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他人の云う事を鵜呑みにしない

 忘れもしない、中学一年の理科の実験の時のことである。何の実験だったが覚えてはいないが、初めてアルコールランプを使う時のことであった。理科の先生が「マッチの軸は、このように持って自分の身体の向こう側にむかって擦る」と説明した。私は「ん?」と思った。今ではマッチを擦ることなどないに等しくなったが、私が子供の頃には小学生も高学年なるとマッチを擦ってガスコンロや焚き火に火を付けるようなことが時々あった。そんな時のために父がマッチの擦り方を教えてくれていたのだ。

 父が教えてくれたマッチの擦り方は「自分の身体の方に向かって手首を小さく動かして擦る」であった。中学の理科の先生が教えてくれた擦り方は父が教えてくれたのとは逆であったのだ。

 私は父が教えてくれたやり方でマッチを擦ってアルコールランプに火を点けて実験を始めたのだが、授業が終わってから先生のところに行って、先生が教えてくれたマッチの擦り方は私の父が教えてくれたそれとは逆であることを申し出た。先生はむっとした顔で「俺の云う擦りかたが正しい。今後はそのようにすること」と、云った。私は、父が教えてくれ納得した通りに、「向こうにむけて擦ったマッチの軸が折れて飛んだとき、飛んだ先に可燃性の薬品などがあった場合には大きな事故になる。自分の方に飛んだときにはすぐに手で押さえて消すことができる」と説明した。

 まったく生意気な生徒だと思われたことだろうな。私は、人の話を鵜呑みにしない。その時点での自分の持てる知識と想像力を総動員して、果たしてそれが正しいことなのか、誤りである可能性が潜んではいないかを考える。その上で納得する、あるいは自分で更に調べてみる。だから、年長者から見ればやっぱり生意気であったり、謙虚でなかったり、可愛くなかったりする子供であっただろうし、それは今でも変わらない。

 最近になって「クリティカル・シンキング」(critical thinking, 批判的思考)と云う言葉が教育の現場で盛んに使われるようになってきた。インターネット普及以降の情報過多時代にあって、誤った情報を排除する必要が高まっていること、アクティブ・ラーニングが重要視されている中で間違った議論を排除するためにも必要な態度・能力と捉えられるようになって来ているのかも知れない。

 と云うわけで、郷秋<Gauche>が昔から生意気であるように見えたり、謙虚ではないように見えたり、人を容易に信じないように見えたりするのは、実は正しく物事を選別し、正しく理解しようとする性格・志向の結果であることをご理解いただきたいという今日の独り言なのでありました。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、稲刈りの終わった田んぼで秋の陽を楽しむ山羊。

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