アブソリュート・エゴ・レビュー

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飢餓海峡

2008-10-13 17:21:52 | 映画
『飢餓海峡』 内田吐夢監督   ☆☆☆★

 DVDで再見。邦画の歴史に残る不朽の名作、らしいのだが個人的には「わりといいんじゃない」レベルの佳作である。最初観た時良さが分からず、おかしいなと思って間をおいて再見したがやはりそこまでの傑作とは思えなかった。しかし世評はものすごく高い。『砂の器』もそうだったが、この手の映画はどうも苦手だ。

 3時間に及ぶ大作である。大体三部構成になっていて、まずは北海道で起きる殺人、逃げる三國連太郎、それを追う伴淳三郎。犬飼と八重の一夜の邂逅。第二部は東京に出てきた八重。まじめに働きたいと思いつつも娼婦としてしかやっていけない。犬養の思い出だけを胸に必死に生きていく。そして第三部、三國連太郎再登場、そしてここへきてようやく高倉健初登場。映画もそろそろ終わりかと思った頃の登場である。10年後、八重は新聞で見て樽見=犬飼を訪ねていく。あなたは犬飼さんに違いないわ、きっとそうだわ。ああやっぱりそうだった、犬飼さん、犬飼さん! 樽見です、樽見です! ボキッ……八重をサバ折りで殺してしまう犬飼。目撃者の書生も殺し、二人を海に捨てて偽装心中。高倉健と伴淳が協力して樽見を追い詰めてゆく。

 ミステリの体裁になっているがミステリとしては弱い。結局真相は解明されないし、警察はいいところまで追い詰めはするものの犯罪の立証はできない。警察が入手する最有力な手掛かりは結局あの爪であって、捜査過程にもさほどのスリルはない。

 全体の構成にも難があるように思える。第一部の主役は完全に三國連太郎だが、第二部は左幸子メインの物語となり三國連太郎は一切登場しない。平行して高倉健や伴淳の刑事陣もクローズアップされるので、全体としてはまるで群像劇のような印象さえ受ける。これは犬飼=樽見の悲劇なのか、あるいは八重の悲劇なのか。多分両方なのだろうが、重心が二つに分散してしまって焦点がぼけたような気がする。それに八重メインの第二部で八重がチンピラに言い寄られたりチンピラ同士の揉め事が起きたりする場面は、結局他につながることもなく、何の展開もなく、無駄としか思えない。原作は読んだことがないが、原作をダイジェストしたためだろうか。少なくとも映画だけ見るとそういう印象を持ってしまう。それに終盤の盛り上がりの上で最も重要と思われる、極貧からのし上がってきた犬飼=樽見の「飢餓」が、三國連太郎や刑事たちのセリフによってしか説明されない点も弱い。

 ただし無論駄作ではなく、数々の美点がある。まずモノクロの格調高い、荘重な映像は素晴らしい。そしてこの映像に合わせて荘重な音楽が流れるが、私の趣味からするとあれはちょっと重過ぎる。洞窟の奥から聞こえてくるような不気味な男性コーラスなのである。あと、たまにネガとポジを反転させた映像になったりするが、そういう「重さ」を狙ったこけおどし的演出はむしろ邪魔だと思う。今観ると古臭いし、映画を安っぽくするだけだ。

 役者陣の演技は三國連太郎をはじめ素晴らしい。八重の父親や娼婦宿の主人など、脇役も印象的な渋い演技を披露してくれる。左幸子の八重は怪演というべきで、爪を頬に当ててごろごろ転がったりあえいだりとアブナイ演技を見せてくれる。犬飼が宿に泊まった時など、彼がやめてくれーと本気で叫んでいるにもかかわらず、ケタケタ笑いながら恐山のイタコの真似をやめようとしない。東京の娼婦宿で雇ってもらえた時には玄関先でいきなり泣き崩れる。デンジャラスな女である。しかしこんなデンジャラスな女じゃなければ男の爪を十年間しまっておいたりしないだろうから、ちゃんと作劇上の辻褄は合っている。

 結局樽見=犬飼が真相を語っていたか否かはうやむやのまま終わってしまい、それがこの大長編映画に複雑な余韻を残している。樽見を飲み込んだ飢餓海峡が延々と映し出されるラストシーンはなかなかいい。あと、高倉健も三國連太郎も若い。若い頃の三國連太郎はやっぱりカッコよかった。


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