アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

虚無への供物

2009-01-12 21:17:03 | 
『虚無への供物』 中井英夫   ☆☆☆★

 再読。本書は『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』と並んで日本推理小説史上の三大奇書と呼ばれるが、『ドグラ・マグラ』や『黒死館殺人事件』ほどの「イっちゃっている感」はないと思う。意外と普通である。最初に読んだ時は拍子抜けしたものだ。

 小説はゲイバーのシーンから始まる。登場人物もミステリ・マニアばかりだがさほどエキセントリックというわけではなく、文体も会話主体でまあ普通。その後起きる連続殺人も風呂場で死んだりアパートで死んだりと別にどうということはない。どれも密室殺人だが、本格推理の世界では大して珍しくない趣向だ。ユニークな名探偵が出てくるわけでもなく、大勢のミステリ・マニア達がああだこうだと推理を競う『毒入りチョコレート事件』方式。ぶっちゃけ推理そのものも大して面白くない。あっと驚くトリックがあるわけでもない。

 では何が「奇書」なのかというと、事件全体というか物語にちりばめられた異様に趣味的というかペダンティックな意匠の数々ということになるだろう。薔薇、五色不動、シャンソン、不思議の国のアリス、などさまざまな意匠が、なんだか良く分からない理屈とともに蜘蛛の巣のように緻密に、互いに関連付けながら張り巡らされているのである。たとえば五色の薔薇の話、五色不動の話、そして氷沼家の人々の名前に必ず含まれる色の名前が関連づけて語られる。そしてそういう暗合が推理の根拠になったりする。

 この暗合が推理の根拠になるというのがまた妙で、たとえばある人物がある推理小説とたまたま同じセリフを喋った、ということによって、推理小説中の他の部分が同じでもおかしくない、というようなわけ分からない推理が堂々と披露されたりする。本書がアンチ・ミステリといわれるのはこのあたりに起因する。密室のトリックは犯人がちゃんと部屋に出入りしなければ面白くない、という意見が尊重されてそれに沿って推理がなされたり、ノックスの十戒に反するのでその推理は駄目だ、なんて反論が出たりする。要するに事件そのものが「面白いミステリとして成立しなければならない」という前提で扱われるのである。ミステリ・マニアのおたくっぷりは全開だが、純粋な論理の面白さはまったくと言っていいほどない。個人的にはそこが痛い。暗合が推理の根拠になる時点でもう駄目だ。ロジックの快感にのめりこんでいくポオの推理小説からこれほどかけ離れたミステリもないだろう。後半、牟礼田という人物が登場して名探偵的に振舞うが、彼の思わせぶりかつ内容空疎な言動にはほとんど腹が立ってくる。ただし、何重にも緻密にちりばめられたこのぺダントリーは確かに凄いと思う。記号の迷宮に迷い込んでいくような奇妙な魅力がある。

 ところで巻末に中井英夫の日記が収録されているが、これがなかなか面白い。書こう書こうと自分を鞭打っているがなかなか書けないとか、自分に文体というものがあるのだろうかと悩んでいたりする。こんなゴチャゴチャとこみいった長たらしい小説を書いた作家も、やっぱりこんな風に苦心しながら書いてたんだなあ、と妙に感慨深い。


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