「安全」という言葉が安易に使われているように思います。
「安全」とは、どういう意味か。
手元の「新明解国語辞典」には、次のようにあります。
「安全」:「身(組織体)に危険を、物に損傷・損害を受けるおそれが無い状態(様子)。」
この語の続きに、「暗然」の語が載っています。
「暗然」:「不幸な出来事のために、悲しみで胸が一杯になる様子。」
「原子力発電所の『安全』」は、皮肉なことに、この辞書のように、『暗然』と隣り合わせだったのです。
「安全」とは、そもそもいかなる語義なのか。
白川 静 著「字通」で調べてみました。
「安」 : [説文]に「静かなり」とあり、宀に従うのは廟中の儀礼である。宀は家廟(か びょう)。
新しく嫁する女は、廟中で「清め」の儀礼をし、祖霊に対して受霊の儀礼をする。・・・安寧の儀礼・・・。
①「安寧の儀礼」より、やすらか、安んずる意。② おちつく、しずか。③ その家に安んずる、居る、おく、安置する。・・・
「全」 : [説文に字を仝に作り、「完きなり。入に従ひ、工に従ふ」とし、全については「玉に従ふ。純玉を全と曰ふ」とする。・・・
① まったし、全体、全体がそなわる形・・② すべて、すべてととのう、そろう、たもつ、おさまる。・・・
「安全」 : 危うげなく、無事。[顔氏家訓、風操]兵は凶にして戦ひは危し。安全の道に非ず。・・・・
中国の古人は、「真実」を見抜いていた・・・!!!
表意文字・漢字の「謂れ」はすごい、そう思わずにはいられません。
鹿児島の川内原発を再稼働させる、という気配が濃厚です。
先週の毎日新聞「風知草」は、その「動き」をして、「原発 無責任時代」と論破していました。下に記事全文をコピー、転載させていただきます。
その中の、
「日本人は適応能力が高いと言われ、多くの日本人も自負していると思いますが、
その適応とは、その場しのぎのツギハギに過ぎない。
本質的な問題を学びとり、大きな変化に対応していくことは、日本人はむしろ苦手でしょう。」
との言には、同感です。
近代以降、とりわけ戦後、(特に「科学」の「隆盛」とともに)顕著になったように私には思えます。今しか見えない、今の「利」しか見えなくなった・・・。
そしてそのツギハギに「無理」があると、「言いまわし」で言い繕う。たとえば、文中の「ほぼ最高レベルに近い規制基準」、の如し。
これでは、折角の「文字」が哭くでしょう。
冒頭にある「だが、だからどこまで備えるべきかには、科学では答えられない」という一節は「真実」を語っています。
要は、「科学(的)」の語を藉りて、何を言いたいのか、ということだと思います。
真に科学的= scientific であるならば、「科学(的)」の語を「偽装」のために用いるなどということは、恥しくてできないはずです。
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追記 「日本家屋構造・下巻の紹介」の続き、もう少し時間をいただきます。