『ロサリオの鋏』 ホルヘ・フランコ ☆☆☆☆
コロンビアの作家で、ガルシア・マルケスの後継者的な評価をされている人らしい。まあ分からないではない。ラテンアメリカ文学らしい濃厚な小説だった。しかし私はマルケスというよりホアン・ルルフォに近いような気がした。
ロサリオという女殺し屋の話である。ロサリオが撃たれて病院に担ぎ込まれるところから始まり、治療室の外で待つ「俺」がロサリオについて回想をする。その回想がこの小説の大部分を占める。
基本的には殺伐とした世界を背景にしたラブストーリーと言っていいと思う。ロサリオは「俺」の親友であるエミリオの女なのだが、「俺」は彼女を愛し続ける。ロサリオはもちろん人殺しも麻薬もアリのとんでもない不良女で、ひたすら自分勝手に振舞うのだが、「俺」はそんな彼女を愛し続ける。物語は彼女との出会い、エミリオとの奇妙な三角関係、そしてロサリオとの思い出、などを追いかけながら時間の中を自在に行き来する。
ぶっきらぼうな文体、自在に時間軸の中を行き来する手法、殺伐とした暴力の世界、そしてそれらを背景に語られる報われない愛の情熱。こう特徴を並べるとやはりルルフォとよく似ている。まあルルフォほどの神話性には到達していないが、かなりいい線行ってるとは思う。不毛で刹那的な愛の世界がリリカルに描き出される。
しかし、毒草のような女殺し屋の物語と聞いて私が期待した内容とは微妙に違っていた。私はジャン・パトリック・マンシェットの『殺戮の天使』のような冷たくノワールな世界をイメージしたのだが、ロサリオはプロフェッショナルな殺し屋というよりは、怒りにまかせて人を殺す手のつけられない不良娘という感じだ。物語も情緒を排した本物のノワールではなく、ノワールな舞台設定で繰り広げられるとても情緒的なラブストーリーであった。ある意味、かなりせつなく、ウェットな小説である。ドライな「殺し屋」小説を期待するとちょっと違うので、これから読む人はそれだけ注意して下さい。
コロンビアの作家で、ガルシア・マルケスの後継者的な評価をされている人らしい。まあ分からないではない。ラテンアメリカ文学らしい濃厚な小説だった。しかし私はマルケスというよりホアン・ルルフォに近いような気がした。
ロサリオという女殺し屋の話である。ロサリオが撃たれて病院に担ぎ込まれるところから始まり、治療室の外で待つ「俺」がロサリオについて回想をする。その回想がこの小説の大部分を占める。
基本的には殺伐とした世界を背景にしたラブストーリーと言っていいと思う。ロサリオは「俺」の親友であるエミリオの女なのだが、「俺」は彼女を愛し続ける。ロサリオはもちろん人殺しも麻薬もアリのとんでもない不良女で、ひたすら自分勝手に振舞うのだが、「俺」はそんな彼女を愛し続ける。物語は彼女との出会い、エミリオとの奇妙な三角関係、そしてロサリオとの思い出、などを追いかけながら時間の中を自在に行き来する。
ぶっきらぼうな文体、自在に時間軸の中を行き来する手法、殺伐とした暴力の世界、そしてそれらを背景に語られる報われない愛の情熱。こう特徴を並べるとやはりルルフォとよく似ている。まあルルフォほどの神話性には到達していないが、かなりいい線行ってるとは思う。不毛で刹那的な愛の世界がリリカルに描き出される。
しかし、毒草のような女殺し屋の物語と聞いて私が期待した内容とは微妙に違っていた。私はジャン・パトリック・マンシェットの『殺戮の天使』のような冷たくノワールな世界をイメージしたのだが、ロサリオはプロフェッショナルな殺し屋というよりは、怒りにまかせて人を殺す手のつけられない不良娘という感じだ。物語も情緒を排した本物のノワールではなく、ノワールな舞台設定で繰り広げられるとても情緒的なラブストーリーであった。ある意味、かなりせつなく、ウェットな小説である。ドライな「殺し屋」小説を期待するとちょっと違うので、これから読む人はそれだけ注意して下さい。