「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介-2 : 「二 製図の準備」

2013-09-26 17:28:11 | 「日本家屋構造」の紹介


今回は「二 製図の準備」の章を紹介します(「三 住家を建設せんとするとき要する図面」は、次回にいたします)。
[図版を大きくしました。27日9.30AM]

はじめに、この書が刊行された時代の「製図」「設計図」について、あらかじめ説明しておきます。
おそらく、明治年間から昭和の初期に至る間、「設計図」というのは、世界で唯一のもの、世界に一部しか存在しないものであった、と考えてよいと思います。
この時期には、現在のような複写機はもちろん、青写真の機械も存在しなかったからです。
したがって、描かれた設計図は、世界にたった一部

それゆえ、職方は、自分の職分に関わる必要事項を、そのただ一部の設計図から自ら読み取り自分用のメモを作成し仕事にあたったと考えてよいでしょう。
大工さんなら「矩計:柱杖(はしらづえ)」や「平面を要約した板図(いたづ)」です。
もちろん、これも手描きです。
   青写真の機械はたぶん1920~30年代に一般化したのではないかと思います。
   リコピーが代名詞になった湿式複写機が普及し始めたのは、私が学生のころ1960年代です。
   ゼロックスに代表される電子コピーは、1970年代以降でしょう。
   したがって、複写機が一般に普及するまでは、いわば「写本」の時代だったのです。
   私は、この時代の仕事の質の高さは、「手描きの写本:写図」だったからではないか、と考えています。
   「手書きで写す作業」を通じて、携わる仕事の内容の隅々まで精通することになるからです

     今は何部でもコピー、プリントアウトできます。修正、加筆も容易です。
     それが当たり前の今、ことによると、写本・写図なんて、なんてムダなことをしていたんだ、と思われる方が多いかもしれません。
     しかし、そうではなかったのです(私は、今の方が、折角の頭脳を使わず、その意味でムダが多いのではないか、と思っています)。
     また、設計者は、世界に唯一の設計図作成のために、周到な準備を重ねました。それを示しているのが、アアルトの多数のスケッチなのです。
     

以下は、そういう時代の、たった一部の「設計図」を作成する「製図」である、という視点でお読みください。

   なお、柱杖尺杖については、「『日本家屋構造』の紹介-6」で触れています。
   また、その際、文化財修復技術者から貴重なコメントをいただいておりますので、下に転載いたします。
      かつて、民家建築の解体をする前に、修復家が大工さんに命じたのは、「すべての矩計と、柱間を尺杖に写せ」ということでした。
      計画と実際の施工とは誤差があるので、誤差を含んだ数値を生け捕りにしておかなければ、組み立てるときに色々と面倒になるからでしょう。
      たとえば、新築なら柱を先に加工してから敷居鴨居の仕口は柱の歪み(かゆみ)をヒカリ付けて加工しますが、
      古建築の場合先に敷居と鴨居の仕口が決まっています。
      厳密に測ると、敷居と鴨居の胴付長さは結構違っているものです。
      柱を垂直に直して建ててしまうと、仕口が合わなくなる箇所が多々出てまいります。

      私は古井家住宅を担当された修復家に尺杖の大切さを教えていただきましたが、
      今、この尺杖をつかって施工するということが全く忘れ去られています。
      プレカット時代には必要なくなったのでしょうか。

     **********************************************************

 
最初に原本を載せます。





以下、現在の文体で読み下します。

二 製図の準備

製図に用いる道具は、なるべく精製品:念入りにつくられた品(粗製品の対):を選ぶ。廉価なものでは精密な図は到底描くことは難しい。
製図道具を購入するにあたっては、次に挙げる品々は特に精選が必要である。

「両脚器(コンパス)」
長さ4寸ぐらいのもので、鉛筆と烏口(からすぐち)を差し替えられるものとする。烏口については後記。

「螺旋両脚器(スプリング コンパス)」
鉛筆と烏口付との二種類が必要で、両脚器(コンパス)の使えない精細な個所を描くときに使用する。
   註 コンパスの脚の開きをネジで調節するコンパスを言う。開きを固定することができる。

「烏口(からす ぐち)」
鉛筆による下描きに墨入れをするときに用いる用具。掃除、研磨に都合がよい蝶番(ちょう つがい)付が望ましい。
   註 烏口を使ったことのある方は、今では少数派だと思いますので、簡単に説明します。
      現在の烏口は、下の写真のように先端に爪状の2枚の刃が固定されており(外側が爪状、内側は平面)、刃の間隔:線の幅はネジで調節できる。
      2枚の刃先を横から見た形状が烏の嘴に似ていることからの命名と思われる。
      刃の間に墨汁あるいはインクを含ませ、写真のように線を引く。使い方についての本書の説明、後記。
     
      
      
      刃の先端は、常に砥石で鋭利に研いでおく(基本的に、外側の爪形の方を研ぐ)。鋭利なほど、線も鋭利になる。
       紙に、刃によって二本の切線が刻まれ、その間に墨(またはインク)が収まるからである。
       上の写真は刃を研がずに描いているので、線が鈍い。

「三角定規」
45度および60度の二種を用意する。市販品は一般に桜製だが、梨製が歪みが少なく最もよい。
エボナイト製(通称ゴム製)は、塵埃が付着し図面を汚すので、好ましくない。
   註 エボナイト:硬質ゴム。電気の絶縁材料、櫛・万年筆などに使われた。黒色。
      私が子どもの頃に使ったのはセルロイド製だった。
      学生時代以降使っているのは、合成樹脂(アクリルなど)製。
        合成樹脂製には、鋳型でつくる、樹脂板を切削加工する、の二種類あるようです。前者が精度がいい。

「丁定規」
丁の形をした定規で、長さは、冒頭に掲げた図のように、画板の長さにほぼ同じとする。材質は三角定規と同じ。

「画板」:製図板
長さ2尺7寸、幅2尺、暑さ8分の檜板で、時日の経過による反りや歪みを避けるために、背面および側面(木口)に欅、樫などの堅木を蟻差しとする。
   註 大きさは一回り大きかったが、学生時代の製図室の製図板がこれであった。板は、数枚の矧ぎ合わせだった。

     冒頭の図の製図板下部の脚状の材が説明文にある「蟻差し」で、通常は、板と同材。これは「吸付桟(すいつきざん)」を兼ねる。
     板の端部も文中の「蟻差し」で、一般には「端食み(はしばみ)(「端嵌め(はしばめ)の訛り)」と呼ぶ。
     「吸付桟」「端食み」は、いずれも、板の反りを防ぐ手法。

「鉛筆」
鉛筆は種類が多いが、製図用としては、H、HH(ニエッチ)、HB印を使う。
H、HHは、墨仕上げをする場合の下描き用に用い、HBは、H、HHよりもやや柔らかく、鉛筆仕上げの際に使う。
H印はその数が多いほど固く、B印はその逆に柔らかさを増す。
鉛筆の先端の削り方は、錐のごとく尖らすよりも鑿の刃のごとく削り、特に細線を要するときは、刃の角(かど)で引く。なお、先が磨滅したときは、一々ナイフを用いず「木賊(とくさ)」あるいは「細末の砂紙(紙やすり)」を木片に貼付けおき、その面上で先を研ぐと便利である。
   註 木賊:とくさ:砥草。
      「鉛筆削り」などない時代である。
      私たちは、反古にしたトレペ:トレーシングペーパーを使っていました。

「雲形定規」
コンパスで描けない弧線:曲線を描くときに用いる道具。その形状、大きさは数種類ある。屈曲の多い品を選ぶとよい。

「製図紙」
用紙は硬質で、ゴム切れ(消しゴムのこと)で擦っても、その痕跡を止めず(消しゴムを使っても、紙が毛羽立たない、という意と解す)、また絵具を用いても汚れないこと(滲んだりしないこと、の意と解す)が求められる。
舶来の紙には製造者の名を記した「すかし」が入っている。
用紙は、その四隅を「留め針」(止め針:画鋲のこと)で製図板に留めるが、精確を期するにはこれだけでは十分ではなく、海綿あるいは清潔な刷毛で紙面を十分に潤した後、四周に糊を塗り製図板に張付け、乾いた後使用すると全面が堅く張って皺などが生じることもなく、極めて使いやすい(いわゆる「水張り」の説明)。
   註 製図用紙は、一般に「ケント紙」と呼ばれる「硬質上質紙」が使われました。
      ケントはイギリスの地名。手漉きの紙の産地。その地域産の硬質紙:製図に適した紙を「ケント紙」と呼んだことから、「製図用紙の代名詞」に。
      製図には「トレーシングペーパー」も使われました。
      複写機にかけるためではなく、字の通り、トレースする(元図の上に敷き元図を写す:トレースする)際に使われました。
      厚手のトレーシングペーパーは彩色もできます。
      トレーシングペーパーには、和紙製もあります(堅牢で折畳みができ、折り目が目立たない)。
         洋紙のトレーシングペーパーは折ると折り目・筋がつきます。

      「水張り」は、少なくとも建築の世界では、現在、まず見られないと思われます。もちろん、CADの世界では無縁のはず。

「墨」
墨は上級の品、硯は緻密な石質のものを選ぶこと。さらに、得られた墨汁は、極めて薄い和紙で漉すのがよい。
一時に多量の墨汁をつくり置いて使うことは、彩色の際に墨の線が滲むことがあるので、するべきではない。
   
「尺度」(「ものさし」のルビが降ってあるので「物指」:スケールの意)
「物指」は、竹製で、「厘」の位まで表示のあるものを用いる。
   註 当時は、いまの「三角スケール」などはなかった。
製図上、寸法を測るには、一々コンパスを用い、「物指」を直接紙面に当てて測ることはしてはならない。
   註 このような場合に使う用具として、別途、コンパスの両脚が針になっている「ディヴァイダー」がある。
       私は滅多に使わなかった。
以上の他に、「羽箒(はね ぼうき)」「ナイフ」「文鎮」なども用意する。

製図に着手するには、描こうとする物体によって異なるが、多くの場合は、先ず、物体の中央線を見出し、大体の外囲(外形の意と解す)を定め、次いで細部へと進む手順を踏む。
定規の使い方は、丁定規の「丁」部を製図板の左側面に当て、左手で随意に上下して水平線を引き、三角定規を丁定規の上端に当て左右に滑らせ垂直線を引く。

図面に墨入れを行うには、製図紙の一端を細く切り、墨を付け烏口(の刃先)に含ませ、定規に沿い烏口を直立にし、両刃先が正しく紙に触れるようにして線を引く。そのとき、烏口を定規に押し付けてはならない。
烏口を引こうとするよりも、むしろ烏口に引かれる、という気持ちが望ましい。
弧線と直線を接合するときは、弧線を先に描き、直線をそれに継ぎ合わせる。
   註 現在は墨入れを行うことは少ない。
      今、若い方がたにとって、製図板、丁定規、三角定規などは、建築士試験の「設計製図受験用」のための道具になっているらしい。    
      これらの用具を常用している人は、今や少数派かもしれません。

      烏口による墨入れ図面は、たとえば四角形の隅部分を直角に書き込むことが比較的容易である。
      烏口で描くと、2本の切線(溝)が隅部で交叉し、そこにできる切線に囲まれた正方形内に墨が埋まるからである。ただし、コツの習得が必要。
      そこで、線を若干線の終点を越えて描き、終点の個所で線が十文字に交叉するようにする方法をとることが多い。
      こうすると、錯覚で隅部が切れのいい直角に見えるようになる。昔の図面にもこれが多い。
      鉛筆で描く場合にも、私は、この方法を採ってきた。終点で鉛筆を止めてしまうと、角が丸く見え、鈍い図になる。
      ロットリングで代表される「製図用ペン」で描くときも同じである。
        CADの図面が「キレが悪く、甘く、メリハリがない」理由の一つは、線が終点で止まり、角が「丸面取り」状になるからである。[文言更改]  

「着色」
墨入れの終わった図面には、使う材料を一目瞭然で分るように、材料別に着彩する。その際、同一の材料でも、切断図(断面)と姿図では、色彩を異にする。一般に使われる色彩は、次に掲げるとおりである。着彩は水彩で、色名は洋名で記す。いずれも文房具店で市販されている。
   洋名のあとに、和名を記します。それぞれの色合いは、水彩絵具のカラーチャートでお確かめください。
〇木材 姿 図:ガンボージ gamboge 藤黄(とうおう)、雌黄(しおう)日本画で使う黄色の一。
     切断図:ガンボージにクリムソンレーキ crimson lake 深紅色を少々加える。
〇石  姿 図:インヂゴ indigo 藍色
     切断図:同上の濃いもの。
〇煉瓦 姿 図:ベネシャン レッド venetian red 赤錆色またはイエロー オーカー yellow ochre 黄土色( ochre :黄土)。
     切断図:クリムソン レーキ crimson lake 深紅色
〇漆喰 姿 図:薄いプルシアン ブルーprussian blue 紺青(こんじょう)に黒色を少々加える。
    切断図:ニュートラル チントneutral tint やや赤みを帯びた濃灰色。
〇瓦     :ニュートラル チントに墨を加える、または ベネシャンレッドにイエロー黄色を加える。
〇石盤    :インヂゴとイエロー、またはインヂゴにクリムソンレーキ
〇硝子    :コバルト cobalt 空色、淡い群青(ぐんじょう)色。
〇鋳鉄    :クリムソンレーキにプルシアン ブルーを混ぜる。
〇コンクリート:ニュートラル チント

図面に着彩を望まない場合は、次図に示す表記法を用いる。

   註 私の時代には、着彩をすることはあっても、このような材料別着彩の「習慣」は、すでになかった。
     下に、当時の着彩図面の一例を載せます。
     「大阪府庁舎 明治7年竣工 煉瓦造 設計者不詳」(柏書房「図面で見る都市建築の明治」1990年刊より)
    
       折り目から察して、用紙はケント紙ではなく、厚手のトレーシングペーパーではないか。この図が、上記の材料別着彩であるかどうかは不明。
          アアルトの図面保存では、博物館・美術館のカタログ同様、用紙の大きさ、描法に至るまで記録されている。この書には記載がないので不明。
       
       この建物は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失、現存しない。

法書入れ
職方は、設計図の寸法によって工作をするゆえ、寸法の書入れは、最も重要である。寸法の記入がないときは、一々図面に物指をあて寸法を測ることになり、時間の浪費となり、測る個所が多く、細密な場合には、往々寸法を誤ることがある。
寸法の書入れ法は、表すべき長さの両端の線を赤線にて補足引出し、←―・・・・・・・・―→のように線を記し、その間に数字を記入する。数字は、和数字の場合は上から下に、ローマ数字の場合は左より右へ、あるいは下より上に記入する。文字は青色を用いることもあるが、後日水などで滲むことがあるので墨を用いるのが好ましい。

製図に用いる「尺度」は、必要に応じ「現寸図」(実物大の図)を引くこともあるが、多くの場合は「縮尺」を用いる。
「縮尺」とは、現寸を一定の比に短縮したもので、現寸1間を十分の一に縮尺して6寸とする、百分の一にして6分をもって表す、が如きを言う。
建築の設計図に用いる縮尺は、通常、百分の一、五十分の一、二十分の一、十分の一である。

                                    〈「二 製図の準備」の章、終り〉

     **********************************************************

この章に書かれている「製図」法は、私が学生のとき、「図学」で教わったことと、ほぼ8割ほどは同じである。大きく異なるのは、「着彩」だろう。材料別着彩などは奨められてはいなかった。
また、当時すでに「三角スケール」は普及しており、寸法取りはディヴァイダーを使うことはなかった。なお、学生時代の終り頃から、勾配付三角定規が学生でも使える価格になって、便利になったのを覚えている(45度、60度二種類の三角定規は不要になる)。

ところで、今、建築系の学校で、「製図」はどのように扱われているのだろうか。
私は、おそらく理解していただけないとは思うが、CAD を使うにしても、手で描く「製図の体験」が必要、必須である、と考えている。[文言補訂]
折しも、トヨタ自動車では、生産工程に「手作業」を復活させている、というニュースが伝えられていた。
ロボットに委ねられていた工程のなかに、昔ながらに「手作業」で行う場をつくることにしたのだという。
理由は、「ロボット・機械任せだけだと、(若い世代が)『ものづくりの原理・原則を忘れてしまう危惧を感じた』からだ」とのこと。
  「手描き」「手作業」の必要性・重要性について、以前に、下記で私の考えを書きました。
  「『最大の禍』・・・・設計ソフトに依存することの『禍』

次回は、「三 住家を建設せんとするとき要する図面」の章を紹介します。
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「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介-1 : 「目次」および「一 総論」

2013-09-19 14:31:35 | 「日本家屋構造」の紹介

「構造編」のタイトルを継続使用します。

紹介に入る前に
ここしばらく、このブログに、「日本家屋」の「各部の名称」や「各部の構造」(「つくりかた」か?)を調べるために(?)寄られる方が大勢居られます。建築系の学校で夏休みの宿題でも出されたのかな、などと訝っています。
そして、この「現象」を見るにつけ、「日本家屋構造・上巻」を紹介する際に、先ずはじめに書いておくべきことがあった、とあらためて思いましたので、遅まきながら、中巻を紹介するにあたって書いておくことにします。

それは、「日本家屋構造」を「教科書」として「日本の家屋・建築」について学ぼうとした人びと、つまり学生たちが生きていた社会が、どういう社会であったか、ということについてです。
一言でいえば、この「教科書」に取り上げられている各種の「事例」は、明治年間には、どの地域でも普通に見られる「事例」であった、つまり、学生たちは、各部の「名称」や「構造」は知らなくても、そこに載っている「事例」の存在をよく知っていた、決して珍しいものではなかったのです。
さらに言えば、学生たちの身の回りには、江戸時代に建てられた家屋はもとより、それ以前に建てられた例も、数は少ないとはいえ、あったはずです。大げさに言えば、身の回りに古今の建物が、重層的に蓄積され、存在していたのです(それが、人の暮す「家並」「街並」の本来の姿なのです)。

    この書の事例に違和感なく接することができるのは、
    かつて、「文化度の高い:cultivated な地域」(後註参照)で暮していた、ある年代より上の方がたか、
    現在、「文化度の高い:cultivated な地域」にお住いの方がた
    そして、そういう場所で暮してはいないが、そのような地域やそこにある建物群を意識的に観てきた方がた、
    に限られるのではないでしょうか。

では、今、この書のなかみに触れる若い方がたはどうでしょうか?
おそらく、そこに載っている各種の図面は、身の回りで見たことがない事例についての図がほとんどでしょう。
もちろん、どの地域に住まわれているかによって異なります。
しかし、少なくとも大都会では、身の回りには見かけることはなく、博物館か郷土資料館にでも行かなければ見ることもできないでしょう(それさえもかなわないかもしれません)。
つまり、身の回りで目にすることとは関係ないため、見ても実感がともなわないのです。

都市化の進んだ地域の若い方がたが身の回りで目にするもの、それは住宅メーカーのつくる建物であり、たまに「木造家屋」があっても、それは、現行の法規に拠った「かつての日本家屋、日本建築とは(意図的に)縁を切ったつくりの建物」。まして、古今の建物が目の前に実在するなどということはまずない。目にする事例すべてが、前代と断絶している。
   千葉県・佐倉にある「歴史民俗博物館」はお勧めです。「家屋」だけではなく「古建築」全般にわたり知ることができます(大縮尺の模型も多数あります)。

しかし、幸いなことに、大都会を離れれば、あるいは、「都市化・近代化に遅れたとされる」地域に行けば、古今の断絶を感じないで済む地域がまだ多数残っています。そういう地域に住まわれている方がたは、明治の若者と同じく、この書の内容に違和感を感じることはないはずです。
   私は、大都会を離れ、「都市化・近代化に遅れたとされる」地域「文化度の高い:cultivated な地域」と考えています。

   逆に、都市化の進んだ地域、たとえば、東京の「発展地」:「地価の高騰地域」は、「文化度が低い」と見なします。
   なぜなら、そこで目にする建物は、その多くが、「根無し」。
     ・・・・・
     (われわれを取り囲むのは)まがいものの建築、すなわち模倣、すなわち虚偽(Sham Architecture;i.e.,imitation;i.e.,lying)」(i.e.=that is:すなわち)・・・・
     「われわれも両親も祖父母も、かつてなかったような忌むべき環境(surroundings)に生活してきた。・・・・
     虚偽が法則(rule)となり、真実(truth)は例外となっている。・・・・
   これは、19世紀末のヨーロッパの建築についてのオランダの建築家ベルラーヘが語った言葉です(「まがいもの・模倣・虚偽からの脱却」参照)。
   今の日本の都会はまさにこの姿に重なります。
 
   もちろん、「文化度の高い:cultivated な地域」は、大都会・東京でも皆無ではありません。
   根岸や谷中のあたりにゆけば、体験することができます。そのほかにも点在してはいます。

そして、「日本家屋」の「各部の名称」や「各部の構造」を学びたいのであれば、先ず、そういう地域・場所へ出向き、実際の事例を観察するのが必須ではないか、とも考えます。
いったい、目の前の建物は、どうしてこのような「平面」になっているのか、「形」になっているのか、・・・・そして、いったいどのような手順でつくるのか、・・・・その場で観ながら考える。「名称」を知るのは、それからでも遅くはない
のではないでしょうか。
   もしも、「各部の名称を調べてこい」、などという「宿題」が出されていたとするならば、それは、「教育」として間違っている、と私は思います。
なんなら、「対象」を写生:スケッチし(写真ではダメ)、それを持って、図書館、博物館、資料館を訪ね、書物を紐解いたり、あるいは学芸員や司書に教えを乞う、これが最高の「学習」ではないか、と私は考えます。大工さんに訊けたら最高ですね!

   書物を読んで集めただけの「知識」は「知恵」にならない、と思っています。サンテグジュペリならずとも、それでは「辞書」と同じだ!
       ・・・・
      私が山と言うとき、私の言葉は、
      茨で身を切り裂き、断崖を転落し、岩にとりついて汗にぬれ、その花を摘み、
      そしてついに、絶頂の吹きさらしで息をついたおまえに対してのみ、
      山を言葉で示し得るのだ。
      言葉で示すことは把握することではない。
      ・・・・      
      ・・・・
      言葉で指し示すことを教えるよりも、
      把握することを教える方が、はるかに重要なのだ。
      ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。
      おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、
      それが私にとってなんの意味があろう?それなら辞書と同様である。
      ・・・・         サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)より

   写真ではなぜダメか。それは、「対象」を観ないからです。ファインダーを見ているだけになるからです。


前置きが長くなりました。以下、「日本家屋構造・中巻・製図編」の紹介に入ります。

     **********************************************************

[図版一部更改 9.29 10.45am]
「目次」は以下の通り。


この書で言う「製図」は、「設計」という意味も含まれています。
それについて触れているのが、「一 総論」です。以下が原文です。[以下の図版を大きくしました。9.29 10.45am]




文体が現在と異なりますので読みにくいと思います。
そこで、現在の文体で、私なりに読み下すことにします。

一 総論
人が家屋を構造する(構築する、つくる)のは、単に雨露を防ぐためではなく、宝貨什器(家財)を保護し、生活を愉快に送れるようにするためである。
愉快の感を得るのは、経済的堅牢的要素よりも、衛生便利に適合する家屋に於いてである。
建物が如何に壮麗であっても、不便利で採光換気が当を得ていなければ、快楽を感じることはあり得ない。

家屋を建設しようとするには、これらの点に留意し、先ず、建設地の地質の良否、辺景(周辺の景観・環境)の如何、採光・換気、間取りから給排水に至るまで切に研究すべきである

〇地質
高燥(こうそう:高地で湿気の少ない)で砂層の土地は、住家に適する。
かつての池沼が埋没した低地や両側を丘陵に挟まれた一帯の低地、その他一般に低地で粘土質の土地は健康に適さない。
低地は悪水(あくすい:飲用など利用に適さない水)が滞留しやすく、しかも粘土質の土は熱を吸収することが少なく、湿気を吸収しやすく、重さで百分の二に達することもある。
ゆえに、粘土質の地は寒く湿気も多いが、砂層の地は暖かく湿気も少ない。
   註 高燥な砂層の土地 おそらく、関西地方の真砂(まさ):花崗岩の砕けた砂の地質:をイメージしているのでは?
              しかし、東京をはじめ関東地方は火山灰:ローム:で覆われていて砂層の場所は少ない。
      粘土質の土地    真砂やロームでも、微細になって堆積し水分と圧力が加われば粘土質の土壌になる。

     江戸末には、比高の高い地区は大半が居住地になっていた。それゆえ、明治になり、都市へ集まりだした人びとが選べる場所は、低地しかなかった。
     この解説は、そういう状況を踏まえて、家屋は、比高の高い場所に建てるのが望ましく、低地、池沼の埋立などもってのほか、と説いていると考えてよい。

     現代は、このような「常識」も失われてしまったようです(液状化現象の多発した新興住宅地は、池沼、海岸埋立地が多い)。
〇辺景
土地を自由に選択できる所ならば人造的(人工的)風致をつくることも可能ではある。
しかし、周囲に在る天然の風景をいかに利用するかは建築設計者の責務である。
眺望が広々とひらけ、新鮮な空気を存分に吸い精神を爽快にすることほど愉快なことはない。これこそ、住まいをつくることの目的(の一つ)である。
しかし、市中の商賈(しょうこ:商人)の町のように、常に塵埃を生じ、あるいは高い建物で光線を遮られるような場所に住戸をつくらざるを得ない場合は、窓や間取りを工夫し、空気の流通を完全にし、なるべく多くの光線を採りいれるようなつくりかたを考えなければならない。
  
   註 建設地の気候や風向きに応じて新鮮な空気と陽光を採りいれることが重大留意点であることは、基本的に、現在でも変らないはずである。
     今は、それらをすべて「機械的に」処理しようとする。室内を閉め切り常時機械換気をせよ、などという恐るべき発想の法規まである・・・。
     現在の教科書なら、「省エネ」「断熱」・・などが説かれるところだろう・・・。

   
〇方位
我が国は、全般に、夏季は東南風、冬季は北西風が多いが、地域によっては山脈の方向、海岸線の如何によって風向きは異なる。また、気候寒熱の度合いに応じて家屋の位置・方向を異にすべきである。
我が国のような温暖な地域では大差はないけれども、家屋の位置如何により、不都合が生じることがあるので、位置を慎重に選択して、風の向きによる室内空気の流通に配慮し、樹木を植えるなど夏時に襲来する暴風のための防備を設けることも肝要である。
   註 建設地の風向きの特徴は、周辺の既存集落の様態(防風林の位置、建物の建て方、・・など)から知ることができる。

〇間取り
住家の内部は、一つの都市のようなものである。
都市には、公共の性質を有する建物、個人に属する建物、公共の道路、公園があるごとく、住家に於いても、応接室、客間、階段、廊下、便所などの他人が入ることはもちろん、装飾などを施して来客を歓迎する趣向を為す場所がある一方、居間、台所、押入、物置などのように、外来者の入ることを許さない性質の場所もある。
しかし、宏廈(こうか:広く大きな住家)に於いて完全に室を配置しようとすると数十種の室を要するだろう。
しかし、現今の中等以上の住家の場合は、玄関、脱帽室、応接室、客間、次の間、主人居間、次の間、主婦居間、次の間、寝間、老人室(としよりのま)、仏間、茶の間、子供部屋、書斎、書生室、下女部屋、下男室、台所、湯殿、便所、物置、土蔵、などを要するだろう。
ただし、これは家族数により斟酌すべきことで、別冊参考図を参照のこと。
   註 別冊参考図とは「日本家屋構造・下巻・図面編」を指しています。
     下巻に所載の各様の「住家平面図」は、分量の関係で、後日紹介させていただくことにします。

     「住家の内部は尚一都市におけるか如し・・・」という言は、現在の「住居論」「建築計画学」・・などでも語られない見かたではないでしょうか。
     ただ、それが、なぜ、「表座敷主体」の間取りに連なるのか、分りません。
     あるいは、旧東京駅のつくりに表れているように、都市に対する見かたもこれに似ていたのかもしれません。

     また、
     ここにいう「居間」は、現在の意味と多少異なります。「主人居間」「主婦居間」:主人、主婦が普段いる部屋・・・・、
     現在の居間に相当するのは、「茶の間」か。

     この説明および以下の各室の説明は、中等以上の武家住宅を下敷きにしていた当時の(中等の)住家の様態と思われます。
     武家住宅、とりわけ中等以上の場合、「家」意識はあっても、「家族」の意識は薄かったと考えられます。
     なお、武家住宅で、「家族」が普段どこにいたのか:「家族の居間」がどこであったのか、よく分りません。ご存知の方、ご教示ください。

以下、各室について

「玄関」
玄関は、家屋正面に位して、衆目の集注し、その品格を表す所なので、不体裁なく、厳粛に構えることが求められる。その方位(向き)は、東南あるいは東方が良いが北に向うのも良いとされる。

「客間」
客間は賓客をここに誘い(いざない)、談話応接し、あるいは饗宴などに使用する一種の表座敷とし、家屋の中で最も肝要な室であるから、空気の流通をよくし、方位を選び、辺景を利用し、内部に(床の間、違い棚などの)装飾を施し、前面に庭園を設けるのを常とする。その方位は南面するを良しとする。
ただ、南面すると、客に植物の裏を観せることになるので北面にするのが良い、という説もあるが、客の来訪時間は不定であり、北面する客間は陰気になってかえって客に不快感を抱かせることの方が多いだろう。
装飾は、床の間、違い棚には、掛物、花瓶、香箱、置物などを陳列し、欄間には彫刻を施し、書院を設け、その障子は美術的障子組子にする・・など。
   註 ここでの「書院」は「付書院」のこと。

「次の間」
次の間は、主要な室に連なり、平時は襖をもって仕切り、宴会など多人数が集まるとき、襖を取り払い一広間とする場合の備える。「二の間」「三の間」などを設ける場合もある。また、襖に描かれる絵画の名をとって室名にすることもある。
   註 これは、「書院造」、「客殿」を下敷きにした様態である。

「書斎」
書斎は閑静な所で、東あるいは東南が良い。

「台所」
台所は、食物を調理する場所なので、清潔にして、下婢(かひ:下女)の働くのに便利な位置がよく、採光、換気に留意する。
北向きは冬季寒冷で日航が直射することがないので、板の間などの湿気が乾きにくい。西向きは日光の直射が強く、夏時は調理用火気とあいまち炎熱堪えがたく、食物の腐敗も早まる。

「廊下」など
廊下は、通風採光十分にして、来客が通行の際、家人の様子がのぞかれないように心して、最も便利な位置に設ける。
湯殿、便所は清潔を旨とする所であるので、なるべく座敷より見えない場所とする。特に便所は、庇屋づくりとする。
土蔵は本屋と離す。
縁側は交通用のみならず、雨天のときは子どもの遊び場になることもあり、東南向きに設けるのが良い。
縁側の幅は、普通3尺であるが、中等以上の住家では、4尺以上6尺ぐらいとすべきである。

以上は、間取りを考える上の留意点を、ごく簡単にまとめたものである。詳細は、図で別途詳しく説明する(⇒「下巻」)。
なお、古来、丑寅の間(俗に鬼門と称す)を忌み、窓、便所などを設けず、壁あるいは押入とする習慣がある。これは疑問がある説であるが、そのような言い伝えがあるということだけは記しておく。
                                        〈「総論」の章終り〉

     **********************************************************

      間取りについての書物は、各時代に、いろいろと出ています。この書を読んで、思わず読み比べてみたくなりました。
      そして、新聞の折り込み広告で見る「間取り」を見るにつけ、いったい今、住居について、学校でどのように教えられているのかも知りたくなりました。

次回は、「二 製図の準備」「三 住家を建設せんとするとき要する図面」の章を紹介します。

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予告:「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介について

2013-09-11 17:20:54 | 「日本家屋構造」の紹介
今朝、刈り残しの草の中に、クサハギの一叢を見つけましたので、早速写真を撮りました。
他の草に交じっているので見分けがつきにくいかもしれません。全容と花のクローズアップです。




さて、落ち着いてきましたので、
先に紹介させていただいた齋藤兵次郎著「日本家屋構造・上巻:構造編」に引き続き、
「日本家屋構造・中巻:製図編」を紹介させていただくことにします。
明治37年刊の「木造家屋・建築」についての教科書です。
  なお、「製図」には「設計」の意も含まれているようです。
現在と比べながら見てみたいと考えています。
編集に時間をいただく関係で、週に1回、あるいは10日に1回ぐらいの掲載になるかと思います。

   「日本家屋構造」がいかなる書であるかは、「日本家屋構造の紹介-1」をご覧ください。

追補
「この国を・・・・43:続・偽計」に追記した部分を以下に再掲します。
・・・・
オリンピックに浮かれる姿に対しての「意見」、毎日新聞9月11日夕刊「特集ワイド:これだけは言いたい」をお読みください。

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この国を・・・43 : 続「偽計」

2013-09-10 12:01:43 | この国を・・・
[遠し番号訂正][リンク先追加]
涼しくなってきました。
週末、二日かけて、空地に生い茂った、暑い間放置し背丈が1mを越えた草刈りをしました。草に埋もれていたムラサキシキブは、だいぶ色づき始めていました(下の写真)。ハギも咲きだしています。暑かった分、秋の深まりが早いのかもしれません。

草のなかに、クサハギが可憐な花をつけていました。ほんとは、この花を撮ろうとしたのですが、一日遅れたら、もう終わっていました!
この草は繁茂力が強く、毎年面積が増えています。花はきれいなのですが、結構やっかいものです・・・(3㎜ほどのハート形が数珠つなぎになった種は、衣類に着いたら、なかなか取れません)。
   クサハギは、本名は、地面を這うように生えるゆえでしょうかシバハギといい、ヌスビトハギ科という恐ろしげな名の科に属するそうです。



2020年のオリンピックは東京開催になった。
わが首相は、IOC委員および海外メディアを前に、「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は福島第1原発の港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と語った、と報じられています。
少なくとも、日本国内でこういう「断言」は為し得ないはず。
なぜなら、日本の人びとの多くは、「収束」「とりあえずは安全だ」などの言葉で、何度も「だまされてきた」、そこから、それらの言の裏側に隠されている「事実」を知る知恵を身に着けています。ゆえに、そんなことは「公言」できない。つまり首相のこの「言」は、オリンピック誘致の「偽計」のための「虚言」なのです。それを「平然と」言える、この方の精神構造を疑いたくなります。そして、メディアもそれを「自信を持って」追及しない。

だいたい、コントロールされていないから汚染水が漏れているのであって、その漏れもコントロールされているとは言い難いのは周知の事実。何をコントロールしているのか、意味不明。
港湾内でブロックされている、というのも、どのようにブロックされているのか、実証・確認されてはいないのです。今朝の毎日新聞によれば、東電の幹部さえも首をひねって、政府に問い合わせ中、と報じています。
だいたい、港外の海水の放射能は薄められている・・というのは、かつての「公害」企業の言い分と何ら変わっていません。

招致委員長だったかの「東京は福島から250km離れているから安全だ」、という発言もありました。
この「発言」に対しての、福島から避難している方が、TVで「福島と東京は、『国』が違うんですね」と語っていたのが印象に残っています。メディアの「生温さ」よりも、的を射ている、と思いました。
そして、それを聞いて、私は小説「吉里吉里人」を思い起こしていました。
もうだいぶ前から、東北は、というより東北にかぎらず、『中央』から離れた地域(通常『地方』と呼ばれます)の人びとは、そういう「思い」を強く抱いているのです。実際、東北の震災被害さえも、「復興」の美名のもとで、「中央」の人びとの「金儲け」のネタになっている・・・。たとえば、高さ15mほどの防潮堤を、全海岸に築くという馬鹿げたハナシを「真面目に」やっている・・・。そりゃ金儲けにはなるでしょう。しかしそこには、そこに暮す人びとの姿が全く見えない!
   「地方」と「中央」という言葉づかいについて、以前に「山手線は local 線だ・・・・『地方』とlocal」で触れています。

7年後、2020年、福島の「廃炉」工事は、緒についているかどうかさえ分りません。これが「コントロール」の姿。

オリンピックに浮かれる姿に対しての「意見」、毎日新聞9月11日夕刊「特集ワイド:これだけは言いたい」をお読みください。

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A・AALTO設計「パイミオ・サナトリウム」の紹介― 4(了) :スケッチから:その2

2013-09-08 09:57:24 | 建物案内
このサナトリウムの設計にあたってのA・AALTOの提案の「MOTTO」、今風の言い方で言えば「コンセプト」は、「大気療法」に相応しい病室の窓に施す「工夫」です。そして、提出図面のすべてに、その「工夫」を示す「マーク」が付してありました。その元図が次図です。


この図を見ると、病室南面の窓の欄間を「内倒し」の建具にしてあるのが分ります。
以前に載せた図では、二重のガラス窓の欄間が、内側は「内倒し」、外側は「押出し」になっています([文言訂正9月9日 8.30])。図を再掲します。
       
なお、前回、この図もスケッチであると解説しましたが、これは、このサナトリウムを紹介する「展覧会」用に作り直したイラストとのことです。
なお、病室平面図には、平面的に両側の窓を「片開き」にして、そこからも外気を採りいれています。その部分を再掲します。  
      

次図は、開口部の立面と平面詳細のスケッチです。

そして、これを「清書」したと思われるのが次図です。

L型鋼やT型鋼(Tバー)でつくった枠材に木製の建具を取り付けていると考えてよいと思います。躯体への取り付け法、開閉装置の詳細などは不明です。
   なお、A・AALTOの初期の建物では、枠も木製の例が多くあります(銅板でくるむ例もあります。たしか、銅はフィンランドの特産だった?)。

ガラスは、これも今は見かけなくなりましたが、薄い銅板片や銅の小釘(腐食しにくい金属製の材、真鍮製も見たことがあります))を板ガラス面に添って何か所か框に向け打ちガラスを仮止めし、次いで、ガラス全周に「パテ」を充填しヘラで三角型に押さえる方法が使われているものと考えられます(図のガラス~木枠の三角表示部分。金具は隠れます)。
   パテ:putty :接合剤。炭酸カルシウム、亜鉛華などの粉末を乾性油で固めたもの。弾力性がある。         
              glaziers' putty:窓ガラス固定用のパテ。
           洋風建物などの木造建具のガラスはこの方法で取り付けられていました。
               金属製の場合もパテ止めですが、仮止めをどうしていたか、忘れました!ご存知の方がおられましたら、ご教示を!
           パテは、木材へのオイルペイント塗装の際に、木材の目止めにも使われました。          
           擬洋風・洋風の木造建物のオイルペイントが、よく遺されているのは、このパテによる目止めの効果のようです。
   Tバーは、最近見かけませんが、かつては、鋼製サッシの主要構成部材として使われた鋼材で、いろいろな寸面がありました。
   L型鋼にもサッシに使える小さな断面の材がありましたが、現在もあるのでしょうか?

この窓の断面図が次の図です。ベネシャンブラインドの断面と立面が示されていますが、作動のメカニズムは分りません。


病棟のメインエントランスと主階段・エレベーターの位置については、相当に考えられた様子が、スケッチに残されています。それが次のスケッチです。



この部分は、最終設計図では、次のようになります。比較対照ください(スケッチと図の「向き」が異なりますので、合わせてご覧ください)。

                      
このスケッチでは、どれも、エントランスを入ってほぼ正面にエレベーター入口ドアが見えますが、先回載せた平面図案のように、階段とペアに置いた案(階段室を設け、そこに置く案)もあったようです。
察するに、階段の置き方が「悩みのタネ」だったのではないでしょうか。階段を歩行することが、利用者:療養者・患者にとって主な行動形式であるかどうか、決めかねたのでしょう。
結局は、主にエレベーターを使い、時には階段を使う、あるいは「積極的に階段も使ってもらう」、と考えるに至ったのではないかと私は推察しています。
それは、「従」として扱われる階段だったならば、通常は、「裏勝手のような」様相になるのが普通だからです。つまり、好んで歩く気にはなれない。
   私のいた回復期病院の階段は、素っ気ないものでした。「しょうがないから使うのだ」、と言い聞かせて使う、そういう階段でした。
   しかし、病院スタッフは、ここを昇り降りしていました。せめて、もう少し気分よく昇り降りできるようにすればよかったのに、と思っていました。

しかし、このサナトリウムの階段は、「体調さえ好ければ、エレベーターではなく階段を使いたくなる」、そういう階段になっている、そのように私には思えます。

そういう気分にさせるのは、階段の「向き」が効いていると思います。それにより、森林に向って降りてゆく、あるいは天空に向って登ってゆき踊り場で森林を眺める・・・、簡単に言えば、「歩きたくなる階段になっている」からだと思います。階段室型の階段では、こうはゆかない、こういう気分にはなれないでしょう(階段室型もいろいろ考えている様子がうかがえます)。
また、きわめてゆったりとしたつくり・寸法になっていることも効いていると思います。

主階段の平面設計図と踏面・蹴上詳細図がありますので、下に転載します。先に載せた写真も再掲します。
平面図はトレーシングペーパー鉛筆描きですが、破れて欠損した部分があり、無理してつないであるので、一部歪んでいます。
踏面×蹴上は、340mm×135mmのように判読しました。これは、普通の(かなりよくできた)JRの駅の階段よりもゆったりとしています。


  
           

ところで、階段をはじめ、この建物の床に使われている仕上げ材は、「リノリウム」です。
リノリウムは、コルクの粉末と顔料を「亜麻仁油」系の樹脂(リノキシンと呼ぶようです:リノリウムの名の由来)で固めたシート状の材料で、弾力性があり、抗菌力もあります。床の他に壁にも張られ、かつては高級・高価な材料として使われました(今でもありますが、高級の部類に入るでしょう)。
   こういう材料では、現在は塩ビシートなどが主流ではないでしょうか。

リノリウムは下地になじみやすいので、上図の階段のように、床~立上り部を曲面にして張ることができます。
その「張り仕舞」の設計図(詳細図)がありましたので転載します。

立上りの上端がはがれやすいので、端部を別材(木製、あるいは金属製か?)を打付けて押さえています。
図には、右からSⅠ、SⅡ、SⅢの三つのタイプが描かれています。
書かれている語彙のうち分るのは beton:コンクリート、 linoleum :リノリウムだけ。それゆえ、図から推測すると、次のような仕様ではないかと思われます。
SⅠ仕様は、壁の下地(木製骨組か?)に取付用兼壁の見切になる材(木製か?)を横に流し(釘打ちか?)、壁の仕上げ材を納めた後、リノリウムを立上げ「押さえ材」を打付ける方法。
SⅢ仕様は、壁下地(コンクリートと思われる)の所定の位置に、「木レンガ」を一定の間隔で埋め込んでおき(コンクリート打設時)、木レンガに取付け材を打付ける。あとは、SⅠに同じ。図では、壁仕上げを床躯体まで施工した後、取付け材を付けるようになっています。
SⅡは、左側をSⅠ仕様、右側をSⅢ仕様とする場合と思われます。ただ、右側の台形の材は木レンガなのかどうか不明。
   書かれている語彙の意味を知りたい!フィンランド語の分る方、教えてください!
多分、この三つの場合を決めておけば、建物のすべての床と壁の施工が可能になるように考えてあるのだと思います。Sは、standard のSではないでしょうか。

   現在多用される塩ビシート張りでは、立上げて糊付けするだけの場合が多く、それゆえ、剝れている事例をよく見かけます。
   この図は、それを防ぐための方策を提示しているのです。

   今の我が国の建築家・設計者で、設計図に、ここまで提示する人は少ないのではないでしょうか。
   これは施工者が考えることだ、施工者に「施工図」で描いてもらえばいい、と考える人が、ことによると、大半かもしれません。
   

以上、スケッチや図面をいくつか選んで転載させていただきました。
この多数のスケッチや書き直した多数の図面は、文学者の遺した「原稿」を思い起こさせるところがあります。多くの場合、原稿には書き込みや取り消し線が書かれています。つまり、「推敲の過程」が生々しく遺されています。ワープロで書く原稿は、こうはゆきません。多くの場合「上書き」され、一瞬前の段階の「記録」は残されません。記録を残そうとすると、その方が面倒。
つまり、ここに紹介したスケッチや、同じ個所を何回も書き直している図面は、「設計の推敲の過程」の記録に他ならないのです。

これらからだけでも、「建物をつくるとはどういうことか : 設計とはどういうことか」、「設計図は何のために描くのか」、についてのA・AALTOの考えを多少でも読み取っていただくことができるのではないか、と思っています。
元本の“The Architectural Drawings of Alvar Aalto”(Garland Publishing,Inc. New York and London )には、このサナトリウムで使われている「家具」や「照明器具」などの図やスケッチも載っていますが、また別の機会に紹介したいと考えています。  

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近時雑感

2013-09-04 15:48:00 | 近時雑感
九月になりました。朝夕には、多少、秋の気配を感じるようになりましたが、日中は相変わらず厳しい暑さが続いています。「パイミオのサナトリウム」の続きは、涼しい時間に、徐々にやってます。もう少しかかりそうです。

この季節、山林の縁に見られる唯一の花と言ってもよいのはヤブカラシの花です(下の写真)。

これは朝の写真ですが、陽のあたる昼下がりには、チョウやハチたちが(時にはアシナガハチやスズメバチも!)群れています。

当地は、どういうわけか、このところめったに雨が降りません。遠くに積乱雲も見え、雷も聞こえるのですが、皆、当地を避けて通り過ぎていってしまうのです。
昨日は週一回の通院リハビリの日でしたが、途中の陸橋の上から、積乱雲の群れが、筑波山の向うに見えました。分厚い巨大な雲の群れでした。凄い光景でした。
病院に着くと、あたりには水たまりがある。昼過ぎのことです。訊ねてみたら昼直前に、通り雨があったとのこと。私のところから、10kmほどあるかないかのところ。途中でも降った気配はありませんでした。馬の背を分ける、という言い方がありますが、まさにその通り。
ところが、今日の明け方、突然、久しぶりの雨。しかも猛烈な降り方。2時間ほど降ったようです。畑の土も流れてしまうほどの降り方でした。それでも、恵みの雨。農家の方は助かったようです。そして、蒸し暑かったのが、少し涼しくなりました。

四か月の通院リハビリも、今月いっぱいでひとまず終了、ということになりました。
完全に元へ戻ったわけではありませんが、とりあえずは「普通のように」歩け、「普通に手を使えるように」なってきている、今後は、日々の自主トレで直すべく努めよ、ということになったのです。
傍(はた)から見ると、歩く姿も「普通に近くなってきた」ようですが、左脚に重心が移るときに、まだ若干ふらつきが起きます。腰砕けになったり、膝がこけるのです。そして、多少の「しびれ」を感じる時もあります(さいわい、躓いたり、転んだりはしないで済んでいます)。
左手の指先の感覚もまだ少し鈍く、「しびれ」もありますが、通院当初よりはだいぶよくなっています。あと、体力の復活に努めないと、直ぐにバテる・・・。
しかし、この程度で済んでよかった、とつくづく思っています。療法士さんたちに感謝、感謝です。 あとは、再発に注意・・・。
コメント (2)
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