今年七月に国連で採択された、核兵器を違法とする核兵器禁止条約の成立に日本は賛成していません。
そのへリクツを糺した東京新聞の今日の社説を、以下に転載させていただきます。他紙に比べ、論旨明解です。
週のはじめに考える 「核には核」ではなくて
今年のノーベル平和賞が、核兵器禁止条約実現に奔走した国際NGO(非政府組織)に贈られます。
核兵器に対する見方は変わっていくのでしょうか?
受賞するのは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))。今年七月に国連で採択された、核兵器を違法とする核兵器禁止条約の成立に、「主導的役割を果たした」というのが理由です。
この条約は、核兵器の製造、保有、拡散、さらに核兵器を使った「脅し」まで、どの国に対しても幅広く禁止しています。
◆授賞式に欠席する理由
ノーベル平和賞の授賞式は、ノルウェーのオスロが舞台となります。筆者も以前、取材に行ったことがあります。
この時期のオスロは日が短く、朝九時ごろ外が明るくなり、午後三時ごろにはもう真っ暗に。そんな中、たいまつを持った市民が静かに祝賀の行進をします。
各国の大使も授賞式に参加しますが、今年は、異例にも世界の核兵器保有国の大使の大半が欠席するのだそうです。なぜ、そんな大人げない振る舞いをするのでしょう。外交官はマナーを重んじる人たちですよね。
欠席の理由は簡単。核保有国が一貫して唱えてきた「核を持つ理由」を、この条約が真っ向から否定したからです。
核保有国の言い分を要約すると、こうです。核兵器は確かに問題だらけで減らすべきだが、世界の安全を保つためには欠かせない。いわば「必要悪」だと。
多くの国が、それを信じてきました。しかし、そもそもおかしいと思いませんか。最も悲惨な結果をもたらす兵器が、世界を平和に保つ。そんな「理屈」は、いつか破綻します。
◆核禁止条約の変える力
実際北朝鮮は、核の世界秩序に挑み、朝鮮半島に危機的状況をもたらしています。
もちろん、国際社会の制止を振り切って核実験を重ね、さらに、弾道ミサイルの実験を強行する北朝鮮の行動は、とうてい許されるものではありません。
しかし、あえて北朝鮮の主張に耳を傾けてみると、核を巡る矛盾も見えてきます。
朝鮮半島の分断を決定的にした朝鮮戦争(一九五〇~五三年)で、米国は、北朝鮮、中国の連合軍の抵抗に手を焼きました。
中朝の国境地帯を分断し、戦況を一気に挽回するため、核兵器の使用を検討したのです。当時の米国の司令官は、有名なマッカーサー元帥でした。
彼は、朝鮮戦争を終わらせるため、旧満州地区に二十発以上の原爆を投下し、強烈な放射線を出す物質である「コバルト60」のベルトをつくる。そうすれば「六十年間、北方から(兵士が)北朝鮮に陸路で入ることができなくなる」と語ったと伝えられています。
その後も米国は、北朝鮮との緊張が高まるたびに、核使用を検討しました。米国の機密文書から明らかになっています。
北朝鮮の核・ミサイルへの執着は、長い間、米国の核攻撃の脅威にさらされたことも原因です。
世界は日本の被爆者の体験を通じて、核兵器の非人道性を学んできました。ところが、その日本政府は、核兵器禁止条約に参加しないと明言しています。
まずは保有国が核兵器を減らした後、「核兵器廃絶を目的とした法的な枠組みを導入することが最も現実的」(河野太郎外相のブログから)。
それがうまくいっていれば、新条約を作る必要はなかったでしょうね。核兵器の保有、非保有国の「橋渡し役」になると宣言しながら、苦しい説明を繰り返す日本政府には、「条約に参加せよ」と注文が相次いでいます。
ここでちょっと、大国による植民地支配について考えてみましょう。植民地は、現在の核兵器のように、国際社会で認められていた時代があります。
◆植民地をなくした宣言
植民地が放逐される決定打となったのは、国連が六〇年に採択した「植民地独立付与宣言」でした。植民地が「基本的人権を否認し、国連憲章に違反する」と認め、「無条件で消滅させる必要がある」と宣言しました。
植民地を持っていた米、英、仏などは採決を棄権しましたが、この宣言に勇気付けられたアフリカの国々が独立を宣言し、植民地は世界の地図から次々に消えていったのです。
核兵器禁止条約に核保有国は参加していませんが、「植民地独立付与宣言」と同様に、常識をひっくり返す可能性があります。
これまで核兵器を持つことは国際社会での「力」を意味しましたが近い将来、「非合法な兵器」に変わるかもしれませんし、変えねばなりません。