アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

Loveless

2005-07-16 14:20:06 | 音楽
『Loveless』 My Bloody Valentine   ☆☆☆☆☆

 ロックの名盤と言えば必ず名前が上がる傑作であるが、好きな人はものすごく好き、ダメな人は全然ダメという、なかなかオーディエンスを選ぶ作品である(らしい)。私はメチャメチャ好きだ。これがどういう音楽かというと、基本的にはポップでキャッチーなメロディに轟音ギターを組み合わせたという、非常にシンプルな音楽である。音が妙な感じに揺れるとか、不協和音とか、アンビエント色とか、細かく言うと色々あるが基本はそれだけと言っていい。

 キャッチーなメロディは70年代のポップスみたいだ。アレンジを変えれば昔のヒット曲で通用しそう。轟音ギターのせいでハードな印象の曲もあるが、メロディはどれも甘美で聴きやすい。コクトー・ツインズを思わせる耽美的な曲もある一方、アメリカのティーンエイジャーがダンスパーティーでかけそうな屈託のない元気な曲もある。透明感のある女性ヴォーカルで、力まず気負わずの淡々とした歌い方。男性ヴォーカルもあるが中性的な声で、ほとんど同じイメージ。ヴォーカルは意図的に薄く抑えられていて、サウンドに溶け込むような印象だ。やはり透明感のある淡々としたバックコーラスも入っている。

 で、轟音ギター。轟音と言ってもメタルのように暴力的な感じではなく、放送が終わったあとのテレビの画面に映る砂嵐のような、霧のような、きめの細かいギターノイズが一面に立ち込め、オーディエンスをその世界の中に包み込む、という印象だ。フレーズを奏でるというより音響としてのギターノイズであって、ギターソロは皆無、リフもカッティングもほとんどないに等しい。どれぐらい音を重ねているのか知らないが、重ねすぎてぐしゃぐしゃのへろへろになっちまった、というぐらい濃厚に、どっぷりと包み込んでくれる。一口に轟音と言っても曲によって音の感触は違う。とにかく時間をかけて作り込んだ音である。つぼにはまるとこれほど甘美なギターノイズはない。
 本作を好きになるかどうかはひとえにこのギターノイズを受け入れられるかどうかにかかっている。メロディはポップで聴きやすいのだが、この音がダメだったらもうダメだろう。だから本作が嫌いな人は、ただキャンディポップにうるさいギターを足しただけじゃないかということになる。私も最初はそう思った。噂を聴いてどんなユニークな音楽なんだろうと思っていたので、拍子抜けした記憶がある。
 しかし、これがコロンブスの卵なのだ。思いつけば誰でも(キャッチーなメロディを書けさえすれば)できるような音楽に聴こえるが、他にこれに似た音楽はない。こういう轟音ギターはマイブラ風と呼ばれてフォロワーも生んだようだが、本作のシンプルさには誰も到達できない。とにかくシンプルなのだ。ごちゃごちゃしたところがまるでない。シンプリシティの美しさ。ミニマリズムのオブジェのようだ。このギターの音もオブジェ以外の何物でもない。

 そしてこのシンプルさが実はなかなか奥が深い。最初は、ポップなメロディに変わったアレンジをしてみました、という音楽なんだなと思っていた。ところがそのうち、これはギターノイズがメインで、ポップなメロディはそれを聴かせるための方便なのではないかと思えてきた。というのは、ギターの音がどう考えてもメロディのサポートに回っていないのである。メロディの展開なぞどうでもいいと言わんばかりに、最初から最後まで好き勝手な音で鳴っているだけだ。不協和音も入りまくりである。それにヴォーカルがあまりに控えめだ。歌詞をちゃんと聞き取るのはかなり難しい。
 それから曲調に変化というものがない。とにかくギターノイズが始まったら最後まで同じ音で鳴りつづける。間奏やコーダがいやに長かったりするが、やっぱりずーっと同じなのである。これはどう考えても意図的なミニマリズムの美学だ。ところが、ノイズだけでやったら前衛アンビエント・ミュージックになってしまうところを、キャッチーなメロディがついているためにポップスとして成立してしまう。ティーンエイジャーが踊りながら聴ける音楽になってしまう。そう考えるとかなり狡猾な戦略とも考えられる。
 と思って何度も聴いているうちに、今度はこのメロディの中毒になってしまった。この一見キャンディポップなメロディは轟音ギターの方便どころではないということがだんだん分かってくる。私は特に『Sometimes』と『What You Want』が好きなのだが、聴けば聴くほど良くなってくる。この二曲に関してはもはやイントロが始まると鳥肌が立ち、目が潤んでくるという状態だ。
 というわけで、ものすごくシンプルでありながら、私の本作についての印象は二転三転してきた。なかなか奥が深いのである。

 本作のクリエイターであるケヴィン・シールズが何をどう考えてこういう音楽を生み出したのかは知らない。まあ、好きにやったらこうなっただけだろう。しかしその結果、ときめくような美しいメロディのポップ・ロックであり、同時に甘美なアンビエントでもある音楽が誕生した。私はかなりのへヴィーローテーションで聴いているが、このシンプルさは全然飽きがこないし、古びる感じがしない。なんとなく、50年後にアメリカの高校生がやっぱりパーティーでかけるのではないか、と思わせるようなもちの良さを感じるのである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿