建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

ご挨拶

2015-05-29 09:30:18 | その他

ウノハナが咲き、ホトトギスがけたたましく啼く季節になりました。

一昨日、姉の納骨も済み、諸種の事務的整理もおおよそ目途が付いてきました。

遅れていたブログ更新工事に、これからとりかかります。
    


「中世ケントの家々」の続き、ただいま工事中です

2015-05-22 11:30:52 | 「学」「科学」「研究」のありかた

前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、ただいま工事中です。
あと3ページほど、もう少し、時間がかかりそうです。ご了承ください。

「改正」とは、どういうことか?

2015-05-13 15:05:35 | 近時雑感

おどろおどろしくなる前のケヤキの若葉が鮮やかです。

連休中に、あらためて日本国憲法第9条を読んでみました。
この条項を「改正」あるいは撤廃したいと考える人びとは、いったい何を「改正」したいのだろう?、と訝ったからです。

そこで、先ず「改正」とは、何を言うのか、いかなることを意味するのか、調べてみました。
手元の辞書には、次のようにあります。
〇[法令・条約・規則などの]不十分な点や行き過ぎに手を入れて、円滑な運営を図る上でよりよい状態にすること。(「新明解国語辞典」)
〇改め変えること。正しく改めること。(「広辞苑」)
〇改めただす。改めてよくする。(「新漢和辞典」)
英語では revise , reyision と言うようです。

では、そもそも、「正しい」「正」とはどういうことか?
これも辞書に拠れば、次のようになります。
「正しい」:①道理・法に合っている様子だ。②真理・事実などに合っていて、偽りやまちがいがない。③基準に合っている様子だ。(「新明解国語辞典」)
     :①まがっていない。よこしまでない。②道理や法にかなっている。③整っている、乱れていない。(「広辞苑」)

この視点で、どこが「改正」を要するのか、第9条を読んでみました。
第9条の全文は次の通りです。

第2章 戦争の放棄
 戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認
第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


何度読んでも、私には、「正しくない」個所、つまり「改正しなければならない箇所」はまったく見当りません。むしろ、読めば読むほど、襟をただし、姿勢をピンとしたくなります。
この条項を「なきものにしたい」と考えるには、それこそ「よこしまな(道理にはずれた)《思い》がなければ考え及ばないはずだ」、と私には思えます。

何度も読んでみました。内容の濃い名文だと思います。

ものの観かた・・・・「分る」とは?

2015-05-07 09:24:27 | 近時雑感
ブログ更新を休んでいる間に読んだ新聞紙上に、気になる論説やコラムが幾つもありました。
そのうちから、一つ紹介させていただきます。
現政府の、「世の中の事象・現実」に対する「解釈」の「ご都合主義」について明解に論じた特集記事です。そしてそこに示されていることは、我が宰相の連休中の米国での言説の「軽さ」の根本的な「因」にも通じるものである、と私は思っています。

     
     

「選挙」の「結果=民意」についての「ご都合主義の解釈」は、「政治家」の得意とするところらしい。
このことについては、だいぶ前にも書きました。「分るということ」について書いた過去の「記事」にもリンクしています。寄ってみてください。
ご都合主義は、「政治家」だけの得意技ではなく、「いわゆる研究者・学者」の世界でもよく見かけます。scientific ではなくなるのです。
気をつけてはいますが、もしかしたら私も陥っているかもしれません。お気づきになられたら、是非ご指摘ください。
  「この国を・・・・10:民意


“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-13

2015-05-05 09:41:43 | 「学」「科学」「研究」のありかた
しばらく更新を休ませて戴いておりましたが、今日から再開いたします。
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今回は、4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries の章の次の節の紹介です。

  Upper end accomodation in stone houses
    Layout and circulation
    The form and use of ground-floor rooms
    First-floor chambers and chapels
    Nurstead Court

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Upper end accomodation in stone houses 石造家屋の上手側の附属諸室
   
   Layout and circulation      附属諸室の配置と導線について
 
ケントの建物について語る人はの多くは、中世のケントの家屋に一般に見られる特徴として、一つ屋根に( unitary roof )まとめられていることを挙げる。すなわち、付属の諸室は、hall と同列上に並ぶ一つ屋根の建屋のなかに配置されている、というのである。
しかし実際は、中世全期を通してみると、巷間言われている以上につくりかたは多様であり、初期の石造建物の建屋、特に建屋の上手側の場合は、一列に並べるのではなく、(主屋に)直交して配置される事例の方が、より一般的である。
1280年~90年代に建てられたと思われる PAXTOLOLD SOAR では、 fig20(下図) のように、上手側の諸室( chamber )は二階建ての建屋にあり、その建屋には更に別の建屋が附属している。



同様の建屋の例は、一般に、増築部に多く、NEWBURY FARMHOUSEfig21 上図参照)、COPTON MANORPENSHURST PLACESOUTHFLEET RECTORY などの上手側に実例が現存する。IGHTHAM MOTE も同様ではあるが、その増築部は、部分的に木造でつくられているが、 fig22 (上図)のように、大きさも配置も、既存の木造建屋ではなく、既存の石造建屋に準じて建てられている。
GREAT CHARTCOURT LODGEfig17前回掲載、下に再掲 )や


MERSHAM MANORfig19:前回掲載、下に再掲 )も、

同様の建屋が附属していたようである。ただ、NURSTEAD COURTfig12 第9回に掲載 ) や、 fig23(下図) の ACRICEHOAD FARMfig24(下図) の LEEDSBATTEL HALLだけは、建屋の端部は(附属物がなく)すっきりと納まっている。その代わりに、これらの事例はすべて、別棟を増補していたらしい。


しかし、 hall と chamber 諸室の様態は、両者の関係のありようによって異なり多様である。
形態の上で全体が一体のように繋がっているようでいて、13世紀を通してよく見られる独立した用途を持つ附属室を単に付加するやりかたの残影を、相変わらず残している事例もある。
この好例が、 OLD SOAR である。平面図は fig20 、内観、外観は fig25 参照。

一見すると、階上に chamberchapellatrine を備えた wardrobe を持つ三つの建屋から成っていて CHRIST CHURCH PRIORY で見たような一続きの居住部を意図しているように見える。
しかし、実際は、そうとは言い切れない。hall の妻壁の出入口を入ると、直ぐに螺旋階段があり、人は窮屈な思いをしつつ、階下の vaulted undercroftの下の空間に出るか、あるいは階上の大きな chamber へと登ることになる。
   註 vaulted undercroft
     階下が全面石造の場合は、いわゆるヴォールトのつくり、したがって、いわゆる円天井の意と解します。
     階上の床すなわち階下の天井が木造の場合、床梁を支える方杖状の斜材が側壁から出ているものと推察します。故に出入りが窮屈になるのでしょう。
     この後の章で、断面図が紹介されるものと思います。

そして、階下の undercroft の空間には、外部から直接出入りし、他の階下の諸室も外部から直接出入りする。二階では wardrobe へは chamber から当初の出入口から入るが、chapel へは、後世に荒っぽく開けられた出入口から入るようになっている(この後世に開けられた出入口は、fig20 の平面図 には描かれていない)。それゆえ、chapel へは、当初は、外階段を使い外部から直接入るしかなかった。
つまり、諸室間の連絡はきわめて悪く、附属棟の階下の用途は、階上の暮しとは、まったく無関係だったのである。
old soar は13世紀後期に建てられたと思われるが、14世紀になっても、諸室間の直接の行き来はできなかった。
BATTEL HALLHOAD FARM では、増築の建屋は主屋と厚い壁で隔てられていて、OLD SOAR と同じく、地上階での諸室間の連絡導線は、当初から存在しなかったものと思われる。
IGHTHAM MOTE は、地上階は大部分が失われていて、chapel へは、階上、地上階とも外階段からしか出入りできず、他の部屋から直接出入りすることは、まったくできない。 当初から hall の端部の出入口から直に出入りしていた例は、NURSTEAD COURT および Cliffe-at-HOORECTORY HOUSESOUTHFLEET RECTORY だけである。
しかし、14世紀初頭までには、INTERCOMMUNICATION(柱割の設定法)が定形化する。
COPTON MANOR では、階上、階下には、外に突き出ている階段で出入りするが、その入口の向かい側にある出入口は、各階とも更に続く別棟の建屋へ通じている(ただ、その建屋は取り壊されてしまっている)また、SOUTHFLEET RECTORYCliffe-at-HOORECTORY HOUSE では、背後の増築部は、主屋とは薄い間仕切で仕切られているだけである。多分、内部の使い勝手の点で、それで十分だったのだろう。

   The form and use of ground-floor rooms

建屋の地上階の役割を適確に述べることは難しい。
memorandum bookでも、地上階については、その存在は明らかであるにもかかわらず、記されていることは稀で、そこから知りうる事実は少ない。このことは、地上階には特別の役割があったわけではなく、そこは、倉庫・物置などとして使われ、単に chamber を二階に持ち上げるための構築物に過ぎないことを物語っている。
OLD SOARPENSHURST PLACE 、そして当初の BATTEL HALLは、どれも chamber の下は vault で支えられ、いずれも、天井(二階の床を兼ねる?)は木造であったようだ。ただ、天井の形については、確かなことを言うことはできない。というのも、ほとんどの事例は、改築されていて、しかも、多くの場合、天井の位置(≒二階の床の位置)が当初よりも高い位置に変更されているからである。この事実は、fig26 (下図) のように、COPTON MANOR に於いてきわめてはっきりと見ることができる。

fig26 のように、この建物の西面に当初の開口部も示してあるが、それから、当初の床面は、現在の床よりも若干下にあったことが分る。
fig27NEWBURY FARMHOUSE の断面図であるが、(平面図は前掲 fig21参照)調査で検証された当初の一階、二階の出入口の位置から、当初の天井・床面が0.3~0.4mほど高く改造されていることが分る。図で分るように、当初は、地上階へは(階下の天井が低いため) hall からは数段降りる形になっているが、更に(天井高を十分確保するために)、一階床も 0.4mほど掘り下げられていたと考えられる。この場合の高さの増加は 0.8m程度だが、(床・天井位置の改造に拠る)高さの増加は 0.2~0.5m程度が普通である。しかし、それだけでも、階下の室・空間の状態をよりよくすることができたと思われる。
地上階の当初の開口部は、被われたり、壊されたりしている事例が多い。それゆえ、地上階の屈間の大半は、採光は悪かったと考えられる。OLD SOAR では、附属建屋の二棟は、スリットが開いているだけで、換気以外の用を為していない。更に、chapel の階下の部屋にはまったく窓もなく、光は出入口のドア越しに僅かに入るだけである( fig20 参照)。
他の事例でも、比較的小さな建屋の地上階には開口部がないが、多くの事例では後世に開口が設けられていることが多く、それゆえ当初の様態を確かめるのは難しい場合が多い。当初の開口がの遺っている場合でも、大抵、小さな長方形の単窓であり、現在も使われている例は少ない。ただ、そのような開口部・窓の実例は、COPTON MANORfig18 ) 、BATTEL HALLfig24 )、CLIFFE-HOORECTORY HOUSEACRISE HOAD FARMfig23 ) に遺っている。
hall 地上階の間の直接的な行き来ができないこと、階上床・天井の「支え」がある低い天井、そして適切でない開口部、などから察して、これらの上手側にある地上階は居住のための場所としてつくられたのではなく、おおらく、倉庫・物置として使われたのである。だからそれらの多くは、中世が過ぎると、ある程度は居住ができるような場所へと改修されるのである。

    First-floor chambers and chapels

家屋の上手側の大きな chamber は、この低い地上階によって高く持ち上げられている。
遺っている事例は少ないが、 chamber は天井をかなり高くし、美しく設えるのが普通である。
いくつかの事例は当時の屋根を遺している。COPTON MANORには scissor brace のある小屋組が、OLD SOARSOUTHFLEET RECTORYIGHTHAM MOTE には、 crown post のある小屋組がそれぞれ二組以上現存している。
   註 scissor brace のある小屋組crown post のある小屋組については、第8回第9回に解説、図があります。
窓には頂部に山型の飾りがつくられ、window seat が用意され、時には石製の棚( cupboard )の設けられている例もある。これらは皆、OLD SOAR で見ることができるが、他にも各所、たとえば SOUTHFLEET RECTORYBATTEL HALL でも見られる。
chamber は、すべてではないが、暖房のために壁に暖炉が仕込まれている場合がある。すでに触れたように、 CHRIST CHURCH 修道院の官邸では、暖炉は chamber だけにあるが、これは、現存の他の遺構と同じである。
COURT LODGEchamber の上手側に在る暖炉が有名であるが、その暖炉の設けられている壁は、hall との境の壁でもある。
BATTEL HALLの同じ場所に在る暖炉は、美しい例であり( fig28 下図)、

OLD SOARの外壁には、暖炉の煙突と集積した暖炉の痕跡が遺っている。しかしながら、IGHTHAM MOTEPENSHURST PLACESOUTHFLEET RECTORY に現存する暖炉が、当初の暖炉の位置を継承しているという確証はない。

chapel は、家屋の下手側より上手側に設けられることが多いようだ。これは、CHRIST CHURCH 修道院memorandum book の記録や、少ないながらも幾つかの遺構が示すところである。
PENSHURST PLACE には chapel の存在を示す痕跡がないことが知られており、またケント地域は、以前から、私的な chapel が少ない地域として考えられてきている。しかしながら、各種の資料によれば、manorial (荘園?)付設の chapel が 200以上存在しており、その大半は、当初教会とは関係のない一般の人びと( secular )の建てた chapel であったこれらの chapel で現存する事例は少なく、CHARINGBURLEIGH 礼拝堂( chantry )、 PETT CHAPEL のような事例は、遺構がきわめて部分的である故に、その建設時期、現存する邸宅との関係、荒廃した chamber建屋 とは異なることを示す chapel としての明確な証などは、建築的な手法などからはまったく得られない。12世紀後期の建設と思われる CHARINGNEWLANDS CHAPEL と1300年代建設t見られる CHARTHAMHORTON MANOR の二つの遺構は地上階に在り、住居に接して在る他の建物群とは離れて建っている。既に触れてきた OLD SOARIGHTHAM MOTE の遺構は、どれも付設建屋群のなかの二階に在り、建屋の上手側を構成する主要部の一つとなっている。ただ、いずれの場合も、主要な chamber からは離れていて、 chamber から chapel への直接の通路は痕跡さえ見当たらない。
私的な chapel では、BERKSHIRECHARNEY BASSET のように、 chamber からしか入れない事例がいくつかある。これは、王宮でもあたりまえであったようで、たとえば1254年建設の rochester の例では、chapel に行くに王の chamber を通り抜けねばならず、独立の chapel 専用の外階段が発注されたのは、数年後のことであった。こういう外階段のような設備は、SUFFOLKLITTLE WENHAM HALL でもその特徴の一つであり、そこでは、chapel へは、主なる部屋か、新設の階段に設けられた小さな出入口のどちらかから入るようになっている。主な出入口が閉ざされるときには、chamberchapel の間の窓によって、部屋内に居る人びとへサービスが供された。 IGHTHAM MOTEでは、当初から、外階段から出入りし、chamber からは出入りができない。しかし、LITTLE WENHAM HALL ( fig24 )では、部屋間の窓が暖炉にとって代わり、それゆえ、次の出入口から出入りすることになっている。
   註 図面( fig24 )でも分らないので、想定を下に訳しています。次の出入口とは何処?
同じことは、OLD SOARにも言え、そこでは、chamberchapel の間の行き来のために壁を取り壊したときに壊された斜めに振った部屋( fig20 の site of stairs と表示の個所か?)が在ったと思われる。14世紀後期建設のAPPLEDOREHORNES PLACE にも同様の例があるが、chapel の側のすべての建屋が取り壊されているので、どのような構えであったか正確に想定することはできない。
15世紀及び16世紀初期には、高貴な一家・家系では、誰もがミサに参列することは禁じられていた。しかし、この慣習が一般化する前には、少し格があがった家系の中では、世俗人のミサへの参列は年に一度がいいところであって、chapel での祭事は見たり聞いたりするに留まっていたようだ。このような chamber と chapel の間が直接行き来できないことは、一般に当たり前と見なされていたのである。実際、chamber から司祭牧師やその一家・家系以外の人物を閉めだすこと: chamber に彼らを入れないことは望ましいことだと思われていたようである。修道院の官邸の構え方はこれとは異なるのであろうが、ケントにはそれを示す事例がない。
   

    Nurstead Court について 

建屋の上手側のしつらえ:構え方の論議の中で、少しばかり説明不足があった。1309年に建てられた NURSTEAD COURTfig29 下図)については、ほとんど触れてこなかったからである。何故か?それは、NURSTEAD COURTは、1300年代に建てられたケント地域の石造建造物のなかで、唯一、上手側の二階には何のしつらえも設けられていないからである。現存する二階建て部分は、より初期の建設で、主屋から離れていて、しかも主屋とは、一隅しか接していない。この旧い建屋は STONE CASTLE の三階建ての塔や LYMPNE CASTLE の最古の遺構とよく比較されるのだが、遺っている部分は極めて少しである(下図平面図参照)。

この建屋の高さもよく分らないのだが、おそらく二階建ての各階にはそれぞれ一部屋しかなく、最下階は円天井を為し、床面は一部掘り下げられていたのではなかろうか。建て主の de GRAVESEND 家の地位は決して高いとは言えなかったから、大きく美しいつくりの主屋の hall に対して、この程度の貧弱な附属屋を設けることで満足したのだろう。
この地域全般に、それぞれの家の成長に伴い、屋敷構え全体が維持される続けられた事例は少なく、それゆえ、誰もが、遺構は屋敷構えの何にあたるのか、たとえば、サービス諸室やいくつかの部屋を持った hall +用途不明の附属屋(これには、現在は喪失してしまった居住棟が別棟として在ったかもしれない)、と解するか、 訝ってもおかしくないのである。

別の言い方をすると、NURSTEAD COURT は、LUDDESDOWN COURTLITTLE WENHAM などでは現存しない(当初の) hall を、後世まで維持し続けてきてはいるが、一方、NURSTEAD COURT には、この二事例には在るよく整えられた chamber block 建屋が存在しない、ということになるだろう。NURSTEAD COURT の場合は、chamber block は、主屋からは離れて建っていたということも考えられよう。ここまで見てきたように、このような建屋の配置は、14世紀初頭になっても解せない配置なのである。
そしてまた、後に触れることになろうが、この時代の木造家屋における hall の内部の様子も未だよく分っていないのである。
   
                                             
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以上で今回の紹介は終りです。
次回は、引き続き、以下の部分の紹介を予定しています。

   Lower-end accomodation in stone houses
    Layout and circulation
    The first floor: access and accomodation
   Subsidiary accomodation in stone houses : conclusion
   Subsidiary accomodation in timber-framed houses
    Cross wings
     Evidence for secondary rooms in single-range structures
     The form of early timber ends and the reasons for their disappearance      


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この項の筆者の読後の感想
   キリスト教、英国国教についての知識に疎いため、屋敷の中に設ける chapel の持つ意味など、不明の点が多く、訳に悩みました。
   誤解もあるかと思います。何なりと、ご指摘ください。
     日本の住まいに於ける「仏間」とも意味合いが異なるようです。

   石造建物の増築・増補部の既存部に対する配置のしかた:たとえば fig20OLD SOAR の附属部:にいささか違和感を感じます。
     何故こうなるのだろうか?いろいろ考えてみて、次のように推察しました。
     木造と違い、石の組積造では、増築・増補にあたり、既存の壁を増補部の一部とすること、すなわち、増補・新築部と既存部とを一体化するのが難しい。
     単に既存壁の横に積むだけでは、接続部にいわば隙間ができてしまうからです。
     つまり、増補の建屋は、それ自体で自立できる独立の構築物:箱:に為っていなければならないことになります。
     それゆえ、既存部に接して増補部の四周の壁を積み上げるには、施工の足場を確保するために、既存部から一定程度離して建てる必要が生じる。
     しかし、既存部から離すと、自ずと連絡が不便になる。
     既存部と増補部を極力近くに置き、なおかつ施工:石積みの足場を確保するには、増補部を既存部に一隅で接するように置けばいいではないか、
     それが、このような配置を生み出したのではないだろうか・・・。
     このように考えてみました。
     ただ、何故、既存部に対して、このような微妙な角度になるのか、はよく分りません。
     もしかしたら、現場で縄張りをするにあたって、既存部ではない何か別の新たな基準になる「線」(建物など)があったのかもしれません。

   あらためて、日本の木造は、きわめて自由度が高い架構法であることを感じています。