Triority(トライオリティ)

四十にして惑う、それがトリニータ。

岩武克弥と大学サッカー

2019-02-02 10:46:38 | トリニータ
もう新シーズン開幕まであと3週間という時期に完全にタイミングを逸しているのは百も承知でこの記事を書いとく。これはこの4年間大分U−18OBとしてずっと大学サッカーを楽しませてくれた岩武くんに対する感謝の記事であって、それ以上でもそれ以下でもない。それまではたまに観に行くくらいでしかなかった大学サッカーがこんなにも面白いものだと気付かせてくれたのは間違いなく岩武くんだったし、その点にも感謝している。もう身も心も浦和の男になったであろうこの時期に書くのはタイミングが悪いとは思うけど、本当にただの感謝の記事。


【高校2年生】




初めて岩武くんの存在を認識したのは2014年、岩武くんが高校2年生の時の8月のプリンスリーグ・神村学園戦で。その体幹の強さに一瞬で引き込まれた。


【2種登録時代】




2年生にしてはいい選手だという見立ては間違っていなかったと思うんだけど、そんな自分でもまさか半年後にJ2で定位置を確保するとはほんの少しも考えていなかった。しかし2種登録時代の写真が本当に少ない。何でだ?


【高校3年生】


クラ選。J2で10試合の出場実績を引っさげて戻ってきたU−18ではそれはもう圧倒的な存在感だった。


ヒメと組むダブルボランチは本当に安心感があったし、見ていてワクワクしたもんだった。


競り合ってるのはFC東京U−18の蓮川雄大(現・早稲田大)。高校時代は抜きん出た存在だったけど、ケガで本当に苦労してるみたいだね。


この年のプレミアリーグ参入戦は個人的に今でもU−18の試合で最も印象的だった試合。


【大学1年生】

もう本当に当り前のようにトップ昇格するもんだと思っていた。当時岩武くんが昇格しないと分かった時の残念な気持ちは今でもハッキリと思い出せる。それくらいにショックだった。でもきっと自分で判断したんだろうし仕方がないと割り切ったし、自分の母校である明治大に進学と分かった時にはそれはそれで楽しみだと切り替えることが出来た。

高校時代にJ2に10試合出場というのは様々な形で華やかな実績を残してきた2種年代のスターたちの中でも群を抜いていた。岩武くんもそうだと言っていたけど、自分も1年から早々に出場機会はあるものだと思っていた。しかしそこに待っていたのは室屋成という高い壁と関東大学リーグという想像以上に高いレベルのリーグ戦だった。




残念ながら1年生の前期は出場機会がなく、スタンドで先輩たちに声を嗄していた。この2枚の写真に岩武くんがいるので探してみてください。




前期が終わり、夏の総理大臣杯関東予選のアミノバイタルカップでついにトップチームデビューの機会が訪れる。この日もまさか岩武くんが出場するとは思わずに何気なく大学サッカーを観に行っただけだったので、そんな偶然が本当に嬉しかった。


明治がリードしていて法政の猛攻を受け続けている終盤の耐える時間帯での投入だった。


ハイボールにユニフォームを引っ張り合って競っている相手は北九州に内定しているディサロ燦シルヴァーノ。


ここでもディサロとマッチアップ。この4年間、岩武くんとディサロはずっと関東大学リーグの顔だったと思う。




話は逸れるけど、ディサロには個人的に期待していてとてもいい選手だと思ってる。写真を撮っていてもフォトジェニックな選手だし、プロとしての資質があるなという印象だった。だからなかなか進路が発表されない時は疑問に思ったし、北九州と発表された時は失礼だけど、昨年ぶっちぎりでJで最も弱かったクラブじゃもったいないと正直に思った。でもコバちゃんならディサロをちゃんと育ててくれそうだし、その点は楽しみだ。このオフは例年になく多くの大卒選手が年明けに駆け込みで特にJ3やJFLクラブへの入団が決まった。間違いなくその中に埋もれてた逸材ががいるはずだし、来年のオフは在籍1年の大卒ルーキーの引き抜きが横行すると予想している。かつて群馬→大宮で行われていたシステムがそこかしこで発生すると見ている。その筆頭がディサロ。


話を岩武くんに戻します。1年生の時は坊主の時もありましたな。


【大学2年生】


2年生になると室屋が大学サッカーを1年早く切り上げてFC東京に入団したため、右SBとしてガッチリ定位置を掴んで飛躍の年とした。






2年生シーズンの集大成がデンソーカップの全日本選抜への選出。半年後にユニバーシアードを控えたタイミングでの全日本選抜への選出は岩武くんにとっての大きなターニングポイントになったと思う。この大会も刈谷まで観に行ったけど、ここから凄まじいスピードで階段を駆け上がっていった印象。


【大学3年生】








大学3年になるともう押しも押されぬ主力に成長。本当に輝いていた。




ただこのシーズンは明治大自体はあまりうまくいかず、総理大臣杯の出場権もギリギリで獲得するほどだった。この写真はその出場権獲得直後のシーン。


そして岩武くんの大学時代のハイライトであろうユニバーシアードがやってくる。日の丸を付けた岩武くんカッコいい。






小島亨介もいますな。


人生で初めて海外で日本代表の試合を観たのが、この台北でのユニバーシアードだったから本当に楽しかったし、その機会を作ってくれた岩武くんに感謝した。ただたった一つの心残りはせっかくの代表選出だったから気合いを入れてパーソナルナンバリングで岩武ユニを作って行ったのに未だにこのユニにサインをもらえていないこと。まあ、代表ユニだから浦和の選手になってからでももらいに行ってもいいだろうとは思ってる。




3年生の最後にはデンソーカップ日韓定期戦にも選出。もうこの頃には全日本選抜に入って当り前の存在に。ただ先のことを考えると、もう喜び半分というところがこの頃の正直な気持ちだった。


【大学4年生】










大学ラストシーズンは名門明治大学サッカー部のキャプテンに。そういうタイプだとは思っていなかったから少し驚きだったけど、ここまでの3年間で岩武くんがやってきたことを考えると、納得のキャプテン選出だったかもしれない。


















ここまでの2年間で当り前のように岩武くんが出場してたので、あまり何とも思わなくなってしまっていることに気付いて4年生になってからもう一度明治大の試合を集中して観るようになった。


そして4年生では夏の総理大臣杯に優勝。明治大は本当に夏に強いイメージだ。


大学4年の途中からシントトロイデンに加入した小池裕太とは大学サッカーを代表する左右のSBだったと思う。


岩武くんは大分に戻ってこず、大学No.1GKの小島亨介が大分に加入してくるんだから不思議なもんだよね。


試合前の集合写真では前列の一番右がいつも定位置だった岩武くん。本当にこの姿を何度見たか分からない。でももうこの紫紺のユニ姿を見られないと思うと寂しい。でも大分U−18のOBとして本当に注目される存在に成長し、日本を代表するビッグクラブに加入することが決定したわけだから寂しい気持ちを抑えて喜ばなければいけないと思っている。ただ岩武くんと同様に複数の守備的ポジションをこなし、台北ユニバに選出され、明治大→浦和の道を辿った柴戸海もルーキーイヤーは1ゴール決めたものの最終節までスタメンの機会はなく、その出場時間は200分にも満たなかった。それを考えると常に結果を求められ続ける浦和でチャンスを掴むことはそんなに簡単なことではないと思う。岩武くんにはフル代表を狙ってほしいと本気で思ってるし、決して夢物語でもないと思ってる。そのために遠回りをするくらいならいつでもキミの実家が門を開けて待っているよということを伝えたい。その時は堂々と代表ユニにサインをもらいに行けるしね。

岩武くん、4年間お疲れさまでした。そして本当にありがとう。

世界へはばたけ、岩武克弥!
コメント
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