此処より下に家を建てるな・・・

2011-03-31 11:10:39 | 居住環境
読まれた方もあると思いますが、読売新聞ONLINEのニュースに
此処より下に家を建てるな
という記事がありました。
二度の津波に遭った三陸の町に立っている石碑に刻まれている文言。
集落は、海抜60mの高台にあり、海の仕事には坂をくだってゆくのだそうです。
集落は、津波に被災しませんでした。

先人の「経験」が、その地に暮すにあたっての「必要条件」を教えてくれていたのです。
この集落の先人は、「ここに暮すには防潮堤を築けばいい」という「アイディア」は考えなかったのです。
しかし、現代人の多くは、この先人のような「応対」はしないでしょう。「科学・技術には不可能はない」と信じてやまないからです(現に、防潮堤は今後30m以上必要だ、などの発言が聞こえてきます)。

たとえば、現在では、先人たちなら決して暮そうとは考えないような低湿地に、人びとは平気で住み着きます。
関東平野の中心、埼玉県でも、ある新興住宅地で液状化現象が起き、多数の家屋が傾いたというニュースをTVで見ました。
海岸でもない内陸で何故?
理由はきわめて簡単でした。
その住宅地は、当該地区の自治体が、「区画整理」事業により、沼沢地を埋め立てた場所だったのです。

次の地図は、大きな被害を蒙った仙台市若林区のあたりの明治20~23年頃の地形図です(「日本歴史地名大系 宮城県」より)。
海岸から少し入った市街地が(黒い部分)、当時の仙台市街。
弓なりの海岸、ここに「計画住宅地」がつくられたのだと思われます。すぐれた「景勝」の海浜だったようです。そして、多分それが、この住宅地のウリだったのでしょう。
一帯は津波で跡形もなくなりました。砂浜ですから、多分液状化も起きていたと思われます。



このような事業の立案・計画には、かならず「建築を専門とする技術者」が係わっているはずです。
そしてまた、そこに建てる建物の計画・設計にも「建築を専門とする技術者」が係わり、おそらくどの住戸も、建築法令どおりにベタ基礎で計画されているでしょう。

多くの「建築を専門とする技術者」は、科学・技術には「不可能」はない、と考える人たちと考えてよいでしょう。それが理系、工系の所以である、とばかりに・・・・。
しかし、「建築を専門とする技術者」であるならば、本当は、そのような場所の開発や、まして埋め立て造成はやめるべきであり、なおかつ、そのような場所での建設もやめるべきだ、と説かなければならないはずなのです。
大分前に、研究学園都市開発地域のなかで、よく霧が発生する一画があるが、それは湿地を埋め立てた場所である、ということに触れた記憶があります。
表面を「健全」そうに装っても、地下水の動静まで改変してしまうことなど不可能であり、地面深くまで「健全」にすることなど、できないからなのです。まして、そんな場所でベタ基礎などにしようものなら、床下が湿気てくることは明らか。

そういうことを指摘してやめることを説くのが、本当の「建築を専門とする技術者」でなければならないのです。それが「理」というものなのです。
残念ながら、むしろ、今の「建築を専門とする技術者」の多くは、逆に、こういう「計画」を率先して推進する側に立っています。

たとえば、山本周五郎の世界の舞台であった浦安で起きた壮大な液状化。おそらく、先人たちは、そこを市街化するなどということは考えもしなかったはずなのです。そして多分、お台場も・・・。

今回の震災では、津波の巨大さに圧倒され、「耐震」の話が出ていませんが、津波がなかったならば、震災がクローズアップされ、またまた「耐震基準」の見直し(斯界では「再評価」と称します)が為されたのではないか、と思われます。
そして、M9に対応する「基準」の制定の結果、おそらく、コンクリートの塊のような建屋が推奨されることになるでしょう。木造建築は、多分、金物だらけ・・・。「耐」震、ここに極まるわけです。

先人たちだったならば、そんな無思慮なことをしないでしょう。
わざわざ「危ない場所」に建てることはせず、もちろん、わざわざ力ずくで巨大な力に立ち向うこともしなかったはずです。そして、暮す場所の備えるべき「必要条件、十分条件」に対して、もっと真摯に考えていたはずです。
何度も触れてきたように、それがかつての地震多発国・日本の工人たちの「対」震策、建物づくりのコツだったのではないでしょうか。だからこそ、数百年も健在の建物が現存しているのです。

「建築を専門とする技術者」たちは、それでもなお、これまでの「続き」を、まだ続けるのでしょうか。停電になれば歩いて階段を登らなければならない高層建物を、低湿地につくり続けるのでしょうか。私には信じられません。
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文言

2011-03-26 18:21:39 | 専門家のありよう


客観的に文章を書く、というのは、普通、事態・状況を、先入観を持たずに、あるいは私情を交えずに、描写するというような意味と考えてよいでしょう。
しかし、一見客観的に見える文章が、実は「為にする」ためのものである場合があります。

今日、次のようなニュースが伝えられていました。例の、原発事故現場で健康に差し障る被爆者が出た件についての東電の「報告」です。

  「1号機で高い線量が出た情報が現場全体に伝わり、注意喚起していれば
  今回の被ばくを防げたのではないか。
  情報共有が甘く反省している」


たしかに、状況を、まるでドキュメンタリーのように「客観的に」描写しています。

だが、ちょっと待ってください。
「情報が現場全体に伝わる」には何が必要か?
「情報を伝える」という作業です。この作業なしに、情報が伝わるわけがない。

では、この事故の場合、「伝えるのは誰か」?
現場を遠くで見ていた人?空から見ていた人?TVを見ていた人?・・・そうではない。
「高い線量が出た」ということを知っていた人です。
それは誰か?
東電(の現場担当者)です。

もう一つ、同じことが「情報共有が甘く・・」というところにも見られます。
「情報共有」は、「情報」を知っている人が、知らない人に伝える、という作業がなければ成り立ちません。
誰が「情報」を知っていたのか?
東電(の現場担当者)です。

つまり、この東電の「報告」は、
「現場の線量が危険なほど高いという事実を、知っていたけれど、現場作業者に伝えなかった」というきわめて簡単な文言で済むのです。

なぜ、このような もってまわった言い方をするのでしょう。
当然、「わけ」があります。

こういう文章のつくりかた、書き方は、工系の人たちの文章に多いように思います。

  今日は触れませんが、いつも私が引っ掛かる語があります。
  それは「評価」という言葉。
  たとえば、東電のHPにある「津波対策」の文言にもあります。
    原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、
    過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を
    数値シミュレーションにより評価し、・・・

この語も一見「客観的」に見える語です。
なぜ、この語が頻繁に使われるようになったのか?

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想像を絶する「想定外」・追補・・・・「絶対」の裏側

2011-03-23 17:15:09 | 専門家のありよう
 [註記追加 27日 09.19]
 [註記追加 26日 15.40]
 [註記追加 25日 22.10]
 

「公表される情報」以上に、早く広く濃く汚染が進んでいるようです。

原子力発電所の建設工事に実際に係わって来られた方の「現場からの報告」があることを知りました。
書かれた方は10数年前に亡くなられていますが、「現場」からの一発言として、参考までに転載します。

「原発がどんなものか知ってほしい」


   註 [註記追加 27日 9.19]
     黒澤映画「夢」の中の一話「赤富士」についての感想を記したブログがあります。
     原発が損壊し、放射性物質が押し寄せる・・・という「夢」
     「見えない敵」

   註 [註記追加 26日 15.40]
     福井のタカムラ氏から、次のサイトを教えていただきました、
     原子力安全委員会委員だった方の「意見」です。

   註 [追加 25日 22.10]
     皆様からのコメントを読んでいて、
     大分前に宮沢賢治の著作について書いた「感想」を思い出しました。
     下記です。
        「グスコンブドリの伝記」から


コメント (5)
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想像を絶する「想定外」

2011-03-20 22:16:13 | 地震への対し方:対震
[註記追加 21日10.57]。[文言追加 21日 15.59][註記追加 21日 19.32][追記追加 22日 8.04][文言補足 22日 17.28]

想像を絶する津波被害には、言葉がありません。呆然としています。
そして、紛うことなき人災:原発事故。



この地図は、参謀本部陸軍部測量局によって明治22年、23年に作成された三陸海岸の1/20万地形図です(「日本歴史地名大系 宮城県」より)。上方の湾が陸前高田、続いて気仙沼、志津川(南三陸)と湾が並んでいます。最近の(震災直前の)地図と比較しようと思っていますが、できていません。


子どもの頃、「稲村が崎」の話を読んだり聞いたりした記憶があります。鎌倉の話です。
収穫の秋、村の高台に居を構える村の名主が、普段と違う地震に異変を感じ、海を眺めると潮が引いてゆく。津波の前兆と察して、収穫したばかりの稲束を集めて火をつけ、火を見た村人たちは火事と思い火の元へ駆けつけ、その結果、村人たちは津波に遭わずに済んだ、という話。

四半世紀前、三陸を巡ったとき、田老など各所の海岸で、見上げるばかりの防潮堤・水門を見て驚いたことがあります。
このたびの津波は、建設時の「想定」を越えたもので、一部が倒壊したとのことです。
三陸大津波の後、田老では、高台に居を移す話もあったそうですが、やはり、海に近い方がいい、ということで、おそらく、工学畑の専門家の進言があったのでしょう防潮堤を築造することになったのだそうです。
防潮堤の高さは、それまでの最大潮位を基につくっている。


今回の福島第一原発の恐るべき事態について、TVで、東京電力の社長が、この被災は「地震による揺れではなく、想定外の津波が非常用電源にかかり機能しなくなったため」と言っているのを聞きました。
「想定外」という大災害の後かならず聞こえてくる語が、やはり使われています。

東京電力HPに、「原子力発電所の安全対策について」という項があり、そこに、津波への対策として、次のように書かれています。読みやすいように段落は変えてあります。

  津波への対策 
  原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、
  過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、
  重要施設の安全性を確認しています。
  また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。

この引用は、いったい、東電(の社長)の「想定」が何であったかを知るためのものです。

私には、これを読むと、何が「想定外」であったのか、分りません。
なぜなら、「過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認」している、と明言しているからです。この言に従う限り、今回の津波は「想定内」のはずです。

それゆえ、こう明言した上で「想定外」と言う以上、論理的には、「過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価」した「評価」が誤りであったということになります。
つまり、「発電所の設計」の「前提」が誤りであった、あの場所に原発をつくることは間違いだった、ということです。

このことは、近・現代の「工学的設計思想」の重大な「欠陥」「欠落」部分を象徴的に示している、と私は思います。

いったい、「敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価した」「評価」の妥当性、正当性について、どのような「評価」が為されたのでしょうか。
「評価を下した人たち」の「評価」にあたっての「根拠」は何だったか、明らかにしているのでしょうか?
終わってから「想定外」と言うなら、専門家でなくても、誰にでもできる。

そして何よりも、安全に扱うことができないことが分っている、廃棄物の処理も簡単にはできないことが分っている「核燃料」を、「大丈夫だ、最新の科学・技術で安全に扱うことができる」、とした「判断」の根拠は、いったいどこにあるというのでしょう?

「設計」という営為は、人がこの世に誕生したとき以来、人びとにより為されてきたことです。
しかし、その古来人びとの為してきた「設計」と、近・現代の「工学的設計」とは「思想」がまったく異なっています。

現在は、「工学的設計」こそ「範たる設計法」だ、という考え方が広く流布しています。近・現代の「工学的設計思想」による設計は、必ず、ある「目標(値)」を掲げ、その目標(値)の完遂を設計の指針とするのが普通です。
建物の「耐震基準」もそれです。

このような「設計の論理」は、「数値シミュレーションによる評価」がない限り、設計は行うことはできない、と言うことをも意味しています。そして、これが「工学的設計の真髄」と言ってよいでしょう。

一方、古来人びとが行ってきた「設計」は、このような「目標(値)」を立てて行われたものではない。
もちろん、彼らもまた、彼らの「経験」から、何をしたらよいか考えたはずです。
そのとき彼らは、不可能なものは不可能として認め、人にできないものを無理してまでも行おうなどという無謀なことはしませんでした。
彼らは、不可能なこと・危ないモノを、「勘」「直観」で見分けていたのです。現代の科学者たちは、それを、非科学的だと言います。
しかし、古来の人びとは、本当に非科学的だったのでしょうか?
   
   しかも、「数値シミュレーションによる評価」などせずに、
   彼らの建設した多くの構築物・建物が、数百年の時を経て、なお健在なのです。
   現代の科学者たちは、何故、この厳然たる事実に目を遣らないのでしょう。
   [註記追加 21日10.57]

古来の人びとと、近・現代の科学者たちとの最大の違いは、
古来の人びとは、世の中に在る事象、とりわけ「自然の現象」には、「人智の及ばない、及び得ない事象が多々在る」との認識を、当たり前のこととして持ち、それゆえ自然の力に対して、力ずくで対応する、などということは考えなかったのに対し、
近・現代の科学者たち、とりわけ「工学畑の科学者」には、人智の及ばない事象はない、あるいは、先進の科学・技術には人智の及ばない事象などない、という視座をとる方がたが多い、ということです。

私は、「人智の及ばない、及び得ない事象が多々在る」との認識こそが、科学的な:scientific な認識である、と思います。
逆に言えば、「人智の及ばない、及び得ない事象が多々在る とは思わない」「そういう事象に対しても、科学・技術で対応できる、それが人智だ」などと考えることこそ、non-sense であり、non-scientific である、ということです


おそらくこれから、原発の安全、危険の論議がされるに違いありません。
そしておそらく、今回の津波を基に、新たな防潮堤の「基準」づくりに走るのも間違いありません。現に、建設中の原発で、高さ12mの防潮堤を新設する、という発表があったそうです。
しかし、これで安全かどうか議論しても、不毛です。non-sense です。

肝腎なことは、自然現象を、完璧に予測できるのか、そして、核燃料・放射線物質の放射線を完全に制御できるかどうか、の問題です。
昔に比べればかなり分ってきた、ある程度は予測できる、というのは答えになりません。
なぜならそれは、完全には分っていない、という事実の裏返しの表現に過ぎないからです。
完全に予測できない以上、「耐」地震、「耐」津波・・・などはあり得ないのです。
[文言追加 21日 15.59]

そしてまた、ある程度制御できる、危険にならない程度まで制御できる、というのは答えになりません。
なぜならそれは、完全に制御できないという厳然たる事実の裏返しの表現に過ぎないからです。
放射線量を確実に0にすることができない以上、安全ということはないのです。
要するに何をしても危険は危険だ、というのが厳然たる事実
なのです。

   昨年の春先に、「現代の科学の実態」について書かれたある書物を、その書評で紹介させていただきました。
   2010年3月21日付「毎日新聞(東京)」朝刊からの転載です。再掲します。
  


まして、この程度の被曝量は、人はいつも自然界から受けている、だから問題ない、という論理で「安全」を論議したり、「安全」を説くのはやめましょう。
なぜなら、「この程度の被曝量」は、わざわざ人工的につくりだしたもの、つくりださなければ存在しなかったものだからです

人に暴行を加えておいて、この程度の暴行では人命に損傷がない、だからと言って、暴行を正当化できますか?

1986年のチェルノブイリ原発事故に際して、森滝市郎氏(当時の原水禁代表)は、次のように語っています。

・・・・
核エネルギーは軍事利用であっても、平和利用であっても、人類の生存を危うくするものであり、核エネルギーと人類は共存できないと思い定めて、核絶対否定の道を歩むことが人類の生きる道ではないでしょうか。
・・・・


   註 4年ほど前に、やはり地震があったとき、同様の感想を書いていました(下記)。
      『「想定外」と「絶対」・・・近現代工学の陥し穴』 [註記追加 21日 19.32]

   追記 [追記追加 22日 8.04]
   お寄せいただいたコメントに「基準(値)」についてのご意見がありました。
   何でも「基準」で片づける不条理について下記で書きました。
     「基準依存症候群・・・・指針、規定、そして基準」

   海外では、原発損壊で避難をしなければならないような事態になっても
   「静かな」日本人を「称賛」している、という報道があるとのこと。[文言補足 22日 17.28]
   それは「誤解」だ、と私は思います。
   近代化以前、つまり明治以前はそんなことはなかったはず。おそらく一揆が起きたでしょう。
   明治以降、人びとは「飼い慣らされてしまった」のではないでしょうか。
   天は人の上に人はつくらなかった、かもしれませんが、
   明治以降、「国」は進んで「人の上に人をつくってきた」のです。
   どんな人を?偉い人たち:学者とお役人・・・を。
   人びとは、偉い人のつくる「基準」に唯々諾々として従うのが当たり前になってしまった!
   何故?ラクだから・・・。

   そうではありませんか?
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とり急ぎ

2011-03-15 15:44:29 | その他
震災被害、想像を絶するものがあります。

亡くなられたきわめて多くの方がたに哀悼の意をささげますとともに、
被災された方がたの無事をお祈りいたします。

今週末、19日土曜日に水戸で開催予定でした
茨城県建築士事務所協会主催の「建築設計講座(講習会)」は、
現下の状況に鑑み、とりやめにすることにいたしました。

今後の予定などについては、
おって建築士事務所協会から連絡があります。

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無事です

2011-03-12 11:22:08 | 居住環境
[12日 16.50 追伸追加]

経験したことのない揺れでした。
畳一畳大、深さ50cmの遊水池の水が大きく波打ち、外に跳び出しました。

地震発生時から、今朝の午前9時ごろまで、停電が続き、電話も不通。
久しぶりに、戦時中の灯火管制の夜を思い出しました。
それにしても寒かった!

周辺にも被害は見あたりません。

追伸 地震の激しい揺れに怯えて、三毛猫が南側の藪に避難、一晩帰ってきませんでしたが、
    先ほど、無事に戻ってきました。一安心。
    大きな揺れが少なくなってきたのが、分ったのでしょう。
    それでも、不安げな様子で家中を検査していました。[12日 16.50 追加]


今回の地震、宮城沖から茨城沖まで400~500キロの線上に震源が連続しているようです。
たしか、安政の大地震のときも、信越、三陸、東海、南海、山陰、山陽・・と大地震が連続して起きたということを思い出しました。
岩盤が大きく割れると周辺に広がるのかも・・・。

そのときの年表(「理科年表」から)。
・・・・・

1853年(嘉永 5年) 1月26日 信濃北部 M6.5
1853年(安政 1年) 3月11日 小田原付近 M6.7
1854年(安政 1年) 7月 9日 伊賀・伊勢・大和 M7.25
1854年(安政 1年) 8月28日 陸奥:三戸、八戸 M6.5
1854年(安政 1年)12月23日 東海・東山・南海 M8.4
1854年(安政 1年)12月24日 畿内・東海・東山道・北陸・南海・山陰・山陽 M8.4

1854年(安政 1年)12月26日 伊予西部・豊後 M7.3~7.5

・・・・・
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閑話・・・・スライス:slice

2011-03-10 20:18:53 | その他
スライスという語で、何をイメージしますか?
チーズやハムやパン・・・。どうも食品によく見かける。

おっ、これも確かにスライス:slice だ、と「感激した」話。

昨年の暮受けた町の健康診断で、「要精密検診」、という結果をもらいました。部位は、胸部。X線写真で、肺に影が見える、とのこと。
1月になって、X線写真の直接撮影とCT( computerized tomography )撮影を受診。
何ともなさそうだが、念のために2ヵ月後にもう一度CTを、ということで、今週月曜、時ならぬ雪の降りしきるなか出かけて再度受診。
この写真は、その翌日の朝の風景。筑波が小さく見えています。



昨日、水曜日に結果が分りました。現在のところOK。気になるようだったら、念のために2ヶ月後にもう一度診てみましょう、ということになりました。

そのCTの「診療費明細書」をあらためて見ていて、そこに「スライス」の語を見つけたのです!

「胸部CT撮影 16列以上マルチスライス型機器電子画像(コンピュータ断層撮影診断)」
何層も切って撮影するからスライス撮影、ということなのでしょう。

外国語を日本語にすると、大抵、「難しい」語に変ってしまう。
何層にも切って撮影するからというわけで、向こうでは日常語の slice を使っているのに、日本語では「断層」になる。
パソコンの mouse だって、もしも日本で発明されていたとしたら、たとえネズミに似ているからといって「ねずみ」とは名付けなかったでしょう。何と名付けるか、興味が湧きます。
「いい訳」が見つからなくて、「マウス」になった・・・。「いい訳」とは、「しかつめらしい」語のこと。
中国では何と呼んでいるのかナ。

どうも、明治に西欧の文物を紹介するときから、こういう「性癖」が日本に生まれたような気がします。
江戸時代の語は、もっと身近な言葉を使っている。
明治以降、「やさしいこと」もわざと難しく言うようになった。何のために?「権威」のために・・・。

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“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” :イギリスの古建築-5

2011-03-07 21:01:41 | 建物づくり一般
時ならぬ雪が降りました。
その中でも、ボケとサンシュユの蕾がふくらんでいます。





  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[註記追加 8日11.39] [註記追加 8日 12.23]

先回、石造の尖塔型構造を目指して行き着いた木造 Cruck 工法を紹介しました。
この工法の建物は、いろいろな「要素・部材」が複雑に絡みあってつくられていて、その実際の「構築法」は、実物の「解体~再構築」を試みてみて初めて分ったようです。
先回の最後に載せたスケッチに、“Reconstruction of typical cruck hall” とあるのは、その「再建」作業によって得られた「成果」だからでしょう。

同書では、引き続き、各部の「Joints :継手・仕口」と実際の「建て方」を図解で示しています。
初めの図(a)は、ある実際の建物の「Joints :継手・仕口」の図解です。
そして次の(b)は、そうして組み立てられた Cruck の建て方の方法。
今回は、分りやすくするため、全般に図版を大きめにしてあります。





いろいろな形の「枘:ほぞ」と栓を多用した、きわめて精緻で、しかも念入りに検討された「Joints: 継手・仕口」であることが分ります。

   註 joint :継手は、持ち出し対置で継ぐ「持ち出し継ぎ」ではなく、主要構造部材上にあります。
      「構造用教材」などで示されている現在の日本の木造の《標準的仕様》が「異質」なことが分ります。
      [註記追加 8日11.39]

最初に、ある「通り」の一面を地上で組み立て、それを引張り起こす建て方は、日本でも、差鴨居を多用するような場合に行なわれます。
通常は、各部材を建てながら組んでゆきます。西欧でも、Cruck のような架構法以外では、建てながら組んでゆくと思います。

次の図は、別の例での構築法の図解。この場合は、平面図も載っています。

単位がftであるとすると、平面は梁行が16~18ft、桁行は12~15ft柱間が3~4。
つまり、日本で言えば、梁行2.5~3間×8~10間程度の建物に相当するでしょう。そんなに大きくはありません。それにしてはゴツイつくりです。

この事例はイギリス中部の Avon 州の博物館に移築されている建物。
移築にあたって構築法が解明されたのでしょう。その構築手順を図解した図です。
今回は、解説をそのまま載せるだけにします。




Cruck には、いろいろな種類があるようです。その解説が次の図です。



そして、Cruck 工法のいわば完成形とされるのが、下図のスケッチ。上は足元から木造の Cruck、下は石造の Base に Cruck を建てる Base-cruck と呼ばれる方法です。 Base-cruck は、おそらく「最高」のつくりだったのではないでしょうか。





下の図は Cruck の細部のつくりかた。





それにしても手が込んでいます。
Cruck の曲った形への強い「こだわり」が感じられます。
これはいったい何なのでしょう?
地震とは無縁な地域の建物。多雪地域かもしれませんが、合掌造でも、ここまでゴツクありません。
その一方で、西欧でも森林の豊かな地の木造建築には、こういうゴツイのはない。この対比には、きわめて興味が湧きます。
やはり、地中海沿岸の石造が「願望」だったのでしょうか?


ところで、この書物を見ていて、日本では、このような「建て方・組み方」を図で解説した書がないということに気付きました。
多くの「研究書」「研究報告」は、修理工事報告書をも含めて、「部分」の解説に終始しているように思えるのです。

それはおそらく、研究者を含め、建築に係わる多くの方がたが、建築「物」に関心があって、字義通りの「建築」(建て築くこと)についてはあまり関心がないからではないでしょうか。簡単に言えば、「結果」に関心があり、「過程」には関心がない。

いわゆる「建物の構造」についても同様で、「結果物」の「構造」については云々しても、「建て築く過程」を通して「構造」を考えることを嫌うように、私には見えます。
たとえば、ものの本には、継手・仕口の個々については説明があっても、架構全体から見た解説がされた書物は見たことがありません。
だから、三方差、四方差の柱を見て、これではアブナイ、金物が必要だ、などという「見解」が横行するのではないか、と思います。
   先回のコメントで、石の「空積み」の話がありました。「空積み」は、のっけからアブナイとされるのが日本。
   しかし、城郭の石積みや、九州に多い石橋は、空積みだと思います。
   煉瓦積では、目地材が使われます。そして目地材はセメントモルタルが奨められます。
   ところが、シックイ目地の方が、ひび割れも起こさず強い、というのが現場の声。
   組積造が地震に弱いというのも、積む「過程」を無視したことから生まれたいわば「風評」に思えます。

   註 私の知っている書物で、唯一、「過程」から建物を考えている書物があることを思い出しました。
      以前に紹介した「建築学講義録」です。
      これも以前に触れましたが、この書の出された頃の「建築」という語は、
      字の通り、「建て築く」という意味でしたから当然ではあります。
      [註記追加 8日 12.23]

一般に、「現代の建築関係者」は、「過程」を無視して「結果」を追い求めたがる人種であるように、私には見えます。
簡単に言えば、カッコイイ形づくり。
カッコイイ「絵」を描いて、そうなるようにつくれ、と施工者に命じることを「設計」と考える人たちの群れ・・・。
だから、「設計図」のほかに別途「施工図」が要るような「設計図」が描かれてしまう(それを助長しているのが、設計ソフトの類)。
これでは「設計」という語が「かわいそう」!


   「草思社」から「日本人はどのように建造物をつくってきたか」という好著(絵本)が刊行されています。
   第一巻は1980年初版の「法隆寺」、その後刊行されているか不詳です。
   しかし、この書でも、“Conservation・・・・”のような解説にはなっていません。
   なお、この本は、建築史学者 宮上茂隆、大工 西岡常一両氏の共著です。
   宮上茂隆氏は、将来の活躍が期待された異色の建築史学者でしたが、早逝されました。


この続きの次回は、同書の「木」についての解説を紹介します。これも、日本のそれとは趣きが多少違うように感じられます。   

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ミス・・・!

2011-03-05 08:10:30 | その他


1日は、冷たい雨。2日は強風、3日、4日と低温。今朝も厚い氷が張って、昨日よりも冷たい空気・・・。

3月1日以降、当地にも「ひかり」が入りました。
本当は、その日に切り替わるはずでしたが、当方の手続きミスで、ネットへの接続は、3日にずれこみました。

冷たい雨の降りしきる3月1日、工事をされる方は、その雨に濡れながら、約1時間半。
電話は無事「ひかり」に切り替わりましたが、ネットのサーバーへの手続きを当方がミス。切り替わらない!

3日の午後、何とかつながった!
いささかくたびれました。

そこへきて、障碍者居住棟の設計図・最終まとめ、水戸の研修会・次回配布資料作成、それに確定申告・・・といろいろ重なってきてしまい、あたふたしてます。
“CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS” の続きも、工事が少しも進んでいません!

もうしばらく時間をいただきます。


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