「・・・支えた技術」の合間に、喜多方訪問の続きを。
喜多方はラーメンの町ではなくトラスの町だ。
最近の建物には見かけないが、明治・大正そして昭和初期に建てられた建物にはトラス組の小屋の建物が多い。つまり建ってから約80年以上は経っている。
トラスは、喜多方地域に多い煉瓦蔵だけではなく、木造建物でもあたりまえのように使われていたのだ(過去形にしたのは、今は使われていないから)。
しかも、どれも洗練されている。
木造の例は、06年12月19日紹介の写真に載せた(下記註参照)。この木造の倉は、まだ健在であった。
註
「『実業家』たちの仕事・・・・会津喜多方の煉瓦造建築-2」
上の写真は、「登り窯」の覆屋に使われているトラスと、町の中心部にある「甲斐商店」の元倉庫。
登り窯の覆屋は大正年間、「甲斐商店」の倉庫は明治末年の建設(一時、「吉川商店」の倉庫であった)。
「登り窯」の覆屋はすべて木造だが、「旧甲斐商店倉庫」は煉瓦組積造の二階建て。外観は写真のとおり。一階は煉瓦2枚半、二階は2枚積み。
二階の床は、煉瓦壁間に5寸×8寸ほどの松梁が3尺ピッチで架けられ、根太なしで板張り。
釉薬をかけた煉瓦が全体に使われているから、06年12月16日に紹介の赤煉瓦の組積造の蔵より後の建設と考えられる(下註記事参照)。赤煉瓦は凍害を受けることがあり、そのため釉薬をかけた煉瓦を使うようになるからだ。
註
「『実業家』たちの仕事・・・・会津喜多方の煉瓦造建築-1」
なお、甲斐商店倉庫は、以前は中に入ることができなかった。
今は喜多方の住人が買い取り、整備中。普段は入れない。
今回は、その方のご好意で内部を見せていただいた。
写真のように、ここで使われているトラスには、金物がまったく使われていない。覆屋のトラスの真束下部の「箱金物(はこかなもの)」は最初はなく、「陸梁(ろくばり)」に「枘差込栓打ち(ほぞさしこみせんうち)」だったと思われる。
覆屋は吹きさらし、下からは熱気、煙がいぶす。しかも軸部は木造。そのため、仕口が傷み補強されたものだろう。
「甲斐商店倉庫」のトラスは屋内だから傷んではいない。金物が使われていないことが歴然。仕口に隙など少しもあいていない。仕事はきわめて丁寧、しかも手慣れていて、洗練されている。
註 写真の陸梁が撓んでいるように見えるが、
これは、カメラをあおっているため。実際は水平。
トラス組は日本の工法ではない。そうであるのに、この洗練さは、長年使い慣れていたかのようだ。
しかし、以前にも調べたのだが、いったい何時ごろ喜多方地域にトラス技法が伝わったのか、いまだに不明である。
ことによると、鉄道工事(現在の磐越西線)の技師が伝えたのかもしれない。
あるいは、洋風建築が早くからつくられていた山形の方から伝わったか。喜多方から北に峠を越えるとすぐに米沢(もっとも、その峠:「大峠」は難所に近かった。今はトンネルが通っている)。
とにかく喜多方のトラスは一見の価値がある。
ここ四半世紀で喜多方が大きく変ったのは、町なかに、住宅メーカーの手になるどこにでもある住宅が増えたこと。そこだけ写真に撮れば、どこの町だか分らない。多少違う点があるとすれば、屋根。雪が降るため、比較的勾配がきついのと雪止めが付けられている。
ここでも「地域の特性」は、失われつつあるあるようだ。