アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

夜の幸

2008-03-07 21:25:46 | 音楽
『夜の幸』 原マスミ   ☆☆☆☆☆

 原マスミといっても知ってる人はあまりいないだろう。よしもとばななの本の装丁でイラストを描いている人といった方が分かりやすいかも知れない。この人はイラストも描くが音楽も創るのである。自身のアルバムとしては『イマジネーション通信』『夢の四倍』『夜の幸』と三つしかなく、一番新しい『夜の幸』も89年リリースなので、もう随分長いことアルバムを出していないことになる。どうしてだろう。もしアルバムが売れないせいだとしたら、悲劇以外の何物でもない。こんなに才能があるミュージシャンが埋もれてしまうなんて。

 彼の創る音楽は夢がそのまま現実世界に流れ出してきたような、なんとも形容しがたいものだ。稲垣タルホやつげ義春の世界に通じるものがある。きわめて日本的でありながらファンクやレゲエまで消化しており、ものすごく冒険的で前衛的なサウンドでありながら童話や唱歌のようなオーソドックスなメロディを持つ楽曲。大人のような子供のような男のような女のような歌声。空前絶後である。原マスミの音楽を聴くと絶対的な孤独に引き込まれていく感じがする。自分の内面にどこまでも落下していくような感覚。だからこの音楽は夜に向いている。世界が寝静まったあとに耳を傾ける音楽である。

 『イマジネーション通信』『夢の四倍』『夜の幸』はそれぞれ雰囲気が違い、どれも恐るべき傑作だが、この『夜の幸』はその中でもっとも耽美的かつ静謐なアルバムである。一曲目の『夜の幸』からそれは明らかだ。そして野蛮な『トラキアの女』や御伽噺のように愛らしい『ムー』を経て、絶美の『花のひかり』で頂点に達する。曲目は以下の通り。

1. 夜の幸
2. をどる骸骨
3. トラキアの女
4. 眠っていたからわからない
5. ムー
6. 花のひかり
7. 夢ならば簡単
8. トロイの月
9. 飛龍頭
10. 約束の満月
 
 それぞれ曲調が大きく違い、バラエティに富んでいるにもかかわらず全体としては厳しいほどの統一感がある。それからアレンジも前二作よりもっと大胆になっていて、アコースティックな音が増えているのが特徴。シーケンサーとサンプリングのコーラスによる甘美なバラード『夜の幸』、ノイズ入れまくりの凶暴な『トラキアの女』、シンセサイザーの嵐がリスナーを神秘の海に連れ去るユーモラスな『ムー』、ピアノとヴァイオリンと女性ソプラノが大理石のように硬質な静謐を作り出す『花のひかり』、マンドリンと太鼓に乗せて歌われる哀しいラヴソング『夢ならば簡単』、ギターの弾き語り『トロイの月』。
 
 原マスミの素晴らしさは、これほど独創的で前衛的な音づくりをしていながら、楽曲の骨格をなすメロディは実にまっとうで端整ということだ。わざと奇をてらったようなところが全然ない。まるで童謡や唱歌を思わせるシンプルで力強いメロディで、それは『夜の幸』や『トロイの月』のような曲を聴けばよく分かる。メジャーとマイナーの響きがはっきりしていてすごくキャッチー。私は昔原マスミのライブを二度見たことがあるが、オリジナル曲にまじえて『蛍の光』や『冬の星座』をやっていたのでがとても印象的だった(『蛍の光』は歌詞を全面的に変えてあった。アア今夜、この星に、キミといる、よろーこーびー♪)。もちろん、それらは原マスミのオリジナル曲に完全に溶け込んでいたし、あれほど美しい『蛍の光』やあれほどかっこいい『冬の星座』(超ノリノリのファンク・アレンジ!)を聴いたのはあの時以外にない。

 商業主義とはまったく無縁、J-POPとは完全に異質な幻想的な音楽。聴き手を選ぶことは間違いないが、稲垣タルホやつげ義春と聞いてピピッとくるあなたなら気に入ることと思う。ところで原マスミは先に書いたようにイラストも描いているが、新潮文庫の『雪のひとひら』(ポール・ギャリコ)の挿絵は表紙も含めすべて原マスミの手によるもの。これもぜひ手にとってみていただきたい。とても美しい書物です。


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