アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ツレがうつになりまして。

2012-06-04 22:31:09 | 映画
『ツレがうつになりまして。』 佐々部清監督   ☆☆☆

 日系のレンタルDVDで観賞。☆三つと少な目にしてしまったが決して悪い映画ではない。大きくカテゴライズすればいわゆる「闘病もの」で、鬱病になって苦しむ夫とそれを支える妻、という夫婦愛を謳う作品だ。ただしあまりに深刻に重く描くのではなく、比較的緩く、時々ユーモラスな描写もまじえつつ進み、締めるところでは締める、という作りになっている。ハートウォーミングかつヒューマニスティック。過剰なドラマ性は排した、緩くて癒し系の空気感が特色である。堺雅人と宮崎あおいというキャスティングもこの空気感によくマッチしている。この手の映画では『明日への記憶』や『私の頭の中の消しゴム』などを思い出すが、これらと比べても、観ていてキツくない。修羅場というほどの場面はほとんどなく、そういう意味では観やすい。これは多分、原作のマンガの持ち味に近づけようとしたのだろう。

 実際はこんなもんじゃないとか、いや実はかなり正確だとか色んな意見があるようだが、私には判断できないのでそれは評価の対象外とする。純然たる映画として観れば、必ずしもきつい修羅場をゴリゴリ描くだけが能じゃないと思うので、その点はオーケーだ。ただしこの映画がもたらす感動はいわゆる「闘病もの」+「夫婦愛」のパターンからはみ出すものではないように思え、そういう意味では、ジャンル内映画と言って差し支えないだろう。これは別に失敗ではなく、おそらく、この映画の製作者はもともと良質なジャンル内映画を目指したのだと思う。そういう姿勢を否定するものではない。が。

 おそらく、これはやはり原作のマンガを読むべきなのだろう。映画の中にもたくさんインサートされているユーモラスで、しかもその中に愛情と痛みが見え隠れする可愛らしいイラストはとても味があり、これで描かれたマンガは決して「ジャンル内」ではない表現に至っているのではないかと思わせる。原作を読んでないのにこんなことを書くのは映画監督に対して失礼かも知れないが。

 ちなみに、この映画では宮崎あおいの妻が「がんばらない」をモットーに夫を支えるが、「がんばる」とはどういうことかを考えさせられた。人はがんばるべきなのか、それともがんばらないべきなのか。『生きる』の主人公はがんばることで生きる意味を見出す。大抵のスポ根ものでは精一杯がんばることが自己実現に結びつく。しかしこの映画では、「ツレ」は「がんばらなくちゃ」に追い詰められて鬱になってしまう。自分を見失ってしまう。まじめで責任感の強い人ほど鬱になりやすいというが、それはそういう人が「他人のために」あるいは「会社のために」がんばってしまうからなんじゃないか。つまり『生きる』の主人公とは「がんばる」の意味が違うのだ。自己犠牲のがんばりと、自己実現のためのがんばりの違いである。

 どうせがんばるなら、会社のためなんかじゃなく自己実現のためにがんばりたいなあ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿