雑感・・・・あこぎ

2009-07-31 07:34:39 | 「学」「科学」「研究」のありかた

7月22日の「雑感」で、最近やたらと講習会、研修会がある、と書きました。

たとえば、
「基礎から学べる構造設計シリーズ」というのがあります。
主催は「財団法人 日本建築センター」
RC造、鉄骨造、木造に分かれています。
木造では「木造編 基礎 I コース」、「同基礎Ⅱコース」があり、それぞれ日程は2日間。

「木をまなぶ会・優良な木造住宅の普及推進に向けた技術研修」というのは、
主催は「財団法人 日本住宅・木材技術センター」
その「木質構造シリーズ」では、6個の講義があり1講義1日、したがって6回:6日あります(連続ではない)。その中から、必要な講義を選択。

これらの講習会・研修会の受講料はいったいどのくらいだと思いますか?

「基礎から学べる構造設計シリーズ」の場合は、前払いで25,000円。
テキストは「これだけは知っておきたい 設計者のための木造住宅構造再入門」を別途購入で講習会特価:4,830円。
都合約30,000円也。1日あたり15,000円。
大工さんの日当は、今いくらだろう?

「木をまなぶ会・優良な木造住宅の普及推進に向けた技術研修」の場合は、1回(1日)15,000円、テキスト別途購入で1,200円~6,825円。1回当たり16,200円~21,825円、まあ約20,000円也。6回聴くと約120,000円。
テキストは、いずれも同センターが刊行している図書。

それぞれ内容は、先回書いたとおり、現行の法令規定の「おさらい」。

講師陣、テキストの編者とも、ほぼ同じ。あるいは同系列の人たち。

この二つの主催者は、財団法人、すなわち公益法人。
だから、講習・研修内容が、本当に大事なことであるのならば、受講料などとらないのが筋というものではないか。

けれども、その内容は、わが国の建物づくりの問題を真摯に考えよう、という「問題提起」などはなく、そこにあるのは、もっぱら、現行法令諸規定の、いわば「押売り」、人びとを「思考停止」させ、法令諸規定に唯々諾々としたがう単なる「ロボット」、「オペレーター」にしようという「必死の努力」以外の何ものでもない。
どう考えても、「刊行図書の販売促進」も兼ねた「法律を笠に着た『あこぎ』な講習会商売」。

ところで、先の公益法人は、ともに、国交省・農水省の外郭団体。

   註 笠に着る:自分に有力な後ろ盾が有るのをいいことにして、
            大きな態度をとる。
      あこぎ:非常にずうずうしいやり方で、ぼろいもうけをねらう様子。
      (いずれも「新明解国語辞典」から)

上掲の写真は、先日訪れた「心身障害者更生施設」の前庭から望んだ富士山。
月見草ではなく、向日葵が咲いていた。

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「建築」は何をつくるのか-3・・・続・建物づくりと「造形」

2009-07-30 11:23:19 | 設計法

先回、ライトの「落水荘」を例にして、次のように書きました。
私たちが「感じている隙間・空間」とは、「平面図」で言えば、その「白い部分」です。平面図上で、この「白い部分」を主階から順に見て行くと、私たちが「落水荘」に「在る」と、どのように私たちの中に「感懐」が生まれるか、が分ってきます。
とどまる歩を早めたくなったり、腰をおろしたくなったり、気分が高揚したり、鎮まったり・・・・、その「変遷」が感じられる筈です。
この「変遷」をどのように構築・構成するかが、ライトの考える「設計」なのだと言ってよいでしょう。

私たちは、「落水荘」に在る場合だけではなく、常に、「私がそのとき在る空間に何かを感じつつ、それに応じて立ち居振舞っている」ということです。
建物の設計では、すなわち、「白い部分」を構築するには、私たちがその「白い部分」に在る時感じるであろう「感懐」を基にして行わなければならない、ということです。

   註 最近の建物では、私が、そこで感じたままに素直に振舞うと、
      混乱に陥る場合が多くなっています。
      そして「案内板」:「サイン」だらけになります。
      それについては、かなり前に、迷子にならざるを得ない病院を例に
      下記で触れています。
      「道・・・道に迷うのは何故?:人と空間の関係」


「私たちがその『白い部分』に在るとき感じるであろう『感懐』を基にして行わなければならない」のだ、ということを、私が最初に「実感」として理解したのは、ライトではなくアアルトの設計事例でした。

上掲の図版は、1938年のニューヨーク万博でフィンランドの建築家アアルトの設計した「フィンランド館」です。
上段は、入口を入ったときの館内の姿。その右は、全体の構成の解説のための分解図。
中段は、設計段階での入口を入ったときの館内のスケッチ。大体その通りになっています。
下段は、全体の構想を示すスケッチと完成したフィンランド館の平面図です。
なお、このフィンランド館は、既存の建物の内部の改装で計画されたようです。

   註 図版は以下よりの転載
      〇スケッチ(内観、および平面)
      “Aalto”(GARLAND刊、スケッチを集めた全集)
      〇その他
      “Alvar Aalto”
      (The Museum of Modern Art NewYork刊) 

この建物の写真を最初に見たとき、この「うねる壁面」が、ただ異様にしか見えなかったことを覚えています。何だ、これは?
ものの本では、アアルトの国、フィンランドのフィヨルドの海岸線に倣ったものだ・・・、などという説明がありました。ほかも同様で、「見える形」だけを云々している書物が大半でした。

しばらく経って、あらためて入館者になったつもりで平面図を見ていったとき、この壁の「うねり」の理由が分ってきたのです。

万博の展示館ですから、内部にはフィンランドについて紹介する各種の展示がいろいろな手段で展示されています。それら各種各様の展示を、歩を進めながら深く理解しつつ観てゆく、そのためには、途中で飽きることがあってはなりません(多くの博物館などで、観るのを省略したくなる経験は、皆がお持ちだと思います)。
フィンランド館は、その点が綿密に計画されていることに気付いたのです。
「うねる壁」は、フィンランドの針葉樹を横並べしてつくられています。その「うねり」につれて、来館者は気分が高揚し、素直に歩を進め、二階へも自然に誘われます。二階には、今歩いてきた一階を見ながら休めるティーラウンジもあります・・・・。

「形」だけ、この場合で言えば、「うねる壁」だけに目を奪われると、本当のところを見抜けない。特に、図面や写真だけで建物を見る場合には、よく陥る落とし穴です。
「うねる壁」は、単に、その「造形」のためにつくられた「造形」なのではなく、望まれる適切な「空間」を「そこ」につくりだすための手段に過ぎない、そう理解したとき、設計では何を考えればよいか、分ったような気がしたのです。

   註 最近の建物には、写真映りのための「造形」、
      「造形のための造形」が多すぎると私は感じています。
      実際にその建物へ行くと、その「造形」が、「空間」にとっては
      無意味な場合がほとんどです。
     
フィンランド館は、ある意味では、きわめて設計が簡単な建物です。「展示するとは何か」について考えればよいからです。
しかし、他の設計でも、たとえば「住宅」を設計する場合でも、「原理」は同じだ、と私は考えています。

すでに、「建物の原型は住居」である、ということを書きました(下記)。

   「日本の建築技術の展開-1・・・・建物の原型は住居」

要は、「住まい」とは、私たちが日常を暮してゆくときの「拠点」であり、それが「拠点」であるためには、「そこ」で私たちが抱く「感懐」が、私たちにとって何の抵抗感のないものでなければならない、という単純な事実です。

そして、「住まい」以外の私たちにかかわる「建物」:「空間」は、その延長上になければならないはずです。
もしそうでなければ、そういう「建物」では、私たちは、「不安」に陥るだけなのです(そのことは、先の病院の事例で触れています)。

「建物の原型は住居」での説明を要約すると、
 ① 住まいの基本は、外界の中に安心していられる「空間」を確保すること。
 ② その「空間」の大きさ:面積は建設場所次第である。
 ③ その「空間」と「外界」は、主に、一つの「出入口」で通じる。
 ④ その「空間」の使い分けは、その「出入口」との位置関係で決まる。
    この位置関係の認識は、「そこ」で私たちが抱く「感懐」により、
    大きくA、B、C三つのゾーンに仕分けられる(前掲記事参照)。

   註 他人との接し方で三つのゾーンを示すと
      A:比較的親しい人の出入り可。
      B:親しい人の出入り可。
      C:家人以外の出入り不可。 

 ⑤ 「空間」の大きさによって、その「使い分け」の様態は異なる。
    大きい場合には、間仕切により仕切ることができるが、
    小さな場合に、間仕切を設けると動きがとれなくなる。

ある場所:建設場所=敷地に住まいをつくることを考えてみます。

建設場所=敷地へは、そこへ通じる道を歩いて至るわけですが、多くの場合、どの方角から近付くか、決まっています。それは、逆に言えば、「住まい」という拠点から外界へと至るときに必ず通る過程でもあります。

敷地に近付きます。
敷地が路地奥でないかぎり、敷地は、道に全面で接しています(たとえば、長方形の敷地であれば、長方形の一辺が道に接しています)。
道から敷地内に入るには、物理的には、どこからでも入れるはずです。
しかし、実際には、自然体で敷地に近付くとき、自然と足の赴く「地点」があります。
それは、そのとき敷地周辺に展開している「既存の空間」に私が「反応」した結果なのです。もちろん、道を歩んでいるときの、道を囲んでいる「もの」がつくりだしている「空間」も含まれます。言うなれば、一帯にある既存の「白い部分」への私の「反応」によるのです。

もしも「住まい」が道に接して建ち上がるのであれば、そこが建屋の「玄関」として最適の場所にほかなりません。
そして、敷地内に引いて建屋が建つのであれば、そこは「門」として最適の場所なのです(必ずし「門」という「もの」が建つわけではありません)。

その地点に立ち、敷地という区画内に広がっている「空間」を感じとります。
そして、敷地内に、どのような容量の「もの」をセットすることが可能か、考えます。それはすなわち、どのような容量の「もの」をどのように置けば、既存の状況:環境に適合するか、ということです。
すでにこのとき、建屋の「外形」のおおよその見当が付いているのです。
敷地外を含め、既存の状況が、いかに気に入らないものであっても、無視するわけにはゆきません。

   註 敷地外の状況をまったく無視するのが、言い換えれば、
      敷地内だけで考えるのが、最近の設計のほとんどです。
      それでいて、町並の景観との調和・・・などが叫ばれます。
      何をもって「調和」と言うのでしょうか?

その上で、先の三つのゾーンがどう展開するのが素直か、自然か、考えます。
これを考えるには、どこが、どのあたりがCゾーン:「最奥と感じられる場所」になるか、あるいは、どこに、どのあたりに「最奥と感じられる場所」をセットしたらよいか、考えるのが早道です。なぜなら、外界への出入口に立って考えているからです。
敷地の状況:既存の現況によって、直ちにゾーンの展開が見付かる場合もあれば、そうでない場合もあります。

そのあとは、想定した容量の「もの」が、どのように分節されるか、つまり、どのような部分に分かれるか、考えることになります。その分かれ方は、当然、「もの」の容量次第です。

このような考え方で作業を進めるかぎり、屋内だとか屋外だとか、あるいは「外構」だとか、を云々する必要はないのです。
なぜなら、敷地内のすべての「白い部分」を考えながら進めているからです。

各地に、見事な、そこを歩くだけで心和む町並が残っています。そういう町並は、一時にできあがったものではありません。また、一つの計画図があったわけでもありません。その町並を構成するそれぞれの建屋の主たちが、異なる時代に異なる人の手で建てた建屋の群、それが心和む町並をつくりだしているのです。
その理由は、各時代の人びとが、おそらく、新しく建物をつくるということは、既存の環境を改変すること、という意識を持ち続けていたからにほかなりません。
町並にかぎらず、個々の建物でも、「心和む」空間を生み出している事例は、多数現存しています。

上に記した「設計作業のすすめかた」は、こういう諸事例の生まれた「背後」を知ることから達した、「もの」の「形」ではなく、「白い部分」すなわち「空間」で考える方策にすぎません。

次回は、「諸事例」で、かつての人びとの「建物づくり」の考え方を具体的に見てみようと思います。そこでようやく「軒の出」の話にたどりつけるはずです。

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余談・・・・「来賓」

2009-07-28 10:17:52 | 専門家のありよう

私も会員になっている「団体」(社団法人)は二つあるが、その「総会」にはかならず県知事、国会議員、県会議員が来賓として呼ばれる。ただ、国会議員、県会議員はあくまでも自民党所属議員。
県議会では自民党議員が絶対多数を、国会議員も小選挙区の大半が自民党、という「お国柄」の地域。
けれども、はじめて会合にでたとき、私の目には、きわめて奇異に映った。
もしも、この「お国柄」に反する事態になったらどうするのだろう?

両団体の広報誌の題字は、県知事揮毫のもの。以前は普通の活字体だったのだが、これも、そのように変ったとき私の目には、奇異・異常に映った。
知事が変るたびに、変るのだろうか。題字の件を進めたのは、そのときの会長、同じ人物。典型的に「利系」の人。
もちろん、私だけではなく、一般の会員の多くは、不愉快に思っている。

最近になって、「お国柄」の「維持」が怪しくなってきた。
それに加えて、県議会の多数派を占める自民党県議と知事の間も怪しくなってきた。
県議たちが新しい知事候補(元、国土交通省事務次官!)を立てたのに対して、現知事も立候補するというのである。

さて、両団体は、どうするのか、私は冷ややかな目で、推移を見守っている。
少しは正気に戻るだろうか?


上の写真は、今朝、晴れ間をみて撮ってきた日ごとに大きくなっている栗の実。
当地は、栗の産地。長野の小布施(おぶせ)の栗も有名だが、聞いたところによると、当地産が、かなり小布施に「輸出」されているとのこと。地元の栗を扱うお菓子屋さんの店先に、小布施の菓子があるのを訝ってきいたところ、そういう返事。


先の「木造住宅読本」の件、原稿は9ブロックに分けて記録保存してあるため、1ブロック25Mを越えるのもあります。
資料送付のご依頼が数件ありましたが、許容容量20Mの方のところに試みに送ってみましたが、ダメでした。
そのような場合、差し支えなければ住所・電話番号をお教えいただければ、MOに記録して、「着払い宅急便」にてお送りします(私はMOの愛用者!)。
よろしくご検討ください。

コメントではなく、下記へ直接連絡いただいても結構です。
tsukuba-ars@titan.ocn.ne.jp

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「建築」は何をつくるのか-2・・・・建物づくりと「造形」

2009-07-25 09:29:14 | 設計法

今はどうなっているのか詳らかではありませんが、私の学生の頃は、「建築計画(学)」が隆盛をきわめ、「その《成果》に基づいた設計」が、最も「科学的」かつ「合理的」な設計である、と信じられていた時代でした。
今売られている住宅、集合住宅を広告などを見てみると、おそらく、今は、その《成果》が、「意味」が問われることもなく、惰性で使われているように思えます。「成れの果て」と言えばよいでしょう。

今でもはっきりと覚えているのは、小学校の設計課題でした。
「教え」に従って小学校内の各所・各室を数え上げ、そこで行なわれることに求められる性質を基に、「各所・各室の《合理的な》並べ方」を考える。当時流行の言葉で言えば「機能図」の作成です(今でもこの言葉は生きているのだろうか?)。

問題はそれから先にありました。
その「機能図」から、どういう「過程」を経れば「建物」の「形」になるのかが分らないのです。
今の私でも、このやりかたでは「設計」はできません。
「機能図」から「形」への「道筋」は、今もって「建築計画(学)」においてはウヤムヤなのではないでしょうか。
それゆえ、やむを得ず、どこかで見たような学校の建物を真似ることになります。

こういう「建築計画(学)的設計」の「不条理」を問題視する一群の人たちもいました。その代表格が今は亡き丹下健三氏でした。簡単に言えば「形から始めよ」という主張でした。両者の間では、建築誌上で活発な「論争」がありました。その内容が意味不明で、論争は何の成果をも生まないものであったことは以前に下記で簡単に触れました。

   註 「実体を建造物に藉り....・・・・何をつくるのか」

この「形 先行」派の考え方も、言ってみれば「不条理」だったのです。「形」を発想する「条理」が分らないからです。


そんなわけで、いったい「建物をどうやって考えたらよいか」考えざるを得なくなりました。
そして気が付いたのは、「ある場所」に、ある「物」を、新たに置く作業、それが建物をつくることだ、という単純な「事実」でした。

「ある場所」に、新たな「物」を置くことで、「ある場所」は一変します。以前の「ある場所」ではなくなるはずです。この単純な「事実」に気が付いたのです。
言い方を変えると、ある「物」をつくるということは、同時に「その物のまわり」をもつくることだ、ということです。
その延長で、「ある場所」を、どのように「一変させるのがよいか」という判断が「設計」なのだ、ということに気付いたのです。

そして、なぜそのような「変化」を「ある場所」に与えようとするのか、それを考えれば「建物をつくるとはどういうことか」「設計するとはどういうことか」が分るのではないか、と考えるようになりました。

たとえば、「ある場所」に私がいるとします。
その私の目の前に、横一文字に「壁」を立てます。その結果、それまで一つであった場所が、「物理的」には「壁」によって二分されます。「壁」の高さがどうであろうと、物理的には、二分されるということ自体は変りありません。

けれども、二分されたそれぞれは、私にとっては「等質」ではなく、「こちら」側と「向こう」側ができたことになります。
しかも、そのとき私は、単に、「こちら」と「向こう」ができた、と認識するだけではありません。私のなかに、ある「感懐」が生じるのです。そこに生まれた「状況」・「雰囲気」がその「感懐」を私に抱かせるのです。

その「感懐」は、たとえば、「壁」の高さによって異なります。
もしも「壁」が高く、「向こう」側が見えなくなったとすると、私は「向こう」側から隔たれた、「向こう」側には、私を受け容れない、拒否しようとする場所がある、と認識する筈です。「ベルリンの壁」がそれです。

この「認識」は、「壁」の高さと私の視線の位置、簡単に言えば目の高さとの関係によって変ってきます。目線より低ければ、「向こう側」は、向こう側ではあっても、必ずしも私を拒否しているわけではない、と認識するでしょう。その「私に対する向こう側の態度」は、「壁の高さ」で微妙に変るのです。
これは、住宅街などで道路わきに並ぶ「塀」を想いうかべて見れば自ずと明らかで、「塀の高さ」は、「塀の内側の人」の「こちら」側に対する「考え方」をも、ものの見事に表すのです。道を歩いていて、気分のいい「塀」と、そうではなく圧倒されて不愉快になる「塀」があることは経験があると思います。TV映像でときおり目にする住宅街の中の暴力団組長の家の「塀」などは、「ベルリンの壁」に匹敵します。

では、ある場所で私の中にうまれる「感懐」は、私だけのもの、私特有のものなのでしょうか。
多くの人は、そのような「感懐」は、あくまでも個人的なもの、人によって異なる。皆が「感懐」は抱くけれども、その内容は「十人十色」だ、と考えます。

私はそうとは考えません。
抱く「感懐」は、数字や言葉で「明確に」指し示すことはできない類いのものですが、人によらず同じだ、と私は考えます。
「十人十色」なのは、皆が同様に抱く「感懐」に対する「反応」が十人十色なのです。つまり、皆が同じに「感懐」を抱いていて、ただそれに対して、ある人は「是」とし、ある人は「非」とし、そしてまたある人は、どうとも思わない・・・と多様な「反応」を示すのです。
このことは、なかなか分りにくいようにも思えますが、そうではありません。
もしも私たちが、ある事象に対面して抱く「感懐」そのものが、人によってまったく異なるとしたら、人の世に「ことば」「言語」は存在し得ないからです。このことについては、別のところで別の例でも書きました(下註)。

   註 「『冬』とは何か・・・・ことば、概念、リアリティ」

   註 わが国の場合は、「見える物」がなくても、そこに「境」を見る
      「結界」という考え方があります。
      多くの神社の「境内」は、「結界」により聖域を区切っています。
      具体的に柵を設けてある伊勢神宮は、むしろ珍しい例です。

これまでは「壁」が横真一文字に私の目の前にある場面を想定していました。
では、「壁」が私の前に「斜め」にあるとしたら、たとえば右に30度ほど回転した位置にあるとしたらどのようなことになるでしょうか。
この場合は、「壁」の高さに関係なく、私たちの視線は、自ずと斜め左奥へともってゆかれ、その方向へと誘われるような気分になります。自然とそちらへ足が向きます。よほどのことでもないかぎり、右の方に「逆レ」の字型に曲がろうとはしません。

   註 城郭の建設では、侵入者をおびき寄せるために、
      この「理屈」を使った例が多く見られます。
      本当の通路・入口は、足の自然と向かわない逆側にあるのですが、
      侵入者は、己の感覚で歩を進めてしまい、「罠」にかかるのです。

      なお、目の見えない方はどうか、というと、
      目の見える人と、同じように感じているようです。
      実際に調べた人によると、目の見える人と同じ方向に
      自然と歩くのを見て驚いた、とのことです。
      ただし、町なかではなく、学校のキャンパスでの話です。
     
これは、「壁」ではなくても同じ。
上掲の図は「落水荘」の「各階平面図」と「配置図」です。
「配置図」で、「橋」の向うには緑で覆われた山塊が崖状に行く手を遮っています。しかし、それは図の上で言うと左上がりになっていますから、人は自ずと「左斜め」の方向に誘われます。

歩を進めると、右手にある緑で覆われた崖状の山塊とともに、ライトが新たに設置した「壁」や「パーゴラ風の平らな屋根」が目に入ります(図では点線で描かれています)。
正確に言うと、それらの「物」を「見ている」のではなく、それらによってつくりだされている「隙間」すなわち「空間を捉えている:感じている」のです。

これらの「物」は、平面図の「黒い部分」です。
平面図とは、対象を「水平面で切った断面図」ですから、本当は右手の山塊も「黒い部分」なのですが、「設計図」では黒く塗りません。新たに「設計した部分」だけを黒く塗ります。
上掲の平面図では、右手にある山塊は上方から見た姿で描写しています。
そして、この「描き込み」は上階の平面図でも描かれます。
この「描き込み」はきわめて重要なことだ、と私は思います。なぜなら、上階での「感じ方」を知るためには必要なことだからです。

   註 現在の設計の多くは、上階へゆくほど「外」の存在を忘れ
      「引き篭もり」になります。
      主階に於いてさえ、「外」のことは忘れている事例が
      あたりまえになっています。

そして、私たちが「感じている隙間・空間」とは、上掲の「平面図」で言えば、平面図の「白い部分」です。
上掲の平面図上で、この「白い部分」を主階から順に見て行くと、私たちが「落水荘」に「在る」と、どのように私たちの中に「感懐」が生まれるか、が分ってきます。
とどまる歩を早めたくなったり、腰をおろしたくなったり、気分が高揚したり、鎮まったり・・・・、その「変遷」が感じられる筈です。
この「変遷」をどのように構築・構成するかが、ライトの考える「設計」なのだと言ってよいでしょう。この点については、「旧・帝国ホテルのポーチ~ロビー」の紹介の際にも触れたと思います(下註)。

   註 「旧帝国ホテル 図面補足・・・・ポーチ~ロビー断面」

おそらく、ライトは、川を渡って「滝」の上流側に「建物」を持ってくることを最初に決めたと思いますが、その決定は同時に「橋」の位置・架ける位置をも含めたものであったと考えられます。
と言うより、たとえば、「橋」と「建物」の間に生まれた川の上の空間をはじめ、元々あった「地形」にライトが新たな「物」を置くことによって生まれるすべての場所も「設計に含まれていた」のです。

このことは、「建物」の位置は図のままにして、「橋」の架かる位置と角度を、図の上でいろいろと動かしてみてください。おそらく、ここしかない、つまり、建物と一体に考えるとここしかない、という結論に達するはずなのです。

長くなるので、一旦ここで締めます。
要は、最初にも書きましたが、
ある「物」をつくるということは、同時に「その物のまわり」をもつくることにほかならない。
別の言い方をすれば、「白い部分」を「黒い部分」で考える、ということになります。
したがって、
「ある場所」を、「どのように一変させることがよいか、許されるか」という問に対する判断・答が「建築の設計」である。


これを、先回触れた言い方で言い直すと、次のようになります。

ある場所に建物をつくるとき、そこには既に「ある表情を持った土地」があり、隣地にはすでに建物が立っていたり、あるいは樹林や川や山が迫っている筈ですが、その存在を無視することが許されるのか、ということです。無視してよい、などという「権限」は、私たちにはないはずではありませんか?

この認識、前提に立つならば、ある場所に建物をつくるとき、既に存在する「物たち」の「存在そのもの」を認め、その上で、それを意識して新たな「物」をそこに加えてゆく、そしてそこに「新たな空間」が生まれる。では、その「新たな空間」は、どのようなものなのか、それを考えればよいことになります。

そして、もしもそのとき、新しい「物」を加えることによって、既存の「物」の存在が貶められたり、無視されたりしたならば、その作業は失敗なのです。新しい建物ができたために、それまでの町並が台無しになる、などというのは、その「典型」です。

このように考えれば、「不条理」は生じない筈だ、と私は考えています。

次回は、住宅を例にして、より具体的に書いてみようと思います。

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雑感・・・・「躍起」

2009-07-22 12:05:41 | 「学」「科学」「研究」のありかた

鬱陶しい天気に逆戻り。話も鬱陶しい話で恐縮。

最近やたらと目に付くのが「長期優良木造住宅の普及」なる名の下で行なわれる各種の講習会・研修会の多さ。
何かやみくもに「普及」に「躍起」になっている、そんな感じがする。

「長期優良住宅」とは、例の「200年住宅」。木造住宅を「長寿命にするための活動」とのこと。
残念ながら、なぜ(戦後の)日本の木造住宅が短命になったか、その理由・原因の分析・解析がなされた、とは聞いたことがない。
それでいて、どうして長寿命化の方策が提言できるのか、不思議きわまりない。

どんな講習・研修がなされるのか、案内の内容を見て驚く。
何のことはない、これまでの木造建築にかかわる(法令の)諸規定の解説が主。何ら目新しいことはない。壁量計算の仕方、壁の均衡配置を確認する四分割法の計算の仕方、仕口の耐力計算法、・・・・等々。
要するに、「木造建築にかかわる現行法令の諸規定普及の講習会・研修会」なのだ。

なぜ、いまさら?
察するに、あちこちで起きている現行法令規定とその考え方への「反旗」に敏感に反応しているのだと思われる。
なぜ「躍起」になるか。
それは、自らの「権益」を護るためだ、ということ以外に理由が見付からない。

現在そういった考え方が存在し得ているのは、それが、法律の名の下で「権威」を持っているからに過ぎない。
法律でなかったら、それら諸規定の非科学的、非論理的な内容は、追求されたらひとたまりもない。

つまるところ、「長期優良木造住宅の普及」なる名の下で行なわれる講習会・研修会は、より法律を「普及」して、諸規定の非科学的な、非論理的な内容の「安泰」を図ろうという活動以外の何ものでもない。
このように「躍起」になるのは、逆に見れば、「危機感」の表れなのかもしれない。


上掲の写真は、気分を明るくしたいので、晴天のときのキアゲハ。花はモントブレチアという洋物。


[註]
なお、200年住宅の前の100年住宅について、茨城県建築士事務所協会でチームをつくり検討会を持ち、
『木造住宅読本:木の住まいをつくる前に・・・・・日本の建物づくりの技術に学ぶ・昔、住まいは丈夫で長持ちだった』
という小冊子をつくった。
内容は、当ブログで書いてきたことがほとんど。

その目的は、日本の木造建築について、巷間の「情報」に惑わされずに、「本当のところ」を知ろう、ということ。対象は、専門家、一般の人(こと木造に関するかぎり、専門家は一般の方々と同じである)。

蛇足ながら「目次」を以下に紹介。

目  次(頁省略。図版込み本文74頁、付録16頁)

はじめに
 1.住まいの基本の形・・・・住まいを何のためにつくるか
 2.木で住まいをつくる

Ⅰ 「木」と「木材」の性質を知っておこう・・・木で建物をつくるために
 1.樹木の成長の仕組み・・・・樹木は生きもの
 2.白太、赤身の違い
 3.木を乾燥するとは、どういうことか・・・・木材の生態
 4.木材の含水率とは
 5.木材の経年変化・・・・老化、風化
 6.木材の問題点・・・・腐朽と虫害、収縮・捩れ・干割れ、耐火性

Ⅱ 木で住まいをどのようにつくってきたか・・・人びとの知恵-1 
 1.竪穴住居・・・・原始的な木造軸組工法の住まい
 2.竪穴住居から掘立柱の軸組工法へ:上屋と下屋・母屋と庇
 3.掘立柱から礎石建ての軸組工法へ
 4.屋根のつくりかた:又首組・合掌造、和小屋・束立組、洋小屋・トラス

Ⅲ 丈夫な木造架構・建物をつくる技術の歴史・・・人びとの知恵-2
  礎石建ての特徴・・・・軸組の形を安定させなければならない
 1.架構の基本形
 2.斗拱(ときょう)と長押(なげし):中国式架構の弱点と対策
 3.二重屋根の発生と新しい架構法:桔木(はねぎ)による小屋組
 4.貫で軸組を縫う・・・・大仏様
 5.住宅的な建物と貫を使う架構法
 6.通し柱による建物の多層化
 7.実用的な多層建築:土台、通し柱、差物を活用した城郭建築
 8.書院造の普及
 9.住宅建築と差物・差鴨居-1
10.住宅建築と差物・差鴨居-2
11.まとめ・・・・一体の立体に組上げるための工夫の歴史

Ⅳ 建物にかかる力に、どのように対応してきたか・・・人びとの知恵-3  
  はじめに
 1.風と建物
 2.地震と建物
  1)地震で生じる力の正体:慣性
  2)礎石建て式建て方(礎石に載せるだけ)の建物と地震
  3)掘立て柱式建て方(基礎・地面に固定)の建物と地震
 3.地震や風への対し方:かつて人びとが考えてきた架構法の基本

Ⅴ 水、光、熱:「住宅設備」と木造のすまい・・・暮しやすさとは何か 
 1.火と水と暮し
 2・空気と暮し

Ⅵ 丈夫で長持ちする住居のために・・・・つくり方と建物の健康管理   

おわりに 建て主と設計者のマナー・・・・心和む町並をつくるために

付  録 現在も使える継手・仕口集・・・付録1~16


事務所協会会員には配布されましたが、余部があるかどうかは分りません。
なお、当方には、そのままプリントアウトすれば製本できる形で原稿が保存されています。
アドレスをご連絡くだされば、添付ファイルでお送りできますが、全部で120MBほどの容量になります。可能容量もご連絡を。それにより、何回かに分けて送ります(容量にもよりますが、3~4回が普通です)。

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「建築」は何をつくるのか-1・・・・「落水荘」を通して

2009-07-21 19:36:24 | 設計法

[註記追加 7月22日 7.48]

いま一般に、「建物」のまわりは「外構」または「庭」と考えるのが普通です。
そして、そのうちの「建物」をつくる、または設計することが「建築」と考えられています。

手元の辞書で、「建築」を引いてみると、次のようにあります。
「①建物や橋を造ること(技術)。②造られた建物。」(新明解国語辞典)
「(architecture)(江戸末期に造った訳語)家屋・ビルなどの建造物を造ること。普請。作事。」(広辞苑)

   註 [註記追加 7月22日 7.48]
      「広辞苑」の説明は、私の承知していることとは異なる。
      明治初期の architecture の訳語は「造家」であって、
      当時の「建築」は、字義どおり build、construct の意であった。
      「architecture=建築」になったのは明治30年(1897年)である。
      伊東忠太の「architecture=建築術」と改称すべきとの主張から
      「術」を取去って生まれたもの。
      同年、「造家学会」も「建築学会」に改称された。
      私は、「建築術」の方が、その後現在に至るまでの用語の混乱を
      生じなかった、と思っている。
      現在、「建築」の語は、architecture と construct、build の
      どちらかに、使う人によって「適宜に」使い分けられている。
      なお、この経緯の詳細は、下記で触れています。
      「日本の『建築』教育・・・・その始まりと現在」

では、「建物」とは何か。
「人が居住・執務・作業したり 文化・娯楽を享受したり ものを貯蔵・飼育したり するなどの目的で建てた物。建築物」(新明解国語辞典)
「建築物。建造物。」(広辞苑)

一般の方々はもちろん、「建築」に係わっている方々の理解も、おそらく、これらと同様だと思われます。

たしかに、「建物」「建造物」は、多くの場合、一つの「形」として目に入ることが多いですから、このような「解釈」がなされるのは当然と言えば当然です。
そして、日本の場合(おそらく西欧でも)、「建物」「建造物」には「屋根」がかかるのが普通です。つまり、「建物は屋根があるもの」ということになります。

しかし、「建物は屋根があるもの」ということと、先の「建物」とは「人が居住・執務・作業したり 分化・娯楽を享受したり ものを貯蔵・飼育したり するなどの目的で建てた物。」という「解釈」が重なってくるとき、「事実にそぐわない解釈」が生じます。一言で言えば「誤解」です。
たとえば、「『住居』『住まい』とは『建物』である」という「解釈」が、当然の如く生まれ、一般にも、あたりまえのこととして通用しています。逆の言い方をすれば、「住居、住まいには屋根があるものだ」という「解釈」があたりまえになるのです。
さらにその延長で、「建物」と「それ以外」という「腑分け」「仕分け」で分ける「考え方」が派生します。

この「住居、住まいについての解釈≒『定義』」は、すべての住居・住まいには適用できないこと、
そして、そもそも、私たちの「視界」を、「建物」と「それ以外」に分けること自体が事実にそぐわない、ということを、中国・西域の農家の住まいを例にして触れました(下記)。

   註 「分解すれば、ものごとが分るのか・・・・中国西域の住居から」 

前置きが長くなりましたが、現在の「常識的な見かた」、すなわち「建物」と「それ以外」で見る見かた、で解釈しようとすると解釈できない例が、この「落水荘」です。
そしてそれは、「建築とは、建物:建造物をつくること」という現在の「常識的な」考え方、建物づくり:設計の考え方をくつがえすに十分な例でもある、と言えるでしょう。

上掲の写真・図は、三段目の「配置図」を除き、先回紹介した書物からの転載です(配置図は作品集から)。

   註 先回紹介した「FALLINGWATER」の著者は、
      落水荘の設計をライトに依頼したカウフマンの子息で、
      設計中、カウフマンとライトの交渉役を担っていたそうです。

最下段の左は、「落水荘」の下を流れるベア・ラン(bear run)からの見上げ(もっとも、撮影のとき以外この場所に行くことはない)、右は川向こうからの南面全景。

さて、「落水荘」の場合、この「建築」を、[「建物」+「それ以外のまわり」]という見かたで理解できるでしょうか?
あるいは、この「建築」を、「滝の上にダイナミックに飛び出す立体造形」である、として理解すれば済むでしょうか?

前者の見かたでの理解はかなり難しい。なぜなら、「落水荘」は、どこまでが「建物」なのか、どこからが「それ以外のまわり」なのか、その「腑分け」が難しい筈だからです。
後者のような理解は、多分、最も先端を行く現代建築家には多いかもしれません。最近の先端を行くとされる「建築」には、そのような巨大立体造形を目指したとしか思えない事例が目立つからです。

いずれの考え方をされても、ライトは呆れるだけだと思います。彼は、そんなことは一つも考えていないからです。

彼は、ベア・ランの場所が好きで、そこにくつろぐ場所を設けたい、というカウフマン夫妻の願いを充たす「空間」の造成に意をそそいだのです。

   註 カウフマン夫妻の居所は、アメリカ・五大湖の南東150kmほどの
      ところにある町ピッツバーグ。
      ベア・ランは、そこから200kmほど離れた山中にある。
      上段の左の写真は1890年のベア・ランの絵葉書。
      ゴルフ場の「表札」がわりの岩石。
      上段右の写真は、「落水荘」建設前のベア・ラン。

多分、カウフマン夫妻は、その「くつろぎの空間」にいて、ベア・ランを橋の上から眺めるような感じを味わえるようになる、とは思ってはいなかったでしょう。
それを、ライトは、当時ヨーロッパで盛んになっていたRCを使えば実現できる、と考えたのだと思います(これは次回以降に触れるつもりですが、そのためにライトは徹底してRCの理屈・原理を学んだと思われます。なぜなら、きわめて筋の通ったRCになっているからです)。

ライトの建物は、その「形」を多くの住宅メーカーが真似ているように、日本人には馴染みやすいようです。
しかし、ライトの「考え方」そのものを理解しているとは、残念ながら言えません。
ある時代以降、建築にかかわる方々は、どうも「形」「形式」を先ず最初に考えるようになったからです。

ところが、ライトの建築:建物をつくるにあたっての「考え方」の根底には、東洋的な思想への共感があったのです。それは、西欧では普通の「二分法」の否定と言えばよいでしょう。

   註 なお、彼は、滝の傍に立つ神社を描いた江戸時代の版画なども
      参考にしたようです。

その「考え方」は、簡単に言えば、ある「物」をつくるとき、その「物」が置かれる場所には、かならず既に他の「物」が存在している、という認識・理解です。
ある場所に建物をつくるとき、そこには既に「ある表情を持った土地」があり、隣地にはすでに建物が立っていたり、あるいは樹林や川や山が迫っているのです。
それらを無視するわけにはゆかない、無視してはならない、と言う考え方です。

この認識、前提に立つならば、ある場所に建物をつくるとき、既に存在する「物たち」の「存在そのもの」を認め、その上で、それを意識して新たな「物」をそこに加えてゆく、そしてそこに今までなかった空間が生まれる、そういう考え方を採らざるを得なくなります。
そしてそのとき、新しい「物」を加えることによって、既存の「物」の存在が貶められたり、無視されたりしたならば、その作業は失敗なのです。
それがライトの考え方の根底にあると言えばよいでしょう。

   註 この至極あたりまえな考え方が(私にとってですが)、
      なぜ現代のわが国の建築にかかわる方々に採られないのか?
      至極簡単な理由があります。
      そんなことしてたら「儲からない」!
      そんなことしてたら自分の「思い通りの建築がつくれない」!
      建築にかかわることの本義がどっかにすっ飛んでいるのです。

実は、わが国の近代以前の建物のつくり方の根底には、ライトとまったく同様の考え方があったのです。むしろ、先駆者は日本にいたのです。
そして、各地に残る心和む町や町並は、その結果生まれたのだ、ということを私たちは知る必要があります。

   註 町並の景観をよくするために、
      材料や色や形について規制すればよい、と考えられがちですが
      それでは心和む町、町並は生まれません。   

では、あらたに加えてゆく「物」は、どのようにして決めるのか。
それは、そのような場所に立つ人の内に湧きあがる「感覚」によると言えばよいと思います。私流に言えば「心象」「心象風景」です。

都会から車ではるばるやってくる。だんだん山の中に入ってくる。風とともに森の匂いにつつまれ、滝の音も聞こえてきた。川を渡り、目の前には緑に埋まった断崖。行く手の左には川から目を隔てる壁。
いったん川から離れ崖に沿って入口に近づく。滝の音も、心なしか小さくなる。
壁の隙間から入口を入ると、突然、低い天井の広い空間の向うに対岸が一望に広がる。滝の音も、ふたたび耳に入ってくる・・・。
こういった「過程」がこま切れではなくスムーズに展開する。
それを形づくっているのは、目に入る「空間」、地面・床から伝わる感覚、広くあいた開口から聞こえてくる滝の水音・・・そういったすべての感覚を統合して心の内に湧いてくる感懐、「心象」なのです。

これは、近世の人たちがつくった建物づくりの考え方(「孤篷庵」や「妙喜庵・待庵」などはその典型、下記参照)とまったく同じと言ってよいでしょう。

   註 「日本の建築技術の展開‐16・・・・心象風景の造成-1」~-その6
      「日本の建築技術の展開‐19・・・・心象風景の造成・4:孤篷庵」~6 

ライトが「落水荘」の設計で最初に行なったことは、現地の測量でした。二段目の図はその成果の「測量図」の一部です。
「測量図」は、先の「心象風景を造成する」にあたっての、基礎資料だからです(これを基に、地形模型をつくったのかもしれません)。
上掲の測量図を右30度ほど回転させると、配置図の向きとそろいます。

おそらくライト(の心の目)に見えているのは、手で触れることのできる「物」をセットすることで生まれる「手で触れることのできない空間」であり、そこにいる人に生まれる感懐:「心象」だろうと思います。「心象」もまた、目には見えません。

私は、学生の頃、建物の形を決める方策が分らず悩んだ時期があります。
その救いになったのが、ライトの考え方であり、アアルトの考え方、設計事例でした。
いつであったか紹介した「旧帝国ホテル」のロビーも、形や表現方法はまったく「落水荘」とは異なりますが、「考え方」は同じと考えられます。
この「考え方」を「学ぶ」には、図面に「空間」を読み、そこに自分を立たせること以外にないように思っています。

長くなったので、とりあえず今回はここまでにして、次回、もう少し詳しく「建築とは何をつくる」ことか、「設計」とは何か、そして、「軒の出はどうやって決めたらよいか」・・・私の考えを書きたいと思います。

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暑中お見舞い・・・・落水荘

2009-07-18 16:50:06 | 住まいの構え方

[文言追加 17.56]

暑苦しい日が続いているので、涼しげな画像を載せます。
“FALLING WATER”(abbeville 1986年刊)掲載の写真のいくつかです。ほぼ原版のままです。

F・Lライトが設計して、1935年に発表されたFALLING WATER、日本では「落水荘」として知られています。そのとき、F・Lライト69歳。

当時、西欧で建物づくりの世界で脚光を浴びていたRCに拠る建物です。

この設計からは、「建築」とは何をする仕事か、そして、その仕事の遂行にあたって「技術」はいかなる意味を持つか、この点についてのF・Lライトの考え方:思想を読み取ることができるように思っています。
そして、そのいずれにも、私は賛意を表したいと思っています。
なぜなら、私たちの日ごろの「感覚」に「忠実」で、論理的に筋が通った考え方に思えるからです。

私の「建築」や「設計」についての考え方に影響を与えたのは、A・アアルトとF・Lライトでした。私にとって、しっくりくる考え方に思えたからです。
その考え方は、「心象風景の造成」に意をそそぐわが国近世の「空間づくり」にかかわった人や工人たちに共通するところがある、と私は思っています。

そこで、ここ数回、「落水荘」を事例に、「建築」とは何をする仕事か、そして、その仕事の遂行にあたって、「技術」はいかなる意味を持つか、考えてみたいと思います。
多分、「建築」とは何をする仕事か、について触れるとき、「軒の出は、どうやって決めるのですか」という問に対する幾分かのお答えができるのではないか、と考えています。[文言追加 17.56]

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 続・RC造とは何か・・・・窓のつくりかた

2009-07-16 11:32:04 | RC造

昨日、竣工後26年経つ建物を久しぶりに訪れた。
RC壁式構造:壁だけでつくる:の「心身障害者更生施設」(この名称は、役所用語)である(下段の写真は、建物の玄関まわり)。一部二階建て。改修と増築をすることになったための下見。

屋根は寄棟型をRCのスラブでつくり、要所にRCのリブ:補強梁を入れた構造。逆さにすれば、いわばRC製の舟。スラブ厚は10cm(設計ではそれ以下だったが、打設のことを考え、重くなることは承知の上で、10cmにした記憶がある)。
この逆舟型に直接アスファルトシングルを葺いてあるが、これまで、雨漏りはまったくない。

上の写真は、この建物でつくった窓のいくつか。
左2枚は、基礎から屋根スラブまで、上から下まで全面を開口にして、腰壁をコンクリートブロックで積み、天井~屋根スラブまでは「小壁」をつくって所定の開口をつくっている。

右は、浴室の窓。面積の制約で(註参照)、壁際まで目いっぱい使うため、やむを得ず、通常のRCの壁に窓を開ける方式を採った。
当然開口補強筋を入れてあるが、ものの見事に、と言うより、「RC壁に孔をあけると、こうなりますよ」という見本のような亀裂が入っている。

左の2枚のような方式がすぐれていることが歴然と分る。

なお、RC面とブロック面には塗装をかけてあるが、塗装は当初のままである。

この建物では、写真を撮らなかったが、RCの厚10cmの枠を四周にまわした出窓をつくった場所もあるが、これもまったく亀裂は生じていなかった。土蔵の窓の額縁と同じ効能である。


この「施設」は、いわゆる「心身障害者」をかかえる父母が集まり、基金を自らつくり、東京都の助成を受けて設立した建物。
そのため、乏しい資金でつくらざるを得ず、ぎりぎりの面積になった。
そして今、居住者の高齢化がすすみ(開設当初は10代~20代が中心だった)、それへの対策をも含め、30周年の記念事業として、改修・増築で質の向上を目指している。

例の「構造改革」路線、簡単に言えば、「何となく抗いがたい響き」を持つ「自己責任」という「御旗」の下に、「金にならない」ことからは手を引く、という国の方針全盛の中で、このような施設の運営・維持は年を追うごとに厳しさが増しているという。

そのあたりの「役所」「役人」の「したたかさ」は、大変見事なものだそうである。
「一旦決まったこと」(自立支援法、後期高齢者医療制度・・・など)の非が指摘されると、納得した、改める、とは口では言っても、決して文章にしないそうである。証拠を残したくない、つまり「自己責任」をとりたくないらしい。

あるいは、「一旦決まったこと」はそのままにして、それに追加して改めたふりをする。
つまり、元を正さず姑息な方策を加え、積み重ねるのだそうである。
その結果、本当は簡単なことも複雑になる。役所独特の手続きが増え、そして役人の仕事は増え、仕事場所も増え・・・、その一方で「施策」のなかみは劣悪化する。
それに加えて、こういう「役所」「役人」に「錦の御旗」を授ける役をすすんで担っている「御用学者」の存在も見逃してはならないようだ。

建築の場面で起きていること、進んでいることとまったく同じなのには「感嘆」した。
この国は、いったい何処へ行こうというのだろうか?

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組積造・土塗大壁の開口部-2の補足

2009-07-14 12:42:46 | RC造

先回、茶室の「下地窓」の四隅の納め方(四隅を丸める)について触れたので、その一例として「妙喜庵・待庵」の外観写真を載せます。

また、近江八幡・「西川家・土蔵」の開口部周辺の図も載せます。

なお、妙喜庵・待庵は、以前、下記で図面等を紹介させていただいています。

「日本の建築技術の展開-18」
「日本の建築技術の展開-18の補足・2」

一般に、下地窓の角の丸みは、単に《意匠》と見られていますが、それは、土塗り壁を傷めずに(亀裂を生じさせずに)恰好のよい窓をつくるための発案である、と理解する必要があります。
たしかに「穏やかで気張らない」形になりますが、そのことだけを考えてつくられた、と見てしまうのは間違いのように私には思えます。

なぜなら、「かきっとしてぴんと気の張った」ような形が好ましいからと言って、角がピン角の下地窓をつくるわけにはゆかないからです。そういう場合は、木枠で開口・窓をつくるはずです。

つまり、「使う材料との相談で、自分の意図する形をつくる」、これが「意匠」「デザイン」の語の本来の意味だ、と私は考えています。
最近、「使う材料との相談」なしの設計?デザイン?意匠?が増えているような気がします。

なお、「自分の意図」を決める「手順」については、「軒の出の決め方」を書くときに触れることになると思います(建物を設計する、ということは、単なる「個人の造形あそび」ではない、と私は考えています)。


「西川家・土蔵」についても下記に詳細を載せました。土蔵の土壁の詳細も載せてあります。
「旧西川家修理工事報告書」には、土蔵の土壁の施工手順の詳細な説明がありますが(下記記事中の小舞掻きの解説図は、その一部です)、長いので省略しています。
ご希望があれば、専用に編集しなおして転載します。

「地震と土蔵・・・・近江八幡・旧西川家の土蔵の詳細」

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組積造・土塗大壁の開口部-2

2009-07-13 12:16:55 | RC造

[文言訂正 16.05、16.16]

写真①は「日本の民家 7 町家Ⅲ」、②~⑥は「日本の民家 6 町家Ⅱ」から、⑦は「原色 日本の美術12」から、⑧は「重要文化財 旧西川家修理工事報告書」からの転載・編集。

 ① 倉敷・大橋家
 ② 京都・川北家
 ③ 奈良今井町・高木家
 ④ 奈良今井町・米谷家
 ⑤ 奈良今井町・中橋家
 ⑥ 奈良今井町・河合家
 ⑦ 姫路・姫路城
 ⑧ 近江八幡・西川家土蔵

①は、倉敷の代表的な商家。表門を入って望む正面。
2階の開口は、土蔵造の壁面に、木枠で開口部をつくり、壁下部の下屋廂との取合い部は、本瓦葺きの面戸の漆喰を高めにつくりだし、その上に台輪を流して羽目板で納めている。山陽地域の吹き降りの雨の跳ね返りに対しては、土塗り漆喰よりも、数等すぐれている。
よく見ると、上枠の肩の部分から斜め上方にヒビが入っている。
ただ、上枠を、左右の縦枠に載せかけ縦枠よりも左右に伸ばしているため(「角柄(つのがら)」を出す、と呼ぶ)、ヒビの程度は小さくて済んでいる。

これを、「角柄」なしで納めたり、「留(とめ)」納め(上枠と縦枠を、互いに斜めに切って接合する方法)で角を直角に納めると(最近の建物に多い納まり)、角の部分から大きな亀裂が入りやすい。
日本の建物の「枠まわり」で「角柄」納めが多いのは、塗り壁仕様が多く、枠の角からの塗り壁面のヒビ割れを気にしたための工夫と考えられる。
「茶室」の薄い壁で、枠まわりからのヒビ割れが少ないのも、枠に多用される「角柄」の効果が大きいようだ。

②~⑥は、町家の2階に多い「むしこ窓」。形が「虫籠(むしこ)」に似ていることから付けられた名称と言われている。
しかし、②③④と、⑥とでは手法がちがう。
ともに、開口内が格子状であることはかわりない。
②③④では、開口の四隅が斜めに切られたり、丸められているのに対して、⑥では太めの矩形の枠をつくりだして開口部を囲んでいる。

②③④は、簡単に言えば、「直角の四隅をつくらない方法」である。
こうすることで、開口の上下左右の壁を、力がスムーズに伝わるのである。
角が直角だと、伝達に断絶が生まれ、亀裂の原因になる。
おそらくこれも、現場で体得・会得した「知恵」「技術」。

なお、茶室に多く見られる「下地窓(小舞を残したままの窓)」でも、四隅が丸められているが、これも同じ「理屈」と考えられる。

これを単に、「いわゆるデザイン、意匠」つまり「格好よさ」を考えたものだ、と見てしまうのは間違いであり、もちろん、「意匠」だと言って形だけ真似るのも無意味である、と私は思う。
むしろ、これこそ本来の「デザインの概念」を具現化した例だと言ってよい。

   註 航空機の窓の形が、円形に近くなっているのも同じ理屈である。
      航空機の窓を矩形にしようとすると、
      矩形骨組をがっしりとつくることになり、重量が増えるだろう。
      金属板製の鉄道車両の窓も、現在は角を丸くするのが普通だが、
      これも同じ理由である。
      鋼製車両でも、初期には、木造車両の仕様をそっくり真似して
      「窓台」「方立」を鉄板でつくり、四隅が直角の窓だった。

      この「面の理屈」は、「力学」の計算をしなくても、
      薄いボール紙に孔をあけて力を加えてみるだけでも理解できる。

      残念ながら、今の多くの「建築家」は、
      「理屈のない形」、「筋の通らない形」をつくりたがる。
      今の多くの「建築家」には、航空機の設計はできない。

⑤はかなり厚い壁で矩形の開口の中に太めの格子を立てる方法。当然、格子には木材で芯がつくられていると見てよい。それが力を主に負担し、くるんでいる土塗り壁に亀裂を生まない理由と思われる。

もう一つ②③④⑤で注意してみる必要があるのは、「格子」の納め方。
「格子」は、まわりの壁面より一段引っ込めて納めている。
もしも壁面と同面だとどうなるか。おそらく、「格子」の根元まわりにヒビが生じるだろう。その場合、壁からの力が「格子」の面に影響を及ぼすからだ。
簡単に言えば、一つの面に孔があいた形になる、ということ。
「格子」を一段引っ込めることで、壁といわば縁が切られ、「壁」が主、「格子」は従、という形になる。

おそらくこれも、現場で体得・会得した「知恵」「技術」だろう。
要するに、左官屋さんは「だてに壁を塗っているのではない」ということ。
こういう「知恵」「技術」は、決して机上では生まれない。

   註 木造の格子でも、格子は枠より内側に納めるのが常道。
      それに倣った、という見かたもできるが、そうであったとしても
      その「利点」は、塗り壁の現場で体得されたにちがいない。

⑥は、矩形の開口にするために四周に頑強な土塗の額縁をつくる方法で、先回の土蔵で見たのと同じ。
とりわけ⑥は、土塗りの特性を熟知したきわめて手の込んだ仕事である。ここまですれば亀裂の心配は無用だろう。

⑦⑧は、土塗り大壁に孔を開けただけの開口。
開口の四周は、外に向かって傾斜がついている(⑧の場合は、階段状)。
開口が矩形でありながら、四隅には亀裂が見られない。
それは、⑧の場合は、開口の大きさが相対的に小さいことが理由の一つと考えられるが、⑦の姫路城の例は、開口は小さいとは言えない。

ことによると、四周を斜面にしてあることが効いているのかとも思うが、はっきりしたことは分らない。
ご存知の方、ご教示を。


今回の「話題」は、RCの亀裂の話から始まったのだが、RCが日本に紹介されてからほぼ100年、それなりに「技術の進歩」はあったのだろうが、はたして、RC「本来の原理」は全うされているのだろうか、疑問に思えてきた。

と言うのも、先に紹介の「鉄筋信仰」などは序の口、これでいいのだろうか、と思うようなRCの建物が多いように見えるからだ。
1900年代初めのころの「筋の通った」つくり、戦後当初、各地での試行錯誤を繰り返しながらつくられた「筋を通した」つくり、そういうRCの建物が少なくなった、むしろ、無くなった、のが事実ではないだろうか。
そこには何ら「蓄積」が見当たらないように私には感じられる。

木造建築の場合と同じく、「法令の指示・規定」通りにしていれば、RCは設計できる、あるいは、「それが設計だ」、と思われているのかもしれない。

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組積造・土塗大壁の開口部-1

2009-07-11 10:57:50 | RC造

[註記追加 7月11日 20.16][註記追加 7月13日 15.58]

写真①~④は、いずれも会津・喜多方の建物。
写真の①は、喜多方の最も古い「煉瓦蔵」の一つ、「煉瓦組積造」の蔵。

②は、「煉瓦蔵」より前からある土塗り大壁で軸組をくるむつくり「蔵造り」の腰の部分に煉瓦を張った建物。
③④は代表的な土壁塗り篭めの「蔵造り」。ともに、腰には、土壁の上に「雪除け」を設けている。

⑤は、遠野へ向う途中で見た土蔵造り。

①は、西欧でも見られる「組積造の開口部」の典型的・基本的なつくりかた。
開口の上部の重さをなるべくスムーズに開口の両側の壁に伝えるため一般に、「組積造」の開口部は、原則として「縦長」:「幅」≦「高さ」:につくる。

①aの開口の、上は2階の小窓で、幅が450mm程度。「まぐさ」を役物の煉瓦を「矢筈」形(左右対称)に積むことで上部の重さを両側に逃がしている。

   註 [註記追加 7月11日 20.16]
      2階窓下が若干白っぽく見えるのは、2階窓の敷居部からの
      雨だれによるもの。
      敷居部に「水切」(皿板)を設けると避けられる。

   註 [註記追加 7月13日 15.58]
      1階の腰まわりの煉瓦の破損は、降雪の凍結によるもの。
      これは、普通の煉瓦が多孔質:吸水性があるために生じる。
      この解消のために煉瓦や瓦に釉薬(灰汁)をかけるようになり、
      喜多方独特の色彩の瓦・煉瓦が生まれた。
      写真②の腰の煉瓦が釉薬をかけたもの。
      なお、山陰地方では、瓦の凍結防止のため、
      当初、焼成時に塩を加え、表面にガラス質の膜をつくる方法が
      採られていた(「塩焼」)。

開口幅が広くなる1階の出入口まわり(幅約1m)や、①bの窓では、「まぐさ」にアーチが使われる。2階の窓の幅は約90cm。
①bの1階の窓の「まぐさ」のアーチが煉瓦2段になっているのは、上からの重さが2階よりも大きいからである。なお、1階の窓の幅が狭くなっているが、これは、改造によるもので、元は2階と同じ幅。

また、2階の開口の窓台にあたる部分で、開口幅より煉瓦半枚ほど広く煉瓦「小端積」にしているのは、両側の壁を伝わってきた重さを開口部下の壁(腰壁)に伝えるためで、これも「煉瓦組積造」の常套的な方策と言ってよい。

もっとも、常套的な方策とは言っても、先導者から教わらなくても、これらは実際に煉瓦を積む作業を通じて会得できる方策である。
なぜなら、煉瓦を積む作業を通じて、力がどのように働くか、実感として、あるいは体感として、感じられるからである。
別の言い方をすれば、人に教えられなくても、あるいは、「力学」の学習をしなくても、会得できるということ。

このことは、木造軸組を土壁で塗り篭める「蔵造り」の場合も同じで、下手に開口を開けると四隅にヒビが入ること、そして、そうならないためにはどうしたらよいか、その方策を、実際の作業を通じて会得したものと思われる。
なぜなら、各地の土蔵で、同じような方策が採られている、つまり、方策の「原理」は共通だからである(とかく、どこかに「先進」地域があって、それが「後進」地域に伝播してゆくという考え方が採られることが多いが、私はそのような安易な考え方:ルーツ論?は採らない)。

②は「土蔵」あるいは「蔵造り」で最もよく見られる例で、開口の四周に土塗りでつくった「額縁」をまわす方法。
この例の場合は、おそらく、竹小舞で「芯」をつくり土を塗り篭めたつくりだろう。
一般に土塗り篭めの開口でも、「幅」≦「高さ」とするのが普通だが、この例の2階の窓では、幅の方が広い。
これは、開口の上部の土で塗り篭めた「まぐさ」を、軸組横材「妻梁」に被せてつくっているからだと思われる。
このつくりで一番気になるのは、上下の開口の間の部分。これもおそらく、2階床梁位置に1階の窓の「まぐさ」を設けてあると考えられる。
見た限りでは四隅に大きな亀裂は見られない。

このことは、土壁で塗り篭める「蔵造り」では、開口を軸組に添わせてつくるのが原則、ということを示している。
もっとも、木造軸組工法の壁は基本的に真壁であり、開口は軸組に添ってつくるのが普通。それを土壁で塗り篭めるのだから、そのようになるのがあたりまえといえばあたりまえではある。

③と④は、「額縁」の下地を木材で組み、それを土で塗り篭める方法と考えられる。開口は梁・桁位置まで開けられ、開口の両側には「柱」がある。
つまり、「柱」と「梁・桁」、そして柱間に渡された「窓台」(「差物」になっているかもしれない)によって囲まれた全面が開口。「額縁」の芯になる「木部」は、それらに取付けられ、それを土で塗り篭めている。したがって、開口とまわりの壁の間には亀裂が入りにくい。
ただ、よく見ると、③では、開口「まぐさ」の塗り篭め部と「けらば」(これも塗り篭め)とが最も近づく箇所にヒビが入っているのが分る。「まぐさ」が「けらば」に接すると、「けらば」の方にヒビが入る場合が多いが、②では入っていないようである。「塗り篭め」の場合、妻面の開口は難しいようだ。その点では④の方が無難。

   註 この点について、以前、下記でも触れた
     「『煉瓦の活用』と『木ずり下地の漆喰大壁』」        

⑤は、大壁でなくても、壁を塗る場合にはしてはならない例である。
壁面に、このような段差:大きく変化する場所を設けると、かならず亀裂が生じる。塗り篭めの壁の場合、壁面は「整形」にまとめるのがよく、このような段差が生じる形になる場合は、「見切り」を設け、「整形+整形」の形にするしかないようである。
もちろん、真壁でも同様で、不整形の箇所ではかならずヒビが入るから、真壁で窓枠をつくる場合にも、不整形の壁が生じないように(残らないように)方立や敷居・鴨居の設置に注意が必要である。

実は、「組積造」や「土塗り篭め大壁」で苦労する箇所は、RCに共通すると言ってよい。
逆に言えば、「組積造」や「土塗り篭め大壁」の方策は、RCにも応用可能だ、ということ。
ところが、RCはこれらとはまったく異なる工法だ、という「理解」が先行しているように思える。その「根底」にあるのが「鉄筋信仰」。
先日紹介した亀裂の入った「布基礎」、「なぜそうしたのか」という質問に対して、「鉄筋が通っている方が強いと考えた」という答があったそうである。ヒビより鉄筋、というわけらしい。これなど、まさに「鉄筋信仰」。

ものごと、やはり、「基本が大事」、「原理・原則が大事」と私は思う。

次回には、土塗り篭めの額縁なしの開口の例をいくつか。ただ、今回は自前の写真。次回は、いろいろの書物からの転載。

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「軒の出はどうやって決める?」

2009-07-08 08:38:15 | 設計法

[図版更改 7月14日 15.46]

質問ですが、軒の出はどうやって決めるのでしょうか」というコメントがありました。
お答え、というより私の考え方を簡単に書いてみましたが、当然説明不足です(「コメント」の kitaoka さんのコメントと筆者の回答をご覧ください)。

そこで、それについては、図版などの資料もつくって、私の考えを別途あらためて書かせていただくことにします。
少々時間をください。


上の写真は、いま林の緑の中でひときわ目立って咲いている「合歓の木(ネムノキ)」の花です。雲がたなびくように横に扁平に広がる枝ぶりが特徴です。マメ科だそうです。

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RC造とは何か・・・・開口部の亀裂から考える

2009-07-07 09:47:55 | RC造

日本の木造技術について書いている間、常に一定のアクセスがあったのは、「RCの意味」「旧帝国ホテルのロビー」そして「旧丸山変電所のトラス」「登米小学校トラス」の記事だった。

そんな折、ある人から相談があった。それはRCの亀裂についてのもの。

上掲の図は、その人が頼んだある住宅メーカーの「木造の住宅」の基礎の概略図。
ベタ基礎で、図のような位置に、コンクリートの打設時に、既製の合成樹脂製の「換気口ユニット」が打込んである。形枠は鋼製。
ところが、形枠をはずしたところ、赤線の位置に亀裂が入っていた、というのである。
基礎幅は、なぜか分らないが165mmもある。
「換気口ユニット」の上にあたる部分は、高さは大体120~130mm程度。その部分には、16Φの異型鉄筋が1本流されている。

写真で見ただけだが、亀裂幅は大きく、全周どころか完全に中まで入っている様子。
その部分は、コンクリートは左右とは縁が切れていて、鉄筋だけでつながっているのである。あたかも鉄筋を芯にしたアイスキャンディのような姿。力を入れて回せば回転するだろう、そういう状態。
注文者が心配するのも無理はない。

これは、通常RCの壁に開けられた開口部の四隅に生じる斜めの亀裂とは違う。
開口上部の「まぐさ」にあたる部分の高さ寸法が小さすぎて、自重に耐えかねて下がりかかったような亀裂。コンクリートの固まるときの収縮がまともに影響しているのかもしれない。
コンクリートの表面には、大きな気泡の跡がたくさんあるから、水の多いコンクリートを使い、しかもよく突き固めていない証拠。

当然、注文者は、これで大丈夫なのか、と質問をする。
その答は、「うちの現場では、どこでも亀裂が入る。強度上は大丈夫だ」というもの。
そこで心配になり、相談に来たというわけである。

強度の上では問題がないのは確かである。換気口の上の部分がなくても基礎の強度には特に問題はないからである。
問題は、亀裂からの水の侵入。かならず入る。水が入れば鉄筋は間違いなく錆びる。

ここでいくつかの疑問が湧いてくる。
なぜ、換気口をこのような位置に設置するのか。
なぜ、どこでも亀裂が入っている、と言って平気でいられるのか。
換気口の位置の件は、直接訊ねてみないと分らない。
しかし、「亀裂が入るのがあたりまえ」であるかのような応対、これは甚だ問題である。

この住宅の現場は茨城県。
今から30年余り前、つまり1970年代、茨城県下では、RC造に習熟した職人さんはきわめて少なかった。習熟している方々は、東京に行ってしまうからである。
そのため、茨城県下のRC造の仕事は、いわば不慣れな人たちがこなす状態だった。
しかし、その方が結果は良好であった。「基本を疎かにしない」からである。

それより10年ほど前に、青森県での仕事があった。1965年ごろのこと。
青森県でRCの建築工事というのは、当時そんなに多くはなかった。土木ではあたりまえのRCが、建築ではまだ少なかったのである。
現場主任は土木畑の人。RCに詳しく、いろいろ教わった。そこでも、基本に忠実だった。だから、いい仕事になった。

それから僅か3・40年。
仕事に「慣れる」「慣れてしまう」というのは、「基本を忘れてしまう」ということらしい。RCとは、本来、どのような工法であったか、ということを忘れてしまうのだ。これについては、大分前に書いた(下記)。

   註 「コンクリートは流体である」
      「RC:reinforced concrete の意味を考える-1」~「同-3」

RCにとって、平滑な面の真ん中に開口:孔を開けることは、きわめて注意が必要である。それが念頭にあったならば、上掲の図のような開口を設けるようなことはしない。

原理的に言って、コンクリート造は「組積造」である。
「煉瓦」や「石」だと、その理屈は直ちに分るのだが、「コンクリート」になると、積んであるようには見えないために、そのことが忘れられる。

「組積造」で壁に開口をあけるとき、開口の上部に「まぐさ」を据えて壁を積んでゆくか、あるいは上部に「アーチ」を設けて積んでゆくのが普通の方法。そうしないと上の部分は下に落ちてしまう。要するに、開口上部の壁の重さを、開口の左右の壁に伝えるような策を採らなければならない。コンクリートも同じなのだ。

けれども、鉄筋で補強されると、つまりRC造になると、この事実が忘れられる。
RCのRは reinforced の略、その意味は「補強する」ということ。
RCの平面の壁に開口を開けるとき、四隅に補強筋を入れるのが「常識」になっている。これは、それによって、開口上部は落下することなく維持される(だろう)、といういわば机上の考え方。鉄筋で補強すれば「組積造」の性格がなくなる、と考えられてしまうらしい。

しかし、そのようなことはない。
鉄筋で補強しようが、「基本的な性格」は変らないのである。

上掲の図の例でも、開口の下側には補強筋が入っている、しかし、上側には、入れようにも入れられない。だから、横筋だけ。おそらく、埋め込まれた既製品の合成樹脂製の換気口も、上のコンクリートの支えにはなっていないと思われる。

現実には、補強筋を入れたところで、四隅に斜めの亀裂がかならず入る。入っていない例は見たことがない。
「基本に忠実」なら、つまり、亀裂の入る事例を数多く見たならば、むしろ、「補強筋は役に立たない」と結論付けるのがあたりまえだろう。補強筋を入れることで解決される、とは考えない、ということである。
つまり、RCは基本的に「組積造」であることを念頭におくならば、上掲の図のような場所をつくることはしない。

その目で見てみると、西欧の初期のRC造の開口部には、「組積造」の「伝統」が継承されているように思える。
簡単に言えば、四隅に斜めの亀裂が入るようなつくりにはしていない。コンクリートの性質に素直に対応し、鉄筋に信頼を置くようなことはしていないように見える。

   註 RC造で壁に開口を設けるとき、
      その箇所は下がり壁も腰壁も設けず、つまり全面を開口にして、
      下がり壁、腰壁とも、別途に設ける方法を採ると、
      亀裂の発生の心配はしなくても済む。
      これが「組積造」で開口部をつくるときの方法。
      実際、今から25年ほど前にこの方法を採ったRC壁構造の建物では、
      亀裂はどこにも生じていない(近く訪れるので写真を撮る予定)。

RC造は、打設時には「流体」、固まれば、基本的には「組積造」である、という「事実」を、あらためて認識する必要があるように思う。


ところで、上掲の写真は、コルビュジエのサヴォワ邸。1929~31年にかけてつくられた。
上は1970年ごろの撮影(「GA」から転載)、下は上の写真の内側にあたり、竣工時点の写真(「コルビュジエ作品集」から転載)。

上の写真には赤い丸を付けたところに、亀裂らしきものが見える。しかし、通常の亀裂のような斜めではなく、水平と垂直方向に入っている。
つまり、これはRC造の壁の開口部につきものの亀裂ではない。
この部分は、RC造ではないのである。
下の写真のように、柱と柱の間には、開口部の上下に梁が架けられ、その間にブロックを積み、左官仕上げで平滑な面に仕上げてある。
その結果、RCとブロックの境に、当然のように、亀裂が発生したのである。

コルビュジエがなぜこのような工法を採ったのかはよく分らないが、想像するに、すべてをRCにした場合の「重さ」を考えたのではないだろうか。ブロックなら軽くなるからだ。そのかわり、接続部に亀裂が生じる。


では、日本の土蔵造の開口部は、どうなっているだろうか。
厚く土を塗る壁(場合によると20~30cmの厚さになる)というのは、いわばコンクリートのようなもの。
その「土壁」の開口部では、亀裂の発生にどのように対処しているだろうか?
次回、それを見てみたいと思う。

そして、その次あたりには、F.L.ライトがヨーロッパのRC造に触発されて設計した「落水荘」の、施工工程を解説した書物があるので紹介しようと思っている。RC造の特徴・得失がよく分るからである。

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2009-07-05 11:17:13 | 居住環境

この花を見たことのある方は少ないのではないかと思います。

ほんとは一面に咲くのですが、その時期、撮りそこないました。
一面に咲くころ、早朝、あっという間に、摘み取られてしまうのです。

これは「煙草(たばこ)」の花です。
「煙草」は、南米原産のナス科の一年草だそうです。
花は「葉」の成育にとっては不都合のため、摘んでしまうのです(「芯止め」というようです)。
下の写真に、花が切られた跡がたくさん見えます。これが煙草の畑です。

この花は、少し遅れて咲いたのです。
蕾がいっぱいあり、全部咲くときれいなのですが、その前に摘み取られてしまいます。
昨日の夕方、明日の朝はもう少し咲いているだろう、と思って撮らずにいたのですが、
今朝行ってみたら、摘まれていました。

これは、今朝になってようやく一輪咲いた咲き遅れの花です。
まだ完全に咲いた状態ではありません。
またすぐに摘み取られてしまうでしょうから、今日は急いで撮りました。

このあたりは、「煙草農家」が、多分昔は「桑畑」だったと思われる畑で広く栽培していました。
けれども、世の中の「煙草ばなれ」が進んだせいか、今年あたりから、栽培面積が一気に減り、今度は「落花生」が主役になっています。
「落花生」も今が花どきです。

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アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下

2009-07-01 18:29:12 | 建物づくり一般

[註記追加 7月2日 11.53][註記追加 7月2日 22.01]

上の写真は、私の住まいの床下。正確に言うとベランダ下。
ベランダには、先端:写真の束柱の位置:から右手に1尺5寸ほどまで軒が被っている。
写真は、先ほど、雨が上がってすぐに撮ったもの。

屋根には雨どいを設けていないから、地面に直に雨だれが落ちる。この部分には「雨落ち溝」がないので、落ちた雨水は、写真のように、束柱の位置あたりまで浸みてくる。写真では、地面の色が変って写っている。

しかし、そこから先、床下の奥へは水は浸みてこない。雨が降り続いても、ひどい土砂降りのときでも、これはほとんど変りない。
その証拠が、一面の噴火口。アリヂゴクの巣である。雨の最中でも、エサになる虫が通るのを待ち受けている。床下と外の境のあたりを虫がよく通るからである。
だから、床下の奥に行くとアリヂゴクの巣も少なくなる。アリヂゴクは、ウスバカゲロウの幼虫。
画面が小さいので見えないかもしれないが、礎石のすぐ左側の噴火口の上に見える黒っぽい点は、食べられたあと放り出された虫の殻である。


一般に、床下は湿気ると言われている。
たとえば、「住宅金融支援機構(以前の「住宅金融公庫」)」の「木造住宅工事仕様書」には、「床下は、地面からの湿気の蒸発等により湿気がたまりやすい・・・」と解説があり、「ベタ基礎」以外の場合は「防湿用のコンクリートの打設」または「防湿フィルムの敷詰め」とすることを求めている。

この解説にある「床下の湿気理論」について、かねてから私は疑問を抱いている。
いったい、「床下の地面からの湿気の蒸発」というけれども、そもそもその「湿気」はどこから地面に来るのだろうか。
普通の土地であれば、「雨がかからない場所」「水が外から流れ込まない場所」の地面は、水分:湿気がなくなり乾燥するのがあたりまえ。「水源」が断たれるのだから当然である。

「雨もかからず、水も流れ込まない」のに地面が湿気るとすれば、それは、そこで水が湧いていたりする場合に限られる。

たとえば、水田を埋め立てる。
水田というのは、もともと水のたまりやすい場所につくられる。多くの場合、地下水位が高い。言ってみれば、少し掘れば水が出る。そういう場所は、埋め立てて地表は水田ではなくなっても、地下はまったく変っていない。
そのため、こういう場所は、いまのような季節、つまり梅雨時などに、霧が発生しやすい。
筑波研究学園都市のなかを車で走っていると、早朝や夜、突然霧の中に入ってしまうことがあるが、たいていそこは池や水田を埋め立てた場所。
地面が水温に近くなっていて、そのため、あたりの空気も冷える。しかもあたりの空気には湿気が多い。そして霧が発生する。

では、普通の土地で、床下をコンクリートを打設したりフィルムを敷き詰めると、どのような事態が起きるだろうか。
床下の地面は、陽が当らないから、その温度は屋外の地面よりは低い。コンクリートやフィルムの表面温度も、地面の温度と同じになっているはず。
そこへ、床下の地表温度よりも暖かい湿気た空気が入り込むと、どうなるか。コンクリートやフィルムの表面に結露するのである。
夏の朝、雨も降らなかったのに、舗装道路が濡れているのも同じ現象。

そうならないようにと「断熱材(保温材)」をコンクリートやフィルムの下に敷きこめばよい、と考える人がいる。そういう「仕様」もある。
しかしそれは、「断熱材」の「断熱」の語に惑わされている証拠。どんなに厚く「断熱材(保温材)」を敷こうが、地温になるまでの時間がかかるだけに過ぎない、だから、コンクリートやフィルムの表面は地温に等しい、ということを忘れている。

私の住まいは緩い傾斜地に建っているので、基礎は独立基礎にしてある。一定の高さまで底盤の上にヒューム管を立てコンクリートを打った基礎。その上に土台を流してある。ゆえに、床下はよく風が通る(床下は、かがんで歩ける高さがある)。
ただ、ベランダ部分は、写真のように基礎を低くして「束立て」にしてある。

空気が湿気てくると、ときに、この基礎の表面:ヒューム管の表面が濡れてくることがある。結露である。
しかしそのとき、地面は多少いつもよりは湿気た様子だが、乾いていることには変りはない。だから、アリヂゴクも健在。
このことは、地温の低い地面は、暖かい湿気た空気がきても、湿気を吸収してくれることを示している。コンクリートやフィルムのように結露はしないのである。地面には「調湿機能」がある証拠。

   註 地面が湿気を帯びても、暖かい湿った空気が去れば、
      ふたたび地面は乾燥に向う。
      これが調湿機能。土壁も同じ。
                [註記追加 7月2日 11.53]

だから、どうしても床下に空気が淀んでしまう「布基礎」の場合は、「布基礎」に囲まれた地面をコンクリートやフィルムで被うことは、床下に結露水をためることになり、湿気防止にはかえって逆効果だ、というのが私の理解。
同じ理由で、私は「ベタ基礎」は使わない。地耐力が小さくても、別の手立てを考え、床下地面を確保する。

なぜ「住宅金融支援機構(以前の「住宅金融公庫」)」仕様が「常識」になってしまったのだろうか?
「礎石建て(石場建て)+足固め」方式の時代、やはり床下は、アリヂゴクの天国だった。

   註 コメントで防湿シート、防湿コンクリート(ベタ基礎)の
      床下の「実態」を撮った写真を紹介いただいています。
      山本大成氏のコメント「防湿シート」内からアクセスできます。
      それは、茂木豊彦氏のブログの記事です。
      結露するはずだと予想はしていましたが、
      これほどまでとは思いませんでした。
      是非ご覧ください。驚愕的です。
                     [註記追加 7月2日 22.01]
コメント (6)
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