アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

カメラ・トーク

2008-04-29 21:26:34 | 音楽
『カメラ・トーク』 フリッパーズ・ギター   ☆☆☆☆

 ピチカート・ファイヴと並ぶ渋谷系のカリスマ、フリッパーズ・ギターのセカンド・アルバム。ベスト盤やライブを除けばオリジナル・アルバムは三枚しか残していないので、ちょうど真ん中のアルバムということになる。フリッパーズのアルバムは三枚ともそれぞれにカラーが違っていて、ファーストの『three cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった~』は初々しくて爽やかでちょっと稚拙、サードの『ヘッド博士の世界塔』はデカダンで重厚でギミックてんこ盛りとまるで別のバンドだが、この『カメラ・トーク』はちょうどその真ん中。マニアックで凝り性だがみずみずしさもあり、それほど重たくない、といういいバランスになっている。ポップ・マニエストロぶりも一番鮮やかで、万人受けするアルバムだと思う。最初にフリッパーズを聴くならこれがお薦め。

 みんな知っていると思うがフリッパーズ・ギターは(最初のアルバムだけはバンドだったが)コーネリアスこと小田山圭吾と、小沢健二のユニットである。当時は二人とも若く、センスとマニアックさだけで勝負しているようなその音楽性とアイロニーに満ちた詞の世界は「早熟児」、アンファン・テリブルのイメージそのものだった。なんて書いているが私は当時のフリッパーズは知らず、解散して随分たってから聴いたのだが、まあそのイメージは分かる。当時フリッパーズを聴いてた若い連中にとっては強烈な存在感だっただろう。あらゆる音楽を縦横に引用し料理してみせるセンス、知的でつかみどころのない歌詞、傲慢でファッショナブルな存在感。彼らの音楽は過去の音楽からのさまざまな引用で成り立っているが、その元ネタを隠そうともしない、というか平然とばらしてしまっていたらしい。「オリジナルじゃないから何?」とでもいいたげなこのシニカルな態度も、早熟児的に不遜だ。

 ヴォーカルは小山田圭吾だが、フリッパーズを聴いた時最初に思ったのは「歌がヘタだな」ということだった。今でもヘタだと思うが、この歌のヘタさすら、職人芸なんてないけどセンスだけで勝負している、という早熟児イメージに貢献しているような気がする。フリッパーズを聴いていると青さ、繊細さ、傲慢さ、空虚さ、享楽性、刹那性などすべてをひっくるめた、才走った若さのきらめきが伝わってくるようだ。

 このアルバムではジャズを料理した『恋とマシンガン』、ハードボイルド映画のサントラのようなインスト『クールなスパイでぶっとばせ』、クロディーヌ・ロンジェを引用した『ラテンでレッツ・ラブまたは1990サマー・ビューティー計画』、シャバダバ・スキャットの曲『南へ急ごう』(これは『明日へ向かって撃て』か?)ブラス入りのゴージャスなポップ『ビッグ・バッド・ビンゴ』『午前3時のオプ』などが聴けて非常にカラフル、そして甘酸っぱい。私が特に好きなのは最後の『全ての言葉はさよなら』で、このいかにもフリッパーズらしいタイトルと歌詞(「分かり合えやしないってことだけを/分かり合うのさ♪」)、ポップで可愛らしい曲調が最高である。

 という具合にいい曲が多いが、『カメラ!カメラ!カメラ!』と『バスルームで髪を切る100の方法』と『偶然のナイフ・エッジ・カレス』はあんまり好きじゃない。『カメラ!カメラ!カメラ!』は曲は悪くないのにエレクトロ・ポップみたいなアレンジがぱっとしない。が、『Singles』に収録されているバージョンはギター・ポップ・アレンジになっていて素晴らしく良い。もしあのバージョンが収録されていたらこのアルバムの価値は5割増しぐらいになっていただろう。それが惜しい。
 


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