アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

幻の女

2009-02-12 21:52:13 | 
『幻の女』 ウイリアム・アイリッシュ   ☆☆☆★

 大昔、多分高校生ぐらいの時に読んだことがある『幻の女』を再読。ミステリの世界では誉れ高い名作で、『Yの悲劇』と並んで色んなランキングで一位になっているらしい。昔読んだ時はそれほどの傑作とは思えなかったが、今読むと違うかも知れないと思ってまたわざわざ買ってきた。が、やっぱり私としてはどうもそれほどの名作とは思えない。

 設定はいい。ある男が行きずりの女に声をかけ、食事をし、オペラを観、酒を飲んであっさり別れる。名前も素性も分からない。家に帰ると妻が殺されている。凶器は彼自身のネクタイ。男は逮捕され、死刑を宣告される。濡れ衣を晴らすにはあの女を見つけなければならない。刑事と、恋人と、男の親友が必死になって女を捜すが、女は大都会の中へ蜃気楼のように消えてしまい、どうしても見つからない。そして死刑執行の日が一日一日と近づいてくる…。

 非常に魅力的なプロットだ。いわゆるタイムリミットもので、デッドラインまでに女が見つからなければ無実の男が死ぬ、という単純だが効果的な設定でサスペンスを醸し出す。加えて一度だけ会った幻の女を探すというアイデアが詩的だし、達成すべきタスクがシンプルで分かりやすい。これはゲーム小説にとって重要なポイントで、たとえばこれが「死刑執行日までに無実を証明する」なんて抽象的になってはいけないのである。黒澤明の『椿三十郎』などでもこのタスクの明確化はきっちり行われている。それから女を見ているはずの人間達が全員口を揃えて「女なんかいなかった」と証言するのも不思議で、ミステリの序盤としては申し分ない。(この下犯人の正体は明かしていないけれども、多少のネタバレあり)

 という具合に設定は見事で、あらすじを聞くと魅力的なのだが、その後の展開は精彩を欠く。一言で言うと、かなり無理があるのである。まず、証人たちが女を見ていないと証言するのが誰かに脅されたため、ということがわりと早めに分かるが、どうも安直な理由で、しかもあとで職業犯罪者でもない真犯人一人が大勢の証人たちを脅して回って、全員がそれに従って偽証した、ということになっている。あまりに不自然だ。それから女のことを知っていそうな人間が出てきたと思ったら死んでしまう、ということが繰り返されるが、これがサスペンスものの展開としては安直であるということはさておいても、犯人の画策だけでなく偶然の死がまじっていて、やはり都合が良すぎる。それから何と言っても、真犯人の行動があまりに不自然である。要するに冒頭の魅力的な謎、そして真犯人の意外性を演出するために、かなり無理矢理で不自然なストーリーになってしまっているのである。

 それからもう一つの大きな不満は、肝心の「幻の女」の消息である。彼女はこの物語を支えるキーパーソンであり、読者の関心の焦点であり、かつこの小説のポエジーの源泉であるはずなのに、その決着のつけ方があまりに物足りない。「あの女は一体どうなってしまったのだろう」と思って読み続けてきた読者としては、はぐらかされたような気分になってしまう。昔子供の頃読んだ時も、この点でかなりがっかりしたことを覚えている。カタルシスが得られないのである。

 そういうわけで私の感想は、設定は魅力的だが話の展開にかなり無理があるサスペンスもの、というところだ。本書は古今東西のミステリのベスト・ワンに選ばれるほどの作品ということが私には解せない。本書を紹介する時には大抵江戸川乱歩がこの本をどれほど探し求めたか、入手にどれほど苦労したか、そして読後どれほど感激したかということが語られるわけだが、あまりに入手に苦労したために感動が必要以上に増幅されたんじゃないの? と私などは思ってしまう。少なくとも現時点で「世界十傑のひとつ」の名には値しないんじゃないか。


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