アブソリュート・エゴ・レビュー

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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル

2006-11-21 11:26:34 | 映画
『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』 アラン・パーカー監督   ☆☆☆☆

 レンタルビデオで鑑賞。この映画は中嶋博行の『罪と罰、だが償いはどこに?』という本の中で、著者が大推薦している。ちなみにこれは犯罪と刑罰の現状、そして提案について語った本だが、かなり面白い。この映画は死刑廃止論に絡めて紹介してある。

 というわけで、死刑廃止論が重要なテーマとなっている。主人公、デビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)は死刑廃止運動をしていた哲学の教授。レイプと殺人で起訴され、死刑判決を受けている。死刑執行の三日前にジャーナリストを呼び、単独取材を行う。やってきたビッツィー(ケイト・ウィンスレット)は彼の話を聴くうち、その無罪を確信するようになる。と同時に、ビッツィーの回りにも怪しげなカウボーイハットの男が出没するようになる。デビッド・ゲイルは果たして無実なのか?本当に死刑は執行されてしまうのか?そして、事件の真相やいかに?

 この先はネタバレになるので書かない。衝撃的な結末、と聞いていたので、ひょっとして○○○なんて話じゃないだろうな、と思っていたら、大体当たっていた。どんでん返しを売り物にしているようだが、意外と予想しやすい結末に思える。しかしストーリーは起伏に富んでいてスリリングなので、見ていて飽きない。面白かったことは間違いない。ケビン・スペーシーの放つ怪しいオーラはやっぱり惚れ惚れするし、ケイト・ウィンスレットが痩せてて綺麗だったのには驚いた。『タイタニック』の後激太りしたような噂を聞いたが、ありゃデマだったのか? 演技もうまい。ケビン・スペーシーの演技を上手くサポートして、より引き立てている。漫才におけるボケとツッコミの関係だな。

 肝心の物語だが、死刑廃止論が確かに大きなテーマになっており、表向きは死刑廃止論を訴えた社会派映画のようにも見えるが、そう思って最後まで観るとかなり違和感を覚える。それは誰もが感じるに違いない通り、プロットがあまりにもトリッキーなせいだ。むしろ死刑廃止論を隠れ蓑にした、ゲーム感覚のサスペンス映画と考えた方がしっくりくる。社会派映画らしい外見は偽装であって、実は観客を振り回し唖然とさせることがすべてに優先されているのだ。ある意味、死刑廃止に関するマジメな議論を冒瀆する内容とすら言える。かなりの問題作だ。これを観て怒る人もいるのではないか、特にマジメな死刑廃止論者は。少なくとも、かなりの人間が複雑な気分になるだろう。

 そういう観点で見ると、やはり事件の真相は相当無理がある。途中まで描かれてきたデビッド・ゲイル、そして同僚のコンスタンスの人柄と関係からして、ああいう展開はどう考えても不自然だろう。プロット優先のゲーム映画と感じてしまうのは、そのあたりが原因だ。

 だからこれを社会派映画とか、死刑廃止を真剣に論じた映画と思ってはいけない。新本格派のミステリのような、半分現実離れしたトリッキーなプロットで勝負する娯楽映画なのである。たとえ監督が何と言おうとも。最後のシーンで大写しになるケビン・スペーシーのあの怪しさ爆発の顔、強烈なインパクトと戦慄を残して映画を締めくくるあのオーラ、あれこそがこの映画の核心だろう。という観点からすると、やはり面白い映画だった。このうさんくさい冒瀆性、人工性も含めて、へたな社会派映画よりユニークだ。だから私の評価は☆四つ。
   


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