と言うのです。
それについては次回以降に触れます。


いったい、「耐震診断」とは、どのようなことを言っているのでしょうか。

ある「建築工事第三者検査機関」が「定義」している内容を要約すると、次のようになります。これは、「耐震診断・補強を推奨する法令」の模範的解釈と言ってよいでしょう。

  耐震診断とは、既存建物(1981年以前に設計され竣工した建物)が
  地震の脅威に対して安全に使えるかどうかを見極めるため、
  古い構造基準で設計された十分な耐震性能を保有していない既存建物に対し
  現行の耐震基準によりその耐震性を再評価すること。

同様に、世に広く出回っている「わが家の耐震診断」も、「建屋の建設時期が1981年以前か以後か」から始まります。
つまり、建物の「耐震診断」の「診察」は、《精密》であれ《簡易》であれ、1981年の法改正の前の生まれか、それとも以後か、という「問診」で始まるのです。

これはとんでもない仮定であり、論理です。
もっと言えば、きわめて non-scientific な、仮定とは到底言い得ない設定・前提、論理ではないでしょうか。

   註 非科学的と書かずに non-scientific と書くのには理由があります。
      scientific とは、ものごとを筋道:理を立てて考えること。
      日本語で「科学的」というと、得てして、数値で示すことと「誤解」されます。
      そして、いま行われている「耐震診断・耐震補強」も、各種の「数値」で語られます。
      「建築にかかわる人は、ほんとに《理科系》なのか-1」参照。
     
どうしても「建設時期」で区分けをしたいのならば、私ならば、次の年を区分点:画期にするでしょう。
すなわち、1873年、1891年、1923年、1950年、そして1981年です。

 1873年(明治 6年):建築の「近代化教育」の開始年。
              大工・棟梁をはじめ職人たちが無視され始める「記念すべき年」。
 1891年(明治24年):新興建築家、建築学者を驚愕させた「濃尾地震」の発生年。
              日本が地震国であることを新興建築家、建築学者に気付かせた地震。
              日本が地震国であることを、彼らは、それまで知らなかった!
 1923年(大正12年):新興建築家、建築学者をあらためて震撼とさせた関東大地震発生年。
 1950年(昭和25年):「建築基準法」の制定。
 1981年(昭和56年):新潟地震(1964)、十勝沖地震(1968)、宮城沖地震(1978)を踏まえ
              「建築基準法」の構造規定の大改変年。

極論すれば、各地の大工・棟梁をはじめとする建物づくりの専門家の技量・技能を十分に発揮させないようになってから(これを「指導」と言います)、日本の建物づくりはおかしくなったのです。
それは、年を追うごとに「激しさ」を増し、その「画期」が上記の年です。
新興建築家、建築学者の「指導」のなかった時代につくられた建物には、地震で被災しない例は多数あるのです。阪神の震災でも!!

   註 これについてはすでに何度も書いてきましたが、このシリーズでも触れる予定です。
      一言で言えば、地震は太古以来、日本で起きています。
      そして、それを無視した職人たちはいなかった、ということです。


上掲の図のカラー版は、「内閣府」が公開している「地震のゆれやすさ全国マップ」からの転載、モノクロの図は、2006年版「理科年表」からの転載です。

内閣府の「地震のゆれやすさ全国マップ」には、上掲の図の他に、「地形別の揺れやすさ」を表示した「微地形区分図」があり、日本全国図だけではなく、各都道府県別に見ることができます(インターネットで閲覧可能)。

ところが、折角「地盤と地震の揺れの関係」について触れているにもかかわらず、その最後のあたりに、このような特徴のある日本列島に「一律に、震源上端深さ=4kmで、M6.9の地震が起きた場合の想定震度分布」という図があります。
この図は誤解を生む恐れがあるので、転載しません。
その図では、ほとんどすべての場所が「震度6弱」以上の揺れを受けることになっています。
いったい、こんな「想定」は、あり得るのでしょうか。
震源上端深さ=4km、M6.9の地震が、日本のありとあらゆるところで起きるとは、あまりにも度外れた想定ではありませんか?

モノクロの図は、2006年までの125年間に発生した主な被災地震の震央の分布図です。
この図で分るように、地震は、日本各地で均一に発生するのではありません。頻繁に起きる場所と、そうでない場所があるのです。
こんなことは、この図を見なくても、私たちは知っています。


では、なぜ、各地一律に「M6.9の地震」、しかも「震源上端深さ=4km」という地震を想定した図を載せているのでしょうか。

察するに、日本中のどこでも、「震度6弱以上の地震に耐える」という「耐震診断・耐震補強」の基準・前提を「設定」するためだった、としか思えません。

そうしておけば「安全側」だ、と言うのかもしれません。
しかしそれでは、常日頃科学的と言いながら、突然 about な論理展開になっている、と言われてもしょうがないでしょう。 scientific とは到底言えません。

scientific に耐震診断をやるならば、それぞれの建物の建つ場所の「地質図」「地形図」「土地条件図」そして「地質調査」などを通じて「地盤」をよく知り、その建物の「構築法の考え方」と「工事法」が、その地に適したものであるかどうかを検討すべきなのです。
そして、その「判断」は決して、法令の規定に合っているかどうかを判定基準にしてはならないはずです。法令基準は、絶対的かつ科学的「正」なのですか?
もしそうなら、それはあまりにも non-scientific な思考法ではありませんか。法令とは、そういう性格を持ってよいのでしょうか?

   註 そんな手間、閑かけてはいられない、と言うのかもしれません。
      しかし、それは、「いい加減な基準で指導してきた」当然の帰結にすぎません。
      基準策定に係わった人たちは、率先して手弁当で関わるぐらいの覚悟が必要の筈。
                                    [註記追加 21日 9.45]

こう言うと、安全側で考えているのだからよいではないか、という反論があるのは承知です。
しかしその反論は、同時に、一見科学的装いをとっている「耐震理論」は、その程度の「科学性」の代物なのだ、と言っていることにほかならないのです。

もう一度、根本から考え直してみませんか。

残念ながら、現在進行中の「耐震診断・耐震補強」は scientific ではなく、一律の基準によっています。その結果、おそらくかなりのムダを生んでいるのではないか、と思います。
「耐震補強」工事で、地域が潤っているではないか、などと言わないでくださいね。

   註 〇土地条件図:国土地理院 発行
       全国の主な平野とその周辺について、土地の微細な高低と
       表層地質により区分した地形分類や低地について1mごとの地盤高線、
       防災施設などの分布を示した地図。縮尺は2万5千分1。
       災害を起こしやすい地形的条件なども表示、
       自然災害の危険度の判定するのにも役立つ地図。

      〇地形図:国土地理院 発行
       普通の地図。

      〇地質図:産業技術総合研究所・地質調査総合センター 発行
       表土の下にどのような種類の石や地層が分布しているかを示した地図。
       植生、建造物、表土などは無視し、基盤となる石や地層のみを描いた分布図。
       国土地理院の地形図を基にし、等高線による地形、道路や建造物、地名も表示。

      「土地条件図」「地質図」は、いずれも購入できますが、全地域があるわけではありません。
      インターネットでも閲覧できます。
     

しかし、もっと根本的な問題があります。

これも何度も書いていますが、1981年の改変前の規定にしたがってつくった「良心的」な設計者、施工者、そして施主に対して、法令策定者から、あれは誤っていた、という「謝罪」が、あったでしょうか?
その「補強」に要する費用について、法令策定者たちは、相当な負担をしたでしょうか。

そして、規定の「耐震補強」すると、本当に耐震なのでしょうか、保証しますか?万一の場合、補償しますか?

もちろん補償には税金を使ってはなりません。納税者は、そのようないい加減な規定をつくってくれ、と頼んだ覚えはないからです。
一般の人びとに「自己責任」を説いて、自らは責任をとらない、というのは片手落ち。
法令にも「リコール制度」が要るのではないでしょうか。

一般の人びとは、各種の規定はまことに「大きなお世話」、「自己責任を取るから『指導』は要らない」と言いたい筈です。
そしてそれは、「近代化」以前のやり方。「近代化」以前は、すでに書いてきましたが、「技術」も「技能」も大いに発展したのです。
「近代化」は、「技術」「技能」を、少なくとも建築の分野では、沈滞・停滞化させてしまっているのです。[文言追加 21日9.54]
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岩手県沿岸北部地震・雑感・・・・「震度」と「被害」

2008-07-26 19:29:51 | 地震への対し方:対震

[文言更改 7月27日 12.08]

7月24日深夜の地震:岩手県内陸沿岸北部を震源とする地震、私のところでは、舟が揺れるようなゆったりとした揺れが、結構長く感じられた(「震度3」と発表された)。
すぐにTVをつけると、岩手で「震度6強」を記録したという。

朝になって、どれほどの被害があったのか、とTVを見たところ、怪我をされた方はかなりあったようだが、建物では外壁や天井の剥落程度で倒壊などはないらしかった。
これは数日後の調査でも同様で、最終的にも建物倒壊の報告はない。

気象庁の「震度」と「震災被害」の相関についての「震度階級関連解説表」では、「震度6強では大規模な住宅被害:耐震性の低い木造住宅では倒壊するものが多い」と説明されているが、今回の地震では、「震度6強」であるにもかかわらず建物の倒壊被害がなく、実態と「解説」がかけ離れていたことになる。

このような「現象」が生じたことの「理由」については、二つ挙げられている。
一つは、先の「震災被害と震度の相関解説表の記述」自体の問題。
現在の「解説表」の記述内容は、「阪神・淡路地震」の被災状況をもとに改訂されたものだったらしいが、「中越地震」、「福岡県西部沖地震」等それ以後の各地の地震における家屋の被害情報や地震波を再検証し、建物が損壊する詳しい仕組みなどの研究成果も交え、ここで改めて見直しをはかるという。

   註 この点については、気象庁発表の
      「7月24日00時26分の岩手県沿岸北部の地震について(第4報)」参照 

もう一つ挙げられている「理由」は、今回の地震の震源が、地表から100km以上というとてつもなく深い所にあり、「その結果、建物に対して被害を与えることが少ない短周期振動が卓越していた:いわゆるキラーパルスではなかった」からだ、というもの。
この説明は、私にはよく分らなかった。
というのも、先日の「岩手・宮城内陸地震」の震源深さは僅か10kmでありながら、やはり「短周期振動が卓越していた」と言われているからだ。
震源の深さと地震の揺れの「周期」とは、相関しているのか、していないのか、よく分らないのである。

これらのことを含めての私の感想

◇感想-1
現在各地で行われている「耐震補強」は、建物の各方向に(間口方向、奥行方向それぞれに)、「阪神・淡路地震の際に建物にかかった力と同程度の大きさの外力に耐えることのできる『耐力壁』を設ける」という方策の筈。それがいわゆる「震度6強の地震に耐える補強」。
ところが、今回の地震の強さ:力の加速度は、阪神・淡路をかなり上回っていたという。それでいて建物倒壊例はない。
一方で、先の気象庁の報告だと、現地で「這って歩けない」「歩けないからベッドにしゃがみこんだ」などの証言が得られ、それは明らかに「震度6強」相当の揺れであるという。
そして、短周期震動が卓越していたから、建物倒壊はなかったのだ、と「解説」される。

ということは、これが、キラーパルスが卓越している地震だったならば、「阪神・淡路地震対応の耐震補強」では耐えられず、多大な建物被害が生じたことになる。
そうなると、今行なわれている「耐震補強」は、はたして信用できるものなのか、はなはだ疑問に感じざるを得ないのである。

要するに、現在なされている「耐震補強」策は、「建物が損壊する詳しい仕組み」についての「検証」が未だなされていない、わかっていないまま、立てられた策だということ。

もしも本当に地震に対するのであるのならば(「対震」)、「建物が損壊する詳しい仕組み」を先ず明らかにし、やみくもに「補強」をするのではなく、建物がキラーパルスに「共鳴しない策」を考える方が妥当ではないか、と考えたくなる。

◇感想-2
おそらく、日本のかつての工人たちは、度重なる大地震の様態が毎回異なることを体感していて(地震計などに拠ったのではなく、あくまでも「体感」し、自らの眼で「観察」したのである)、その「体感・体験・経験」に基づいて、「どんな地震にも一定程度対応でき、壊滅的な破損には至らない工法」(「耐える工法」ではない!)を考案するに至った、と考えることができるのではなかろうか。それが、いわゆる「伝統工法」、私の言葉で言えば「一体化・立体化工法」だったのだ。

私がそのように思うのは、阪神・淡路地震でも、先回および今回の東北地方の地震でも、しっかりとつくられた「一体化・立体化工法」による建物は、大きな被災を免れているからである。

   註 言うまでもなく、
     「近代科学」がなければものごとを理解することができない、
      などと考えるのは間違いだ。
      それは、「近代科学」の誕生の経緯を考えれば自明である。
      同様のことは下記その他でも触れている。
      「『冬』とは何か・・・・ことば・概念・リアリティ」
      「鋳鉄の柱と梁で建てた7階建ての建物・・・・世界最初のⅠ型梁」
      「東大寺南大門・・・・直観による把握、《科学》による把握」 

◇感想-3
現在行われている「耐震診断」の根拠もまた、「耐震補強」の前提同様、「建物の各方向(間口方向、奥行方向それぞれ)に存在する耐力壁の量が、阪神・淡路地震で発生したと同じ大きさの力に耐えられるかどうか」で判断する、という考え方。
しかし「耐えるべき」外力の大きさはあくまでも「阪神・淡路地震」同等のもの。もしもそれ以上の大きさの外力だったら不可ということになる。
ところが今回の地震は、力の大きさは阪神・淡路のそれよりも強大であった。もしも今回の地震の震動周期が長いものだったら、「耐震診断」自体も役に立たなかったはず・・・・・。

さらに、「一体化・立体化工法」の建物に、現行の「耐震診断法」を適用すると「矛盾」が生じる:実態に合わないことは、各地で指摘されている。
たとえば、滋賀県建築士会では、この「診断法」を「一体化・立体化工法」すなわちいわゆる「伝統工法」でつくられた建物に適用することの「危険性」を、周知徹底するように心がけているという。
滋賀県には、都会化してしまった地域に比して、「一体化・立体化工法」すなわちいわゆる「伝統工法」でつくられた建物が多いからだろう。

今回の地震は、現行の「耐震診断」「耐震補強」に対して、そして何よりも現行の「耐震の考え方」に対して、「警告」を発してくれたように感じるのは私だけだろうか。

◇感想-4
先回と今回の東北地域で起きた地震で目立ったのは、天井の剥落。ボード類を打ち上げた天井が、各所で落ちている。
もっとも、最近、地震でなくても、こういう仕様の天井の落下事故が多いようだ。

私もこういう仕様の設計を、ある時期までは、あたりまえのようにやっていた。
しかし、あるとき、スギの無垢板の打上げ天井の現場に立会い、二度と打上げ天井はやめようと考えた。それは、打ち上げる作業の大変さを目の当たりにしたからである。
上向きで、材料を支えながら釘を打つという作業には「無理」がある。軽いボード類でもそれは同じ。そういう無理な姿勢を強いる必要はないはずだ。

   註 軽く脆いボード類の場合、少しの震動でも、取り付け孔は
      容易に破損する。多分それが天井落下の原因だろう。
      もしかすると、釘・ビスが劣化していたかもしれない。
      プールなどだったら、たとえステンレス製と言えども錆びる。

かつて、日本の工法では、原則として、作業は「下向きで行なう」、つまり、「普通の姿勢で行なう」のがあたりまえだった。
「竿縁天井」は、そのよい例だろう。先ず「竿縁」を渡し、その上に「天井板」を敷き並べる。上を向いての作業は先ず必要ない。
天井板に絵や彩色が施される場合も、下で作業をして、できたものを上へ持ち上げ、「支持材」:「竿縁」や「格子縁」上に載せる。むしろ、絵師には、上を見上げたときの姿を想像して下で作業するコツの方が問われた。

第一、「仕上げ材」を「支持材」に「載せる」方が、確実に安全である。「支持材」自体が外に表れ、それをいい加減に設置することはあり得ないからだ。

では、このような打上げ天井が流行ったのはなぜだろうか。
それは、「作業工程」を度外視し、専ら、出来上がりの「見えがかり」だけを重視する設計:「書割り」で恰好をつける設計:が「一般化」してしまったからだろう。[文言更改 7月27日 12.08]
「材料」と「作業工程」を考え、そして「出来上がり」も格好よく・・・・、これを考えるのが「設計」であり、「デザイン」の本義・原義ではないだろうか。
明治年間、「建築学講義録」を著した滝大吉の、「建築学とは木石などの如き自然の品や煉化石瓦の如き自然の品に人の力を加へて製したる品を成丈恰好能く丈夫にして無汰の生せぬ様建物に用ゆる事を工夫する学問」という言葉を思い出す。

   註 「実業家」・・・・「職人」が実業家だった頃」参照

岩手・宮城内陸地震・雑感・・・・短周期地震動と家屋

2008-06-24 20:49:26 | 地震への対し方:対震

[文言補訂 22.06、22.11、22.23][註記追加 6月25日 8.17][註記追加 6月28日 3.30 6月29日 20.26]

東北山地での大地震発生から、もうじき2週間になる。
上掲の地図は「大日本地図帳」(平凡社)から転載した震源地域の地図と、「・・県の地名」(平凡社)から転載の旧市町村行政区画図。

今回の地震の特徴は、建物被災が少なかったことだろう。
調査によると、震度6強を記録した岩手県奥州市、宮城県栗原市でも、全壊家屋は0だったという(読売6月18日、朝日6月19日など)。

いわゆる「応急危険度判定」でも、「危険」と判定された家屋は、奥州市で4%、栗原市で7%で、宮城県北部地震(最大震度6強、2003年)の17%、中越地震(最大震度7、2004年)の15%、中越沖地震(最大震度6強、2007年)の15%を遥かに下回る。
一方、今回の地震の振動の加速度:揺れの強さは、観測史上最大との報道もある。

   註 「応急危険度判定」の判定基準には、伝統的な工法の建物には
      適用できない判定条項がある。
      この地域には、後に触れるが、伝統的な工法による建物が多く、
      実際には危険ではない建物が「危険」と判定されている例が
      あるように思える。

   註 「危険」判定の割合:[註追加 6月25日 8.17] 
      阪神・淡路:13.9%、鳥取県西部:10.9%、福岡沖:16.4%

   註 報道される地名には、合併による新しい行政区画名が多く、
      分りにくい。
      合併前の元の市町村名は以下の通り。上掲地図参照。
       一関市
       一関市(いちのせき・し)、花泉町(はないずみ・まち)、
       東山町(ひがしやま・ちょう)、川崎村(かわさき・むら)、
       大東町(だいとう・ちょう)、千厩町(せんまや・ちょう)、
       室根村(むろね・むら)
       奥州市
       水沢市(みずさわ・し)市、江刺市(えさし・し)、
       前沢町(まえさわ・ちょう)、胆沢町(いさわ・ちょう)、
       衣川村(ころもがわ・むら)
       栗原市
       築館町(つきだて・ちょう)、若柳町(わかやなぎ・ちょう)、
       栗駒町(くりこま・まち)、高清水町(たかしみず・まち)、
       一迫町(いちはざま・ちょう)、瀬峰町(せみね・ちょう)、
       鴬沢町(うぐいすざわ・ちょう)、金成町(かんなり・ちょう)、
       志波姫町(しわひめ・ちょう)町、花山村(はなやま・むら)

       これらは、おおむね、旧「郡」単位で合併したようだ。

       蛇足だが、旧市町村はほとんどが自然境界で区画されており、
       はたして、これを合併して行政が「合理化」できるのだろうか?
       はなはだ疑問に感じる。

       なお、平泉町だけは、どこと合併することなく既存のまま。
       したがって、町の面積は著しく小さい(上図参照)。[記述追加]

被災家屋が少なかったことについては、いろいろな見解が述べられている。そのなかで、「いつもながらの見解」は「屋根がトタンで軽かったから」ぐらい。

震度6強の地域は山地の住まい、しかも戦後の入植者の多い地域。戦後60余年経っている。
おそらく今の建屋は、開拓が落ち着いた頃に建てられたもので、築後30~40年の家屋が多いと思われる。しかも、おそらく都市計画区域外。
ということは、建築基準法の規定に準じた建物であるわけがなく、昔ながらのつくりのはず。また、仮に都市計画区域内であったとしても、旧耐震基準によった建物のはずだ。

さすがに今回ばかりは、耐震専門家も、「新耐震基準以前の建物は壊れた」、などと言うことができなかったのである。屋根がトタンで軽かったからだ、と言うのがせいいっぱいだったのかもしれない。
しかし、それとても、瓦葺きの土蔵が壁を振り落としても、躯体は健在な姿を見ると何も言えまい。

こういった現地の実像から、地元の専門家は、「貫工法による伝統工法の建物が多かったことが倒壊を少なくした」と見ている(朝日6月19日)。

また、開拓地以外について、奥州市の建築住宅課の「築150~200年の農家などは、柱が太く、びくともしていない」との見解もある(読売6月22日)。
この場合の「太い柱」とは、現在の基準法の最低柱寸法100mmとの比較であることに留意したい。つまり、むやみやたらに太いわけではないことは、東北の農家建築を見てみれば分る。
こういう地域の専門家は、都会の専門家と違って、「あたりまえなものの見かた」ができるようだ。

いろいろな研究者の現地調査で注目したのは、「振動の周期」についての見解。
すなわち、境有紀氏(筑波大学・地震防災工学)の調査によると、今回の地震は、中越、中越沖など過去の地震と異なり、振動の周期、つまり「揺れの一往復の時間」が、きわめて短いという指摘。
今回の地震のそれは、0.2~0.3秒。能登半島地震では1.5秒。多くの場合にくらべて5分の1程度の周期なのだという(読売6月18日、なお境有紀氏のHPに地振動についての詳しい解説あり)。

この短周期の地震動に対しては、通常の家屋は破損・倒壊に至らず、周期1.5秒前後の地震動は倒壊をもたらしやすいという(いわゆるキラーパルス)。

建屋のもつ固有振動数(すべての物体には、それ固有の振動数がある、という)と地震の振動数とが共鳴・共振する場合に、破損が生じやすい、ということのようだ。今回の場合、短い周期の揺れは、多くの木造家屋に共振を起こさなかった、ということらしい。

では、いったい、建物の「固有振動数」とは何によって決まるのだろうか。

機械設計や車両設計では、完成後の機械が共鳴・共振を起こさないように苦心しているらしいが(ディーゼルエンジンなどでは、振動を打ち消すためのバランサーが付いているのではなかったか)、建物ではそういう研究が行われているのだろうか?
おそらく、建物の「固有振動数」は、建物の形体、建物の重さ、重心の位置、使用材料、建物を構成する部材の組み方、・・・など多種の要因で微妙に異なるのではないか。
たとえば、同じ形体、同じ仕上りであっても、伝統的な工法と耐力壁依存工法、2×4工法・・では、固有数値が異なることが予想される。

もしも、固有数値の制御ができるのならば、現在のいわゆる「耐震補強」策とは異なるもっと合理的な「対震」法が見出されるのではなかろうか。

そして、これは私の「勘」なのだが、いわゆる「貫工法」「差鴨居工法」によるいわゆる「伝統工法」では、いろいろな経験の積み重ねの結果、建屋の固有振動数を、地震の「キラーパルス」にはもちろん、どのような振動数に対しても、大きく共鳴・共振しないように整えることのできた工法だったのではないだろうか。
各地の例を見なおしてみて、そのように感じるのだ。

ちなみに、短周期の地震動は、瓦や壁は落ちやすく、ガラスも割れやすく、人も揺れを感じやいそうである。

   註 真島健三郎氏は、大正13年(1924年:関東大震災の翌年)、
      すでにその「柔性建築論」において、
      固有振動数と地震の関係について論じている。
      [註記追加 6月28日 3.30]
      「紹介:真島健三郎『耐震家屋構造の撰擇に就いて』:柔構造論の原点」

ところで、もう一つ今回の地震報道で感じたことは、あの巨大な土砂崩落・地すべりにまき込まれた家屋が、少なくとも多くの映像を見る限り、無いことだ。
温泉宿が二軒まき込まれているが、いずれも河川敷近く、多分泉源に建てられたのだろう。
ところが、農家で土砂に埋まった映像は無い。寸前のところまで土砂が押し寄せている例はあるが無事。
なぜなのだろうか。
これも私のまったくの想像だが、農家の方々は、現地での長年の開拓の実践によって、地形の特質を見抜き知っていたからではないだろうか。
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続・急いでコメント・・・・四川盆地の広さ!

2008-05-19 21:42:21 | 地震への対し方:対震

[地図差替え、記述追加 5月20日 10.12]

中国・四川省の地震の被災状況をTVで見ていて、その状況の凄さもさることながら、こともなげに、ある町から別の町へ300km移動、など語られるのにいささか驚いた。300kmといえば、東京から名古屋の手前まで。
そこで、あらためて手元の地図を開いてみた。

上掲の地図は、ともに帝国書院刊の「基本地図」からの転載。中国と日本が収まっているのは1976年版。下の四川盆地のクローズアップは2008年版から。
全体図を1976年版にしたのは、縮尺によるのだろうが、四川省の西に広がる山系の褶曲の様子がはっきり分るからだ。

一帯は、エヴェレストに代表される大陸が押し寄せることでめくりあがった地形の典型と言われる地域。
四川盆地は、多分、その動きによって生じた窪地なのだろう。標高が200~300m、それでいて囲む山は5000mを越えるものがざらにある。地質図も見たくなる地域でもある。
とにかく、すべてが、狭い日本に住んでいると理解できないような、とてつもない大きさ。
「盆地」などと簡単に言うけれども、この「四川盆地」の中には、日本の盆地でいうと、会津盆地などいくつ入ってもまだゆとりがある。九州全部を入れてもまだ余る。それほどの大きさ。盆地の中には、またいくつかの日本的な盆地があるのではないだろうか。
地図を見て、あらためてこの「違い」に気がついたのである。

この盆地で暮す人びとの生業(なりわい)は、報道からはさっぱり見えてこない。山沿いの地域に暮す人びとのそれが、特に分らない。
この盆地周辺には、各種の地下資源が埋まっている。これも、先の地形の変動にともなうものだ。この採掘などにかかわる人びとも、かなり多く暮しているのではないだろうか。


今回の地震は、先に触れた大地が押し合うこと原因があるとされる。圧力に耐えられなくなって、接触面がずれる。
そこで、「理科年表」(丸善刊 2006年版)で、四川省で発生した地震を調べてみた。
「理科年表」には、世界各地の「マグニチュード7.8以上、または死者1000人以上の地震」について、西暦1509年以降2004年までの地震が調べられている。最近500年間の大きな地震の一覧表である(震源の緯度、経度も示されている)。

四川省と言っても、先ほど触れたようにべらぼうに広い。震源が四川省のどこなのかを問わず、四川省で起きた地震を列挙してみると次のようになる(本当は震源を地図にプロットすればよいのだろうが、この作業は省略した)。

1786年6月1日(M7.8)、同6月10日(M7.0)、1816年12月8日(M7.5)、1850年9月12日(M7.5)、1870年4月11日(M7.3)、1923年6月14日(M5.8)、1933年8月25日(M7.5)、1973年2月6日(M7.6)。そしてこの最後の地震から35年後に起きたのが今回。

つまり、大きな地震は、今回を入れて9回。四川省では、巨大地震は、平均して50~60年に一度起きていることになる(500年間の平均であって、データでは、間隔が10年のときもある。1786年の続けざまの例は、どちらかが予震か余震だろう)。一見相当頻繁に巨大地震が起きているように見える。

では、同じ期間、1509年~2004年の間に、日本では大地震がどの程度起きているのだろうか。
数えてみると、何と30回。平均では16年に一度。四川省の大体4倍の頻度で巨大地震が発生していることになる。さすが地震国日本ではある。
察するに、四川省では、滅多に地震は起きないが、起きるときは巨大、ということなのだろう。

「識者」の中には、地震の多発する四川省で、「耐震」建築が建てられていないのが問題だ、と言う人がいたけれども、日本と比べたら、「切実感」がまったく違う、と言えるのではないだろうか。


今回の地震の報道で、中国では、「地震に対すること」を、「抗震」と表現していることを知った。
「抗」の語義は、①「ふせぐ、こばむ、ささえる」、②「あたる、あげる」、③「たかい」、④「わたる、かける」とある(白川 静「字通」)。

日本では「耐震」が一般的。
「耐」の語義は、①「ひげをおとす、ひげをおとす刑」、②「たえる、しのぶ、よくする、あたる」、③「のり、法度」、例として「耐寒:寒さをしのぐ」「耐用:使える」「耐任:我慢する」「耐面:婦人の顔剃り」・・とある(白川 静「字通」)。なお、①の意味は、同書に説明があるが、省略。

ちなみに、「対」は、①「うつ、あげる、土をうつ」、②「むかう、あたる、あう。あいて、つい」③「こたえる、あわせる、たぐえる、むかえる」(同上書)。

急いでコメント・・・・中国の巨大地震

2008-05-15 01:56:30 | 地震への対し方:対震
中国大陸内陸部で巨大地震が起きた。建物の破壊も著しい。
日本の地震の《専門家》は、案の定、土や煉瓦、石でつくった建物が壊れた、つまり「組積造の建物が地震で壊れた」と公言してはばからない。
しかし、TVの映像では、石造や煉瓦造でも、地震に遭っても健在な建物が写っている。組積造でも壊れなかった建物があるではないか!。

つまり、彼ら日本の《専門家》の頭には、「組積造は絶対に地震に弱い」という先入観が、根深く巣くっている、はびこっている、と考えてよい。その目でものをみてしまうのだ。あるいは、見もしないでものを言う。
彼らは、正真正銘の「科学者」ではないのだ。

人がある場所に定住することを決めたとき、最初に彼らは何をするか。
それは、「とりあえず、毎日を営むことのできる住まい」をつくろうとすることだ。「未来永劫存在し続ける建屋」をつくることなど、念頭にない。
そして、そこで毎日を暮し続けてゆくうちに、ゆとりを持って毎日を暮すことのできる日も来るだろう。
そしてそのとき、人びとは、それまでのいわば「仮の住まい」を、「未来永劫存在し続けることのできる建屋」に建替えようと考える。そうしてできる建物は、簡単には地震でも壊れない。・・・

このあたりまえの人の営為に目を向けない《耐震》論ほど、虚しいものはない、と私は思う。

いたずらに「耐震補強」を唱える前に、まず人びとが、ゆとりを持って暮すことのできるような状況をつくりだすことこそが、必要なのではあるまいか。

組積造と地震についての西欧の人たちの考え方については、以前紹介した⇒煉瓦造と地震-1煉瓦造と地震-2
コメント (2)

木造家屋と耐震・耐火研究・・・・暮しの視点は?

2008-01-09 19:48:05 | 地震への対し方:対震

[字句追加:21.38][重複文言修正:1月10日10.38]

先回は年末のTVで放映された「気になる《研究・実験》」について書いた。
実は、暮れの新聞にも「気になる《研究》」の報告記事が載っていた。
上は、その記事のネット版からの転載である。

  ただし、この場合は、プレス・リリースではなく、
  あくまでも上記記事を読んでの感想である。

そして、記事を読むかぎり、私は、この[研究]に、先回の[煉瓦造破壊実験・研究]と同様の「違和感」を感じたのである。

関東大震災の火災拡大は、家屋の倒壊が誘引。それはその通りだろう。
気になるのは、「当時の木造建物すべてが現在の耐震基準を満たしていれば...」以下の部分。
これは、「だから、(大震災時の火災を回避するために)木造家屋は、すべて現行の耐震基準(いわゆる新耐震基準)で建てるべきだ」、さらには「新耐震基準でつくられていない木造家屋は、耐震補強すべきである」と続けたいのだ、と推察される。

ところが、上記記事に依れば、その「考察・解析」の前提には、「倒壊家屋数が大きいところ=震度が大きい地域」という「仮定」があるらしい。この「仮定」に従うならば、「倒壊が少ない⇒倒壊が少ない地域は震度も小さい」ということになるが、本当か?論理が自家撞着を起こしていないか?
つまり、「倒壊家屋件数の大小で震度を推測し、出火件数と相関させる」という手法は、あまりにもご都合主義、予定調和的、「結論が先にある分析」ではないか、ということ。よく言ってもaboutに過ぎる。


この点がきわめて大事なのだが、関東大震災では、すべての木造建物が倒壊したわけではない。そして、この「研究」の「仮定」によれば、震度が小さかったら倒壊しなかった、ということになるのだが、倒壊しなかった木造建物は、震度の小さい地域にあった、ただそれだけの要因で倒壊しなかった、と断定するのは適切ではない。

関東大震災の後、しばしば、木造と煉瓦造の建物は壊れた、鉄筋コンクリート造、鉄骨造は強かった、とまことしやかな言説が世間で喧伝された。なかには、言葉は悪いが、これで鉄筋コンクリート造が増える、と震災を喜んだのではないか、と思われる発言をする《専門家》もいた(下記「参考」参照)。
しかし、真っ当な人は、「地震で被害に遭ったのは、材料や構造の種類によるのではなく、一に、設計、構造、施工に意を尽くしているか否かによる」と喝破している。木造、煉瓦造でも倒壊しなかった例は多数存在し、鉄筋コンクリート造でも被災した例があったのである。簡単に言えば、「壊れたのは、壊れるべくして壊れた」のである。

   参考 「大正大震火災誌」(大正13年改造社刊)所載の論説より
     
     「・・鉄筋コンクリートと称する詞が新聞や雑誌に可なり多く
      散見するやうになった、人の口からも度々聞くやうになった、
      吾々鉄筋コンクリートに関係があるものはそれ程通俗化した
      ことを嬉しく思ふ。・・」                (土居松市)

     「・・明治24年の濃尾の大震災は非常に当時の建築家を驚かし、
      その設計、構造、施工に非常な注意を払ふに至った。それ故
      この頃の建築は煉瓦造でも今度の地震(関東大震災)に比較的
      安全で、被害も左程激甚でもなく、火事で焼かれたものでも
      復興は左程困難ではない。その後の建築の方が・・・反って
      油断の為に不成績を暴露したものが多い。・・」 (岡田信一郎)

     「・・最も強固であるべき鉄筋コンクリート建築は、設計者の
      疎漏や工事施工者の放漫によって最も危険なる建物になる。」
                                   (岡田信一郎)
  
たしかに、関東大震災で倒壊した木造家屋が多いのは事実である。
しかしこれは、もう少し別の視点で見る必要があるのではないか。

すなわち、幕藩体制が解体して職を失った各藩の武士のうち、帰農できなかった多数の者たちが、仕事を求めて都会・都市へ集まってきた。ときの政府が、彼らに居住場所を用意したわけではない。
それゆえ、人びとは自前で「とりあえずの住まい」を確保しなければならなかった。それらは、言葉の本当の意味でbarrackだったと言ってよいだろう。
彼らに、どんな地震にも耐える建物にせよ、などと求めることがどうして出来るというのだ。それはあまりにも非情、酷というもの。

つまり、端的に言えば、関東大震災の大被害の最大の要因を建物自体に求める前に、その大きな要因は、「とりあえずの住まい」をつくらざるを得なかった都市への異常な人口の集中にある、という視点を欠いてはならないのではなかろうか。
それは、各国の震災や洪水等の自然災害で被災するのは、決まって、「とりあえずの住まい」で暮さざるを得ない人たちの集まっている地域である、という事実にも現われている。
中南米の地震で、煉瓦造建物の被災がよく見られ、多くの《専門家》はそれを煉瓦造のせいにするのだが、「ちゃんとした専門家」は、古い煉瓦造に被害が少ないことに注目している。地盤の良い所に建てているからである。新たに都市へ集まった人たちは、地盤の良い所に住めなかったのである。
関東大震災で被害の多かったのも、かつては人が住もうとしなかった低湿地、悪い地盤の場所に暮さざるを得なかった人たちの住まい:家屋であった。

実は、これも端的に言えば、現在の「耐震規定」はもちろん「建築法令」自体が、「人びとがやむを得ずつくるとりあえずの住まい:家屋」の耐震性能を高めよう、といういわば小手先の手段に基づいている、と言ってよいだろう。
しかも、そこで規定された諸方策は、人びとが、とりあえずではなく、「落ち着いて、先まで見通して住まい:家屋をつくる」場合には、逆に、大きな障害として結果しているのである。
なぜか。提案される諸方策が、「本格的な木造家屋のつくりかた」を知らないままに考えられたからである。震災被災調査において、そこにこそ「耐震・対震」のヒントがあるはずの、「壊れなかった」建物を見ようとしなかったからである。

建築の専門家は、理科系かもしれない。だからと言って、耐震、耐火といった「物理的な」側面だけを見ていればよいのか。
「住居」「家屋」すなわち「人が暮す住まい」とは、どのようにして成り立ち存在し得るのか、この視点を欠いたなら、それは建築の専門家とは言えない、と私は思う。
ところが、《耐震の専門家》は、ほとんどが、この視点を欠いているのではないか。
「理科」とは、そしてscienceとは、ものごとの筋道・条理を究めることにあるのであり、「住居・家屋」の物理的側面だけを見るのでは、真の意味で「理科」ではないのである。
建築は、人の生活の表れ、ゆえに「社会:人の暮しのありよう」の視点を欠いては成り立たない。この新聞記事の研究の、どこにその視点があるのだろうか。

それゆえ、この新聞記事が紹介している研究に、根本的な点で、私は違和感を覚えたのである。