この国を-53 ・・・ 「安全」 ⇔ 「暗然」

2014-07-30 09:25:43 | この国を・・・

安全」という言葉が安易に使われているように思います。

安全」とは、どういう意味か。

手元の「新明解国語辞典」には、次のようにあります。
 「安全」:「身(組織体)に危険を、物に損傷・損害を受けるおそれが無い状態(様子)。」

この語の続きに、「暗然」の語が載っています。
 「暗然」:「不幸な出来事のために、悲しみで胸が一杯になる様子。」

「原子力発電所の『安全』」は、皮肉なことに、この辞書のように、『暗然』と隣り合わせだったのです。


安全」とは、そもそもいかなる語義なのか。

白川 静 著「字通」で調べてみました。

 「安」 : [説文]に「静かなり」とあり、宀に従うのは廟中の儀礼である。宀は家廟(か びょう)。
       新しく嫁する女は、廟中で「清め」の儀礼をし、祖霊に対して受霊の儀礼をする。・・・安寧の儀礼・・・。
       ①「安寧の儀礼」より、やすらか、安んずる意。② おちつく、しずか。③ その家に安んずる、居る、おく、安置する。・・・
 「全」 : [説文に字をに作り、「完きなり。入に従ひ、工に従ふ」とし、については「玉に従ふ。純玉を全と曰ふ」とする。・・・
       ① まったし、全体、全体がそなわる形・・② すべて、すべてととのう、そろう、たもつ、おさまる。・・・

 「安全」 : 危うげなく、無事。[顔氏家訓、風操]兵は凶にして戦ひは危し。安全の道に非ず。・・・・
        中国の古人は、「真実」を見抜いていた・・・!!!

表意文字・漢字の「謂れ」はすごい、そう思わずにはいられません。


鹿児島の川内原発を再稼働させる、という気配が濃厚です。

先週の毎日新聞「風知草」は、その「動き」をして、「原発 無責任時代」と論破していました。下に記事全文をコピー、転載させていただきます。
その中の、
「日本人は適応能力が高いと言われ、多くの日本人も自負していると思いますが、
その適応とは、その場しのぎのツギハギに過ぎない。
本質的な問題を学びとり、大きな変化に対応していくことは、日本人はむしろ苦手でしょう。」

との言には、同感です。
近代以降、とりわけ戦後、(特に「科学」の「隆盛」とともに)顕著になったように私には思えます。今しか見えない、今の「利」しか見えなくなった・・・。
そしてそのツギハギに「無理」があると、「言いまわし」で言い繕う。たとえば、文中の「ほぼ最高レベルに近い規制基準」、の如し。
これでは、折角の「文字」が哭くでしょう

冒頭にある「だが、だからどこまで備えるべきかには、科学では答えられない」という一節は「真実」を語っています。
要は、「科学(的)」の語を藉りて、何を言いたいのか、ということだと思います。
真に科学的= scientific であるならば、「科学(的)」の語を「偽装」のために用いるなどということは、恥しくてできないはずです。

  

           **********************************************************************************************************
追記 「日本家屋構造・下巻の紹介」の続き、もう少し時間をいただきます。


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この国を-52 ・・・ 「風化」

2014-07-27 11:30:13 | この国を・・・
敗戦69年目の今年、あの戦争の記憶を風化させようとする動きが顕著になりました。また、わずか数年前の原発事故についても、忘れ去ろう、風化させよう、という「動き」も露骨になっています。
いったい、どうしたら「風化」を止められるか。
そんな中、東京新聞電子版 TOKYO web で、次のような記事を見つけました。
 
以下に、この「伝言」の部分を、読みやすいように、コピー・編集して転載させていただきます(段落を変えてありますが文章には手を加えてありません)。

    「伝言」

    寝ていては いけないのだと思う 黙っていては いけないのだと思う あきらめては いけないのだと思う

    昨日、安倍内閣は臨時閣議で 憲法の解釈を変えるという 途方もない手段で 日本の平和憲法の柱 「戦争の放棄」が変えられた

    みなさん 知っていますか
    二年前 自民党が政権に復帰した 総選挙の得票率を
    わずかに24% 全国民の民意の四分の一 それで国会の議席 過半数を占めるという 小選挙区制度の不思議さ その不当さ

    みなさん 知っていますか
    第二次世界大戦の中で 日本軍として参戦した 兵隊二百四十万人が死んだことを
    そして 日本軍によって アジア全体で殺された人たちは二千万人ということを 
    なかでも 中国では 一千万人もの 多くの命が 奪われたことを

    みなさん 知っていますか
    戦争が終えた一九四五年の 日本の平均寿命を 男性二十三・九歳 女性三十七・五歳 
    信じられない この年齢 そのもつ意味 そのもつ重み

    一九四五年三月 東京下町への大空襲 八月六日 広島への 原爆の投下 八月九日 さらに 長崎へも…
    累々(るいるい)として おびただしい 死者の叫び 命の訴え
    けっして 取り戻すことのできない 命の代償 家族の無念さ

    そして 戦争が終えた そして 憲法が産まれた

    時の権力によって 時の政権によって 二度と再び 戦争が 起こされることがないように 
    事情や状況を問わず 外交問題の解決に 武力を行使することが けっしてないように 私たちの 日本国憲法が 産まれた

    その後 六十七年間 朝鮮戦争でも ベトナム戦争でも 湾岸戦争でも また イラク戦争でも アフガン戦争でも 
    日本が直接に 戦争を起こすことは なかった 日本が直接に 戦争に巻き込まれることは なかった

    いま 寝ていてはいけないと思う いま 黙っていてはいけないと思う いま あきらめてはいけないと思う

    子どもたちが そのまた子どもたちが 建物を くらしを 地域を破壊し ひとのいのちを 奪わないため ひとにいのちを 奪われないため

    くらしや文化 言葉や習慣は違っても 地球に住む さまざまな世界の人たちと ともに手をつないで生きるため

    知っていますか 安倍総理大臣にも 小野寺防衛大臣にも 国務大臣には 憲法を擁護する 義務があることを

    知っていますか 私たち 日本の国民には 二度と戦争を起こさないために 憲法を守り 育てる 不断の努力が 求められていることを

    寝ていては いけないと思う 黙っていては いけないと思う あきらめては いけないと思う 
    いま このときに 
    不戦の誓いのもと 憲法の骨格に 第九条「戦争放棄」を 明確にもつこの日本の国で
    憲法改正の手続きも 議論も経ず 閣議で解釈の変更を 了承する形で
    これまで六十七年間 現在の憲法下では法的にできないと すべての政権が公言していた 集団的自衛権
    これを「解釈改憲」として 閣議で決定した「現政権」

    この事態に 一人の保育者として 一人の日本人として 私になにができるか 考えました
    そして ここにみなさんに 伝える言葉を 記すことにしました

    子どもの命を守りはぐくむこと これを阻む 理不尽な動きには 学び 訴え 協同し 行動していく
    このことを理念としてもつ 我が社会福祉法人「厚生館」の 職員として 施設長として

    また これまで 多くの保護者と たくさんの子どもたちに
    輝くいのちのすばらしさを 日々の中で 教えてもらった 一人の保育者として
    あらためて訴えたい 伝えたい
    憲法を守ろう いのちをはぐくもう
    戦争につながる動きに ノーの行動を示そうと

      七月二日 ひらお保育園 園長 田中雄二


           **********************************************************************************************************

私のブログを読まれている方の中には、特に「建築」に関わる「知識」を得ようとしてお寄りになる方の中には、こういう記事は「建築をめぐる話」と何の関係もないではないか、と思われる方も居られるかもしれません。記事の中にある「若い職員からは政治の話は難しいとの声も聞かれた」とあるのと同じです。保育園の仕事と何の関係もない・・・。
私は、そうは考えておりません。
私は、いわゆる《専門バカ》(嫌な言葉ですがあえて使います)は「専門家」になってほしくないのです。
コメント (3)
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近時雑感 : 暑中お見舞い申し上げます

2014-07-26 10:10:00 | 近時雑感


昨年に比べ、蒸し暑い日が続いています。
暑中お見舞い申し上げます。

隣地のネムノキの花が、やっと盛りを迎えました。今朝の写真です。空が霞んでいます。天候は晴ですが、気温29℃、湿度75%!

いつもはもう少し早く咲いたのではないかと思います。今年は雨が多かったせいかもしれません。

丘陵の縁辺の広葉樹林に咲いていると、そこだけ、薄い紅色の雲がたなびいているように見えます。
みんな実生です。実に羽が付いていて遠くまで飛んでゆくのです。
思わぬところに咲いていて、こんなところにも・・・、と思うことがしばしばです。繁殖力が旺盛なのです。


「日本家屋構造」の紹介の編集、ゆっくりとやっております。もう少し時間をいただきます。

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「日本家屋構造・下巻・参考篇」の紹介-2・・・・「(二)天井の部」

2014-07-21 11:00:12 | 「日本家屋構造」の紹介


今回は、「(二)天井の部」の項の紹介です。図版は二図、解説文も僅かです。今回は、各図とその解説をA4一枚、都合二枚にまとめました。

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[補注追記 23日 9.45][字句訂正 23日 15.10]

はじめに一枚目、第十五図と解説。現代語読み下しを付けます。

第十五図は、天井の種類を示す。
図甲は、普通の平竿縁の竿縁天井竿縁天井板の張り方。
    天井板は、矧ぎ目をに対し直角に置く。
    ① 真打ち(しんうち) : 天井板の矧ぎ目を柱の芯に納める方法。
    ② 手挟み打ち (たばさみ うち): 板幅の中央に柱または束柱などを納める方法。

   補注 [補注追記 23日 9.45]
    これは天井板の割付け法の解説ですが、竿縁は、柱の芯の通りに合わせるのが普通です。合わないと、天井板よりも竿縁の方が気になります。
    しかし、柱位置が図のように壁~壁の中央:二分の一の位置にあるときは容易ですが、
    柱が中央にないときは、簡単ではありません。壁~壁を均等に割ったとき、竿縁位置が柱の通りに合うとは限らないからです。
    一定程度は、廻縁の柱からの出で調節することも可能ですが、かなり無理があります。
    この解決のために考案されたのが「蟻壁(有壁)(ありかべ)」と言われています。蟻壁長押および廻縁で調整する方法です。[字句訂正 23日 15.10]
    これについては「園城寺・光浄院客殿・・・・ふたたび」で触れています。
   

図乙は、廻り井桁組と呼び、四畳半の小座敷あるいは便所などの天井に使うことが多い。
    竿縁井桁に組み、周囲には神代杉などの杢板、中央部には柾目板を用いる。
図丙は、網代組天井
図丁は、吹寄せ竿縁天井竿縁吹寄せにする。天井板は杢板、または樋舞倉矧ぎ(ひぶくら はぎ)で一枚板にした杉柾板を用いると見栄えがよい。
      註 吹寄せ : 二本ずつ一組に並べあること。・・・(「日本建築辞彙」による)
      註 神代杉 : 水土中に埋もれて多くの年数を経た杉材。往古、火山灰中に埋没したものとされる。
                蒼黒色で堅実。伊豆、箱根などで産出・・・。(「広辞苑」による)
      註 桶舞倉糊矧 : 「日本建築辞彙 新訂版」の「ひぶくらはぎ」では、「桶部倉矧」と表記。下図のような板の矧ぎ方との説明がある。
         板戸などで使うようですが、私は実物を見たことがありません。
         桶舞倉糊矧とは、この矧ぎ方で糊を併用するものと解します。
         
         ただ、「ひふくら」「ひぶくら」の意はもとより、どちらの漢字表記も、字義が分りません。
         なお、これは「日本家屋構造・中巻の紹介-22」所載、小便所の腰壁仕様の註の再掲です。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
二枚目は第十六図とその解説。

図甲は、折上げ格天井伏図見上げ図)。
    組んだ格子の中に子組小組:こ ぐみ)という組子(くみ こ)を嵌め、その上に天井板を張る。
    その仕口・構造などは「構造編・天井の構造」に詳述してある(「『日本家屋構造』の紹介-18」参照)。
図乙は、平格天井伏図見上げ図)。
    図は、杢板柾板などを、縦横交互に張った例。絵・模様を描いた天井板を嵌め込む場合もある。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「二 天井の部」は以上ですべてす。

           **********************************************************************************************************

蛇足

「部屋」あるいは「室」または「居住空間」は、「壁」と「床」、そして「天井」とで囲まれる、そして、それを「包む」:「内包する」のが「架構(あるいは「構造」、もしくは「構造体」)」であり、その総体が建物である、というのが、建物(あるいは建築)に対する現在の「一般的な理解・認識」と言ってよいと思います。
もっと端的に言えば、この「理解・認識」は、「舞台装置:背景を形づくる大道具」とそれを「支えている骨組」、と例えるのがいいかもしれません。つまり、各面は「書割」である、ということになります。

「書割」は、まったく「任意」です。たとえば、いわゆる「洋風」にするのも「和風」にするのも、いわば自由自在です。
    最近の建物づくりは、一般の建物はもちろん、いわゆる「建築家」のつくるそれも、ほとんどこのやりかたでつくられている、そのように私には思えます

ところで、私たちは、そのような「書割」でつくられた舞台を観ているとき、私たちは、いったい何を見ているのでしょうか。
「書割」の各面を見ているのでしょうか?
そうではないはずです。私たちは、「書割」そのものではなく、「書割で囲まれた場所」を観ている、「その場所のいわば雰囲気」を「感じている」のではないでしょうか。「書割」は、その場の「臨場感」の造成のためにある、といえるかもしれません。
つまり、私たちは、「書割」そのものを観ているのではない、ということです。

私たちの日常の暮しの場面でも同じです。
私たちは常に何かに囲まれています。surroundings です。
そのとき、私たちは、私たちを囲んでいる「もの」を「見てはいます」が、決して「観てはいない」はずです。簡単に言えば、壁面や天井面・・・そのものを観ているのではない、ということです。
ここで、「見ている」というのは「視覚に入っている」という単純な意味、「観ている」とは、いわば、「味わっている」「鑑賞している」というような意味、としてご理解ください。
つまり、私たちは、そういう各面がそこにつくりだしているいわば「雰囲気」を「観ている」ということです。

   このことをうまく表現することは非常に難しい。現代風に「評価」して表現することは甚だ難しい。
   なぜなら、「その場の雰囲気を感じる」などということは、現代のいわゆる「科学的分析」手法には適しない「構造」の事象だからです。
   このあたりについては、これまでも「くどく」書いてきましたので( ex「建物をつくるとはどういうことか」シリーズなど)、ここではあえて触れません。
   註 「建物をつくるとはどういうことか」シリーズは以下の内容です。
     第1回「建『物』とは何か」
     第2回「・・・うをとりいまだむかしより・・・」
     第3回「途方に暮れないためには」
     第4回 「『見えているもの』と『見ているもの』」
     第4回の「余談」 
     第5回「見えているものが自らのものになるまで」
     第5回・追補「設計者が陥る落し穴」
     第6回「勘、あるいは直観、想像力」
     第7回「『原点』となるところ」
     第8回「『世界』の広がりかた」
     第9回「続・『世界』の広がりかた」
     第10回「失われてしまった『作法』」
     第11回「建物をつくる『作法』:その1」
     第12回「建物をつくる『作法』:その2」
     第13回「建物をつくる『作法』:その3」
     第14回「何を『描く』のか」
     第15回「続・何を『描く』のか」
     第16回「求利よりも究理を」
     第16回の続き「再び・求利よりも究理を」


たとえば、「天井の意匠」に凝っても、日常の暮しで、つまり、一般の住家で、誰がその「意匠」そのものを観るでしょうか?

私たちが天井を見上げ、しみじみと「観る」というのは、たとえば仏堂に入り、仏像を見上げたその先の天井に目が行ったとき、などではないでしょうか。
見上げるような仏像ではないとき、多分、私たちは天井にまで目を遣らないはずです。
多くの場合、仏像の頭上には、暗い空間が覆っている、そのように見えているはずです。それで何も問題ない。


もしも天井の意匠に凝るとすれば、その場を「ある感懐を生む場所:ある雰囲気の場所」とするために、天井の「効果」が必要だ、と思われたときのはずです。
それに役立たない「意匠」は無意味
なのです。

このことは、壁面についてもまったく同じです。


今では、天井を設けることは、至極あたりまえのことと思われています。
しかし、人がつくりだした居住の場、つまり「住まい」に、原初から天井があったわけではありません
そしてもちろん、「書割」とそれを「支えている骨組」、というような「理解・認識」があったわけでもありません。

このあたりについて、すなわち、日本の建物づくりに於いて天井が出現する「過程」について、かなり以前に触れています。下記をご覧ください。
天井・・・天井の発生、その由縁
日本の建築技術の展開-6
日本の建築技術の展開-7

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「日本家屋構造・下巻 参考篇」の紹介-1・・・・「(一) 平面図の部」

2014-07-12 18:07:52 | 「日本家屋構造」の紹介


「(一)平面図の部」には、参考図が14図載っています。数図を除き、いろいろな面積の事例平面図です。そのうちの半分ほどについて解説があります。
そこで、解説文1枚とAからGの8枚の図に編集、紹介することにします。

  なお、紹介の最後に、附録として、
  この書で紹介されている「住家」すなわち、明治期の都会で多く見られた住居:の原型と考えられる江戸期の「武家住宅」の様態について、
  「講習会・伝統を語るまえに」で使ったテキスト(「知っておきたい日本の木造建築工法の展開」)から抜粋して転載させていただきます。


はじめは、解説文の全文

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次に各図版を順に紹介します。原文に解説がある場合は、その図に解説内容を要約して付しますので原文と照合ください。

図版A 以下の事例をまとめてあります。
第一図:家族 5~6人向きの建坪27坪・二階建住居各階平面図立面図
第二図:建坪19.25坪・平屋建住居平面図及び小屋伏図
第三図:平屋建一部二階建住居の二階建部分の各階平面図及び骨組姿図
   骨組姿図は、製図篇紹介の際には、その図だけでは分りにくいので、転載を省かせていただいた図です。

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
図版B 以下をまとめました。原文に解説はありません。
第四図(甲):建坪98.5坪・平屋建住居平面図
第四図(乙):建坪46坪・平屋建住居平面図
第五図(甲):建坪38坪・平屋建住居平面図
第五図(乙):建坪58坪・平屋建住居平面図

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
図版C 一部に「洋室」をもつ大型住居の例をまとめました。解説はありません。
第六図:建坪80坪・平屋建住居平面図
第七図(乙):建坪60坪・平屋建住居平面図
   第七図(甲)は、「上等客間」の平面図例ですので、「客間」平面図例は、別に第十一図(乙)もありますので、あわせ図版Fにまとめました。

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
図版D 農家住居の平面図をまとめました。
第八図:建坪80坪・平屋建住居
第十一図(甲):建坪43坪・平屋建 断面図は製図篇の第二十三図参照⇒図版の下に再掲します。
   第十一図(乙)は、「上等客間」つまり、格の高い「客間」の平面図例です。第七図(甲)の「客間」平面図例とあわせ図版Fにまとめてあります。

中巻 製図篇 第二十三図を再掲します。
                   
   参考 なお、農家住宅の架構については、「日本の建築技術の展開-24」「日本の建築技術の展開-25」「日本の建築技術の展開-26」をご覧ください。

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
図版E 以下の図をまとめました。解説文はありません。
第九図:建坪77.5坪・二階建
第十図(甲):建坪54坪・平屋建
第十図(乙):建坪73.5坪・平屋建

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
図版Fには、広大な「上等家屋」の例と客間平面例をまとめます。
第十二図:建坪330坪・二階建住居平面図
第七図(甲):上等客間平面図、一列二室続きの例。
第十一図(乙):上等客間平面図、二列二室続き(計四室)の例。

  原文の第十二図解説
  この図は、二階建上等家屋の各階平面図で、二階の客室のには、第二十九図・甲(下図)に示す床棚上段の間を応用し、天井を折上げ格天井とし、
  階段の間(階段室)は平格天井でもよい。
  一階の客室、主人居間などは、平格天井猿棒竿縁天井でも可。
            
    ここに紹介されている客間の構成は、いわゆる書院造:客殿建築の継承と考えられます。この点については、末尾の附録の冒頭の項をご覧ください。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
図版G 畳の敷き方及び茶室の平面例をまとめました。
第十三図(甲):建坪40坪の家屋の各室の畳の敷き方を例示。
第十三図(乙):茶室の各種平面図
         (い)は、四畳半茶室風炉を用いるとき畳の敷き方。風炉を置く半畳の畳は道具畳と藺筋をそろえ、勝手口に設ける。
         (ろ)は下座床の四畳半の図。畳は図のように前から三段並べて敷き、道具畳は廻り敷き、は中央の畳に図のように切る。
         (は)は上座床の四畳半の図。前の一畳を床に平行、他は廻り敷き。は中央の半畳に図の位置に切る。畳の藺筋は客畳道具畳に揃える。
         (に)は平三畳、(ほ)は三畳大目(さんじょう だいめ)、(へ)は二畳、(と)は平三畳大目(ひらさんじょう だいめ)、
         (ち)は数寄屋三畳大目に勝手、水場を付した例。
         大目畳とは、普通の畳の長さを四分の三とした畳のこと。
           註 原文では大目に「おおめ」のルビが付いていますが、普通は「だいめ」と呼びます。
              大目とは代目の転じた表記。
              「古昔、田地一町に付き四分の一を納税したるを代目といいたるより起れる名称」(「日本建築辞彙」)。
             「日本建築辞彙」は、「代目」表記が正しい、としている。
             なお、現在は「台目」表記が一般的になっているかもしれません。
第十四図:大きな部屋の畳の敷き方の例。甲は六十畳廻り敷き及び入側などの敷き方、乙は乱敷きと称する敷き方。
      一般の部屋の場合は、この両者の応用で敷くことができる。
      床前は、畳の長手を床に平行に敷くのが一般的で、客座については、藺筋と客の向きが直交しないように敷くのが原則。
      なお、床前の畳を、長さを一間半~二間半を敷目を見せずに敷くこともある。

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

附録 近世の武家住宅 「講習会・伝統を語るまえに」のテキストから抜粋。
        文中に(〇〇頁参照)などとありますが、そのまま転載します。ご了承ください。






なお、この記事中の「光浄院客殿」については、「建物づくりと寸法-2」などでも触れています。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次回は「二 天井の部」の紹介を予定しています。

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近時雑感 : 「曖昧な喪失」

2014-07-10 20:52:52 | 近時雑感

ハナアブなど虫たちがいないのは、天候のせいでしょうか?

NHK教育テレビのハートネットTV「曖昧な喪失の中で~福島 増える震災関連自殺~」をみました。
福島の震災関連自殺者は、東北の他の被災二県に比べ、数倍多いそうです。ほとんどが、震災よりも原発事故がその因
この番組は、原発事故による避難生活の中で精神的に追い詰められて事故の4カ月後に自ら命を絶ったある男性の、死を覚悟するに至るまでの「心の軌跡」を検証したドキュメンタリーです(7月15日午後1時から再放送があるとのこと)。

男性は原発立地の大熊町で生まれ育った方。つまり「生まれ在所」が大熊町。
自宅は地震・津波にも全く被災せず無事だった。そこに夫婦と孫たちと暮らしていたが、住めなくなった。「帰宅困難地域」に「指定」されているからです。
家族バラバラの避難生活。近隣の人びとも皆今何処にいるか分らない・・・。
目の前には住み慣れた自宅、子どもの頃から慣れ親しんだ風景がある。それなのに、そこでは暮せない。自由に近寄ることもできない・・・。この状況が男性を追い詰めていったようです。

「生まれ在所」、「生まれ育った土地」それはすなわち「故郷・ふるさと」。
「住まい」は、その人にとって、すべての「拠点」「原点」になる場所です。
その「拠点」「原点」の存在に、それが「どのようなところ」に在るか、が重要な意味を持ちます。「どのようなところ」とは、いかなる surroundings の場所か、と言い直してもよいでしょう。そして、更に重要なのは、そういう surroundings を共有している人びとの存在(近隣・近在の人びとも含みます)。
つまり、「故郷・ふるさと」、生活の「拠点・原点」は、「場所」と「人」なしにはあり得ないのです。
このことは、現在では、とかく見失いがちです。「何処でもよい」「住まいさえあればいい」、と思いがちになります。「仮設住宅」を用意したからいいではないか・・・、と思いがちなのです。
しかし、そうではない。
いかに「完備した」「仮設住宅」や「避難所」が用意されたところで、それだけでは「故郷」の「代替」にはならないのです。
それが、人にとっての「故郷・ふるさと」の意味・意義である、そう私は思います。



だいぶ前に、近世の「欠落(かけおち)農民」にとっての「故郷」についてのエピソードを紹介しました(「続・故郷とは何か・・・・異郷と故郷」)。
「欠落(かけおち)」とは、「生まれ在所」を捨て出奔すること。おそらく、「生まれ在所」での暮しができなくなっての「本人の意思」による出奔だと思います。
「欠落農民」は、他の地に移り得れば生き延び得たのでしょうが、ことによると、多くは現在の「路上生活者」のようになっていたのではないでしょうか。
近世には、こういう「欠落農民」が多く生まれたようですが、一方で、この人たちにに手を差し伸べる人びともいました。浄土真宗大谷派、本願寺派もその一で、「欠落農民」に移住地を斡旋したようです。また、すすんで「欠落農民」を受け入れる藩も各地にあったようです。
このエピソードの主も、浄土真宗教団の世話で、移住します。
その移住先が、なんと、現在の福島県大熊町のあたりだった。大熊町一帯には、かなりの数の「欠落農民」が移住したようです。
   もちろん、先のドキュメンタリーの男性が、かならずしもその末裔であるわけではありません。
移住して数十年、すっかり大熊町の人となった彼は、自らの信仰の確認とあわせ、真宗の祖、親鸞の足跡をたどりつつ、「生まれ在所」を訪れることにします。
しかし、紆余曲折の末辿りついた彼の「生まれ在所」は、風景こそ懐かしいものでしたが、人は誰も彼を知らず、冷たくあしらわれ、彼は早々に大熊町に戻るのです。
彼の「生まれ在所」は、すでに彼にとって「故郷」ではなく、いわば「異郷」の地になっていたのです。

ところが、先のドキュメンタリーの男性は、目の前に健在な姿で在る「故郷」が、本人の「意思」とは関係なく、「異郷」にされてしまったのです。
「故郷・ふるさと」が、目の前に在りながら、近寄ることさえできない。何故?どうしたら「納得」することができますか?これを不条理と言わずして・・・・。


現地近くで被災者の診療にあたっている精神科医の方が、「家があるのに帰れない、この曖昧な喪失は人間にとって耐えがたい辛さをもたらす」と語っておられました。

私は、見終ってしばしの間、考え込んでしまいました。


こういう方がたは、福島には、今も多く居られるようです。

震災以来、「絆」だとか「心に寄り添う」などという「ことば」をよく耳にしてきました。同時に、私はこの「ことば」に、ずっと違和感を感じてきました。「いかがわしい」からです。
この「ことば」を使うことで、この方がたの「不条理」が解消するわけがないではないですか(そういえば、例の「金目の大臣」も、《謝罪》の挨拶でこのことばを使っていましたね)。
この方がたの「支え」:「話し相手・聞き相手・相談相手」になっている「福島・いのちの電話」の代表の方も、先のドキュメンタリーで、同様のことを語っておられたのが印象に残っています。
   「福島・いのちの電話」に電話してくるほとんどの方が、30分以上話し込まれるそうです。


     なお、「続・故郷とは何か」の前段は「故郷とは何か・・・・田舎と都会」です。
     お読みいただければ幸いです。
     私は十数年前にかすみがうら市に「移住」しました。東京に戻る気がなかったからです(その理由は、すでにいろいろと書きました)。
     そして今、このあたりの surroundings にすっかり馴染み(ほとんどの所を自由に歩き回れ、近在の人たちとのお付き合いも拡がっています・・・)、
     いわば、第二の「故郷」になりつつある、と言えるでしょう。そう、東京は、私にとって、いまや「異郷」になってしまったのです・・・。

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予告 : 「日本家屋構造・下巻」の紹介 、編集中です

2014-07-05 09:46:40 | 「日本家屋構造」の紹介

今朝の曇り空に映えるムクゲ。
降籠められて気付かぬうちに、満開に近くなっていました。
ヒグラシも数日前から鳴きだしています。夏が近いのです。



「日本家屋構造・下巻 参考篇」の紹介用編集にとりかかりました。

「下巻」の目次は以下の通りです。

ところが、たとえば「一 家屋平面図」の項では、図が十数図ありますが、解説はそのすべての図については書かれていません。
ゆえに、解説文と図をどのように編集したら読みやすく分りやすいか、現在思案中です。少し時間をいただきます。

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この国を-51・・・「信頼される」ということ

2014-07-03 10:32:17 | この国を・・・

わずかに咲いているヒメジオンにとまるベニシジミ。
合歓の花はもうじきのようです。


NGO:Non-Governmental Organizations:メンバーが武装集団に襲われたときに自衛隊が救援にあたれるようにする、というのが現政権の「主張」のようです。
この「主張」は、NGO:Non-Governmental の語義を理解・認識していない暴論ではないでしょうか。
Non-Governmental である、つまり、当事国の政治状況と何の関係を持たない、勿論「国益」などとは無関係な「活動」ゆえに、現地で活動し得ているのであり、信頼をもされているのだ、という「実状」の認識を欠いている、と言ってよいでしょう。

この点について、7月1日付毎日新聞夕刊「特集ワイド」が特集を組んでいます。
紙面のコピーでは 読みにくいので、web 版から全文をコピー転載させていただきます。


この記事に出てくるJVCとは、Japan International Volunteer Center :日本国際ボランティアセンターのことで、日本のNGOの先駆的団体です。
    JVCの活動の詳細は、同センターのホームページから知ることができます。(http://www.ngo-jvc.net)。
   なお、同センターは会員の会費と寄付金で運営されています。どなたでも会員(正会員、賛助会員のどちらか)になれます。

JVCは、すでに6月10日付で、次のような「提言」を、公表しています。以下に全文を転載させていただきます。だいぶ前に知っていたのですが、紹介するのが遅れました。申し訳ありません。





平和とは戦い取るべき物騒なものではなく、一人一人が力を合わせて優しく守るものだと思う。」これは、どこかの紙面で見かけたある方の言葉です。異議なし!


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