アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

天空の城ラピュタ

2005-11-05 14:19:51 | アニメ
『天空の城ラピュタ』 宮崎駿監督   ☆☆☆☆☆

 もはや黒澤明と並ぶ世界的な日本人映像作家、宮崎駿の傑作である。アメリカのDVDストアではこれまで『Princess Mononoke(もののけ姫)』『Spirited Away(千と千尋の神隠し)』程度しか見かけなかったが、最近『Nausicaä of the Valley of the Wind(風の谷のナウシカ)』やこの『Castle in the Sky(天空の城ラピュタ)』、それから『Porco Rosso(紅の豚)』なんてのも見かけるようになってきた。というわけで、安く米国版が手に入るようになったので、ヴァージンメガストアで『Castle in the Sky』を買ってきたわけだ。

 昔レンタルビデオで観たことはあったが、その時は確か『もののけ』『ナウシカ』の後ぐらいで、同じような種類の映画を期待していたのでちょっとがっかりしたのを覚えている。私はずっと宮崎駿をほのぼのした子供向けアニメを作る人ぐらいにしか思ってなくて、ためしに『もののけ』を観てその素晴らしさにびっくりし、あわてて名作といわれる『ナウシカ』を観たのだった。だから当時私は宮崎駿に『もののけ』のような壮絶さというか暴力的なイマジネーションの世界を期待していたので、『ラピュタ』はかなりほのぼのした映画に思えてがっかりしたのである。

 その後、『未来少年コナン』なんかも観て、昔の宮崎駿の特徴である「明朗闊達で微笑ましい中にワクワクさせてくれる」という良さが私も分かるようになった。そして久しぶりに再見した『ラピュタ』は、やはり素晴らしい映画だった。

 この映画は前作『ナウシカ』より明朗闊達度が高い。同じくらいシリアスなメッセージが含まれているのだが、それをより冒険活劇マンガ風のストーリーにアレンジしてある。とても健全で、殺伐としたところはまったくない。前半は海賊に追っかけられたりするのだが、その海賊連中も愛すべきキャラクターなので、なんかほのぼのした追っかけっこという感じになる。まあそういう雰囲気が緊張感を欠く気がして昔は失望したのだったが、この健全さ、まっすぐさは殺伐としたアニメが多い今の時代に観るとそれだけで感動的なものがある。宮崎駿の人間愛というか、人間を肯定的に捉えようとする信念みたいなものが画面全体から伝わってくるのだ。

 『ラピュタ』は互いに惹かれあう少年少女、シータとパズーの物語で、古代の超文明、野望のためにそれを手に入れようとする権力者ムスカなど、キャラクター設定や物語の骨格が『未来少年コナン』と良く似ている。明朗闊達でノスタルジックSF的な全体の雰囲気もそっくりで、おそらくは『コナン』のアップグレード版として構想されたのだろうと思われる。『ナウシカ』よりシリアスさが抑えられているのもそのためだろう。

 宮崎駿監督の映画でなんと言っても素晴らしいのは、画面いっぱいに繰り広げられるイマジネーションの豊穣さであるが、『ラピュタ』ではその素晴らしさを心ゆくまで堪能できる。この手書き映像の美しさったらないのである。中世ヨーロッパを思わせるパズーが住む町もそうだし、何と言ってもラピュタが素晴らしい。空中を漂う島、その上に生い茂る森と城。映画の後半に姿を現すラピュタも美しいが、タイトルバックで流れる、少々荒いタッチで描かれた空飛ぶ町の光景がまたとてつもなく美しい。小さい子供の頃に見た夢のような甘美さ。子供が観たら生涯消えないイメージを心に刻み込むに違いない。

 それからこの映画を観たら絶対に忘れられないのが、あの左右非対称の顔のロボット。ラピュタの衛兵でラピュタにはゾロゾロいるのだが、物語の中で重要な役割を担うのは二体である。一体はある日空から落ちてきて保存されていたのが、シータの呪文によって動き出す。このロボットは愛嬌のある顔のくせにものすごい破壊力で、銃弾を跳ね返し、たった一体で要塞をたちまち火の海にしてしまう。基本的に彼はシータを守ろうとするのだが、その容赦ない破壊行為はシータにショックを与えてしまうのだ。最後、彼はパズーにシータを渡し、壊れてしまう。
 もう一体はラピュタにいるこけむしたロボットで、小鳥の卵を守り、神殿に花を捧げている。ただの機械のはずだが万物に対する慈しみに満ち、まるで精霊か妖精のようである。最後にラピュタが崩壊してしまっても神殿部分だけは大木に守られて空高く舞い上がっていくが、あのロボットが壊れないで良かったと誰もが思うに違いない。
 この二つのロボットはまったく同型なので、まるで破壊と平和、憎しみと愛を同時に体現する一つの神秘的存在のようだ。そのフォルムもまた宮崎駿らしくシンプルかつ個性的で、よくあるロボットアニメのロボットとはまったく違う。
 
 それから、久石譲の音楽がまたまた素晴らしい。宮崎駿アニメでの彼の音楽はどれも素晴らしいが、『ラピュタ』の音楽は中でも最高峰の一つだと思う。宮崎駿の絵柄にあの音楽が流れてきただけで、もう心が震えてしまう。

 宮崎駿作品にももちろん欠点はあって、それは良く言われる少女趣味であるとかステレオタイプなキャラクターであるとか紋切り型な愛と正義の描き方だったりする。しかし私などは、宮崎駿監督の少女趣味やメッセージを批判し、それゆえに彼の作品も批判する人には、観念性だけでなく彼の作品が持つイマジネーションの豊穣さや卓越した「絵」のセンスにも目を向けて欲しいと思うのだ。

 以前ある人が私に宮崎駿作品の批判を語ったことがある。彼は宮崎駿作品の持つ「自然と人間の共生」というテーマがいかに表面的で矛盾したものであるか、それからその少女趣味がいかにうさんくさいものであるかを滔々と述べ立てたが、作品の持つイマジネーションや映像や冒険活劇としての側面にはまったく触れなかった。あたかも彼の脳内では宮崎駿作品から映像、音響、ストーリー、アクション、声優の演技、笑いや涙がすべて剥ぎ取られ、取り消され、いくつかのテーマに関する無味乾燥な論文に還元されてしまっているかの如きであった。彼が話しているのは私が観た映画についてではなく、彼が宮崎駿作品をもとに自分で作り出した観念的な作品についてなのだと思わずにはいられなかった。

 そういう愉しみ方も映画にはもちろん許されるわけだが、それが気に入らなかった場合に映画を全否定するのはちょっと待ってもらえないだろうか。この映画はメッセージであると同時に映像であり、詩的幻想であり、ワクワクする冒険活劇であるのだ。そういった側面も含めた映画全体を観て判断して欲しい、と私は思うのである。

 この『ラピュタ』でもシータが海賊船に乗った時の海賊連中の反応など少女趣味的な匂いを感じる部分もあるが、しかし他の美点の数々がそうした欠点を覆い隠し、はるかに凌駕してしまっているためにこの作品は傑作なのである。しかも、滅多にはお目にかかれないレベルの傑作だ。

 この映画をまだ観たことがないという日本人がどれぐらいいるか分からないが、アニメだと思ってなめている昔の私のような人がいたら、それはたいへん不幸なことである。
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿