日本の建物づくりを支えてきた技術-34・・・・継手・仕口(18):「竿シャチ継ぎ」の工程

2009-04-30 08:03:18 | 日本の建物づくりを支えてきた技術
このブログで、最近、一番読まれているのが、この記事です。
おそらく、「シャチ継」について、知りたいという方がたなのだと思います。お役に立てばいいな、と思っていますが、一方で、少しばかり気になることもあります。そこで、その際、「気になること」もお読みいただければ幸いです。[2015.12.28 追記]


[図版を大きいサイズに更新 9.45]

15年ほど前に「継手・仕口」の模型を大工さんにつくっていただいた。
すべてを4寸角の材(仕上りは3寸8分)でつくった実寸大模型です。
その中から、「シャチ(栓)継ぎ」をとりだして、作業工程の順を撮ったのが上の写真。
部材に分解して15年ほど保存していたため、かなり狂っている。組んであればそんなことはありませんが、組んでゆく過程を説明するための模型ゆえ、部材のままの保管にするしかなかったのです。
材料にはかなりよいヒノキ材を使っていただいていますが、それでも長年のうちには収縮が起きるのです。乾燥材は収縮しない、などということはないのです。

一番上の3枚組みの写真は、横材の取付く「柱の刻み」、横材(「下木」と「上木」)、「シャチ栓」を撮ったもの。

「大方の構造計算が得意の方」は、この柱を見ると(特に現場で見ると)、こんなに彫って、折れてしまうのではないか、と言います。
実際、「四方差」の場合には、柱の四隅の僅かな部分で上下がつながっているだけです(この模型は、「三方差」)。
しかし、いままで4寸角(仕上り3寸8分角)で計画して、組んだ後、折れたことはありません。
ただし、工事中は、特に最近のようにクレーンを使う場合には、操作を誤って他材などにぶつけると折れることもあり、注意が必要です。もっとも、私は、そういう経験はありません。

一旦組み上がってしまえば、折れる心配はまったくないのですが、それでも「大方の構造計算が得意の方」は「断面欠損が多すぎる」といって心配します。
「シャチ栓」を打つことで、柱と横材が密着してしまうことが想像できないのでしょう。こういうところにも、ものごとを机上だけで考え、架構を「部材の足し算で考える思考」が垣間見えます。

上段の写真のように、「下木」と「竿」には、「シャチ栓」を打つ「道」が彫られます。平行四辺形の形になっていて、幅が3分、長さが1寸3分ほどです。
「シャチ栓」も面が平行四辺形で、側面は「楔(くさび)」型につくられていて、この場合は、厚さ3分、側面は、幅は上端が1寸5分、下端は1寸2分ほどです。

「シャチ栓」を「道」に打ち込むと、打ち込むにつれて、「道」の長さ:大きさ(a~a、b~b)は「栓」に押されて広がります。
孔の長さ:大きさが「広がる」ということは、「下木」側から見れば、「上木」が左に動く、つまり、「上木」が「下木」側に「引き寄せられる」、ということです(「上木」側から見れば逆になりますが、両者が「引き寄せられる」ことには変りありません)。

これが「シャチ栓を打つ」ことのすばらしい効能で、これについては、以前に「近世の継手の様態」の説明のときにも触れました。

おそらくこの効能の「発見」は、「楔」の効能の「発見」同様、余計にあけてしまった(あるいは、あいてしまった)孔に「埋木」をして修復することを通じて発見したのではないかと思います。

こういう発想は、机上では、絶対に生まれないでしょう。「思いつく契機」がないからです。
むしろ、机上で数値で考えたがる「科学者」は、発想自体を潰す方向に動き、こんな小さな「シャチ栓」だと、力がかかったらぶっ潰れてしまう、などと言うでしょう。
こういう「現場の発想」を、「計算されていない」「直観にすぎない」「理論の裏付けがない」・・・と言って毛嫌いし、いい感じを持たないのが「科学的」を標榜する「大方の構造計算が得意の方」の常なのです。

けれども、もしもヤワな仕口だったならば、とっくの昔に使わなくなっていたはずですが、そんなことはない。使い続けられているのです。

私は、もうお分かりのことと思いますが、現場で実働されている方々の「直観」の方を、それこそが、「科学的判断」と見なす人間です。すべてが数値化できる、などと考えるくらい「非科学的なことはない」からです。

下の写真の下3枚。最初は「栓」を打つ前の段階で、「下木」の白線より右に「上木」の白線があります。
次の写真は、「栓」を少し打込んだとき、最下段は、さらに「栓」を打込んで、「下木」「上木」が引き寄せられ、両者が柱に密着した状態です。白線の位置でご確認ください。

ここでは、柱は実物を使うのはやめました。模型が乾燥で狂ってしまっていることと(少しばかり削らないと、取付かない!)、組んでゆく途中、横材を維持するうまい方法がないからです。見にくいかも知れませんが、「柱」と記入した「紙」と「柱の刻み」で、組み上がりの姿を想像してください。


さて、実は今井町の「豊田家」(「高木家」のおよそ180年前の建物)では、「差鴨居」を使っているのですが、その取付け方法がかなり違います。
残念ながら「豊田家住宅修理工事報告書」には、「高木家」のような「仕口詳細図」が載っていません。そこで、「取付図」などから想定して「仕口詳細」の想定図を作成する作業を、連休中にしてみようかな、と思っています。

 もう一つやってみたいと思っていること。それは「古井家」の架構模型作成。


ところで、最近当ブログを見ておられる方の関心が、日本の木造技術以外で、「トラス(喜多方のトラス)」、「旧帝国ホテル」、そして「RCを考える」にあるように感じています。そのアクセスが目立つのです。
そこで、「豊田家」の作業をしている間、たまたま最近、その昔、信越線の横川駅近くにある旧「変電所」を撮ったスライドフィルムを発掘(!)したので、その中から鉄骨のトラスの写真をいくつか紹介しようか、と考えています(この建物は「重要文化財」に指定されて、現在は修理復元されていますが、写真は、その前の荒れ果てた状態のときの撮影です)。
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余談・・・・「修理工事報告書」:その刊行部数

2009-04-27 10:52:03 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

一日中吹き荒れた風雨もおさまり、今日は見事な青空。ただ、風は強く冷たい。
今、新緑真っ盛り。ケヤキの若葉を透けて見える青空。

さて、今日は「修理工事報告書」の全コピーを「国会図書館」に依頼したときの話を。

「国会図書館」に事前に「利用者登録」をしておくと、誰でも、インターネットを通じて必要書物や資料の「複写サービス」を受けることができます。

これまで、必要があると、近くの大学図書館へ行っていたけれども、それも面倒になり、昨年秋に利用者登録をして、手始めに「古井家住宅修理工事報告書」の全コピーをお願いした。昭和46年(1971年)の刊行である。
「古井家」の報告書は、70頁足らず。送料込みで2500円余りで綺麗なコピーを送っていただいた。もしも古書で手に入れようとすると(他の資料は、大方が古書店で購入したもの)、もちろんコピーではないが、こんな値段では済まない。

そして、この春、今井町の「高木家」の報告書の全複写をお願いしたところ、「国会図書館」から、著作権の関係で、全複写はできない、原則半分が著作権法で認められる分量で、全複写をするには、刊行者・編者の「許諾書」がいる、との丁寧な連絡があった。
著作権の法的な期間は50年、「高木家」の報告書は1976年の刊行だから、まだ30余年、たしかにまだ不可の期間。
「古井家」の場合も不可のはずだが・・・、とは思ったけれども、勘違い・間違いもあるのだろう。

そう思って、この際、「高木家」とともに「豊田家」の報告書、「箱木家」の報告書の複写資料を手許にそろえようと、前二者の刊行者の「奈良県教育委員会:奈良県文化財保存事務所」、後者の編者「文化財建造物保存技術協会」あて、「許諾書」の発行を依頼した。

数日後、「奈良県教委・奈良県文化財保存事務所」から、資料の使用目的等についての問合せの電話があった。
そこで、世の中一般に、わが国の木造技術に対する誤解が蔓延していて、法令も往古の技術を全否定する傾向にある。最近になって往古の技術の見直しが始まりつつあるけれども、それも往古の技術を詳しく調べてのものではない。
そういった傾向に対して、事実を開示しないと、誤解が真実であるかのように広まってしまう恐れがある、そういう事実開示のために使わせていただくのだ・・・と、少し長くなったけれども電話で話をした。
私の「目的」は了解いただいたのだが、その話の過程で、こういう「報告書」の発行部数の話が出た。

「修理工事報告書」を実際に見ることができるのは、大きな図書館、大学図書館、建築史研究室など限られている。
たとえば、先に少し触れた平安期建設の「白水阿弥陀堂」。福島県の「いわき市」にある。そこで、「いわき市立図書館」「福島県立図書館」蔵書をインターネットで調べたところ、蔵書にない。地元にないのである(調べ方が足りなかったからだろうか?)。

大学図書館だって、すべてが所蔵されているとは限らないのです。
何故だと思いますか?

この種の「報告書」は、絶対的に、刊行部数が少ないからなのです。

「奈良県文化財保存事務所」刊の「高木家」「豊田家」の報告書の場合、刊行部数は、300部なのだそうです。全国で、僅かに300なのです!
私は、1000部くらいはあるのかと思っていたから、そこで絶句。
部数が少ないのは、予算の都合であるらしい。

そこで私は「著作権の保護」とは、いったい何を保護するのか、訝りました。
このような場合は、むしろ、「貴重な資料・データの死蔵に等しい」のではないのか、文化財として認定して詳細な調査をする、その意味はいったい何なのか、その趣旨に反することが行なわれているのではないか、・・・私はそう思いました。

そしてさらに、事実に基づいた資料・データが広く開示されていないがゆえに、それをいいことに(皆が事実を知らされていないことをいいことに)、「似非伝統建築」の実験などが大手を振って行なわれてしまうのだ、とも思いました。
これは非常に問題だ、と私は思います。

依頼した「報告書」は、全部丁寧に複写されて到着しました。3報告書で600頁を越える分量、総費用は、僅か1万6千円余り。古書で買えば、数倍じゃきかないでしょう。

これから先、著作権法に抵触する、などと言われるかもしれませんが、私は、誰もが知っていてあたりまえと考えられる事実・資料は、手に入り次第、公開するつもりです。

見事な壮快な新緑の季節というのに、暗い話で恐縮です。
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日本の建物づくりを支えてきた技術-33の補足・・・・高木家の竿シャチ継ぎ詳細図更新

2009-04-25 12:27:57 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

先回の図版のうち、最下段の詳細図を更新します。
仕口部を色分けしようといろいろ試みましたが、どうやってもうまくゆかないので、この程度でやめておきます。
なお、「竿シャチ継ぎ」の簡単な模型がありますので、「シャチ栓」を打つと、どうなるか、天気が回復したら撮影して、載せるつもりです。

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日本の建物づくりを支えてきた技術-33・・・・継手・仕口(17):高木家の竿シャチ継ぎ

2009-04-24 11:18:23 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

[文言不備部分改訂加筆 17.50]

この三月、これまで抜粋コピーで済ませていた「資料」を、国会図書館から全コピーで取り寄せることにしました。
とりあえず、「古井家」「箱木家」「豊田家」「高木家」の「修理工事報告書」です。
全コピーとなると、著作権の関係で、いろいろと手続きが必要で、結局手許に入るまで、約一ヶ月かかりました。
その間にあった「余談」は、いずれ紹介します。

先回、奈良・橿原市(かしはら・し)今井町の「高木家」の架構をあらためて紹介しました。
その架構図は、「日本の民家6:町家Ⅱ」から転載・編集したものですが、元図は「重要文化財 高木家住宅修理工事報告書」(奈良県文化財保存事務所刊)にあります。
総二階建ての「高木家」の架構が、「通し柱」を「差鴨居」で結ぶ方法を主にしていること、その「柱と差鴨居の仕口」が「竿シャチ継ぎ」であることを書きました。
そして、「報告書」には、この「差鴨居と柱の仕口:竿シャチ継ぎ」の詳細が、寸法入りで載っています。
そこで、今回は、それを紹介させていただきます。

上の図の一段目の左側は、「報告書」所載の「仕口詳細図」ですが、これは「へ」通りの「六通り」および「十四通り」との交点の「通し柱」の仕口を示したものです。
なお、参考比較のために、上段右下端に、現在の通常の「竿シャチ継ぎ」の分解図を載せました。

中段の図の左は、「へ六」の「通し柱」の全側面図で、「仕口」の彫りが記入されています。
次の図は、この柱の側面図から、「差鴨居」の取付き部を拡大したものです。

中段右の図は、これらの資料を基にして、「六通り」の差鴨居仕口をアキソメで書き直してみたものです(刻みが見えるように、通常とは角度を変えて描いています)。参考に、前回載せた「差鴨居分解図」から、当該箇所だけ切り取り載せてあります。

そして下段の図は、同じ場所の詳細を大きく描き直してみたものです。
描き直す気になったのは、元図に、誤記と脱落箇所が見付かったからです。
a の寸法は元図では375mmになっていますが、各部の寸法を足すと315mm。おそらく、図に記入するときの誤記だと思います。
c の寸法には14□ の□の部分に脱落があります。下段の図では c を148mmとしていますが、これは下段の図で*印を付けた寸法を私が推定して想定したものです。
つまり、竿の長さは270mmで分っている。竿の柱より外に出る部分:下木に差さる部分の寸法は、それから柱径を引き算したもの。
「へ六」柱の径は出ていないので、全般に4寸2分:127mmである、との報告書の数字を径として計算し残りは b:143mm。
下木の彫りの方は、「ゆとり」をとるのが普通なので、それを5mmとすると148mm、という想定計算の結果です。

これをまとめたのが、下段の図です。
なお、この図の右側の「竿付き」の材の、竿の下側の「目違い」(柱の内側に納まる竿の幅と同じの出っ張りの部分を、通常、メチガイと呼びます)の「出」は元図にはありません。これも、柱径を127mmとして、想定した寸法です。
左側の材:竿を受ける方の材の「目違い」の出は65mmとありますから、「竿付き」の材の「目違い」の出は、62mm以下でないと、両者が柱内でぶつかってしまう。そこでゆとりをみて、多分60mm程度、と想定したわけです。

それはさておき、この仕口図を見て感心したのは、d と e の刻みです。
現在だと、参考図のように、ただ「胴付」を設けて「竿」をつくるのが普通です。
しかし、ここでは「胴付」に相当するのは e だけで、上の d は「胴付」の中程を欠き取ってあり、どちらかといえば「目違い」と呼んだ方がよいような刻みです。
しかも、e は、わざわざ「台形(梯形)」型に刻んであります。

「胴付」を設けるのは、「竿」だけに重さがかかるのを避けるため、材の捩れをを防ぐため、この二つの目的があります。

その意味では、現在の方法でも、一定程度目的は達成できます。
ところが、この現在の方法では、得てして、柱に亀裂が入るのです。
材の捻れ=「胴付」の捻れとなり、それに柱が押されて割れが入るのでしょう(今回は間に合いませんが、機会をみて、実例を写真で紹介します)。

「高木家」の差鴨居の手の込んだ刻みは、このような柱の割れを防ぐためと考えられます。
先ず e の「台形」の刻み。こうすると、材が捩れようとしたとき、柱を割る力は、「木理:木目」に対して斜めにかかることになります。
普通の角型の「胴付」だと、力は直かに「木理」を裂くように働きますが、「台形」だと、裂く力は斜めにかかるため、「木理」を裂く力:木理方向の力:が低減されるのです(「力の分解」の理屈です)。

上の方で、普通の「胴付」にせず、二列に分けたのは、それで十分「捩れ止め:狂い止め」の目的は達成できる、という判断でしょう。
しかも、柱の欠き取りも少なくて済み、柱との噛み合いも強く、それでいて柱に割れの入る恐れも格段に少なくなるのです。よく考えてあります。

いろいろ考えてみても分らなかったのが d を一段下げた理由です。北側からの差鴨居の「胴付・目違い」と位置(高さ)が同じにならないようにするためか、とも考えましたがそうでもない。他のところにはないやりかただ。???

そこで、あらためて元図を見直したところ、元図には d の上に、斜めの線がある。
最初私は、単なる図の汚れぐらいに考えていたのですが、そうではないことに気がついた!
その部分は材木の「丸み」の部分なのです。したがって、その部分はないのだから、当然刻みは下げざるを得ない、というわけです。

下段の図は、そのことが分らないままで描いた図です。そして下がりを30mmとしてありますが、それは図上で計った寸法で意味がない!「丸み」次第なのでした!
ちゃんと「丸み」をつけた図に描き直さないといけません!でも、間に合わないので、恐縮ですが、角に「丸み」があると思って見て下さい!!。


この刻みは、きわめて手の込んだ細工です。しかしそれは、すべて、その部位で「何が起きるか、どんなことが想定されるか・・・」を考えた結果の仕事なのです。
ある種の大工さんのなかには、昔も今も、意味を考えず、いわば「趣味」として複雑な刻みをしてとくとくとしている人たちがいます。
しかし、「高木家」のそれは、「遊び」ではなく、「意味」があるのです。
他の部分の仕口も描き直してみると、おそらく別の発見があるのかもしれません。

今、割と気楽に「継手・仕口」を考え、また使っていますが、やはり、各部位に何が起きるかを考えながら使わなければならないことを、あらためて感じた次第です。

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日本の建物づくりを支えてきた技術-32・・・・継手・仕口(16):近世には・・

2009-04-20 09:56:17 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

三月いっぱいにまとめる話が、先週末に、ようやく落着。

さて、「継手・仕口」の話の続き。
先回は江戸時代までくると、「シャチ栓」を使う継手・仕口が増えてくることを紹介しました。

今回は、以前にも載せましたが、江戸時代も末、天保年間:1830~40年頃の建設と言われ、竣工直後に「安政の大地震」に遭ったはずの奈良県橿原市今井町の商家:「高木家」の架構法を紹介します。
この例は、日本建築学会編の教科書「構造用教材」に「伝統工法」の例として載っているくらいですから、その筋の学者先生方も無視するわけにはゆかない建物なのだ、と思います。

それはともかく、この建物の架構は、実に明快にして明解。
この建物の直ぐ近く、300mほど離れた場所に、これも以前紹介した「豊田家」があります。
両家は、ほぼ同規模の商家ですが、こちらは寛文2年:1662年の建設ということが分っています。この建物も「安政の大地震」を経てなお健在です。

この二つの建物は、建設時期に約180年の隔たりがあることになります。
ですから、両者を見比べると、その間の「技術」の推移の様態が分る絶好の現場なのです。一日で、しかも同じ町内で見比べられるなんていうのは、滅多にありません。

そして、この二つの建物では、まさに「シャチ栓」が主役。主要な「仕口」はすべて「シャチ栓継ぎ」なのです。

今回は、「高木家」の「当初復元平面図」と調査で分った「架構図」と、主要な「仕口」図を載せます。図は「日本の民家」(学研)および「高木家住宅修理工事報告書」(奈良県)が出所です。
上の「仕口図」は、「架構図」で「黄色に塗った通り」の「差鴨居の仕口分解図」、下は同じく「緑に塗った通り」の「根太受けの仕口分解図」です。

[恐縮ですが、図の部分をプリントして、それを片手にお読みください]


「高木家」は総二階建て(一部吹き抜け:どま)の建物ですが、その架構は、現在の二階建ての方法とは大きく違います。

平面図で分るように、一階と二階の平面:間仕切位置はほとんど同じです。そして、建物の四隅と間仕切の交点に「通し柱」が立ち、「通し柱」~「通し柱」には、「差鴨居」が組まれます。
そして、二階の床は、この「差鴨居」上の「束柱」で支えられた「根太受け」が根太を受け、床を張る、という手順で組まれています。

そのうちの「六」通り(黄色に塗った柱列)の「差鴨居」の分解図と、「ほ」通り(緑色にぬった列)の「根太受け」(今なら「床梁」「二階梁」とでも言うでしょう)の分解図が上の図です。

この方法は、「束柱」で支えた「大引」で根太を受ける一階床に似たやりかたを、「差鴨居」上でやっている、と考えてもよく、言うならば「根太受け」は一階床の「大引」にあたる材、そこで、ここでは「根太受け」という名で書いたのです。ただ距離が跳ぶので丈が6寸~7寸ほどになっています。

この建物で特徴的なのが、柱は「通し柱」も「管柱」も、すべて、4寸2分角(12.7cm)であることです。いわゆる「大黒柱」がない。
当初の柱がすべて残っていて、柱総数61本、そううちの32本が「通し柱」(ということは柱の半分以上が通し柱ということです!)、18本が「管柱」(1階だけ、または2階だけの柱)、11本が「庇柱」(庇支持用の柱)とのこと。
北面の「庇柱」は3寸6分角、南の通りに面する「庇柱」は主柱と同寸の4寸2分角を使っています。

柱は、東西両側の通り(「い」「る」)と「り」通りでは5寸角のヒノキの「土台」の上に立ち、南北面では「礎石建て」、「土台」のように見えるのは「地覆(ぢふく)」です。

なお、「土台」の「継手」は「腰掛け鎌継ぎ」、「土台」に立つ「柱」は「長枘差し」です。

さて、「差鴨居」と「通し柱」の取付きに使われているのが「シャチ(栓)継ぎ」です。「竿シャチ継ぎ」と言うのが正式名です。柱を貫通して相手側に差す長い「枘」を「竿」と呼んでいますが、この建物では、一材からつくりだしています。こういう場合を「本竿」と言うようです。

今回は詳しく触れませんが、細部の刻みも、非常によく考えられた仕事がされています。つまり、ただ彫ればいい、という仕事ではなく、それぞれの刻みに「意味」があるのです(報告書に「刻み」部分の詳細実測図があるので、次回に紹介を予定しています)。

二階床の「根太受け」は、「二」通りから「二〇」通りまで、同じ高さで一列に連なっていますが、「六」通りと「一四」通りの「差鴨居」上の「束柱」の真上で継いでいて、「目違い付き鎌継ぎ」を使っています。
その場合、「下木」側を「束柱」が受け、その「下木」に「上木」が落される形をとっています。「腰掛け」を設けていないのは、下から「束柱」が受けているからで、「目違い」を設けたのは、「上木」の側の材の下部が、「下木」からはずれて捩れることを嫌ったからです。
ということは、単に、継承されてきた「仕口」の「形」を刻んでいるのではなく、常に「理由」を考えて刻んでいる、ということです。どう継ぐか、どう取付けるのが最上か、場所・部位ごとに、そこで何が起きるか、何を考えておかなければならないか、考えているのです。

常に「理由」を考えながら仕事をする、まさにこの点こそ、現在の多くの「技術者」が忘れてしまった「技術の本質」なのではないかと、私は思います。
今の「技術者」の中には、金物が付いていればいいや、で済ませてしまい、何のための金物なのか、考えない人がたくさんいます。
その極めつけは、大方の確認審査を担当する「技術者!」の方々です。そして、それに唯々諾々としてしたがう「建築家」の方々です。

「高木家」は、「浄土寺・浄土堂」「東大寺・南大門」などと同じく、すごいなぁ、と、私がいつも思う建物の一つです。

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日本の建物づくりを支えてきた技術-余録・・・・ドイツの継手・仕口のいろいろ

2009-04-13 22:53:58 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

 [図面が小さすぎました。図版編集しなおそうかと思っていますが、
  とりあえずは、恐縮ですが、拡大して見てください。]

ふと、ドイツの継手・仕口の本があったことを思い出して、パラパラとめくってみました。

「Handwerkliche Holzverbindungen der Zimmerer」
     295×235㎜ 全191ページ 
     1992年 Deutsche Verlags-Anstalt刊

    
日本や中国、ブータン、ベトナムなどの事例も参考として少し載っています。

現場で仕事をする人というのは、皆、同じようなことを考えるものだ、と思います。
見てて楽しくなります。

そして、やはり、ドイツには、ちゃんと系統だてて調べる人がいるんですね。
日本ではこういう本はないようです。

こういうのを見ると、日本人のなかには、日本の木造技術は、中国ではない、ドイツがルーツだ、なんていう方が出てきたりするかもしれませんよ・・・。

全部というわけにもゆかないので、これまで見てきた日本の継手・仕口と共通するものを集めて、勝手に分類してみました。

図版が長いので、そして、ドイツ語をは遠い昔にかじった程度ゆえ、読むには時間がかかりそうなので、今回は、図版だけでご勘弁を・・。

読解できたら、それぞれをどんな意味の名称なのか見てみたいとは思っています。分るかどうか頼りない・・。期待しないでください。

もっとも、読解できなくても、図だけで何か言えるとは思いますが・・。

なお、最初の写真で分るように、木材はほとんど広葉樹系のようです。
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日本の建物づくりを支えてきた技術-31・・・・継手・仕口(15):「シャチ栓」のいろいろ

2009-04-10 08:18:38 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

「継手・仕口」というのは、大体、出来上がってしまうと見えなくなります。
また、多くの人は、専門家を含めて、あるいは「建築家」を表に出す人は特に、そういう細工がしてあることに気がつかないし、注意も払いません。
おそらく、こうなったのは、設計と施工が別扱いになってからのことでしょう。
昔も「指図」するだけの人はいました。しかし、その人たちは、見えないところも知って指図をしています。だから指図できたのでしょう。

それはさておき、
先に、中世の様態をみてきました。室町の頃になると、精緻な仕事もが増えてきます。今回話題にする「シャチ」も、どうもその頃から多く使われるようになるようです。
上の図の①~③は、前回にも載せてあります。ただ、前回は寸法表示が見えなかったので、図版をつくり直しました。

①は、断面が4寸×3.5寸の2材を、長さで2尺分、半割りにして合わせ、中央部に上から「栓」を打って2材を密着させる、というもの。
それぞれの材の先端に小さな「枘」:「小根枘(こねほぞ)」をつくりだしてありますが、これは相手の材に嵌まり左右にはずれなくする工夫です。
この部材は、正面下からしか見ない箇所ですから、見る人には1本の線しか見えません。

②は、仕上がると「鎌継ぎ」に似た形になりますが、密着度は「鎌継ぎ」よりも、はるかに強くなります。「栓」を打つことで、2材が密着するからです。
しかも、仕事は「鎌継ぎ」よりも簡単です。上木になる材の細長い部分を「竿(さお)」と言いますが、仕事は「竿」をつくりだすだけで、「鎌」の形を刻む必要がありません。下木も同じで、「竿」の道を彫るだけで済みます。そのあとで、上木、下木に「栓」を通す「道」を刻めばよいのです。
仕事が簡単で、強い「継手」になる、こんな優れものはありません。

なお、図では、下の材に竿のついた材を上から落して継ぐように見えますが、実際はその必要はありません。左の材に、横から差し込むこともできます。その点も「鎌継ぎ」とは違います。

③は、通称「金輪継ぎ(かなわつぎ)」「尻挟継ぎ(しりばさみつぎ)」などと呼ばれる「継手」に同じと言ってよいと思います。
これはきわめて強い「継手」で、ほとんど1材と変わりないと言われます。
同様に強い継手に、ここにはありませんが、「追っ掛け大栓継ぎ」というのがあり、これは下木に上木を上から落す仕事になるのに対して、この場合は、材を水平に動かす作業で継ぐことができます。
それゆえ、土台が腐った、などというときの補修に使える継手です。腐った部分を取去り、先端にこういう刻みをして、同様の刻みをした取替え材を横から合わせ、「栓」を打てばよいわけです。
そういう場合、普通は、この継手を90度回転した恰好にします。横からだけの作業で済むからです。その場合を「布継ぎ」とも呼んでいます。

③では念には念で、2材を「かすがい」でとめています。何となく「小根枘」だけでは左右に離れてしまうのではないか、と考えたのでしょう。
この「心配」をみると、これは、ことによると、この継手が考え出された初めのころの事例なのかもしれません。

④は、③の変形と考えてよいと思います。ここでは、もう「かすがい」は使っていません。

⑤は、こんな幅の狭い材で、よくぞやってくれた、と驚く仕事。②とは「栓」の位置が違うだけで、原理・理屈は同じです。

⑥は、原理・理屈は③④に同じですが、これも驚いてしまう仕事。
角材の、しかもきわめて細い角材の断面の1/4だけを使い、「栓」を二方から打っています。
具体的にどういう場所なのか分らないのですが、そうしなければならない理由があったのだと思います。

⑦は手慣れた「金輪継ぎ」「尻挟継ぎ」と言ってよいと思います。

さて、⑧は、通し柱に横材:差物を二方から差すとき、一般の建物で常用される手法:「継手兼仕口」です。
なぜ「継手兼仕口」と言うかというと、柱を挟んだ2本の横材を継いでいると同時に、それぞれの横材に「胴付(どうづき、附の字を使うこともある)」が設けられているために、「栓」を打つと、柱を挟んでいる2本の横材は強く柱に取付くことになり、それゆえ堅固な「仕口」にもなるからです。
「栓」が打たれると、柱と横材で、頑強な十字型が形成されます。

この事例の建物の建設年の1656年というと、奈良今井町の町家が盛んに建てられていたころ。今井町の町家では、この手法が柱の四方に使われています(「四方差」)。

⑨は、以上と同じ原理・理屈が、柱の足元の取替えに使われている例。
これは、③の方法を、垂直方向に使ったと考えればよいでしょう(先回紹介の私の拙い仕事を垂直に使ったものと言えます)。
もっとも、この神社では理由が分りませんが、最初から使われていたそうです。
かつては、柱の根元が腐ったりしたとき、この「継手」を使い修復することができました。
しかし、現在は、金物補強している関係で、このような修復ができなくなっています。
現在の法令の推奨する仕様は、補修・修繕について、まったく考慮されていないのです。長寿命住宅などと言いながら、それでは片手落ち・・・。補修・修繕なしで、長持ちするとでも考えているわけで、それでいて「指図」したがるのは困ったもの。それは指図ではない。

ここで見てきた「栓」は、⑨以外は、普通「シャチ」「シャチ栓」などと呼んでいます(⑨は「込み栓」と呼ぶと思います)。
漢字では「車知」などと書きますが、当て字です。「差し」から転じて「シャチ」になったのではないか、とも言われています。

こういう仕事が簡単で優れた「継手・仕口」を最近使わなくなりました。
設計者は、そういう仕事のできる大工さんがいなくなったと言い、
大工さんは、そういう仕事が少なくなった、そういう設計が少なくなった、と言います。
どちらの言い分が本当なのかは、明々白々ですよね。

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日本の建物づくりを支えてきた技術-30・・・・継手・仕口(14):「栓」の効用

2009-04-05 18:28:16 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

春休み明けです。

もう数十年前のことになりますが、屋外に露出しているベランダの桁が腐ってしまい、自分で修復手術をやってみたことがあります。
本格的修復などできるわけもなく、どこかで見たようなことを、見よう見まねでやってみました。

上の図は、そのときやったことの図解です。番号は、仕事の順です。
図の白い部分が、元の部分。腐った先端を鋸で切り落とし、鋸と鑿(のみ)で、ざっとこんな形に加工しました。ほんとに「ざっと」の仕事です。
黄色の部分が継ぎ足した材料。これも「ざっと」の仕事。
ピタッと合うことなど最初から考えてもいませんから、何とかあわせ、できた継目の隙間に埋木をしました。これも、埋木などと言う名前がもったいないような、かなりいいかげんな埋木です。

埋木を金槌で打ってゆくと、支えていたとはいえ、空中での仕事で上面が少しばかり喰い違ってしまい、途中で平らに直そうとしたのが、驚いたことに、ちょっとやそっとでは動かない。
上面が狂わないような細工をすれば楽だったのでしょうね。もう遅い。
しょうがないのでこれ以上無理だというくらいに目いっぱい埋木を打ち込み、できあがった後で、上面をきたなく削りました。

白い部分は既にある部分ですから、そのまま。埋木を打つと、打込むにつれ、黄色の方の材料は左に寄ってゆきます。黄色の方の先端が相手に着いてもさらに打つと、両者はきつく押される、つまり密着の度合いが強くなります。そうなると、ほとんど一つの材と変らないほどになってしまいます。
それは、想像以上でした。予想外だった、と言った方がよいかもしれません。
これが「栓」の効果なのだ、とそのとき納得したことを覚えています。

おそらく、昔の人も、こんな具合に、「栓」の効用を発見したのでしょう。ところが、これまで見てきた古代からの継手・仕口の中に、それが見当たりません。埋木はありましたが、それは楔としての利用です。

このような栓を打つことで二材を密着させる、という効能を使う例が、いつごろ現れるのか、「文化財建造物伝統技法集成」で調べてみたところ、この書物は寺院建築の事例を集めていますが、室町時代末を過ぎないと現われないようです。

それは多分、まったくの推測ですが、ここで私がやったような継手:「鉤型付き相欠き」(通称「略鎌」)は古代・中世にあったけれども、どの場合も、柱内部で継いでいたからではないか、と思います。継手部が少しの誤差もなくぴったりと着いているとは考えられず、多少の隙があったはずです。しかし、見えないため気にならない。
ところが室町を過ぎるころから、「相欠き」を柱の位置から持ち出した箇所で使う例が出てきます。そういう例から、隙間を埋める必要も生じ、そこから埋木の新たな効能を知った、というように考えられるような気がします。

それはともかく、次回から、このように「二材を引き寄せる役割を持つ栓」を使う「継手・仕口」の例を見ることにします。なぜなら、後の「三方差」「四方差」といった「通し柱」に横材を取付ける「優れものの継手・仕口」が生まれるからです。

上の図版の下段は、「栓」の別の使い方の例。
これは二材を密着させる働きは少なく、柱に差した横材が、柱から抜けないようにするための「栓」の例で、部材の端:鼻(はな)に打つ栓、という意味で、「ほぞ差し・鼻栓(はなせん)打ち」と呼んでいます。
横材を柱から抜こうとするような力がかかると、「栓」と「柱」が喰い込みあって抵抗するのです。ただ、粘り気のない木材(ベイマツなど)には使えません。力がかかると「栓」の位置から先の部分が飛んでしまうからです。
なお、この方法は、農家住宅や町家では普通に見られますが、書院造などでは見えるところでは使っていません。

こういう「栓」は、鉄製の機械などで使われる「ピン」に似た使い方ですが、「ピン」と大きく違うのは、木の「栓」には弾力があることです。

上の写真は、「椎名家」に使われている「鼻栓」の例です。

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筑波山に雪!

2009-04-02 09:44:55 | 居住環境

昨夜の雨はひどい降りだった。
時折り、固い雨音が混じる。もしかしたら雹か?
外を見てもそれらしき様子は見えない。

今朝、何の気なしに見たら、
筑波山が薄っすらと雪をかぶっていた。
屋根裏部屋に上って見たのが
上の写真。
ちょっと電線が邪魔・・・。

春休みは、今週いっぱい頂く予定です。
これから工事にかかります。

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