アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

二枚のドガの絵

2008-03-29 10:44:01 | 刑事コロンボ
『二枚のドガの絵』 ☆☆☆

 コロンボ・シリーズの中でも人気の高いエピソード。その理由は何と言ってもあの鮮やかな結末にある。私も子供の頃最初に観た時は、派手な決め手に「おおっ!」と興奮したものだ。しかし何度も見返しているとちょっと雑というか、奥行きが感じられないエピソードのように思えてくる。だから個人的にはさほど高評価ではない。

 まあざっと説明すると、美術評論家のデイル・キングストンは恋人の美術学生を共犯にして大富豪の伯父を殺す。伯父の「マシューズ・コレクション」の中から二枚のドガのパステル画を盗み、一見泥棒に殺されたように見せかける。そして共犯の女学生は殺してしまう。コロンボはデイルが犯人と目星をつけて捜査するが、やがて遺言でデイルは「マシューズ・コレクション」を相続しないことが判明する。相続者は別れた妻だった。動機がなくなって困惑するコロンボだが、デイルは犯行に使った銃、包装紙を使ってマシューズ夫人の犯行であったかのように見せかける。彼の計画は二段構えになっていて、泥棒に見せかけたのはフェイントで、女の共犯者を使ったのも最終的にマシューズ夫人に罪を着せるためだった。マシューズ夫人が犯人ということになれば、「マシューズ・コレクション」はデイルが相続できる。とどめにデイルは二枚のドガの絵をマシューズ夫人の家に隠し、警察に発見させる。これですべては計画通りのはずが、コロンボはみんなの前ですべてデイルの工作だと説明する。逆ギレして証拠はあるかと詰め寄るデイルに、コロンボはドガの絵に自分の指紋がついていることを指摘する。その指紋はデイルの自宅でコロンボがつけたものだった。

 さて、自分の指紋を証拠にするというトリッキーさと、狼狽して「たった今触って付けたんだ!」とわめくデイルにポケットから手袋をはめた両手を出して見せるラストシーンは確かに鮮やかだ。しかしあれでデイルの犯行が証明されるのか? 証明できるのはコロンボがかつてこの絵に触ったことがあるということだけで、どこで触ったかは分からない。確かにコロンボはデイルの家で、デイルが持ち帰った絵に触っているが、ドガの絵の指紋がその時についたものかどうかは分からないはずだ。そこが気になる。

 それにデイルの計画はどうも杜撰で、とてもうまくいくとは思えない。マシューズ夫人に罪を着せるといっても、証拠物件を次々と家の中に隠していくだけである。そもそもマシューズ夫人にアリバイがあったらどうするつもりだったのか? 警察の家宅捜査を許可してドガの絵をクローゼットに入れっぱなしにしておく馬鹿がいるだろうか? デイルがあそこまで「マシューズ夫人のためだ」なんていって家宅捜査にこだわるのは不自然ではないだろうか? しかもいざ絵が発見されたら掌を返したように「あんたが犯人だったのか!」なんて言うし。この濡れ衣作戦、どうも全体にやりすぎ感が強い。

 このデイル・キングストンは実に嫌な奴で、共感を呼ばないどころか哀愁も葛藤もへったくれも感じさせない犯人である。コロンボ・シリーズでは珍しい。自分の恋人だった共犯者を殺す時もまるでゴミを捨てるようなお手軽さだ。このあまりに薄っぺらい犯人像も深みを感じさせない一因である。それにラストの仕掛けに注力したせいか、それまでのコロンボとデイルのやり取りがあまり面白くない。最初に、突然犯人の目が肥えてもっとも価値の高いドガの絵を持って行ったのは変だという指摘が面白い程度だ。

 まあしかし、あのトリッキーなラストが魅力的であることは否定しない。そういう意味では派手なエピソードである。


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