とり急ぎ:新訂「日本建築辞彙」刊行!

2011-10-29 17:33:37 | 日本の建築技術
たびたび引用させていただいている 中村 達太郎 著「日本建築辞彙」の新訂版が刊行されました。
下が、その案内パンフレットの一部です。
  註 原本は「いろは」順ですが、この本では「五十音」順に編集されています。



「日本建築辞彙」については、「語彙に見る日本の建物の歴史」 に謂れを書きました。
日本の建築で使われてきた用語は、まずほとんど網羅されているのではないでしょうか。

初版は明治39年。
20年ほど前、筑波の古本市で、何と500円!で購入したのは、昭和4年版です。それほどのロングセラー本だったのです。
その外観が下の写真。ボロボロになりつつあり、触るのがこわい。


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この国を・・・・6:福島から

2011-10-26 11:07:11 | この国を・・・
[註記追加 29日 7.05]

福島県いわき市にお住まいの方から、原発事故にともなう放射能汚染の下で暮す日常について、メールをいただきました。
報道の伝えることどもより、数等リアルでしたので、転載させていただきたい旨お願いしたところ、次のようなメッセージをいただきました。

   福島や東北のニュースでは切実な現実が多々放映されています。
   福島と同じ原発関連のニュースを全国に流してもらいたいと、いつも思っています。
   ブログを通して現実を伝えていただける事、有難うございます。
   数値の比較資料として、「広報 いわき 10月号」を添付致します。

   ここ2.3日、昼間は蒸し暑く、朝晩は冷え込むという
   気温差の激しい日が続いています。

   お変わりございませんか。

   先週、放射線測定器がやっと届き、
   昨日は家の内外の測定をしておりました。
   30ポイントを1分おきに5回測定し、平均を出して・・・。

   家の中は、0.13~0.17μSv/hで、ロフト部分が一番高い数値でした。
   外は解放された雨樋部分が0.51とかなり高く、
   昨秋から落葉のある笹藪は0.37、
   屋根上の谷樋部(土と葉が溜まっている所)が0.31と高い数値が出ました。
   夏に一度薄く土をはいだ部分は0.18と他より少し低くなっていました。

   メディアで発表される庁舎、支所の測定は、
   アスファルトやコンクリート上での測定値のようです。
   一般住宅の土の庭は発表値より高い値のようです。

   放射線の影響を恐れ、いわきから避難する方も多いようです。

   我が家のある団地の下の通りには、仮設住宅が建設されました。
   小学校にも転校生が入ってきています。
   今、まちは震災後ザワザワしています。
   道路もお店も、混んでいます。

   復興と安全を声高に叫んでいるいわき市ですが、
   個人的には胸のつかえが全く取れれていない複雑な心情です。

   困ったものですが、子供のためにも、
   くじけるわけにはきませんよね!
   ・・・・・

このような日々が「日常」になってしまっている方がたが多数居られることを承知の上で(それとも承知していないのか・・)、「それでも原発のコストが一番安い」などというこの方がたの神経を逆なでするようなことが平然と行なわれています。
もう、原発事故など、過去のことにしたいのではないでしょうか。
タイの洪水について、日本企業の被災ばかり気にしているのと、根は同じ。
そうやって「繁栄する」《経済》とは、いったい何なのでしょう。

   註 同様の感想は、もう少し「詳しく」 「続々・素晴らしい論理」 で書いています。 [29日 7.05]

JVC:日本国際ボランティアセンターの会報 Trial and Error №291の巻頭に(下の写真はその表紙です)、
谷山博史 氏(JVC代表理事)の論説が載っています。

その中から、一部、抜粋させていただきます。段落を変え、一部、太字にしてあります。
   ・・・・・
   JANIC(国際協力NGOセンター)が6月末に実施したという調査によると、
   福島で支援活動を行うNGO団体は、
   宮城県53%、岩手県32%に対して11%しかないそうだ。明らかに支援の偏りがある。
   それは、福島に関わるということは、
   原発事故と放射能の問題に否応なしに向き合わざるを得ないからではないだろうか。
   スタッフの健康への危険、原発事故を起こし被害を拡散させた東電や政府の責任、
   放射能を巡る住民間の分裂や支援団体の間の意見の相違、
   そして、原発の恩恵である電気に依存している私たち自身に向き合うということである。
   安易な関わりは禁物である。しかしJVCは関わり続けようとしている。 
   なぜか。
   JVCが人道支援に関わる際の基準のひとつに
   「日本社会との関わり。日本市民として責任がある場合」という文言がある。

   「日本市民の責任」とは、
   今回の原発事故という大惨事にあたっては、
   原発のリスクと原発被害そのものを地方に押し付け果実だけを享受してきた都市住民、
   「沈黙する大衆」である日本市民の責任、と置き換えることができる。
   東京をはじめとする都市型の社会は、経済活動の両端、つまり資源の採取・生産と廃棄を
   外部に押し付けることで成り立っている。
   それが、今回の事故で、原発や放射性廃棄物処理場の立地についても同様であることが
   改めて見えてきた。
   言い換えれば、これは、「問題の周辺化」、日本の地方や南の国への転嫁であって、
   JVCがこれまで取り組んできた諸外国での活動の背景にあるものと変らない。  
   この視点に基づいているからこそ、国内の出来事にもかかわらずスタッフから前述のような意見が出て、
   JVCは現実に取り組みを始めたのだ。


   では、どのように関わるのか。
   美しいプロジェクトを描くことなどとてもできない。
   私たちにできるのは、
   地域に関わりながら被災した人びとと共に悩み、
   人と人のつながり、コミュニティのきずなをつなぎなおすことを手伝うことである。
   自らも被災した「南相馬災害FM」(註 JVCの提案によって開局。表紙はそのスタディオの写真)のスタッフが、
   私にこう語った。
   「東京の人は『危ないから逃げろ』とか、『もっとなぜ怒らないのか』と外から言ってくる。
   なぜ、東京の人からそんなことを言われなければいけないのか。
   私たちは私たちでしゃんとしていたい。私たちがしゃんとしていられるような情報を、  
   このFM放送で流していきたい」と。
   このような人たちがいる限り、JVCも彼らが立ち上がるのを支えたいし、
   この問題が忘れ去られたり、あきらめられたりしないよう、
   彼らの思いを積極的に発信していきたい。 
   今回の事故をきっかけにして、
   この国が今後どのように変っていくのか、その変化の手がかりをつかみたい。


JVCについて詳しくご存じない方も居られるかもしれません。この会報の裏表紙を転載します。


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この国を・・・・5:何を伝えるか

2011-10-22 09:57:30 | この国を・・・
[追加 18.07][追加 23日 20.14][追加 24日 6.54][追加 24日 10.54]


タイの大洪水について、日本企業の「被災」だけ報道されています。
洪水に見舞われた地域に、タイの方がたは暮していないのでしょうか?
その様子については、まったくと言ってよいほど、伝えられていません。

おかしくないか?と思っていたら、次のようなコラムがありました。同感です。

とり急ぎ、紹介します。

「タイ洪水の伝え方」

これも同感。
「平凡な日本人」 [追加 18.07]

もう一つ、「優しい」論説を追加。
「地震学は変われるか」 [23日 20.14]
そして、
「大地よ」
 ここに引用されているのは、次の詩です。

   大地よ 重かったか 痛かったか
   あなたについて もっと深く 敬って 
   その重さや痛さを知るすべを 持つべきであった
   多くの民が あなたの重さや痛みとともに
   波に消えて そして 大地に帰っていった
   その痛みに 私たち 残された多くの民が
   しっかりと気付き 畏敬の念を持って
   手を合わす

更にもう一つ、science のありようについての論説。
「地震学:『分らない』を正直に」 [24日 6.54]

更に更にもう一つ、scientist のありようについて
「人間を見ているか」 [24日 10.54]

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とり急ぎ:喜多方登り窯、今年の焼成について

2011-10-20 10:27:03 | 煉瓦造建築

                               喜多方 三津屋登り窯の構造

喜多方から、連絡が入りました。
そのままコピーします。
詳しいことなどは、下記へご連絡を。

喜多方まちづくりセンター内
三津谷煉瓦窯再生プロジェクト事務局
担当 金親丈史
電話 0241-22-5546

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


皆様たいへんごぶさたいたしております。
三津谷煉瓦窯実行委員会事務局の金親です。

三津谷の登り窯の件ではいつも気にかけていただきありがとうございます。

3月の震災とその後も断続的に続いている喜多方地震の影響も、幸いにしてあまりなく、
本年も登り窯の火入れを11月25日(金)~11月28日(月)で行う事になりました。

現在少しづつ準備を進めておりますが、
段取りの中でも一番のメインイベント「3000個を超える煉瓦素地の搬入」の日が近づいてまいりました。

今週末10月23日(日)の9時から14時に行います!

県の補助事業も昨年度で終了し、窯の火を継承するためにもなんとか本年も成し遂げたいと思います。

現在、人手が足りません!
素地搬入の時だけでも大変ありがたいので、手を貸していただけませんでしょうか。

普段の緩んだからだをシェイプアップするにはもってこいの作業です!
是非ともお知り合いの方を誘ってお越しください。


本年は煉瓦と共に漆の芸術祭参加作品の、子供たちが創った土のお面も一緒に焼く予定です。
茨城のアーティストと喜多方と相馬の子供たちが創ったもので、現在夢想館2階に展示しています。
無事に焼きあがった作品は、多くの人の思いを乗せて子供たちの元に戻っていきます。


12月には喜多方煉瓦のこれからを考える講演会も予定しております。
(色々と窯の将来についてのアイデアはあります。また段取りも徐々に進めております。)

詳しい今後の予定等はおいでいただいた時に話をさせていただきたいと思います。

皆様の熱い熱いご協力をお待ち申し上げております。
なお心づもりがありますので参加可能な方はお返事ください。

あと、勝手ではありますが「ケガと弁当は手前持ち」でお付き合いください。
宜しくお願いいたします。


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この国を・・・・4:「利」に乗じる「理」

2011-10-19 11:51:31 | この国を・・・
[追加 17.27][追加 17.35]

下記のように、地震学会の「様子」が話題になっています。

「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポ
「大きな敗北」「非常に反省」=予知不可能の意見も―大震災で特別シンポ・地震学会

この「様子」に違和感を感じたのは、私だけでしょうか。
先日、「建築家」たちの震災後の「言動」が「理解不能」であると書きましたが、この地震の専門家たちの言動もまた、私には「理解不能」なのです。
「リセット」だとか「敗北」だとか「反省」などという言葉が発せられる「背景」は一体何なのか。

一言で言えば、皆さん「理系」と自他とも認めているはずですが、「理」とは縁遠い。
ギャンブルでもやっている感覚でもないかぎり、「敗北」などという言葉は出てきません。
「地震予知」の「賭け」でもやっていたんでしょうか?

そして、「反省」などと言うことばは、自分たちの立てた「理論」、平たく言えば「考えていること」は、「絶対的に眞」であるとでも思い込んでいなければ出てこない。
つまり、「人知」が「自然」を乗り越えた、と「信じて」いたに違いない。
それで平気で居られる、だから「理」とは縁遠い、と私には思えるのです。
「耐震工学」の「専門家」の思考構造とまったく同じです。

本当に「理系」ならば、人は「自然」の一部に過ぎない、ゆえに、「自然」は人の存在以上の存在である。と思って当たり前です。

この「様子」を観て、私は、いまや、「理」の人たちも、「工」の人たちと何ら変りはなくなった、と感じています。
つまり、本物の「理系」の方がたが少なくなったのではないか。「理」が「利」になっている。「利系」の人びと。
それでいて、この人たちは、「普通の人びと」を「指導」したがる。「専門家」「有識者」・・として。
しかし、誰が「専門家」「有識者」として認めたのか?自称ではないのか?
   もちろん、全部の人がそうだというわけではありません。
   しかし、このような「様子」が「持続」してきたのは何故か、考える必要はありそうです。

   参照 「専門家を専門家として認めるのは誰か」

私は、私たちが、私たちの感性に信を置き、いろいろと学べばよいのだ、と考えています。そして自信をもって、王様は裸だ、王様の耳は驢馬の耳、と言うのです。
      

次は、毎日新聞に載っていた「過疎地に押し付けるな」という発言。
北海道幌延町に、使用済み放射性廃棄物の墓地をつくろう、という「計画」への地元からの反論。
こういう計画の「推進」に、「専門家」は、関係・協力していないでしょうか?
   モンゴルでの墓地計画(日米両国が秘密裏に行っていた)はモンゴル政府の決断で沙汰やみになったようです。

   註 私は、このコラムの標題「地方発」の「地方」の語が気になります。
      「中央」に対する「地方」でなければ幸いです。
      参照 「山手線はローカル線だ」

 


ついでに、「正論」をもう一つ。 [追加 17.27]
さらにもう一つ紹介。
「リベラル21」最新記事 書評 『原発とヒロシマ―「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット) [追加 17.35]

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この国を・・・・3:「理」の通し方

2011-10-16 09:45:27 | この国を・・・
15日の毎日新聞朝刊に、ドイツが「脱原発」の方針を決めるまでの過程が載っていましたので紹介します。
昨今、この国では、とかく、「理」よりも「利」に走る傾向が強いのですが、ドイツの人びとは「理」の通し方がきわめて明快で、心底脱帽します。「理」の通らない「利」は認めないのです。
常に、「部分」にとらわれることなく、「全体」を「見回して」いるのでしょう。「合理(的)」というのは、こういうことではないのでしょうか。



折しも、毎日新聞の書評欄で、こういう書物があることを知りました。
この著者は、すぐれて「理」の通った方です。
紙面をそのまま載せますので、字が小さくなってます。ご容赦。

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「仮設」の計画も設計のうち

2011-10-15 16:55:32 | 建物づくり一般
下は BRIDGES (David J Brown 著 Macmillan Publishing Company 1993年刊)に載っている素晴らしい写真。 



橋のように見えますが、これ自体は橋ではありません。
橋をつくるための用意、仮設工事の写真です。

石造や煉瓦造では、時に、つくり上げるための用意をする必要があります。
たとえば、石や煉瓦で橋をつくるには、木材や鉄材でつくるようには簡単にはゆきません。
石や煉瓦で橋をつくるときに使われるのがアーチ。

上の古代の墳墓の入り口のように、両側から少しずつ迫り出してゆき、最後に全体がつながるという方法なら問題は少ないですが(猿橋や愛本橋、先に紹介のネパールの木橋もこの方法です)、アーチにするためには(上の解説図の右側)、所定のアーチ型を用意し、その上に石や煉瓦を積まなければなりません。「形枠」です。もちろん、石や煉瓦を積んで壊れてしまってはだめ。

多くの場合、「形枠」は木でつくります。石や煉瓦を使う、ということは、自由に使える材料がそれしかない、という地域。つまり木が貴重な地域。
しかし、「形枠」は木でつくるのが容易。
ローマの煉瓦造には多くのアーチが使われていますが、そこでは、貴重な木でつくった形枠を使いまわしていたようです。一度使って廃棄することなく、大事に保存しておき、次の建造物に使うのです。
   喜多方の登り窯の覆屋の下にも、窯の修理用のヴォールトの形枠がトラスからぶら下げて保存されていました。
   今回の登り窯修復にも使われたのではないでしょうか。

石や煉瓦に代って使われるようになったのがコンクリート。
コンクリートを「混擬土」と描いた時代があります。この表記は言い得て妙。
以前にも書きましたが、コンクリートは当初は流体。成形のためには形枠が要る。
そして、その形枠を支える準備も必要。
こういった準備を仮設、仮設工事と呼んでいます。

冒頭の写真は、マイヤールの設計したRCの橋のための「形枠を支えるための支柱」です。木材でつくられています。この上に「形枠」がセットされるのです。
BRIDGES の解説には、次のようにあります。
・・・・
The timber framework for the arch was a major engineering feat in itself,with its crown 76m above the valley floor.

まったくその通り。これだけでも立派な構築物です。
しかし、橋が完成すると撤去されてしまう。もったいない・・・。

下は、川床から見た写真と遠景。




コンクリートの橋桁をそばに寄ってみたのが次の写真。



これから判断してもかなりの重量。工事中それを支持していたのが冒頭の木造架構なのです。重量を支えるため、それ自体、きわめて頑強につくられていなければならない、それが素晴らしい木造架構をつくりだした理由なのだ、と思います。

この橋は、1930年に完成した SALGINATOBEL BRIDGE。
著者 David J Brown 氏は、次のように解説しています。原文のまま載せます。


SALGINATOBEL も SCHIER も、調べましたが、何処にあるのか分りませんでした。

なお、マイヤールの一連の仕事についての解説図もありましたので、転載・紹介します。



ついでに、
以前に紹介したライトの落水荘の仮設の様子が下の写真です。



このような仮設段階の仕事を目にすることは、現場に立ち会っていないと、まずありません。
マイヤールにしろライトにしろ、完成形もさることながら、この「仮設」の段階も「設計」していたものと考えられます。
しかし、現在は、「仮設」の段階を考えて設計する設計者は少なくなってしまった
ように思えます。
仮設は temporary、一時的な作業、 そういうことは、施工者が考えること、と思っているからではないでしょうか。設計者:建築家が「偉くなってしまった」のです。

私はそれは大きな間違い、と考えています。
コメント (2)
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この国を・・・・2

2011-10-13 10:38:00 | この国を・・・
「この国は・・・」に紹介・転載を続けてゆくと、限りなく長くなってしまいます。
そこで、一つの項目を設け、その都度記事とすることにしました。

今回は、前回の後半を再掲します。重複になります。
また、標題を「この国を・・・」とすることにしました。

   こんな話、建築と関係ないではないか、とお考えの方も居られるかもしれません。
   建築:建物をつくるということを、radical に見つめ直すと、この話に行き着く、そのように考えています。
     radical とは、「根本的な(に)」、「徹底的な(に)」というのが原義です。
     しかし、そういう作業は、大概の場合、世の「常識」からは、過激に見えてしまいます。
     そこから、radical =「過激な」、と解されてしまっているのです、この国では・・・。    
   建築:建物をつくるということは、これまで書いてきたように、
   「好き勝手に箱をつくること」ではない、と私は考えています。
   そしてそれゆえに、「技術」も「芸術」も、「根がないと育たない」、と私は考えるのです。
   そして、「根」は、大地を必要とします。
   そして、「この国」は、私たちの「大地」なのです。

   今、盛んに「落水荘」の記事へのアクセスが増えています。
   単に、その「形」や「構造」について「知る」だけではなく、
   それを通して、ライトが何を考えていたのか、   
   そして今、私たちは、「建築」について、何をどのように考えたらよいのか、
   あらためて radical に考えたいと思います。


庭の隅に咲いたミズヒキ。



10日付毎日新聞「風知草」を転載します。
「こっちへ来てみろよ」 [10日 19.35]

毎日新聞11日付夕刊に載った「東海村」レポートを転載します。
字が小さくて読みにくいかもしれません。毎日JPにもありますので、それも転載します。[11日 18.47]



「JCO事故から12年、脱原発村長の茨城・東海村を行く」

東京新聞 12日社説
「民の声を恐れよ」 [12日 14.46]
同じ日の次のコラム記事もどうぞ。
「農村発電」
これは、雑誌「季刊地域」に載っている事例についての紹介記事です。

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この国を・・・・1

2011-10-10 19:36:23 | この国を・・・
震災・人災から7ヶ月。
放射能でカラス一匹死んでない、と平然とうそぶく人が居ます。
人の噂も75日、都会では「平常」に戻り始めているようです。

風化しそうな風潮に堪えられるように、
「とり急ぎ:東海村 村上村長の見解」を表記のように改題して新規投稿として、私の気になったいろいろなご意見・見解を紹介・転載する「欄」とすることにします。



[追加 2日 8.35][追加 3日 14.22][追加8日 17.42][追加9日 14.42、16.39][追加 10日 19.35][追加 11日 18.47][画像改訂 12日 9.12][追加12日 14.46]
標題変更しました。[13日 10.37]


茨城新聞に、東海村の村上村長へのインタビュー記事がありましたので、転載します。
東海村は、それこそ、原子力村。各種の原子力関連施設が軒を連ねています。12年前、JCOの臨界事故が起きた村です。
   この方は、地元の有力銀行勤務から村長になられた方。当初は、原子力との共棲?を訴えていたと記憶しています。

原発を考えるインタビュー  村上東海村長 極めて内省に欠ける国

10月2日付東京新聞の社説も転載します。
「原発と社会の倫理」[追加 2日 8.35]
これも転載します。
「コンセント革命」10月3日、東京新聞(東京webから)。[追加 3日 14.22]

毎日新聞(毎日jp)
「特集:この国はどこへ行こうとしているのか」から、石牟礼道子氏へのインタビュー記事を転載します。[8日 17.42]

東京新聞の社説の論旨は、いつも明解です。
9日の社説を転載します。
「住民の論理で復興を」[9日 14.42]  
   当ブログの関連記事追加。[9日 16.39]
   「区画整理と心の地図」
   「災害復興と再開発」

10日付毎日新聞「風知草」を転載します。
「こっちへ来てみろよ」 [10日 19.35]

毎日新聞11日付夕刊に載った「東海村」レポートを転載します。
字が小さくて読みにくいかもしれません。毎日JPにもありますので、それも転載します。[11日 18.47]



「JCO事故から12年、脱原発村長の茨城・東海村を行く」

東京新聞 12日社説
「民の声を恐れよ」 [12日 14.46]

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続: engineer BRUNELの仕事・・・・橋とは何か

2011-10-04 18:23:00 | 建物づくり一般
「とり急ぎ:村上東海村村長の見解」:「この国は・・・・」に改題に、毎日新聞に載った石牟礼道子氏へのインタビュー記事を転載しました。[8日 17.42]
その中に「偉い人とは、人情がわかる人という意味」という石牟礼氏の言葉が出てきます。本当はそうの筈なのです。[文言追加 8日 18.12]

また、9日付東京新聞社説「住民の論理で復興を」も、転載しました。 [9日 14.40]
この内容に関連する当ブログの記事にリンク。[9日 16.40]
10日付毎日新聞「風知草」を転載しました。[10日 19.45]

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

BRIDGES から、engineer BRUNEL のつくった吊り橋を紹介。
工事中と現況の写真が載っていました。





橋というのは、「用」がきわめて明解です。
簡単に言えば、こっちからあっちへ渡る。
だからと言って、かつての橋には、今の橋のように、架ける場所がどこでもよい、というような橋はなかった、と言ってよいでしょう。

今の橋の「典型」は、高速道路や新幹線の橋。
これらの橋は、「そこ」を通る必然性がない。
もちろん、今の「技術者」は、そんなことはない、立派な理由がある、と言うに違いありません。
どういう理由か?
A地からB地へ向うのに、「そこ」を通るのが最短だから、あるいは、「そこ」を通るルートでつくるのがコストがかからないから・・・、といった類の理由です。
つまり、「そこ」とは関係のない「理由」。
リニア新幹線のルートなど、まさにその「典型」。
唐木順三 氏の表現を借りれば、「途中の喪失」です。

かつての「橋」は、そういうようなことはなかった。
「そこ」を通る「謂れ」、「そこ」との明瞭な関係のある「謂れ」があったのです。
それは、「道」が「『そこ』を通らなければならない」からです。
その道の「一部」をなすのが、すなわち「橋」

そしてそこには、「道」とは何か、ということについて、現在とは異なる「認識」があったからだ、と言えるでしょう。
   それについては、
    「道・・・・どのように生まれるのか」
    「建物をつくるとはどういうことか・・・・続・世界の広がりかた」
    「鉄道の敷設:その意味」
   などで、簡単に触れています。
   そして、
    「建物をつくるとはどういうことか-16・・・・『求利』よりも『究理』を」
   も参照ください。[追加 6日 23.47]


要するに、往時、道は、そのルートすべてにわたって、
そのルートでなければならない「謂れ」があった
のです。
しかし、今はそのような「認識」が失せてしまっている。
だからこそ《カーナビ》が流行るのです。

そして、ここに、「現代の工学的設計」の「思想」が、典型的に現れている、と言えるでしょう。
「工学的設計」の最先端が、原発の立地選定、さらには、原発そのものを是とする「工学的設計思想」に他ならないのです。
   「工学的設計」については、下記でその「性格」について触れました。
    「想像を絶する『想定外』」

   国会で、国会のありようを糾弾した児玉氏は、それをして、「科学者が政治家、経済人になった」と言いました。
   しかしそれでは、本当の政治家や経済人の立つ瀬がない(いるかどうかは別として・・・)。
   私の言い方で言えば、「銭儲け」がすべての「判断・《評価》の基準」になった。
   それをして《合理化》という。

なぜ、こういう「状況」になってしまったか。
私は、[「部分」の足し算=「全体」]と見なす「考え方」にその根がある、と思っています。
それはすなわち、「一科一学」の「思想」の行き着いた先。
「専門家」は他の誰よりもすぐれているのだ、と思い込んで(本人も、そしてまわりも)何の違和感も感じない、そういう「思想」。
つまり、(日本の)「近・現代」をつくってきてしまった「思想」。


BRUNEL とは関係はありませんが、BRIDGES に載っている見事な鉄道橋を転載します。
19世紀のアメリカでつくられた橋です。鉄材を使っています。解説もそのまま付します。

これも、「構造力学」未発達の時代の建設。すごいです!発想が自由です。奔放です。
今の「構造の専門家」(特に若い方がた)は、こういうことができるのでしょうか?
おそらく、あの部材はムダだ、こうした方がよい・・・などと、御託をならべるに違いありません。


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