このブログで、最近、一番読まれているのが、この記事です。
おそらく、「シャチ継」について、知りたいという方がたなのだと思います。お役に立てばいいな、と思っていますが、一方で、少しばかり気になることもあります。そこで、その際、「気になること」もお読みいただければ幸いです。[2015.12.28 追記]
[図版を大きいサイズに更新 9.45]
15年ほど前に「継手・仕口」の模型を大工さんにつくっていただいた。
すべてを4寸角の材(仕上りは3寸8分)でつくった実寸大模型です。
その中から、「シャチ(栓)継ぎ」をとりだして、作業工程の順を撮ったのが上の写真。
部材に分解して15年ほど保存していたため、かなり狂っている。組んであればそんなことはありませんが、組んでゆく過程を説明するための模型ゆえ、部材のままの保管にするしかなかったのです。
材料にはかなりよいヒノキ材を使っていただいていますが、それでも長年のうちには収縮が起きるのです。乾燥材は収縮しない、などということはないのです。
一番上の3枚組みの写真は、横材の取付く「柱の刻み」、横材(「下木」と「上木」)、「シャチ栓」を撮ったもの。
「大方の構造計算が得意の方」は、この柱を見ると(特に現場で見ると)、こんなに彫って、折れてしまうのではないか、と言います。
実際、「四方差」の場合には、柱の四隅の僅かな部分で上下がつながっているだけです(この模型は、「三方差」)。
しかし、いままで4寸角(仕上り3寸8分角)で計画して、組んだ後、折れたことはありません。
ただし、工事中は、特に最近のようにクレーンを使う場合には、操作を誤って他材などにぶつけると折れることもあり、注意が必要です。もっとも、私は、そういう経験はありません。
一旦組み上がってしまえば、折れる心配はまったくないのですが、それでも「大方の構造計算が得意の方」は「断面欠損が多すぎる」といって心配します。
「シャチ栓」を打つことで、柱と横材が密着してしまうことが想像できないのでしょう。こういうところにも、ものごとを机上だけで考え、架構を「部材の足し算で考える思考」が垣間見えます。
上段の写真のように、「下木」と「竿」には、「シャチ栓」を打つ「道」が彫られます。平行四辺形の形になっていて、幅が3分、長さが1寸3分ほどです。
「シャチ栓」も面が平行四辺形で、側面は「楔(くさび)」型につくられていて、この場合は、厚さ3分、側面は、幅は上端が1寸5分、下端は1寸2分ほどです。
「シャチ栓」を「道」に打ち込むと、打ち込むにつれて、「道」の長さ:大きさ(a~a、b~b)は「栓」に押されて広がります。
孔の長さ:大きさが「広がる」ということは、「下木」側から見れば、「上木」が左に動く、つまり、「上木」が「下木」側に「引き寄せられる」、ということです(「上木」側から見れば逆になりますが、両者が「引き寄せられる」ことには変りありません)。
これが「シャチ栓を打つ」ことのすばらしい効能で、これについては、以前に「近世の継手の様態」の説明のときにも触れました。
おそらくこの効能の「発見」は、「楔」の効能の「発見」同様、余計にあけてしまった(あるいは、あいてしまった)孔に「埋木」をして修復することを通じて発見したのではないかと思います。
こういう発想は、机上では、絶対に生まれないでしょう。「思いつく契機」がないからです。
むしろ、机上で数値で考えたがる「科学者」は、発想自体を潰す方向に動き、こんな小さな「シャチ栓」だと、力がかかったらぶっ潰れてしまう、などと言うでしょう。
こういう「現場の発想」を、「計算されていない」「直観にすぎない」「理論の裏付けがない」・・・と言って毛嫌いし、いい感じを持たないのが「科学的」を標榜する「大方の構造計算が得意の方」の常なのです。
けれども、もしもヤワな仕口だったならば、とっくの昔に使わなくなっていたはずですが、そんなことはない。使い続けられているのです。
私は、もうお分かりのことと思いますが、現場で実働されている方々の「直観」の方を、それこそが、「科学的判断」と見なす人間です。すべてが数値化できる、などと考えるくらい「非科学的なことはない」からです。
下の写真の下3枚。最初は「栓」を打つ前の段階で、「下木」の白線より右に「上木」の白線があります。
次の写真は、「栓」を少し打込んだとき、最下段は、さらに「栓」を打込んで、「下木」「上木」が引き寄せられ、両者が柱に密着した状態です。白線の位置でご確認ください。
ここでは、柱は実物を使うのはやめました。模型が乾燥で狂ってしまっていることと(少しばかり削らないと、取付かない!)、組んでゆく途中、横材を維持するうまい方法がないからです。見にくいかも知れませんが、「柱」と記入した「紙」と「柱の刻み」で、組み上がりの姿を想像してください。
さて、実は今井町の「豊田家」(「高木家」のおよそ180年前の建物)では、「差鴨居」を使っているのですが、その取付け方法がかなり違います。
残念ながら「豊田家住宅修理工事報告書」には、「高木家」のような「仕口詳細図」が載っていません。そこで、「取付図」などから想定して「仕口詳細」の想定図を作成する作業を、連休中にしてみようかな、と思っています。
もう一つやってみたいと思っていること。それは「古井家」の架構模型作成。
ところで、最近当ブログを見ておられる方の関心が、日本の木造技術以外で、「トラス(喜多方のトラス)」、「旧帝国ホテル」、そして「RCを考える」にあるように感じています。そのアクセスが目立つのです。
そこで、「豊田家」の作業をしている間、たまたま最近、その昔、信越線の横川駅近くにある旧「変電所」を撮ったスライドフィルムを発掘(!)したので、その中から鉄骨のトラスの写真をいくつか紹介しようか、と考えています(この建物は「重要文化財」に指定されて、現在は修理復元されていますが、写真は、その前の荒れ果てた状態のときの撮影です)。
おそらく、「シャチ継」について、知りたいという方がたなのだと思います。お役に立てばいいな、と思っていますが、一方で、少しばかり気になることもあります。そこで、その際、「気になること」もお読みいただければ幸いです。[2015.12.28 追記]
[図版を大きいサイズに更新 9.45]
15年ほど前に「継手・仕口」の模型を大工さんにつくっていただいた。
すべてを4寸角の材(仕上りは3寸8分)でつくった実寸大模型です。
その中から、「シャチ(栓)継ぎ」をとりだして、作業工程の順を撮ったのが上の写真。
部材に分解して15年ほど保存していたため、かなり狂っている。組んであればそんなことはありませんが、組んでゆく過程を説明するための模型ゆえ、部材のままの保管にするしかなかったのです。
材料にはかなりよいヒノキ材を使っていただいていますが、それでも長年のうちには収縮が起きるのです。乾燥材は収縮しない、などということはないのです。
一番上の3枚組みの写真は、横材の取付く「柱の刻み」、横材(「下木」と「上木」)、「シャチ栓」を撮ったもの。
「大方の構造計算が得意の方」は、この柱を見ると(特に現場で見ると)、こんなに彫って、折れてしまうのではないか、と言います。
実際、「四方差」の場合には、柱の四隅の僅かな部分で上下がつながっているだけです(この模型は、「三方差」)。
しかし、いままで4寸角(仕上り3寸8分角)で計画して、組んだ後、折れたことはありません。
ただし、工事中は、特に最近のようにクレーンを使う場合には、操作を誤って他材などにぶつけると折れることもあり、注意が必要です。もっとも、私は、そういう経験はありません。
一旦組み上がってしまえば、折れる心配はまったくないのですが、それでも「大方の構造計算が得意の方」は「断面欠損が多すぎる」といって心配します。
「シャチ栓」を打つことで、柱と横材が密着してしまうことが想像できないのでしょう。こういうところにも、ものごとを机上だけで考え、架構を「部材の足し算で考える思考」が垣間見えます。
上段の写真のように、「下木」と「竿」には、「シャチ栓」を打つ「道」が彫られます。平行四辺形の形になっていて、幅が3分、長さが1寸3分ほどです。
「シャチ栓」も面が平行四辺形で、側面は「楔(くさび)」型につくられていて、この場合は、厚さ3分、側面は、幅は上端が1寸5分、下端は1寸2分ほどです。
「シャチ栓」を「道」に打ち込むと、打ち込むにつれて、「道」の長さ:大きさ(a~a、b~b)は「栓」に押されて広がります。
孔の長さ:大きさが「広がる」ということは、「下木」側から見れば、「上木」が左に動く、つまり、「上木」が「下木」側に「引き寄せられる」、ということです(「上木」側から見れば逆になりますが、両者が「引き寄せられる」ことには変りありません)。
これが「シャチ栓を打つ」ことのすばらしい効能で、これについては、以前に「近世の継手の様態」の説明のときにも触れました。
おそらくこの効能の「発見」は、「楔」の効能の「発見」同様、余計にあけてしまった(あるいは、あいてしまった)孔に「埋木」をして修復することを通じて発見したのではないかと思います。
こういう発想は、机上では、絶対に生まれないでしょう。「思いつく契機」がないからです。
むしろ、机上で数値で考えたがる「科学者」は、発想自体を潰す方向に動き、こんな小さな「シャチ栓」だと、力がかかったらぶっ潰れてしまう、などと言うでしょう。
こういう「現場の発想」を、「計算されていない」「直観にすぎない」「理論の裏付けがない」・・・と言って毛嫌いし、いい感じを持たないのが「科学的」を標榜する「大方の構造計算が得意の方」の常なのです。
けれども、もしもヤワな仕口だったならば、とっくの昔に使わなくなっていたはずですが、そんなことはない。使い続けられているのです。
私は、もうお分かりのことと思いますが、現場で実働されている方々の「直観」の方を、それこそが、「科学的判断」と見なす人間です。すべてが数値化できる、などと考えるくらい「非科学的なことはない」からです。
下の写真の下3枚。最初は「栓」を打つ前の段階で、「下木」の白線より右に「上木」の白線があります。
次の写真は、「栓」を少し打込んだとき、最下段は、さらに「栓」を打込んで、「下木」「上木」が引き寄せられ、両者が柱に密着した状態です。白線の位置でご確認ください。
ここでは、柱は実物を使うのはやめました。模型が乾燥で狂ってしまっていることと(少しばかり削らないと、取付かない!)、組んでゆく途中、横材を維持するうまい方法がないからです。見にくいかも知れませんが、「柱」と記入した「紙」と「柱の刻み」で、組み上がりの姿を想像してください。
さて、実は今井町の「豊田家」(「高木家」のおよそ180年前の建物)では、「差鴨居」を使っているのですが、その取付け方法がかなり違います。
残念ながら「豊田家住宅修理工事報告書」には、「高木家」のような「仕口詳細図」が載っていません。そこで、「取付図」などから想定して「仕口詳細」の想定図を作成する作業を、連休中にしてみようかな、と思っています。
もう一つやってみたいと思っていること。それは「古井家」の架構模型作成。
ところで、最近当ブログを見ておられる方の関心が、日本の木造技術以外で、「トラス(喜多方のトラス)」、「旧帝国ホテル」、そして「RCを考える」にあるように感じています。そのアクセスが目立つのです。
そこで、「豊田家」の作業をしている間、たまたま最近、その昔、信越線の横川駅近くにある旧「変電所」を撮ったスライドフィルムを発掘(!)したので、その中から鉄骨のトラスの写真をいくつか紹介しようか、と考えています(この建物は「重要文化財」に指定されて、現在は修理復元されていますが、写真は、その前の荒れ果てた状態のときの撮影です)。