打算の思考-3・・・・「打算」から脱け出す

2007-09-28 21:17:22 | 「学」「科学」「研究」のありかた
 先回の続き、現代において主流を占める「計算するだけの思考」から、いかにしたら脱け出せるか、を論じた最後の部分。
 あたかも「正法眼蔵」に接するがごとき難解の箇所が多いが、お読みいただければ幸い。


 それでは、原子時代の人間は、技術の制し難き圧倒的超力に、全く無防備に途方に暮れて、引き渡されているのでありましょうか。もし現代人が、単に計算するだけの思惟に対して、省察する思惟を、基準となる働きとして働かすことを、断念しているとすれば、確かに彼はそうでありましょう。併し、省察する思惟が目覚めますならば、気遣いつつ思いを潜める追思は、絶え間なく働かざるを得なくなるのであり、最も目立たぬ折にも働かざるを得なくなるのであり、かくして今此処に於ても、まさしくこの記念祝祭に際しても、そうならざるを得ないのであります。何故ならば、この記念祝祭は私共に或る事柄を、つまり原子時代に於て特別な程度で脅かされている或る事柄を、熟思せしめるからであり、その事柄とは、人間の仕事や作品の土着性ということであります。

 それ故、今や私共は問うのであります。すなわち、たとえ古い土着性が失われて行くとしましても、人間に或る新しい根底と地盤とが、すなわち、そこから人間の本質と彼のすべての仕事と作品とが、或る新しい仕方で、而も原子時代の内に於てさえも、生い立つことが出来るところの根底と地盤とが、返し贈られることは、不可能であろうかと。

 来るべき土着性のために根底となり地盤となるものは、一体如何なるものでありましょうか。
 私共が、このように問うことに依って、求めておりますものは、多分極めて身近かに存するでありましょう。私共がそれを余りに易々と看過してしまう程、それ程身近かに。
 何故ならば、身近かなものに至る道こそ、私共人間にとって何時でも、最も遠い道であり、そため又最も困難な道であるからであります。
 この道は、気遣いつつ思いを潜める追思の道であります。省察する思惟は私共に次のことを要求致します、すなわちそれは、私共が一つの表象に一面的に固着しないということであり、私共が一つの表象方向に一方向きに突走らないということであります。省察する思惟は私共に次のことを要求致します。すなわちそれは、一見したところそれ自身の内では決して一緒にはならないと見える如き事柄に、私共が自分自身を放ち入れるということであります。

 試みをなしましょう。
 今日私共すべての者にとって、技術的世界の諸々の設備や装置や機械は欠くことの出来ないものであります、或る人達にとっては、より大きな範囲に亙って、又他の人達にとっては、より小さな範囲の内で、孰れ(いずれ)にしても欠くことの出来ないものであります。
 技術的世界に反抗して盲目的に突走ることは、愚かなことでありましょう。技術的世界を悪魔の仕業として呪詛(じゅそ)せんと欲することは近視的でありましょう。私共は、諸々の技術的対象物に差し向けられ、それらに附託されているのであります。そればかりではなく、それらの技術的対象物は、私共を挑発し、益々高度な改良をなすべく迫っているのであります。
 併しその反面、私共は、知らず知らずのうちに、諸々の技術的な対象物に極めて固く繋ぎ着けられ、それらの奴隷の地位になり下がっているのであります。

 併し又、私共は、それとは別な行き方をすることも出来ます。私共は次のことをなし得るのであります。
 すなわちそのこととは、私共は諸々の技術的な対象物を使用しますものの、それらを事柄に適わしく使用しつつもなお且同時に、それらに依って私共自身を塞がれないように保ち、何時でもそれらを放置する、ということであります。
 私共は諸々の技術的な対象物を、それらが使用されざるを得ない仕方で、使用することが出来ます。併し、それと同時に、私共はそれらの対象物を、最も内奥の点と本来の点とに於ては私共に些かも関わるところのない或るものとして、それら自身の上に置き放つことが出来ます。
 私共は、諸々の技術的な対象物の避け難い使用ということに対して、《然り》と言うことが出来ます。そしてそれらの技術的な対象物が私共を独占せんと要求し、そのようにして私共の本質を歪曲し、混乱させ、遂には荒廃させることを、私共がそれらの対象物に拒否する限り、私共は同時に、《否》と言うことが出来ます。

 私共が諸々の技術的な対象物に対して、このような仕方で、同時に《然り》と《否》とを言いますならば、その場合技術的世界に対する私共の関わり合いは、分裂した不確かなものに、ならないでありましょうか。
 全然正反対であります。
 技術的世界に対する私共の関わり合いは、或る不思議な仕方で、単純なものとなり、安らかなものとなります。
 私共は諸々の技術的な対象物を、私共の日々の世界の内に入り来たらせます、そして同時に、それらの対象物を外に、すなわち、物としてそれら自身の上に置き放ちます。それらの物は、決して絶対者ではなく、それら自身、一層高きものに差し向けられているのであります。
 技術的な世界に対する同時的な然りと否というこの態度、それを私は、或る一つの古語で呼びたいと思います。すなわち、それは、「物への関わりの内に於ける放下(ほうげ)」、ということであります。

   紹介者註 この段落以降は、この講演の真髄に触れる箇所であり、
        「正法眼蔵」などと共通するところを感じるが、難解である。
   訳者註  物への関わりの内に於ける放下
        :Die Gelassenheit zu den Dingen
         根本的な意味での「落着」、
         Lassenつまり「捨」とか「放下」と言われる事柄に基づいて
          初めて成り立つ如き「落着き」である。
          ・・・・
         「事に無心、心に無事」というようなことを
          想わせるところがある。・・・

 このような態度の内に入りますならば、私共は最早、諸々の物を、単に技術的にのみは見なくなります。私共の眼差しは澄み切ってきます、そして次のことを認めます、すなわちそれは、諸々の機械を製作したり使用したりすることは、諸々の物に対する今までとは全く別な或る関わり合いを、私共に要求してはおりますが、併しその関わり合いは決して無「意味」ではない、ということであります。

   訳者註 私共の眼差しは澄み切って来ます: 
        技術的な物を単に技術的に見るのみならず、
         それを透かして「物」を視るようになり、
         ・・・
         「技術の本質」をも見抜くようになる。(紹介者意訳)

 かくして、農耕牧畜つまり農業は、動力化された食料工業になっております。ここに於ても――その他の分野に於けると同様に――自然と世界とへ人間が関わるその関わり合いの内に於ける或る深い貫徹力をもった変動が起っていることは、確実であります。
 併し乍ら、一体如何なる意味がこの変動の内に有って、それを統べているのかということ、このことはなお暗がりの中に留まっているのであります。

 そのような仕方で、すべての技術的な出来事の内には、確かに或る一つの意味が支配しており、その意味は人間の営為に要求をもって呼び掛け、その要求の内に人間の営為を呼び取っているのであります。 
 或る一つの意味、それは人間が初めて考え出したものでもなければ、作り出したものでもありませぬ。原子技術の支配は益々勢位を高め不気味なものとなっているのでありますが、この原子技術の支配ということが、一体何を意として目論んでいるのかということ、そのことを私共は知りませぬ。「技術的世界の意味は、それ自身を覆蔵しております」。
 ところで併し、技術的世界の内には到る処に於て或る覆蔵された意味が私共を触れ動かしているということ、このことに私共が殊更にそして絶えず、注目しましょう、そうするならば、私共は直ちに次の如き事柄の境域の内に立つのであります、すなわちその事柄とは、それ自身を私共に覆蔵し而も私共に向って到来するという仕方で、それ自身を覆蔵している事柄であります。このような仕方で、それ自身を示すと同時に、それ自身を脱去せしめてゆく事柄、それは私共が密旨と呼んでいる事柄の根本趨性であります。その力に依って私共が、技術的世界の内に覆蔵されている意味に向って、私共自身を開け放って置くところの態度、その態度を私は、「密旨に向っての開け」、と呼びます。

   訳者註 根本趨性:根本動性にして根本性格

       「密旨」に向っての開け:
       Geheimnisに対する訳者の造語、語の通常の意味は「秘密」。
       「密旨」は、「信仰」の立場に立てば「神の言葉」、
       仏教の「自覚」の立場に立てば「空」「法身」ということに
       なろうか。(紹介者意訳)

 物への関わりの内に於ける放下と、密旨に向っての開けとは、相依相属しております。この二つの態度は私共に、或る今までとは全く別な仕方で世界の内に居留する能力を授けます。その二つの態度は私共に、その上に於て私共が技術的世界の内部にあって而もその世界によって害されることなく立ちそして存続し得る如き或る新しい根底と地盤とを、約束しております。

   紹介者註 この段落、難解至極。
        要は、何の作為もなく、無心で事柄にたいしたとき、
        物のありのままの姿が見えてくる、というようなこと
        だと理解。

 物への関わりの内に於ける放下と、密旨に向っての開けとは、私共に、或る一つの新しい土着性への展望を、与えます。この新しい土着性は、今や急速に消滅して行きつつある古い土着性を、或る変えられた形で呼び戻すことさえをも、何時の日にか、なし得るでありましょう。

 無論、当分の間は――どれ程長くかは私共には分りませぬが――人間はこの地上に於て危険な境位の内にあります。
 何故に。
 第三次世界戦争、つまり人類の全き壊滅と地球の破壊とを帰結する如き第三次世界戦争が突如として勃発するかも知れないという理由、ただそういう理由のために、でしょうか。否、そうではありませぬ。
 第三次世界戦争の危険が除去された時、まさしくその時、或る一つの遥かに大きな危険が、既に現われ始めつつある原子時代に於て、脅かしつつ迫って来るのであります。奇矯な主張であります。全く。
 併し、この主張が奇矯に響くのは、ただ私共が気遣いつつ思いを潜めて追思しない間だけのことであります。

 それでは、今語られた言葉は、一体如何なる点に於て妥当するのでありましょうか。それは、次の如き事態が起り得る可能性の存する限り、妥当するのであります。
 すなわち、その事態とは、原子時代に於て転がり来りつつある技術革命が、人間を繋縛し、妖惑し、眩惑し、盲目にするかも知れず、その結果、何時の日にか、計算する思惟だけが「唯一の思惟として」通用し世に行われるに至るかも知れない、という事態であります。
 もしそうなりますならば、その時一体如何なる大きな危険が立ち現れて来るのでありましょうか。
 その時には、「計算的な計画と発明とに関する最も高度な最も効果の多い鋭利な洞察力」と、「思いを潜めて追思することへの無関心、つまり全面的な無思慮ということ」とが、提携して行くことになるでありましょう。
 そしてその時は。
 その時には人間は、彼に最も固有な事柄、すなわち、人間は気遣いつつ思いを潜めて追思することを本質としている有るものであるということを、既に否認し放擲してしまっていることでありましょう。

 それ故に、人間のこの本質を救い出すことが肝要であります。それ故に、気遣いつつ思いを潜める追思を、目覚めさせて置くことが肝要であります。

 併し、物への関わりの内に於ける放下と、密旨に向っての開けとは、おのづから私共に降って来るというようなものでは、決してありませぬ。それらは、決して天から降って来るような偶発的な事柄ではないのであります。
 
 それらは或る一つの、絶え間なく遂行される、心の籠った気魄(きはく)に溢れた思惟の内に於てのみ、生い立つのです。

 多分、今日の記念祝祭は、そういう思惟に向って一つの衝撃を与えるでありましょう。私共はこの衝撃を受け取りましょう、そうするならば、私共は、コンラーディン・クロイツァーの作品の由来に、つまり私共の故郷ホイベルクの蔵している根本の力に、思いを回らす(めぐらす)という仕方で、コンラーディン・クロイツァーを回想することになるのであります。
 そして私共が今此処に於て私共自身を次のような人間として、すなわち原子時代の内に入って行き更にその時代を突き抜けて行くところの道を、見出し切り開いて行かねばならない人間として、明確に知るならば、その時こそ、「私共」は、今申した仕方で思惟する当の者となるのであります。

 物への関わりの内に於ける放下と、密旨に向っての開けとが、私共の内に目覚めますならば、その時私共は、或る新しい根底と地盤とへ導いて行く一つの道の上に、出ることが出来るでありましょう。その地盤の内に、存続する作品の創造が、新しい根を張ることが出来るでありましょう。
 そのようにして、ヨハン・ペーター・ヘーベルが言っておりますことは、或る変えられた仕方で、そして或る変化した時代の内で、再び新たに真実となるに相違ないでありましょう、
 すなわち、

 《私共は草木である――そのことを私共が認めようと、認めまいと、そんなことに不拘(かかわらず)――天空に花を咲かせ実を結び得るためには、根をもって土中から生い立たねばならない草木である。》

   紹介者註 ヨハン・ペーター・ヘーベル
         バーゼルに生れた詩人(1760-1826)。

                                        了

         ハイデッガー選集ⅩⅤ「放下」辻村公一訳(理想社)より


 1955年、つまり昭和30年、いまだ高度成長最盛期には程遠いころ、語られた講演である。日本での翻訳出版は昭和38年(1963年)。

 今、日本の状況は、どうであろうか。計算する思惟、打算が横行してはいないだろうか。じっくり考えたりしていると、置いてきぼりをくう、かのような錯覚に陥り、目先の「利益」を求め、せかせかと歩いているように私には思えてならない。
 「限界耐力計算」法が出ると、すぐにそれに飛びつくというのが、それでなければ幸いである。

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打算の思考-2・・・・「科学技術」への追従

2007-09-26 08:33:56 | 「学」「科学」「研究」のありかた
 先回紹介した講演の続きを紹介する(今回は抜粋が難しく全部)。現代の「科学技術への、信仰に近い依存・寄りかかり」について考えさせてくれる。
 ただ、長くなるので2回に分ける。
 なお、各回のタイトルは紹介者が付けたもので、原文にはない。

 ・・・・
 多数のドイツ人は、彼らの故郷を失いました。彼等の村や町を離れねばなりませんでした、彼等は故郷の土地から追放された人達であります。故郷を失わずにすんだ他の無数の人達は、それにも不拘(かかわらず)、故郷を立ち退き、大都会の、歯車装置のような、激しい機械的繁忙の内に入り込み、工業地域の荒野の内に移住することを余儀なくされております。彼等は古き故郷から疎外されているのであります。
 それでは、故郷に留まっている人達は、どうでありましょうか。
 彼等は屡々(しばしば)、故郷から追放された人達よりも、もっと甚だしく故郷を失っているのであります。毎日毎時、彼等はラジオやテレヴィジョンに縛り着けられております。毎週、映画は彼等を、普通ではないが多くの場合つまらぬものにすぎないところの表象圏域(註)の中に拉れ去るのであり、その圏域は巧みに或る世界を見せかけますが、その世界は決して世界ではないのであります。何処へ行っても《写真入り週刊誌》はぶら下がっております。

   訳者註 表象:Vorstellung
         人間が物を「自分の前に且自分の方へと立てる」ということ、
         つまり「対象化する」ということ。
         適切な語がないので「表象」を当てた。

 現代の技術的な諸々の通信器具は毎時間毎時間、人間を刺激し、奇襲し、追い廻しているのでありますが、そのための材料とされているもののすべて、そういうもののすべての方が、今日では既に人間にとって、自分の屋敷の廻りの耕地よりも、一層身近かであり、地を覆う空よりも、昼と夜との時の歩みよりも、一層身近かであり、村の風俗習慣よりも、故郷の世界の伝えよりも、一層身近かであります。

 私共は一層思いを潜め、そして問います、すなわち、一体何がここに於て生じているのであるか――故郷から追放された人達の許(もと)でも、又それに劣らず、故郷に留まっている人達の許でも――と。
 答、現代人の「土着性」が最も内奥に於て脅かされているのであると。そればかりではなく更に、土着性の喪失は、単に何か外的な周囲の事情とか運命とかに依って惹き起こされているだけではなく、又人々の投げ遣りな態度とか表面的な生活の仕方に基づいているだけではないのであります。土着性の喪失は、その内に私共すべてが生み入れられた時代、その時代の精神に由来しているのであります。

 私共は更に一層思いを潜め、そして問います、すなわち、もしそのような有様であるならば、人間は、そして又人間が造る作品は、果たして今後なお、生のままの故郷の土地から生い立ち、そして天空の内に、すなわち天と精神との広闊(こうかつ)さの内に、聳り立つ(そそりたつ)ことが出来るであろうか。或いはまた、すべては、計画と計算、組織と自動作業の鉗子(かんし)の中に挟み込まれてしまうのであろうかと。

   紹介者註 鉗子:手術で使う鋏様の器具

 私共が今日の祝祭に際し、その祝祭が私共の身近かに齎す(もたらす)事柄に、省察を向けますならば、私共は次のことに注目するのであります。
 すなわちそれは、土着性の喪失が私共の時代を脅かしている、ということであります。
 そして私共は問います、私共の時代に於て本当に起っていることは一体何であろうか、私共の時代を特色づけていることは何であろうかと。

   紹介者註 この講演は、作曲家コンラーディン・クロイツァーの百年忌の
         記念「祝祭」において行われた。

 ひとは、今始まりつつある時代を近頃、原子時代と名づけております。この時代の否応なしに押し掛かって来る最も著しい目印は、原子爆弾であります。
 併し、この目印は単に、事態の前景に存する目立った一つの目印にすぎないのであります。何故ならば、原子力が平和的な諸目的のためにも利用されるということは最早認識されているからであります。そのために、今日原子物理学やその技術家は到る処で、原子力の平和的利用を遠大な諸計画にもとづいて実現しようとしているのであります。幾つかの指導的国家、その尖端(せんたん)にイギリスが立っているのでありますが、そういう指導的国家の大産業コンツェルンは、原子力が巨大な企業になり得ることを、既に計算してしまっているのであります。
 ひとは、原子企業のうちに新しい幸福を認めております。そして原子科学も、そういう掛声の外に離れてはいないで、この幸福を公然と告知しているのであります。そうでありますから、今年の六月、十八名のノーベル賞受賞者達が、マイナウの島(註)に集まり、声明文を発表し、その中で文字通り次のように声明したのであります、すなわち、《科学――というのは、ここでは現代の自然科学のことであるが――それは、人間を一層幸福なる生活へ導いてゆく一つの道である》と。

   訳者註 マイナウの島:スイス、ボーデン湖のなかにある島

 このような主張は、一体如何なる有様にあるのでしょうか。それは、省察から発した主張でありましょうか。それは抑々(そもそも)、原子時代ということの意味に思いを潜めて追思しているのでしょうか。
 否、決してそうではありませぬ。
 私共が、科学が発するこのような主張に依って満足してしまいますなら、私共は、現代と言う時代への省察から、この上もなく遠く隔てられているのであります。
 何故でしょうか。
 私共は気遣いつつ思いを潜めて追思することを忘れるからであります。次のように問うことを忘れるからであります、すなわちその問とは、科学的技術が自然の中に諸々の新しいエネルギーを発見することが出来、それらを開発することが出来たというこのことは、一体何に基づいているのか、という問であります。

 このことは、次のことに基づいているのであります、すなわちそれは、既にここ数世紀以来、基準となる諸表象のすべてに亙って或る一つの顚覆的(てんぷくてき)変動が進行中である、ということであります。その変動に依って人間が、今までとは別な或る一つの現実の内に移し置かれつつある、ということであります。
 世界の見方に関するこの根本的にして激烈なる革命は、近代の哲学の内に於て遂行されたのであります。そこから、世界の内に於けるそして又世界へ関わる、人間の従来とは全く異なった或る一つの立ち方が、生じて来たのであります。

 今や世界は、計算する思惟がそれに向ってさまざまな攻撃を開始するところの対象であるかの如くに、現れて来るのであり、それらの攻撃には最早、何物も抵抗し得るはずはないのであります。
 自然は、他に比類なき一つの巨大なガソリン・スタンドと化し、つまり現代の技術と工業とにエネルギーを供給する力源と化します。
 世界全体へ関わる人間の、根本的に技術的なるこの関わり合いは、最初十七世紀に於て、而も(しかも)ヨーロッパに於て、而もヨーロッパに於てのみ、成立したのであります。それは、その他の大陸に於ては長い間知られずにいた事柄であり、それ以前の時代と諸民族の運命とにとっては、全く無縁な事柄であったのであります。

 現代技術の内に覆蔵されている勢力、そういう勢力は、有るといえる事柄へ関わる人間の関わり合いを、規定しております。その勢力は地球全体を支配しております。人間は既に、地球を離れて宇宙の中へ突進することを、始めております。併し原子力が極めて巨大な力源であり、近い将来あらゆる種類のエネルギーに対する世界の需要を永久に満たし得る程の力源であるということが、知られるに至ったのは、漸くここ二十年前からのことであります。この新しいエネルギーを直接に調達することはやがて、石炭や石油の産出や森から取って来られる薪とは違って、最早一定の国土や一定の大陸に限られなくなるでありましょう。近い将来に地球上のどの箇所にも原子力発電所が建設されるに至るでありましょう。

 現代の科学と技術との根本の間は最早、次のような問、すなわち、我々は、必要に足りるだけの燃料や動力源を、何処から獲得して来るかという問、ではありませぬ。決定的な問は今や次のような問であります。
 すなわち、我々は、この考える(表象する)ことが出来ない程大きな原子力を、一体如何なる仕方で制御し、操縦し、かくしてこの途方もないエネルギーが突如として――戦争行為に依らなくても――何処かある箇所で檻を破って脱出し、いわば《出奔》し一切を壊滅に陥し入れるという危険に対して、人類を安全にして置くことが出来るか、という問であります。

 原子力の制御が成功しますならば、そしてそれは成功するでしょうが、その時、技術的世界の従来とは異なった全く新しい発展が始まるでしょう。今日、映画やテレヴィジョンの技術とか、交通の技術就中航空の技術とか、通信の技術とか、医学上の技術とか、食料に関する技術とかいう風に私共に知られている事柄は、恐らく、この新しい発展の粗削りな初発段階を、現示しているにすぎないでありましょう。来りつつある諸々の顚覆的変動は、誰も知ることが出来ませぬ。

 とはいえ、技術の発展は益々急速に経過するでしょうし、如何なる処に於ても引き停められ得ないでありましょう。現有のすべての境域に於て、人間は、諸々の技術的装置や自動機械の及ぼす諸力に依って、益々狭く息苦しく、取り囲まれて来ます。何等かの形での技術的な施設や設備を通じて、到る処に於て、時々刻々、人間を占有せんと要求し、人間を繋縛し、引ずり去り、圧迫しているところの諸々の勢力、これらの勢力は既にずっと以前から、人間の意志や決断力を超えて、増大してしまっているのであります。それは、それらの勢力が人間に依って作られた作りものではない、からであります。

 併しまた、技術的な世界に於ける、従来見られなかった、新しい事柄の一つとして、次のようなことがあります、すなわちそれは、その世界の内で為された諸々の仕事や業績は最も急速な仕方で知れ渡り一般のひとの目を見張らせる、ということであります。
 そうでありますから、この講演が技術的な世界について言及している事柄に致しましても、今日では誰でもそれを、巧みに編集された写真入週刊誌の中で、而も如何なる週刊誌の中ででも、後から読むことが出来ますし、或いは又、ラジオで聴くことも出来るのであります。

 併し、私共が或る事柄を聴いたり、読んだりしたということ、すなわち、その事柄を単に知ったということと、私共が聴いたり読んだりした事柄を、認識したということ、すなわち、その事柄を熟思したということとは、全く別なことであります。

 今年すなわち一九五五年の夏、リンダウでは再び、ノーベル賞受賞者達の国際的会合が催されました。その折、アメリカの化学者スタンレーは、次のように言いました、すなわち《生命が化学者の手中に置かれる時は、近いのであり、化学者は生命ある物質を随意に減成したり、増成したり、変更したりするのである》と。

   訳者註 リンダウ:ボーデン湖畔の町

 ひとは、かくの如き重大な発表を知ります。ひとは更に科学的探究の大胆さに驚きの目を見張りますが、その際何も考えませぬ。ひとは次のことを些かも(いささかも)熟思しないのであります。
 すなわちそのこととは、ここでは技術を手段として人間の生命と本質に向って或る攻撃が準備されているのであり、その攻撃に比べれば、水素爆弾の爆発などは殆ど物の数ではない、ということであります。何故ならば、水素爆弾が「爆発することなく」、人間の生命が地上に維持される時、まさにその時こそ原子時代とともに世界の或る不気味な変動が立ち現れて来るからであります。

 併し乍ら、本当に不気味なことは、世界が一つの徹頭徹尾技術的な世界になる、ということではありませぬ。
 それより遥かに不気味なことは、人間がこのような世界の変動に対して少しも容易を整えていない、ということであり、私共が、省察し思惟しつつ、この時代に於て本当に台頭して来ている事態と、その事態に適わしい仕方で対決するに至るということを、未だに能くなし得ていない、ということであります。

 如何なる個人も、如何なる人間の集団も、極めて有力な政治家達や研究者達や技術家達をメンバーとせる如何なる委員会も、経済界や工業界の指導的人物達の如何なる会議も、原子時代の歴史的進行にブレーキをかけたり、その進行を意のままに繰ったりすることは、出来ないのであります。単に人間的であるにすぎない組織は、如何なる組織でも、時代に対する(「技術」の)支配を簒奪(さんだつ)することは出来ないのであります。

   紹介者註 簒奪:(帝王の位を臣下が)奪い取ること

    [以下、次回へ]

          ハイデッガー選集ⅩⅤ「放下」辻村公一訳(理想社)より

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打算の思考-1・・・・当面やりすごせばよいのか

2007-09-24 11:42:45 | 「学」「科学」「研究」のありかた
[字句追加:9月24日16.10]
[タイトル№追加:9月24日23.37]

 私が、いわゆる「伝統工法」を「限界耐力計算」法で確認申請をクリアしようとする試みを批判したところ、かなり反発をする方がおられたようだ。私の言っているのは、根本が誤っている法令に迎合するようなことはすべきではない、ということ。計算することが既定化、規定化されることを危惧するからだ。
 反発を感じられた方は設計屋さんなど大工さん・職人さんではない方々。
 私は、代々受け継いできた財産・工法を、建築基準法・法令で否定され続けてきた各地の大工さん・職人さんの立場を重視したい。大工さんたちにとっては、またまた余計な手間が増えるだけだ。なんで計算をしなければならないのか?設計屋さんたちは言う。誰かに計算を頼めば済むことだ・・・。
 しかしそれは、根本の問題から目をそらすことに連なる。

 そのあたりの現代の思考法、行動のありようを見事に見破り、批判した文章があるので、少し長いが、紹介したい。今から約半世紀前、1955年になされたある講演の記録である。 
 なお、原文は旧仮名遣いだが、現代仮名遣いに変えてある。また段落も読みやすいように変えた。


 ・・・私共は次のことに関して吾と吾が眼を欺き(あざむき)ますまい。すなわち、そのこととは、私共はすべて、いわば職業柄思惟する人々を含めて、私共はすべて、屡々(しばしば)思慮に乏しいということであり、私共はすべて、余りにも容易に無思慮に陥っているということであります。
 無思慮ということは、現代世界の到る処に出入りしている不気味な客であります。それは次の事実が明らかに示しております。

 すなわちその事実とは、今日ではひとは、あらゆる事柄を、そして如何なる事柄でも、極めて手取り早く且安価な仕方で知りますが、それと同時にその事柄を知るや否や忽ち忘れ去ってしまう、ということであります。それと同じように、催しというような事柄に致しましても、息つく暇もなく矢継早に一つの催しは次の催しを追い駆けるという有様であります。・・・・

 併し(しかし)ながら、一方に於て私共は無思慮であるとはいえ、私共は決して、私共の思惟する能力を、放棄してしまったのではありませぬ。私共はその能力を必要とするし、更に、如何なる場合に於ても無条件的にすらその能力を必要とするのであり、確かに私共はその能力を或る奇妙な仕方で必要としているのであります。
 すなわち、その仕方とは、私共は無思慮という有り方のうちで、私共の思惟能力を休閑地として放置している、という仕方であります。
 とはいえ、休閑地たり得るのは、例えば耕地の如く、それ自身に於て生育のための根底であるもの、そういうものに、限られるのであります。自動車専用道路、その上には何も生えはしませぬが、それはまた決して休閑地にもなり得ないのであります。
 恰かも(あたかも)、私共が聾になり得るのは、私共が聴く者であるからに他ならない如く、又私共が老いてゆくのは、曾て(かつて)私共が若かったからに他ならない如く、丁度それと同様に、私共が思慮に乏しくなり、更にその上、思慮を喪失するに至るのは、人間は彼の本質の根底に於て、思惟への能力つまり「精神と悟性」とを所有しており、思惟することに向って定められているからに他ならないのであります。知ると知らぬとに不拘(かかわらず)私共が所有しているもの、そういうものだけを私共はまた喪失するころが出来るのであり、よく言われる言い方をしますならば、そのものから脱け出してゆくことが出来るのであります。

   筆者註 悟性:自分の理解した諸事実などに基づいて、
            論理的に物事を判断する能力。

 それ故、今日益々増大して行きつつある無思慮ということは、現代人の最も内奥の骨髄に喰い入っている或る出来事に基づいているのであります。すなわち、現代人は「思惟から逃走の最中に」有るのであります。思惟からの逃走というこのことが、無思慮ということの根底であります。

 併し、思惟から逃走するというこのことには、更に次のことがその一成分として属しております。
 すなわちそれは、人は思惟からの逃走というこのことを、見ようともしなければ、承認しようともしない、ということであります。そればかりではなく、現代人は、思惟からの逃走というこのことを、断乎として否認しさえもするでありましょう。彼はその反対を主張するでありましょう。彼は次のように――しかも十分な正当さをもって――言うでありましょう。すなわち、如何なる時代に於ても、正に現代におけるが程、広大な範囲に亙って計画が拡げられ、多種多様な事柄が研究され、激しい情熱をもって探求されたことは、曾て(かつて)なかったのであると。

 確かにその通りであります。鋭利な洞察力と綿密な勘考力とを、このように費消しますことは、そのうちから大きな効益を齎(もた)らします。このような思惟を欠くことが出来ないということは、動かすことの出来ない事実であります。
 併し――またこのような思惟が一つの特殊な種類の思惟にすぎないということも、動かすことの出来ない事柄であります。

 このような思惟に固有なる特色は、次の点に存します。すなわちそれは、私共が計画を立てたり、探求を行ったり、企業を設立したり致します場合には、与えられた周囲の諸事情を絶えず計算する、ということであります。私共は、それらの諸事情を、一定の諸目的を目指して算定された企図に基づいて、計算の内に入れるのであります。私共は又、一定の成果を当てにして予め計算するのであります。

 このような仕方での計算ということが、計画し探求するすべての思惟を、特色づけているのであります。このような思惟は、数を用いて演算をしない場合でも、計算機を使わない場合でも、大規模な計算装置を運転しない場合でも、依然として計算であることには変りないのであります。
 計算する思惟は、打算を廻らします。
 すなわち、そういう思惟は、次から次へと新しくなってゆく諸々の可能性、益々見込の多いものになりしかも同時に益々安価に入手されるようになってゆく諸々の可能性、そういう諸可能性を目指して打算を廻らすのであります。
 計算する思惟はチャンスを狙って、一つのチャンスから次のチャンスへと、せかせかと飛び奔り(はしり)ます。計算する思惟は、じっとしていないのであり、省察に沈潜することは決してしないのであります。計算する思惟は決して省察する思惟、つまり、「有るといえる事柄のすべて(註)」の内に有ってそれらを統べている意味に、思いを潜めて追思する思惟ではないのであります。

   訳者註 有るといえる事柄のすべて:
         「すべての有るもの」という意味ではない。・・・
         「今本当に有る、といえる事柄のすべて」の意。

 かくして、思惟には二つの種類があり、両方ともそれぞれ、各々の仕方で正当であり、必要であります。すなわち、その二種類の思惟とは、計算する思惟と、省察する追思惟であります。

 現代人が思惟から逃走の最中にあると、私共が言います場合、この沈思する追思惟のことを指しているのであります。
 併し乍ら(しかしながら)、ひとは次のように抗弁します。
 すなわち、とはいえ、単に沈思するだけの追思惟は、知らぬ間に現実から浮き上がってしまい宙に漂うのであり、そういう思惟は、地盤を失うのであり、そういう思惟は現在進行中の諸々の事業を成し遂げるためには何の役にも立たないのであり、そういう思惟は実践の遂行に何ものをも齎さないのであると。
 そして最後に、ひとは次のように言います、すなわち、余念なく思いを潜めて追思することや省察をどこまでも持ち堪えることは、通常の悟性にとって――余りにも《高》過ぎることであると。

 この言い逃れのうちに存する正しいことは、ただ一つ次のことだけであります、すなわちそれは、省察する思惟は、計算する思惟と同様に、放って置いてもおのづから生じて来る如きものではない、ということであります。
 省察する思惟には時として、計算する思惟の場合より、一層高度の労苦が要求されますし、一層長きに亙る習練が求められます。
 それは、その他の如何なる本物の手仕事より、もっと微妙な入念さを、必要とします。更にまた、省察する思惟は、恰も農夫の如く、蒔かれた種子が生い立ち成熟するか否かを、見護りつつ待つということを、なし得なければなりませぬ。

 併し他方、沈思する追思の道は、如何なる人でも、彼自身の仕方で、彼自身の限界内で、歩むことの出来る道であります。何故でしょうか。
 それは、人間は「思惟することをすなわち省察することを本質としている有るもの」であるからです。それ故に亦、私共は追思するに際して、決して《高く彼方へ》と飛翔する必要はないのであります。私共が身近かに存する事柄の傍に留まり、そして最も身近かに存する事柄に思いを潜めますならば、それで十分であります。
 最も身近かに存する事柄とは、つまり、私共のいずれの一人一人にも、今此処に於て、関わっている事柄であり、此処とは、この一画の故郷の土の上で、ということであり、今とは、現在の世界の時に於て、ということであります。
・・・・

       ハイデッガー選集ⅩⅤ「放下」辻村公一 訳(理想社)より抜粋

 このように実践することは容易ではない。しかし、40年以上前にこの書を読んだときの「ある種の衝撃」は忘れられない。そして、なるべく、そうあらんとはしてきたが・・。

 なお、半世紀以上前に行われたこの講演の後半では、原子力を含む現代科学技術のありようについて触れられているので(そして、その通りの「今」があるので)、続けて紹介したい。

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「煉瓦の活用」と「木ずり下地の漆喰大壁」:図面補足

2007-09-23 02:09:57 | 設計法

 図面を追加。
 基準柱間は6尺。
 差鴨居方式+登り梁方式をとっている。

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「煉瓦の活用」と「木ずり下地の漆喰大壁」

2007-09-22 01:11:02 | 設計法

 「ホールダウン金物」や「在来工法」の「在来の意味」に触れた記事の閲覧が相変わらず多いが、「煉瓦の活用」(3月14日)と「トラス組・・古く、今なお新鮮な技術」(1月4日~7日)も寄られる方が多い。
 そこで、今回は、前の例とは別の煉瓦利用の設計例を紹介させていただくことにする。

 この例では、市街地内に建つので、外壁は一階の内法下を煉瓦一枚積み(イギリス積み)、それから上は漆喰塗りの大壁仕上げにしている(内側に引っ込んでいる壁は板壁)。
 漆喰大壁の仕様は、木ずり:幅1寸5分×厚2分程度のスギの白太の木ずり:を3分程度の隙間をあけて打ち、それに直接下塗りのドロマイトプラスターを塗り、砂漆喰、仕上げ漆喰で仕上げる仕様としている(下塗りにあたっては麻のトンボを塗りこんだ)。
 この方法は、左官職に教わった方法(写真で煉瓦を積んでいる方)。
 ドロマイトプラスターは下地への接着性がよく、漆喰とも相性がよい。この仕様で十分防水性が確保できる(ただし、軒の出を出し、吹き降りを防ぐのが条件)。下地からの剥落も生じにくい。
  
  註 現在は通常下地板(木ずりと呼ぶが本来の木ずりとは異なる)の上に
    防水紙、ラスを張りそこに塗り込むのが普通。
    これでは塗り壁はラスに引っかかっているだけ。容易に剥落する。

    なお、旧日本銀行京都支店では、木ずり+漆喰直塗りの内壁が、
    修理時にも健在だった。
    また、かつてよく使われた「塗天井」は、この工法である。

 大壁の場合、壁面の中に開口部を設けることなどはせず、壁面を極力単純な方形にするのが亀裂を防ぐ方法。
 この例では、壁内に見切りを設け、壁面を単純な形に分割し亀裂発生の防止に努めている(開口部はその全高を使って設ける、というより開口部に応じて見切りを設ける)。
 ただ一箇所、壁頂部にぶつかる見切りがハチマキに接してしまったため、そこに亀裂が生じたほかは、20年近くになるが、いまのところ目に見える亀裂は生じていない。
 土蔵の細部を詳細に見ると、壁の亀裂を防止するために開口部の四周には太目の額縁をつくりだしたり、壁面を水が垂れないようにテーパをつけた目地を何段も設けて水を切るなど、いろいろな工夫のあとが窺える(コンクリートの設計にあたっても応用できる手法)。


 軸組の間に煉瓦を充填する方法は、前例にならったため、仕事はきわめてスムーズに進んだ(積んだのは同じ人)。
 木骨煉瓦造の要点は、柱間(この場合は6尺)に応じた割付とすること(喜多方の木骨煉瓦造の方法)。
 この例では、6尺の間に8枚(目地込み7寸5分)。目地幅は15mmを越え、目地材の量も増えるが、仕事はしやすい。また、数人で仕事をする場合、高さ:レベルを正確に設定し、各段の積み方向を決めておけば、どこからでも仕事を進められる。出来上がりも、見た目、強度とも、木骨と一体になり安定感がある。

  註 最近の事例では、煉瓦積みの職人さんが、目地幅10mmにこだわって
    積んでしまったため、割付が柱通りと無関係になり、
    しまりがなくなってしまった。
    柱間に煉瓦がきれいに納まっていると、見た目もしっかりする。


 目地材を砂漆喰にするのは、その弾力・復元性を活かすため。砂漆喰は完全に乾ききり固化することはなく、漆喰壁同様、調湿性があり、常に一定の弾力性をもつからだ。セメントモルタルだと固化してしまい、外力がかかったとき、亀裂が生じやすい。西欧でも、石灰主体の目地を使った古い煉瓦造の方が健在度が高いという。大げさな言い方をすると、漆喰目地の場合、壁が「撓う」らしい(喜多方では、新潟地震の際、漆喰目地の古い建物の方が亀裂が少なかったという)。
 なお、以前も触れたが、「漆喰」は中国語の「石灰」の発音への当て字。

 煉瓦で木部をくるむと、何となく木部が腐るのではないかと考えがちだが、実際には、喜多方でも腐朽例はない。この点は、土壁でくるむ土蔵と同じ理屈、つまり材料の調湿性によるものと考えられる。また、煉瓦一枚程度でも、恒温恒湿性は土蔵と同じである(これは、土や煉瓦の潜熱現象によるとされる)。

 RCと煉瓦造併用の試み(煉瓦壁を先に積んでおき、要所にコンクリートを後打ち)もいずれ紹介したい。

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厳密と精密・・・・学問・研究とは何か

2007-09-21 10:51:52 | 「学」「科学」「研究」のありかた
 私が当今の(建築:建物づくり、特に、いかなる空間をつくるのか、について、つまり「建築計画」の)「研究」あるいは「学問」について大きな疑問を抱いていたとき、それを解きほぐしてくれたのが、次の一文である。あるいは、私よりも、はるかに説得力のある人物の発言をもって理論武装した、と言った方がよいかもしれない。

 また、自然科学とは何か、精神科学あるいは人文科学とは何か、考えるきっかけとなったのは確かである。
 そして同時に、自然科学を基礎とする、あるいは応用(自然)科学を自負する「工学」のなかには、すでに自然科学の「精神」を逸脱し、それでもなお「自然科学の係累」であるとの思い込み、ご都合主義が蔓延していることに対しての異議の根拠をも与えてくれたのも確かである。今から40年以上も前のこと・・・。
 なお、一部は以前に紹介したような気がする。
 また、読みやすいように、原文とは異なる段落にしている。


 ・・・・・
 今日ひとが学問と呼んでいるものの本質は、研究です。
 ではどこに、研究の本質があるのでしょうか。それは、認識することがみずから道案内として、自然であれ歴史であれ、存在するものの領域内で身構えるところに、成り立つのです。

 道案内とは、ここでは単に方法や手続きをいうのではありません。なぜなら道案内はすべて、みずからがそのなかで動く或る開けた区域を、予め必要とするからです。しかしちょうどそのような区域を開くことが、研究の基礎工程なのです。
 これは、存在するものの或る領域たとえば自然において、自然現象の一定の見取図(輪郭)が描かれることによって、おこなわれます。いったいどんな仕方で認識する道案内が、開かれた区域に結びつくべきか、ということを予め描くのが企画です。この結びつき方は、研究の厳密さです。
 見取図の企画と厳密さの規定とによって、道案内は存在領域において、その対象区域を確保します。最も早くから発達し且つ標準的な近代的学問(近代科学)である数学的物理学をみれば、右のことが明らかになります。
・・・
 近代物理学は、それが優れた意味において、或る種の確定した数学を利用するから、数学的といわれるのです。もっともっと深い意味ですでに数学的であるからこそ、そのような仕方でただ数学的にだけ、処理することができるのです。
 タ・マテ-マタとは、ギリシア人にとって、人間が、存在するものを観察し事物と交渉することにおいて、「すでに予め知っているもの」、を意味します。すなわち物体については物体に本質的なもの、植物については植物に本質的なもの、動物については動物に欠きえないもの、人間にとっては人間にふさわしいものです。
 これらの「すでによく知られたもの、すなわちマテーマタ的なもの」には、前述のもののほかに、数もまたそうです。
 テーブルの上に三個のリンゴを見いだすと、わたしたちはリンゴが三つあると認めます。しかし、三という数、三であること、をわたしたちはすでに知っています。このことは、数がマテーマタ的ななにかである、ということです。ただ、数が、いわば最も押し付けがましく、いつもすでに知られているものを、それでまたマテーマタ的なもののなかで最もよく知られているものを表すので、そのために直ちに呼び名としてのマテーマタ的なものが、数的なもののために取って置かれたのです。

 しかしながらマテーマタ的なものの本質が、決して数的なものによって規定されるのではないのです。
 物理学は一般に自然の認識であり、特に質量的物体的なものを運動において認識することです。なぜなら質量的物体的なものは、それが様々な仕方にせよ、すべて自然的なものに直接に例外なく現われるからです。
 さて物理学がことさらに数学的な或るものへと形成されるとすれば、これは或る強調された仕方において、数学的なものを通じて、また数学的なものにとって、なにものかがすでによく知られたものとして、予め構成されている、ということなのです。
 この構成は、求められた自然の認識にとって、いつか、自然であるべきところのものを企画することに全く他ならないのです。
 すなわちこれは時間空間的に相関連する質点の自己完結的な運動連関に他ならないのです。この構成されたものとして設定された自然の構図に、とりわけ次の諸規定が記入されます。
 すなわち、運動は場所の移動である、いかなる運動も運動の方向も、他のそれらより勝っていることはない、すべての場所は他の場所と等しい、いかなる時間点も他のどの時間点に優先しない、すべての力はそれが運動に、すなわち再び時間単位における場所の移動の大きさという結果を伴うところのものにしたがって規定される、換言すればそれ以上でも以下でもない、などなど。

 この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が見込まれていなければなりません。この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、はじめて眺められるのです。物理学的研究の、その問のどの歩みも、予め企画に結びつくことによって、自然についてのこの企画が確実さを保っています。この結びつき、すなわち研究の厳密さは、企画に沿ってそのつど独自の性格をもっています。数学的自然科学の厳密さは、精密さです。すべての出来事は、それらがおよそ自然現象として表象されるときには、そのさい予め時間-空間的な運動量として規定されねばなりません。そのような規定は、数と計算の助けをかりる測定においておこなわれます。

 しかし数学的な自然研究は、正確な計算がおこなわれるから精密なのではなく、その対象領域への結びつきが精密さの性格をもっているので、そのように計算されねばならないのです。
 これに反して、すべての精神科学さらに生活体についての諸科学も、まさしく厳密であろうとすれば、必然的に精密さを欠くことになるのです。つまり、生物を或る時間-空間的な運動量として捉えることはできても、そのときはもはや生物として捉えられていないのです。歴史記述的な精神科学の不精密さは、なんらの欠陥ではなくて、この種の研究の仕方にとって本質的な要求を充たすことにすぎないのです。むろん歴史記述的な学問の対象区域の企画と確保とは、仕事の面からいっても、精密科学(自然科学)の厳密さの実行よりも、遥かに困難なのです。・・・
      
        ハイデッガー選集Ⅷ「世界像の時代」桑木務訳(理想社)より

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番外:論外・埒外・・・・匿名ということ

2007-09-21 09:17:44 | その他
 私はこのブログを本名・実名で書いている。本名・実名ゆえの理解のされ方がなされることもあることは重々承知の上。身の上まで調べて読む人もいるだろう。しかし長く続ければ、自ずと内容で理解してくださるようになるだろう、そう思っている。第一、文責が自明だ。

 一方、匿名は、最初から内容勝負。そういう利点がある。しかし、それには、一定の「埒」を設ける必要がある。匿名をいいことに・・という発言がややもすると出やすくなる。しかし、その「埒」は、自らが設けるもの。

 私の書くことにコメントをくださる方がおられる。その中には、何度かのコメントのやりとりのうちに、いわば言葉尻をとらえて論戦を吹っかけてこられる方がいる。それはそれでいいが、そうなるとつきあってゆくのが面倒になる。私は別に、コメントを書かれる方の人格やお考えを否定するつもりはないのだが、ことによるとそう思われるのかもしれない。

 私の方は、私の考えに異論を唱えられても一向にかまわない。そんなに簡単に私の考えが変るわけはないからだ。そうでなかったら、書き続けない。ただ、面倒なことはしたくない。第一、そうまでして私の考えに異議を唱えたいのなら、本名・実名でなさったらどうか、と思う。どういう仕事をなさっているかも明らかにして・・。それが、ネットの時代でも、最低の礼節というものではないか。

 「リベラル21」というブログがある。ここではコメント管理が徹底している。今後、私もそれにならおうか、と考えている。

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現代の構造計算法と「伝統工法」:追記

2007-09-19 15:49:06 | 設計法
 「日経アーキテクチュア」の特集「限界耐力計算を巡る混乱」には、先回挙げた他にも見過せない文言がある。その始めのあたり。

「・・・(構造計算ソフトの数は、計算法によって)合計すると十数種類になる。また、どの計算法を使うかによって得られる保有水平体力も異なって、上限では1.3くらい、下限では0.8を下回る程度になる。
(判断に困ると思われるかもしれないが)構造計算とは元来がそういうものだ。計算ソフトには建物によって向き不向きがあるし、建物をどう崩壊させるのか構造設計者によって考え方が違う。・・・計算ソフトと構造設計者の考え方によって保有水平耐力が異なるのは当然だ。
・・・・
構造計算とは、構造計画、構造モデル作成、構造計算、その評価といった一連の流れからなっている。構造計算の結果、保有水平耐力が基準の1.0以上だったら、構造計画の正しさが計算で一応裏付けられたわけ・・・。
・・・・
優れた構造設計者なら1.0以下になることはありえない。きつい表現をすると。1.0以下になるのは構造設計者としては出来が悪いということだ。・・・構造設計を依頼する以上、相手の技術力を見極めておくべきだ。特定行政庁や確認審査機関に審査してもらうのは本来、構造設計の妥当性について再チェックしてもらうためでもある・・・」  

 「解」はいくつもある、同じ問題に対しての「解」が「計算法」によって異なる、そして、人によって(妥当として採用する)「解」が異なる・・・・・。
 
 このことを、広く一般の方々、建築の場合ならば、建物を使う人、設計を頼む人・・に説明してあるのだろうか。もししてないのであれば、構造工学というのはこういうものなのだ、と早急に説明しなければなるまい。

 何故ならば、一般の人びとは、構造工学も自然科学の(延長上の)一、「解」がいくつもある、あるいは方法によって異なる、あるいはまた人によっても異なる・・などとは毛頭も思わず、出される「解」は「厳粛な、抗いがたい解」だと信じているはずだからだ。つまり、「構造工学=自然科学の同類」と信じているのである。また、これまで、そのように装って来たのではないか。

 「構造計算とは元来そういうものだ・・」「構造設計を依頼する以上、相手の技術力を見極めて・・」などと平然と言われてしまうと、一般の人は呆然とするだろう。構造計算をしなければならない、というのはそういうことだったのか、と。

 より素直に解釈するならば、構造解析法には、いまだ、これといったものがない、いわば「応急的な」方法が提示され、実験中だ、ということなのだろう。そういう状態で、構造計算を義務付けることは茶番に見えてくるではないか。
 
 また、文中にある「構造計画の正しさ」とは、法定基準への適合性の正しさに過ぎず、建物の構造計画の正しさと言えるのか?前提とする法定基準が絶対という保証はないはずだから、私には詭弁に聞こえる。

 この特集記事を一読して、私の中に残ったのは(記事の書き方によるのかもしれないが)、JSCAの「エリート意識」だけであった。


 さて、「限界耐力計算」法を使えば、これまで認められなかった「伝統工法」の仕様が認められる(筋かいを使わない、礎石立て・足固め方式ができる・・・など)、確認申請でOKがもらえる。だから・・・という方々が増えているらしい。便宜的にはそれでもよいだろう。

 しかし、論理的には、同じ「建築『基準』法」の規定の中で、相反する仕様が共存し得る、というのならば、まさにダブルスタンダード。そんな規定は不要だ、ということになる。私は「便宜」になびかず、こちらの「見解」を採る。
 すなわち、建築基準法は、そしてそれを背後で支える《専門家》集団は、糊塗に糊塗を重ねて袋小路に奥深く迷い込み、出口も見失っている、と。

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現在の構造計算法と「伝統工法」

2007-09-18 16:06:41 | 設計法
[註記追加:9月19日7.41AM]

 最近、「一体化・立体化工法」の木造建築(いわゆる「伝統工法」)を、現行建築法令の下で建てるべく、「限界耐力計算」法で構造計算し、確認申請するという動きが、全国的に広がっているようだ。建築士会連合会機関紙「建築士」9月号の「耐震診断・耐震改修の実際その1-木造編」でも、いくつか事例が紹介されている。
 「一体化・立体化工法」で建てることは、木材の性質から見てきわめて妥当であることは、歴史の事実が雄弁に物語っていることであり、異論はない。
 しかし、それを建てるため=確認申請を得るために、「限界耐力計算」法に頼ることは、はたして妥当なことなのだろうか。

 周知のように、少なくとも木造建築に関する現行建築法令は、長い歴史をもつ日本の木造建築工法:「一体化・立体化工法」の考え方を捨て去り、あるいは無視することで成り立った《構造理論》:真島氏の言い方を借りれば、「外力に腕ずくで対抗する考え方」を下敷きにしている。別の言い方をすれば、「地震の力をまともに受ける」ことを前提にしている。「限界耐力計算」法も、基本は同様のはずである(「一体化・立体化工法」は、「地震の力をまともに受けないようにしよう」というのが基本ではあるまいか)。

 それゆえ、この計算法で「一体化・立体化工法」の架構の材寸等の妥当性の「確認」が得られたとき、論理的には、考え方の上で、すでに「一体化・立体化工法」とは異質なものになっているのではないか?つまり、形は「一体化・立体化工法」であっても、実は「法令規定の工法」の建物となっているのではないか?

 これでは、「一体化・立体化工法:伝統工法」を認めようとしないという法令そのものの内包する問題点を隠蔽してしまうことになる。
 たとえば、最近の「小舞土塗壁」の耐力壁としての認定などは、たしかに土壁は復権したかもしれないが、工法に占める土壁の意味・役割は、すでに「一体化・立体化工法」のそれとは別物になっている。
 おそらく、これと同様のことが増え、根本的な問題は顧みられなくなり、規定がますます袋小路に迷い込むのは、論理的必然ではなかろうか。

 言うまでもなく、「一体化・立体化工法」(いわゆる「伝統工法」)を「復権させる」ということは、「『一体化・立体化工法』風の建物をつくる」、ということではなく、少なくとも木造建築において、現行法令が捨て去った、それゆえ現行法令の考えとは相容れない「一体化・立体化工法」の『考え方』そのもの復権のはずである。
 悪法も法である、などと悠長に構えてよい話ではない。
 現に、法の下、左官職をはじめ多くの職人・職種はもとより、「一体化・立体化工法」の技術・技能さえ消えようとしている、あるいは無視されているではないか。それでよしとするのか?「・・国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉の増進に資して」いるというのだろうか(建築基準法第一条)?

 では、私はどうしているか。
 まず架構方式、部材の寸面などは、いわばこれまでの経験(実地もあれば、見学も、書物によるものも含む)を踏まえ、「直観的」に決める。「計算で確認する」という方策は採らない。計算の代りに、種々な経験、実例を参考にさせてもらう。そして、確認申請にあたっては「現行法令の壁量規定」を「存分に使わせてもらう」のである。

  註 第一、私は構造計算は不得意だ。
    計算そのものが不得意なのではない。
    計算の前提とされる「仮定」を疑いだす「くせ」があるからである。
    計算はできるかも知れないが、それ、実態なの?という疑問が
    常に湧いてくるからである。
    現在のような計算法が確立していなかった大正末期~昭和初期建設の
    RC構築物(土木)が、阪神・淡路の地震で健在だったのは、
    計算に依存していなかったからだ、と私は考えている。
    
 具体的には、壁部分の仕様で壁倍率を按配して計算値を充たす。やむを得ないときには、使いたくないが構造用合板も使用することがある。壁の長さが少しでも倍率をかせげるからだ。これもこんな労力は払いたくないのだが、数回試案をつくり計算すると何とかなる。基準法制定後数十年して付け加えられた「面材」耐力壁は、その操作にとってきわめて都合がよい。断っておくが、もちろん、壁量に依存する設計をしているのではない。計算上で壁量を満足させるように差配しているだけなのである。あくまでも計算のため・・。あるいは「順法」のため・・。

 また、継手・仕口については、金物を要求されない方法を採る。例えば、横架材は「折置」で架け、直交する横架材は「渡りあご」とし、横架材は柱間で継がず、柱への「差物」で継ぐ。そのために「通し柱」を多用する。幸いなことに、これらはいずれもいわば原始的な方策で、強度的にも問題がなく、法令規定も認めざるを得ないからである。

 実は、これらに拠った考え方の例が8月19日~23日に紹介させていただいた「現行法令下での一体化・立体化工法の試み」。
 耐力壁はあるが、それに依存はしているわけではなく、あくまでも順法:計算上のため。実際に建てるときは、たとえばアンカーボルトの孔はクリアランスを大きめにして、座金で調整している。
 こういうつくりをあちらこちらでつくってゆけば、いつの日にか、法令仕様のつくりとの差異が明確になってこよう、という考えなのだ。

 もちろん、こういう「非科学的な」やり方はけしからん、という方も大勢いるであろうことは容易に想像できる。
 しかし、構造計算法自体、リアリティに合致しているという保証はまったくない。何重もの仮定の積み重ねのはず。言ってみれば、精密に計算してはいるが、実はアバウト。計算した、と言うことで安心しているにすぎない(のではないか)。

 私が木造の建物の設計するとき、全体の架構や部材の寸面をいろいろと考え、これで大丈夫だろう、と判断した案を採る。先に触れたように、それは「勘:直観的判断」だ。その意味ではアバウト。しかし、計算したから・・というアバウトとはまったく別だ。そのように私は思っている。なぜなら、私は、全体を見ようとしている、体感しようとしているからだ。
 構造計算法は各種あるが、計算法によって「解」が異なり、一致することはないという。さらにまた、一つの計算法の「解」自体にも幅があり、どの「解」を採るかは、計算者に委ねられるらしい。つまり、計算は精密だが、アバウトなのだ。

 では、計算者はその判断を何に拠るのか?計算者の「勘」による以外ないはずだ。これと、先の私の判断と、どこがどう違うのだろうか?
 しかし、数値信仰のあまり、そういう判断一切なしに、計算結果:数値だけに従う人やそういう設計事例があるはずなのだ。

 2006年4月10日の「日経アーキテクチュア」の特集「限界耐力計算を巡る混乱」の末尾に、見過しできない一文がある。
 「・・現在の構造設計者は推定で約9000人いて、そのうち約3500人がJSCA(日本建築構造技術者協会)会員だ。JSCA会員に限れば3500人の全員が保有水平耐力計算(注:従来の計算法)をわかっていると思うが、限界耐力計算を本当に理解しているのは100人から200人程度かもしれない・・」。

 「一体化・立体化工法(いわゆる伝統工法)」で実際に建物をつくることができる大工職は、100人や200人程度などという数字ではない。各地域で数え上げたら、3500人などという小さく半端な数ではないはずだ。
 ただ、その人たち:大勢いる有能な人たちの仕事を、「非科学的である」として、専門家(そして彼らが主導した法令)が認めようとしていないだけなのである。
コメント (2)
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乾燥材の話・・・・木材の含水率とは?

2007-09-15 16:41:00 | 設計法

[表現字句修正:9月16日8.53AM]

 地域の自治体や森林組合、製材組合などの方々と、木材の乾燥と木造建築の関係について、話をする機会があった。共同で乾燥工場をつくるため、補助金、交付金をもらおう、とするいわば下相談の行動の一環であったらしい。

 参加者の一人の住宅メーカーの方は、このごろは注文側の方が詳しく、木材の乾燥の程度などを訊いてくるほどだという。また、製材業の方からは、KD材(人工乾燥材)でないと売れない傾向が表れていて、ND材(天然乾燥材)は、乾燥の程度が劣ると考えられる気配がある、との話を聞いた。つまり、木材の乾燥=人工乾燥、という構図がいつのまにか出来上がってしまっているように思えた。

 最近多くなっている130度近くの高温で強制乾燥する方法は、どう見ても、木材の質を落している、つまり、たしかに水分はとぶが、同時に油っけも抜けてしまい、木材として決して良いとは思えない、との見解もあった。たしかに材木屋さんの店頭などで見るベイマツKD材の中には、艶が抜け、ぼそぼそしたベイマツらしからぬ材がある。

 私は、材の乾燥を気にするようになったのには、木造建物の工法の変化が影響しているという話をした。
 最近の工法では、枠組工法はもとより軸組工法でも大壁造りが増え、自ずと下地の木材の暴れが仕上げ面(大壁)の干割れ、剥離などとして表われ、結果としてクレームとなる。
 特に、軸組工法の場合、簡易な仕口を金物で補強するのがあたりまえだから、材が乾燥していないと軸組自体に狂いや暴れが出てしまう。
 ところが、往時の工人たちは、こういうことを避けるために、乾燥材にこだわるだけではなく、材相互の接合:仕口・継手に工夫をして狂い・暴れの防止に努めてきた。しかし今は、乾燥材を使えば、面倒な仕口に頼る必要はない(簡単な仕口・継手にして金物で補強する)、と考えている気配が感じられる、と。そして、このような工法の変化には、建築基準法の木造についての規定が大きく影響している、とも付け加えた。

 愛媛県宇和島地方局産業経済部林業課のHPにあるたとえ話で、皆さんにちょっとした質問をしてみた。
 「ここに重さ100グラムのミカンがある。ミカンは、そのうちの80グラムが水分である。では、木材同様の計り方だと、このミカンの含水率はいくらか?」
 出席者は20名足らずだったのだが、全員が80%という答だった。
 実は、木材の含水率計算法では、このミカンの含水率は400%なのだ。木材の含水率は、水分を取去った部分に対して(この場合だと20g)水分はどれだけの比率で含まれているか、という計算法だからだ(この場合、水分は20gの4倍あるから400%)。
 私も初心者の頃は、80%と答えたはずである。
 
 さらに私は、適切と思われる含水率まで一旦乾燥した材の含水率は、決して一定を保つわけではない、つまり、15%まで乾燥させても、たとえば夏は18%、冬は13%のように変動する。だから、多少の狂い、暴れは必ず表われる。多くの住宅メーカー、とりわけ林業系のメーカーが、木造軸組工法で集成材の部材を使うのは、狂い、暴れがより少ないからなのだ。ただし、集成材の寿命には私は疑問を抱いている、と話を続けた。
 しかし、大方の方は、一度乾燥した材の含水率は、常に一定である、とお考えのようであった。
 
 これが、日ごろ乾燥材を話題にしているこの地域の林業、製材関係者、行政の林業担当者・・・たちの、木材の乾燥や乾燥材についての認識の現状なのである。
 だとすると、一般の方々の認識は、おそらく、この人たち以上に、乾燥した材は一定不変で少しの狂いも暴れも生じない、と考えているのではなかろうか。「品確法」なども、その点についての説明はなく、乾燥・・の「性能」だけを示しているから、一般の方々に誤解を生むように思えてならない。

 先にミカンの例を引用した「愛媛県」HP内の「愛媛県 八幡浜地方局 産業経済部 林業課」の「天然乾燥指針」は、その分りやすさから(各種の自前の実験を基に分りやすく解説している)、単に林業・製材関係者のみならず、一般の方々も参考にしてよい、すぐれた内容である。
 おざなりに乾燥、乾燥と騒ぐのではなく、こういう熱心な取組みをする地域もあるのだ、と感心する。

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在来工法、布基礎、土壁、瓦葺・・・・

2007-09-13 03:05:17 | 「学」「科学」「研究」のありかた
 先回の「家具も倒れなかった住居」の関連で、中越沖地震の被災状況を伝える日本建築学会のサイトの中の報告を調べてみた。
 かなりの数の事例を調べ、写真も紹介しているのは大変参考になったのだが、その報告の仕分け・腑分け法が非常に気になった。

 まず、木造建物の場合の仕分け、それが在来工法か否か(伝統工法、準伝統工法という仕分けもあった)。
 「在来」で何を意味しているのかが不明なのだ。なぜ「軸組工法」と言わないのか。どうも、軸組工法=在来、と仕分けをしているようであった。なぜかと言うと、お寺さんは伝統工法、として一律に分類しているらしいからだ。お寺さんにだっていわゆる在来工法はある・・(建設時期から察して)。

 いつごろ建てられたかについては、たしかに詳しく聞かなければ分らないことではあるが、新耐震基準の前か後かで分けている。

 さらに調査項目には、壁が土壁(小舞土塗り壁)か否か、屋根は瓦葺きか否か、という分類もある。
 基礎についても、布基礎か、そうでないかという分類で分けられ、中には土蔵の基礎を布基礎としている観察事例もある。土蔵と言えば、どんなに最近のものでも100年近く昔に建てられている。つまり、布石のはず。石の傷みをモルタルででも補修してあって布基礎に見えたのでは・・。

 そしてまた、1階が店舗か否か、という仕分けもある。これは、1階の間口方向に壁があるかどうか、つまり壁量が少ない=損壊の原因、という結論が先にあっての調査項目。事実、店舗併用住居に被害が多い、という調査結果をどこかで見た。

 調査の労は高く評価したいのだが、私にはあまりにも恣意的な調査に見えてしょうがない。つまり、虚心坦懐に事例を見ていない。どういう結論が出されるか、最初から見当がついてしまう、あるいは「結果を予測した調査」「予定調和の調査」に思われるのだ。

 こういう《調査・研究》を基に、新たな耐震指針など出されたら、たまったものではないのである。
 
 そんなに結論を急ぐ必要はない。第一、倒壊建物の構造については、倒壊前を詳しく知らなければ何も言えないはず。これを、壁が土壁だった、瓦葺きだった・・という分類で、あたかもそれが原因だった、などと断言されても困る。
 こういう《統計調査》ではなく、壊れなかった建物を詳細に調べ、壊れなかったのは何故か、それを調べる必要があるだろう。そういった壊れなかった例を調べる中から、「壊れない、被災しにくい建物のつくりかた、その方策」が見えてくるはずではなかろうか。かつて、人びとがしてきたことは、この方法であったはずだ。

 このままでゆくと、さらに建物は壁だらけになってしまう。つまり、わが国の工人が、わが国の環境とのすりあわせでたどりついた全面開放のつくりの建物などは、まったくつくれなくなる。そういうつくりにできる架構法を編み出したのだ。なぜ、この厳粛たる事実の存在を否定するのか、分らない。ことによると、土蔵の基礎を布基礎と見なして平気でいられる「無知」、というより「過去を知ろうとしない習性」のなせる結果なのかもしれない。

 最新の「建築士」9月号の巻頭言で、鈴木有氏が、「現行の耐震診断は国が勧める計算方式に則って判断する。補強の効果も同じ方式で確認する。勢い診断値と標準の仕様に頼って、性能を確認しがちだ。・・」と現在の耐震診断について述べている。先の調査も、現行(法令)の耐震理論、耐震工法の視点でしか見ようとしていない、と言えるだろう。そして、それをして「科学的な調査」と自負している気配も感じられる。

 専門家である以上、真の意味で科学的であるべきだし、第一、自国の建物つくりの来し方、つまり歴史について、知っていて当然ではないか。
 中越沖地震の被災状況を調べるにあたって(他の地震も同様だが)、「その地域の建物のつくりかた」について調べた形跡もまったくうかがえない。その根には、「全地域一律の標準」で見る見方があるからではないか。あるいは、そういうことは歴史や民俗の専門家の領域、耐震専門家には関係ない、と考えているのかもしれない。
 このような調査を見ていると、あらためて、「学」「研究」のありかたが問われなければならない、と思わざるを得ないのだ。

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家具も倒れなかった住居・・・・中越沖地震の実際

2007-09-10 22:14:56 | 地震への対し方:対震

[字句追加:9月11日0.05AM]

 中越沖地震の被災地に行かれた方から、貴重な写真をいただいた。「家具一つ倒れなかった住居」の写真である(写真提供:河野通裕氏)。

 外観写真を見ると、右隣の住居は、シートがかけられているから、屋根瓦がずれたか崩落したと思われる。しかし、このお宅は、妻側の軒の蛇腹部分が傷んだ程度らしい(蛇腹にするのは、雪の吹きつけ防止のため?)。
 察するところ、この建物は、礎石を据え、土台を流し(したがって、土台は現在の布基礎方式とは異なり、地面すれすれに置かれる)、柱を立て、床レベルを「足固め」「大引」で固める昔ながらの方式と考えてよいだろう。もちろん、土台は礎石に据えただけで、アンカーボルトはない。
 このような基礎と足固めの方式は、現在の法令では認められない(平屋建ての場合は可)。

 この建物は約40年ほど前に建てられたとのこと。見かけはごく普通の建物だ。
 ことによると、当時は「無指定」地区で、法令に準拠する必要がなく、従前の工法でつくることができたのではなかろうか。多分、軸組は壁部分がすべて貫で縫われている。差鴨居があるかどうかは不明。

 写真でも分るように、地表も砂地。つまり、砂質地盤。ただ、地下水位は深く、だから液状化現象は起きていない。
 地上に見えている礎石の下には、別の石が据えられているという。つまり、地形(地業)は丁寧に行われているようだ。

 地震の起きたとき、何が起きたか。
 おそらく、礎石上の木部架構はひとかたまりであることを維持し続け、地面が勝手に動いた、のではなかろうか。
 よく内部まで見なければわからないが、ことによると、礎石が下がっている(つまり、土台と礎石の間に隙間ができている)箇所もあるかもしれない。
 従来の工法では、こういうことが普通に生じたのである(今の法令推奨の工法では、礎石に緊結してあるから、礎石の沈下は木部をも引っ張り込む)。
 だから、揺れても家具一つ倒れなくて済んだのだ、と私は思う。

 まだ詳しく調べてないが、中越沖地震の被災家屋についての日本建築学会の最終報告がまとまったとのこと。新聞記事では、瓦葺きよりも金属板葺きの被災例が少ない・・などと報告されていたというから、相変わらずの調査・報告のような印象を受けたが、先入観は禁物。虚心坦懐に内容を調べてみようと思う。

 それにしても、今の耐震専門家は眞島健三郎の存在、彼の論を知っているのだろうか。眞島氏に対立した佐野利器氏の弟子で、剛構造化を学生に説いてきた武藤清氏は、退職後大手ゼネコンの副社長に招かれ、そこで何と、突然柔構造を説きいわゆる最初の超高層ビルの構造を担当した。
 私はそれを目前にして、驚いたことを覚えている。昨日まで学生に説いていたことは何だったのだ?もしそうなら、二つの考え方を同等に説くべきだったのだ。あまりにも節操がない、それが私のそのときの想いだった。

 しかし、学者・専門家の世界では、これがあたりまえのようなのだ。
 先に紹介したように、木造校舎の不燃化を推奨した同じ人物が、40年経つと、木造校舎を推奨する。この変節を何とも思わないらしい。人の噂も75日、40年も経てば、昔のことは忘れてくれているだろう、と都合よく思うからではなかろうか。
 ヤクザの世界なら、おとしまえをつけろ、となるのは必然。学者の世界はうるわしい!
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台風―地瓦―JIS規格

2007-09-07 16:02:48 | 設計法
[註記追加:9月8日4.00AM]

 久しぶりに関東平野直撃の台風が来た。
 一晩中、南東寄りの風が吹き荒れた。このあたりでは、もう少し秋が深まって、太平洋沿岸沿いの進路をとる台風の影響を受ける場合が多く、西寄りの風を受けることの方が多い。

 筑波第一小の体育館竣工の年の秋、台風に見舞われ、あろうことか、壁から雨が漏った。
 壁は「落し込み板壁(真壁)」。落とし込まれる板相互、柱と板壁とは、手の込んだジョイントになってはいたが、水は見事に板と板との目地を水平に走って柱際に集まり、そこから風圧に押されて室内に侵入していた。
 しかし、よく調べると、水がまわったのは東面だけ。
 つまり、このときの台風は、今回同様関東平野中央部を通り抜けるタイプで、南東寄りの風雨が強く、おまけに筑波山の斜面を吹き上がり、まともに壁に吹き付けたかららしい。
 いろいろ対策を施したが、、最終的には「落し込み板壁(真壁)」の外側に、柱も隠して、つまり大壁の板壁を新設して雨漏りを止めることができた(5分厚の横羽目板なので、柱間ごとに取替え可能な方法を採った)。

 面白いのは、西寄りの風が吹き付ける太平洋沿岸沿いの台風のとき、西面の壁で雨漏りが起きるか、というと、それが起きないこと。
 これは台風の持つ性質のようだ。
 台風は反時計回りに、中心へ向かって空気が渦を巻く。衛星写真やレーダーを見ると、台風の南東から東~北側にかけて雨雲が発達しているのが分る。暖かい海面からの水蒸気がその元。中心の西から南側は雲が少ない。だから、海上を通る台風のとき、建物に吹き付けるのは、どちらかといえば風だけ。壁にあたる雨が少なく、雨漏りも起きにくいのである。
 今でも、東面以外は、当初の「落し込み板壁(真壁)」のままである。

  註 「落し込み板壁(真壁)」には、こういう弱点がある。
    どうしても全面をそれにする場合は、軒を深く出す必要がある。

 高知に行ったとき、「特別な粘土瓦(桟瓦)」を見た。と言っても、もともとは少しも特別ではなく、高知ではあたりまえだった瓦。

 現在普通に見る桟瓦は、正面から見ると「への字」型、つまり左に峰があり、右に谷が来る。その「特別の瓦」は、その逆で「逆への字」型。

 高知は台風銀座。雨風の強い方向は場所によって大体決まっている。筑波山では南東面を気をつける、というのと同じ。
 そこで、横方向の瓦のジョイントからの雨水の侵入を避けるため、風向きに合わせて、二種類の瓦を使い分ける(ジョイントが風の向きに背を向けるように使う)のが普通だったのだという。

 ところが、JISの桟瓦の規格で、一種類に「統一」されてしまい、製造する工場がなくなってしまった。それゆえ、かつて二種類を使い分けていた建物は、いざ修理というときに困っているのが実情。
 規格の設定にかかわった人たち:《専門家》は、こういう使い分けがあるという「事実」を知っていたのだろうか。

 瓦の生産は、JIS規格の設定で大きく変った。高知の例で明らかなように、地域の特徴に応じて考えられてきた「地瓦」がなくなったのである。
 たしかに全国統一規格にすれば、たとえば同じ53A型ならば、理屈の上では、どこの産の瓦でも使える。
 しかしそれによって、各地域にあった中小の瓦焼き工場は消え、大規模大量生産の製造工場だけが生き残ることになったのである。逆に言えば、地域に適した瓦をつくっていた工場が消失した、ということ。
 はたしてこれはよいことなのだろうか。

 「規格化」「規格の統一」「標準化」・・=「合理化」「近代化」・・は、何となく「進歩」であり、「正論」であるかのように思われがちなのだが、必ずしもそうではない、と私は思う。
 むしろ、規格化・標準化・合理化・・に向う前に、「なぜいろいろな形があったのか」、その理由を考える議論があってしかるべきなのではないか。これは、以前に触れた最近のアルミサッシの規格化・標準化についても言えること。
 残念ながら、そういった話は聞いたことがない。ただ単に現状の型を調べ、「整理」するだけだったのではないか。ことによると「多数決」?

 ある「型」の使用者数が少なくても、地域の人びとはやみくもにその型を使っているわけではない。人びとはそんなに「愚か」ではない。むしろ、そういう数少ない型が存在する理由を見抜けない《専門家》こそ真に愚か、と言ってよい。

 よく考えて見ると、現在私たちが付き合わざるを得ない各種の「規定」「規格」・・には、こういう《専門家》の「愚行の結果」と思しきものが、たくさんあるのではなかろうか。

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「想定外」と「絶対」・・・・近・現代工学の落し穴

2007-09-05 19:51:27 | 設計法

[一部字句修正:9月6日9.10AM]

 たとえば、柏崎刈羽原発の設計にあたって、450ガルの揺れを想定して設計した。中越沖地震の揺れは900ガルを越えるものだった。すなわちそれは「想定外」だった・・。
 浜岡原発では、1000ガルを想定して「耐震補強」を行おうとしている。これに対して、1000は小さすぎる、という見解もあるが、「調査によれば1000が最大というデータが得られている」・・。

 これらの「事実」は、現在の「設計」では、ある「想定した目標」を設定し、「それに対応した設計を行う」という方法が定着していることを示している。
 したがって、もしもその「想定値」を疑いだしたら、設計はできない、という方法。ゆえに、設計するためには、「想定値」は「絶対」でなければならないことになる。

 しかし、この「絶対」は絶対ではない。それは、「耐震《基準》」が、ことあるたびに「改変」されることで明らかだ。それをして、「科学の進歩」「学問の進歩」と言ってお茶を濁すのは、「ずるい」のではないか?
 《識者》もまた、基準の「変更」を《改訂》と言うが、それは言葉で「正当化」を図ろうとするきわめて「ずるい」方法だ。

 第一、ことあるたびに変えなければならない、という事実にあった時、しかもそういうことに何度もあったとき、普通の感覚を持っている人なら、「地震は全く分っていない」、ゆえに「基準など設定できない」と判断するのがあたりまえではないか。私には、それこそが「科学的:scientific」な判断だと思える。

 しかし現実はそうではない。「設定したがる」。それは、現代工学的発想のなせるわざだ、と私は思う。「そうしないと設計ができない」という思い込みが真底まで浸透しているのだ。


 そしてまた、何度も行われてきた「改訂」にあたり、それ以前の《基準》は誤りだった(そういう値を基準に設定したことは、誤りだった)という「お詫びの言葉」があってしかるべきなのだが、あった例がない。一方的な「通達」だけ。

 たとえば、耐震《基準》が変ったとき、それ以前の「《基準》の策定にかかわった全ての人たち」が、懲戒処分を受けたことがあっただろうか。皆、のうのうとして今も暮している!彼らはいつでも「絶対に」安心なのだ・・。
 もしも「処分」を下す習慣があれば、「いい加減な」基準値を設定する習慣もなくなるはずだ(たとえ、よく分っていなかったからだ、と言い訳をしても、結果としては「いい加減なもの」であったことに変りはない。そのことの認識が必要だ、ということ)。
 識者と、それを利用する行政官僚つまりお役人というのは、まことに楽な商売。いつでも権威・地位に胡坐をかき、四周を見下していればよいのだから・・。

 私は先回、床暖房を温風による方法にしたことを紹介した。なぜなら温水は万一漏れたら問題が大きいから、と考えたからだ。
 このように言うと、おそらく、温水床暖房を進めているガス会社や電力会社は、「今の温水配管は、長尺ものを使うから絶対に問題は生じない」と言うだろう。

 しかし、私は「世のなかに《絶対》は絶対にない」と考えている。
 そもそも「絶対」という概念は、「机上で想定された概念」にすぎず、「絶対に存在する概念ではない」。つまり、「絶対に安全」ということは、絶対にあり得ない。
 けれども、「絶対」を設定すると論を進めやすい。一気呵成に話が進む。これが近・現代の工学がとった方法。
 そこでは、いわば適当に(この表現が気にいらないならば、「学問的に」)設定した数値を「絶対」値と見なして設計する方法が行われる(たとえ「学問的に」調査を行って得たデータであろうが、それは「適当な」数値であって、「絶対」の数値ではない)。

 私は常に、絶対は存在しない、という考えで物事に対したいと思っている。何のことはない、それは「近代化」以前の人々の発想法だ。それは、眞島健三郎氏の言葉で言えば、剛ではなく柔で考える方法。自然に腕ずくで対応するのではなく、むしろそんなことは不可能だ、とする考え方。どう考えたって、その方が道理。
 自然を研究するのは結構。しかし、だからと言って、自然を征服できると考えるのは論理の飛躍。私はそう考える。 
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基準依存症候群・・・・指針、規定、そして基準

2007-09-03 18:55:10 | 設計法
 「美しい国」などという語が、ときおりメディアのあたりを賑わす。
 しかし、少なくともハードな面で言えば、日本は、特に都会は、「美しい」どころか「醜い」姿に変貌した。
 時の政府は「美しい国」を目指すと称して「教育基本法」を改変した。しかし、本当に改訂すべきは「建築基準法」だったのではないか。

 なぜなら、国土を「醜く」してしまった決定的原因は、建築基準法にあるからだ。更に言えば、それと連動した資産税制:地価高騰促進政策にある。
 良かれ、と勘違いして容積率、建蔽率、そして日影規制・・を法律で定める。それをもって「基準」とする。するとどうなるか。法律が規定枠目いっぱい建ててよい、と保証したと考える(もちろん、そう考える建築関係者、不動産関係者が多いからだが)。
 だからたとえば、斜線制限がそのまま建物の外形となる。数字が、あたかも推奨値かのように扱われる。排水の汚染程度の「許容値」と同じである。0にするべく努めず、その数値なら良いと勘違いする。「景観法」で、「美しく」なるはずがない。

 こんな事態は、江戸時代までには考えられなかった。

 近世の町は「美しかった」。それは各地の「伝建地区」の「街並み」を見れば分る。その時代、「取締り」や「基準」はあったろうか?
 そんなものはない。人々は、それぞれの考えで建物をつくった。だからこそ、「美しかった」のである。
 今の世は、とかく「規制」「規定」「基準」・・を設けなければ、ものごとはよくならない、と思い込む。本当だろうか。そんなに人々は自分で「判断」ができなくなっているのだろうか。そんなに人々は愚かか?

 これは、ある地位の人たち、つまり選ばれたと思い込んだ人たち、簡単に言えばエリートだけが物事を正当に判断できるのだ、というどうしようもない「誤解」によって生まれたきわめて「現代的な病」と言ってよいだろう。そしてそれが、明治の「近代化推進」策から始まったことは大分前に書いた。


 ところで、眞島健三郎氏の論説紹介の際にも触れたが、「中越沖地震」後、「耐震補強」を奨める声が小さくなったような気がする。
 構造設計者も、「これで大丈夫だね?」と訊かれて、はっきり返事をしなくなったらしい。もちろん、かくかくしかじかの耐震補強をした方がよい・・などとも大きな声で言わなくなったようだ。
 なぜなら、今までならそれに頼っていた「指針」の信用性がなくなり、万一地震に遭って壊れたら、奨めた自分にモロにはねかえるのは目に見えている。多くの《専門家》がビビっているらしい。
 それにしても、多くの損壊例の原因となった「規定」「指針」「基準」・・・の責を問う声がまったくないのは何故?

 逆に言えば、こうした事態が続けば、世のなかは「正常に」戻る。
 頼るべきは自らの判断にある。どのように、地震と向かい合うのがよいか、建物をつくる依頼者も、そして設計者も、自分で考えるようになる。
 そして、その結果をだした自らが問われる。これが、本当の自己責任というものだろう。
 第一、大きな顔して「審査」「検査」「指導」・・をしていた(しかし責任は絶対にとらない)お役人様も要らなくなる。公務員の人員削減もできるではないか!
 そして、確実に全体の(建築関係者、建物、街並み・・の)「質」が向上する。

 実は、これが近世までのあたりまえの姿。専門家はこうして専門家:プロになった。すでに「日本の建築技術の展開」で触れたように、技術も停滞せず、発展を続けた。

  
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