速報・続・・・・「公開倒壊実験」の主催者挨拶・説明の動画

2009-10-31 22:09:27 | 地震への対し方:対震
[転載記事追加 11月1日 12.38][感想文言追加 11月1日 15.39][註記追加 11月3日 7.19]

「3階建て木造住宅倒壊実験」の「公開実験」にあたって主催者が行った「主催者挨拶・解説」の録音されている動画のあることが分りました。
とり急ぎお知らせいたします。
下記で見る(聞く)ことができます。

「プレス資料」よりも詳しく、「試験体1」と「同2」の違いを懇切丁寧に説明し、
「試験体2」の方が「同1」に比べて「弱い⇒長期優良住宅の基準を満たさない」旨解説されています。
なお、「試験体1」は、29日に紹介の「動画」(下記に再掲)で、ひっくり返った方の試験体です。

なお、主催者としては、「プレス資料」では「防災科技研」が筆頭ですが、この「主催者挨拶・解説」では「木を活かす建築推進協議会」が筆頭で挙げられています。

「主催者挨拶・解説」
http://video.fc2.com/content/%E5%80%92%E5%A3%8A%E5%AE%9F%E9%A8%932/20091029J14ZNhV6/

「実験開始から試験体1がひっくり返るまで」
http://www.youtube.com/watch?v=IJQW8fuCwDc

追記 関西テレビのHPから、動画ニュースで倒壊映像、実験者のコメントなどにアクセスできます。
以下に、関西テレビネット版の映像から、説明文章部分をそのまま転載します。[転載記事追加 11月1日 12.38]
   
   *********************************

関西テレビの映像から

木造3階建て住宅の倒壊実験 予想外の結果に…

最近増えている3階建て住宅の耐震実験が兵庫県三木市で行われました。
「長期優良住宅」と、そうでないものの比較でしたが、予想外のことが起きました。
27日に行われた、3階建ての木造住宅2棟を揺らす実験。
それぞれの違いは、柱と壁などの継ぎ目に使った金具の強さだけです。

一棟は強度の高い金具を使い、一定の耐震基準を満たす「長期優良住宅」の認定を受けています。
そしてもう一棟は、強度が「不十分」な家です。

実験は耐震基準の1.8倍の強さの揺れを加え、建物への影響を調べます。
手前にある「継ぎ目の強度が足りない」方(筆者註 試験体2)が倒壊する…と予想されたのですが、揺れが止まる直前、長期優良住宅だけが倒壊するという予想外の結果が出ました。

一方「強度が不十分」とされた方は、揺れ始めた段階で飛び上がり、大きく変形しますが、かろうじて倒れずにすみました。

この結果を受けた、実験担当者の建築研究所・河合直人上席研究員は「倒壊する・しないの結果だけ見ると、予想と違ったことは確かだが、両方の試験体ともに倒壊に近い状態になったと言える」と説明しています。
データの上でも、長期優良住宅のほうが1割から2割ほど揺れに耐える力が強かったということです。

「倒壊はしたものの、時間的にはずいぶん遅れて倒壊した」「詳細にデータを解析し、結論を出したい」(河上研究員)。

グループでは「実験の条件に左右された面もあると考えられ、基準の見直しにつながるものではない」としています。 ( 2009/10/28 19:52 更新)

   *********************************

    〇 記事を読んでの筆者の感想
       記事がどこまで、発言内容を正確に伝えているか、分りませんが、
       発言が事実だとすると、いずれも scientific ではなく、「研究者」の発言には思えません。
       とりわけ、下記の発言は何だろう。いじましい。
       《予想と違ったことは確かだが、両方の試験体ともに倒壊に近い状態になったと言える》
       《データの上でも、長期優良住宅のほうが1割から2割ほど揺れに耐える力が強かったということ》
       《倒壊はしたものの、時間的にはずいぶん遅れて倒壊》
       唯一まともなのは「詳細にデータを解析し、結論を出したい・・・・」ぐらい。

       《実験の条件に左右された面もあると考えられ、基準の見直しにつながるものではない》
       「基準の見直しにつながらない」あたりまえです。
       こんなのでやたらに基準を変えられてはたまらない!
       もういい加減にせい!と言いたくなります。[感想文言追加 11月1日 15.39]

「速報」に於いて書きましたように、「試験体」の詳細(設計図など)を知るべく、「防災科技研」に「問合せ」を行いましたが、その進行状況・経過に付いて、明日あらためてお知らせいたします。

   註 この記事へのコメントで触れている2007年1月23日の記事は下記です。[註記追加 11月3日 7.19]
      「地震への対し方-2・・・・震災現場で見たこと、考えたこと」

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報告:信州・松代「横田家」の「包ほぞ差し」とは

2009-10-31 08:04:59 | 日本の建築技術
[文言追加 9.32][文言追加 10.16][解説追加 14.17][文言追加 14.27][註記追加 11月1日 11.30]

 * 30日の記事「三木のE-ディフェンス」に、神戸新聞の記事を転載しました。

去る9月1日に、「信州・松代『横田家』-3・・・・その架構の考え方」で、
・・・「飛貫」は、材種・材寸、納まりとも、基本的には「内法貫」と同じですが、ただ、端部は柱に「包枘差し」・・・。
とありますが、「包枘差し」の姿が分らない、単なる「枘差し」か、・・・
と書きました。

この判断は、腰の位置にある数段の壁下地になる「貫」様の材も、柱間に「包枘差し」納めとしている (つまり柱を貫いていない)とあったからです。
柱を貫かないで柱~柱に材を仕込むには、後入れしかない、後入れなら「行って来い」(やり返し)で入れられる、と考えたのです。

ところが、先般、千葉県船橋市で設計事務所を構える久保恭一氏から、TECH/木継手・仕口CAD図/継手・仕口No.3/ に各種の「枘差し」の一として紹介されている、とのご教示をいただきました。

   註 数日前にご教示いただき、もっと早く書くつもりだったのですが、
      「3階建て実物大実験」の「倒壊事件」の速報のため、遅れました。

      久保氏のデータの入手先のアドレスは、コメントをご覧ください。[追加 11月1日 11.30]
      
それによると、これは普通に「地獄枘」と呼ばれている「仕口」のこと。

「地獄枘」は、上掲の図のような「仕口」を言い、仕事は以下のように行います。
① 片方の材の端部に「枘」をつくりだし、他材には「枘孔」を彫ります。
   ここまでは普通の仕事。「枘」の長さ、「枘孔」の深さを a とします。
② 「枘」に、鋸で「楔道」をつくります。長さは「楔」の長さ b 以下。
   つまり、b<a です。(図の a、b の文字が見にくくて恐縮!)
   「楔」は1本でも2本でも可。「枘」の大きさによると考えられます。
③ 「枘孔」を鑿(のみ)で、末広がり:バチ型に加工を加えます。
   「枘幅」が開いたときに「枘」を「枘孔」密着させるため、
   バチ型の裾の幅は、「枘幅+楔幅」より、若干狭くします。⑤参照。[解説追加 14.17]
④ 「枘」の「楔道」に「楔」を少し噛ませ、そのまま「枘」を「枘孔」に差し込みます。
⑤ そして、材を打ち込んでゆくと「楔」の厚い部分が「枘孔」底にあたり、
   「楔道」に「楔」が差し込まれてゆき、「枘」はバチ型に広がります。
   [文言追加 9.32]
   小さな「枘」の場合は、「枘孔」は強いてバチ型にしなくてもよいようです。
   「楔」で「枘」がバチ型に広がろうとして、その摩擦で抜けなくなるからです。
⑥ 材を打ち込み終ると、材と相手は、一体になり、抜けなくなります。

一旦取り付けると、端部を鋸で切り、「枘」を鑿で掘り取るしか、はずすことはできません。そんなところから「地獄」の名が付いたのでしょう。

なお、図は、分りやすくするため、「胴附」を設けず、「楔」が1枚の場合で書いてあります。
普通は「胴附」をつけます。
また、この図は、柱に柱と同じ幅の横材を取り付ける場合で書いていますが、横材の幅は自由です。
もちろん、梁・桁などの横材に横材(つまり梁や桁など)を取り付けるときにも使えます(上の図を横にします)。

板材端部全体を「枘」と見なし、その先端に「楔道」を設けるだけでも可能です。多分、「横田家」の壁下地は、このようになっていたのだと思います。[文言追加 10.16]

「地獄枘」は、柱や梁・桁に「仕口」の痕跡を見せずに(たとえば「込み栓」や「割楔」などを見せずに)確実に材を取り付ける、あるいは、既存の材(柱あるいは梁・桁など)に、増改築などで新たに材を取り付けたい、などというときに使えます。
たとえば、「霧除け庇」の「腕木」を柱に取り付ける場合、確実できれいに仕上げるには絶好の「仕口」です。

   註 三尺ほどの長さの材の場合、打ち込まれると、ぶら下がっても大丈夫です。

「地獄枘」は、上の写真のように、「礎石」に「独立柱」を据えるときにも用いることができます。
上の写真は、金属板屋根の「土庇」を支える「独立柱」。
右ができあがり、左は「柱」の脚部の加工。
「柱」の頂部は「重枘(じゅうほぞ)」(「重ね枘」と言う人もいます)にして、折置の「つなぎ梁」とその上に架かる「丸太桁」を差しています。

この場合は、「礎石」にドリルで丸い「枘孔」をあけ、柱脚に「丸枘」をつくり、「楔」を仕込んでから据え付けます。
「枘孔」は末広がりには加工していませんから、ここでは、「枘」と「枘孔」の間の摩擦に頼っていることになります。木の方を「傷めて」いるのです。木だからこそできるのです。[文言追加 9.32]
柱と礎石を金物で緊結せよ、と言われますが、この方が数等確実で、仕上げも良好です(ただしコンクリートの礎石では難しいのでは?やったことはありません)。[文言追加 14.27]

     余 談  
     木造建物の柱頭、柱脚の接合法:仕口の法令上の検討法に
     「N値計算法」というのがあります。
     例の「3階建て木造住宅の倒壊実験」で、試験体-1に用いられていたようです。
     この計算法は、平屋建ての場合
      N=A×B-L で計算することになっていて、中間にある柱では、
       Aは、当該柱の両側の軸組の「壁倍率」の「差」
       Bは周辺部材による「押さえ」の効果を示す係数で 0.5
       Lは鉛直荷重による押さえの「係数」で 0.6
     と決められています(詳細は平成12年建設省告示1460号ただしがき参照)
     もちろん、「耐震診断・耐震補強」の記事で書いたように
     A、B、L は、精密・厳密のようでいて、いずれも about な数値です。

     さて、そうだとすると、
     「独立柱」は、その両側に「壁倍率」のある軸組はありません(だから「独立」という)。
     したがってN値計算をすると、というよりも計算しなくても N=0 。
     つまり、柱脚、柱頭とも、接合法:仕口に気を使わなくてよい、ということ。

     しかし、「土庇」のような場合、特に屋根が軽いときには、
     風による「吹き上がり」を気にしなければならないのが「独立柱」です。
     ところが、法令の「規定」にしたがうならば、何でもいい!

     この話は、N値計算をされたことのある方の間では、周知の事実です。
     つまり、法令の規定に拠るのではなく、
     私たちの「良心」に拠り設計することを第一、と考えた方がよい、
     ということです。
     そうやって設計してあれば、例の実験のような倒壊事件は起きません。

     柱頭、柱脚の接合法の検討に、もう一つ「許容応力度計算」法がありますが、
     木造建築では、理論と実際の整合性がない、と言われています。 
     
横道にそれました。
さて、「横田家」の架構では、「飛貫」はもとより、柱と柱の間に入れる壁下地までも「包み枘」すなわち「地獄枘」であった、ということになります。
ということは、その材は「建て込み」で仕込むしかありません。

つまり、「横田家」は、きわめて丁寧な仕事でつくられていた、ということになるわけです。

久保様、情報のご教示、ありがとうございました。
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雑感・・・・三木の「E-ディフェンス」

2009-10-30 02:52:59 | 地震への対し方:対震
[註記追加 10.25][解説文言改訂 31日 10.35][神戸新聞の記事転載 31日 17.07]

「長期優良住宅」の実物大実験の「速報」のおかげで、予定の記事作成のペースが乱れています。

「動画」を見ていささか驚いた後、いったいどんなものだ、と思って「防災科学技術研」のHPで「実験実施のお知らせ」という9月28日付「プレス発表資料」を見てみました。

     動画中の、倒壊・転倒直後の
     「どういうこと?」とのような発言と、
     笑い声が印象的です。
     笑い声は、苦笑か失笑かそれとも哄笑か・・・・。

「プレス発表資料」によると実験に使われた「実物」は、構造用集成材の105㎜角の柱(!?)を使い、梁桁も構造用集成材で
試験体1:N値計算に準拠した許容応力度計算で接合金物を決定した建物
試験体2:耐力壁が耐震等級2を満たすが接合部設計を存在応力に基づき行った建物
とあるだけで、[試験体1の解説文言改訂 31日 10.35]
図面は平面図だけ、断面図も伏図も接合部の詳細も分りません。
先回のいわゆる「伝統的工法による住宅」の実験では、詳細な図が開示されていました。
今回はどうして図が示されないのだろう?
そこで、「防災科学技術研」に、試験体の設計図面を教示いただくべく、研究所HPの所定の「問合せメール」宛、問い合わせ中です。

「プレス発表資料」の写真と「動画」に写っている建物から判断すると、潰れたのは「試験体1」のようですが、よく分りません。

なお、先回の記事のコメントに、この実験についての地元紙「神戸新聞」の記事と、別の角度で撮影された「動画」のアクセス先を紹介していただいております。

以下が「神戸新聞」の記事です。[記事転載 31日 17.07]

  ***********************************

認定が進む「長期優良住宅」の耐震性能を図る建物倒壊実験が27日、三木市の実大三次元震動破壊実験施設(E-ディフェンス)であった。
2棟を揺らし、まず、柱の接合部の弱い建物が損壊。接合部の強い優良住宅の建物も最終的に倒壊した。研究者は「与えた地震動が大きすぎたためで、耐震性に問題はない」としている。

長期優良住宅は、耐震性や耐久性に優れた建物が認定され、住宅ローンの優遇措置などが受けられる。
実験は、3階建て木造住宅2棟を使用。一方は優良住宅の基準を満たし、もう一方は同じ構造、重さながら柱の接合部を弱くした。

震度6強の揺れを20秒間与えた。接合部の弱い住宅は10秒で1階部分の柱が傾くなど「全壊」並みの損壊。
優良住宅は柱は持ちこたえたが、壁に圧力がかかり、20秒を過ぎて倒壊した。

優良住宅は、通常基準の1・25倍以上の耐震性が必要とされるが、今回は1・8倍の地震動を与えた。
実験グループの大橋好光・東京都市大学教授は「1・8倍まで耐えられると思ったが、壁が弱かった。基準はクリアしたが、今後データを詳しく分析したい」と説明した。(岸本達也)

    記事を読んでの筆者の感想
     壊れても基準はクリア、とはこれいかに?
     もう一方は、よわいはずなのに、なぜ倒壊しなかったの?

  ***********************************
 
ところで、「動画」を見て、実験そのものとは別の感想を私は持ちました。
実験にはかなりのギャラリーがおられたようです。
このギャラリーの皆様は、いろいろな所から来られた方々だと思います。遠路はるばる、という方もおられるでしょう。

E-ディフェンスのある三木は、地図を見れば一目瞭然、「浄土寺・浄土堂」のある小野市へは10km程度、千年家「箱木家」は、神戸への帰り道沿い、同じく千年家「古井家」は少し遠いけれども40kmほど、中国自動車道を使えば直ぐ。

これらの建物は、どれも、それこそ「長期優良」建物、「浄土寺・浄土堂」は築800年以上、「箱木家」「箱木家」は築400年ほどです。

ギャラリーの方々で、これらの建物の内の一つでも「ついでに」訪ねた方はおられたのでしょうか。

そして、「防災科学技術研究所」の方々で、これらを訪ねた方は、どのくらいおられるのでしょうか。

もちろん、実験の共催者「木を活かす建築推進協議会」の方々は、「木を活かす」ことを考えている以上は、当然のこととして、訪ねているのでしょうね?

先回の「いわゆる伝統工法の住宅」の実物大実験を訪れた「伝統工法」に関心をお持ちの方々の中でも、訪れた方はいなかったようです。
私などは、実験だけ見て帰るなんて、交通費がもったいない、と思ってしまいます。

   註 「古井家」「箱木家」については、下記をご覧ください。[註記追加 10.25]
      この記事では、室町期に建てられた「千年家」は、
      壁に依存することなく、架構自体で自立していたことについて書いています。
      「日本の建物づくりを支えてきた技術-23の補足・・・・古井家の貫から貫工法を考える」
      「日本の建物づくりを支えてきた技術-41の補足・・・・復元・箱木家の空間と架構」 
      「浄土寺・浄土堂」については、各所で触れていますので、
      「このブログ内」で検索してくだされば幸いです。
      なお、その検索でも、上記の記事ならびに関連記事に寄れます。
        
暗い話はやめましょう。
上掲は、先日の台風20号が去った後の「神社の杜」の夕映え。
実は、ほんの一瞬前まで、二本の杉の古木の頂とその下の枝には、数羽の烏がとまっていたのですが、カメラを取りに行っている間に、飛び立ってしまっていました。
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速報・・・・「長期優良住宅」基準の建物が実物大実験で倒壊

2009-10-29 07:12:02 | 地震への対し方:対震
[アクセス先 追記 29日17.08][日本経済新聞 28日 朝刊記事 転載 18.00][註記追加 18.10]

先回の「耐震診断・耐震補強の怪-3」のコメントに、標記についての情報が寄せられました。
コメントにその内容を載せましたが、見やすいように記事にもしておこうと考え、以下に転載します。

出所は28日の「日経」ネット配信ニュースです。なお、実験の動画もあります。アクセスは下記で。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091028AT1G2703J27102009.html
http://www.youtube.com/watch?v=IJQW8fuCwDc

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「長期優良」でも倒壊  3階建て木造住宅耐震実験 防災研

防災科学技術研究所などは27日、大型震動台「E―ディフェンス」を使って
3階建て木造住宅を揺らし、耐震性を試す実験を実施した。
その結果、
震度6強で、揺れに耐えると考えられた「長期優良住宅」の基準を満たす住宅が倒壊。
実験を指揮した東京都市大学の大橋好光教授は「基準に問題はない」としているが、
3階建て住宅の増加もあり、同研究所は設計上の課題などを探る。

実験では同じ設計の木造3階建て住宅を2棟使用。
1棟は「耐震等級2」を満たす長期優良住宅。
もう1棟は柱の接合部のみを弱くしてあり、同等級を満たさない。

2棟を並べて耐震基準の1.8倍、震度6強相当の人工地震波で約20秒間揺らした。
実験した住宅はともに耐震基準の1.44倍に耐える設計だが、
実際には余裕を持たせて建築しているため揺れを上乗せした。

その結果、長期優良住宅は揺れ終わる間際に壁が崩れ横転するように倒れた。
計画では、ぎりぎり倒れないはずだった。
もう一方は揺れ始めて約10秒後に柱の接合部が壊れたが、完全には倒壊しなかった。(07:00)

  **********************************

「長期優良」の3階建て木造住宅、震度6強で倒壊 防災研が実験  [10月28日/日本経済新聞 朝刊]

防災科学技術研究所などは27日、大型震動台「E―ディフェンス」を使って
3階建て木造住宅を揺らし、耐震性を試す実験を実施した。
その結果、震度6強で、
揺れに耐えると考えられた「長期優良住宅」の基準を満たす住宅が倒壊。
実験を指揮した東京都市大学の大橋好光教授は「基準に問題はない」としているが、
3階建て住宅の増加もあり、同研究所は設計上の課題などを探る。

実験では同じ設計の木造3階建て住宅を2棟使用。
1棟は「耐震等級2」を満たす長期優良住宅。
もう1棟は柱の接合部のみを弱くしてあり、同等級を満たさない。

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

坂本功氏の後を引き継いで現在「木造」をいわば牛耳っている大橋氏の「言い訳」に注目。

接合部が弱い「優良基準を満たさない試験体」の方が倒れなかった、というのが象徴的です。
「斗栱」による古代建築が、なぜ地震に強いか、実験してくれたみたいですね(当初の「東大寺・大仏殿」は、軒先が垂れたようですが、焼き討ちにあうまでの400年ほどの間、地震では壊れていない!⇒下註参照)。

   註 「日本の建物づくりを支えてきた技術-12・・・・古代の巨大建築と地震」
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耐震診断・耐震補強の怪-3・・・・数値で誤魔化す

2009-10-27 12:39:12 | 地震への対し方:対震
[文言追加 27日15.20][註記追加 27日 17.44][副題変更 17.57][文言追加改訂 18.03]

「耐震診断・耐震補強」は、「建築物の耐震改修の促進に関する法律(平成7年法律第123号」に基づいて制定された「国土交通省告示第184号(平成18年)」に規定された方法で行われることになっています。
そこには、「構造耐震指標:Is、Iw」(Iw は木造、Is はRC造など)なるものを計算して判断せよ、とあり、ここでは書きませんが「計算用《公式》」と計算にあたっての細かな指示が示されています(Ⅰとは、index :指標という意味)。
けれども、こと細かでありながら、実際の規定で用いられる数値は、実は、どんぶり勘定的な about なものと言ってよいでしょう。これは、これまでの耐力壁の計算にあたっての「壁倍率」においても同じです。[文言追加改訂 18.03]
細かく規定されている計算式で、about な数値で計算しておいて、〇〇以上、以下という可・不可の判断をする。しかし、この〇〇の数値自体もまた about。
about であろうが、これまでの「学的経験値」としての数値だ、というのでしょう。
職人さんたちの現場経験による直観や経験を否定しておきながら、こういうところに来ると、突然自分たちの「経験」が顔を出すのです。

第一、この「学的な経験値」というのは、先回も、そして他のところでも触れてきたように、構築物:架構は「耐力部」+「非耐力部」である、との「仮説」(?)の下で得られたもの。
この「仮説」自体がすでに実際の構築:架構を見誤っているわけですから、そこから得られた経験値もまた怪しげ、ということになります。

建築学関係での「学的な経験値」は、「物理学」のそれとはまったく比較にならないほどお粗末だ、ということを認識する必要があるのではないでしょうか。


上掲は、もう何度も掲載してきた奈良・今井町の「高木家」の平面図と断面図です。「高木家」は1830~40年ごろの建設。
この建物は、重要文化財に指定されて行われた1979年の解体修理まで、小さな改造や修理は行われているものの、全体にかかわる大修理などはなされていません。

さらに、これもすでに触れたことですが、1854年(安政元年)の「安政東海地震」「安政南海地震」(いずれもM8.4)など、何回もの地震に遭っていますが、解体修理時には、土台の腐食、蟻害はありましたが、地震によると思われる損壊等は見られませんでした(「『耐震診断』は信用できるのか・補足・・・・高木家の地震履歴」参照)。

ところが、この建物を、木造建築の「簡易耐震診断法」で「診断」すると、たちどころに「要耐震補強」、あるいは「専門家の指示を受けなさい」という「判断」が下されます。布基礎でない、桁行方向に壁が少ない・・・、からです。
閑がたくさんありましたら、お験しください。07年10月16日記事(「『耐震診断』・・・・信用できるのか?」)では、簡易診断法で計算してみています。[文言追加 27日15.20]

実は、何度も書いてきましたが、1981年以前だろうが以後だろうが、歴史のある村や町に今でも多く建っている昔ながらの工法でつくられた農家や商家は、皆、「要耐震補強」、あるいは「専門家の指示を受けなさい」という「判断」が下されてしまうのです。
しかし、各地の地震で、これらの建物に大きな被害がなかったことは、周知の事実です。

   註 聞いた話ですが、滋賀県建築士会では、
      「昔ながらの工法でつくられた農家や商家」の「耐震診断」では、
      「簡易診断法」を安易に適用しないよう、会員に周知徹底している
      とのことです。[註記追加 27日 17.44]

であるとすると、今の「耐震診断」法が適用できるのは、1950年~1981年の間に、時々の建築基準法の規定にしたがって建てられた建物の「診断」にだけ、意味がある、ということになります。


しかし、なぜこうも「数値化」に走るのでしょうか?
たしかに数値の大小は、誰が見ても一目瞭然。
しかも、数字で示されると、何となく信憑性が高いように見え、なんとなく抗いにくいという意味で《説得力》もある。
それゆえ、こういう数字も「霊感商法」に使えるのです。言うなれば、「科学的霊感商法」。「科学的」装いをとるから始末が悪い。


大分前のことになりますが、厳密とは何か、精密とは何か、について、書いた記憶があります(「厳密と精密・・・・学問・研究とは何か」

そこで、ある人の著述を紹介しました。くどくて恐縮ですが、そのなかから、再び、その一部を抜粋します。

その文中に
「この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が見込まれていなければなりません。
この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、はじめて眺められるのです。」という一節がありますが、
この認識を欠いたいかなる「研究」も(構築物:架構は「耐力部」+「非耐力部」である、との「仮説」は、まさに、あらゆる経過事象:経験されてきた事象:が見込まれていないのです)scientific とは言えない、と私も思うからです。

そして、見誤った「見取図」すなわち[架構は「耐力部」+「非耐力部」である]との見かたの下で生まれたいかなる「公式」も、砂上の楼閣の如きものではないでしょうか。
その公式で、細密な計算をする、それを判断の神のように扱う・・・。そこに虚しさを感じませんか?

なお、抜粋部分は、読みやすいように、前回紹介のときよりも更に、原文とは異なる段落に替え、仮名を漢字に直すなど、手を加えてありますが、もちろん文意は原文のままです。

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
   ・・・・・
   今日人が学問と呼んでいるものの本質は、研究です。
   ではどこに、研究の本質があるのでしょうか。
   それは、認識することが自ら道案内として、自然であれ歴史であれ、
   存在するものの領域内で身構えるところに、成り立つのです。

   道案内とは、ここでは単に方法や手続きを言うのではありません。
   なぜなら道案内はすべて、自らがそのなかで動く或る開けた区域を、
   予め必要とするからです。
   しかし、ちょうどそのような区域を開くことが、研究の基礎工程なのです。

   これは、存在するものの或る領域たとえば自然において、
   自然現象の一定の見取図(輪郭)が描かれることによって、行われます。
   いったいどんな仕方で認識する道案内が、開かれた区域に結びつくべきか、
   ということを予め描くのが企画です。

   この結びつき方は、研究の厳密さです。
   見取図の企画と厳密さの規定とによって、道案内は存在領域において、
   その対象区域を確保します。
   最も早くから発達し且つ標準的な近代的学問(近代科学)である
   数学的物理学をみれば、このことが明らかになります。
   ・・・・・

   物理学は一般に自然の認識であり、特に質量的物体的なものを
   運動において認識することです。
   なぜなら質量的物体的なものは、それが様々な仕方にせよ、
   すべて自然的なものに直接に例外なく現われるからです。

   さて物理学が、ことさらに数学的な或るものへと形成されるとすれば、
   これは或る強調された仕方において、数学的なものを通じて、
   また数学的なものにとって、なにものかがすでによく知られたものとして、
   予め構成されている、ということなのです。
   この構成は、求められた自然の認識にとって、
   いつか、自然であるべきところのものを企画することに
   全く他ならないのです。

   すなわち、これは時間空間的に相関連する質点の自己完結的な運動連関に
   他ならないのです。
   この構成されたものとして設定された自然の構図に、
   とりわけ次の諸規定が記入されます。
   すなわち、運動は場所の移動である、いかなる運動も運動の方向も、
   他のそれらより勝っていることはない、すべての場所は他の場所と等しい、
   いかなる時間点も他のどの時間点に優先しない、すべての力はそれが運動に、
   すなわち
   再び時間単位における場所の移動の大きさという結果を伴うところのものにしたがって
   規定される、
   換言すればそれ以上でも以下でもない、などなど。

   この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が
   見込まれていなければなりません。
   この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、
   はじめて眺められるのです。

   物理学的研究の、その問のどの歩みも、予め企画に結びつくことによって、
   自然についてのこの企画が確実さを保っています。
   この結びつき、すなわち研究の厳密さは、
   企画に沿ってそのつど独自の性格をもっています。
   数学的自然科学の厳密さは、精密さです。
   すべての出来事は、それらがおよそ自然現象として表象されるときには、
   その際予め時間-空間的な運動量として規定されねばなりません。
   そのような規定は、数と計算の助けをかりる測定において行われます。
   ・・・・・
   しかし数学的な自然研究は、
   正確な計算がおこなわれるから精密なのではなく、
   その対象領域への結びつきが精密さの性格をもっているので、
   そのように計算されねばならないのです。
   ・・・・・
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

すなわち、[架構は「耐力部」+「非耐力部」で構成される]との見かたは、厳密ではない、ことになります。
厳密でない仮説の下で、精密な計算だけを要求される、この不条理。

文の上記以外は、前記記事をご参照ください。   
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耐震診断・耐震補強の怪-2 の 補足

2009-10-24 10:33:17 | 地震への対し方:対震

先回の終りに、かつての日本人の「補強」の考え方の一例として「慈照寺・東求堂」の小壁を例にしていますが、「木造住宅読本」では、もう少し詳しく書いていますので、その箇所をそのままスキャンしました。上掲のコピーです。

要は、かつての日本人は、建物を「日常」のためにつくったのに対して、
現在の法令では、建物は「耐震」のためにつくるかのように変貌をとげている、と言ってよいでしょう。
極端な言い方をすれば、「日常」は、耐震のためなら犠牲にしてよい、そういう考え方なのです。

かと言って、かつての日本人が地震について考えなかったわけではありません。
日本が台風や地震に頻繁に見舞われることは百も承知。
そのような状況下で、「日常」を、いかに維持するか、それが彼らの念頭にあったのです。
あたりまえの話です。

上掲の解説にも書きましたが、現在の建築家・建築学者は、開口部を広くとりたいという住み手の気持ちを無視して、壁で塞いでしまうでしょう。
現に、耐震補強の例として、今でも農家建築に多い二間続きの座敷(大抵は八畳ないしは十畳二間)の間仕切:襖部を、補強のための耐力壁で仕切ってしまう策が、模範例として提示されているほどです。

人は耐震のために毎日を過ごすのではありません。あたりまえのことです。
「技術の意味」を忘れたくないものです。

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耐震診断・耐震補強の怪-2・・・・世界を救うのは強者だけ?

2009-10-23 17:49:18 | 地震への対し方:対震

[写真番号 誤記訂正 24日 2.10][文言追加 24日 2.17][文言追加改訂 24日9.28][文言追加 24日 9.35][文言追加 27日15.17]


今回は、いつも以上に長くなりますが、ご容赦を!

上掲の写真は、近くで見かけた「耐震補強」を施したRC造の学校校舎(以前にも載せたような気もしますが・・・・・⇒07年10月13日記事参照)。[文言追加 27日15.17]
ともに、ローム層の台地上に立地しています。

②の写真の、4階建て既存校舎の左端にある窓のないコンクリートの塊部分が「耐震補強」のために付加された部分です。

①は、最近多く見かける「耐震補強」のためにRCの「筋かい」を付加したRC校舎です。写真はありませんが、鉄骨の「筋かい」を付加した例もあります。
最近は、新築でも、このような「筋かい」を堂々と教室の前面に取り付ける学校を見かけます。

②を見たのは「耐震補強」が叫ばれだした初めの頃、したがって10年以上前のことです。
これを見たときの私の感想は、なぜこんな危なっかしいものが「補強」になるのか、という違和感でした。
私には、もしも地震があったら、特に校舎に直角方向:短手・梁行方向:の揺れがあったら、「既存部」と「補強部」の境:接続部で破断を起こし、結果として既存部にも影響が生じるのではないか、と思えたからです。もちろん、校舎に平行の方向:長手・桁行方向:の揺れでも異常を起こすのではないでしょうか。

①は比較的最近の例です。シートが外され、全貌が見えたとき、やはり違和感を覚えました。それは2点あります。
一つは、
イ)既存の校舎にはなかった「不均衡」、すなわち「強い部分」と「弱い部分」を、何故わざわざつくるのか、私には理解できなかったからです。
もう一つは、
ロ)新設の筋かいのある教室では、常に子どもたちの視界を斜めの線が横切ることになりますが、そういう鬱陶しい空間に変えてしまって平気でいられるというのが「不思議」だったからです。
これは、かつての日本の人びとにはなかった、きわめて粗暴な感覚です。

先ずイ)について。
先に紹介した 遠藤 新 の言葉の中に「不釣合いは不縁のもとで、不権衡は不健全である。外(ほか)の部分が弱められるか、強い打撃をうけるかに終る」という言葉がありましたが(「遠藤 新 の構造、材料についての考え方」参照)、私もまた同様に考えるからです。

私が若い頃、校舎のように同じような部屋が横並びする細長い建物の場合、短手方向の強さは気にしても、長手方向については左程問題にしないのが普通でした。

何故問題にしなかったのでしょうか。

模型で仮想実験をしてみましょう。
何階建てでもいいですが、4本の柱で支えられた直方体Aがあったとします。つまり、4本の柱でつくられた柱状の立体に床板が何枚か入っている立体です。
もう一つ、立体Aと同じ大きさの立体が数個長手に連続している直方体Bがあるとします。接続箇所では、柱を共有することになります。
たとえば4個横並びになった直方体では、柱10本で支えられ、それを貫いて床板が入っている立体になります(模型をつくって写真を撮ろうかとは考えていたのですが、間に合いませんでした。言葉で書くと面倒ですが、簡単な形ですので、姿を想像してください)。

この模型AとBを平らな板の台の上に糊付けします。そして、その板の横腹を、置かれた立体の、直角方向(短手方向)、平行方向(長手方向)にハンマーで軽く叩いた場合を想像してみてください。
たとえば、台を右から左へ向かって叩くと、立体は右側に倒れようとするでしょう。これがいわゆる「慣性」です。注意したいのは、そのとき、台に糊付けされている(固定されている)ため、模型の足元は台とともに左方向に動いていることです。後でふたたびこのことに触れるでしょう。[文言追加改訂 24日9.28]

結果は、直角方向、平行方向ともに、Bの方が倒れにくい筈です。
とりわけ平行方向(長手方向)では、かなりの差があります。
これはあたりまえすぎるほどあたりまえです。
4個のAを横並びした大きさの直方体全体で「水平力」に対応しているからです(これは、実験しなくても分る筈ですが、模型をつくって実験すればすぐに分ります。ウソだと思われる方は、実験してみてください)。
なお、直角方向:短手方向でも、集まった4個のAの大きさの立体の方が、A1個のときよりは、強くなります。

私の若い頃、この「事実」は、誰もが実験をするまでもなく、分っていた、つまり「常識」だったのです(その「常識」は、各人の「体験・経験」で培われていたのだと思います)。

では、その直方体の一部に、不均衡になる部分をつくります。
たとえば、4個のうちの3個目の床板を、天板だけ残して取り去ります。
この立体を、同じように板に貼り付け叩いてみた場合を想像してみてください。
床板を取り除いた部分で、捩れたり、潰れたりする筈です。これが「不権衡は不健全」と言う所以です。


では、何故、最近は「不健全な不権衡」が奨められるのでしょうか?
その理由は、「最新の耐震理論」にあります。

その「理論」とは、簡単に言えば、「地震の力」は主として「水平力」である。その「水平力」に対して、建物の保有する「水平耐力」が対応する、というものです。
そのとき、建物の「水平耐力」を担うのが「耐力部」、すなわち主に「筋かい」を含む「耐力壁」であり、各層(各階)にある「耐力壁の耐力」をすべて足したものがその階の保有する「水平耐力」:「保有水平耐力」である、ということになります。
そして、簡単に言えば、建物の各階の「保有水平耐力」が、地震による「水平力」に耐えられるかどうか、その「検討」が「耐震診断」であり、「保有水平耐力」が足りなければそれを補う、これが「耐震補強」、ということになります。

一見するかぎり、筋が通っているように見えます。
しかし、肝腎なことが忘れられているのです。
「耐震」を考えるあまり、「耐力部」だけしか見えなくなっているのです。
すなわち、「耐震」とは[「耐力部の耐力」vs「地震の水平力」のこと]に掏りかわり、「建物全体」が視界の外に消えてしまったのです。

すなわち、この理論の前提・根底には、[建物は「耐力部」と「耐力には無用の部分」によって構成され、「耐震」に働くのは「耐力部」だけである]という考え方があり、ゆえに[「耐力部の耐力」vs「地震の水平力」]という考え方が生まれ、「耐力には無用の部分」はもとより「全体」が見えなくなる、あるいは、見なくてもよい、という考えに至るのです。

もう一つ、肝腎なことが忘れられています。
いったい、「建物に加わる水平力」は、何ゆえに生じているのでしょうか。
ここで、以前に紹介した「在来木造建築の耐震」についての日本建築学会のパンフレットの「記述」を思い出してみてください(「現行法令の根底にある『思想』・・・・学界の木造建築観、耐震観」参照)。
そこには、
「木造軸組工法の住宅が地震にあうと、柱、はり、すじかいで地震のカを受け持って、土台、アンカーボルト、基礎、地盤と力が伝わります。」
と書かれています。
この「地震の力」はどこから現れたのでしょうか?


たしかに、地震の際、「地上に置かれた物体」には、普段は考えられない力が加わります。その主なものが「水平力」です。
けれどもそれは、a)地面に固定されている物体の場合、b)地面に固定されていない物体の場合、とでは異なるはずです。

先ほどの仮想実験は、a)に相当するもので、ハンマーで台を叩いて生じた台上の立体に起きた動きが地震にほかなりません。
このとき、台上の物体は台とともに動きましたが、同時に、あたりまえではありますが、「慣性の力」が働いているのです(先の仮想実験では見えにくいですが、「だるま落とし」を考えれば分ります)。つまり、物体が、元の位置を保とうとするために、物体の生じる水平方向の力です(バスが急発進したとき、立っている人が受ける力と同じです)。したがって、a)の場合は、台の動きによる力と慣性の力、この両者が物体に働いていることになります。[文言追加 24日 9.35]

ところが、b)の場合は、台と立体の間に摩擦がないとすれば、物体は台とともには動きません。それゆえ、物体に生じる「水平力」は、「慣性による力」だけ、ということになります。
実際には、b)の場合でも、台と物体の間に摩擦がありますから、一定程度、物体は台とともに動きますから、大きさは違いますが、物体には、台の動きによる力と慣性の力の両者が働いています。
しかし、その力は、a)の場合に比べ、はるかに小さくてすみます。そしてこれが、かつての日本の木造建築の工法だったのです。


現在の「耐震理論」は、おそらく、a)の場合しか考えていませんから、「建物に生じる地震の力=地面の動き」と見なし、「慣性により生じる力」を忘れているのではないか、と思われます。
なぜなら、もしも「慣性により生じる力」が念頭にあったならば、「耐力部」と「耐力には無用の部分」という分け方はできないはずなのです。
「慣性による力」は、「耐力部」「非耐力部」には関係なく、つまり、「理論」どおりに仕分けて生じるようなことはなく、立体各部に「平等に」生じ、その結果、不権衡部:弱いところ:に障害が生じることが分る筈だからです。
地面が揺れると(つまり地震が起きると)、建物各部には、強い、弱いは関係なく、平等に慣性による力がかかる、このことを忘れては、地震を語る資格なし、と言ってもよいかもしれません。[文言追加 24日 2.17]

そしてこれが、架構を「すべての部材を、一体化した立体にする」ことの必要な理由にほかならないのです。
すでに多くのところで触れてきましたが、かつての日本の工人・技術者たちは、このような理屈を通してではなく、幾多の現場での体験・経験を通して、架構を「一体化した立体」になることを目指してきたのです。

残念ながら、現在の「耐震理論」は、「強者」だけが地震に耐えるのだ、それ以外は不要だ、と言っているのに等しく、わが「現代社会」の縮図のような「考え方」と言ってよいでしょう。

さて、ようやくロ)にたどりつきました。
すなわち、耐震のためなら日常の不愉快など問題でない、という「考え方」の粗暴さについて。
かつての工人は、逆に考えました。
日常の暮しが第一。それをどうやって確保するか、それが「技」「技術」というものだ、と。
そのよい実例は、いかにして開口部を広くとるか、そのために工夫された「慈照寺・東求堂」です。「『在来工法』はなぜ生まれたか-4の補足・・・・日本の建築と筋かい」で紹介してありますので、参照ください。文化財建造物での唯一の「筋かい」例です。

よく、ここまでお読みくださいました。ありがとうございます。
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「耐震診断・耐震補強」の怪-1・・・・霊感商法?

2009-10-20 18:30:34 | 地震への対し方:対震

[註記追加 21日 9.45][文言追加 21日9.54]

これから数回書くことは、ある方々の《顰蹙(ひんしゅく)を買う》内容になるはずです。それを百も承知の上で書きます。


ここしばらくよく耳にし目にする言葉に「耐震診断・耐震補強」があります。
「病院・医療機関」の「耐震化率」は未だにこんなに低い・・・、〇〇県の「耐震化」は極めて遅れている・・・などと、一般の人びとを不安に落としいれてもおかしくない「報告」を、今でも見かけます。

また、日本の各地で、「耐震診断・耐震補強」が着々と実施に移され、その「実務」は、各地の建築士の仕事の重要な一部ともなっているようです。
そして、実際の「耐震補強」をした「実例」も、多く目にするようになっています。

これらの一連の「耐震診断・耐震補強」の「状況・事実」を見ていての私の感想は、一言で言えば、「これは一種の『霊感商法』だ」というものです。

なぜでしょうか。

「霊感商法」とは、簡単に言えば、「人の不安をあおり、そこにつけこんで、『霊験あらたかな(と称する)商品』を売りつける商法」です。
「耐震診断・耐震補強」もまた、「耐震診断」で、このままではいつなんどき地震で被災するか分らないという恐怖に人びとを落としいれ、「霊験あらたかな耐震補強」を奨める点、そっくりではないですか。

そもそも、町なかで見かける「耐震補強」なるものが、本当に「霊験あらたか」なのか、はなはだ疑わしい、と私は考えています。だから、「霊感商法」ではないか?と言うのです。
それについては次回以降に触れます。


いったい、「耐震診断」とは、どのようなことを言っているのでしょうか。

ある「建築工事第三者検査機関」が「定義」している内容を要約すると、次のようになります。これは、「耐震診断・補強を推奨する法令」の模範的解釈と言ってよいでしょう。

  耐震診断とは、既存建物(1981年以前に設計され竣工した建物)が
  地震の脅威に対して安全に使えるかどうかを見極めるため、
  古い構造基準で設計された十分な耐震性能を保有していない既存建物に対し
  現行の耐震基準によりその耐震性を再評価すること。

同様に、世に広く出回っている「わが家の耐震診断」も、「建屋の建設時期が1981年以前か以後か」から始まります。
つまり、建物の「耐震診断」の「診察」は、《精密》であれ《簡易》であれ、1981年の法改正の前の生まれか、それとも以後か、という「問診」で始まるのです。

これはとんでもない仮定であり、論理です。
もっと言えば、きわめて non-scientific な、仮定とは到底言い得ない設定・前提、論理ではないでしょうか。

   註 非科学的と書かずに non-scientific と書くのには理由があります。
      scientific とは、ものごとを筋道:理を立てて考えること。
      日本語で「科学的」というと、得てして、数値で示すことと「誤解」されます。
      そして、いま行われている「耐震診断・耐震補強」も、各種の「数値」で語られます。
      「建築にかかわる人は、ほんとに《理科系》なのか-1」参照。
     
どうしても「建設時期」で区分けをしたいのならば、私ならば、次の年を区分点:画期にするでしょう。
すなわち、1873年、1891年、1923年、1950年、そして1981年です。

 1873年(明治 6年):建築の「近代化教育」の開始年。
              大工・棟梁をはじめ職人たちが無視され始める「記念すべき年」。
 1891年(明治24年):新興建築家、建築学者を驚愕させた「濃尾地震」の発生年。
              日本が地震国であることを新興建築家、建築学者に気付かせた地震。
              日本が地震国であることを、彼らは、それまで知らなかった!
 1923年(大正12年):新興建築家、建築学者をあらためて震撼とさせた関東大地震発生年。
 1950年(昭和25年):「建築基準法」の制定。
 1981年(昭和56年):新潟地震(1964)、十勝沖地震(1968)、宮城沖地震(1978)を踏まえ
              「建築基準法」の構造規定の大改変年。

極論すれば、各地の大工・棟梁をはじめとする建物づくりの専門家の技量・技能を十分に発揮させないようになってから(これを「指導」と言います)、日本の建物づくりはおかしくなったのです。
それは、年を追うごとに「激しさ」を増し、その「画期」が上記の年です。
新興建築家、建築学者の「指導」のなかった時代につくられた建物には、地震で被災しない例は多数あるのです。阪神の震災でも!!

   註 これについてはすでに何度も書いてきましたが、このシリーズでも触れる予定です。
      一言で言えば、地震は太古以来、日本で起きています。
      そして、それを無視した職人たちはいなかった、ということです。


上掲の図のカラー版は、「内閣府」が公開している「地震のゆれやすさ全国マップ」からの転載、モノクロの図は、2006年版「理科年表」からの転載です。

内閣府の「地震のゆれやすさ全国マップ」には、上掲の図の他に、「地形別の揺れやすさ」を表示した「微地形区分図」があり、日本全国図だけではなく、各都道府県別に見ることができます(インターネットで閲覧可能)。

ところが、折角「地盤と地震の揺れの関係」について触れているにもかかわらず、その最後のあたりに、このような特徴のある日本列島に「一律に、震源上端深さ=4kmで、M6.9の地震が起きた場合の想定震度分布」という図があります。
この図は誤解を生む恐れがあるので、転載しません。
その図では、ほとんどすべての場所が「震度6弱」以上の揺れを受けることになっています。
いったい、こんな「想定」は、あり得るのでしょうか。
震源上端深さ=4km、M6.9の地震が、日本のありとあらゆるところで起きるとは、あまりにも度外れた想定ではありませんか?

モノクロの図は、2006年までの125年間に発生した主な被災地震の震央の分布図です。
この図で分るように、地震は、日本各地で均一に発生するのではありません。頻繁に起きる場所と、そうでない場所があるのです。
こんなことは、この図を見なくても、私たちは知っています。


では、なぜ、各地一律に「M6.9の地震」、しかも「震源上端深さ=4km」という地震を想定した図を載せているのでしょうか。

察するに、日本中のどこでも、「震度6弱以上の地震に耐える」という「耐震診断・耐震補強」の基準・前提を「設定」するためだった、としか思えません。

そうしておけば「安全側」だ、と言うのかもしれません。
しかしそれでは、常日頃科学的と言いながら、突然 about な論理展開になっている、と言われてもしょうがないでしょう。 scientific とは到底言えません。

scientific に耐震診断をやるならば、それぞれの建物の建つ場所の「地質図」「地形図」「土地条件図」そして「地質調査」などを通じて「地盤」をよく知り、その建物の「構築法の考え方」と「工事法」が、その地に適したものであるかどうかを検討すべきなのです。
そして、その「判断」は決して、法令の規定に合っているかどうかを判定基準にしてはならないはずです。法令基準は、絶対的かつ科学的「正」なのですか?
もしそうなら、それはあまりにも non-scientific な思考法ではありませんか。法令とは、そういう性格を持ってよいのでしょうか?

   註 そんな手間、閑かけてはいられない、と言うのかもしれません。
      しかし、それは、「いい加減な基準で指導してきた」当然の帰結にすぎません。
      基準策定に係わった人たちは、率先して手弁当で関わるぐらいの覚悟が必要の筈。
                                    [註記追加 21日 9.45]

こう言うと、安全側で考えているのだからよいではないか、という反論があるのは承知です。
しかしその反論は、同時に、一見科学的装いをとっている「耐震理論」は、その程度の「科学性」の代物なのだ、と言っていることにほかならないのです。

もう一度、根本から考え直してみませんか。

残念ながら、現在進行中の「耐震診断・耐震補強」は scientific ではなく、一律の基準によっています。その結果、おそらくかなりのムダを生んでいるのではないか、と思います。
「耐震補強」工事で、地域が潤っているではないか、などと言わないでくださいね。

   註 〇土地条件図:国土地理院 発行
       全国の主な平野とその周辺について、土地の微細な高低と
       表層地質により区分した地形分類や低地について1mごとの地盤高線、
       防災施設などの分布を示した地図。縮尺は2万5千分1。
       災害を起こしやすい地形的条件なども表示、
       自然災害の危険度の判定するのにも役立つ地図。

      〇地形図:国土地理院 発行
       普通の地図。

      〇地質図:産業技術総合研究所・地質調査総合センター 発行
       表土の下にどのような種類の石や地層が分布しているかを示した地図。
       植生、建造物、表土などは無視し、基盤となる石や地層のみを描いた分布図。
       国土地理院の地形図を基にし、等高線による地形、道路や建造物、地名も表示。

      「土地条件図」「地質図」は、いずれも購入できますが、全地域があるわけではありません。
      インターネットでも閲覧できます。
     

しかし、もっと根本的な問題があります。

これも何度も書いていますが、1981年の改変前の規定にしたがってつくった「良心的」な設計者、施工者、そして施主に対して、法令策定者から、あれは誤っていた、という「謝罪」が、あったでしょうか?
その「補強」に要する費用について、法令策定者たちは、相当な負担をしたでしょうか。

そして、規定の「耐震補強」すると、本当に耐震なのでしょうか、保証しますか?万一の場合、補償しますか?

もちろん補償には税金を使ってはなりません。納税者は、そのようないい加減な規定をつくってくれ、と頼んだ覚えはないからです。
一般の人びとに「自己責任」を説いて、自らは責任をとらない、というのは片手落ち。
法令にも「リコール制度」が要るのではないでしょうか。

一般の人びとは、各種の規定はまことに「大きなお世話」、「自己責任を取るから『指導』は要らない」と言いたい筈です。
そしてそれは、「近代化」以前のやり方。「近代化」以前は、すでに書いてきましたが、「技術」も「技能」も大いに発展したのです。
「近代化」は、「技術」「技能」を、少なくとも建築の分野では、沈滞・停滞化させてしまっているのです。[文言追加 21日9.54]
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「アリヂゴクが棲める床下」補足・参考写真・・・・湿気は舗装面に結露する

2009-10-18 10:36:35 | 建物づくり一般
この7月に「アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下」(下註)の中で、木造家屋の床下に「防湿コンクリート」を打つことが奨められているが、それは間違い、かえって湿気を呼ぶ、と書きました。
なぜなら、夏の朝などに、湿気た空気が土間コンクリートや舗装道路などにあたると結露するのと同じように、「防湿コンクリート」の表面に、結露するからです。

   註 「アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下」

ちょうど今朝、天気の変り目で、当地は、少し暖かくて湿度も高く、朝霧が発生しました。遠くが霧で霞んでいました。

近くの舗装道路が一面、雨の後のように濡れていました。
最初は雨が降ったのかと思いましたが、そうではなく、霧が道路面に結露したのです。
道路わきの雑草にも露が降り、地面は心なしか湿気た色をしていますが、雨が降ったような濡れ方ではありません。

上の写真は、朝食後撮ったもので、朝陽のあたった場所や風通しのよい場所は、すでに乾いていましたが、ところどころ樹木などの陰や、風通しの悪いところでは、まだ道路が濡れていました。
道脇の雑草にも露は降りていますが、地面はほとんど変っていません。

そこで、予定を変更して、急遽ご報告まで。

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ガマズミ

2009-10-16 08:00:57 | 居住環境

私の住まいの南側に、幅20m・奥行40~50mほどの柿の木畑があります。
と言っても、元・柿の木畑。

ここに移って来た当時は、柿の木畑には見えないほど雑木や笹で覆われていて、入るにも入れないほど。
さらにその先は落ち込んで谷になりますが、そこも葛などに覆われて入れない。谷と言っても標高差は十数m。

この谷へは、考古学愛好者が時折り訪ねてきますが、どういう場所だったのか、いまだに分らずじまい。
一帯が縄文・弥生の住居址なのは確かで、貝塚跡は、今でも一面に白い貝(「中秋の名月」の神社は貝塚の上)。

元・柿の木畑の手前側の10mほどだけ刈らせていただきましたが、その先は以前のまま。
柿の実を食べにモズが来ています。もう少し冬に近付くと、いろいろな鳥が訪れるようになります。まわりに食べるものがなくなるからでしょう。
最近は、コジュケイやキジも出入りしています。
コジュケイもキジも、ときおりかなり高い大きな声で啼きます。

コジュケイは、早朝、すぐ近くまできて「チョットコイ、チョットコイ」とけたたましく啼き、それで目を覚ますこともあります。

目の前の藪を飛び出して、結構早足で畑を横断するキジを最近よく見かけます。
キジは最近増えたような気がします。
キジとヤマドリは何となく似ていて、私には見分けがつかないのですが、「キジも啼かずば撃たれまい」と言われるように、キジは大きな声で啼き、ヤマドリはあまり大きな声では啼かないそうで、それゆえキジと判断しています。

ここへ来た当時は、11月も中になるとハンターが集まり、猟銃を撃ちまくっていたのですが(11月15日~2月15日が狩猟可の期間)、ここ数年は、わが家の犬たちが吠えまくり(相手は、ハンターが連れてくる猟犬)、この山あいを訪れるハンターが減ったからなのかもしれません。

全部ではありませんが、彼らのマナーは決して好ましいものではありません。普通にはあり得ない場所に空き缶や弁当容器などのゴミがあれば、それは彼らの置いていったもの。薬莢さえ、拾っていきません。釣り人にも、そういうのが多い、と新聞の投稿にありました。

もともと、近在の森には、タヌキやイタチ、ノウサギなどがいるのですが、最近はハクビシンが出るといいます。誰かが棄てたのが繁殖したらしい。

この一帯を、このままいきものたちの「聖地」にしておきたい、と思っています。

さて、その藪の縁辺に、今実をつけている低木が上の写真。
ガマズミ。落葉樹です。調べましたが、名前の謂れは分りません。
春先は白い花をつけますが、目立たない地味な樹木です。
もうじき、葉も地味な赤に変ってきます。

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模型づくりで・・・・3の補足――遠藤 新 の「構造」「材料」についての考え方

2009-10-14 12:24:54 | 構造の考え方

これまで、たびたび、遠藤 新 が、架構・構造のありかたについて述べている旨触れてきましたが、今回紹介させていただきます。

遠藤 新は、関東大震災の翌年、耐震策として提唱された筋かいや金物補強について、批判した論を述べています。

また、他の所で、建築を立体として扱うべきである、あるいは、建築にとって材料とは、構造とは、についても論を展開していますので、それも紹介します(このほかにも、紹介したい言葉は、たくさんあります)。
いずれも、おそらく、当時の「主流」の方々からは無視された論であろうと思いますが、その論点は、的を射ている、と私は考えています。

  なお、関東大震災当日が竣工式だったという旧 帝国ホテルの構造についても
  詳しく述べた論説もあるのですが(帝国ホテルは被災していない)、
  それはあらためて紹介させていただきます。

上掲は、1924年(関東大震災の翌年)に 遠藤 新 の設計した小住宅の平面図・立面図のスケッチと解説です。
出典は「遠藤 新 作品集」。
以前に紹介した彼の「住宅論」を参照しつつご覧ください(下註)。

   註 「日本インテリへの反省・・・・遠藤 新 のことば」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◇ 筋かいボート不適当   「婦人の友」大正十三年一月号

濃尾の地震のあった後、世間は一斉に耐震構造に腐心したらしい。

   註 濃尾地震:明治24年(1891年)10月28日に発生したM8.0の地震。
・・・・・
そこで入れられたものは、筋かいとボート・・だ。
これほど不都合なものもない。
然し地震に恐れを為している人達はこんな風に納得した。
「一体日本の家は開けひろげ過ぎる。壁にしよう。ここに筋かいだ、あそこにボートだ。これで安心して寝られる」と。
所が六月はまだよい。七月になった、八月が来た。寝られる家が寝られないのだ。蒸し暑いのだ。

   註 ボート:bolt ボルトのこと。
      彼の耳にした発音どおりに表記したらしい。

地震のほとぼりのある中は我慢もした。然し一年とたち二年となって、筋かいとボートはだんだん影をひそめた。・・・そして大正十二年(1923年)九月の一日、あの地震だ。

世間は、またうろたえた。そしてそこでもここでも耐震構造の御談義だ。所で何というかと思えば、博士から棟梁、出入りの大工さんまで筋かいだボートだと同じことをいうておる。
地震だけ進歩して、世間はちっとも進歩していない。御説に従ってまた数年暑苦しい目を辛抱するか。そしてまたやめて仕舞うか。

所で、そのやめるというのは、実際、地震のほとぼりのなくなった健忘性のためではない。事実、これは日本建築に不適当な方法なのだ。やめるしかないのだ。

その不適当な理由はどうか。
一体、日本建築は、説明するまでもない屋根と柱の家だ。開け放しの吹き抜けだ。その柱と柱の間に障子がはまって居り、雨戸が入って居り、硝子戸が立って居り、そして偶々(たまたま)薄い壁が思い出した位ついている。

筋かいというのはこの思い出した程しかない壁の所にしかつけられないのだ。それで日本の家全体が強まりっこはない、筋かいを用いろというのが無理だ。

「それでも少なくともそこだけは強くなるではないか」と、その通り。
然し建物の一部分だけが強いということは、却ってよくない。
世間に所謂(いわゆる)「不釣合いは不縁のもと」で、不権衡は不健全である。外(ほか)の部分が弱められるか、強い打撃をうけるかに終る。・・・・

   註 権衡(けんこう):秤の錘と計り竿のこと。釣合、均衡と同じ意。

・・・・・
要するに、日本建築の本性と根本的に撞着(どうちゃく)を持って居るのだ。
・・・・・
それから桁と柱の継目を強める為に、燧(ひうち)を45度に入れてボートでしめろという。一体日本建築の何所にそれをしろというのか。日本建築では、相憎(あいにく)みんな小壁か欄間になって居て、この力学の第一頁に書いてある様なことは遺憾ながら出来ないのだ。
・・・・・
接合部が弱いというのは柱が各自独立してる時の心配で、一体となっている柱にはその心配はあり得ない。
・・・・・
今は、見渡す所バラック、そのバラックをご覧ください。
法外な頬杖や、鎹(かすがい)やボートや筋かいが、乱用に乱用されてる。困ったものだ。バラックにすらこんあ風であるから、本建築になったらどんな事をするだろう。
私が、震後の建築が、必ず悪くなることを今日断言しているのは理由なくしてではない。
建物が・・・頬杖責めボート責め、筋かい責め、ありとあらゆる所謂(いわゆる)耐震責めに遇うている・・・。
・・・・・                    
               
◇立体的新建築  「建築評論」大正九年四月号

『日本の建築家は「新しい」という事許り(ばかり)考えて「正しい」という事をおろそかにした。新人の意見の不徹底がそこに因する。何が正しいか、立体建築観が正しい。

此迄(これまで)の建築家は人の心を考慮に入れていない。
心理の考慮なき建築は死人を容るるに適して生きたる心の住家とはならない。
いま有りとあらゆる建築家は棺箱を作ってそれに人を入れることを強要してる罪人だ。
建築は建築家の主観の体現だ。インホメーションばかり漁っている連中に建築家を求めたって居ない。』

『壁は壁で階段は階段で人間と何等の交渉もなく冷やかに配置されてあるという従来の態度をよしたい。
従来の壁に手摺りをつけて「是が階段というものだから構わず上ってゆけ」という態度をよして階段を上る時の心持を汲みとって、手摺のかわりに壁で温かくかこんでみた。

廊下から室にはいる時も低い六尺位の天井をつけて先ず室にはいる前の気を順備せしめる様にした、電燈の配置や植木鉢の置き方までも温かにやらなければならぬ。
天の橋立を遠くから眺めて美しいとか何とかいう態度をよして実際に松林の間を通った時の気持ちを表そうというのである』云々。

◇材料が先きに立つということ
   「アルス美術講座」(昭和二年刊) 「建築美術」より
・・・・・
材料が主であるということ、とって置きの意匠があって、その為めに、材料を切りさいなむで造るのでなしに、初めに、自然の材料があって、その材料に引きずられる様にして、人間がものをつくるということ。
そこには、いうべからざる力が美と共に居る。

工夫(こうふ)がレールを片づける、二本の枕を置いてその上にのせる。単純な構架に、極めて不用意な一無造作な自然がある。
私はあれを見る度、「ああいい建築があるぞ」と思う。
この無造作な構架が少し変形して鳥居になった。更に変化すれば、染物屋の干台にもなった。祭の時の小屋掛、正月のしめかざりを売る歳の市の小屋にもなった。

此等の構架には、人間をぐんぐん引きずって行く力づよさが見える。
勿論、人間の方には目的がある、然しその目的を叶えさして貰う為に、人間が一所懸命おとなしく材料のいいつけをきいている様な趣きがある。
自然らしい美と、原始的な力が其所に湧き溢れて居る。

然るに、建築を大きくばかり造っても、其所に材料の持つ大きさが出て来ないと意気地がない。
今日の構造学には、こゝな用意がない(尤も構造学というものは、いつになってもそんな用意を知らないものだが)。

そして、建築は材料に引きずられずに構造学に引きずられる。
そこで、建築が意気地なくなる。
思いつきや、利口さや、小手先やの細工は、更にも建築を弱く、小さく、意気地なくする。

文化の爛熟の間にも、一脈の単一至純な原始的な力が潜んで居るようでなくてはいけない。
私は、いつも、建築場の簀囲い(さく・がこい)を見て、その、力ある表現に驚く、鉄骨の組み立てを見て、そこにある建築美に打たれる。
そして出来上って建築が、いつも、この囲いと鉄骨とを裏切ることを悲しむのである。
・・・・・
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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模型づくりで・・・・3――立体≠部材の足し算

2009-10-12 01:45:19 | 構造の考え方
[文言追加 12日 9.12][註記追加 12日 9.20][タイトル副題変更 12日 9.23]

とりあえず、建物模型づくりが終り、敷地に載せて、一案の終了。上掲の写真がそれで、谷側と山側からの写真です。
一応、リアルに見えます。

この模型とともに、台風襲来の前日、甲府盆地に行ってきました。
内容を論議して、12月前に第2案を練ります。模型があると論議が早い。

ところで、今回の計画は、急傾斜のひな壇という敷地の状況から、床下になる部分が大きくなり、平屋なのに二階建てのようになるので、工費の低減のために、鉄骨造を想定しています。

福祉施設は耐火建築にする決まりがあります。
一般には、鉄骨造も可なのですが、既存の部分:模型で寄棟になっている部分は、一部を除き、寄棟屋根までRC造です。

当初は、屋根だけは鉄骨の壁式のRCで考えていたのですが、福祉施設の「耐火」はRCに限る、という補助金を出す東京都の独自の規定で、やむを得ず屋根もRCになった経緯があります。

最初から寄棟屋根の計画だったかどうかは覚えていませんが、鉄骨造なら、切妻だったのかもしれません。鉄骨では、寄棟型の加工が面倒だからです。

このRCの寄棟屋根は、厚さ12cmのRC版で寄棟型をこさえ、それをRCの壁が支えている形をとっています。舟をひっくりかえしたような形です。

RC造で寄棟にしたのには理由があります。
切妻型では逆V型が開くのを防ぐ陸梁などを繁く入れる必要がありますが、寄棟型は、それだけで形状を保てる形であるため、開き止めを繁く入れる必要がなく、その分、屋根の重さを軽くできる、と考えたからです。

RC造は、コンクリートが固まれば板状になりますから、板紙の模型とまったく同じと考えてよいでしょう。
実際、構造計算では、薄いコンクリート版で済み、ダブル配筋(鉄筋を二段設ける)で10cm厚で十分ということでしたが、現場の施工が難しくなるので12cmにした記憶があります。

  屋根の勾配は3.5/10。
  斜面では、固めのコンクリートにしないと、どんどん下に流れてしまいます。
  しかし、固めにすると、10cm厚ではダブルの鉄筋が邪魔をして、コンクリートが流れません。
  そこで厚みを2cm増やしたのです。
  なお、屋根を支える壁と壁の距離が飛ぶ所では、補強のために梁を設けています。


しかし、実は、木造の寄棟も、板紙模型と同じに考えられる、つまり、それ自体で形状を保てるのです。

木造の屋根では、屋根下地として「野地板」を「垂木」に打ち付けます。
木造の二階床でも、普通は「粗床板」を「根太」に打ち付けます。
これらの「野地板」「粗床板」には、かつては無垢の板が使われるのが普通でした。
ところが、現在の建築法規では、「合板」(構造用)が奨められています。
床面では、「無垢板」使用の場合は床面の四隅に「火打ち」を設けることが規定されているのです(「合板」のときは、付けなくてもよい)。
小屋梁面でも同じです。

   註 「火打ち」:入隅に斜め45度にいれる斜材を言います。
      マッチ等のなかった時代に使われた火打鉄(ひうち・がね)の形が
      三角形であったことから、三角型の材を火打ちと呼ぶようになった
      とのことです。「燧」とも書く。(「日本建築辞彙」による)

なぜ「合板」ならよく、「無垢板」ではだめなのでしょうか?
ここに、はしなくも、現在の大方の建築構造の《科学者》の考え方が現われています。

それは、「合板」張りの長方形の「戸板」と、「無垢板」張りの長方形の「戸板」を平行四辺形になるまで力を加えたとき、「無垢板」張りの方が、「合板」張りよりも早く変形する、という《事実》から言われるのです。
この《事実》自体は、誤りではありません。
そして、この「戸板」が、建築構造の《科学者》用語でいう「構面」にあたります(下記参照)。

   註 「とり急ぎ・・・・また『伝統的木造住宅を構成する架構の震動台実験』」
      「『利系の研究』・・・・『伝統的木造住宅を構成する架構の震動台実験』」

問題は、実際の構築物の「長方形の床面」を平行四辺形に歪めるような力は、どういうとき生じるか、ということです。
結論を言えば、そんなことは、「立体」になっていれば、先ず起きないのです。

いま、きわめて単純に「直方体」の架構を考えます。
そのとき、床面は(一階でも二階でもよい)「長方形」です。
この「長方形の床面」が「平行四辺形」に歪むには、①「直方体」全体が「平行四辺柱体」のようになるか、あるいは、
②床面に相当する位置で、架構が捩れていなければなりません。

では、そのような状態は、どんなときに生じるか、想像してみてください。

②のようになるには、雑巾を絞るような力を架構に加えなければなりません。ゆえに先ずあり得ない。

①のような状態にするのも大ごとです。
なぜなら、架構全体を「平行四辺柱体」にするのは容易なことではないからです。
これは、日曜大工で小さな箱や小屋をつくっても「実感」できるし、あるいは、組立てた「直方体の段ボール箱」を「平行四辺柱体」に歪めるべく押してみれば、たちどころに分ります。そんなことは、一体化した「立体」においては、先ず起きないのです。

つまり、架構に組み込まれた床面では、「無垢板」であろうが、「合板」であろうが、「構面」単体に歪み:変形を起こすような現象は、簡単には生じ得ない、ということになります(大地震であろうとも)。

すなわち、「架構=立体物の強さは、単なる部分:部材の強さの足し算ではない」ということにほかなりません。

つまり、「構面」なるものと「非・構面」で構築物が成り立っている、という考え方は、机上の計算のための、きわめてご都合主義の「発想」なのです。
これについては、上記の「利系の研究」で、「構面」の実験を「構体」つまり「立体」で行うという実験者の自己矛盾を指摘しています。
そして、この「考え方」は、人間社会も「役に立つ人間」と「役に立たない人間」とから成り立っているという考え方に直結します。
だからこそ、自分たちの《研究》の結果をもって、他を律しようなどという「おこがましい発想」に至るのです。[文言追加 12日 9.12]

これは、「無垢板」張りの寄棟屋根はもちろん、切妻屋根でも同じ、架構に組み込まれたら、存分に「立体」効果を発揮しているのです。
実際、棟上げをして野地板、粗床板が張られるとともに、架構全体が強固になってゆくことは、現場で体で確認できます。

いまの多くの建築関係の《科学者》は、いわば、「木を見て森を見ず」、全体が見えていないのだ、と言えるでしょう。あるいは、森とは、単なる木の寄せ集めと考えているのかもしれません。

   註 《科学者》諸氏よ、
      机上で「計算」にいそしむ前に、建て方中の建物の上に登り、
      棟上げまでの状況の変化を、逐一、体で味わってください。
      そしてまた、できれば、日曜大工でいいから、
      自ら実物をつくってみてください(「模型」でも可)。
      そして、「現在の理論」と「実際」の齟齬を体感してください。

ついでに「おかしな」ボルトの話を。
小屋組で、水平な「梁」を「桁」に「蟻掛け」で架けるとき(「京呂組」できわめて多く使われる仕口です)、「梁」が「桁」からはずれやすい、ということから、一般に「桁」~「梁」を「羽子板ボルト」で結ぶことが法規で求められます。

これも「構面」的発想:部分だけ見る考え方に起因した「対策」なのです。

いったい、「梁」が「桁」からはずれる、というのはどんなときでしょうか。
それは、「梁」の架かっている「桁」と「桁」との間が開いたとき、距離が伸びたときです。
では、「桁」と「桁」の間が開く、というのはどんなときに起きるでしょうか。
1本の「梁」のかかっている面だけとりだせば、そういう場面は簡単に起こすことができます。つまり「構面」単体では簡単に起き得ます。

しかし、実際は、「架構」に組み込まれていますから、そういうことは簡単には起きないのです。
組み上がった段ボール箱の、対面する側面間を簡単に広げることができますか?

もっとも、いわゆる「在来工法」の場合には、これは危険な仕口になるでしょう。なぜなら、架構を「一体化する」ことを考えない工法、「立体」を考えない工法、それが「在来工法」だからです。
つまり、「火打ち」や「羽子板ボルト」は、いわゆる「在来工法」においてのみ、「必需品」なのです。

   註 一度ヒマをみて、「構造用教材」に載っている「在来工法」の軸組模型と、
      「古井家」「高木家」の軸組模型をつくってみようと考えています。
                             [註記追加 12日 9.20]

以上が、「模型が強ければ、実物も強い」と言える理由の説明です。
またまた長くなってしまったので、こういった点に付いての 遠藤 新の言葉の紹介は先送りします。

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ちょっと休憩・・・・野菊の花

2009-10-11 12:32:22 | 居住環境

すっかり刈入れの終った田んぼ。
刈入れの終った田んぼは、乾いて歩けるのですが、この間の台風で、水浸しになっています。

今日は快晴。畦道の際の野菊の群落を撮りに行ってきました。
昨日、犬との散歩で見つけた場所です。

ノコンギク(野紺菊)、あるいはヨメナ(嫁菜)。私にはどちらとも判定できません。よく似ているのだそうです。

   遠い山から吹いて来る
   小寒い風にゆれながら
   けだかく清くにおう花
   きれいな野菊 うすむらさきよ

   秋の日ざしをあびてとぶ
   とんぼをかろく休ませて
   しずかに咲いた野辺の花
   やさしい野菊 うすむらさきよ
   ・・・・・・

という歌(石森延男 詩、下総院一 曲)に出てくる薄紫の野菊、とはこの花のことだと思います。

昼間だったので とんぼ はいませんでしたが、花の周りには小蜂たちがとびまわり、羽音が低くひびいていました。

少し霞んではいますが、今日は筑波もよく見えます。

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模型づくりで・・・・2 ―― 立体の強さ≧単材・部材個々の強さ

2009-10-10 03:19:46 | 構造の考え方

[註記追加 10日18.54]

敷地模型ができたあと、それを参考にしながら、建物の計画を進めます。

こういうとき、計画案の敷地・環境への整合性の確認のために、いつも計画建物の模型をつくっています。今回は、敷地の縮尺に合わせて1/200。

建物模型は、1/100程度以上なら模型用のバルサも使えます。1/50程度以上の大きさなら、スチレンペーパーも使えます。
しかし、1/200では、それらは無理。
そこで紙を使うことにしました。
普通は白ボール紙:板紙を使いますが、今回は「板目紙(いため・がみ)」を使いました。「板目表紙」とも言うようです。

「板目紙」は、昔から書類などの束を綴り紐で綴じるとき、その表紙に使う紙。
元々は和紙を何枚も重ねて圧縮した紙だったようです。

「板目」の呼び名は、圧縮するときに、台の板の木目が紙の上に残るからか、あるいは、乱暴に扱っても傷みにくいことから「傷め紙」か、その謂れはわかりません。
今は代用品。それでも、普通のボール紙よりも、折れや破れには強いようです。その上、白ボール紙よりは価格も安い!

今回の「板目紙」は、厚さが約 0.7mm。1/200では約15cmにあたります。

計画平面図と断面図に合わせて紙を切って部材をつくり、糊で接着して組立ててゆきます。
後ほど詳しく見て行きますが、ヘナヘナな紙の部材が、組み立ててゆくにつれ、ヘナヘナではなくなります。

学生の頃、模型づくりの巧い先輩が、模型が簡単に壊れなければ、実際も丈夫なはずだよ、と言ったのを覚えています。
実際、「木造軸組の模型」をつくっていると(当然、縮尺は1/30程度以上になります)、その意味がよく分ります。そして私も先輩の言に同意します。
なぜなら、できあがった軸組模型を押さえこんだり、ゆすったりしたときに「手に感じる感覚」は、現場で棟上げ時点の建物の上で「体に感じる感覚」とさほど変らないからです。

逆に言うと、模型に力を加えたときに模型に生じる微妙な「変化」を感じることから、実物に起きるであろう状況・様子をうかがい知り、場合によると、設計を修正することもできる、私の経験では、そのように考えて大丈夫なのです。
それゆえ、「実物大実験」をしなくても、また計器でデータをとらなくても、十分に「手の感覚」で、「どのような状況が起きるか」、自分の感覚器官によって想像できる、と言ってよい、と私は考えています。
これは、実際に木を切ったり、削ったり、孔をあけたり、釘を打ったり・・・ということを通じて、木に対する対し方が徐々に分ってくる、というのと似ています。

もっとも《科学者》たちは、そんな「個人の感覚」や「直観」など、信用できないと言うでしょう。
《科学者》たちは、「力学」などの学問体系が存在しなかった時代、ものごとには何の進展もなかった、Ⅰ 型鋼は「断面二次モーメント」の概念が発見されてから発明された・・・、とでも考えているのでは?(下註参照)

   註 「鋳鉄の柱と梁で建てた7階建てのビル・・・・世界最初の I 型鋼」


木造建築ではない場合の模型でも同じ。
今回は1/200でしかも「板目紙」。
今回は、実際の模型のほかに、手順を追って説明するために、説明用に模式的な模型で、手順ごとの写真を撮りました。

先ずはじめに、平面を「板目紙」に写して「基盤」をつくります。
板紙1枚ですからヘナヘナのまま。
これを模式的な模型で説明すると上掲の[A-1]に相当します。
支えになっている台の間隔は約20cm、つまり約40m。

ヘナヘナですから、重いものを載せると[A-2]のように撓みます。
この重石(おもし)は、ホッチキスの針で7.5グラムが2本(1本あたり100個の針)、計15グラム。

次に、部屋の「間仕切」を貼り付けます。模式的模型の[B-1]。
当然間仕切が重石になって、若干「基盤」つまり「床」が撓みます。
先ほどの重石を載せると、当然ですが、さらに撓みます。その状態が[B-2]です。

次に、開口部面を貼り付けます。
今回の「模式的模型」では、簡単にするため、「窓台」の「腰壁」だけをつくりました。[C-1]がその様子です。

こうなると様子が変ってきます。
重石を置いても撓まないのです。それが[C-2]の状態。
もちろん、目では確認できませんが、若干は撓んでいるはずです。
撓みの大きさは、窓台の「腰壁」の高さによって変ります。もしも、開口部を全部塞いでしまえば、まったく撓まないでしょう。
「腰壁」ではなく、「小壁」、つまり開口を「掃き出し」窓としても、ほぼ同じです(模型はつくってありません)。

撓まないのは、1枚の床に単なる重石になってしまう「間仕切」が載っているのではなく、いわば「引き出し」に「仕切り」が付いた形に変った、つまり「引き出し」状の「箱状の立体」に「仕切り」が付いたからなのです(「小壁」の場合は、逆さにした「引き出し」になります)。
こうなると、[B]の状態では単なる重石にすぎなかった「間仕切」も、窓台の「腰壁」と合わさったことで(つまり、L型、U型を構成したことによって)、重石に堪える役割を担うようになったのです。
こんな模型でなくても、私たちは、「箱」型は丈夫だ、ということを、日常で知っています。物を容れる段ボール製の箱です。あんな薄い段ボール紙の箱で、重いものを運べるのです。これと同じこと。

   註 現在の構造学では、多分、腰壁(小壁)は構造には役立たない、と
      見なされるはずです。[註記追加 10日18.54]

さて、間仕切、開口部の組立が終ると、今度は「屋根」を架けます(もう少し大きな縮尺なら、天井をつくる場合もあります)。
今回は、屋根を「切妻型」で考えています。

「切妻型」:逆V型は、模型では1枚の紙に切れ目をいれて二つ折りにしてつくります。[D-1]がその模型です。
二つ折りにした紙は、平らな紙とはまったく違い、[D-2]のように、重石を載せても撓みません(これは見た目での判断です。精密に測れば若干は撓んでいるでしょう。なお、この写真は撮る角度を誤まったため、二つ折りの様子が見えません!)。
「切妻」の勾配が急なほど、撓みにくくなります。逆に言えばより重い重石を載せられます。この模型は勾配5/10、つまり5寸勾配。

もっとも、重石を重くしてゆくと、「切妻型」:逆V型は開いて平らになろうとします。
開かないようにするには、底辺にあたる部分に両辺の開きに抵抗するものを設ければよいことになります(模型ならば「糸」を張ってもよい)。
段ボール箱も、蓋をするかしないかで、大きく違います。

この屋根部を先の[C]に接着して模型としてできあがりです。それが[E]。

こうなるときわめて丈夫になります。
[E-1][E-2]は、[A][B][C][D]に載せた重石のそれぞれ1.5倍、2倍にしたときの様子です。まったく撓みません(もちろん、見た目での判断で、精密に測れば若干は撓んでいるでしょう)。

これは、「切妻型」の屋根が、[C]に接着したことで、「床」「間仕切」「腰壁(あるいは「小壁」)、そして「屋根」が一体になった「立体」を形づくり、段ボール箱で言えば蓋をした状態になったからです。
そしてそのとき「間仕切」は、いわば「竹」の「節」の役割をはたしているのです。

以上のことは、「薄い紙」でつくった模型でさえ、「立体」になると、紙1枚の強さからは考えられないほど、きわめて強固になる、ということを示しています。

しかし、これは模型だから、ではありません。
実際の建物でも、木造でもRCでも・・・同じこと、すなわち、「単材」を集めて「立体」に仕上げる、これが「建築」の基本と言ってよいのですが、同じことが起きている、と考えられます。
「立体」に仕上げられた建物は、使われている「単材」あるいは「部材」個々の「強さ」とは比べものにならない「強さ」を獲得することを予想させます。それは、「単材・部材それぞれの強さの足し算」以上の強さだ、ということです。


もちろん、実際の切妻型の「屋根」は、紙の二つ折りのような簡単・単純なものではありません。
だから、おそらく《科学者》からは、こんな小さな模型での現象・状況を、実際の建物に援用できるわけがない、そんな「感覚」や「直観」に頼るなんて何と非科学的な・・・という「声」が上がるでしょう。

長くなりましたので、それについては、次回、私も同意する模型づくりの先輩の「模型が壊れなければ実物も丈夫」という「言」、すなわち、模型での現象・状況を、実際の建物に援用できる、と考える「理由」を書くことにします。

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台風一過

2009-10-08 17:27:23 | 居住環境

昨日は一日雨の中、甲府盆地へ。
幸い、交通が麻痺することもなく、無事帰れました。

しかし、深夜からは雨が強く、明け方には猛烈な風。
今日は午後2時頃から晴れてきて台風一過の青空。
しかし、風は今5時を過ぎてもおさまらない。

上掲の写真は、「中秋の名月」の神社の杜です。
オートで撮っているので木々の揺れはよく撮れていませんが、かなり大きく揺れています。

道には、木から離れたいろいろな樹木の葉や枝が散乱しています。
5、6センチほどの古枝もあります。
風がなければ、まだしばらく木に付いたままだったのでしょう。
葉は、これから落葉として自然に落ちるはずだった葉と、
樹形の周辺部の風当たりの激しい部位の比較的新しい葉が目立ちます。
新しい葉は、振りちぎれた感じです。

ふと考えました。
もしも古枝や葉が落ちなかったら、ことによると、風をまともに受けて、木自体が倒れてしまうのではないか。
それらを振るい落として、強風に堪えて、また新しい葉をつけて・・・、樹木は成長する。なかなかうまくできている・・。
人だったら、全部大事に抱えこんで、倒れてしまうのかもしれない・・・。

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