「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介-8 : 「八 鬼瓦の書き方」 + 付録 ・ 「瓦葺き要説」

2013-11-29 16:55:41 | 「日本家屋構造」の紹介



「小屋組」~「屋根勾配」~「屋根水取」と進んできた話が、突然「鬼瓦の書き方」へと「飛躍する」のには、かなり戸惑いを覚えます。
なぜなら、その話に入る前段として、「瓦の割付け」の話が必要だからです。
例えば、軒先の広小舞の正確な位置、したがって垂木出寸法側軒ならば、母屋出寸法)などは、瓦の割付けに応じて決めるのが合理的だからです。
しかし、設計者の多くは、「瓦葺」と書くだけで「瓦の割付け」の図は描かないで済ませ、瓦割付けを、瓦屋さんまかせ(または大工さんと瓦屋さんまかせ)にしているのではないでしょうか。ことによると、瓦屋さんが、「任意に」決められてしまったあるいは広小舞の位置に合わすべく、瓦を「擦り合わせて」いるのかもしれません。
   そのあたりは、葺き終わった後、「対角線の通り」を見ると分ります。
   割付けに無理がなければ「直線」、擦り合わせて無理に収めた場合には「への字」になります
   これは、大工さんに教わった「瓦葺きの良し悪し」の見分けかたです。


では、「日本家屋構造」で、著者はなぜ「瓦割」について触れなかったのでしょうか。
瓦の寸法に地域差があったからではないか、と私は推測しています。
今でこそ、瓦の生産地は限られていますが、近世~近代初頭には、瓦焼きの窯は、各村や町に一か所以上あるのが普通でした。正真正銘の「地瓦」です。それゆえ、瓦の大きさは窯元ごとに異なっていたと思われます。
ただ、それゆえに、瓦の特注も可能だったのかもしれません。
そのような状況下ゆえに、一般論として「割付け法」を具体的に書き示すのは難しかったのだと思われます。
   明治初期、各地の鉄道敷設などで需要の生じた「煉瓦」の生産に関わったのも、各地に在った瓦窯です。
   私が筑波(旧桜村:現つくば市)に移住したころ、近くに煉瓦造の煙突がありました。それは廃業した瓦窯の煙突でした。
   会津・喜多方の煉瓦蔵の煉瓦焼成を担ったのも元は瓦焼成窯です。
   1960年代、そういう小瓦窯は、大量生産の窯業と大量輸送手段の隆盛により消滅します。 
   現在の瓦のJIS規格は、全国各地の地瓦を調べ、それを整理・統一して成立した、と聞いています。


そこで、今回は、原文の解説文と図を転載、原文中の用語を註記するだけとし、
付録として、かつて茨城県事務所協会主催の設計講座で作成したテキストから、「瓦葺き」の部分を抜粋して「瓦葺き要説」として載せることにいたしました。 



   註 以下は、「鬼板」、「鬼瓦」などについての「日本建築辞彙」の解説。
     

  原本では、このあと、「懸魚・蟇股」「虹梁」「舟肘木・斗組」の章が続きます。

     **********************************************************

付録 「瓦葺き要説」  
以下は、設計図作成用に、「瓦葺き・瓦割付、と木部との取合い」の要点を、諸参考書(特に、新建築社刊・坪井利広著「日本の瓦」)を基にまとめたものです。

   上の各瓦の図中には、小文字で、「釘穴」または「針金を通す穴」および「引っ掛け部」と書いてあります。

   表中の桟瓦寸法の 305mmは、1尺の換算値と思われます。他の数値も尺貫法の読替えではないでしょうか。(なお、図は筆者作成)

   各屋根形状外観図は、坪井利広著「日本の瓦」より転載。

   特記以外、図は筆者作成(以下同じ)。


 

   「幅方向」の枚数
    ①側軒を含めた全幅に見合う枚数を仮定し、側部の垂木幅で調整する。両袖瓦の「きき幅」が異なることに注意(205頁)。
    ②垂木間隔を一定にする場合は、全幅に見合う枚数を仮定し、母屋の出(垂木本数)、および淀からの出(205頁の )で調整。
    「きき幅」を265mm 近辺の数値に置換えることも可能。ただし、擦り合わせがなくて済む範囲内が望ましい。
    その場合、数値を一定値にしないと対角線が直線にならない(部分的調整は禁物)。
    
    いずれの場合も何回かの試行が必要。
   「流れ方向」の枚数
    ①最上部の瓦桟の上端を野地板棟芯から 1寸(≒30mm下がり(流れ寸法)に設けると瓦上端~野地板棟芯が約15mm(≒5分)になる。
    ②に応じた全流れ寸法に見合う枚数を仮定し、淀からの出(205頁の )も勘案し、の先端位置を決める⇒垂木の先端位置。
      先に軒の出の水平距離を決めてしまうと、無理が生じる。確認申請書類への便宜は、設計図の目的ではない!
    「きき足」を235mmより若干小さい数値に(大きいと重ねが少なくなる)置換えることも可能。
    その場合、数値を一定値にしないと対角線が直線にならない(部分的調整は禁物)。  
    いずれの場合も何回かの試行が必要。
    以上、208頁割付け例・伏図参照。 


    A、B、Cの数値を伏図断面図で検討する。何回かの試行が必要。
    木部の寸法を先に決めてしまわないことが肝要


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この国を・・・46 : 「誤表示」と「偽装・偽計」の違い

2013-11-27 15:29:11 | この国を・・・

晩秋の山林風景。植林の杉檜の山の縁辺は実生の落葉広葉樹林。もうじき冬姿になります。

追加 12月1日付東京新聞のコラム「筆洗」へリンク]
12月3日付東京新聞「社説」も追加[12月3日 8.45]12月6日付東京新聞コラム「筆洗」へリンク[12月6日 8.35追加]

食品「誤表示」騒動も一段落したようです。
あの後、よく考えてみたら、〇〇エビを△△エビと称すること自体は、「誤表示」と称しても問題はない、まさしく表示が間違っている、誤りだからです。〇〇エビを△△エビと称するとき、「エビ」という「実体」は存在する。その種類、名称が「誤っている」だけの話。エビでないものをエビと称したわけではない。問題は意図的に誤表示をすること、それは明らかに偽装であり偽計なのです。
昨晩強行に採決した「秘密保護法案」、これに賛成した政党、その政党名は最初から偽装。と言ってよいでしょう。
「ジユウミンシュ」「コウメイ」「ミンナ」。これは、「俺々詐欺」に匹敵する。「俺々」なる者は、「子ども」を騙っている。これら政党名も「自由・民主」「公明(正大)」「皆」を騙っている、としか言いようがないからです。「ジユウミンシュ」「コウメイ」「ミンナ」、どれも実体は「非」自由民主、「非」公明、「非」みんな、なのです。
そうでない、と言うならば、つまり、本当に「自由・民主」であり「公明」であり「みんな」を標榜するのであれば、昨晩の採決強行は「論理的にできない」はず。
禁止を定めた法律がないから問題ない・・・などと言わないでください。
これは人としての当たり前の「品格」の問題、私はそう思います。
偽装・偽計、ここに極まれり、と言ってよい。この方がたに、「道徳」が必要だ、などと言ってほしくないものです
   野党も賛成しているから「強行ではない」と言う政権幹部が居るそうです。大したもんだよ・・・!

     **********************************************************

「『日本家屋構造』の紹介」、ただいま編集中です。もう少々時間がかかります。


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この国を…45 : 「戦争を知らない大人たち」

2013-11-20 10:55:26 | この国を・・・

数日前、寒冷前線が通過した後、街灯が点きはじめた頃の筑波山。この翌日初氷が張った。


「戦争を知らない子供たち」、という歌があります。作詞:北山修、作曲:杉田二郎。一時流行った「フォークソング」です。
   戦争が終わって 僕らは生まれた
   戦争を知らずに 僕らは育った
   おとなになって 歩きはじめる
   平和の歌を くちずさみながら
   僕らの名前を 覚えてほしい
   戦争を知らない 子供たちさ
   ・・・・・
なぜかこの頃この歌を思い出しています。
「戦争を知らない大人たち」の「戦争のできる国にしたい、それこそが《独立国家》だ」と考えているのではないか、と思える「行動」が横行しているからではないか、と思います。

彼ら「戦争を知らない大人たち」は、権力者の独善・独裁の論理を推し進めるための《環境づくり》を着々と進めているのではないでしょうか。

今日の東京新聞「私説・論説室から」、「『道徳』を持ち出す真意」を転載させていただきます。全く同感です。



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「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介-7 : 「五 小屋組の種類」「六 屋根勾配」「七 屋根水取」

2013-11-17 17:08:33 | 「日本家屋構造」の紹介


[追補追加 11月23日 9.30][蛇足追加 24日9.10]

今回は、「五 小屋組の種類」「六 屋根勾配」「七 屋根水取」の項を紹介します。
はじめに原文とその解説図を転載します。



   註 第八図の符号「ヒ:敷梁」は、江戸弁のシとヒの混同による誤記と思われます。
      図中に「ナ:投掛梁(なげかけばり)」の記入がありませんが、梁間四間半梁間五間の図のがそれに該当します。
      なお、梁間二間の図、右側の梁間三間の図、梁間四間半の図は京呂組、左側の梁間三間の図、梁間五間の図は折置組です。
      図中の「ハ:梁挟み(はりはさみ)」 : 小屋梁から隣のへ小屋梁へ、掛け渡しある木にして、その繋ぎとなるもの。繋梁ともいう。(「日本建築辞彙」)

以下、読み下します。

五 小屋組の種類
第八図に、(梁間に応じて)各種小屋組断面図(切断図)で示した。各部材名称は、図中に符号で記入してある。
   小屋組の総論や部材名称などについては、2012年9月ごろ載せた以下の構造編の紹介を参照ください。
     「日本家屋構造」の紹介-10
     「日本家屋構造」の紹介-11
     「日本家屋構造」の紹介-12
     「日本家屋構造」の紹介-13
     なお、他に小屋組についての補足記事が数編あります。

小屋組を考える際の注意点
1.梁間が大きく(梁行寸法が長く)束柱が長くなる場合には、二重梁または三重梁を(ほぼ)二た母屋上りで設ける。
2.飛梁(とびばり)は、小屋束の位置に、を受けるがないときに設ける。
3.相互は、湾曲座屈の意と解します)を防ぐために、繋梁(つなぎばり、原文は継ぎ梁)あるいは貫(小屋貫)によって結束する。
4.小屋組は、すべて、京呂組よりも折置組を用いるべきである。
   折置組京呂組に比べ、きわめて堅牢である。
  ただ、折置組は(天井を梁下に設けると)天井下の小壁が低くなり、また軒先に木口が表れるため、町家では用いることが少ない。
   註 小壁についての解説は、小屋組を全面天井で隠すことを前提としている。
5.敷梁は、その下に柱を有する方か又は梁間の短い方に用いる(原文の「直訳」ですが、意が分りません)。
   母屋の間隔は、瓦葺きの小屋組では三尺ごとに設けるのが普通である。母屋間隔が広いと垂木の断面を大きくしなければならず不経済である。
6.第八図最下図は、与次郎組と呼び、家屋の両妻の柱を伸ばし天秤梁を差しそれに中引梁を架け渡し、その上にを立て、左右より小屋梁登り木
   枘差とし、鼻栓端栓:はなせん)又は込栓打ちとする。なお、間仕切部では、を建て中引梁を支える。
   与次郎組は、梁下が高く、物品を積み上げるのに都合がよいので、物置、土蔵などに用いられる。

六 屋根勾配
屋根勾配は、各地域の気候風土により緩急がある。一般に、雨雪の多い地域では急で、そうでない地域は緩い。
東京及び近県では、
瓦葺、梁間二間~三間の場合:五寸勾配(5/10)、庇部分は、四寸~四寸五分(4/10~4.5/10)
瓦葺、梁間三間半~五間程度:五寸五分(5.5/10)~六寸勾配(6/10)

  なお、これより大きい建物では六寸五分又は七寸勾配もある。
茅葺、梁間二間~二間半:七、八寸勾配
茅葺、梁間三間以上:九寸勾配(9/10)又は(かね)勾配(10/10)
寺院等大建築では、矩より何寸戻りと称し返勾配(かえしこうばい)とすることがある。
   註 返勾配:矩すなわち45度より急な勾配の呼び方。矩分を差し引いて返三寸(かえしさんずん)勾配などと残りの部分の勾配で呼ぶ呼び方。
(こけら)板葺、鉄板葺の場合、梁間によらず四寸~四寸五分勾配。
駄板(だいた):三寸~三寸三分(母屋間三尺につき一尺上り)。
   註 駄板:薄い杉板。日本建築辞彙では駄板葺=杮板葺とある。
軒先化粧天井の勾配:二寸五分~三寸五分。
板庇:三寸内外。
横板庇、雨押など:二寸~三寸程度。

七 屋根 水取(みずとり) 第九図参照
   註 水取 : 屋根上の排水をいう。即ち屋上雨水の自然に落下する様になすことなり。
            錯雑なる屋根に於て、設計宜からざれば、水取の悪しきことあり。 (「日本建築辞彙」の解説)
住家の設計において諸室を配置すると、平面図に凹凸を生じるのはやむを得ないが、この凹凸は出来上がった後の外観の良しあしに関わる。
   註 原文は、外観を良く見せるために凹凸を奨めているようにも読める。
平面図が複雑な場合の水取の設定は、以下の手順を踏んで描く。
先ず、屋根伏図の外周を描き、各軒先の出入隅の各点より引いた45度の線との線との交点までが隅棟の位置となる。
棟は、屋根各面の勾配が同一である場合(振隅の場合以外)は、両軒桁線の間の中央(二分した位置)にある。
   註 振隅(ふれ ずみ) 原文の「振」は誤記
      勾配違いなる屋根面などが、相会して生じたる稜(かど)をいう。眞隅(ますみ)の対。 (「日本建築辞彙」の解説)
二棟の高さが異なる場合、たとえば第九図・乙のように本屋と角屋(つのや)の軒の高さが異なる場合は、図丙の角屋の桁上端からその屋根勾配の線を引き本屋の桁上端との交点を求め、その点から垂線を引き角屋桁芯からの距離:図の〇印:を伏図軒線からとり、45度の線を引く、それが本屋と角屋との屋根面のつくる隅の稜線:谷となる。
   註 角屋本家(おもや:主家)より突出せる翼をいう。(「日本建築辞彙」より)

   註 この書の書き方では、小屋組と屋根を別途に考えられるように受け取られかねませんが、小屋組は、屋根形状が決まっていないと検討できません。

                       以上で「五 小屋組の種類」「六 屋根勾配」「七 屋根水取」の項 終り

     **********************************************************

先ずいわゆる「間取り」すなわち平面を決め、それから小屋組、屋根を考える、という設計の進め方は、現在でも普通に行われている「手順」ではないかと思いますが、この方法が、すでに明治の頃から行われていたことが分ります。
しかし、古来、建物がすべてこのような「手順」、すなわち「必要と思われる諸室の足し算で平面つまり間取りを決め、それに屋根をかける」という方法でつくられてきたわけではありません。むしろ、そういう事例は一つもない、と言ってよいでしょう。
要は、最初にあるのは「ワンルーム」、「室」は「『ワンルーム』の『分化』」の「結果」である、ということです。そして、その「結果」すなわち「室」の様態は一定とはかぎりません。場面、場合によって異なってあたりまえなのです。
別の言い方をすれば、「先ず全体を考える」、古来、これが建物づくりの起点・原点であった、ということです。
   この点については、たとえば「日本の建築技術の展開-1・・・建物の原型は住まい」でその概要を書いてあります。
   また、「建物をつくるとはどういうことか」のシリーズで、更に詳しく書きました(「カテゴリー」の「建物をつくるとはどういうことか」からアクセスできます)。


このあと、原書は、「鬼瓦の書き方」「懸魚及び蟇股」「虹梁」「舟肘木及び斗組」」など、現在普通に使われない部位、部材についての解説が続きます。
どのように紹介するのがよいか思案中です。しばらく時間をいただきます。



追 補 11月23日 9.30追加

「返勾配」について、コメントがありました(別掲)。

「日本建築辞彙」の「返勾配」の解説には解説図が付してあったのですが、載せるのを省略しました。図があった方がよかったかもしれません。
そこで、追補として、その部分を、そのまま転載します。あわせて、「矩勾配」の解説文も転載します。
      
  
ただ、この解説中の、「・・・残りのニイハが三寸勾配ならば・・・」の「三寸勾配」は、「イ~ニ」線に対して三寸勾配なのか(どこを基線として測るのか)分りません。
  私が実際に急勾配の線を描くときは、たとえば15/10のときは、水平に10、垂直に15の点を求め作図しています(つまり、タンジェントです)。
「返勾配」を、大工さんはどのように作図しているのか、どなたかご教示いただければ幸いです。
  蛇足[追加 24日9.10] 
  道路の勾配は、タンジェントではなくサインで表すようです。上り坂を100m歩いて(走って)10m高度が上ると10/100=10%の勾配と言う。
  鉄道も同じらしい。ただ、1000mあたり、になるようです(単位はパーミル)。
コメント (1)
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近時雑感:初霜

2013-11-12 08:46:01 | 近時雑感
今朝は霜が降りていました。寒いです。血圧も高め!要注意。

「カテゴリー」の変更作業で、変更後の点検・確認中、だいぶ前の文中に、「蛇足」という表題の、次のような一節を見つけました。そこで書いている考えは、このブログを書いている一つの「目的」でもあり、今も変りありませんので、念のため再掲します。
     ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

蛇 足

先日、このブログに対して、ある人から、「惜しげもなく展開される情報の質にいつも驚いております・・・」旨の《評》をいただきました。
どういう意味なのか判然としなかったのですが、同様のことを別の方も言っていた、との話を聞き、少し分ってきました。
つまり、「知っている、あるいは新たに知った情報」は、「独り占め」にしておけば自分を他から「差別化」できるではないか、「それなのに、あけっぴろげに出してもったいない」ということのようなのです。

私は、その昔から、「『情報』を独り占めしたがる人たち」を身のまわりでたくさん見てきました。
しかし、それで何か「いいこと」でもあるのでしょうか。「差別化」して、売り込んで何がいいのでしょう。
大体いつまでその「差別化」を維持できると考えているのでしょうね。

私が江戸時代に興味を示すのは、どうも、人びとはそういう「差別化」には興味がなかったように思えるからです。
今の世なら「専門家」と呼ばれるであろう人はたくさんいました。
しかし、皆、その「専門知識」を、自分の《地位》の維持のために使う、などということには執着していないように思えるのです。
皆がそれぞれの「知識」「知恵」を「あけっぴろげ」にしているように思えます。それこそ、流行の言葉で言えば「情報の開示」です。
開示した情報をどのように他の人が使うかは、「使う人の裁量」です。ですから、何も「独り占め」にして置く必要を感じなかったのではないか、と思います。
第一、「あけっぴろげ」にしてその人の「価値」がなくなってしまうような、そんな「専門」は「専門」でもなんでもないのです。
そして、そうだからこそ、いろいろな情報を、皆が皆、共有できたし、いいもの、わるいものを自ら判断することができたのだと思います。


これは、今の世とは格段の差があります。
今は、皆、自らの判断を停止し(自らの思考を停止し)「偉い人」の判断に依存し、「偉い人」の言いなりになってはいませんか。
「偉い人」をますます「偉く」させてしまっていませんか。それは、「法律」にまで及んでいます。「法律」が「思考の基準」であるかのようになってしまった・・・!「建築関係の法令」など、そのいい例です。


もちろん、江戸時代にも、今の世で「秘伝書」「門外不出の極意書」などと呼ばれる書き物がありました。しかし、なかみは、いわばメモです。アンチョコです。
それが世にばれたところで、どうということはありません。
それを「門外不出・・・」などと言い出したのは、近代になってからではないでしょうか。近代人の思考法の裏返しです。


少なくとも日本の近代は、「狭隘な専門」こそ「専門」だとして推し進めてきました。福沢諭吉の「一科一学」の「思想」の結果です。
つきつめれば、「惜しげもなく・・・」という「発想」の根源も、その「思想」に行き着くはずです。


私は、それぞれの人が仕入れた、そして知っている「情報」は、隈なく公開すべきだ、と考えています。
「情報」を知っている、あるいは「持っている」人が独り占めしても何の意味もない、まさに「宝の持ち腐れ」、むしろ、「公開」して共有し、論議をし、より意味のある「情報」として育ててゆくことこそ大事だと思うのです。
そして、そうなれば、世の中は今よりも数等明るくなる、と思っています。


以上、この機会に、「蛇足」を書かせていただきました。

     ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「日本家屋構造」の紹介、編集中です。もう少し時間がかかります。

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近時雑感 : お知らせ

2013-11-08 10:33:17 | 近時雑感

秋も深まり、昨日は立冬。
今年は欅がきれいな黄葉になりません。多分、夏の高温の影響ではないかと思います。

気候の変動、寒暖や気圧の変化にともない、体調が微妙に変化することを実感しています。
脳出血発症の一つの因も気象の変動と関係あるようです。急に体を寒さにさらすと体はとっさに血流を変えて対応する。血圧を高める。それに脳内の血管が耐えられなかったのが私の場合の脳出血だったらしい。不用意は禁物のようです。体の精緻な機構には、驚くことばかり・・・。

     **********************************************************

さて、今、ブログの「カテゴリー」の変更作業中です。
これまで書いたシリーズものへは、今までの「カテゴリー」ではアクセスしにくいと思いましたので、シリーズのタイトル(あるいはその要旨)で一式括る形に変更することにしました(単発ものは従前のままです)。
たとえば、「《在来工法》はなぜ生まれたか」というシリーズは「《在来工法》、その呼称の謂れ」で括ります。それによって、この「カテゴリー」から、このシリーズだけにアクセスできることになります(ただ、最終回から第一回へという順に並びますが・・・・、その点はご容赦)。
変更作業は半分ほど終ったところです。
今後ともお読みいただければ幸いです。

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「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介-6 : 「四 普通住家 略木割」-その2 

2013-11-07 09:30:39 | 「日本家屋構造」の紹介


今回は、「縁側及化粧之部」「間内之部」「外廻り下見張り之部」の項の紹介。原文を再掲します。



以下、註を交えながら、読み下します。
なお、文中の用語・部位名称・位置の分る縁側の矩計図を再掲します。


縁側及び化粧の部
本屋の柱径をAとして表記します。
縁桁:長さ2間のとき、
    角材の場合は、成(高さ) 1.5~1.6A×幅 1.1A
    丸太の場合は、末口径6寸以上
縁框:長さ9尺~2間のとき、成(高さ) 4寸~4寸5分×幅 2寸5分~3寸
    長さ2間~3間のとき、成(高さ) 5寸~6寸以上×幅 3寸5分~4寸
縁板:幅3寸以上、4・5寸、厚7・8分位
根太:長さ3尺(=縁側幅)のとき、二寸角
   長さ4尺(=縁側幅)のとき、成(高さ) 2寸5分×幅 2寸(原文「二寸に二寸五分角」をこのように解します)
縁板:幅3寸以上4・5寸、厚7・8分位
無目:成(高さ) 1寸8分以上2寸2分、幅 0.9A
一筋鴨居:成(高さ) 2寸以上3寸、幅 2寸以上2寸2分
垂木掛: 成(高さ) 0.8A×幅 0.45A
化粧垂木:成(高さ) 1寸5~6分以上2寸×幅 1寸4分以上1寸6~7分
:幅 3寸、厚 7~8分
広小舞:幅 4寸以上 5寸、厚1寸以上 1寸5~6分
木小舞:成 7~8分、但し淀の厚と同じ、幅 8分以上1寸2分
裏板(化粧天井板):杉四分板または「へぎ板」
   註 「へぎ板」、薄く削いだ板
野垂木:松三寸(成 1寸5分、厚 1寸2分くらい)又は二寸角
   註 松三寸:呼称、通称か?
野地(板):六分板又は三寸貫
   註  六分板墨掛厚六分なる板をいう。実寸は四分五厘程(≒13.6mm)にして、幅一尺以内、長さ一間なり。(再掲)
      三寸貫(さんずん ぬき):長さ二間、幅三寸、厚さ七分の杉材をいう。その実寸は幅一寸六分~二寸二分、厚さ三分五厘~五分なり。(再掲)
屋根杮葺き、鉄板葺き及び瓦葺きなど

間内の部(室内各部の木割)
本屋の柱径をAとして表記
敷居:幅は柱幅に同じ、すなわち A、成(高さ)は 2寸。ただし、縁側に付ける敷居は幅0.95A
畳寄(たたみよせ):成は敷居に同じ
鴨居:成 0.35A~0.4A×幅 0.9A
付鴨居(つけがもい):鴨居と同じ
内法長押:成 0.8A~ 0.9A,0.95A、幅は柱より成の1/5出す
小壁吊束:0.8A角
欄間の敷居、鴨居:ともに、幅 0.65Aまたは0.7A、厚 0.25A
天井長押:成 0.6まAたは0.65A
天井回縁:成 0.5A、下端の出は、長押に同じ、すなわち柱より成の1/5出す
天井竿縁:0.3A角、または成 0.3A×幅 0.25A(原文の「三分に二分半」をこのように解しました)

以下床の間まわりの木割の説明になりますので、「構造編」で紹介した床の間についての原文を再掲します。



床柱角柱の場合は、見付(みつき、みつけ:正面)を他の柱より少し大きくする
    丸柱の場合は、末口径を、他の柱の大きさ程度にする
床框(とこがまち):成 1A、幅 0.85A
落掛(おとしがけ):成 0.5Aまたは 0.55A、幅 0.7Aまたは 0.8A
袋戸棚及び地板:板厚 0.3A
違棚:板厚 0.2Aまたは 0.25A(=Bとする)
海老束(えびづか):√2B角
海老束の面取り:束の径の 1/7 相当を几帳面とする
海老束の位置:板の前面より束一個分ほど内側
板の出:海老束左右の面から束一個分ほど、あるいは板厚の2倍ほどでも可
筆返し:出は板木口(端部)より板厚(B)ほど、高さは 1.5B、幅は海老束の芯または内面まで(図参照)
違い棚落差:下板下端~上板上端=A(柱径)程度とする

   註 この木割に従えば、一定程度は「見慣れた床の間まわりの姿」になります。しかし、それがその部屋に適切であるかどうかは別問題です。
      実際は、部屋の状況に応じて任意に造られています。「任意」は、造る人の「感性」に委ねられています。

外回り、下見張りの部
以下は、再掲した矩計図を参照ください。

土台上及び敷居下の雨押(あまおさえ):幅 2寸または2寸5分、厚 1寸ぐらい、一番大貫の二つ割も可
   註 一番大貫大貫のなかでも、赤身無節、角が端正なものをいう
         大貫杉大貫は、長さ二間、幅四寸、厚さ一寸の墨掛なり。実寸は幅三寸九分、厚さ八、九分程なり。・・・ 
窓上の横板庇:1寸板
同所の猿頭(さるかしら):1寸に1寸4~5分
簓子縁(ささらこぶち):普通は杉の大小割(おおこわり)正1寸×1寸2分、平縁(ひらぶち)の場合は大貫の二つ割または中貫(ちゅうぬき)の二つ割
   註 大小割:墨掛の大きさ一寸五分に一寸二分なる矩形木口の杉材にして、長さ二間なり。
      平縁:断面が矩形なる薄き押縁木をいう。これを天井及び下見に用う。
      大貫:前掲
      中貫:杉中貫は、長さ二間、幅三寸五分、厚さ八分とす。尤もこれは墨掛寸法なる故、実寸は、幅三寸二、三分、厚さ六分~六分五厘程なり。
                                                              (以上「日本建築辞彙」新訂版より)
:杉または檜の生小節(いきこぶし)または無節のものを用いる
   註 生節(きぶし):固く付着し居りて、形のくずれざる節をいう。
      小節(こぶし):木材に在りて、差渡し径四、五分程度の節が、長さ二間につき一方に二、三ヶ所以内あるものを、小節材または小節と略称す。
      上小節(じょうこぶし)は差渡し二、三分程迄の節が前記同様にあるものなり。        (以上「日本建築辞彙」新訂版より)                            

           以上で「普通住家略木割」の章の紹介は終りです。

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当時の家屋は、現在とは異なり、小屋裏(屋根裏)、床下、壁内部などの他は、ほとんどすべての材が仕上がり後も目に触れるのが普通でしたから、部材寸法に神経を使っていました(現在でも「真壁」仕様では同様です)。
そして、仕上がり後の姿、見えがかりの姿の良し悪しは、造る人たちの感性に委ねられていた、と言ってよく、したがって、人によって結果に大きな差が生まれます。
そこで、誰がやっても一定程度の仕上がりになることを考えて生まれたのがいわゆる「木割」であった、と考えられます。要するに「安直な手引書」です。おそらく、職方の経験・知見とその伝承の集積がまとめられたものと思われます。

ただ、このような「木割」:「手引書」が生まれると、個々の職方が独自に考えることの障害になり、形式化しがちです。「こうしておけばいい」のだと思われるようになり、甚だしい場合は「こうでなければならない」とさえ思われるようになります(「法令を順守してさえいればいい」という現在の「風潮」に通じるところがあります)。「つくるにあたって、何を考えなければならないのか」という「根本的な視点」:「radicalな視点」が問われなくなる、「radicalな思考」を欠く傾向を生むのです
   有名な木割書に「匠明」というのがあります。「建築史研究者」の中には、その指示する木割に従っていない建物は劣るものだと見なす方がたがいます。
   これなども、「radicalな思考」を欠いた例と言えるでしょう。

「木割」の示す諸数値は、あくまでも「参考値」なのです。その数値で実際に図を描き、自らの感覚でその当否を判断する・・・、そうすることで、自らの感覚を養う、その「一つの出発点」と考えるのが無難なのではないか、と私は思います。
   一度、「匠明」の木割で図を描いてみたことがあります。少なくとも私の感覚では「異様な姿」になったことを覚えています。

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次回から「小屋組」、各種「屋根」の章になります。           
        

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